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クレイ群雄譚(クロスエピック)

第2章 ブルーム・フェスにようこそっ!

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第2章 幕間1 嘘つきのサーカス人形

 一晩にして街中の七面鳥がしめられる、謝肉祭の夜のことだ。
 魔が統べるダークステイツの一都市、毒霧めいたバイオレッドの靄が、乱痴気騒ぎを染めあげる真っ最中、広場にサーカスが立った。一世一代の奇術もかくや、突如として現れた極彩色の大テントがぬらりと口を開く。
 ブラボーブラボーに迎えられ、ウヨウヨと溢れたのは白塗りの享楽児、ビラを手に踊り狂い、金銀テープが滝と落ち、五色の紙吹雪が街路灯に光る。数百の男女が、半狂乱に舞いながら、銀貨を投げつけチケットを奪いあう。金がなければ外套を投げ、外套がない娘たちは切ったばかりのおさげ髪を投げた。
 サーカスだ、サーカスだ、サーカスが来た。
 わいせつなアコーディオンに『レディース&ジェントルメン』の前口上が乗って幕が開く。
 観客たちが数百の視線を向けるなか、ひらりステージに上がるのは双子のダイアフルドール。片や柔らかに笑う少女、片や怜悧に睥睨する少年だ。

Illust:kaworu

 燦燦たるスポットライトを受けながら、ビスクを爪弾くようにして、ドールたちは謳い上げる。
 
「汚れ木綿の屋蓋のもと、極彩色の夢を」

 サーカスだ、サーカスだ、サーカスが始まる。
 どう、と膨れ上がる歓声奇声胴間声、期待を裏切らぬままドールは闇染めの夢を描く。
 双子のドールはループクラブを投げ放つ。ひとつ、ふたつ、みっつ、やがて目では追いきれぬほどの群れになる。青い光の尾を引いて、廻る廻る、昏いテントを星空にする。
 それを手始めに、ブランコ乗りが飛び立った。蚕がつつと糸を吐き、ピンと張りたる二本の糸と、球体駆動の足をよすがに、ドールたちは次々と身を投げる。
 その、めまいがするほど遥かなる高さ!
 けれどドールたちは恐怖など毛ほども感じないといった艶笑を纏い、ブランコは遥か高くへ舞い上がる。
 しかし観客たちが阿呆のように仰向き喉を鳴らすのは、ドールのたち身を案じているからではない。
 おびただしきイミテーション・ジュエルが輝こうと、スパンコールがなまめかしくゆらごうと、生皮一枚向こうで忍び寄るものがある。あぁ、口に出すのもおぞましい。
 刹那の間、火の輪をくぐる獣の気が変わってしまえば、頭から喰らわれる。
 刹那の間、ジャグリングの刃を取るのが遅れれば、腕は落ち、首が落ち、為すすべなく崩れ落ちる。
 刹那の間、ブランコを掴み損ねれば、ドールは為すすべなく落ちていき、その身は砕け散る。
 畢竟ひっきょう、瞳をぎろぎろとさせた観客たちが望むのは、身の毛もよだつグロテスクなのだ。
 あわやの一幕に目を見開きながら、ハンカチで口元を隠したご婦人の、唇が笑み綻んではいないか。
 雷鳴のごとき歓声の中に、苛立ちに満ちた舌打ちはないか。
 ドールたちを飾る宝石も、豊かに翻るドレスのサテンも、しょせん太古の死骸の成れの果て。ドールの微笑もヒトの模造品に過ぎない。幕には無数の孔が空き、継ぎは間に合わず、ステージの下にはネズミが走る。
 観客も、ドールも、偽物、偽物、偽物だらけ。

「今夜此処での一と殷盛(さか)り、極彩色の夢を」

 サーカス小屋で一等高い足場にて、手をぴったりと合わせた双子人形が、スポットライトに焼かれている。
 気づいた観客たちの歓声が、一段と大きくなる。
 双子の視線が合い、模造品の頬がかすかに震え、引き結ばれた唇が笑みを造る。
 跳んだ。
 一瞬間、奇跡のように音が失せ、収束、雷鳴のごとき大歓声となる。
 流星は、砕けた星が燃え尽きる火だという。
 ここで唯一のまことは、砕けたサーカス人形の命で燃える、研ぎ澄まされた青だけだ。 

 
 ブラボーブラボー、歓声と喝采が響くなか、リリミとララミは舞台裏へと戻ってくる。ゆっくりとした足取りが、ウキウキとしたスキップとなり、やがて手に手をとってボールのように弾みだした。
 白磁の頬は赤いばらのように咲き誇り、綻ぶ唇はもいだばかりのルビーのよう。双子はこの公演で初めて主演人形(プリマ・ドール)を務めた。
 嗚呼、まなうらに焼き付く鮮やかなステージ。
 見たか、無数の鰯のごとく並んだ観客様を! 聞いたか、牡蠣殻の咽喉(のんど)を鳴らすあの音を!
 あの瞬間、世界はただ二人のためにあったのだ。
 サーカスは一夜の夢だが、リリミとララミにとっては命の総てだった。
 特殊強化磁器(セラミック)の指はジャグリングクラブを握るため、鋭く駆動する足は空中ブランコを跳ぶため、人工紫水晶(アメジット)の瞳は観客の目を惹くため。頭のてっぺんから爪先まで、二人の身体はサーカスの歓声のためにあった。
『あった』というのは、過去のものとなった、という意味である。
 文字の通り舞い上がっているリリミとララミに声をかけたのは、サーカス団の団長ストライである。縦ストライプの燕尾服を着込み、片眼鏡(モノクル)に口髭という、いかにも紳士らしい佇まいだ。かつては自身もマジシャンをしていたと言うが、今は団長としてふんぞりかえっている。曲芸の動物以外はワーカロイドたちで構成されたサーカス団のなかにあって、唯一のエルフだった。
 テントの奥の奥、人目を憚るような団長室で、ストライは一枚の写真を取り出した。
 家族写真なのか、亜麻色の髪をひとつに束ねたヒューマンの少女の周りを父母が取り囲んでいる。
「ようやくお前たちも一人前だな。さっそくだが、この一家を殺してくるんだ」
「——え?」
 リリミとララミはまばたきをした。
 何を言われているのか、よく意味がわからなかった。
 男がふふんと鼻を鳴らす。
「今から浮かれ気分で夜闇を歩いていくだろう、手品みたいにパッと消えたって誰も何も思わないさ」
 もうひとつ、まばたきをした。
 やはり意味がわからなくて、言葉を忘れてしまったように立ち尽くしていた。羽虫が灯にたかる音だけが聞こえている。
 苛立った男は力任せに文机を叩いた。
「行け」
「……どうして……どうして、そんなことをしなくては……いけないんですか」
 ようやく声をあげたリリミに、男は侮蔑しきった視線を向けた。
「このサーカス団を、自分たちをなんだと思ってたんだ」
 まばたきをする。
 眼球など乾くはずもないのに、ヒトを模して造られた動きだった。
 模しているだけなのだと、忘れていた。
「僕たちが、うまれた、のは」
 ララミは魂のない音を漏らす。
 そのさなかも、ブラボーブラボー、いまだ歓声は鳴りやまず、言祝ぐように響いている。
 

 
 それでも月日は流々と過ぎていき、やがて月が赤く染まるある夜、ドラゴンエンパイアの荒れ野っぱらにサーカス小屋が立った。
 サーカスだ、サーカスだ、サーカスが来た。
 幕開けは間もなく。
 緞帳の向こうで双子人形は人工紫水晶の視線を交差させ、静かに頷きあった。


 幕が上がる瞬間が一等好きだ。観客の歓声がひとつの獣のようになって、ちゃちな二人の身体が為すすべなく食われてしまうその瞬間が。
 幕よ降りるな、カーテンコールよ来るな、それまではプリマ・ドールでいられるのだから。

『——レディース&ジェントルメン!』

 声を重ねると、さぁっと緞帳が左右に分かれ、スポットライトが双子を真っ白に焼いた。
 眩いステージに躍り出て、彼女たちはすぐに様子がおかしいことに気がついた。
 観客席は水を打ったように静まり返っている。
 バックで奏でられるラッパはやけに調子外れて、無人の空中ブランコが揺れる音がキィキィと聞こえてくるほどだ。
 そこにはがらんどうの座席がむごたらしく広がっているのだった。
 驚きたるや、双子のサーカス人形がプリマ・ドールであることを忘れてしまうほど、と言えば凄まじさがわかるだろう。
 いつもサーカス団のチケットは奪い合いになるほどの人気で、空きがでることはなかった。これほど観客がいないだなんて、何かが間違っているとしか思えない。
 どうして、どうして!
 今日の公演は特別なものだと、二人はあらかじめ聞いていた。
 ショーの支度をしていた折に、小耳に挟んだ噂話によると、ここにサーカス人形たちを呼んだのは百鬼夜行を統べる大妖怪なのだという。
 なんでも、家など踏み潰してしまうほど身の丈があるとか。
 なんでも、気に喰わぬものがいればパックリ頭から食べてしまうとか。
 なんでも、頭は五つ、腕は十もあるとか。
 それだけ立派な大妖怪であれば、きっと一族郎党を引き連れてくるのだろう。
 二人はサーカス人形だ、観客の頭が百あるのがなんだろう、目さえあればいいサーカスに成ればいい。そこが二人にとっての絢爛たるステージだ。
 にも関わらず観客がいない。
 リリミとララミの瞳にカッと怒りの火が灯った。
 名も知らぬ大妖怪め、さては見るつもりもないサーカスを気まぐれに呼んだか、それとも戯れに気が変わったか。
 二人の握るジャグリングクラブから、もうもうとヴァイオレットの炎が立ち上り、ステージを舐め、焦がしていく。
 そのときだ。
 ほの暗い観客席の中に二つ姿があることに気がついた。
 目を凝らした。
 いる。
 片や鬼、猩々緋(しょうじょうひ)の茫茫頭(ぼうぼうがしら)は風もないのになびき広がり、爛々と光る両の瞳は苛烈な意思を漲らせている。
 傾いた着物の袖を無造作にまくり上げ、筋骨逞しき腕を覗かせながら、傲岸不遜を絵にしたように頬杖をつくその姿。
 ははぁ、さてはこれが妖怪たちの親玉か、と一目でわかった。
 その横では、品の良い妖狐が膝上で手を揃えている。少女から女に差しかかる年頃で、柔らかな瞳はとろけるように垂れていた。

キャラクターデザイン:kaworu Illust:刀彼方

 大火輪のごとき鬼と、ほろほろと零れる白梅のような妖狐、あまりにも佇まいの離れた両者が、がらんとした客席のなかに居る。観客はただ二人だけ。
 ブラボーの声はない。
 嗚呼ブラボーの声、が。
 双子はわいせつなアコーディオンの背景音楽に頬を打たれ、にわか正気に返る。ジャグリングクラブを放ち、壮絶な笑みを浮かべた。
 ご覧じろ、ここは巨大なる万華鏡、カラクリ仕掛けのサーカス人形が見せる極彩色の夢!
 どうにか鼓舞したものの、リリミとララミは魂のない抜け殻となってしまい、いつの間にステージが終わったのか、曖昧で定かではなかった。

「——妖怪たちを統べる”猩々童子”を消して来い」
 団長の声でハッと我にかえる。
 顔をあげれば、そこは襤褸の幕で区切っただけの団長の私室だった。ショーはすでに跳ねたのか、遠くから猛獣を入れた檻を引く、ゴロゴロという車輪の音が響いている。
 双子は一も二もなく頷いた。いつもは鉛のように心が重くなるグロテスクな命令も、今はパーティに誘われたような心地だった。
 笑顔を咲かせ、二人は手に手を取って踊り出す。
 トントン、トンタタ、生死のあわいで、とろけるようなステップを踏む。
「サーカス人形は歓声のため」
「歓声はサーカス人形のため」
『——それなのに!』
「行きましょう、ララミ」
「行こう、リリミ」
「むべなるかな」
「むべなるかな」
 サーカス小屋を飛び出せば、闇のこごった路地が続いている。灯りはなく、痩せた月の光だけが唯一のよすがだ。ドラゴンエンパイアの首都であれば、常夜灯でまぶしいほどだろうが、ここはそこからはずれたドラゴンエンパイアの東なのだった。
 路地沿いには雑草まみれの墓地があり、卒塔婆がカタカタと笑っている。心胆を寒からしめる光景だが、双子の殺人者にとって夜闇は深ければ深いほど都合がいい。
 標的は百鬼夜行を統べる鬼だ。二人の視線の先で、妖狐と連れ立って帰り路についている。
 やがて巨大な屋敷に辿り着いた。いかつめらしい門扉には、由緒ありそうな大提灯が飾られ、なかで青い鬼火が燃えている。
 ここが二人の屋敷なのかと思えば、そうではないらしい。薄く開いた門扉の前で、妖狐は幾度もお辞儀をしたのち、その奥に去り、門が締まった。
 彼女を送り届けた鬼は、玄関先でおもむろに巨大な瓢箪を取り出すと、ぐびぐびと喉を鳴らした。わずかに甘い匂いが風に乗って漂い、それが清酒であることは明らかだが、鬼はまるで清水を飲むように干していく。
「ういっ、と……」
 ようやく手の甲でぞんざいに口を拭い、顔色を変える様子もなく、そのまま供もつけずに夜道を歩きだした。
 双子が耳を澄ませても、あたりに人の気配はない。こうなればしめたものだ。
 闇の底で、リリミとララミは視線を交わす。それぞれ握ったジャグリングクラブとフラフープからは物騒な魔力が立ち上る。
 サーカスを見て上機嫌になった観客たちは、こうして夜道で闇に呑まれて跡形もなく消えてしまうのだが、道行く鬼が知るはずもない。
「そもそも酒のその徳を いざや語って聞かせんとぉっ」
 音吐朗々と謳い上げ、酔いの回った上機嫌で進んでいく。油断しきっている。命を奪うのなら今だ。
 双子人形が地を蹴り、肉薄せんとした、まさにその瞬間のことである。 
「お前たちも一杯どうだ。人形も酒くらいは飲めるだろう」
 鬼がゆっくりと振り返り、瓢箪を双子に向かってゆらゆら掲げたのだ。リリミとララミは言葉を失って、そのままの姿勢で動けなくなってしまった。
「鬼のパンツはいいパンツだが、鬼の酒だっていいもんだ。何せ俺が選んでる。水みてぇにすぅっと入るのに、抜ける香りが桃のよう。滅多に飲めるもんじゃねぇが、お前たちには良いショーを見せてもらった、礼だ」
 その居住まいに虚勢はなく、怯えもなく、手水のために外縁に立ったような気楽さだ。脳に酒が回って、およそまともな思考ができなくなっているのだろう。酔ったままあの世にいけるとは幸せなことだ。
「行きましょう、ララミ」
「行こう、リリミ」
 静寂(しじま)を割いて、駆動機が唸りを上げる。凶月の光を浴び、はるか高く跳躍した二人は、鬼の首を取らんとジャグリングクラブをおろした。
「よっと」
 しかし酔いどれの鬼は、酒でよろけた仕草でもって、凶刃をすんなり避けたのだ。
「……っ!」
 幸運な偶然など二度続けさせるものか。
 双子は二の太刀、三の太刀を繰り出したが、ゆらゆらと千鳥足でよろめく鬼には当たらない。
「よ、よ、よっ」
 鬼の掛け声は軽やかで、楽しげですらある。憎しみを隠さない双子とは対照的だ。
「おかしいわ、ララミ」
「おかしいよ、リリミ」
 いくら迫ろうとも、広がる髪一筋すら仕留められないとはどういうことだろう。
「こんな鬼に、僕たちが負けるはずなんてないのに」
 すると、じゃれる子犬をあやすようだった鬼は、にわかに酔いどれの仮面をかなぐり捨てて、その双眸をぎらりと光らせた。
「俺の名前を知らぬと見える。人形どもが玩具を振りたくろう構わねぇが、てやんでいべらぼうめ、俺ァ侮られるのだけは許せねぇ性質(たち)だ」
 茫茫頭を後ろに毛振り、大太刀を抜き放った。
 酒の匂いをぷんぷんさせて、人を食ったような不敵な笑み、まさに妖怪の大首領。

Illust:BISAI


「知らざァ言って聞かせやしょう、天下無双の猩々童子たァ俺のこと!」
 ごう、と風の塊が吹き荒れた。
 その勢いに踏ん張るのが間に合わず、双子の身体が宙に舞う。
「あ、」
 かすかな声と共に、繋いでいた二人の手が離れ、対の瞳が見開かれた。生まれた隙を見逃してくれる相手ではない。
 身の丈ほどの大太刀が、唸りをあげて中天を斬った。
 ビスクの割れる軽い音がして、サーカス人形が砕け散る。

 

 

 

   

 ざり、ざり、ざり……
 粘ついた夜闇に、爪で地面を引っ掻くような音が響いている。ざり、ざり。いくつか続いたのが止み、しばらくして、ざり、ざり、とまた響く。
 憐れな餌を期待したのか、野犬が寄って来た。しかし姿を認めるなり尻尾を丸めて逃げていく。
 ざり、ざり、ざり……
 双子のサーカス人形は、もうヒトの形すらまともに残してはいなかった。砕けた頭の間から、ゼンマイ仕掛けの内部機構が露出している。小石に足を取られてつんのめると、外れたゼンマイがぼろぼろ落ちた。
 もげかけた腕は、中心に通ったワイヤーでどうにか繋がってはいるが、ぶらんと力なく垂れている。
 リリミは右半身を砕かれている。ララミは左半身を砕かれている。身体と身体を寄せ合って、ざり、ざり、と夜を這っていく。
「しくったのか」
 団長の声がした。いつの間にかサーカス小屋に戻ってきたようだった。片方だけ残った視界も、ブロックノイズが酷くてろくに見えない。
 二人は口を開いたが、上手く声がでなかった。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 次は、ちゃんと、やりますから。
 ごめんなさい。
「この木偶が!」
 胸に衝撃があって、後ろに蹴り飛ばされる。壁にぶつかって大きくバウンドし、そのまま膝から崩れて動けなくなった。
 カチカチとせわしなく回っていたゼンマイたちが、ひとつ、またひとつと動きを止めていくのがわかる。
 ヒトが死に向かう時、最後に残るのは聴覚であるという。自分の名を呼ぶ声を聞きながら向こうに行くという。
 ヒトの形を模した身体は、腕も、足も、目も、もう壊れてしまって機能しない。けれど聴覚機能だけが最後まで残っているというのは、皮肉なことだった。
 二人を呼ぶ歓声はもう無いというのに。
 と不意に、夜の帳を払う、凛と通った声がする。
「——あの、忘れ物をしてしまって。青いハンケチなのですけれど」
「タマユラ様! あぁ、お目汚しをすみません!」
 と団長が慌てて答える。
「ハンカチ、ハンカチですね。すぐにサーカス人形に探させますから、はい、お待ちを!」
「……その子たちはどうなさったのですか」
「ゴミなんです。壊れてしまって。すぐにこれも片付けますからどうか放念なさってください」
「……ゴミ」
 痛ましげな囁きがあって、草履が床を擦る乾いた音が近づいてくる。双子の前で屈んだのか、衣服の衣擦れ音と、長髪がすべり落ちる幽かな音がした。
 女がそこにいる。
 リリミとララミは、最後の力を振り絞って身を起こした。ブロックノイズさえ失せた視野は真っ闇(くら)だったが、ほんの一瞬、視界が晴れる。
 妖狐の女が、悲壮な面持ちで眉を下げている。長い睫毛に包まれた奥に、涙にゆらぐ金の瞳があって、惨たらしく壊れた玩具を映していた。
 すぐに世界は闇に戻ってしまったが、瞳はぽたりと露を落としたことだろう。
 そんな顔をしないで欲しい。
 だってここは世界で一番素敵な場所、サーカス小屋なんだから。
「レディース……アンド、ジェントルメン……」
 ほら、サーカスの幕が開けるよ。
 笑って、手を叩いて、声をあげて。
 歓声を、歓声を、どうか。
 サーカス人形に歓声を。

 

 

 

 

 ほのかに梅の香りが漂っている。静かにリリミは呼吸する。
 柔らかに風が吹くと、ほとりと梅がこぼれ落ちる気配があって、花の香りがよりまさっていく。
 りりと虫が鳴いた。
 夜なのだろう。
 だろう、というのはあたりは闇(くら)の闇(くら)、何も見えないから、そう判じるしかないからだ。
 頭は一段高くされていて、背には柔らかな綿の感触があり、ふうわりと毛布のようなものもかけられてる。スクラップ置き場にしては、やけに手厚いなと怪訝に思う。
 枕元で何者かが動く、かすかな衣擦れの音がした。
 身動きも取れないままでいると、リリミの額に触れるものがある。ほっそりとたおやかな指だ。冷えていて心地いい。
 眼裏(まなうら)にぼんやりとした光が灯り、頭上から歌がこぼれてくる。勾玉がかさなるような響きに、どうやら人形にも”お迎え”は来るらしいと思いながら、時はしんしんと過ぎていく 。

 

「——生きてる」
 リリミは布団の上で半身を起こして呟いた。
「——生きてる」
 ララミも布団の上で半身を起こして呟いた。
 午後の日差しが、斜めに座敷に差している。開け放した硝子障子の向こうに、手入れの行きとどいた庭が見える。見事なしだれ梅が、風が通るたびに枝先をなびかせていた。
「どうして」
 リリミは右に首を傾げ、
「わからない」
 ララミは左に首を傾げた。
「わたしたちは壊れてしまったのでしょう」
 リリミは左に首を傾げ、
「ぼくはそう思っていたけど」
 ララミは首を右に傾げた。
 と、背後でカタンと音がして、半月盆を取り落とした妖狐の女が駆けよってくる。布団の傍らに膝をつき、リリミとララミの肩を抱きしめた。
「よかった」
 双子は目をしばたかせた。
「あなたは」
「タマユラです」
「タマユラ、さま」
「さま、など付けずともよいのですよ。タマユラと」
「タマユラさま」
 混濁していた記憶が繋がり、この女が自分たちを拾ったのであろうとリリミは理解した。状況から見て、ここは彼女の屋敷なのだろう。
「ちゃんと治ったでしょうか。わたくしもダイアフルドールを治したのは初めてのことだったので、自信がないのです」
 着ていたステージ衣装は枕の上に丁寧に重ねられている。双子は白い襦袢を脱いで、元通りに着替えると、畳の上でくるりと回った。
 どんな奇術を使ったのか、壊れた腕も足も綺麗に直り、油まできちんと注されている。サーカス人形だった頃よりも動きがよいほどだ。
「問題ありません」
「よかった!」
 タマユラが胸の前で組んだ手を小さく弾ませる。
 その目前で、リリミとララミは手を合わせながら膝をつく。ジャグリングクラブもフラフープも手元にないが、曲芸くらいはできるだろう。
「では、ショーを」
 タマユラは慌てて首を横に振った。
「いい、いいの」
「ではなぜ、わたしたちを拾ったのですか?」
「……お友達が欲しかったのです」
 恥ずかしそうに俯くタマユラに、リリミとララミは言い立てる。
「そのようにできていません」
「ジャグリングならできます」
「空中ブランコならできます」
「歌も」
「踊りも」
「わたしたちはサーカス人形ですから」
 立て板に水に押され、タマユラはしばらく口をパクパクとさせていたが、ようやく力のない声を絞った。
「……一緒にいてください」
「はい」
 春告鳥がのどかに鳴き、梅がこぼれた。あたりに春がたちこめている。
 双子は首を傾げた。
「それだけですか」
「えぇ、えぇ。そうだ! そこの座卓に練り切りがありますから一緒にいかが? 今お茶を持ってきますからね」
 双子がどう対応していいかわからぬ間に、タマユラはせっせと動いてお茶の支度をする。あまりに早く歩こうとしたせいか「コンッ」とひとつ、噎せた。
「お風邪を」
「なんでもありませんよ」
 微笑みながら、タマユラは双子に座布団を手で勧めた。座卓には湯気が立ちのぼる煎茶と、手毬の形をした練り切りがそれぞれに置いてある。
 双子は戸惑った。瞳を見交わして瞬きした。
 おずおずと座ってみたものの、尻に当たる座布団のやわやわとした感覚に慣れない。タマユラの方を覗き見て、慌てて正座に足を組み替えた。
「そんな、いいのに」
「そういうわけにはいきません」
 サーカス人形が前に座ることすらおこがましいというのに。
 リリミとララミは自らに用意された練り切りを見る。
「わたしたちに食事は不要です」
「給油をすれば事足ります」
「あ、そうね! ごめんなさい!」
 タマユラが慌てるなか、リリミとララミはじっと練り切りを見つめている。
 ヒトの食べ物といえば、団長が食い散らかして地面に放った肉の骨ぐらいしか記憶にない。猛獣の餌以外の食べるものをまじまじと見たのはこれが初めてのことだった。
 小さな菓子のなかに、水色と桃色の筋が混じり合いながらゆらゆらと流れている。菓子というよりも、丁寧に作られたつまみ細工のようだった。
「……でも、とても綺麗です」
「でしょう」
 タマユラはやわく微笑んだ 。あまりにまぶしくて、リリミとララミは目を眇めてしまった。
 

 

 

 

 ドラゴンエンパイアの東、フカクサの 地には百鬼夜行を成す侠客集団『天上天狐(てんじょうてんこ)』がある。その頭目の一人娘がタマユラだった。屋敷には妖怪、忍鬼、忍妖がうようよと出入りし、さながら墓場のどんちゃん騒ぎ。
 ダークステイツからやってきたリリミ、ララミとは馴染まないようだが、同じ闇に跋扈する者として案外馬が合った。
 ひゅう、どろどろ。夜に飛び交っては怯える人々を笑い、しゃれこうべを積んで遊ぶ。もちろんそんな時代がついた遊びだけでなく、貸本屋から借りてきた『まがじん』を読んでいることもある。
 リリミ、ララミも文字の勉強として、短いスカートを履いた少女たちが表紙を飾る『まがじん』を借りた。ページを指差しながら、妖怪たちは口を極めて『推し』の話をしてくれたが、プリマ・ドールのようなものだなと二人はすぐに理解した。
 失われてしまったジャグリングクラブやフープを仕立ててくれたのも妖怪たちだ。悪ふざけをしたのか、任侠者の血が騒いだのか、元々使っていた物よりも武器として物騒になっている。目を煌かせて渡してきた妖怪の 手前、文句をつけることも出来ず、このことはタマユラに内緒にしたままだ。
 とはいえ、出入りする妖怪たちはタマユラの父に仕える若衆であり、家族ではない。タマユラの父は頭目として屋敷におらず、昼間の座敷はガランとしている。
 タマユラは縁側に布団を敷いて、ぼんやりとしていることが多い。その傍らでリリミとララミはただ寄り添っている。
 梅が こぼれて、桜が咲いた。
 桜が散って、芍薬が咲いた。
 芍薬が落ちて、百合の茎が伸びた。やがて細い一輪の蕾が、ふっくらと開く。しとりと降った雨が、花弁の先で丸く光っている。
 夏になった。
 タマユラは座椅子にもたれながら、糸綴じの本を一頁繰った。その手を口元に持っていって「コン」と軽く咳をする。
 座椅子によりかかりながら、リリミは歌を紡いでいる。この地の古いわらべ歌だという。
 座椅子によりかかりながら、ララミは紙に筆を走らせている。タマユラに習って、読むだけならば相当できるようになっている。書く方はまだまだ手習いが必要そうだ。
 雨だれの音に混じって、ノシ、と木が軋む鈍い音がする。
 気のせいかと思えば、ノッシノッシ、と大入道でも歩いてくるような足音が近づいてきて、戸襖が勢いよく開いた。
「ちょっくら邪魔するぜ!」
 座敷に乗りこんで来た猩々童子は、双子の姿に気づいて二の句を飲みこんだ。気色ばんだ顔をたちまち怒りで赤くして、すらぁと刃を抜き放つ。
「——ぶっ壊してやる」
 ただ人であれば、その殺気を浴びただけで竦んでしまいそうなものだが、タマユラは両手を広げて立ちはだかった。
「なんですか猩々童子、物騒でしょう! リリミとララミはわたくしのお友達ですよ!」
「そりゃあ相済みませんが、こいつらは俺をコケにして酒を断った 。御前様(ごぜんさま)が良くても俺が許さねぇ」
「少しは酒を控えればいいのです!」
 タマユラは猩々童子の酒瓢箪をぺいと叩こうとし、鬼は慌ててそれを避ける。
「酒は命の水、それだけは御前様の命令でも承服できねぇ。ともかく、こいつらが御前様に何もしないとはお天道様だってわからない」
「そんなことしない!」
「するはずがない!」
 その言いがかりだけは聞き逃せず、二人は肩を怒らせて詰め寄った。が、鼻を膨らませた鬼の気迫に思わずたじろいでしまう。やや身体をのけぞらせながら、それでも非難じみた視線を投げた。
「タマユラさまはわたしたちの恩人なのに!」
「ぼくたちはタマユラさまのことが好きだ!」
「口ならどれだけでも言える!」
 猩々童子がウーと唸った。
 リリミとララミがイーと歯を剥き出しにした。
 ウーウー、イーイーと、緊張の時間が流れる。タマユラは為すすべなくオロオロとしている。
 やがて猩々童子が視線を逸らし、外を顎で指した。
「人形ども、ちょっと来い」
「望むところ!」
「望むところ!」
 両者肩を怒らせながら、連れ立って座敷を出て行く。タマユラは眉を下げ、不安そうに足袋の爪先をぎゅうと丸めている。
「……何をするつもりですか」
「話すだけだ、話すだけ。何もしねぇ」
「そう……」
 出て行く猩々童子の背中に向かい、タマユラが声を振り絞る。
「リリミとララミを泣かせたら、嫌いになりますよ!」
「それは困る!」
 猩々童子、振り返って吼えた。
 

 

 

 双子の頭をむんずと掴んだ猩々童子は、そのまま長い廊下を抜けて、薄暗い手水の手前まで引きずっていった。掛燭台の上で、ちびた蝋燭が今にも消えかかっている。
 猩々童子は努めて音量を落とした大声で言った。
「——人形ども!」
「リリミ」
「ララミ」
「人形ども、御前様のなにを知ってる」
「やさしい!」
「良い匂いがする!」
「そうだ」
 猩々童子大きく頷いて、
「……いや、そうじゃねぇ」
 乱れた髪を手でさらに乱し、しばらく考えこむ。
「御前様が信じるという物を、俺がどうこう言うのも野暮天か」
 唸ったのち、ぐっと声を低くして「まどろっこしい物言いは好かん」と吐き捨てる。
「ここの薬師に鼻薬を嗅がせてわかった、御前様は身体がかなりまずいことになってる。もうどれだけもつかわからん」
「……そ」
 そんなはずがあるものか、と言いかけて、リリミは言葉を継げなかった。
 タマユラが床についている時間はやけに長くないか、不穏な「コン」という咳。凛としたその横顔がときおりひどく儚く見えることはないか。
「……そう」
 とだけ言葉が落ちる。
「御母堂様もそうだったらしい。妖狐は数百年生きるもんだが、御母堂様は二十五で死んだと聞いた。御前様が三歳の頃だ」
 猩々童子は酒瓢箪をぐびりと煽り、酒臭い息を吐いた。
「俺は御前様に恩がある」
 酒に火をつけたように、瞳の底には猩々緋が燃えている。
「ガキの時分は酒を呑んでは侮られ、喧嘩、喧嘩の毎日だった。もちろん侮るやつらが悪いが、俺がでっかくなりゃそんなやつらもいなくなる。盾突くやつらをまとめあげ、頭目になると大願を立てた。俺ァは思ったことは口に出さずにはいられない性質(たち)だ。言いふらしては馬鹿にされた。成る、と信じてくれたのは御前様だけだ」
 昔を思い出すように猩々童子は目を閉じる。
「応とも、たった一人ぽっちだ。だがそのちっさい声が、始末に負えねぇ破落戸を、天下無双の猩々童子にした。御前様には百歳(ももとせ)千歳(ちとせ)と生きて欲しい。俺にできることは何でもしてやりてぇ」
 猩々童子は何ごとか思い出したのか、頭を掻いて髪を乱す。
「お前らサァカスを呼んだのも気晴らしにいいかと思ったんだ。人混みが障るかと席は全部買い占めてな。だが」
 猩々童子は、張り手をされた仕草をして見せた。
「”あなたはサァカスの楽しみ方を間違っています”と散々叱られたよ」
 さすがタマユラ様だ。
 リリミとララミは誇らしい気持ちでいっぱいになった。同時に、猩々童子のことをもっと嫌いになった。
「わかるだろう、御前様はひとを疑わない。”お友達”ってこたぁ、あの人の一等近くに居られるんだ。——人形ども、あの人にイカサマをやるような真似はするなよ。もしも誓いを破ったらば」
 ギラ、と猩々緋が燃え上がる。
「地の果てまで追い詰めて、この剣で砂利よりも細かく砕いてやる」
 鋭い爪の伸びた親指で、鯉口をパチンと鳴らした。
「人形ども、お前らにそういう肝玉はあるか」
「鬼に言われずとも」
 双子が鼻で笑う。
「私たちはタマユラ様のお友達だ」
「僕たちはタマユラ様を守る」
「もし卑しくも酒乱の鬼めがタマユラ様に懸想しているのなら」
「この命尽きようと、闇に葬ってやるつもりだった 」
「言いやがる」
 猩々童子はカラリと笑ったが、ふと思案に沈むと、今日で一番小さな声になった。
「………ちょっと好き」
「殺す」
 血で血を洗う戦いの火蓋が切って落とされたその時、廊下の角を曲がってタマユラが顔を覗かせる。眉は下がったままだ。
「お話しは終わりましたか? 仲良くできそうですか?」
 猩々童子は刀を下段から振り抜こうとしていた 。リリミとララミはクラブとフープを放たんとしていた。
 猩々童子は堂々と頷いて、
「応よ」
 と答えた 。

 

 

「そうだそうだ、御前様に話を持ってきたんだ。この前の詫びだと思ってくれ」
 座敷に戻り、そのど真ん中で胡坐をかきながら、猩々童子は『まがじん』を取り出した。折り目が付いている所を広げると、誌面で制服姿の少女たちが笑っている。
「リリカルモナステリオで今度”文化祭”ってもんがあるらしい。アイドルになりたい嬢ちゃんたちのお披露目の祭りって話だが、そこで”ブルーム・フェス ”ってぇもんが開かれるんだと」
「あい、どる……?」
 タマユラは耳慣れぬ言葉をぎこちなく繰り返す。
「つまり曲舞(くせまい)をするのが仕事の嬢ちゃんたちよ。で、その見習いたちから一等いいのを選ぼうってのがオーディションだな」
「ふむふむ」
「で、うちにその審査員に誰かどうだって話が来ていてな、御前様にどうかと思って参じたって寸法だ。”アイドル・オーディション”なら観客はわんさといるし、サァカスなんぞよりも大盛り上がり間違いなしだ」
「……」
「……」
 リリミとララミは黙っていた。
 刺す、と思った。
「で、でも……わたくしでいいのでしょうか。舞いは童の頃に少し齧ったきりなのです」
「いい、いい! 俺だって酒なら一斗も辞さないが、酒を造れと言われちゃ弱っちまう。別物よ」
 タマユラはしばらく考えこんでいたが、華々しき総天然色の誌面に我慢しきれなくなったらしい。
「左様なら……お受けします」
「よし!」
 汚名を返上できたのが相当嬉しかったと見え、猩々童子は膝を強く打った。
 気が変わらないうちに、とすぐにリリカルモナステリオに向かう算段を進めていく。タマユラの身体に障らぬよう、クジラが近づくときに乗れるようにしよう。もし何かあったときのために、もちろん薬師も随行できるように手配は済んでいる。
 妖怪たちを率いているだけはあり、ただ腕っぷしが強いだけの鬼ではないようだ。案外細やかな気遣いもできるらしい。
 タマユラが圧倒されコクコク頷いているうちに、仔細は全て決まっていたのだった。
 猩々童子がはたと顔を上げれば、すでに雨は止んでいる。流れる雲の切れ間から夕紅が差し込んで、庭の白百合がほの染まっていた。
「じゃあ俺はお暇しよう。また出立の前には顔を出すつもりだ」
「えぇ、感謝します猩々童子」
「御前様のためだ。いいってことよ」
 玄関へと連れ立っていく二人を視線で見送りながら、リリミとララミは思案している。いつもタマユラについて回る二人であり、ここでも従来なら彼女の目を盗んで猩々童子の背に塩を撒いていたところだ。
 塩は後で撒くとして、二人が座敷に残ったのは思うところがあったからだ。
 “ブルーム・フェス”
 猩々童子が開いた『まがじん』の特集ページは、二人がまだ字を読むのが覚束なかった頃、妖怪連中 が楽しそうに解説してくれた。あまりにも熱の篭った語り口は、今でもありありと思い出せる。
『リリカルモナステリオでオーディンションは大から小まで色々あるが、ブルーム・フェスはちょっと毛色が違うのよ。応募条件は”アイドルを目指していること”。デビュー前のアイドルの卵であれば他の条件はなし! つまりリリカルモナステリオの生徒じゃなくてもいいんだ。腕に覚えがあるなら、文化祭の来客者だって参加できる。ま、大体は格の違いを知るもんだが、ルールの上ではそうなってる。いいとこまで行く子もゼロじゃない』
 リリミとララミは不真面目に聞いていたが、興奮している相手はそれに気づかないらしい。怒涛のようにしゃべり続けていた。
『最終審査のライブは毎年めちゃくちゃ凄くてな……優勝した子は毎年そこから一気に名前をあげてく! その”開花(ブルーム)”が見られるのが、このオーディション一番の目玉だな!
 このオーディションが凄いのは、それだけじゃねぇのよ。優勝者の手に渡る歴史あるトロフィーは、願いをなーんでも叶えてくれるっていう話だ。そのお陰で歴代の優勝者はトップアイドルになるってわけだ。俺の”推し”もこのオーディションからどんどん有名になって、……』
 トロフィーのことを覚えている。
 繊細な彫りが施された銀のゴブレットで、その中央に手のひらほどある緑色の石が浮かんでいた。朝露がそのまま宝石になったような佇まいで、うるうると揺らいでいる。人の胸をぎゅうと掴んで離さない鮮やかな光。
 それが願いを叶えてくれるというのならば、タマユラの病も治してくれるだろうか。
 リリミとララミはひっそりと手を合わせる。それはプリマ・ドールとして初めてステージに立った、あの日の仕草に酷似している。
 レディース&ジェントルマン!
 サーカス人形が踊れば一人が笑う。ジャグリングクラブを放てば二人がやんやの声をあげ、手拍子が重なり、やがて喝采になっていく。
 比べて、タマユラの微笑みはたったひとつきり、なんてちっぽけなものだろう。
 けれどそのひとつだけで生きていけるのだと、サーカス人形は知ったのだ。
「タマユラ様と一緒にいたい」
「タマユラ様に笑ってほしい」
「そのためなら」
「そのためなら」
 ためらいなく言葉が重なった。
『喝采はもういらない』
 やがて、とたとた、と軽い足音がして、猩々童子を見送ったタマユラが座敷に帰ってくる。顔を寄せている双子に秘密を感じたのか、彼女も声を控えてささめいた。
「どうしたの、内緒ばなし?」
 双子の人形は揃って答えた。

『なにも 』

 大丈夫、きっとこれが最初で最後の嘘になる。