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ガブエリウス サイドストーリー

「わずかな光でも、手を伸ばした者にのみ、奇跡は舞い降りる」

原案:校條春 本文:金子良馬 世界観監修:中村聡
 ──天輪聖紀。サンクチュアリ地方最北部。
 白亜の大地は固く凍えていた。
 薄い草地やまばらな低木が生えるだけの、見渡すかぎりの凍土。その所々に家屋だったものの残骸が埋もれているが、崩れ朽ちた石材はそれと知らなければただの岩と見分けがつくことはない。
 ここにははっきりとした季節というものがなく、一年を通じて骨まで染み入るような寒さが支配している。
 風すらも勢いを失ったような停滞した世界に、力強い火花が散った。
 不毛の大地の上空に今、2人の戦士がいる。
 ガンッ!ギッ!ギィィン!!!
 彼らを繋ぐのは、硬いもの同士が触れあう響き。
 だが、もしその立ち合いを間近で目撃したとしても2人の応酬は早すぎて、ほとんどの者の目には腕も太刀筋も残像の集まりとしてしか見えなかっただろう。
 技量も力もほとんど互角。
 片方が押せば片方は引き、そしてまた押し返す。攻防いずれもどちらかが圧倒することはなかった。
 何十回、鉤爪と刃を噛み合わせたのだろうか。それはまったく不意に終わりを迎えた。
「よし!」
 竜の声を合図に双方の攻撃が止まり、2人は地上に舞い降りた。
「ここまでとしよう、レザエル」
 金色のコスモドラゴンは重々しく告げた。
「鍛練は今日で終わりだ。君には私のもてる全ての技を伝えた。武爪ぶそう術は空中戦術として我が一族に受け継がれてきた奥義。今となってはその武具同様、失われた技だが、君の剣技をより完成に近づけるものとなったはずだ。この先も君自身で研鑽を続けてほしい」
「ご教授、誠にかたじけない。ガブエリウス」
 白色の天使は相手の名を呼ぶと、剣を収めて一礼した。
「うむ。いまの君に勝る剣士は、天輪聖紀において数えるほどもおるまい」
「まだあなたには追いつけません」
 レザエルの答えは穏やかで、師匠を褒め称えているのにその口調にはどこか沈んだ調子があった。
「『悲しみの剣士 レザエル』。友よ。出逢った瞬間から私は、君という戦士の特異性に気がついていた。君は傷つき病める者を癒し救うため、その役割を担う自分が生き延びるために剣を振るう。君自身は大きすぎる悲しみを抱え、一度はこの故国と部隊を捨てるほど世をいとうているのに、困った者は見過ごせない。隠棲を望む慈善家。優れた癒やし手であり敵を圧倒する剣士。君という天使はまさに矛盾の塊だ」
「……」
「だがそれこそが私の求める者。剣とは人を傷つけるために生み出されたものだが、それを活人剣として用いることができる者がいるとすれば、誰よりも優れた医師であり、悲しみの剣をふるう君しかいない。だから私は君を鍛えた。まさにこの時のために。私に替わってこの惑星クレイの守り手となってもらうために」
「ガブエリウス、いま何と?」
「剣士としてさらなる高みに達した今こそ、全てを伝えよう。レザエル。真実を」
「真実とは」
 レザエルという男はたとえ師に対しても論理的で、一から順にすべてを理解しようと努める事を止めない。
「戦うべき敵がいる。そして奴こそが、我々に共通するかたきなのだ」
「仇敵とおっしゃるのですか。しかし私には恨むような相手など……」
「そうだったらどれほど良かった事か、お互いにな。我が親しき元エンジェルフェザーよ」
 ガブエリウスは背後にそびえる山を顧みた。
 無数の小さな矩形が並ぶその中腹には、朽ちた神殿の建物がある。
 極北の廃殿。それは天輪聖紀の現在において、そう呼ばれていた。
 黙礼。
 ガブエリウスがいま長い祈りを捧げた相手は誰だったのか。
 レザエルは師匠にならって頭を下げながらも、ガブエリウスの背に深い悲しみを看て取った。
 聖竜はやがて意を決したように顔を上げ、そして友であり武術の弟子である天使へと向き直った。
「私、ガブエリウスはこの地に生まれた。当時、ここには御山おやまの神殿と我々コスモドラゴンの村があったのだ。我らコスモドラゴンは守護聖竜を祀り、慎ましく暮らしていた。それは君レザエルが生まれるより少し前、惑星クレイ歴でいう2400年代の初め。後の世から見れば、新聖紀という時代はもう終わりかけていた」
 ──新聖紀。
 ユナイテッドサンクチュアリ最北部、守護聖竜の神殿。
「先生!カシウス先生ーっ!」
 少年竜は、神殿に立ち並ぶ胴張りの柱エンタシスの間を駆け抜けながら呼びかけた。
 黄金の若きコスモドラゴンが通り過ぎる度に、聖所の空気が華やぐ。しかし誰がとがめようか。ここは肉体と精神を鍛え、豊かな生命と希望の祈りを守護聖竜に奉納する聖所の中心なのだから。
「ガブエリウス」
 祭壇の前で待っていたのは二人の人物だった。
 いずれも威光目映いばかりの堂々たるコスモドラゴンである。
「父上もこちらでしたか。お騒がせして申し訳ございません」
 少年はひざまずいて、少し息を整えた。
 家族としては彼の父親と叔父だが、見習い戦士としては偉大なる族長と武術の師匠。2人はこの国の最北に祀られる守護聖竜の神殿とそれを護る竜族の重鎮であり、若輩者として非礼があってはならなかった。
「守備隊への着任許可をいただき、誠にありがとうございます!」
「ガブエリウス。おまえは師の教えに従い、よく励んだ。カシウスにも礼を伝えていた所だ」と父。
「はい!何もかも先生のおかげです!」
「いいや。君の成長と実力が正しく評価されたというだけ。順当にして当然の事だよ、ガブエリウス」
「ありがとうございます!」
 ガブエリウスは笑顔になって顔をあげた。
 その瞳は輝いていた。純粋な尊崇と憧憬の念が。
「とはいえ鍛練に終わりはない。これからは今まで以上にしごくから、そのつもりで」
 と師匠カシウス。その巧みの武爪術同様、清廉潔白にして質実剛健。武人の鑑として誰もが敬う男である。
「お願いします!」
「ではまた明日朝会おう、ガブエリウス。兄上、族長もご機嫌よう」
 カシウスは親子に会釈して去った。
「さて。守護聖竜への祈りを捧げたら、我々も帰ろう。母さんが祝いの膳に腕を振るっているはずだからな」
 族長は父の顔となって息子の肩に手をかけた。
「はいっ!父上!」
 ガブエリウスにとってはどんな労いの言葉よりも、この仕草から感じられる父の愛情だけで報われた心地だった。
 
 ──1ヶ月後。
 “わずかな光でも、手を伸ばした者にのみ、奇跡は舞い降りる”
 それはユナイテッドサンクチュアリ最北の神殿に掲げられた文言である。
 この国において特に守護聖竜が崇められるのは、その加護を得たロイヤルパラディンの騎士、後の英雄王、初代アルフレッドが興した国こそが神聖王国ユナイテッドサンクチュアリであるからだ。
 臨時司令部における幕僚会議。
 司令官は山の麓、かがり火が焚かれる練兵場の中心に設けられた天幕の上座で、その言葉を唱えた。
「故にどんな窮地にあっても諦めること無く、自らを奮い立たせ仲間を信じて戦う。そして本日、我々はまた勝利した」
 おう
 幕僚と伝令使、居並ぶコスモドラゴンの武人たちは天幕の頂に向け、武爪ぶそうを突き上げた。
 武爪とは空中戦を得意とするこの地方のコスモドラゴン、その中でも選ばれた守護団兵のみが装着を許される竜の武器。突きにも斬撃にも優れる長い鋼鉄の爪である。
「ご苦労だが、内乱平定の最終報告書を、急ぎ聖都へと届けてもらおう。宛先は円卓会議となっている」
 はっ、と頷いたガブエリウスは、叔父であり守備隊司令であるカシウスが差し出す書状の巻物を受け取り、一礼した。
 新聖紀の惑星クレイ、ユナイテッドサンクチュアリにおいて最も重要な暗号通信には伝令が使われる。情報と機密保持は軍隊の要。平時ならば速度よりも確実性が尊ばれるからだ。
「ガブエリウス、これより聖都へ向かいます」
「伝令兵」
 天幕から出ようとしていたガブエリウスはぴたりと立ち止まり、踵を返して立礼した。
「はい、司令官殿」
 居並ぶ側近が思わず目を細めた程、律儀で美しい若武者ぶりである。
 師よし親よし生まれよし。前線の派手な武勲ではなく戦場を駆ける伝令使という任務に就かせても、気を抜くこと無く上官に仕え、その溌剌とした振る舞いは歴戦の竜たちに自然とある感動を湧き起こさせるものだった。
 若者の周りでキラキラと輝くそれは、一言でいえば“青春”と表せようか。
此度こたびの事件、君はどう見るか」
 無論、これは伝令に訊く質問ではない。
 叔父である総司令から、伝令を任されている将来有望な甥への“試練”だと皆わかっていた。
 そして司令官と幕僚に囲まれての問いに、他の少年兵ならば萎縮するところだろうが、ガブエリウスも外観以上に並みの若者ではなかった。
「起こった出来事だけを見れば、北部方面第2騎士団の内紛のようにも見えます」
見える・・・とは」側近の一人が訊く。
「はい。我々、神殿守備隊は神聖王国ユナイテッドサンクチュアリの極北において、守護聖竜が再び降臨する時まで御座を守護したてまつるのが務め。士気高く志は一つに、一枚岩となって拠点守護の任に当たります」
「左様」側近達は声を揃えた。
「翻って、聖都を除く各方面騎士団は、国防を基本としながらも各駐屯地を中心とした地方治安維持に当たる部隊。我々ほど至高の務めを常に意識しているとはいえません」
「続けよ」カシウス司令官が促す。
「我々が守護聖竜のために仕えるのとは違い、彼らは国に仕える身であります。先の根絶者デリーターの侵略を退け、ギアクロニクルとの接近遭遇を経て安定期にある現在、軍組織の整備も滞りなく、特に兵站物資が困窮したわけでもないのに、互いに交渉も話し合うこともなく突然、同士打ちを始めたというのはどうにも解せません。しかも今回、我々と同じ竜族がリーダーであったのですから」
 最後の、人間ならばともかく知性も魔術耐性も精神性も高い竜が部隊を取り仕切っていたのに反乱を率いたというのは解せない、という論理にはカシウス司令官以下、ベテランの幕僚とも意見が一致している。
 ガブエリウスは若年ながらまさしく竜族の才子だった。
「いま同士打ちと言ったが」
「はい。反乱軍を占拠した時に立ち会い、確信いたしました。伝令としてご報告するため、制圧された司令部の実証検分に」
「見た。よいレポートだったが、味方をも敵視して自ら滅んだとする根拠は」
「あれは凄まじい光景でした。爪傷から察するに、指揮官は反乱の最後、まるで何かに取り憑かれたかのように、近衞や幕僚を背中から斬りつけたものと。原因こそわかりませんが、あれを乱心と言わずして……」
「そこまででよい。ガブエリウス」
 はっ。伝令使は頭を下げた。
「今、申したことは口外していないな」「はい」
「ではそのまま沈黙を保て。検証と対策は我々と族長で講じる」
 行けと指差されて、ガブエリウスは駆けだした。
 天幕を抜けると力強い羽ばたきが南東を目指して遠ざかって行く。
「見事ですな、族長のご子息」「大した器だ」「息子にも見習わせたい」「すぐにも参謀として加えるべきでは」
 天幕には好意的な評と笑いが起こった。
 司令官は頷きながら、彼の甥が飛び去った方に顔を向け、天幕越しに何か物思いにとらわれているようだった。
 幕僚たちは司令官の思慮深さを知っていたので、その様子を気に留める者はいなかった。
 これがユナイテッドサンクチュアリ北部方面第2騎士団の内紛を、守護聖竜神殿守備隊が収めた戦勝の夜のことである。
 
Illust:タカヤマトシアキ
 
 ──現在、天輪聖紀。サンクチュアリ地方最北部、極北の廃殿。
 ガブエリウスは、天使レザエルを聖所の山へといざなっていた。
 この極北の地でガブエリウスと出逢い、その熱心な説得に応じて放浪を止めたレザエルが剣を鍛え直すようになってから、この山に立ち入るのは初めてのことだ。
 行く手の中腹には廃墟と化した神殿がある。
 ガブエリウスが語った過去の話では、新聖紀の壮麗で荘厳な様子が察せられた聖所と山だが、麓の村同様、天輪聖紀のいまはほとんどが崩れ朽ちて風化も進み、往時をしのばせるものは残されていない。
 そして坂になった参道の両脇に続くのは、素朴な造りの墓石である。
 荒寥とした山肌に、麓から持ち込まれた白亜チョーク岩の矩形が立ち並ぶ様はもの寂しく、まだ真実の切れ端しか知らぬ悲しみの剣士レザエルにとっても、それらは惻々そくそくと胸に迫る風景だった。
「あれは私が勤めてから50年ほど経った頃のことだ。君たち天使と同様、竜にとっても50年などあっと言う間だ。私は青年期に入り、伝令使から神殿の近衞兵となっていた」
「若くして聖域近衞兵とは」
 神殿守備隊に限らず近衞とは心技体、そして容姿も選び抜かれたエリート兵である(要所・要人の警護に加え、義杖兵を兼ねる機会も多いためだ)。青年ガブエリウスが上層部から極めて高い評価を受けていたことは想像に難くない。
「あぁ名誉なことだ。だが私の喜びは父母、そして我が師カシウス、叔父上の愛情と期待に応えることにあった。そして我が同胞はらからにも」
 ガブエリウスは斜面に並ぶ墓標に頭を垂れた。
「ここには仲間が眠っている。すべて私が埋葬した」
「……」
「私にできる事はこれくらいしかなかった……」
「何があったのですか」
「あの夜のことを語れる者はもう誰もいない。この私を除いては」
 ガブエリウスはそう言いながら崩れかけた廃墟を顧みた。
 いま暗い口を開けるうろは、当時は壮麗な神殿の門だったはずの場所だ。
「大切なものが失われ、美しいものが滅んでゆく。愛しているものを理不尽に奪われることの辛さは、経験した者にしかわからないだろう。打ちのめされ、真の意味でそこから立ち直れる者は少ない。我々はそうありたいものだが、いまも心の傷口は癒えることが無い」
 レザエルは同情に満ちたまなざしを師匠ガブエリウスに向けた。言うまでもなく、彼レザエルもまたそんな悲しみを抱え続けているのだ。
「だが今思えば、この悲劇には前兆があったのだ」「?!」
「そうだ。そしてその時、私は初めて知った。大いなる敵の存在を」
 竜と天使は歩いてゆく。
 墓碑が並ぶ荒寥とした坂道を。
 
 ──新聖紀。守護聖竜の神殿。
 2人のコスモドラゴンが坂道を歩いている。
 神聖王国の極北にあるこの土地の気候は厳しい。
 手入れが行き届き、整地され清められた守護聖竜の神殿までの道も、白夜が終わりつつある今はまだ凍てつき、植物の影は無く、風は刺すように冷たかった。
「ガブエリウス。あなたは奈落竜について知っていますか」
 問われたガブエリウスは女性竜に向いて答えた。
「はい、母上。アビスドラゴンは闇の側についたコスモドラゴン。元は我々と同じ竜です」
 よろしい。サリエラは歩を止めて息子に背後を振り返るよう、見振りで促した。
 山の中腹から見下ろす土地には村の家屋、兵舎、教練場が広がっている。
「この聖域は守護聖竜を祀り、その由緒は我が神聖王国の成立よりも古く、大宇宙の秘儀に通じる、惑星クレイでも稀な力の領域です」
 母サリエラは神官の装い。若き日は聖竜の巫女であり、現在はこの神殿の祭司の長、大神官であった。
 父は族長、母は大神官。
 これ以上ないほど恵まれた立場であり、若くして近衞に抜擢されているガブエリウスだが、周囲にやっかむ声は聞こえない。それは生まれや環境以上に本人がその優位に甘えることなく、誰よりも自らを厳しく律する青年だということがよく知られているからだった。
「ガブエリウス。あなたには術式、すなわち魂と次元の構造に干渉するすべの基本を教えました。父や叔父を継いで戦士となるはずの自分に、何故あのような修行が必要なのかと、あなたは思ったことでしょう」
「学ぶのは好きです。武爪術も魂のことわりを探る秘術のことも」
「いずれも大事なのは実践」
 大神官は物思わしげな視線を練兵場に送った。
 そこでは司令官カシウスの閲覧の下、兵たちが一糸乱れぬ完璧な隊列を組んで武爪を振りかざしている。遠く離れたここまでも軍鼓ドラムと号令は聞こえていた。
 守護聖竜の神殿の防御は鉄壁でなければならない。
 しかし兵の増強はあまりに急すぎはしないだろうか。
 母がついたかすかな嘆息を息子は、彼女が負う大神官の重荷ゆえと捉えた。それは間違ってはいなかった。半分は。
「母上が教えてくださったこの術式は我が一族に伝わるものでしたね」
「そう、門外不出の秘儀です。やがて襲い来る世界の危機に際し、調停者の手を借りずとも、我々自身の手で無限の“未来”を掴み取るために伝えられた。……ガブエリウス」
「はい、母上」
「今日から本格的に“術式の構築”を教えます。近衞の勤めが終わったら、神殿の奥院おくのいんに来なさい。近衞隊長にはすでに伝えてありますから」
「かしこまりました」
 近衞の装いのガブエリウスは優雅に一礼して拝命した。
 自慢の息子、優れた若者だ。母は思う。
 親の贔屓目を差し引いても、このまま成長を続ければ、やがて彼は族長にも推挙されることだろう。
 だが……。
 残された時間は私が思うより長くはないのかもしれない。
 大神官サリエラは兵の雄叫びを遠くに聞きながら、ふとそんな不吉な予感が心に影を差すのを感じていた。
 
 ──現在、天輪聖紀。極北の廃殿。
「術式?」
「そうだ。私は母からある秘術を伝授されていた。それは通常の武力や魔法では対抗できない敵にあらがい滅するための術だ」
 弟子の驚きにいまは応えず、ガブエリウスは話を続けた。
「ところで運命力デザインフォースのことは知っているな、レザエル」
「ある程度は」
 レザエルは師ガブエリウスに答えながら、いつも巡る苦い想いにとらわれていた。
「そうだ。運命力デザインフォースというものは実際それほど都合良くも、人に優しいわけでもない。運命力デザインフォースとは運命を実現する力。それは本来、生きとし生けるもの全てが持ち合わせているものだが、もし膨大な量を集める事ができたなら、あらゆることわりを変え得る力になるだろう」
自体に善悪は無い、というわけですね」
「その通り。存在するのは大きさと流れだけだ。だから君が恋人を救えなかった事に運命力デザインフォースは介在していない」
「……」
「だが別な者の介入はあった」
「!? それはどういう意味なのですか」
「それこそが先に触れた君の仇、私の敵、いや我々未来を信じる者すべてにとっての敵なのだ。プロディティオの乱もまたその一端に過ぎない」
「……その名を聞くのは今でも激しい痛みを伴います。しかしよく解りません。いったい誰がこんな事を……」
 レザエルは周囲を見渡した。ガブエリウスの話から想像できる神殿の偉容も、民家も、兵舎や教練場もその名残りを見つけるのは難しかった。
「あぁ。の手がこの地に落ちたのは、私が術式の最終過程を終える、その晩のことだった」
 
 ──新聖紀。守護聖竜の神殿、祭壇の間。
 待ち人は時間通りに現れた。
 神殿に立ち並ぶ胴張りの柱エンタシスの間を威風堂々と、司令官カシウスが現れた。
 供も連れずただ一人、手には武爪を装着した第一礼装、つまりきらびやかな儀礼用完全鎧を身にまとっている。
「来てはくれぬかと思った」
 族長ルシウスは手を広げて歓迎の意を表した。だがすぐにそれは下ろさざるを得なくなった。
 その胸の中心に向け、ぴたりと狙い定めた武爪の先が突きつけられたからだ。
「族長などと偉い役職に就いて腕がなまりましたかな、兄上」
 爪は引かれた。聖域を護るコスモドラゴンの重鎮2人は見つめ合った。
「聖所での私闘は禁じられている。まして族長に刃を向けるなど厳しく罰せられる行為だ」
「時と場合による。祭壇を背に権威をふるうのにふさわしい男か否か、疑問がある場合には」
「私が長にふさわしくないと言いたいのか、弟よ」
「このわたしを呼びつけるよりも重要な課題が迫っているというのに、正しい決断ができていると思うのか」
「何を言っているのかわからない」
「わたしは今夜、兄上に重大な決断を迫るつもりで呼び出しに応じた」
「我が一族には族長を解任する法はない。おまえの望みがそれ・・で、あの噂が本当ならば」
「ふっ。では認めるのだな。わたしは誰よりも強く、すべてを思い通りにする資格があると。兄上よりも長にふさわしい男だと」
「今夜ここで話し合いたかったのはまさにそれ・・だ、カシウス。私の元には辛い証言が寄せられている。汝、カシウスが強引に兵を募り、謀反の気配ありと」
「わたしよりも噂に耳を貸すとは。民の苦情はといえば、やれうちの大事な息子が徴兵されただの、兵士に暴力を振るわれただの、あげくに我が兵が金品を強奪したなどと、口から出まかせの……」
「すべて事実であろう」
 ルシウスの声は荒らげたものではなかったが、その重々しさだけで弟であるこの神殿の守備隊総司令の口をつぐませた。
「カシウス。いったいどうしたというのだ。この平時に兵の増強?反乱を起こし、私に成り代わって族長の座を奪おうだと?ここ数ヶ月のおまえはまるで人が変わったようだ」
「それは違うぞ、兄上。わたしは本当のわたしに目覚めたのだ。ようやくな」
「ずっと前にガブエリウスが言っていた通りだ。叔父はもはや以前のカシウスではないようだと」
「ハッ!青二才が!やはり神殿付きの近衞としてヤツを遠ざけて正解だったわ。あの何もかも見透すようなまっすぐな目。幕僚たちを押しのけてでも、わたしのやろうとする事すべてに楯突いただろうからな。……だがもう手遅れだ」
 兄ルシウスはある事に気がついた。
 神殿の回廊を通して、聞こえる。確かに人の叫びと争う音が。
「では反乱の企みは事実だったか、カシウス!何が望みなのだ!」
「望みならば既に言ったぞ。わたしは思う通り・・・・、自分の欲望に従って生きることにした。清廉潔白な武人カシウスという偽りの仮面は脱ぎ捨てた。それだけだ」
 静かにカシウスの武爪が上がった。
 失望のあまり首を振りながら、族長ルシウスもまた武爪を取り上げた。
「何故……何故だ、カシウス?!こんな事をしなくてもおまえは全てを持っているのに!」
「長の称号と権威以外はな。武術、武勲、兵の信頼。まぁわたしは武人としては幸せだったかもしれぬ。もっと早くこうするべきであったな。わたしと我がコスモドラゴン軍団の力があれば聖都をも占拠しこの国を支配できたであろうに。力と富、そして新たな王家を興すことも」
「今さら権力や財宝を欲するというのか!?この世に二つと無い名誉な任務に就いているのに?」
「それだ!おまえこそ、何故わからんのだ、ルシウス!!」
 突然の激昂だった。驚愕に目を見開く兄ルシウスに、完全武装の弟カシウスは怒りに燃え、その身体は何倍もの大きさに膨れ上がったように見えた。
「我が守護聖竜がこの世界にいまだ再臨しないのは、守護聖竜を祀りその聖所を護る我ら一族の祈りと、努力が足りていないからとは考えられないのか!」
「努力?努力とはなんだ!」
「言うまでもない。守護聖竜を迎えるための下地、すなわちこの不毛の地を富み栄える都とそれを囲む豊穣な楽園に造り変えることよ」
「カシウス……いったい何を言っているのだ。この聖地は始原の時より厳しき気候。人を拒む厳粛な祭祀の場であった。我々コスモドラゴンの一族は善悪を問わず、あらゆる俗世からの介入を避け、王国のいしずえとなり、いつかこの国を冠戴く偉大なる神聖国ケテルサンクチュアリとして至高の高みへと導く、守護聖竜の再臨をお待ちする。それこそが代々受け継いできた崇高なる任務だ」
「再臨を待つ、か。幼き頃より飽きるほど聞かされてきたわ。だが待てと言われても、一体いつまで・・・・待てば良かったのだ」
「いつまででも、だ。カシウス」
「あんたはわかっていない、兄上。兵士や市民がこの極北の地で、どれほどの我慢を強いられてきたのか」
「それは聖都に比べれば暮らしは豊かではないだろう。村は栄華の絶頂にあるとは言えないかもしれぬ。しかし……」
「それでよく族長が務まったな。兄上や一族の重鎮はこの後、民や兵士が募らせてきた怒りと不満の大きさを知るだろう」
「我が一族にそんな卑劣な者はいない」
「そうか。確かにそのまま真実を知らぬまま死んでいくのも良いかもしれんな。ひと思いに突き殺してやっても良いが、わたしにもまだ情は残っている。素直に族長と祭壇の御座を譲れ。わたしは兄上や義姉あね上、甥ガブエリウス、そしてすべての民にとって望ましい世の中にしたいと考えている。いまのわたしならばできる!」
「考えた末がこの行いか」
 神殿の外では火の手があがったようだった。煙と熱気がこの祭壇の間まで押し寄せてきている。
「裏切り、破壊、殺戮、略奪そして炎。待ち受けるのは破滅だ。これでは古の奈落竜と変わらぬ。弟よ。いまこそ理解した。息子が警告してくれた通り、おまえはもう私が知るおまえでは無い!闇に落ちたな」
「このわからず屋め!ワタシ・・・は望む通りに生きるのだ!誰にも邪魔はさせぬ!」
 カシウスの一人称と語気そのものが変わった事に、そしてその竜の瞳が赤く燃え上がっていたことに、族長である兄ルシウスは気がついただろうか。
 族長は武爪を構えると体前に掲げた。竜の決闘の作法だった。
「ならば決着をつけるしかないな、我が弟だった・・・ものよ」
「ではワタシ・・・も兄ではなく、我が野望を阻む悪としてこの爪にその血を吸わせることにしよう。……覚悟!」
 言うなり互いの武爪が噛み合った。
 コスモドラゴンvsコスモドラゴン。
 一族でもっとも優れた武術の使い手同士の戦いは、これが模擬戦であったなら、祭事のクライマックスに観客の目を楽しませる余興であったなら、そして最後に互いの健闘をたたえ合うスポーツであったなら、どれほど救われたことだろう。
 だが事実は非情で、苦い真実は呑み込むのが難しい。
 それが骨肉相食あいはむ、避けがたい殺し合いであったならば。
 
 聖所の奥院おくのいんは祭壇を抜けた後ろ、さらに秘密の通路を辿った先にある小さな部屋だった。
「父上が危ないッ!敵が来ます、母上!」
 術式の復習をしていたガブエリウスが、瞑想から覚めると叫んだ。
 術式とは、その魂に働きかけるものである。ガブエリウスの鋭敏化した感覚は、何者か・・・と武爪を交える父ルシウス、炎や煙、狂気にかられた兵隊の蛮行までがその場に居合わせたかのように感じられたのだ。
 振り返った先にいた大神官サリエラは、弱い燭台の光の下で手を合わせて祈りながら穏やかだった。
「そう。それはカシウスだった・・・ものです。反乱を起こし、村を焼き払っています。この神殿も破壊されるでしょう」
「叔父上が!?そんなバカな……」
 立ち上がりかけた息子を、母は手で押しとどめた。
「行ってはなりません。今の彼は操り人形」
「操り人形ですって?!」
「心を支配されているのです」
「そんな……バカな」
「心当たりはあるのでしょう、ガブエリウス。近衞としてあなたはカシウスの変化を見ている。今のカシウスはカシウスではありません」
「……」
「これから母が言うことを良くお聞きなさい。あなたの真の敵は別にいる。私たちの想像を超えた誰も掴み得ぬ所に。それは目に見えぬ脅威」
「それは……」
「実在します。術式はを滅ぼすために教えました。しかしこれは基礎に過ぎない。あなたはこれから多くを学び、完成させるのです。勿論それを使わずに倒せれば良いのですが……」
「私の身には余ります」
「いいえ。これはあなたにしかできない事です。覚悟をお決めなさい」「!」
「勝つにせよ退くにせよ、それは決定的なものではないはず。なぜなら真の敵はおそらく精神のみの存在、いわば目に見えぬ“伝染病”のようなもの。根絶するには根本的なを断たねばなりません。あなたは彼を追わねばならない。戦いは長く続くでしょう。決着はこのではつかないかもしれない」
「母上……」
「世界のために戦ってくれますね、ガブエリウス。約束してください」
「もちろん……もちろんです、母上」
「よろしい。コスモドラゴンの選ばれし神官として、私にはこの先に起こる事が少しだけ見える。ガブエリウス、あなたの務めは未来と……そして重なり合う世界にあります」
「重なり合う世界?母上、何を言っておられるのか。……!」
 ドン!ドーン!
 奥院に通じる扉に何かが叩きつけられているようだ。神殿の最深部、秘儀の部屋であるここには厳重な魔法的防御もかけられている。強化された扉は簡単には破られないだろう。今しばらくは。
「そう。でもいつかはの手がここに届きます。……いいえ、ガブエリウス。最後まで聞いて!」
 ガブエリウスは大神官を背後にかばおうとして拒まれ、母竜の手に顔を挟まれた。
「我が一族はここに滅びます。でも悲しんでくれるのは少しの間でいい。あなたには成すべき事がある。乗り越えるのです」
 ガブエリウス青年は自分を見つめる母の、いや大神官の目に射すくめられていた。母はまるで何かの啓示を受けたように、宇宙的ともいえるオーラを帯びていた。
「記憶しなさい。奇跡、無双、万化、しるべ、禁忌、ゼロ。選ばれしもの、運命者たちを探すのです」
「運命者?それは……」
「これから飛び込む・・・・先で、敵の正体を知りなさい。そこで知る我々と世界の敵の名を決して忘れないように」
「母上……!」
「重なり合う世界について詳しく伝える時間はない。オラクルの忘れられた口伝に当たるとよいでしょう。口伝……そう、記録に残してはおけない全てのこと。あなたはその証言者であり、2つの星の橋渡しとなる」
「2つの星?」
「悲しみの剣士を探しなさい。彼に宿る力と、未来においてある・・樹に宿った運命力デザインフォースが解放されることで“合”に入る二つの星の角度アスペクトがあなたの“世界渡り”を可能とする」
 情報があまりにも多すぎる。問い返そうとしたガブエリウスの声は、母の背後で弾け飛んだ扉と、殺到してくる兵士たちの叫びでかき消された。
 ガブエリウスは強い力で突き飛ばされた。
 それは敵兵による打撃ではなく、奥院の壁に掛けられたタペストリーの後ろ、回り扉の向こう、誰にも見つかることのない隠し部屋に向かって、息子の身体を渾身の力で押した母サリエラの仕業だった。
 最後に聴き取れたのは、彼が誰よりも慕い、愛した母の言葉だった。
「わずかな光でも、手を伸ばした者にのみ、奇跡は舞い降りる。あなたを生んだことこそが私たちの誇り。さようなら、ガブエリウス」
 
 ガブエリウスは泣いた。そして気がついた。
 敵に抵抗すべき近衞として鍛えられた腕も、そこにはなかった。
「ここは?」
 ガブエリウスは母の最後の力で、己が肉体をもった存在ではなくなった事を知ると同時に、おそらく霊体となった自分が山の厚い岩盤をすり抜け、さらに上昇して空から聖所と故郷の村の様子を眺めていることにも気がついた。
 これは夢か幻か。
 いやそうではない証拠に、殺し合う兵士──不審な同士打ちという自らの言葉が脳裏に蘇った──と燃え上がる建物、息絶えた竜たちが白亜の凍土に倒れ伏している光景は、いままさに進行している現実だという実感があった。
「我が事なれり!ワタシこそが長だ!ワタシこそが全てを手に入れる者だ!」
 ガブエリウスにとっては聞き慣れない、叔父であって叔父のものではない邪悪な声が叫んでいた。
 見下ろすとちょうど真下の聖所の入り口に、叔父であり武術の師、そして守備隊の総司令官であるカシウスが血にまみれた武爪をさげて号令していた。
 そしてその手には……ガブエリウスはその残酷な光景を永遠に忘れない。
 カシウスの爪先にはまるでトロフィーであるかのように、族長ルシウスと大神官サリエラの首級が掲げられていた。
「あぁぁ……!」
 幽体であるガブエリウスは絶望のあまり叫んだ。
 すると驚くべきことに、略奪の破壊の中心にいる男、カシウスが見えるはずの無い上空のガブエリウスに顔を向けたのだ。
 突然、その口調は不気味なほど落ち着いたものになった。
「ふふ、そこにいるのか。どのような妖術を使ったんだ?」
 誰もいない空に向けて呼びかける司令官におずおずと近づいた幕僚が、腕だけで振られたカシウスの武爪に首を落とされた。
「幸せ者だな。溜め込んでいた怒りや不満をもう隠すことなく、渾身の力で暴れ回り、傷つけ、殺し、略奪し、今まさにその熱狂の頂点にいるんだから」
 カシウスはぼそりとそう言い捨てると、味方であるはずの幕僚や兵士、コスモドラゴンたちを一人また一人と切り倒していった。戦技の冴えに加えて静かな、しかし凄まじい殺気に打たれ、勇敢なはずの竜の兵士たちは蛇に睨まれた蛙のように無抵抗のまま、斬り殺された。
 それがどれほど凄まじい殺戮だったか。
 程なく眼下の戦場には生ける者はただ一人、カシウスだけになっていた。
「見ているな!どうだ。これがすべてを解放させた結果だ。これこそがワタシが創り上げる理想の世界だ」
 同士打ち。解せない行動。
 ガブエリウスはハッと気がつき、そして母の言葉を思い出した。
敵の正体・・・・を知りなさい』
「おまえは誰だ!やはり僕の尊敬する先生、総司令ではないな!」
 ぴたりと狂王の動きが止まった。
 目を閉じ、また開いたカシウスの目からは血の涙が流れ出していた。
「ガブエリウス……助けて、くれ……」
「カシウス叔父さん!」
 にやりと司令官の口元が歪む。本来の人格を取り戻したと思えたのは一瞬、またカシウスではないカシウスがそこに立っていた。
「いいやダメだ、カシウス。ワタシは謹厳実直なお前の心に潜んでいた欲望を解放し、このワタシに魂を明け渡させたのだから。今こそ人生で一番幸せだろう」
 やはり。ガブエリウスの心に炎が燃え上がった。
「見えたぞ!そうやって人の心を歪ませ、その欲望を増幅することで破滅させる。それがおまえ・・・だ!」
「解放と言ってほしいな」
 カシウスであったものは忌まわしい武爪とその先にあるものを突き出した。
「ワタシはおまえ達を救ってやったんだ。見ろ、皆、幸せな顔で眠っているだろう」
「貴様……!」
「そうだ。怒れ、憎め。そうしておまえも心を解放し、それを周囲全てに、つまりこの世界にぶつけるんだ。自由になれ。ガブエリウス」
 ガブエリウスは緊張して(無い肉体で)身構えた。
「ふん。それで抵抗しているつもりか」
 敵は首級を投げ出した。
「どうやらコイツ・・・ももう限界だ。名残惜しいがひとまずお別れとしよう、ガブエリウス」
「待て!貴様、いったい何者だ?!」
「言うと思うか」
「あぁ。そのほうが貴様を追い、探そうとする僕の怒りが増すからだ。それもおまえの望みなのだろう」
 カシウスの身体を持つ者が呵呵かかと笑った。
「その通り。教えてやろう」
 誇り高きコスモドラゴン、カシウスだったものは外した武爪を地面に逆さに据えて目を閉じた。そしてその上にゆっくりと倒れこんでゆく。
「我が名はシヴィルト!追えるものなら追ってくるがいい。何処までも!」
「忘れないぞ、シヴィルト!貴様は僕が滅ぼす!おまえによって失われた我が父と母、師匠、友、我が一族すべて。我が聖竜の名にかけて!」
Illust:タカヤマトシアキ
 
 ──現在、天輪聖紀。極北の廃殿。奥院跡。
「そして私はこの部屋に隠された肉体に戻り、外に出て変わり果てた故郷を見た。その時、心に決めたのだ、やつを滅ぼすこと……『ツバレンの悪夢』邪竜シヴィルトを」
 ガブエリウスは目を開けると、ひざまずいて祈りを捧げていた父と母の墓の前に、顔を上げた。
「シヴィルト……いまこそ私は真の敵の名を知った」
 その背後で同じように黙祷していたレザエルの言葉に、ガブエリウスは頷いた。
「そうだ。もう気がついているだろう。これと同じ様に善き領主が狂気の内乱を起こした例がある。忌まわしきプロディティオ。君の恋人リィエルは彼の起こした内乱に巻き込まれて亡くなった」
「我々の仇。滅ぼすべき怨敵、世界を危うくする者」
 レザエルの口調は静かだったが、その内にはある想いが燃え盛っているのが感じられた。
「シヴィルトは他人の欲望を増幅させ狂わせて、自分がしたいように振る舞うようにしむけ、周囲を巻き込んで破滅させる。ヤツは肉体を捨てた精神だけの存在だ。そんな彼を探し、滅ぼすには君レザエルの助けがいる。全てを伝え、そして立ちあがって欲しかった。自分自身の意思で。……協力してくれるか」
 2人は立ちあがった。
 いまだ朽ちていない奥院の隠し部屋。
 ここが終わりで、そして始まりの場所だった。
「言うまでもありません。ぜひお手伝いさせてください、ガブエリウス」
「いいや。君こそ主役なのだ、レザエル。さて、シヴィルトは現在、手が届かない場所にいる。私は一度やつを追い詰めたが、異世界に逃げられてしまったのだ。だが、このまま野放しにはできない。私は肉体をこの場に残し、惑星クレイを離れ、異世界への追跡を開始する」
「クレイを離れる?そんなことができるのでしょうか」
「できる。私は母の教えを研究し、応用し、独自に『世界渡り』の秘儀を編み出した。残念ながら詳しくは教えられない。だが、君に宿った運命力(デザインフォース)を借りなければこの秘術は実行できない。それと仕事に先立ってしてもらうことが一つある」
「なんでもおっしゃってください」
「ではまずは忘れてもらおう」「は?」
 レザエルは、たぶんガブエリウスが知り合ってから初めての反応をした。
 呆気にとられたのだ。
 ガブエリウスは笑った。命と魂をかけた戦いを前にしても笑えるという事に安堵を感じる。後事を託せる頼もしい友の存在もまた。
「シヴィルトはまだ君の存在を知らない。故に君も一旦は忘れ、知らないほうが安全であり、また力を蓄えやすい。そして運命者は邂逅することで運命力デザインフォース天秤バランスを傾け合う。そのためにもまだ“何も知らない”ほうが我が『運命大戦』を成立させやすくするのだ」
「……なるほど」
「君の記憶から、私とシヴィルトに関わること一切を消す。これは母から教わった一種の催眠術だ。私が『思い出せ』と言うか、私が死ねば元に戻る」
「承知しました。しかし私としては前者しか受け容れられません」
「そうありたいな。これはいわば保険であり、そして計画の一部でもある。すなわち『運命者』の」
「その言葉は以前にも聞きました。『運命者』とは何ですか」
「それは君がおのが身をもって知るだろう、我が友レザエル」
 コスモドラゴン ガブエリウスの身体から強い光が湧きあがった。レザエルはあまりの眩しさに顔を覆った。
「準備はいいか。偉大なる挑戦と冒険の始まりだ、レザエル」
「もちろん……あ。でも、もうあなたの名前が思い出せません」
「それでいいのだ、友よ。そして私が旅立つ前にこれだけは言っておきたい」
「……」
「君には今、人の身に余る膨大な運命力デザインフォースが宿っている。君の未来はそれに大きく左右されるだろう。イメージするんだ、それが君の運命となる」
 次の瞬間、聖竜ガブエリウスの魂は宇宙へ飛び立った。再びこの隠し部屋にその肉体を残して。
 レザエルの力と、2つの惑星を結ぶ守護聖竜の秘儀により。
 
 そしてレザエルが次に目を開けた時、自分が吹雪く雪山の頂──ドラゴニア大山脈のD3峰──にいることに気がついたのだった。
 かくして聖竜ガブエリウスと天使レザエルの賽は投げられた。
 運命と宿命が鬩ぎ合う、大いなる世界の流れの中に。