杖の先、水晶の髑髏が驕奢なテーブルの天板を軽やかに叩くと、彼女の尖った耳が神経質に震え、計り知れない歳月の記憶を宿した瞳に鋭い光が閃いた。
「次のお客様をお通しして」
女性の声を受けて、扉の前に控えていた少女がぴょこんとお辞儀して部屋を出た。
ややあって部屋に招き入れられたのは、恰幅の良い紳士だった。
「ブラーナ様、ごきげんよろしゅう」
紳士はそわそわした様子で、この魔女の小屋の豪華な内装のあちこちを見ている。
ブラーナの衣装は露出が多く、スタイルも良いので何とも目のやり場に困るのだ。
そらした視線の先、壁を彩るタペストリーには古代の言い伝えが描かれていた。
眠れる竜、死せる修道僧の庵、己が魂を賭けた挑み……複雑に絡み合う紋様とそこに語られる太古の物語は、現代に生きる人間である町長の理解を完全に超えていた。
「よろしく無いわ、ウェス町長」
「は?」
「去年あなたの町の畑にかけた祝福のお代、額がひとケタ違うでしょ。アタシこういう間違いは嫌いなの」
町長はみるみる脂汗をかきだした。
「はぁ……しかしその、ご請求はあまりにも高額で……かき集めましてもあれ以上は……」
ふん、とブラーナは鼻を鳴らした。低い声に不吉な響きが混じり始める。
「そう。わかった」
「何卒……我が町との永いお付き合いに免じまして、どうか今回はご容赦を……」と町長。
「あなたの町の畑、今年は不作に決定ね。このあと春に長雨、夏は日照り、秋にはイナゴの大群に襲わせるよう呪いをかけてやるから」
「そ、そんな!あんまりです!!」
「おだまり!この魔女ブラーナを怒らせたアンタが悪いんだよ。その趣味の悪い服ごと丸焼きにされたくなかったらとっとと失せろ、この役立たずめ!」
コツコツコツ!
「フィリネ、お客様のお帰りだよ!」
顔面蒼白の町長が去っても、ブラーナは独り毒づくのをやめなかった。
「なんて景気の悪いこと。そろそろこの土地も潮時かねぇ……ちょっと、アンタ、そこに立ってご覧」
ブラーナは、フィリネと呼ばれた少女を指さし、テーブルを挟んで向かい合わせた。
「あのさ、アタシ《饗応の魔女》って呼ばれてるの。助手が痩せっぽっちじゃ評判に関わるよ。ちゃんと食べさせてやってるのに、これじゃ妹になんて言われるか」
「わたし、太れない体質みたいで」少女は消え入りそうな声で答えた。
「へぇ~それは羨ましいこと……幾つになった」
「10歳です」
「得意は」
「お裁縫、できるようになりました。あと牛の世話も」
「おまえを妹夫婦から引き取って2年で覚えたのは牛の世話と裁縫か。アタシが独り立ちしたのはさ、11だった。師匠と大ゲンカしてね」
「……」
「もうわかってるんだろう。魔法を貪欲に習い覚える野心もなしに、魔女の助手なんて続けられる仕事じゃないんだよ。いつでもいい時に出ておゆき」
ブラーナの言葉は、その内容とは裏腹に穏やかだった。
フィリネは短い栗色の髪を振った。
「いいえ。ここに居させてください、伯母……ブラーナ様。魔法はきっと覚えますから」
一瞬険しい顔になりかけたブラーナは、やがて嘆息をついて椅子に深く腰掛けた。
「ふっ、まぁいいか。よし、次のお客だ。……惚れ薬の配合?医者に頼みなさいってね」
ブラーナがぼやくと、おとなしい助手フィリネもくすくす笑った。
「それではお茶をご用意いたします、ブラーナ様」とフィリネ。
今の魔女の小屋のなごやかな光景は、町長が見たらきっと仰天するものだった。
ドサ!ドサ!
重い物体が2つ、落下した。その上空に生じた《穴》は速やかに閉じ、消えた。
少しして咳き込みながら鍛冶屋の息子、黒髪ガデイが顔を出した。
「ぺっ!ぺっ!なんだこりゃ」
続いて顔を出した古本屋の息子、白銀髪アバンは動じていなかった。
「干し草だね。石とか水の中に出なくて良かったじゃないか」
うずたかく積まれた干し草の中から泳ぐように抜け出しながら、アバンは荷物を確かめた。
蛍光ライトに短剣。今朝、旧都セイクリッド・アルビオンの地下に潜った時のまま。
いや、彼の手にはいま新たに青と白の模様に赤い宝石がはまった首飾りがあった。
「それ、同着だったよな。先に取った方が持ち主だったのに」
続いて干し草の山を下りてきたガデイが首飾りをのぞき込んだ。その手には鎚斧が握られている。
「欲しい?」
「すげぇ欲しい。だがまぁお前が持ってろよ。オレだとうっかり無くしそうだし」
そうだねと頷くとアバンは、光の宝具と呼ばれていたそれを首にかけ、襟を寄せて外からは見えなくした。綺麗な石は人を変えるのだ、とは父親から教えてもらったことだった。
「しっかし、ここはどこなんだ。農家の納屋か?」
「町の地下から《穴》が通じてた場所だから、そんなに遠くには来ていないと……」
ガラン!
二人が納屋から出た途端、木桶が落ちる音が響いた。
少年たちを見て震えているのはまだ幼さが漂う少女だった。足下にこぼれた牛乳が散っている。
「あ……」
ここはガデイのほうが機転が利いて、手の鎚斧を背に隠した。
「あ、大丈夫!大丈夫!オレたち怪しいもんじゃないから!」
少女は身を翻すと、母屋に向かって走り出した。
どうする?と目で尋ねるガデイに、アバンは肩をすくめた。
「ドアを叩いてみよう。説明すればきっとわかってくれるよ」
「わっかんないねぇ!アンタら、まとめてワラ人形に変えてやろうか」
魔法のロープ(不可視)で縛り上げられた少年二人を床に座らせ、ブラーナはふんぞり返ってこう宣うた。
「それにしても、魔女ブラーナの住まいに武器持って踏み込もうとはいい度胸してるよ」
「ここはどこですか?」とアバン。
「さっき外で見た景色、セイクリッド・アルビオンっぽくなかったけど、まさかね~」とガデイ。
「……長角の森。ドラゴンエンパイアとの国境はもうすぐそこです」
少女フィリネが小さい声で答えた。
「はぁぁぁ?オレたち国の半分くらい飛ばされてるぅ!?」とガデイ。
「ちょっとアンタたち、勝手にどんどん喋るんじゃないッ!アンタもだよ、フィリネ!」
フィリネはしょげて部屋の隅に縮こまり、魔女は勢いそのままにまくし立てた。
「なんだい聞いてみりゃ、次元だか時空だかの《穴》に出入りした結果とんでもない距離を移動しました?で、この首飾りにはどうやら幻視を見せる力があり、伝説の英雄たちが登場する大昔の戦いを見せて、その知識まで教えてくれますだぁ?信じられるかそんなもん!」
「超常現象については魔法使いならボクらより理解るでしょう。それとそれ返してください、ボクらのです」とアバン。
「まぁお姉さん、ここはひとつ穏やかに」とガデイ。
「そこの二人、ブラーナ様とお呼び!」
「「はい、ブラーナ様」」
二人は基本的に躾の良い少年たちだったので、この日の午後、魔女ブラーナの逆鱗にこれ以上触れずに済んだ。
その夜のこと。
「ごめんなさい。お師匠様はケンカっ早いし、口もものすごく悪いけど本当はいい人なんですよ」
納屋の柱に縛りつけられたアバンとガデイに、それぞれ夕食のスープを匙で与えながらフィリネは謝った。
「あれ、なんかフォローになってなくねぇ?」
「ボクらもそう思いたいよ」
茶化すガデイは無視して、アバンはフィリネの目をまっすぐに見て続けた。
「だからあの首飾りだけは返して欲しい。たぶんあれはボクらにとってすごく意味があるものだと思うんだ」
「ごめんなさい。あれはブラーナ様が研究したいからと書斎に置かれているので……」
ここでアバンはふと思い浮かんだことを尋ねてみた。魔女ブラーナと助手フィリネの二人には、初対面からある違和感を感じていたのだ。
「君はここの家の子なのかい、フィリネ?」
「いいえ。母のお姉さんです(伯母さんと呼ぶと怒られるの)。流行病で両親とも亡くなってしまった後、引き取って育ててくれて……」
「そっか、そりゃいい人だわ」
「でも首飾りを独り占めしているよ」
「そうそう。さっきのお話の続き」
フィリネは食器を下ろすとエプロンの内側を手で探った。
「あれはブラーナ様が研究したいからと書斎に置かれているのですが、わたしももっとよく見たかったので持って来ちゃいました。わたし、小さい頃からすごい見たがりなので」
フィリネの手にはあの赤い宝石の首飾りが輝いていた。
「やるぅ、フィリネちゃん!」
「ありがとう!」
「あ、でもわたしにはこの魔法の縄が解けませんので、今は見てもらうだけです」
あぁ、少年二人はがっくりと首を垂れた。
「すみません。わたし地味だし痩せっぽっちだし役にも立たなくて……」
「「そんなことない!!」」
ガデイとアバンはまた声をそろえた。
「スープ、おいしかったよ!」
「あんな怖いお師匠さんの部屋から首飾り持ち出すなんて、すごい勇気だ」
「……ありがとう」
フィリネは嬉しさに頬を染めて微笑んだ。暗い納屋がそれだけで華やぐようないい笑顔だった。
「あーあ、でもこれじゃ明日にはワラ人形に変えられちゃうのかね、オレたち」
ガデイは大小の月や巨大な惑星の影が浮かぶ惑星クレイの空を見上げて、嘆息をついた。
「どうだろうね。ねぇフィリネ、よかったらその首飾り、君が着けてみてくれないかな」
え、とフィリネが目をぱちくりさせる。
「君は地味じゃない。父さんに教わったんだ、綺麗な石には人を変える力があるって」
「そうだ!宝石は可愛い女の子にこそふさわしい。“芽吹く蕾の内なる輝きに”」
ガデイは詩を口ずさんでみせた。実のところこれは二人が通う学校の校歌の一節なのだが……。
「はい、それじゃ……」
少女が慣れない様子で首飾りをかけると、赤い宝石の輝きが増し、地味どころか幼いながらも生まれついての王女のような気品と知性を備えたフィリネの美貌があらわになった。
少年二人がそのあまりの変貌に目を見開いたとき──
世界が変わった。
またしても見えたのは荒野と、異形同士の決闘。
槍を構えた黒騎士が黒い炎に包まれている。それはダメージを受けたのではなく、変容を遂げる前兆なのだった。
炎が消えた時、そこに立っていたのは黒き剣を持った黒ずくめの騎士。
「《ブラスター・ダーク》!」
フィリネの声が、同じく身体のない存在になったアバンとガデイには聞こえた。
「フィリネにもわかるのか」
「見ろ、ブラスター・ダークがネハーレンを!」
それまで人竜一体の凄まじい強さを誇っていた《ドラゴンナイト ネハーレン》が、ブラスター・ダークの剣技にじりじりと押し返され、やがて黒き剣の一閃で膝を屈した。
これがかげろうとシャドウパラディン両陣営を代表して雌雄を決する戦いなのだと、二人の少年と一人の少女には何故かわかった。知らないはずの情報が首飾りを経由してどんどん流れ込んでくる。
「待てよ……あれは!」
アバンの意識が、戦場の背後に広がる地形に気がついた。
雪を頂く山々の一角に、脈動する白い球が見えた。それはまるであの時の……
「見て!」
フィリネの“声”に二人が“目”を下に戻すと、戦いはまだ続いていた。
紅蓮の炎が地面から噴き上がっていた。
これこそ、この世の全てのものを焼き尽くす黙示録の炎!
《ドラゴニック・オーバーロード》!!
世界観設定:中村聡
本文:金子良馬