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長編小説「クレイ堕獄譚(プリズンレコード)」

第1章 1話 罪人の街

 罪人しか生き残れないこの街では、腐りかけのゴミにすら価値がつく。

 死にたてほやほやの死体はBランク、ジャンクはAランクで、
 紙くずはCだがエロ本が混じっていれば『大当たり』!

 ゴミ屋に渡せば小銭に替わるが、手落ちがあればおっんで、そのまま自分がBランクの死体ゴミになる。

 ゴミすら値踏みされるのだから、当然人のゴミであるところの罪人たちも値踏みから逃れられない。

 まず、もっとも格が低いのがスリや詐欺などの『ちゃち』な罪人で、これは道ばたの石やちらつく小バエ程度の扱いになる。

 強盗や傷害に手を出してようやく罪人の数に入るが、これが人数としてはもっとも多く、その先に進めるかは才能と努力による。

 ひとり手をかけ、ふたり手をかけ、たゆまぬ研鑽によって罪を積みあげたすえに、ようやくいっぱしの罪人として扱われるのだ。

 それがダークステイツの港町パンゴ――通称『罪人の終着点パンゴ』における罪人たちの序列だった。

 序列は経済力に直結する。罪人たちを率いる顔役ともなれば金箔張りの悪趣味な豪邸に住み、バカみたいに長い車に乗る。

 反対に、罪人扱いすらされないちゃちなチンピラは、ゴミを漁るドブネズミのように生きていくしかない。
 まっとうであればあるほど、この街では底辺として扱われる。



 ヒューマンの兄妹、セザとスィもドブネズミのように生きのびてきた。

 五歳で母が死に、十歳で家を無くした。風が吹きこむ廃墟を点々としたのち、街はずれの雑居ビルに目をつけたのが二年前のこと。

 かつて罪人たちの抗争の場となり、両手で足りないほどの死者を出した結果、誰も寄りつかなくなったのだという。

 煤けた外壁はお世辞にも綺麗とは言えないが、なんと電気と水道が通ったままだった。
 軒下で寝るのと比べれば、まるで天国のようだった。

 ふたりはいつ罪人たちが戻ってくるかと怯えながら息を殺し、半年がすぎ、一年、二年と経って、兄のセザは十七歳に、妹のスィは十六歳になった。

 腕っぷしに自信があれば頭角を現しはじめる年齢だが、スリと詐欺がせいぜいのふたりの命は紙くずよりも安いままだった。



 窓際のセザが顔を上げると、空は燃えるような茜色だった。日没が近い。間もなく船が出るのだ。

 焦りつつ、セザはマントに仕込んだ道具を確かめた。

Illust:中西 達哉

 手袋、小刀、ハサミ、錐、布で石をくるんだ偽の財布。

 お守り代わりのガラス製ナイフを脚のホルスターに納めたところで、シャワー室からスィの声が聞こえてきた。

「ちょっと! ねぇ、セザ!」

 羽板の欠けた鎧戸が開いて、頭にタオルを巻いたスィが顔を覗かせた。

「髪染め粉の缶が無いんだけど知らない? 底にあとちょっとだけ残ってたんだけど」

「髪染め粉の……缶……?」

 三日前、ゴミとして捨てたアレか?

 うわ、と声が出そうになったのをギリギリのところで引っこめ、セザは無表情を取り繕った。

「自分で捨てたんじゃないか?」

「ふ~ん……」

 スィは納得していない様子で唇を尖らせ、空色の目でじっと見つめてくる。

 嘘は三秒も保たなかった。

「……悪い、間違えて捨てた」

「今日買ってくれたら許す!」

 スィは高らかに言い放ち、セザの返事を待たずに鎧戸を閉めた。

 シャワー音を聞きながら、慌ててマントのポケットを探ると、転がり出てきたのは銅貨二枚。足りるはずがなく、今日の働きに兄の威厳がかかっている。

 嘘が苦手なセザの『仕事』はスリだった。人混みに出て、向こうが気づかないうちに貴重品を奪う。
 しかし悪人の街での成功率はごく低く、ゴミ拾いでの稼ぎのほうがよっぽど多い。

 対して、スィの『仕事』はバラエティに富んでいる。よく回る舌でガラクタを宝物として売りつけたり、
 気があるように振る舞って財布を盗ったり。

 情けないことに、妹のスィに食わせてもらっていると言っても過言ではないのだった。

 悪人としても負けているのに、顔だちの方はさらに大きな差がついている。

 目鼻がついているだけマシな冴えないセザに対し、スィは人が振りかえるような美少女だ。

 小さな顔にほっそりとした首、はっきりとした二重の瞳は澄んだ海のような青で、いたずらっぽく笑うたびに光がまたたく。

 ふたりを見比べて、血の繋がった兄妹だと思う者はいないだろう。

 鎧戸が開き、下着姿のスィは髪をぬぐいながら歩いてくると、テーブルの上にあるハサミを取った。

「乾かすのもめんどいし、もう切っちゃおうかな」

「はぁ?」

 思わずセザが声を荒げると、スィは細い眉をつり上げた。

「はぁって何? いいでしょ、あたしの髪だもん」

「まぁ……そうか……」

 ぐぅの音も出ないほどの正論だった。
 セザは嘘も下手だが口げんかも弱い。スィに勝てたことなど十年振りかえっても一度だってありはしない。

 劣勢を悟りつつ「それでも……」と言葉を探す。

「長いほうが似合う。……と、俺は思う」

「へー、ふーん」

 セザがあさっての方を向くと、スィが笑いながら回りこんできた。

「お兄ちゃーん、もっかい言って?」

「うるさい」

「ま、似合うならやめとこっかな」

 スィはハサミを置き、壁にかけてあった黒いマントを取った。

「ね、いまどんな感じ?」

 スィは窓を開け、両手をついて身を乗り出した。

 すでに夕陽は落ちて、ビルの合間から見える空は深い紺に染まっている。遠くの方からは野太い歓声やクラクション、発砲音が聞こえてきてやけに騒々しい。

「うーん、チャンス到来って感じだね」

 この街では年に二度大きな『祭り』があり、それがまさに今日だった。

 いつもはパンゴに寄りつかない人々も、今日は大金を持って押し寄せ、財布を狙うスリや詐欺師たちの格好の標的になる。

 いつもはうだつの上がらないセザも、今日ばかりは大戦果をあげたいところだ。

「時間だ。行くぞ」

 生乾きのスィの頭にマントを乗せ、自らもマントをかぶったそのとき、荒々しい怒声が響いてきた。

「クソあま! ここにいることはわかってんだよ! さっさとドアァ開けろ!」

 ドンドンドンドン! 

 玄関ドアが揺れ、閂代わりに通したトタン板がミシミシと軋んだ。

 あま、と呼ぶからにはスィの客なのだろう。

「誰だ」

「わかんない」

 スィは首を振ってから「……あ、ちょっと待って」と考えこんで瞼を伏せた。

「一昨日の夜なんだけど――」



 一昨日の夜、スィは薄暗い路地で具合が悪そうに身体をこごめていたという。

 これはもちろん『悪そう』という演技だったが、罠に引っかかり、ひとりの男が声をかけてきた。

『このあたりにはヤバいバケモンが出るんだ。白髪白眼! 白髪白眼のバケモンだ! な、悪いことは言わないから俺が家まで送っていってやる。なぁ、白髪白眼なんだぜ!』

 バケモン、を再現しているつもりなのだろう。白眼を剥き必死に脅してくる男に、スィはどうにか笑いを堪えてうなずいた。

 もちろん男の目的は家に送り届けることではない。ちょうど通りがかった酒場にスィを誘い、酒を勧めてきた。

 グラスの底には、怪しげな赤い粉が溶けきらずに小さな泡を立てていた。

 口をつけず、スィはよろめいたふりをして酒をぶちまけ、代わりの酒を注文した。

 不機嫌になった男は、スィの酒が届くのを待たずにジョッキのワインを飲み干した。

 しかしそのワインの中には、スィが男から盗んだ赤い粉が混ざっていた――


 語り終えたスィは誇らしげに胸を張った。

「もう泡を吹いて倒れてさ、チョー傑作だったんだから! で、ゲットしたのがこれ」

 スィはマントの中から黒革の財布を取り出した。縫い目が破け、ずいぶんとみすぼらしい。

「ぜーんぜん入ってなかったからお小遣いにしちゃった。いいでしょ?」 

 仕事の成果は逐次報告し、生活費にあてるのがこの家のルールだ。

 スィは報告していなかったことが後ろめたいらしく、モジモジと指先を弄っている。

 しかしセザには小銭よりも気になることがあった。

「赤い粉薬って……かなりキマるやつだぞ。どれだけ入れたんだ」

「もうありったけ。小袋に入ってた分をドバッと」

 うわ、と思わず声が出た。

「……そんだけ飲んだなら棒どころか玉ごともげるぞ」

「すご、お手柄じゃんあたし」

 小さなこぶしを振りあげるスィに、どう声をかけたものか迷ったあと、セザは大きく頷いた。

「あぁ、良くやったな」

 妹のことは褒めて伸ばす主義だ。

 ふたりがのんきに話している間にも罵声が響いていた。ドアはもう保たないだろう。

 スィは窓枠に足をかけながら、罵声の方へ声をかけた。

「まだアソコ付いてるー? あたし病院ならけっこう詳しいけど、紹介しよっかー?」

 ついに閂代わりのトタン板がバキッと折れた。勢いよくドアが吹っ飛び、目を血走らせた男が猛牛のように駆けこんでくる。

「ぶっ殺す!」

 あー……とスィは残念そうに肩をすくめ、

シモよりアタマの方がダメっぽい」

 そのまま空中に身体を踊らせた。

「ばいばーい!」

 セザもその背中を追って飛び降りる。

 部屋は三階、地面はおよそ十メートル下。打ち所が悪ければ死ぬ高さだ。

 セザは庇を蹴りあげ衝撃を殺し、どうにか両手足で着地した。

 膝にしびれるような痛みが走ったが、苦しんでいる暇はない。頭上から獣が吠えるような絶叫が響いてきた。

 スィはすでに立ちあがり、こちらにひらひらと手を振っている。

「あとで合流ね。あ、染め粉忘れないでよ!」

「……了解」



 罪人の終着点パンゴはダークステイツの東に位置する。

 



 かつてはドラゴンエンパイアであり、豊富に海産物が取れる漁港だったという。



 しかしそれも三千年以上前の話。

 いまや真っ黒な海に漁船はなく、沿岸には白いクルーズ船がずらずらと並ぶ。

 金持ちが道楽で買ったリゾート船だ、というのが建前だが、どんな酔狂がこの真っ黒な海でリゾートを楽しむというのだろう。

 夜な夜なドラム缶を抱えた男たちが乗りこむさまでその用途には察しがつく。夜の港には寄りつかないというのがパンゴの暗黙のルールだった。

 しかし、いつもは我が物顔で停泊しているクルーズ船が、港の片隅にこそこそ身を潜め、その正面を明け渡す日がある。

 それが今日、半年に一度ダークステイツ唯一の監獄『ゲヘナシア』へ、罪人輸送船が出る日だった。

 弱肉強食のダークステイツで、悪人が『罪人』になることは難しい。ほとんどの悪事は当事者によって制裁され、実力のある者は権力者になっていくからだ。

 そんなダークステイツにも監獄が存在する。もちろん収監されるのは名の知れた極悪人だけだ。

 優れたギャロウズボウル選手がヒーローであるように、悪人の街パンゴでは監獄に収監される罪人こそがヒーローだった。

 その姿を一目見ようとダークステイツ各地から人々が押しかける様は、まさしく祭りというにふさわしい。

 大通りは無数の人が押しあって、まともに前も見えないような状態だった。

 品のいいご婦人がいる、胸を反らせた紳士がいる、スリであろう少年たちが目をギラギラと光らせている。

 金のにおいに寄ってくるのはスリばかりではない。

「あじゃぱぁ! アジャラ戯講あじゃらこうです! 串焼きはいかがですか!」

 真っ赤な天幕の下、きわどいところまでスリットが入った旗袍ドレスの女たちが笑顔を振りまいている。

「串を十くれ! いや二十!」

「こっちにはワインを!」

 次々と声がかかり、それに応えてドレスの女たちは奇妙な声をあげた。

「あじゃぱぁ!」
「あじゃぱぁ!」
「あじゃぱぁ!」

 異様なものを感じ、セザが目を凝らすと、女たちは一人残らず傀儡屍キョンシーだった。

 元になっている種族はヒューマン、ワービースト、ドラゴロイド、デーモンと様々だが、額に文字の書かれた魔力札が貼られていることだけ共通している。

 いわゆるゾンビの類だろうが、ちょっと見には死体とわからないほど小綺麗だった。

 ダークステイツにゴーストは多いが、キョンシーを見たのは初めてだ。

 物珍しさからセザが女たちを見つめていると、それに気づいた一人のドラゴロイドキョンシーが、ものすごいスピードで駆け寄ってきた。

 まずい、とセザは顔を背けたが、女はそこに回りこみ『みじゅり』と笑った。

「あじゃぱぁ! 何をお求めでしょうか!」

「あぁ、いや……いい」 

 ポケットに入っているのは銅貨が二枚。串一本にも満たない金額だ。

「何をお探しでしょうか? ぜひ困りごとをお聞かせください!」

「いや……」

 口ごもるセザに女はまくしたてる。

「ご遠慮は無用です! 泣き止まない赤子、急なデートなのに衣装箪笥は襤褸ぼろばかり、それとも医者に匙を投げられ明日を知れぬ命?
 お可哀そうに、でも諦めるのは待ってください! おしゃぶりから命の蝋燭まで、アジャラ戯講あじゃらこうでは何でも揃います!」

 女は人混みの向こうを指さした。

 砂粒のような赤い点が見える。目をこらすと、ダークステイツの町並みにそぐわない真っ赤な高楼がそびえていた。

「あちらが新規開店、アジャラ戯講あじゃらこうパンゴ店でございます!」

「へぇ、店があるのか」

 このアジャラ戯講という店はパンゴで商売をはじめるつもりらしい。

 しかし金よりも腕力が物を言うパンゴの街では、立派な高楼なんて強盗に入ってくれと言っているようなものだ。

 笑顔をふりまくキョンシーたちの姿は、狼に笑いかける子羊のように見えた。

 さて、いつまで保つか。

 セザがそんなことを考えていることも知らず、キョンシーは笑顔を振りまき続けている。

「閉店は間もなく。ぜひお越しを!」

「あ、あぁ、時間ができたらな」

 社交辞令を言って腕を払うと、女は「アジャラ戯講でございます!」と叫んだ。

 そのときだ。

「きゃあぁぁっ!」

 悲鳴があがって人混みが割れ、一人の男が荒っぽい足取りで近づいてきた。

「——おい、麦酒ビール!」

「……ダモス」

 セザがうめくと、男は唇を歪めて嗤った。

 ダモス——通称『九十九人殺しのダモス』。

 種族は狼のワービーストで、見上げるほど背が高く、そのどこにも呆れるほどの筋肉がついている。

 無差別殺人犯として知られ、その被害者は男女種族を問わず九十九人にのぼり、今日堕獄に送られる囚人のひとりだ。

 それが我が物顔で歩きまわっているのだから、普通なら「脱走だ」と大騒ぎになるだろう。

 しかし一向に刑務官がやってくる気配はなく、人々は歓喜にダモスの名を叫んだ。

 ダークステイツ唯一の国営監獄ゲヘナシアは、正式名称を『ゲヘナシア多様獄区プリズム・プリシンクト』という。

 もちろんそんな鼻につく名で呼ぶものは一人としておらず、プリズムではなく『堕獄プリズン』と呼ぶのが一般的だ。

 弱肉強食のダークステイツにおいて、強大な力のコントロールができない者の更正を行う場所、というのが表向きの目的らしい。

 建前上は更正を目的としているため、いわゆる「極刑」は無いのが特徴だ。

 囚人は罪に応じて懲役刑を受けるが、十年、二十年の「ちゃちな」刑期の者はいない。百年、二百年、果ては千年以上の刑を受ける者もいるという。

 そこで一つ疑問が出てくる。

 惑星クレイに住む種族は多種多様で、野菜のドリアードのような短命の種から、数百年を生きるエルフやデーモン、そして千年以上生きるドラゴンまで寿命の差が大きい。

 百年以上の懲役刑だぞと脅したところで、先に寿命が来るなら数十年の終身刑と同じじゃないのか?

 そんな疑問にゲヘナシアはこう答える。

『心配には及びません。ゲヘナシアで囚人は死なないのです』

 囚人たちは懲役年数に応じた寿命を与えられ、その終わりが来るまでゲヘナシアの中で罪を償い続けるのだ。

 千年でも、二千年でも。

 しかし、万雷の拍手を浴びるダモスの顔に悲壮感はない。

 いつ頃からかはわからないが、公然の秘密として囁かれていることがあった。

『ゲヘナシアの最深部には“裏出口”がある』

 正面の堕獄門プリズン・ゲートとは別に、辿り着いた囚人のみに与えられる裏出口。そこから出られればゲヘナシアに与えられた「寿命」が囚人のものになる。

 せいぜい数百年の命が千年、二千年と延び、この世界を荒らしまわることができる!

 名のある悪人たちが喜んで収監されるのにはそんな背景があった。

「おい、麦酒ビールだ。早くしろ!」

 ダモスががなる。
 キョンシーはまったく微笑みを崩さずに背後の冷却ケースから瓶を取り出した。

「あじゃぱぁ! 麦酒ビールですね。銅貨五枚になります」

「金? ……誰に向かって言ってんだ」

 ダモスは吐き捨て、手錠のかかった両こぶしをキョンシーへと振り降ろした。

 ぐしゃっ

 鈍い音がして、キョンシーが地面に叩きつけられる。

 歓声がはじけた。

 ダモス! ダモス! ダモス!

 観客は狂乱し、札が舞い、ビール瓶が次々と差しだされる。ダモスが一気に飲み干せば、さらに歓喜の声が沸き起こった。

 ダモスは飛散したビール瓶を踏みにじり、潰れたキョンシーを見もせずに背を向けた。

——たかが販売員が身のほども知らず、あのダモスに金を支払わせようとした!

——ぶっ殺されて当然だ!

 観衆は歓喜して叫ぶ。

 キョンシーを哀れんでいるのはセザ以外にいないようだった。

 もちろんダモスに金を要求するのは自殺行為としか思えないが、だからといって殺されていいわけがない。

「おい……」

 そばに膝をついて声をかける。

 すると、ピクリとも動かなかったキョンシーがバネ仕掛けのオモチャのように身を起こした。

「うわっ!」

 のけぞったセザの前で、キョンシーは何ごともなかったかのように立ちあがり、ダモスの背中に声をかけた。

「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」

 その顔の左側は大きく陥没し、潰れた左眼球がはみ出している。しかしキョンシーは残った右目で笑っていた。

「あ?」

 振りかえったダモスは、キョンシーを一瞥し、今度は真横にぶん殴った。

 なすすべもなくキョンシーは観衆のなかに吹き飛んだ。手足と尾は小枝のように折れ、がくがくと痙攣していたが、やがて糸の切れた人形のように動かなくなった。

 歓声が爆発する。

 ダモス! ダモス! ダモス!

 歓声のなか、ダモスは高らかに宣言する。

「俺は堕獄で万年の命を手に入れる!」

 鳴り止まない歓声。しかしそれに逆らうように誰かが声をあげた。

 決して大声ではなかったが、白紙に墨を落としたようにはっきりと響いた。

「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」

 観衆の視線が引き寄せられる。

 近くで働いていた別のキョンシーがダモスに笑いかけていた。

「……クソだりぃな」

 ダモスは拳を振りあげ——ふと何かに気づいて動きを止めた。

 彼に笑いかけているのは一人ではなかった。観衆の間から、ワービースト、フレイムドラゴン、鬼娘、様々なキョンシーたちがダモスを見つめている。

 糸のように細められた目の形、つり上がった唇の角度、まったく同じ形で『ぐちゃり』と微笑んで。

「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」
「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」
「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」
「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」
「お買い上げありがとうございます、銅貨五枚になります」

 あまりに異様な姿に、はしゃいでいた観客たちは歓声を飲みこんで、あたりは水を打ったように静まりかえった。

「……チッ」

 ついにダモスは舌打ちをして、ポケットの小銭をばら撒いた。

「これで文句ねぇだろ!」

 すると、地面で動かなくなっていたキョンシーが痙攣しながら動きだし、ず……ず……と這いずりまわり、口で銅貨を拾っていく。

 最後の一枚を集めてこう言った。

「はい、銅貨五枚、確かに頂戴致しました」

 ダモスを囲んでいたキョンシーたちは一斉にお辞儀する。

『またのお越しをお待ちしております。おしゃぶりから命の蝋燭まで!』
『おしゃぶりから命の蝋燭まで!』
『アジャラ戯講でございます!』
『アジャラ戯講でございます!』

 パンゴの街で暴力沙汰は珍しくない。しかしこれほど不気味な光景は見たことがなかった。

 悪寒を覚え、セザが身動きが取れずにいると、突然肩をぽんと軽く叩かれた。

「うぉっ!」

 思わず大声をあげて飛びのけば、そこにいたのはスィだった。

「何なに、どうしたのセザ」

「……何でもない」

 誤魔化すと「ふーん」とスィは唇を尖らせた。しかしすぐに「見て」と囁き、手のひらを細く開いた。

 そのなかで、宝石のついた金の指輪がきらりと瞬く。

「さっすがお祭り、大漁大漁。そっちは?」

「いや、まだだ」

「ちょっと、遊びにきたんじゃないんだよ? いくら綺麗な人が沢山いるからって、仕事のことを忘れちゃ……」

 眉をつり上げたスィが小言を続けようとしたところで、目の前を、花飾りを売り歩くキョンシーが通り過ぎた。

 スィは目の色を変え、追いすがるように身を乗り出した。

「え、アジャラ戯講が来てる! すご、かなり嬉しい」

「知ってるのか」

「もちろん! 常識だよ、常識!」

 セザの『常識』は古紙として集めてきた雑誌から得たものだ。

 表紙ではたとえばこんな見出しが躍る。

「激アツ裏百選!」「不可能犯罪その手口」「えげつないほどキマるコツ」——常識がやや偏っているのは否めない。

 知ったかぶりをするかちょっとためらって、セザは素直に白状することにした。

「知らなかった」

「じゃ、あたしが教えてあげる」

 アジャラ戯講あじゃらこう

 それは大番頭アジャラが立ちあげた「おしゃぶりから命の蝋燭まですべての物がある」と言われるほど幅広い商品を売る巨大企業だ。

 特にドラゴンエンパイアの市街地に店を構えており、豊富な品揃えによって人々の暮らしを支えている。

 スィのように見た目に気をつかう少女はその品揃えに羨望の目を向けている——

「もうCMがクセ強でね、大番頭のアジャラが早口でしゃべるの。こんな感じ……あじゃぱぁ!」

「それ、店員もやってたな」

 あのよく言えば癖の強い、悪く言えば不気味なフレーズは社長譲りということか。

「待って、もっと上手くできるから。ンンッ……あじゃぱぁ!」

 スィは声を張りあげて、身体をくねくねと動かした。下手なダンスか、死にかけのコメディアンのような意味のわからない動作だ。

「そんなキモいやつが社長なわけないだろ」

「ホント、ホントだって」

 くだらない会話をしながら歩いていると、不意に、行き交う人々の中から殴りつけるような声がした。

「——女!」

 スィが反応するよりも先に、雑踏から手が伸びてくる。

 その正体は逆恨みで家に突入してきたワービーストの男。スィを追ってここまでやってきたのだ。

 腕を捕まれたスィは簡単に宙づりにされてしまった。

「……痛っ」

 セザは懐のナイフを掴んだ。

 あちらの種族はワービースト、その全身は毛に覆われている。一発で急所を捉えなければ意味がない、スィとふたりであの世行きだ。

 腹か、それとも目か。

 逡巡はコンマ秒。しかしセザが飛び出すよりも先に――

「痛ったいっての!」

 スィのつま先が男の股間を蹴り抜いた。

「——づうぅぅっ……!」

 男は悲鳴をあげる間もなく悶絶してスィを落とした。豊かな被毛もその急所は守れないらしい。

 自分も急所を蹴られたようにセザ、そして周りの男たちが顔をしかめていると、地面に着地したスィに「もう!」と怒鳴られた。

「何もたもたしてんの! 逃げるよ、セザ!」

「あ、あぁ」

「ま、待てっ……!」

 まともに食らったというのに、男は気丈にもスィに手を伸ばし、その爪先がスィの後頭部に引っかかった。

 かぶっていたフードが脱げて、収まっていた髪が溢れだす

 それは新雪のように混じり気なく、痛々しいほど白かった。

「白髪白眼のバケモン……」

 男が呟いた声が、やけにはっきりと響く。

 騒ぎを見ていた人々は息を呑み、恐れるように言葉を失った。

「スィ、フード!」

 セザが叫ぶと、スィは弾かれたように頭に手をやった

「……やば」

 慌ててフードを引き寄せたが、人々の視線はスィに向けられたまま動かない。

 針で突いたように悲鳴がはじけた。

 

喪色症スノウバイト患者だ!」



 悲鳴はすぐに野太い怒号になった。

喪色症スノウバイトの女がいるぞ! まだ生き残りがいやがるのか!」

「どいつだ、ぶっ殺してやる!」

 そのおびただしい憎悪に、スィの顔から表情が抜け落ちる。

 セザはスィの手首を掴み、力まかせに引き寄せた。

「逃げるぞ!」

 頬をぶたれたようにスィの目に光が戻った。

「う、うん」

 どうにか人混みをぬって走りだすと、人々ははじかれたように飛びのき、二人に向かって絶叫した。

「行ったぞ!」

喪色症スノウバイト患者だ!」

「なんでまだくたばってないんだ!」

「——ぶっ殺せ!」

 悲鳴と怒号の入り交じった声が、銃弾のように突き刺さる。

 その暴力的な音は、否が応でもセザにあの悪夢の夜を思い出させた。



 七年前。

 その夜、幼い二人はひとつのパンを分けあって、早々にベッドに入った。夜更かしをすれば腹が減る。眠るのが空腹をやりすごす一番の手だった。

 深夜、轟音に叩き起こされた。

 わけもわからず飛び起きると、鼻先をベニヤ板片がかすめ、そのまま床に突き刺さった。

 天井からベニヤ片がふたりを目がけて降ってくる。スィをかばって抱きしめると、肩に鋭い痛みが走った。

 何が起きている? わからなかった。ただ、自分たちが命の危機に晒されていることだけは確かだった。

 顔を上げれば、屋根が崩れて大きな穴が開いている。その向こうに、何か真っ黒な生き物が夜空を徘徊しているのが見えた。

 闇は濃く、その姿はほとんど見えない。しかしいびつな輪郭だけはどうにかわかった。

 目をこらしたその瞬間、暴風が吹きこんで、瓦礫もろともセザたちを吹き飛ばした。

 背中から壁に叩きつけられ、ぐっと潰れた息が漏れる。膝をつきゲホゲホと噎せこんで、その異臭に気がついた。

 まるで腐った果実に糞尿を撒いたような、甘ったるい腐臭。

「げ、ぇっ……」

 こみあげてくる吐き気にセザは口を押さえた。とっさに堪えきれず、胃液が指の間から溢れる。腐臭は目の粘膜すら犯し、生理的な涙で視界がぼやけていく。

 それでもセザは風が吹いてくる方を睨みつけ——それと目が合った。

 崩れた屋根の穴から、巨大な『何か』がこちらを覗きこんでいた。

 顔を視認できたわけではない。それでも、粘つく視線がこちらに向いていることはわかった。

 それはセザを興味無さげに見つめ、次にセザの腕の中で震えているスィの瞳を凝視した。

 『何か』がかすかに息を呑む。そして粘ついたコールタールのような低い声で、

『海みたい、きれい』

 と囁いた。

 状況にそぐわない台詞に理解が追いつかず、ふたりがただただ震えていると、それはいっそう腐臭をまき散らし、

『その色、ちょうだい』

 と身を乗り出した。

「……——」

 瞬間、セザは恐怖を忘れた。スィを背後にして立ちあがり、散乱したガラス片を拾い上げる。

——何が『ちょうだい』だ。

 悪人の街で、セザとスィの命はあまりにも軽かった。セザ自身も軽い命だと自嘲し、現実を受け止めているふりをして、平気だと自分に言い聞かせ続けた。

 そんなものは嘘だったのだと、焼けつくような怒りが教える。


 妹を、スィを傷つけるつもりなら。


「……殺してやる」

 ガラス片はナイフのように鋭く、握った手のひらから血が滴っていく。不思議なほどに痛みはなかった。

 それの全身にはどす黒いスモークがまとわりつき、夜闇も相まって姿が掴めない。それでも生き物だ、生き物ということは「殺せる」ということだ。

 歯を食いしばり、セザは腐臭の塊を睨みつける。すると、それは怯んだように身体を引いて『ひどい』と呟いた。

『じゃあもう、もらってあげない』

 拗ねたように言い捨てて、あっけないほど簡単に去って行った。

 遠くから建物が破壊される轟音が響いてくる。息を殺しているうちに遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

「……行ったな」

 ようやくセザはガラス片を降ろした。スィは壁に手をついて、よろめきながら立ちあがった。

「何だったんだろ、あれ……」

「……さぁな」

 そう答えることしかできなかった。

 今まで見たどんな生き物にも似ていない、腐臭に満ちた闇の塊。巨体に押し潰されたら命は無かった。

 その残像を探すように天井を見上げると、満月が月光を落として、その月光が崩壊した天井の輪郭を浮かびあがらせていた。

「天井、塞がないとな」

 命の危機が去り、安堵感に続いてやってきたのはうんざりするような現実だった。

 セザは「さっさと直さないと凍えて死ぬな」と苦笑してスィを振り返り——まなじりが裂けるほど目を見開いた。

 「どうしたの、セザ?」

 月光に晒されたその髪は、まるで新雪が降ったように白かった。



喪色症スノウバイト

 その病のことは、常識に偏りがあるセザですら知っていた。

 全身の『色』を喪い、やがては死に至る不治の病。

 最初に髪の色が喪われ、次に体毛、その次に肌。そして瞳孔が白く染まりきったとき患者は死ぬ。

 発症の原因はただひとつ、『黒の嵐』に巻きこまれること。

 その夜発生した『黒の嵐』によって、パンゴは壊滅的な被害を受けた。破壊された建物は三百にのぼり、瓦礫から這い出た人々は髪が白くなっていることに気がつき、絶望した。

 喪色症は伝染しない。しかし人は理屈無しに罹患者を忌避し、石を投げつけた。

 セザとスィは人目を忍び罹患者たちと声をかけあって情報を集めたが、効果のある治療法は出てこなかった。

 そうして一人、また一人と亡くなり、周囲で生き残っているのはスィだけになった。

 このままでは死ぬ。それでもセザとスィがパンゴの街に留まっているのには理由があった。

——『黒の嵐』は生きている。

 生きて、他人の『色』を奪ってまわっている。生きているのならこの街に戻ってくるかもしれない、色を取り戻せるかもしれない!

 セザは罹患者たちにそう訴えかけた。不思議なことにセザとスィ以外に『黒の嵐』の声を聞いた者はおらず、寝ぼけていたのだと笑われた。

 それでもセザはあの夜聞いた声をはっきりと覚えている。



 怒号に追われ、セザとスィは表通りから細い裏通りに駆けこんだ。何度か道を曲がると、もう誰も追いかけては来なかった。

 前を行くスィはゆっくりと速度を落とし、肩で息をしながら足を止めた。

 どう声をかけていいものかわからずいると、突然スィが身をよじって笑いだした。

「アッハッハッハ! みーんなあたしにびびって警戒ゼロ! ——見てよ、これ!」

 スィが両手を掲げると、指という指で宝飾品がギラギラと輝いていた。

 太い金のチェーンネックレス、ビー玉ほどの宝石がついた指輪、真珠のイヤリング、ダイヤ付きのネクタイピン、そして細やかな装飾が施された髪飾り。

「やっぱお祭りって最高!」

「……ふ」

 思わずセザも噴き出して、自分もマントの内ポケットに手を突っ込んだ。

 取り出したのは、同じく金銀に輝く宝飾品だった。“喪色症スノウバイト患者”を恐れて逃げ惑う人々からスッたのだ。

「わ、やるじゃん!」

 数はセザの方が多かった。しかし細いチェーンブレスレットや地金だけのリングが大半で、豪奢なスィの戦果と比べると見劣りする。

 セザは肩を落とした。

「今日こそ俺の勝ちだと思ったんだけどな」

「十年早いって!」

 アハハハハ! 

 スィがセザの肩をバンバンと叩いた。

「じゃあ今晩はあたしが奢ってやろう」

「ありがたき幸せ」

「もちろん店はあたしが決めるからね。何にしよっかな~」

 思案して、スィは地面に視線を落とす。

 そうして足もとにできた自分の影を見つめるように俯いたまま、スィはしばらく動かなかった。薄い肩がかすかに震え、地面にぽつりと滴がこぼれた。

 セザが何も言わずそばにいた。不自然な沈黙を誤魔化すように、スィは勢いよく目を擦った。

「大丈夫、ホント大丈夫。ただ埃が入っただけだから」

「わかったわかった」

「ね、ほら!」

 ムキになったスィが勢いよく顔をあげ、セザを見た。

 その虹彩は新雪のように白かった。

 最初はふざけて白眼を剥いているのだと思った。しかしスィがそんな悪趣味なことをするはずがなく、食い入るように見つめれば、真っ白な虹彩の中心で瞳孔だけが黒く残っている。

 喪色症スノウバイトの末期症状だった。

 虹彩と血液がその色を喪い、身体中の酸素が不足し、瞬く間に身体は死に向かう。

 死まではおよそ、三時間。

「なになに、セザ。どうしたの?」

 スィが唇を尖らせたが、セザは何も言うことができなかった。

 現実を理解できるのに、理解することを頭が拒んでいる。痛々しいほどの白が、作り物にしか見えなかった。

 そのとき道の先に複数の男たちが現れ、こちらを指さして絶叫した。

「いたぞ喪色症スノウバイト!」

「やばっ。一旦二手に分かれよ! あたしはこっち、セザはそっち!」

「スィ、待て!」

「じゃ!」

 セザの制止を聞かず、スィは右方に駆けだした。すぐに道を曲がって見えなくなる。我に返ったセザはすぐに後を追ったが、そこにはもうスィの姿は無かった。

「スィ! スィ! 頼む、戻ってこい!」

 必死に叫んでスィは戻ってこなかった。

——スィは死ぬ。この先、自分は永遠に独りになる。

 現実が冷たく脳を刺す。

 嗚咽を堪えてきつく歯を食いしばると、口内に鉄臭さが滲んだ。

 スィが病にかかってから、いつかこの日が来ることはわかっていた。諦めたほうが、受け入れたほうがきっと楽になる——弱気になるセザをいつもスィは笑い飛ばした。

 目を閉じると見えるのは、空腹でぐぅぐぅ鳴る腹を笑い飛ばす、鮮やかな青い瞳。セザにできることは無様にすすり泣くことだけなのか。

 そこに大通りから喧噪が聞こえてきて、やけに目立つその声がセザの鼓膜に突き刺さった。

「——あじゃぱぁ!」

 天啓に貫かれたようにセザは天を仰いだ。

 そうだ、あの奇妙なキョンシーはこう謳わなかったか。

『おしゃぶりから命の蝋燭まで、アジャラ戯講には何でもございます!』


 スィの命を買おう、と思った。