ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
宇宙か惑星の上か、何処とも知れない薄闇の中にいま変化が生じていた。
長い間、細々と弱々しかった波動が《空間》を震わせる力強い動きになったのだ。
そして激しく震え続ける《空間》の真ん中に、それは最初に生じた。
頭部、胴体、二つの手・足、みるみるうちにそれは人型を形成してゆく。
目ができ鼻ができ最後に口が生まれて、笑みの形を作った。
それは、産まれた瞬間から喜びに満ちていた。
波動の中から伝わる祈りとその先にある希望が奔流のように精神と身体を心地よく包んでゆく。
そしてそれが意識をもった時から、繰り返しある言葉が頭の中に響いていた。それは大事な音の配列、自分自身を現す言葉だった。
やがて生まれたての頭脳に鮮やかなイメージが浮かんだ。
圧倒的な明るさで輝く白い光は、この惑星最大の陸地、そのほぼ真ん中にそれを誘っていた──。
見渡す限りの荒野にからすれば芥子粒ほどに見える野営の火が、いま消えようとしている。
「レイユ、ゾンネ、ローナ」
リノは夜明け前の空気を乱さないように、そっと呼びかける。
火を囲み、毛布にくるまれて横たわる三人は反応しない。ぐっすりと眠っているようだった。
「寝かせておこう。昨日もたくさん歩いたものね」
不寝番は起きていられる者が引き受ける、というのが彼女たち四人のルールだったが、リノはこのまま誰も起こさず一人で続けることにした。
火に小枝をくべて膝を抱えた。
傍らには、一抱えもある大きな卵が寝ている。寝ているというのは例えではなく、この孵化した卵には足と尻尾があり、胴体に入った亀裂の奥には(今は閉じられているが)二つの目もあるのだ。
この卵の名は、サンライズ・エッグという。
「ふぇ~、もう食べられません~」
不意にあがったローナの寝言にリノは思わずくすりと笑ってしまう。
甘えん坊のローナ。でも、一番年下の彼女の素直すぎる振る舞いに、初めての旅に出た一行の気分は何度となく救われてきた。
かすかにリノのお腹も鳴る。
みんな空腹だ。最近はずっと。巫女として厳しい修行に耐えてきた彼女たちでも、他人の厚意に甘えず自分たちの力で旅を続けると決めたこの旅の現実は心身ともかなり堪えていた。
──焔の巫女。
ドラゴンエンパイア中央部ドラゴニア山脈の奥地、ここから北方へ二十日も歩いた位置に、世界最古と言われる寺院、暁紅院がある。この寺に奉られる他には無い宝を保護し見守り続ける役目を担うのが焔の巫女であり、信仰に心身を捧げた後、そのほとんどは外界を見ることなく生涯を終える。リノ、レイユ、ゾンネ、ローナにしてもつい二十日前までは暁紅院を離れるなど、思ってもみなかった事だった。
「このままではダメよ。お礼を残してすぐにここを発ちましょう」
一行の最年長、レイユがそう言い出したのは二日前のこと。
その言葉に、鶏肉にかぶりついていたゾンネ、お菓子を笑顔で頬張っていたローナ、そんな二人の様子を微笑ましく見ていたリノは凍り付いたように動きを止めた。
旅の最初に寄った村で、焔の巫女たちは暖かいもてなしを受けていた。
ドラゴンエンパイアは竜の皇帝によって統治される尚武の国。またその一方、世界最古の国家ドラゴニアの流れを汲む文明国でもあり、民の多くは信仰に篤く、僧侶や巫女は尊敬される存在だ。だから北の山から下りてきた若い巫女たちと歩く卵ご一行に、さほど裕福でもない村人は快く冬の蓄えを集めた倉庫を開け、惜しみなく彼女たちを歓待したのである。
そのようなわけで彼女たちの前にはみるみる食べ物と贈り物が積み上げられていったのだが、これをレイユだけは喜ばなかった。
「導師がなんておっしゃったか、思い出してみて。私たちはリノとサンライズ・エッグと共に《この世の真実》に触れ、その中から人々に与えられる未来の希望を見出すように命じられたのではなかった?ここにあるのは村の人にとっては春まで命をつなぐ大切な蓄えなのよ。好意に甘えてはいけないわ」
いつも元気なゾンネと素直なローナ、そしてしっかり者のリノまでがしゅんとなった。
リノ、ゾンネ、ローナは導師が外界の旅を許すほどに巫女として優れた人材だ。
ただ彼女たちは敬虔な信仰者であると同時にごく普通の年頃の少女でもある。
空腹に温かい食事、旅の疲れを癒す湯浴みに、硬い地面ではなく柔らかい寝床のほうに逆らい難い魅力を感じたとしてどうして責められよう。レイユはほかの三人よりほんの少し大人だっただけだ。
そのようなわけでその夜、寝静まった村に丁寧なお礼の手紙と祝福をこめた焔の護符を残してひそかに抜け出した四人にとって、旅の最初に出会った人々の心からの善意はまた、初めての苦い経験ともなった。
東の空がかすかに白んでいた。夜明けまではもうすぐ。熾火も消えかけ、傍らの卵に寄りかかったリノの頭がこくりこくりと揺れている。そろそろ夢の世界へと漕ぎ出す時間だ。
その時……。
巫女たちが集って眠る輪の外、何もない空間から白い頭巾をかぶった頭がにゅっと突き出た。
そのまま、きょろきょろとあたりを見回す。
少女たちと卵の静かな寝息だけが聞こえる。
『そのまま眠っていて。これからはボクが遊ぶ時間だ』
ささやき声とともに、それが完全に姿を現した。
白い頭巾とひと続きになったマント、それに包まれた身体も生物というよりもっと硬い、たとえるなら人形のような印象を与える。夜明けの薄闇にそれの白い顔だけが浮かんで見えた。
『これ、いただき』
リノの髪を留めている金細工のピンが一本抜かれた。
『そしてこれも』
レイユの手首から腕輪がするりと抜かれる。
『これも借りるね』
ローナの腰袋からは小さなガラス玉を3つ。奇妙な形をしたこれは本来、巫女に伝わる占いの道具だが、彼女たちの退屈しのぎの遊戯にも使われる。
『おっとこれは大物だね』
ゾンネが愛用する大きな扇子のうち一つ。
最後にそれは卵の前に立つと、腰に手を当てて考えこんだ。
『ふむ。キミにはイタズラしようにも取れるものがないんだよね、つまらない』
「だが、これでもう何も盗ることはできない」怒りに震える声が背後からかかった。ゾンネだ。
「えっ?」
ぐるぐる巻きにされ、木にぶら下げられたそれは泣きながら言い訳をしていた。
「トリクスタ!ボクを縛るなんてひどいですー!トリクスタ!」
「トリクスタ、それがあなたの名前?」とリノ。
「たぶんそうです。ボク、最初はその言葉しか知らなかったから」
「もうっ、おはじき(※註.とローナは呼んでいるが本来はれっきとした祭具である)がどんどん無くなっていくから、おかしいなって思ってたのよ」
「あ!あれ、キレイだよね。ボク大好き。みんなが遊んでるのも楽しそう」とトリクスタ。
「こら、反省はどうした!反省は!!」
とゾンネ。先ほど、寝たふりから一瞬でトリクスタを捕縛したのはさすが焔の巫女でも指折りの体術の達人だった。
「ごめんなさーい!でもちょっとしたイタズラだったんだよっ!」
「盗みはイタズラではなく犯罪です」レイユは氷のように冷たい口調で続けた。
「町や村によっては即、死罪になるところもあるようね」
「ひぃぃ」
縛られたトリクスタは指先まで真っ青になってブルブル震えだした。
「レイユったら。今まで盗まれたものは取り戻せたんだし。謝ってるんだから……」とリノ。
「甘いよ、リノ。あんたはいつも」とゾンネ。
「それがリノの良いところよね」とローナは笑った。
「いいでしょう。二度と私たちのものを盗まないと約束してくれるなら解放します。……ただ、ふたつ聞いておきたいのよ、トリクスタ」
とレイユ。その背後に朝焼けと大小の月、天空を彩る惑星群が浮かび上がっている。
「一つ。あなたは何もない空間をすり抜ける力を持っている。ではその縄は意味がないわね」
「うん、そうだよ。レイユ」
トリクスタはパッと縄が存在しないかのように抜け出し、手足を伸ばして着地した。
「“縛られて身動きできないごっこ”はおもしろそうだったからね。これもイタズラさ。楽しかったでしょ、ゾンネ」
ゾンネがえ゛?!と顔をひきつらせた。いつの間にか名前まで憶えられていたのだ。
「もう一つ、なぜ私たちだったの?」
「私たちのものが欲しかった?でも何も貴重なものは持ってないけど」とリノも付け加える。
「いいや、リノ。キミたちはとても貴重だし特別なんだよ。ボクがこの惑星に降りてきた時、ここにいなきゃって思ったんだ、なぜか。ここにはボクが出会うべきもの、一緒にいるべき人がいるって分かってた」
「で、三日も前からつきまとってたの?」
「えへっ、やっぱ最初からバレてたんだね、ローナ」
「ちょっと待って。いま降りてきたって言ったわよね。あなたこの惑星の外の人?」
とリノ。ちなみに惑星クレイの民にとって宇宙人やエイリアンはそれほど突飛な存在ではない。
「わかんない。覚えていないんだ。リノたちだって生まれてきたときの事、覚えてる?」
「それはそうね。……はい、お話はおしまい。好きな所にお行きなさい、トリクスタ。ただし盗みは無しよ」
「それじゃつまらないよ、レイユ。ね、ボクも連れてって。きっと役に立つよ」
「あのな、あたしたちは遠足に来てるんじゃないんだ」とゾンネ。
「竜の卵サンライズ・エッグのお守りでしょ。朝、リノがみんなの前に立って卵にお祈りしてるよね。あの時のエッグ君、えっへんて感じでふんぞり返ってて面白いんだ」
「そんなところまで見てたの」
リノは呆れ顔で呟いた。サンライズ・エッグは寺院で決められたリノの卵なので、祈りの司祭もリノなのだ。
「連れはもういっぱいなのよ」とレイユ。
「じゃあ、これならどう?ここから西に半日行くと、けっこう栄えてる町があって、そこで明日お祭りがあるの。そこならきっと、気をつかわずに食事とか必要なものとかが買えると思うよ。他人に頼らず、自分たちの力で旅するって決めたんだよね、みんなは」
「すご~い……」とローナ。
「おいおい。消えるだけでなく、遠隔地移動までできるのかよ。すげぇな」とゾンネ。
「……。リノが決めて。あなたと卵の旅なのだから」とレイユ。
「えっ!?あ……どうしよう」
突然の指名にリノは慌てた。視線が自然と己の卵、サンライズ・エッグに向かう。
サンライズ・エッグはもう目覚めていた。
とことことトリクスタに歩み寄ると、この不思議な道化師と向き合う。
じーっ。
サンライズ・エッグはトリクスタを見つめた
じーーっ。
トリクスタはサンライズ・エッグを見つめた。
じーーーっ。
やがて卵は
コツン!
とトリクスタに頭突きをして、楽しげに踊り始めた。トリクスタも調子を合わせて円を描いて踊る。トリクスタの声と卵の声なき歓声があがった。荒野の野営地は、早くもお祭り騒ぎだ。
「いやっほー!」
四人の巫女は顔を見合わせた。
「そうね。連れて行きましょう。卵の導きのもとに。“偉大なる太陽と聖なる竜の祝福を”」
リノが笑顔で答えを出した。
「偉大なる太陽と聖なる竜の祝福を」三人も祝詞の声をそろえた。
そしていまついに陽が昇り、惑星クレイの大地を照らし出した。
今日もまた焔の巫女と竜の卵サンライズ・エッグの一日が始まる。
新たな仲間トリクスタを加えた新しい旅立ちの日が。
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《今回の一口用語メモ》
焔の巫女
ドラゴンエンパイアの奥地、寺院「暁紅院」で修行と祈りに身を捧げる巫女のこと。
巫女たちの務めは、自分と結ばれた竜の卵を守護し、目覚めた=孵化した後はその成長を見守り、守護することにある。リノ、レイユ、ゾンネ、ローナは導師の命を受けてサンライズ・エッグとともに世界の真実に触れる旅に出ているが、これはごく稀な例で、ほとんどの者は一度修行の道に入ると、暁紅院を離れることなく一生を過ごすことになる。
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長い間、細々と弱々しかった波動が《空間》を震わせる力強い動きになったのだ。
そして激しく震え続ける《空間》の真ん中に、それは最初に生じた。
頭部、胴体、二つの手・足、みるみるうちにそれは人型を形成してゆく。
目ができ鼻ができ最後に口が生まれて、笑みの形を作った。
それは、産まれた瞬間から喜びに満ちていた。
波動の中から伝わる祈りとその先にある希望が奔流のように精神と身体を心地よく包んでゆく。
そしてそれが意識をもった時から、繰り返しある言葉が頭の中に響いていた。それは大事な音の配列、自分自身を現す言葉だった。
やがて生まれたての頭脳に鮮やかなイメージが浮かんだ。
圧倒的な明るさで輝く白い光は、この惑星最大の陸地、そのほぼ真ん中にそれを誘っていた──。
見渡す限りの荒野にからすれば芥子粒ほどに見える野営の火が、いま消えようとしている。
「レイユ、ゾンネ、ローナ」
リノは夜明け前の空気を乱さないように、そっと呼びかける。
火を囲み、毛布にくるまれて横たわる三人は反応しない。ぐっすりと眠っているようだった。
「寝かせておこう。昨日もたくさん歩いたものね」
不寝番は起きていられる者が引き受ける、というのが彼女たち四人のルールだったが、リノはこのまま誰も起こさず一人で続けることにした。
火に小枝をくべて膝を抱えた。
傍らには、一抱えもある大きな卵が寝ている。寝ているというのは例えではなく、この孵化した卵には足と尻尾があり、胴体に入った亀裂の奥には(今は閉じられているが)二つの目もあるのだ。
この卵の名は、サンライズ・エッグという。
「ふぇ~、もう食べられません~」
不意にあがったローナの寝言にリノは思わずくすりと笑ってしまう。
甘えん坊のローナ。でも、一番年下の彼女の素直すぎる振る舞いに、初めての旅に出た一行の気分は何度となく救われてきた。
かすかにリノのお腹も鳴る。
みんな空腹だ。最近はずっと。巫女として厳しい修行に耐えてきた彼女たちでも、他人の厚意に甘えず自分たちの力で旅を続けると決めたこの旅の現実は心身ともかなり堪えていた。
──焔の巫女。
ドラゴンエンパイア中央部ドラゴニア山脈の奥地、ここから北方へ二十日も歩いた位置に、世界最古と言われる寺院、暁紅院がある。この寺に奉られる他には無い宝を保護し見守り続ける役目を担うのが焔の巫女であり、信仰に心身を捧げた後、そのほとんどは外界を見ることなく生涯を終える。リノ、レイユ、ゾンネ、ローナにしてもつい二十日前までは暁紅院を離れるなど、思ってもみなかった事だった。
「このままではダメよ。お礼を残してすぐにここを発ちましょう」
一行の最年長、レイユがそう言い出したのは二日前のこと。
その言葉に、鶏肉にかぶりついていたゾンネ、お菓子を笑顔で頬張っていたローナ、そんな二人の様子を微笑ましく見ていたリノは凍り付いたように動きを止めた。
旅の最初に寄った村で、焔の巫女たちは暖かいもてなしを受けていた。
ドラゴンエンパイアは竜の皇帝によって統治される尚武の国。またその一方、世界最古の国家ドラゴニアの流れを汲む文明国でもあり、民の多くは信仰に篤く、僧侶や巫女は尊敬される存在だ。だから北の山から下りてきた若い巫女たちと歩く卵ご一行に、さほど裕福でもない村人は快く冬の蓄えを集めた倉庫を開け、惜しみなく彼女たちを歓待したのである。
そのようなわけで彼女たちの前にはみるみる食べ物と贈り物が積み上げられていったのだが、これをレイユだけは喜ばなかった。
「導師がなんておっしゃったか、思い出してみて。私たちはリノとサンライズ・エッグと共に《この世の真実》に触れ、その中から人々に与えられる未来の希望を見出すように命じられたのではなかった?ここにあるのは村の人にとっては春まで命をつなぐ大切な蓄えなのよ。好意に甘えてはいけないわ」
いつも元気なゾンネと素直なローナ、そしてしっかり者のリノまでがしゅんとなった。
リノ、ゾンネ、ローナは導師が外界の旅を許すほどに巫女として優れた人材だ。
ただ彼女たちは敬虔な信仰者であると同時にごく普通の年頃の少女でもある。
空腹に温かい食事、旅の疲れを癒す湯浴みに、硬い地面ではなく柔らかい寝床のほうに逆らい難い魅力を感じたとしてどうして責められよう。レイユはほかの三人よりほんの少し大人だっただけだ。
そのようなわけでその夜、寝静まった村に丁寧なお礼の手紙と祝福をこめた焔の護符を残してひそかに抜け出した四人にとって、旅の最初に出会った人々の心からの善意はまた、初めての苦い経験ともなった。
東の空がかすかに白んでいた。夜明けまではもうすぐ。熾火も消えかけ、傍らの卵に寄りかかったリノの頭がこくりこくりと揺れている。そろそろ夢の世界へと漕ぎ出す時間だ。
その時……。
巫女たちが集って眠る輪の外、何もない空間から白い頭巾をかぶった頭がにゅっと突き出た。
そのまま、きょろきょろとあたりを見回す。
少女たちと卵の静かな寝息だけが聞こえる。
『そのまま眠っていて。これからはボクが遊ぶ時間だ』
ささやき声とともに、それが完全に姿を現した。
白い頭巾とひと続きになったマント、それに包まれた身体も生物というよりもっと硬い、たとえるなら人形のような印象を与える。夜明けの薄闇にそれの白い顔だけが浮かんで見えた。
『これ、いただき』
リノの髪を留めている金細工のピンが一本抜かれた。
『そしてこれも』
レイユの手首から腕輪がするりと抜かれる。
『これも借りるね』
ローナの腰袋からは小さなガラス玉を3つ。奇妙な形をしたこれは本来、巫女に伝わる占いの道具だが、彼女たちの退屈しのぎの遊戯にも使われる。
『おっとこれは大物だね』
ゾンネが愛用する大きな扇子のうち一つ。
最後にそれは卵の前に立つと、腰に手を当てて考えこんだ。
『ふむ。キミにはイタズラしようにも取れるものがないんだよね、つまらない』
「だが、これでもう何も盗ることはできない」怒りに震える声が背後からかかった。ゾンネだ。
「えっ?」
ぐるぐる巻きにされ、木にぶら下げられたそれは泣きながら言い訳をしていた。
「トリクスタ!ボクを縛るなんてひどいですー!トリクスタ!」
「トリクスタ、それがあなたの名前?」とリノ。
「たぶんそうです。ボク、最初はその言葉しか知らなかったから」
「もうっ、おはじき(※註.とローナは呼んでいるが本来はれっきとした祭具である)がどんどん無くなっていくから、おかしいなって思ってたのよ」
「あ!あれ、キレイだよね。ボク大好き。みんなが遊んでるのも楽しそう」とトリクスタ。
「こら、反省はどうした!反省は!!」
とゾンネ。先ほど、寝たふりから一瞬でトリクスタを捕縛したのはさすが焔の巫女でも指折りの体術の達人だった。
「ごめんなさーい!でもちょっとしたイタズラだったんだよっ!」
「盗みはイタズラではなく犯罪です」レイユは氷のように冷たい口調で続けた。
「町や村によっては即、死罪になるところもあるようね」
「ひぃぃ」
縛られたトリクスタは指先まで真っ青になってブルブル震えだした。
「レイユったら。今まで盗まれたものは取り戻せたんだし。謝ってるんだから……」とリノ。
「甘いよ、リノ。あんたはいつも」とゾンネ。
「それがリノの良いところよね」とローナは笑った。
「いいでしょう。二度と私たちのものを盗まないと約束してくれるなら解放します。……ただ、ふたつ聞いておきたいのよ、トリクスタ」
とレイユ。その背後に朝焼けと大小の月、天空を彩る惑星群が浮かび上がっている。
「一つ。あなたは何もない空間をすり抜ける力を持っている。ではその縄は意味がないわね」
「うん、そうだよ。レイユ」
トリクスタはパッと縄が存在しないかのように抜け出し、手足を伸ばして着地した。
「“縛られて身動きできないごっこ”はおもしろそうだったからね。これもイタズラさ。楽しかったでしょ、ゾンネ」
ゾンネがえ゛?!と顔をひきつらせた。いつの間にか名前まで憶えられていたのだ。
「もう一つ、なぜ私たちだったの?」
「私たちのものが欲しかった?でも何も貴重なものは持ってないけど」とリノも付け加える。
「いいや、リノ。キミたちはとても貴重だし特別なんだよ。ボクがこの惑星に降りてきた時、ここにいなきゃって思ったんだ、なぜか。ここにはボクが出会うべきもの、一緒にいるべき人がいるって分かってた」
「で、三日も前からつきまとってたの?」
「えへっ、やっぱ最初からバレてたんだね、ローナ」
「ちょっと待って。いま降りてきたって言ったわよね。あなたこの惑星の外の人?」
とリノ。ちなみに惑星クレイの民にとって宇宙人やエイリアンはそれほど突飛な存在ではない。
「わかんない。覚えていないんだ。リノたちだって生まれてきたときの事、覚えてる?」
「それはそうね。……はい、お話はおしまい。好きな所にお行きなさい、トリクスタ。ただし盗みは無しよ」
「それじゃつまらないよ、レイユ。ね、ボクも連れてって。きっと役に立つよ」
「あのな、あたしたちは遠足に来てるんじゃないんだ」とゾンネ。
「竜の卵サンライズ・エッグのお守りでしょ。朝、リノがみんなの前に立って卵にお祈りしてるよね。あの時のエッグ君、えっへんて感じでふんぞり返ってて面白いんだ」
「そんなところまで見てたの」
リノは呆れ顔で呟いた。サンライズ・エッグは寺院で決められたリノの卵なので、祈りの司祭もリノなのだ。
「連れはもういっぱいなのよ」とレイユ。
「じゃあ、これならどう?ここから西に半日行くと、けっこう栄えてる町があって、そこで明日お祭りがあるの。そこならきっと、気をつかわずに食事とか必要なものとかが買えると思うよ。他人に頼らず、自分たちの力で旅するって決めたんだよね、みんなは」
「すご~い……」とローナ。
「おいおい。消えるだけでなく、遠隔地移動までできるのかよ。すげぇな」とゾンネ。
「……。リノが決めて。あなたと卵の旅なのだから」とレイユ。
「えっ!?あ……どうしよう」
突然の指名にリノは慌てた。視線が自然と己の卵、サンライズ・エッグに向かう。
サンライズ・エッグはもう目覚めていた。
とことことトリクスタに歩み寄ると、この不思議な道化師と向き合う。
じーっ。
サンライズ・エッグはトリクスタを見つめた
じーーっ。
トリクスタはサンライズ・エッグを見つめた。
じーーーっ。
やがて卵は
コツン!
とトリクスタに頭突きをして、楽しげに踊り始めた。トリクスタも調子を合わせて円を描いて踊る。トリクスタの声と卵の声なき歓声があがった。荒野の野営地は、早くもお祭り騒ぎだ。
「いやっほー!」
四人の巫女は顔を見合わせた。
「そうね。連れて行きましょう。卵の導きのもとに。“偉大なる太陽と聖なる竜の祝福を”」
リノが笑顔で答えを出した。
「偉大なる太陽と聖なる竜の祝福を」三人も祝詞の声をそろえた。
そしていまついに陽が昇り、惑星クレイの大地を照らし出した。
今日もまた焔の巫女と竜の卵サンライズ・エッグの一日が始まる。
新たな仲間トリクスタを加えた新しい旅立ちの日が。
了
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《今回の一口用語メモ》
焔の巫女
ドラゴンエンパイアの奥地、寺院「暁紅院」で修行と祈りに身を捧げる巫女のこと。
巫女たちの務めは、自分と結ばれた竜の卵を守護し、目覚めた=孵化した後はその成長を見守り、守護することにある。リノ、レイユ、ゾンネ、ローナは導師の命を受けてサンライズ・エッグとともに世界の真実に触れる旅に出ているが、これはごく稀な例で、ほとんどの者は一度修行の道に入ると、暁紅院を離れることなく一生を過ごすことになる。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡