ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
世界中が、惑星クレイの隅々にいたるまでが歓喜に沸いていた。
聖なる竜の目覚めだ。新しい時代の幕開け、大いなる希望の誕生だ。
いま中天に我らを暖かく照らす太陽が輝き、地には久しく失われていた神格が御座す。
嗚呼、天にそびえるその神々しい御姿。
背に負う光輪のなんと美しきこと。
遂に我らの祈りは成就せり。見よ、輝ける未来 “天輪聖竜”の到来を──
「リノ!リノってば!危ないよ!!」
リノは、ぐいと腕を引かれてよろめいた。声をあげたのはローナだ。
そのすぐ横をこぼれるほど荷を満載にした馬車が通り過ぎてゆく。この日、ト=リズンの町は春の祭りで浮き立っている。人出と荷車で道は大変な混雑だった。
「らしくないね、フラフラと」
と、ゾンネはリノの男物の服の乱れを整えた。まだ用心が足りないと思っているのか、リノの目を見たまま、さっき引いた手もまだ離そうとしない。
「昨日のように野山を歩いているのではないのよ。気を引き締めて、リノ」
「ごめんなさい、私……」
レイユの言葉に、リノは自分がどうやら白昼夢の中にいたらしいことに気がついた。
いま太陽は真上。時刻としては正午となる。
ト=リズンはドラゴンエンパイアの中西部、街道沿いとしては比較的大きな町である。
この町を東西に貫く街道は東に帝都、西はケテルサンクチュアリ方面に通じ、交通量も多い。港は海に通じる深い入り江に面し、海運業・漁業ともに天然の良港だ。また北はリノたちの暁紅院があるドラゴニア大山脈、西は深い森、東には"竜の顎"と呼ばれる山脈、それを越えたところに『危険地帯』と呼ばれる砂漠地帯と周囲の地勢も変化に富んでおり、様々な種族と物資が流れ込む交易の拠点でもあった。
「みんなの服を調達してきたよ。古着だけど物はいいから。あ、エッグ君はこの帆布かぶってね」
トリクスタがそう言いながら大きな荷物を持ってきたのは、今朝のこと。
「きちんとお代は払ってきたのよね」とローナ。
「もちろん。ちょっと安くしてもらったけど。はい、これ返すね」
「ちょっとどころか、お釣りがずいぶん多いわ。買うときに何か変なことしてない?」とリノ。
「うん。“四人と一匹の仲間とはぐれて途方に暮れる精霊ごっこ”をしただけ」
「それでお店の人が哀れに思って?……まったく」
レイユは額を押さえた。目にいっぱい涙をためながら店主に窮状を訴えるトリクスタが容易に想像できてしまう。
「えへっ。お店のおじさん、すごくいい人でさ」
「そもそもお前、精霊なの?それに精霊って、人間にお使い頼まれて町の雑貨屋にホイホイ買い物に現れるようなモノなのか?」
とゾンネ。どちらも至極もっともな疑問である。
「ボクはこの惑星に生まれたばかりだよ?自分がなんの種族かなんてわかる訳ない。とにかくボクはみんなが望むことを叶えてあげたいと思った。で、実現した。それでいいじゃない」
リノ、レイユ、ゾンネ、ローナたち一行に加わったこのイタズラ好きの連れは、溜息をつく巫女たちに笑顔を返した。彼女たちの足下を、白い帆布を被り二人目のトリクスタのような外見になった竜の卵サンライズ・エッグが楽しげに駆け回った。
「ところで何でわたしたち、男の子の服装なの?」とローナ。
その両手には他の巫女同様、町の市場で買いそろえた荷を詰めた袋が下げられている。
巫女たちはもともとの旅支度としてマントを羽織っているが、いまその下に着ているのはトリクスタが仕入れてきた男物だ。確かに、髪飾りを外すと若い男性四人に見えなくもない。
「ここは活気ある港町だよ。荒っぽい海の男たちに混じって買い物するには、男装が一番!って思ったんだけど……」
狙いはまったくの裏目に出ていた。
見る人の気分も明るくする笑顔を浮かべるリノ、男装が誰よりも似合うゾンネ、ふんわりした印象のローナ、そして凜とした佇まいのレイユとそれぞれが秀でた美貌なのに加えて、ちょっとした変装程度では誤魔化せない、どこか浮世ばなれした──惑星クレイ最古と言われる寺院「暁紅院」の巫女なのだから当然だが──雰囲気と、白い布を被った二体の小さな同行者(サンライズ・エッグとトリクスタ)が町の人々の注目をどうしても引いてしまうのだ。
「ごめんね、みんな」
とトリクスタ。“なるべく人目をひかず世の中の真実に触れたい”という焔の巫女たちの希望に沿えなかったことは、彼なりにガッカリしているらしい。
「いいのよ。きっとこれから長い旅になるもの。丈夫な服なら幾つでも欲しいから」
とリノが慰めると、足下のサンライズ・エッグが同意するようにぴょんと跳ねた。
「ありがと、リノ。……さぁここが町の広場だよ。お祭り、もちろん見ていくよね?」
春の祭りはこの時期どこでも行われている。ト=リズンの町も例外ではなく、周辺から人が集まり、またそれを目当てにした出店も開かれると町の規模は一気に膨れ上がった感があった。
「? ……あら、なぁに」
リノは不意にマントの裾を誰かに掴まれていることに気づき、それが3、4歳位の小さな女の子だとわかると膝をついて優しく声をかけた。晴れ着をきた子供は黙ったまま裾を離さない。
「一人?お父さんお母さんは?」とローナ。
「こりゃ迷子かな、よっと。お菓子食べるか?」
ゾンネはひょいと女の子を抱えあげた。その首に女の子がひしとしがみつく。
「この人出では声をかけても親御さんに届かないでしょうね。ここで待ちましょう」とレイユ。
祭りは特に合図もなく始まっているようで、既に広場のあちこちで音楽と踊りの輪が出来はじめている。リノたちも笑顔で目を見交わした。もとより祭事は焔の巫女の本分である。気分が浮き立たないわけがないのだ。
その時──。
盛り上がる祭りの喧噪とは異質な音がどこからか聞こえた。
「?!……なにかしら、あれ」
リノの声に、一同が広場の南端に顔を向ける。
言い争い、荷を奪い合っているようだった。
「ケンカかなぁ?」とローナ。
いや、そうではない。巫女たちはすぐに気がついた。背の高い青いマントの男が手下をけしかけて、夫婦らしき男女の持ち物を無理矢理奪おうとしているのだ。すでに周囲とも悶着が起きている。
「パパ!ママ!」
ゾンネの肩から身を乗り出して、女の子が叫んだ。
「えっ!?お前の親御さんか、あれ」とゾンネ。
リノは涙でいっぱいになった子供の目を見た途端、女の子の“助けて!”と声にならない願いが頭の中に反響するのを感じた。
見れば略奪者の行いは横暴さを強め、父親を殴りつけ、母親を足蹴にしている。奪われた荷物からはきらめく宝石がこぼれ落ちているのが見えた。女の子の家は宝石を商っているのだろうか。いずれにせよ力ずくで奪われてよいものなどない。
リノの中で、自分でも押さえきれない熱いものが腹の底から湧き上がってくる。それは怒りと他の何かがない交ぜになった説明の付かない衝動だった。
突然、リノは人波をかき分けて走り始めた。
たちまち周囲に怒号が飛び交う。
仲間たちが背後で何か叫んでいるのが微かに聞こえていた。
「……リノ!リノ!聞いて、リノ!」
女の子の両親までは、まだはるか距離がある地点でとうとうリノは行き詰まった。
耳元で誰かが叫んでいる。
「言うこと聞いて!ボクだよ!トリクスタだよ!」
リノはハッとなって、必死の形相でまだ誰かを押しのけようとしていた手を止めた。巫女の中でも特に他人思いのリノとしては、明らかにらしくない行いだった。
頭のすぐ上に、白い頭巾とマント姿のトリクスタが浮いていた。その背にはサンライズ・エッグが乗っている。せっかくの帆布はもうどこかに飛んでいってしまったらしい。
「ねぇ、ボクが力を貸すから。どうしたいか、祈ってみて」
「お祈り?」
「うん。キミは巫女だろ。今までも誰かの願いを聞き、叶うようにお祈りしてきたんじゃないの」
「ええ。でも、急がないと……!」
「リノ、ボクを信じて!!」
トリクスタの強く真剣な声を、リノは初めて聞いた。
わかった。リノは人波に揺すられ、潰されそうになりながらも手を合わせて祈った。
“女の子のお父さんとお母さんを守りたい”“あの子を笑顔にしてあげたい”
“「助けて!」って望んでいるんだもの”“……どうか、お願い!”
次の瞬間、
リノの身体がふっと軽くなった。
周囲の人々から驚きの声があがった。
宙に浮いている。リノは何か強く逞しい腕に持ち上げられていた。
「やぁリノ。いい祈りだったよ。その願い叶えてあげよう」
頭上からの声はトリクスタのようであり、また違う何かのようでもあった。
「トリクスタなの?」
見上げるとそれは翼のような構造をもつ、大きな人型をしていた。
「ボクはヴェルリーナ。いま思い浮かんだ名前はそれだ。だけど説明は後、それっ!」
ヴェルリーナはひとっ飛びで広場の端まで辿り着き、リノを抱えたまま、腕の一振りで手下どもを蹴散らした。
リノは、ヴェルリーナの背中に乗っていたサンライズ・エッグを受け取ると、青いマントの男に詰め寄った。男は広場にせり出したテントのような青いものの上に立っている。
リノの背後を腕組みをしたヴェルリーナが守ってくれていた。実に頼もしい感覚だった。
「他人のものを正当な理由もなく取ろうとするのは犯罪です。それを持ち主に返しなさい!」
「何を大袈裟な。ちょっと借りるだけさ。もちろん返すこともないが……それとおまえ、女だな」
リノは慌てて服の乱れを直した。群衆に揉みくちゃにされた挙げ句、ヴェルリーナと空を飛んで襟元が少し緩んでいたようだ。
リノの様子を宝石袋を掲げながらあざ笑う男に、リノは心底腹が立った。
手に足に髪に、そして細い胴体を包むように内なる炎が実体化してくる。
「……炎の魔法だと?小娘の分際で」
「そうよ!これであなたの邪心を焼き祓う!」
焔の巫女の舞は太陽を崇め聖なる竜に捧げるものであると同時に、自らの体内に燃える生命の炎を現出させる厳しい修行で培われた術でもある。
焔の巫女リノは身体全体で炎を手繰り、舞いながら、すべての力=炎を青いマントの男に放った。
「させぬ!」
男がすばやく後方に飛び退くと、リノとの間に大きな“何か”が立ちはだかった。男の背後にあったテントのようなものの正体は、竜だったのだ。
「防げ、リキューザルヘイト・ドラゴン!」
リノの炎は青い竜にぶつかり、消滅した。
リキューザルヘイト・ドラゴンは咆哮し、祭りの観衆からは一斉に悲鳴が上がった。
「くっ……!」
「さぁ、我が邪心とやらを焼き祓ってもらおうではないか。どうした?」
男はまたあざ笑った。リノは悔しさより迂闊さに歯がみをしたい気持ちだった。
リキューザルヘイト・ドラゴンは魔法に耐性をもつ竜のようだ。これに打ち克つにはより強い力か、異質な力で臨まなければならない。仲間がいれば……駄目だ。いま自分は仲間をはるか後方に置いて唯一人、ここにいるのではないか。
リノの力は弱い。いまはまだ。
弱いのに怒りにまかせて竜を配下に従える男に挑んでしまった。聖なる竜の卵を護る務めを負う焔の巫女としてこの窮地は最初の、しかも大きな失敗だった。
「思い知っただろう。その程度の炎ではオレは倒せぬ」
男の言葉が、弱ったリノの心に追い打ちをかける。
「いいや、できるとも。焔の巫女リノはみんなの希望を力に変える。ボクにはわかるんだ」
ヴェルリーナの声がリノを励ました。
「小賢しい。こうなれば貴様らまとめて始末してくれる……むっ!」
青いマントの男の合図で手下が体勢を立て直した。その時……
“出て行け”
広場に詰めかけた民衆の声にならない声が、湧き上がった。
“祭りの場を汚すな”“去れ、不届き者”“巫女さん頑張れ”
沢山の人の沢山の思いがリノの背中を押す。
そして、そのリノの目の前にサンライズ・エッグが立った。
卵を護る務めを負う焔の巫女リノを、今度は彼のほうが護るように。
「サンライズ・エッグ……聖竜様?」
リノのとまどう呟きをかき消すように、ヴェルリーナの声が広場に轟いた。
「さぁ祈って、リノ!巫女は祈る者。そうだろう?」
トリクスタ=ヴェルリーナの声が聞こえた。
リノは祈った。今度は怒りではなく、トリクスタ=ヴェルリーナの、そして広場にいる人々の気持ち、すべての祈りを自らの力に変えて。
手に足に髪に、細い胴体に、まとわりついた炎が大きく渦をまいて舞い踊った。
「その願い、ボクが叶えよう!」
リノの背後からヴェルリーナが旋風をまいて、リキューザルヘイト・ドラゴンに飛びかかった。
咆哮する竜の顎をつかむと、一瞬で持ち上げ振り回して、地面に叩きつける。広場全体が揺れるほどの地響きを立てて、リキューザルヘイト・ドラゴンは仰向けに石畳の上に横たわった。竜のわずかに抵抗する素振りを見るや、竜のノド元に手刀を入れ、腹に膝を落とす。
トリクスタ=ヴェルリーナはなぜ知っていたのか、竜の弱点といえば身体の中でも特に軟らかい腹か喉元だ。
リキューザルヘイト・ドラゴンは空しい咆哮をあげ、目を閉じるとぐったりと力が抜けた。気を失ったのだろう。
「こんなことは認めん。おまえは誰だ?どんな力がこのオレを負かせるというのだ!」
「言っただろう。正しくあれと祈る力、みんなの希望が悪を倒す。こんな風に」
ヴェルリーナの大きな手が、抵抗する気力も失った青いマントの男と手下を地面に押しつけ、祭りの設営用に置かれていたロープでぐるぐる巻きに捕縛した。息を詰めてこの戦いを見つめていた観衆から安堵と喝采の声が上がった。
「ありがとう。ヴェルリーナ」
リノはまだ少し呆然としながらも新たな友に感謝の言葉をかけた。すると、ポン!と音をたててヴェルリーナはトリクスタの姿に戻る。
「どういたしまして。さぁて、これにて一件落着っ!」
膝をついているリノの前にサンライズ・エッグが立った。
「あなたも頑張ったわね」
リノは卵にねぎらうように手をかけた。
どうやら喜んでいるらしい卵がかすかに輝いたように見えた。その時──。
リノは一度に見て、感じた。
広場のあちこちで安堵する人々、あの女の子が両親にすがり付く姿、巫女の仲間が荷を抱えてこちらに走ってくる様子、そして──。
目の前の卵は、もう卵ではなかった。
嗚呼、天にそびえるその神々しい御姿。
背に負う光輪のなんと美しきこと。
遂に我らの祈りは成就せり。見よ、輝ける未来 “天輪聖竜”の到来を──
「リノ!……もうまたぼーっとしちゃってぇ」ローナが声をかけた
リノはまだ目を閉じ、跪いていた。感動のあまり身体の震えが止まらない。
彼女が祈る手をこつんと何かが叩いた。サンライズ・エッグの頭だ。
「え? あれ……?」
リノは我に返った。いまのは幻だったのか。リノにしか見えていなかったらしい。
「はい。これ、リノの荷物な。あ、女の子はちゃんと親御さんの所に送ってきたから」
リノはそれももう知っていた。
「ぐすぐすしてはいられないわよ、リノ。もう行かないと。目立たず真実に触れる旅のつもりが大騒ぎになってしまって」とレイユ。
「すっごく良いお祭りの演し物にはなったよね」とトリクスタ。
「あなたは今回調子に乗りすぎですよ、トリクスタ」
「はーい……」トリクスタはしゅんとなった。
「まぁ、リノを救ってくれたことはお礼を言っておきましょう」
珍しくレイユが褒めたことでトリクスタと、なぜかサンライズ・エッグまでが躍り上がった。
「えへっ。それじゃ、続けよう。冒険と祈りの旅を!」
トリクスタは先頭に立って、町の門に向かい走り出した。
「ホラ、ボクに付いてきて。早く!」
リノは荷を受け取ると仲間とともに走り出した。
この町に長く伝説として語り継がれるであろう男装の四人の巫女とサンライズ・エッグ、そして今やヴェルリーナでもあるトリクスタに、なんと声をかけて良いかとうとう分からぬままの町の人を置いて。
太陽はいまようやく傾いて、ト=リズンの町を春の午後の日差しで穏やかに包んでいた。
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《今回の一口用語メモ》
天輪聖竜(てんりんせいりゅう)ニルヴァーナ
太陽の竜の卵サンライズ・エッグが変化する聖なる太陽の竜。 天輪聖竜ニルヴァーナは、約三千年もの間、長く辛い時代を暮らしてきた惑星クレイの民すべての「希望の祈り」を実現するために、覚醒し神格に生まれ変わる可能性を秘めている。しかし、その真の覚醒まではまだ時間が必要な ようである。
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聖なる竜の目覚めだ。新しい時代の幕開け、大いなる希望の誕生だ。
いま中天に我らを暖かく照らす太陽が輝き、地には久しく失われていた神格が御座す。
嗚呼、天にそびえるその神々しい御姿。
背に負う光輪のなんと美しきこと。
遂に我らの祈りは成就せり。見よ、輝ける未来 “天輪聖竜”の到来を──
「リノ!リノってば!危ないよ!!」
リノは、ぐいと腕を引かれてよろめいた。声をあげたのはローナだ。
そのすぐ横をこぼれるほど荷を満載にした馬車が通り過ぎてゆく。この日、ト=リズンの町は春の祭りで浮き立っている。人出と荷車で道は大変な混雑だった。
「らしくないね、フラフラと」
と、ゾンネはリノの男物の服の乱れを整えた。まだ用心が足りないと思っているのか、リノの目を見たまま、さっき引いた手もまだ離そうとしない。
「昨日のように野山を歩いているのではないのよ。気を引き締めて、リノ」
「ごめんなさい、私……」
レイユの言葉に、リノは自分がどうやら白昼夢の中にいたらしいことに気がついた。
いま太陽は真上。時刻としては正午となる。
ト=リズンはドラゴンエンパイアの中西部、街道沿いとしては比較的大きな町である。
この町を東西に貫く街道は東に帝都、西はケテルサンクチュアリ方面に通じ、交通量も多い。港は海に通じる深い入り江に面し、海運業・漁業ともに天然の良港だ。また北はリノたちの暁紅院があるドラゴニア大山脈、西は深い森、東には"竜の顎"と呼ばれる山脈、それを越えたところに『危険地帯』と呼ばれる砂漠地帯と周囲の地勢も変化に富んでおり、様々な種族と物資が流れ込む交易の拠点でもあった。
「みんなの服を調達してきたよ。古着だけど物はいいから。あ、エッグ君はこの帆布かぶってね」
トリクスタがそう言いながら大きな荷物を持ってきたのは、今朝のこと。
「きちんとお代は払ってきたのよね」とローナ。
「もちろん。ちょっと安くしてもらったけど。はい、これ返すね」
「ちょっとどころか、お釣りがずいぶん多いわ。買うときに何か変なことしてない?」とリノ。
「うん。“四人と一匹の仲間とはぐれて途方に暮れる精霊ごっこ”をしただけ」
「それでお店の人が哀れに思って?……まったく」
レイユは額を押さえた。目にいっぱい涙をためながら店主に窮状を訴えるトリクスタが容易に想像できてしまう。
「えへっ。お店のおじさん、すごくいい人でさ」
「そもそもお前、精霊なの?それに精霊って、人間にお使い頼まれて町の雑貨屋にホイホイ買い物に現れるようなモノなのか?」
とゾンネ。どちらも至極もっともな疑問である。
「ボクはこの惑星に生まれたばかりだよ?自分がなんの種族かなんてわかる訳ない。とにかくボクはみんなが望むことを叶えてあげたいと思った。で、実現した。それでいいじゃない」
リノ、レイユ、ゾンネ、ローナたち一行に加わったこのイタズラ好きの連れは、溜息をつく巫女たちに笑顔を返した。彼女たちの足下を、白い帆布を被り二人目のトリクスタのような外見になった竜の卵サンライズ・エッグが楽しげに駆け回った。
「ところで何でわたしたち、男の子の服装なの?」とローナ。
その両手には他の巫女同様、町の市場で買いそろえた荷を詰めた袋が下げられている。
巫女たちはもともとの旅支度としてマントを羽織っているが、いまその下に着ているのはトリクスタが仕入れてきた男物だ。確かに、髪飾りを外すと若い男性四人に見えなくもない。
「ここは活気ある港町だよ。荒っぽい海の男たちに混じって買い物するには、男装が一番!って思ったんだけど……」
狙いはまったくの裏目に出ていた。
見る人の気分も明るくする笑顔を浮かべるリノ、男装が誰よりも似合うゾンネ、ふんわりした印象のローナ、そして凜とした佇まいのレイユとそれぞれが秀でた美貌なのに加えて、ちょっとした変装程度では誤魔化せない、どこか浮世ばなれした──惑星クレイ最古と言われる寺院「暁紅院」の巫女なのだから当然だが──雰囲気と、白い布を被った二体の小さな同行者(サンライズ・エッグとトリクスタ)が町の人々の注目をどうしても引いてしまうのだ。
「ごめんね、みんな」
とトリクスタ。“なるべく人目をひかず世の中の真実に触れたい”という焔の巫女たちの希望に沿えなかったことは、彼なりにガッカリしているらしい。
「いいのよ。きっとこれから長い旅になるもの。丈夫な服なら幾つでも欲しいから」
とリノが慰めると、足下のサンライズ・エッグが同意するようにぴょんと跳ねた。
「ありがと、リノ。……さぁここが町の広場だよ。お祭り、もちろん見ていくよね?」
春の祭りはこの時期どこでも行われている。ト=リズンの町も例外ではなく、周辺から人が集まり、またそれを目当てにした出店も開かれると町の規模は一気に膨れ上がった感があった。
「? ……あら、なぁに」
リノは不意にマントの裾を誰かに掴まれていることに気づき、それが3、4歳位の小さな女の子だとわかると膝をついて優しく声をかけた。晴れ着をきた子供は黙ったまま裾を離さない。
「一人?お父さんお母さんは?」とローナ。
「こりゃ迷子かな、よっと。お菓子食べるか?」
ゾンネはひょいと女の子を抱えあげた。その首に女の子がひしとしがみつく。
「この人出では声をかけても親御さんに届かないでしょうね。ここで待ちましょう」とレイユ。
祭りは特に合図もなく始まっているようで、既に広場のあちこちで音楽と踊りの輪が出来はじめている。リノたちも笑顔で目を見交わした。もとより祭事は焔の巫女の本分である。気分が浮き立たないわけがないのだ。
その時──。
盛り上がる祭りの喧噪とは異質な音がどこからか聞こえた。
「?!……なにかしら、あれ」
リノの声に、一同が広場の南端に顔を向ける。
言い争い、荷を奪い合っているようだった。
「ケンカかなぁ?」とローナ。
いや、そうではない。巫女たちはすぐに気がついた。背の高い青いマントの男が手下をけしかけて、夫婦らしき男女の持ち物を無理矢理奪おうとしているのだ。すでに周囲とも悶着が起きている。
「パパ!ママ!」
ゾンネの肩から身を乗り出して、女の子が叫んだ。
「えっ!?お前の親御さんか、あれ」とゾンネ。
リノは涙でいっぱいになった子供の目を見た途端、女の子の“助けて!”と声にならない願いが頭の中に反響するのを感じた。
見れば略奪者の行いは横暴さを強め、父親を殴りつけ、母親を足蹴にしている。奪われた荷物からはきらめく宝石がこぼれ落ちているのが見えた。女の子の家は宝石を商っているのだろうか。いずれにせよ力ずくで奪われてよいものなどない。
リノの中で、自分でも押さえきれない熱いものが腹の底から湧き上がってくる。それは怒りと他の何かがない交ぜになった説明の付かない衝動だった。
突然、リノは人波をかき分けて走り始めた。
たちまち周囲に怒号が飛び交う。
仲間たちが背後で何か叫んでいるのが微かに聞こえていた。
「……リノ!リノ!聞いて、リノ!」
女の子の両親までは、まだはるか距離がある地点でとうとうリノは行き詰まった。
耳元で誰かが叫んでいる。
「言うこと聞いて!ボクだよ!トリクスタだよ!」
リノはハッとなって、必死の形相でまだ誰かを押しのけようとしていた手を止めた。巫女の中でも特に他人思いのリノとしては、明らかにらしくない行いだった。
頭のすぐ上に、白い頭巾とマント姿のトリクスタが浮いていた。その背にはサンライズ・エッグが乗っている。せっかくの帆布はもうどこかに飛んでいってしまったらしい。
「ねぇ、ボクが力を貸すから。どうしたいか、祈ってみて」
「お祈り?」
「うん。キミは巫女だろ。今までも誰かの願いを聞き、叶うようにお祈りしてきたんじゃないの」
「ええ。でも、急がないと……!」
「リノ、ボクを信じて!!」
トリクスタの強く真剣な声を、リノは初めて聞いた。
わかった。リノは人波に揺すられ、潰されそうになりながらも手を合わせて祈った。
“女の子のお父さんとお母さんを守りたい”“あの子を笑顔にしてあげたい”
“「助けて!」って望んでいるんだもの”“……どうか、お願い!”
次の瞬間、
リノの身体がふっと軽くなった。
周囲の人々から驚きの声があがった。
宙に浮いている。リノは何か強く逞しい腕に持ち上げられていた。
「やぁリノ。いい祈りだったよ。その願い叶えてあげよう」
頭上からの声はトリクスタのようであり、また違う何かのようでもあった。
「トリクスタなの?」
見上げるとそれは翼のような構造をもつ、大きな人型をしていた。
「ボクはヴェルリーナ。いま思い浮かんだ名前はそれだ。だけど説明は後、それっ!」
ヴェルリーナはひとっ飛びで広場の端まで辿り着き、リノを抱えたまま、腕の一振りで手下どもを蹴散らした。
リノは、ヴェルリーナの背中に乗っていたサンライズ・エッグを受け取ると、青いマントの男に詰め寄った。男は広場にせり出したテントのような青いものの上に立っている。
リノの背後を腕組みをしたヴェルリーナが守ってくれていた。実に頼もしい感覚だった。
「他人のものを正当な理由もなく取ろうとするのは犯罪です。それを持ち主に返しなさい!」
「何を大袈裟な。ちょっと借りるだけさ。もちろん返すこともないが……それとおまえ、女だな」
リノは慌てて服の乱れを直した。群衆に揉みくちゃにされた挙げ句、ヴェルリーナと空を飛んで襟元が少し緩んでいたようだ。
リノの様子を宝石袋を掲げながらあざ笑う男に、リノは心底腹が立った。
手に足に髪に、そして細い胴体を包むように内なる炎が実体化してくる。
「……炎の魔法だと?小娘の分際で」
「そうよ!これであなたの邪心を焼き祓う!」
焔の巫女の舞は太陽を崇め聖なる竜に捧げるものであると同時に、自らの体内に燃える生命の炎を現出させる厳しい修行で培われた術でもある。
焔の巫女リノは身体全体で炎を手繰り、舞いながら、すべての力=炎を青いマントの男に放った。
「させぬ!」
男がすばやく後方に飛び退くと、リノとの間に大きな“何か”が立ちはだかった。男の背後にあったテントのようなものの正体は、竜だったのだ。
「防げ、リキューザルヘイト・ドラゴン!」
リノの炎は青い竜にぶつかり、消滅した。
リキューザルヘイト・ドラゴンは咆哮し、祭りの観衆からは一斉に悲鳴が上がった。
「くっ……!」
「さぁ、我が邪心とやらを焼き祓ってもらおうではないか。どうした?」
男はまたあざ笑った。リノは悔しさより迂闊さに歯がみをしたい気持ちだった。
リキューザルヘイト・ドラゴンは魔法に耐性をもつ竜のようだ。これに打ち克つにはより強い力か、異質な力で臨まなければならない。仲間がいれば……駄目だ。いま自分は仲間をはるか後方に置いて唯一人、ここにいるのではないか。
リノの力は弱い。いまはまだ。
弱いのに怒りにまかせて竜を配下に従える男に挑んでしまった。聖なる竜の卵を護る務めを負う焔の巫女としてこの窮地は最初の、しかも大きな失敗だった。
「思い知っただろう。その程度の炎ではオレは倒せぬ」
男の言葉が、弱ったリノの心に追い打ちをかける。
「いいや、できるとも。焔の巫女リノはみんなの希望を力に変える。ボクにはわかるんだ」
ヴェルリーナの声がリノを励ました。
「小賢しい。こうなれば貴様らまとめて始末してくれる……むっ!」
青いマントの男の合図で手下が体勢を立て直した。その時……
“出て行け”
広場に詰めかけた民衆の声にならない声が、湧き上がった。
“祭りの場を汚すな”“去れ、不届き者”“巫女さん頑張れ”
沢山の人の沢山の思いがリノの背中を押す。
そして、そのリノの目の前にサンライズ・エッグが立った。
卵を護る務めを負う焔の巫女リノを、今度は彼のほうが護るように。
「サンライズ・エッグ……聖竜様?」
リノのとまどう呟きをかき消すように、ヴェルリーナの声が広場に轟いた。
「さぁ祈って、リノ!巫女は祈る者。そうだろう?」
トリクスタ=ヴェルリーナの声が聞こえた。
リノは祈った。今度は怒りではなく、トリクスタ=ヴェルリーナの、そして広場にいる人々の気持ち、すべての祈りを自らの力に変えて。
手に足に髪に、細い胴体に、まとわりついた炎が大きく渦をまいて舞い踊った。
「その願い、ボクが叶えよう!」
リノの背後からヴェルリーナが旋風をまいて、リキューザルヘイト・ドラゴンに飛びかかった。
咆哮する竜の顎をつかむと、一瞬で持ち上げ振り回して、地面に叩きつける。広場全体が揺れるほどの地響きを立てて、リキューザルヘイト・ドラゴンは仰向けに石畳の上に横たわった。竜のわずかに抵抗する素振りを見るや、竜のノド元に手刀を入れ、腹に膝を落とす。
トリクスタ=ヴェルリーナはなぜ知っていたのか、竜の弱点といえば身体の中でも特に軟らかい腹か喉元だ。
リキューザルヘイト・ドラゴンは空しい咆哮をあげ、目を閉じるとぐったりと力が抜けた。気を失ったのだろう。
「こんなことは認めん。おまえは誰だ?どんな力がこのオレを負かせるというのだ!」
「言っただろう。正しくあれと祈る力、みんなの希望が悪を倒す。こんな風に」
ヴェルリーナの大きな手が、抵抗する気力も失った青いマントの男と手下を地面に押しつけ、祭りの設営用に置かれていたロープでぐるぐる巻きに捕縛した。息を詰めてこの戦いを見つめていた観衆から安堵と喝采の声が上がった。
「ありがとう。ヴェルリーナ」
リノはまだ少し呆然としながらも新たな友に感謝の言葉をかけた。すると、ポン!と音をたててヴェルリーナはトリクスタの姿に戻る。
「どういたしまして。さぁて、これにて一件落着っ!」
膝をついているリノの前にサンライズ・エッグが立った。
「あなたも頑張ったわね」
リノは卵にねぎらうように手をかけた。
どうやら喜んでいるらしい卵がかすかに輝いたように見えた。その時──。
リノは一度に見て、感じた。
広場のあちこちで安堵する人々、あの女の子が両親にすがり付く姿、巫女の仲間が荷を抱えてこちらに走ってくる様子、そして──。
目の前の卵は、もう卵ではなかった。
嗚呼、天にそびえるその神々しい御姿。
背に負う光輪のなんと美しきこと。
遂に我らの祈りは成就せり。見よ、輝ける未来 “天輪聖竜”の到来を──
「リノ!……もうまたぼーっとしちゃってぇ」ローナが声をかけた
リノはまだ目を閉じ、跪いていた。感動のあまり身体の震えが止まらない。
彼女が祈る手をこつんと何かが叩いた。サンライズ・エッグの頭だ。
「え? あれ……?」
リノは我に返った。いまのは幻だったのか。リノにしか見えていなかったらしい。
「はい。これ、リノの荷物な。あ、女の子はちゃんと親御さんの所に送ってきたから」
リノはそれももう知っていた。
「ぐすぐすしてはいられないわよ、リノ。もう行かないと。目立たず真実に触れる旅のつもりが大騒ぎになってしまって」とレイユ。
「すっごく良いお祭りの演し物にはなったよね」とトリクスタ。
「あなたは今回調子に乗りすぎですよ、トリクスタ」
「はーい……」トリクスタはしゅんとなった。
「まぁ、リノを救ってくれたことはお礼を言っておきましょう」
珍しくレイユが褒めたことでトリクスタと、なぜかサンライズ・エッグまでが躍り上がった。
「えへっ。それじゃ、続けよう。冒険と祈りの旅を!」
トリクスタは先頭に立って、町の門に向かい走り出した。
「ホラ、ボクに付いてきて。早く!」
リノは荷を受け取ると仲間とともに走り出した。
この町に長く伝説として語り継がれるであろう男装の四人の巫女とサンライズ・エッグ、そして今やヴェルリーナでもあるトリクスタに、なんと声をかけて良いかとうとう分からぬままの町の人を置いて。
太陽はいまようやく傾いて、ト=リズンの町を春の午後の日差しで穏やかに包んでいた。
了
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《今回の一口用語メモ》
天輪聖竜(てんりんせいりゅう)ニルヴァーナ
太陽の竜の卵サンライズ・エッグが変化する聖なる太陽の竜。 天輪聖竜ニルヴァーナは、約三千年もの間、長く辛い時代を暮らしてきた惑星クレイの民すべての「希望の祈り」を実現するために、覚醒し神格に生まれ変わる可能性を秘めている。しかし、その真の覚醒まではまだ時間が必要な ようである。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡