ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
山に緑、野には花、雨は大地を潤し、降り注ぐ陽光の下、流るる川は大いなる海へと注ぐ。
時は無神紀の半ば。大賢者ストイケイアは永い瞑想の果て、自然の移り変わりの中に真理を悟り、この星に満ちる加護を観測する知性ある至宝《ワイズキューブ》を創造。かくして我らズーとメガラニカの民は賢者の教えの元に、ストイケイアを建国したのである。
時は無神紀の半ば。大賢者ストイケイアは永い瞑想の果て、自然の移り変わりの中に真理を悟り、この星に満ちる加護を観測する知性ある至宝《ワイズキューブ》を創造。かくして我らズーとメガラニカの民は賢者の教えの元に、ストイケイアを建国したのである。
「……って、教わったのよね~」
わたしは船の手摺にもたれて溜息をついた。気分の落ち込みに袖の花びらも力なく萎れる。
曇天。時刻は正午すぎ。この船の周りだけに降り続く弱い雨。旧メガラニカ湾沖の海面は真黒な生物のようにうねっている。
「船酔いか」
「バイオロイドはこれしきの揺れじゃ酔わないっつーの。てかこの船飛んでるでしょ」
背後からの声に、わたしは顔も上げず答えた。
ゾルガ──怪雨の降霊術師を名乗るこの船の船長は低く息をついた。溜息か、苦笑いなのか。
「あー、もう帰りた~い。次の港で降りていい?」
「契約は1年間だ。正確には1年引くところの2日」
わたしの言葉を聞いているのかいないのか、ゾルガはそれだけ言うと鉤爪の足音──この男の足は魔物のような形をしているんだ、怖(こわっ)──を残して行ってしまった。
「言っとくけど海賊行為には加担しないわよ。あと、このうっとおしい雨雲なんとかならない?!」
背中に投げつけた声に、鉤爪の左手で持つゾルガの巨大な杖がかすかに揺れた……ように見えた。
ブンむくれるわたしの背後で雲が薄れ微かな光が差した。どうやら旧ズーの海域に入ったらしい。
雨の夜、暗い海の空に舞う帆船。異形の船員たちが乗るこの船には『此の世に未練を残す魂』が捕らわれているという。
リグレイン号は伝説にうたわれる幽霊船だ。
そしてわたしは今この不気味な船の一員になっている。
急な呼び出しを受けたのは2日前。
ストイケイア中北部、旧メガラニカの街トランスにあるネオネクタール商館でのこと。ギルド長を務める大先輩の銃士との対面で緊張ガチガチのわたしにかけられた言葉は、ごく短いものだった。
「ヘンドリーナ、リグレイン号への乗船を命ずる。以上」
面会終了。侍従に促され速やかに退出、扉はパタンと閉じられた。
さぁそこからが大変だ。
旅支度に買い出し、いやそもそもリグレイン号って何?いつ?どこ?
困り果て、宿屋のベッドに座り込んだわたしに“来客”があったのはその夜のことだった──。
島影一つない海ばかり見ていてもしょうがないので、デッキに向き直る。
目の前を、大きなぬいぐるみを引きずった少女が通り過ぎていった。傘を差したその足元に影は無い。
「こんにちは」
無言。娘はこちらを無視して甲板の向こうへと遠ざかり、お愛想に振りかけた袖の花がまた萎んだ。
やはり幽霊には「こんばんは」の方が良かったかも。
名前も知らないこの幽霊娘が“来客”として現れた夜のことは、あまり思い出したくない。
ふと目を上げて、そこに彼女がいた驚愕と恐怖。無言のまま差し出された招待状(あとで思い出してあの紙は果たして実体だったのだろうかと首をひねった)を受け取るまでのひと悶着。さらにはこの娘に付いていこうとして閉じた宿屋のドアに激突するまで、他人には見せられない失態の連続だった。
痛む額をさすりながら向かった波止場には無人のボートが泊めてあり、娘と乗り込むと滑るように沖に導かれ、わたしはこの変わり者ばかり……はっきり言ってしまおう、化け物だらけの船に乗り込んだのだった。
続いて、逆方向からやってきた男も無言。近づくにつれ何とも言えない臭いが漂ってくる。
「ど、どうも……」
全身が緑色に光り、巨大な鉈を担いだ男はこちらには目もくれず去っていった。
甲板には幽霊のほかにも妖精、深海の種族、デーモン、マストで羽を休める竜、動く骸骨(索具を抱えた彼らが “船員”らしい)などで溢れていた。乗員がこれだけいればもっと騒々しいはずなのに、水音の他に音はほとんど聞こえない。
「はぁぁ……ホント帰りたい……」
だが逃げ出そうにも、周囲は大海原。さらに船は空中に浮かんで疾走している。
昼なお暗い幽霊船のデッキで、憂鬱のあまりわたしは機能停止しそうだった。
気を取り直そう。
旅の一番の楽しみといえば、なんといっても食事だ。変化に乏しい船旅となればまた格別。
リグレイン号の時間は鐘の音で知らされる。初めて乗り込んだとき、この時鐘の正確無比なことに感心した。その音が不気味なことを除けば。
ほかの乗員の食糧など想像もしたくない(そもそも食べる必要がない者のほうが多いと思う)ので、わたしは船首に移動して自分だけの昼食を愉しんだ。配給のビスケットを荷物として持ち込んだ樹液配合のドリンクで流し込む。
バイオロイドとはいえ栄養摂取は大事。日光はなによりも大事だ。わたしは少しだけ気分が晴れるのを感じ、弱い光の下ではあるけれど袖や髪の花もいくぶん元気を取り戻し、風にそよいだ。
「風が香るな。この船には珍しい」
「ご不快でしたらどうぞ避けていらして」
ゾルガだ。船長はいつのまにか人の後ろに立つのが特技らしい。今度もわたしは振り向かなかった。
「契約のことだが」
はいはい、と仕事の話なので依頼主に正対して、荷袋から契約書を取り出し読み上げた。防水紙と消えないインクは科学の産物、わたしと降霊術師を縛る文言には魔法が効いている。古風だが厳粛な約定の証なのだ。
「『知識提供。戦闘補助および術力増幅。1年間。継続・更新は応相談』よね。ネオネクタールとして依頼された勤めは果たすわ。信用第一ですから」
予防線を張ってみた。犯罪の片棒を担ぐようなことはしたくないがギルドと自分の名誉も守りたい。
「それで構わない」
「しかしわからないのがこの術力増幅よ。こんなお化け……変わり者だらけの一行で、わたしが増幅で役に立つとは思えないけど」
「俺とこの船──海と魔物はメガラニカ的か。で、バイオロイドのおまえはズーそのものか」
「昔でいうズーとメガラニカって国がどう思われていたかって事ならそうね。で、この混沌がいまのストイケイア的ってとこかしら」
「“混沌”はあらゆるものを内包する状態だ。そこに可能性がある。探求する余地もまた」
ゾルガはフードを外すと、潮風に長い髪をなびかせた。この降霊術師の右手だけはまだ人間らしい形をしている。異形に変化した身体を差し引いても、ぞくっとするほど美しい男だった。
「お化けはキライか」
「幽霊や骸骨、死者を怖がるのは生きている者として自然なことじゃない?降霊術師さん」
「生と死、魂を研究し、それを操ることが俺の仕事。恐怖は時に、秘密と安全を守る防護になる」
「この船が“暗雲をまとって救われぬ魂をさらい閉じ込める幽霊船”って噂も、その防護ってわけ。実際には昼も航海するし、死者ばかりでなく竜だの妖精だの、わたしみたいな乗組員もいるのに?」
「賑やかで良いだろう」
ゾルガは笑みらしきものを浮かべた。
こいつは邪悪な上に嘘つきだ。もう話は終わり、と決めてわたしは舳先に向き直った。
すると──
「!ちょっとあれ!見える?」
水平線の近くに島などではない、移動するモノが現れていた。
「さすがバイオロイドは目がいいな。船か」とゾルガ。
「それにしては大きすぎるわね。待って、あの巨体であの速さ、色・形、この海域なら──」
わたしはこの地方の海の言い伝えすべてに通じている。それがゾルガの要望にギルドがわたしを選抜した理由だった。
それはぐんぐん近づいてきた。わたしたちの叫びは同時だった。
「「クラーケン!!」」
海の魔物クラーケン。船とみれば破壊せずにはいられない深海の悪夢。幾多の船が犠牲になってきた。その巨体と怪力の前にはこの空飛ぶ幽霊船リグレイン号でさえ、きっと……。
船のマストほどの太さがある触手が、船首のわたしたちに迫った。
そこからはあっという間だった。
わたしが後ろに飛び退き、ゾルガがわたしの前に出る。同時に、敵わぬまでもわたしは“花”を出現させ幾つも、素早く投げつける。それはゾルガと触手の狭間に飛び込んでゆく。派手でも強力でないが契約通り、わたしの持てる防護手段を依頼主に使ったのだ。
だがゾルガは杖をふるってその花を一つずつ弾いた。
バン・バン・バン・バン!!
「──なっ?!」
次の瞬間、弾かれた花はそれぞれ巨大な鎖となり、次々と触手を縛りつけた。そして、船体から湧き出すように出現した幽霊や骸骨がその周囲を固めた。
それはなんという魔法だったのだろう。
ゾルガはわたしの放った花を触媒として高度な変化と召喚魔法をいとも簡単に、しかも瞬時に多数をやってのけたのだ。
「悪くない。契約に“監視”を追記しよう。報酬は2割増し。同意か?」
ゾルガが叫んだ。
「いいわ。あと……」とわたし。
上空からは竜、水中からも配下の生物を次々と絶え間なく召喚しながら、ゾルガはなんだと振り返った。
「昼間は雲をちょっと晴らしてわたしを陽に当てて。花を枯らしたら仕事ができない」
「同意だ。継承の乙女 ヘンドリーナ」
ゾルガはまた怪物クラーケンに向き直りつつ答えた。
わたしには彼がいまどんな表情をしているのか、まったくわからなかった。
了
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《今回の一口用語メモ》
バイオロイド
ネオネクタールの人型種族。草木・花に魔力を加える事で製造された人造生物であり、植物と人間が融合したような姿をしている。知能が高く、身体を形作る成分が同じため植物を操る力をもつ。通常のバイオロイドは1種類の植物から派生しているが上位の種族は複数の植物から成る複合タイプもいる。
怪異の幽霊船
雨の夜にだけ現れる「リグレイン号」と呼ばれる幽霊船。
「未練ある魂」が異形の乗組員として永遠に束縛されていると言われているが「後悔するような生き方をするな」と戒めるための、よくあるおとぎ話であろう。
一説によると、降霊術師ゾルガが率いるストイケイアの特務部隊であり、おとぎ話はそのカモフラージュであるらしい。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡