ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
はい、あの魔女は確かに2人おりました。
いいえ、騎士であるあなた様の問いに、どうして嘘をつく必要などございましょうか。
私は確かに見たのです。
あの魔女は確かに2人おりました。
そして魔女は見事言い当てたのです。……私の未来を。
聖都セイクリッド・アルビオンの東、長角山脈の北端に宝珠洞があります。
古い鉱山の跡にいつしか女魔術師たちが住み着いたもので、高い金品を要求する代わりにあらゆる人の未来を予見すると私も噂に聞いておりました。
「フェイスよ。誰よりも信頼するお前にひとつ頼みたいことがある」
私が主人の呼び出しを受けたのは、10日ほど前のことです。
「宝珠洞を訪ね、もっとも優れた女魔術師にわたしの今後を見てきてほしいのだ」
ご存じの通り、我が主人は聖都でも指折りの豪商。
つまりケテルサンクチュアリでも有数の富豪です。
「実はいま大きな商機を迎えている。ここで乗るべきか逸るべきか。決断を迫られている」
「ぜひとも未来からの良き助言がほしい。見料はケチらず必ず言い値の2倍払うように。急ぎ支度せよ」
私は命じられた通り、取る物も取り敢えず長角山脈へと旅立ちました。
未来を見るという女魔術師を求めて。
商いについて、未来を見る力を借りることの意義を私はひと時も疑いませんでした。私とて年の最初には御籤を引きますし、神殿から戴いたお守りも持ち歩いています。いつも果断に商売の決定を下す主人が、あえて女魔術師の予見の力を借りたいというのはよほど重要な案件なのだろうと思ったのです。
最も優れた女魔術師についても、途中の町で聞いた人が口々に“六角宝珠の女魔術師”を挙げてくれましたので、指名にも不安はありませんでした。
ですから、天空に浮く島ケテルギアを頭上遙かに仰ぎ見つつ、腰の剣を使うこともなくサンクチュアリ地方の田園風景をのんびり旅して宝珠洞にたどり着いた時、迎えてくれた女性に
「わたし、三角連想の女魔術師です。お待ちしていました、セイクリッド・アルビオンのフェイスさん。中にご案内します」
と言い渡されたのにはひどく驚き、困惑もいたしました。
宝珠洞は──私はてっきり棄てられた坑道のような場所を想像していたのですが──こちらケテルギアのように整備され、清潔で、輝きに満ち、まるでひとつの町のようでした。
三角連想の女魔術師は入口近くの建物に私を導くと、椅子を勧め、こう言いました。
そこは名の通り、三角の装飾が随所に施された部屋で、女魔術師は年齢こそ若く見えるのものの、杖を携えまっすぐに私を見つめるその瞳には深い叡智が宿っておりました。この人と話すうちにこちらの気持ちまで落ち着いてきたのを覚えています。
「そう、あなたのお名前はフェイス。ご出身はセイクリッド・アルビオン市内。ご両親はご健在。父上は剣術道場を営んでいらっしゃる。あなたは次男で幼いころからケテルの豪商ペリシュ様のお屋敷にご奉公されてきた。その剣の腕と経営を補佐するまじめな勤めぶりから周囲からの信頼も篤い。……あ、私は“過去を見る者”ですので驚かれるのも無理はありません」
ここからは驚きの連続でしたので、私の反応は省いてお話します。
「残念ながらここに直接いらっしゃらない方の未来を告げることは禁じられています」
「ですが貴方、フェイスさんの未来を見ることで、ご主人ペリシュ様への回答にもなる、との未来が見えています。こちらでいかがでしょうか」
私は悩みました。が、ここまではお代は不要とのことでしたので、結局勧められるままに次の建物へと進んだのです。なぜかは解りませんがこの時、彼女から頑張ってくださいと言葉をかけられました。
「四角重層の女魔術師……」
次に引き合わされたのは無口な女魔術師でした。
部屋も四角、杖の先も四角、そして髪飾りも四角なのかと感心しておりますと
「そこ、余計なことに気をとられない!」
叱られてしまいました。でもなぜか悪い気はしませんでした。ペリシュ家の使用人にも似た印象の娘がいましたので。その娘はひどい照れ屋さんでしたが……。いや、話が逸れました。
「あなたはいま問題を抱えている。解決の鍵は過去と未来の両方にある」
四角重層の女魔術師はさすがに重々しく “現在”について告げました。
「ほら、聞きたいことが顔に出すぎてる。焦りは禁物。それとこれ、ご主人ではなくあなたのことを言ってるのよ。きちんと聞いてなさい。いま使うべきはこの頭、腰の立派な剣ではないの」
四角重層の女魔術師はコツンと杖で私の頭を叩くと、
「まだ答えが出ない“現在”である以上、お代は要らないわ。五角閃光、この人を連れていって頂戴」
謎めいた言葉とともに、そこで次の女魔術師が呼ばれました。言われるまでもなく続きの未来も知りたかったので、次の女魔術師についていくことを選びました。
別れ際、四角重層の女魔術師がポツリと呟いた言葉が忘れられません。
「……がんばってね」
「五角閃光の女魔術師ですっ!よろしくお願いしまーす!」
なぜでしょう。私はこの人が話し始めた途端、気持ちが浮き立つのを感じました。
見かけは前の二人よりもさらに若い印象なのです。でも……
「お帰りの旅には気をつけてくださいね。街道を外れてはいけません。散財と負傷の相が見えます。くれぐれもご用心。これを防ぐには宿にわざと後2日逗留して出発を後らせたのちに、3番目に出会う隊商に頼んで同行させてもらうと良いでしょう。赤い羽根飾りが目印ですよ。常に隊商のリーダーの横を歩いてください」
例によって何もかもが五角形の部屋で、彼女が話し始めたのは何やらとても詳しい“近い未来”についてでした。でも私にはもっと聞きたいことがあったのです。切実に。
「それはまた後。六角宝珠様がお伝えしますからお代もご心配なく。それより……」
「忠告させてください。私たちは“起こり得る可能性”をお伝えするものです。選ぶのはあなた。素直な心で、自分を信じて」
頑張って、と手を握り締める五角閃光の女魔術師の熱意溢れる瞳に、私もつい勢いよく「はいっ」と答えてしまいました。
そして私はついにあの六角宝珠の女魔術師に会うことができたのです。
宝珠洞の最奥に、その場所はありました。
今までの女魔術師たちの部屋とはまったく別ものでした。彼女が立っているのは洞窟の行き止まり、玉座のように高くなった一角で、背後には岩にも金属にも見える“門”のようなモニュメント。部屋の形から彼女の帽子までもが六角でした。
そしてなぜかこの場所に入った瞬間から“機械”のイメージが頭から離れなくなりました。別にオイルの匂いも作動音もしていないのに、です。
「ようこそ宝珠洞へ。フェイスさん」
その声の深みと奥深さをなんと例えればよいのでしょう。私はまるで宙に浮いて巨大な手で弄ばれているように感じて戦慄したのです。
私は震える膝を励まし、ここに来た目的とお代の条件について、話しました。答えはこうでした。
「すべて承知しています。“既知の未来”としてお伝えする事が女魔術師の勤め。世界に対しより積極的な働きかけをする所に占術師との違いがあるのです」
六角宝珠の女魔術師の言葉は、私の理解を超えていましたが、いまこそ目的を達する時だと本能が告げていました。高鳴る胸を押さえつつ、私は問いました。
「我が主、ペリシュ様の未来についてお答えいただきたく存じます。主人を待つ大いなる機会に対し、いま乗るべきか否か」
「よろしい。あなたの未来をお教えすることで示すことにいたしましょう。それは……」
ああ、女魔術師が2人いたという事についてですね。
今でもあれが本当のことなのかどうか、自分でもよくわからないのです。
六角宝珠の女魔術師は私に2つの道があると言いました。
ひとつは、主人とともにペリシュ家の隆盛のため身を捧げること。
もうひとつはずっと抱いていた夢に身を投じ、世界のより大きな流れの一部となること。
どちらにも試練があり、どちらにも希望はある。
どちらにも辿るべき道があり、どちらにも乗り越えるべき壁がある。
「前に進めば夢に、後ろに戻ればご主人の元に続く道が開かれます」
声は目の前と背後から同時に聞こえました。
振り返るとそっくり同じ六角宝珠の女魔術師が、もう一人私の後ろに現れていました。
驚きましたよ、それは。双子でも何でも無く、まるで鏡像のように存在するまったく同じ女魔術師だと、私にも何故かわかったのですから。
決断の時は来ました。
そう。私は、前に進んだのです。
次に目が覚めた時、私は宿屋のベッドにいました。
財布からは規定の料金のきっちり2倍の金が減っており、宿の者に聞いても私自身がこの宿にやってきて部屋をとったのだというのです。記憶にはないのに。
大いに畏れた私は、女魔術師に言われた通りにして無事帰還しました。従わなかったら一体どんな目に遭っていたのか想像もつきません。往路と違い、盗賊や魔獣の被害が街道でも頻発していましたから。
そして私は主人に吉兆を告げ(どちらにせよ希望がある選択だとお告げをいただきましたので)、そのあと暇乞いをしてペリシュ家を去りました。商談はうまく行ったと聞いております。
私には夢がありました。
でも私は恩を受けた主人を心から慕っておりましたし、気のあった仲間と過ごす日々はどんなに忙しくても苦だと感じませんでした。先輩、同僚からも強く引き留められましたから、その辛さは今でもこの身が引き裂かれる思いです。
ただ主人から最後にかけられた労いのひと言で、腑に落ちました。
「おまえはもう一人の自分の声に耳を傾けたのだな。もっと早くにそうしてくれても良かったのだぞ」と。
宝珠洞の女魔術師は皆、そっと私の背を押してくれたのです。そしてようやく決心がつきました。
私の夢、それはこの国の安定と平和のために身を捧げ、一助となること。
騎士となること。
商いが人の生活を潤すように、私はこの地上で剣を持って人々の暮らしを守りたいのです。
以上が私、フェイスがゴールドパラディンを志望するに至った経緯であります。
すべてはもう一人、商人としての私を捨ててのお願いです。
何卒お聞き届けいただければ幸いです、師団長殿。
----------------------------------------------------------
《今回の一口用語メモ》
女魔術師
かつてメイガスと呼ばれ、予知や予見に関する研究を生業としてきた魔術師たち。
はるかな太古、意志ある予言書「ケテルエンジン」を構築したのもメイガスたちだと言われている。
無神紀にあらゆる加護と魔法が弱まり、「ケテルエンジン」の予言機能が失われたが、メイガスたちはそれを動力機構として活用し、天空の島「ケテルギア」の構想実現に大きく寄与した。
天輪聖紀でも、ソーサレスの多くは天空の島に住み、「ケテルエンジン」の修復・改善の任に当たっている。
だが、その一部には、「在るべき未来」の実現のために特別な任務についている者もいるという。
----------------------------------------------------------
いいえ、騎士であるあなた様の問いに、どうして嘘をつく必要などございましょうか。
私は確かに見たのです。
あの魔女は確かに2人おりました。
そして魔女は見事言い当てたのです。……私の未来を。
聖都セイクリッド・アルビオンの東、長角山脈の北端に宝珠洞があります。
古い鉱山の跡にいつしか女魔術師たちが住み着いたもので、高い金品を要求する代わりにあらゆる人の未来を予見すると私も噂に聞いておりました。
「フェイスよ。誰よりも信頼するお前にひとつ頼みたいことがある」
私が主人の呼び出しを受けたのは、10日ほど前のことです。
「宝珠洞を訪ね、もっとも優れた女魔術師にわたしの今後を見てきてほしいのだ」
ご存じの通り、我が主人は聖都でも指折りの豪商。
つまりケテルサンクチュアリでも有数の富豪です。
「実はいま大きな商機を迎えている。ここで乗るべきか逸るべきか。決断を迫られている」
「ぜひとも未来からの良き助言がほしい。見料はケチらず必ず言い値の2倍払うように。急ぎ支度せよ」
私は命じられた通り、取る物も取り敢えず長角山脈へと旅立ちました。
未来を見るという女魔術師を求めて。
商いについて、未来を見る力を借りることの意義を私はひと時も疑いませんでした。私とて年の最初には御籤を引きますし、神殿から戴いたお守りも持ち歩いています。いつも果断に商売の決定を下す主人が、あえて女魔術師の予見の力を借りたいというのはよほど重要な案件なのだろうと思ったのです。
最も優れた女魔術師についても、途中の町で聞いた人が口々に“六角宝珠の女魔術師”を挙げてくれましたので、指名にも不安はありませんでした。
ですから、天空に浮く島ケテルギアを頭上遙かに仰ぎ見つつ、腰の剣を使うこともなくサンクチュアリ地方の田園風景をのんびり旅して宝珠洞にたどり着いた時、迎えてくれた女性に
「わたし、三角連想の女魔術師です。お待ちしていました、セイクリッド・アルビオンのフェイスさん。中にご案内します」
と言い渡されたのにはひどく驚き、困惑もいたしました。
宝珠洞は──私はてっきり棄てられた坑道のような場所を想像していたのですが──こちらケテルギアのように整備され、清潔で、輝きに満ち、まるでひとつの町のようでした。
三角連想の女魔術師は入口近くの建物に私を導くと、椅子を勧め、こう言いました。
そこは名の通り、三角の装飾が随所に施された部屋で、女魔術師は年齢こそ若く見えるのものの、杖を携えまっすぐに私を見つめるその瞳には深い叡智が宿っておりました。この人と話すうちにこちらの気持ちまで落ち着いてきたのを覚えています。
「そう、あなたのお名前はフェイス。ご出身はセイクリッド・アルビオン市内。ご両親はご健在。父上は剣術道場を営んでいらっしゃる。あなたは次男で幼いころからケテルの豪商ペリシュ様のお屋敷にご奉公されてきた。その剣の腕と経営を補佐するまじめな勤めぶりから周囲からの信頼も篤い。……あ、私は“過去を見る者”ですので驚かれるのも無理はありません」
ここからは驚きの連続でしたので、私の反応は省いてお話します。
「残念ながらここに直接いらっしゃらない方の未来を告げることは禁じられています」
「ですが貴方、フェイスさんの未来を見ることで、ご主人ペリシュ様への回答にもなる、との未来が見えています。こちらでいかがでしょうか」
私は悩みました。が、ここまではお代は不要とのことでしたので、結局勧められるままに次の建物へと進んだのです。なぜかは解りませんがこの時、彼女から頑張ってくださいと言葉をかけられました。
「四角重層の女魔術師……」
次に引き合わされたのは無口な女魔術師でした。
部屋も四角、杖の先も四角、そして髪飾りも四角なのかと感心しておりますと
「そこ、余計なことに気をとられない!」
叱られてしまいました。でもなぜか悪い気はしませんでした。ペリシュ家の使用人にも似た印象の娘がいましたので。その娘はひどい照れ屋さんでしたが……。いや、話が逸れました。
「あなたはいま問題を抱えている。解決の鍵は過去と未来の両方にある」
四角重層の女魔術師はさすがに重々しく “現在”について告げました。
「ほら、聞きたいことが顔に出すぎてる。焦りは禁物。それとこれ、ご主人ではなくあなたのことを言ってるのよ。きちんと聞いてなさい。いま使うべきはこの頭、腰の立派な剣ではないの」
四角重層の女魔術師はコツンと杖で私の頭を叩くと、
「まだ答えが出ない“現在”である以上、お代は要らないわ。五角閃光、この人を連れていって頂戴」
謎めいた言葉とともに、そこで次の女魔術師が呼ばれました。言われるまでもなく続きの未来も知りたかったので、次の女魔術師についていくことを選びました。
別れ際、四角重層の女魔術師がポツリと呟いた言葉が忘れられません。
「……がんばってね」
「五角閃光の女魔術師ですっ!よろしくお願いしまーす!」
なぜでしょう。私はこの人が話し始めた途端、気持ちが浮き立つのを感じました。
見かけは前の二人よりもさらに若い印象なのです。でも……
「お帰りの旅には気をつけてくださいね。街道を外れてはいけません。散財と負傷の相が見えます。くれぐれもご用心。これを防ぐには宿にわざと後2日逗留して出発を後らせたのちに、3番目に出会う隊商に頼んで同行させてもらうと良いでしょう。赤い羽根飾りが目印ですよ。常に隊商のリーダーの横を歩いてください」
例によって何もかもが五角形の部屋で、彼女が話し始めたのは何やらとても詳しい“近い未来”についてでした。でも私にはもっと聞きたいことがあったのです。切実に。
「それはまた後。六角宝珠様がお伝えしますからお代もご心配なく。それより……」
「忠告させてください。私たちは“起こり得る可能性”をお伝えするものです。選ぶのはあなた。素直な心で、自分を信じて」
頑張って、と手を握り締める五角閃光の女魔術師の熱意溢れる瞳に、私もつい勢いよく「はいっ」と答えてしまいました。
そして私はついにあの六角宝珠の女魔術師に会うことができたのです。
宝珠洞の最奥に、その場所はありました。
今までの女魔術師たちの部屋とはまったく別ものでした。彼女が立っているのは洞窟の行き止まり、玉座のように高くなった一角で、背後には岩にも金属にも見える“門”のようなモニュメント。部屋の形から彼女の帽子までもが六角でした。
そしてなぜかこの場所に入った瞬間から“機械”のイメージが頭から離れなくなりました。別にオイルの匂いも作動音もしていないのに、です。
「ようこそ宝珠洞へ。フェイスさん」
その声の深みと奥深さをなんと例えればよいのでしょう。私はまるで宙に浮いて巨大な手で弄ばれているように感じて戦慄したのです。
私は震える膝を励まし、ここに来た目的とお代の条件について、話しました。答えはこうでした。
「すべて承知しています。“既知の未来”としてお伝えする事が女魔術師の勤め。世界に対しより積極的な働きかけをする所に占術師との違いがあるのです」
六角宝珠の女魔術師の言葉は、私の理解を超えていましたが、いまこそ目的を達する時だと本能が告げていました。高鳴る胸を押さえつつ、私は問いました。
「我が主、ペリシュ様の未来についてお答えいただきたく存じます。主人を待つ大いなる機会に対し、いま乗るべきか否か」
「よろしい。あなたの未来をお教えすることで示すことにいたしましょう。それは……」
ああ、女魔術師が2人いたという事についてですね。
今でもあれが本当のことなのかどうか、自分でもよくわからないのです。
六角宝珠の女魔術師は私に2つの道があると言いました。
ひとつは、主人とともにペリシュ家の隆盛のため身を捧げること。
もうひとつはずっと抱いていた夢に身を投じ、世界のより大きな流れの一部となること。
どちらにも試練があり、どちらにも希望はある。
どちらにも辿るべき道があり、どちらにも乗り越えるべき壁がある。
「前に進めば夢に、後ろに戻ればご主人の元に続く道が開かれます」
声は目の前と背後から同時に聞こえました。
振り返るとそっくり同じ六角宝珠の女魔術師が、もう一人私の後ろに現れていました。
驚きましたよ、それは。双子でも何でも無く、まるで鏡像のように存在するまったく同じ女魔術師だと、私にも何故かわかったのですから。
決断の時は来ました。
そう。私は、前に進んだのです。
次に目が覚めた時、私は宿屋のベッドにいました。
財布からは規定の料金のきっちり2倍の金が減っており、宿の者に聞いても私自身がこの宿にやってきて部屋をとったのだというのです。記憶にはないのに。
大いに畏れた私は、女魔術師に言われた通りにして無事帰還しました。従わなかったら一体どんな目に遭っていたのか想像もつきません。往路と違い、盗賊や魔獣の被害が街道でも頻発していましたから。
そして私は主人に吉兆を告げ(どちらにせよ希望がある選択だとお告げをいただきましたので)、そのあと暇乞いをしてペリシュ家を去りました。商談はうまく行ったと聞いております。
私には夢がありました。
でも私は恩を受けた主人を心から慕っておりましたし、気のあった仲間と過ごす日々はどんなに忙しくても苦だと感じませんでした。先輩、同僚からも強く引き留められましたから、その辛さは今でもこの身が引き裂かれる思いです。
ただ主人から最後にかけられた労いのひと言で、腑に落ちました。
「おまえはもう一人の自分の声に耳を傾けたのだな。もっと早くにそうしてくれても良かったのだぞ」と。
宝珠洞の女魔術師は皆、そっと私の背を押してくれたのです。そしてようやく決心がつきました。
私の夢、それはこの国の安定と平和のために身を捧げ、一助となること。
騎士となること。
商いが人の生活を潤すように、私はこの地上で剣を持って人々の暮らしを守りたいのです。
以上が私、フェイスがゴールドパラディンを志望するに至った経緯であります。
すべてはもう一人、商人としての私を捨ててのお願いです。
何卒お聞き届けいただければ幸いです、師団長殿。
了
----------------------------------------------------------
《今回の一口用語メモ》
女魔術師
かつてメイガスと呼ばれ、予知や予見に関する研究を生業としてきた魔術師たち。
はるかな太古、意志ある予言書「ケテルエンジン」を構築したのもメイガスたちだと言われている。
無神紀にあらゆる加護と魔法が弱まり、「ケテルエンジン」の予言機能が失われたが、メイガスたちはそれを動力機構として活用し、天空の島「ケテルギア」の構想実現に大きく寄与した。
天輪聖紀でも、ソーサレスの多くは天空の島に住み、「ケテルエンジン」の修復・改善の任に当たっている。
だが、その一部には、「在るべき未来」の実現のために特別な任務についている者もいるという。
----------------------------------------------------------
本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡