ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
──ここで時計の針は10 日ほど過去へと戻る。
夕陽にきらめく水面を渡る風が、池に生える葦を穏やかに揺らしている。
うろこ雲の空を棹になり鉤になり群れをなして飛ぶ水鳥たちの鳴き声が、夏の終わりを告げていた。
「リノ!リノ!どこにいるの~?」
ローナの甘ったるい声に、焔の巫女リノはハッと目を覚まされた心地になった。
「ここよ、ローナ。ちょっと声を抑えてね」
唇に手を当ててそう答えるリノの傍らにはいつもの通り、足と尻尾が生えた不思議な卵サンライズ・エッグが、今は目を閉じて眠っている。
「あ。ごめん、ご本尊様、お昼寝中か。ね、そろそろレイユとゾンネが帰ってくるよ。ゴハンを作ってあげなきゃ」とローナ。
「うん、そうね。準備しましょう。一番お腹を空かせてる誰かさんのためにもね」
ローナは明るい笑い声をあげた。食いしん坊のローナはありあわせの材料から皆を喜ばせる料理を作るのも得意だ。仲のいい二人らしい掛け合いだった。
リノは彼女が守護する卵の眠りを乱さないように、そっと身を起こすと少し離れた場所に設けたキャンプ地まで、連れだって歩いて行く。テントの周りには近隣の町や村から寄せられた様々な物資が、雨風を防がれて整然と積まれている。
リノたち焔の巫女一行は今、ドラゴンエンパイアのほぼ西端、ベリガル村の郊外にいる。
巫女たちの本山である暁紅院から、“竜の卵(サンライズ・エッグ)とともに世界の実相を見極める旅”に出て、はや半年あまり。ひっそりと諸国を巡るという計画は開始早々、方針変更を余儀なくされていた。
『4人の巫女と歩く卵の一行がこの天輪聖紀の世に希望を広める旅をしている』
これが、ト=リズンの町のお祭りで派手な立ち回りを演じて以来、ドラゴンエンパイア中西部に広がり始めた噂だ。その結果、リノたちは行く先々で歓迎され、その集落に作られた祭壇にでんと鎮座したサンライズ・エッグの周りで、人々の悩みを聞き、ともに祈り、あるいは病や怪我を癒やしてあげること(巫女は優れた薬医でもある)が彼女たちの最大の仕事となっていた。
特に村ごとまとめて診察や相談を求められた時など、彼女たちは目が回るほどの忙しさだった。
「これじゃ“迷子に道を聞く”だよ。導師が言っていた《天輪聖竜》様の目覚めなんていつになるんだかさぁ」
今はここにいないゾンネ(今日はレイユとともにベリガル村の灌漑設備改良の指導に行っていた)がこう言ったように、巫女たちとしては世界に希望の芽を求める旅のつもりが、希望を欲する人々と話し支えとなる旅になっていた。
「いいえ。もし私たちがこの仕事に一生のすべてをかけたとしても導師様は喜んでくださるわ、きっと」とゾンネの嘆きにレイユは答えたのだった。
この旅で今のところ最も変わったのが焔の巫女レイユだ。
一行のとりまとめ役として、当初から贅沢を戒め、人目を避けるように厳しく巫女たちを律していたレイユが、今は率先して病人を癒やし、時間を惜しむことなくもてる知識と技を、孤立しがちな集落の役に立てようと努めていた。最初は頑なに拒んでいた貢ぎ物さえ、それをそのまま他の貧しい町村や困った旅人の助けに当ててみてはどうかとリノが提案すると、小規模ながらも信頼できる地域互助システムを作り上げてしまった。
思えば……とリノは気がついた事がある。
暁紅院で(卵に仕える祭祀以外にも)日頃から厳しく学ばされてきた諸芸は、人界から隔絶した隠者の暮らしの知恵のように見えて、実は武芸を含めて“独りで立ち、共に生きる”ための技術や知識ばかりだった。
希望の種の撒き人。
善意を互いに助け合う力に変える乙女たち。
いまの焔の巫女たち4人はいわば「国境なき癒やし手」とも呼ぶべき存在だ。この点では、巫女たち自身より民衆のほうが焔の巫女の真価を正しく見抜いていたと言えよう。ただ残念なことにその国境までは行ってみたものの、ケテルサンクチュアリ側からは目的がはっきりしないという理由で入国許可をもらえなかったが……。
「さぁ、ローナ。火を起こすから手伝って」
大人数が来ても充分に煮炊きできる竈の前で、リノは相手を見ずに手を差し伸べた、いつもならすぐに火口箱か火付け藁が手渡される。
だが……
この日、この夕べにリノの手に触れたのは硬質な、小さい手だった。それは彼女が知る一行のもう一人(いまはいつも通り気まぐれに姿を消していた)に似ていたが、その手の冷たさと次にかかった声でそれがトリクスタの悪戯ではないことがわかった。
「見ているよ、リノ。いつも君のことを」
「えっ、何のこと!?」
リノは振り返って恐怖した。いや振り向く前からわかっていたのだ。声も姿もそっくりだが、彼女が知る者とはまったく正反対の存在が、背後からリノの手を握っていた。冷徹で陰鬱なそれは──
黒いトリクスタ。
「リノ、僕からの贈り物を受け取ってほしい。つまり、深き“絶望”を」
「あなた誰!?」
「トリクムーン」
そう呟いた黒いトリクスタ、トリクムーンの背後で隻眼の竜が地上をかすめ、獲物をさらった。まるで猛禽が捕食するような鮮やかで無駄のない動き。それを見て、竈の反対側にいたローナからも悲鳴が上がった。
その爪に掴まれていたのは──。
イヤな予感がする。
トリクスタは焔の巫女たちのキャンプへと急いでいた。いつもの散歩からの帰りだった。惑星クレイの土地や住民にはいつも何かしらの発見があったから、トリクスタは焔の巫女たちとつかず離れず旅しながらも、気の向くまま周囲をうろつきながら一人の時間を過ごすのが好きだった。
低空を飛ぶトリクスタの下で葦がそよぐ。葦原はサンクチュアリ地方南部ではありふれた眺めだ。
そんな平穏な風景を斬り裂くように、キャンプ地から悲鳴と叫びがあがった。
「泥棒──!!」
しまった、間に合わなかったッ。
リノの叫びが聞こえた時、トリクスタには珍しい感情、後悔の念が湧いた。
大小2つの影がキャンプ地から飛び立ち、みるみる東へ、空の彼方へと去ってゆく。
そのうち小さい黒い影はこちらを振り返ると、ふっと姿を消した。どうやらトリクスタと同じような力をもっているらしい。
残る大きな影に掴まれているのは卵だ。
サンライズ・エッグを盗もうとするなんて、とんでもないヤツ。それにしてもなぜこのボクに接近する気配を今まで感じさせなかったのか?
「トリクスタ!ご本尊様を取り戻して!」
地上からリノの声がかかった。言われるまでもない事だけれど、トリクスタの力にはリノや巫女たちの希望、願う心が必要なのだ。
「うん!その願い、ボクが叶えよう!」「お願いっトリクスタ!!」「まかせて!」
リノの希望を力に変え、トリクスタはヴェルリーナへと変化する。
Illust:前河悠一
さらに加速を重視してヴェルリーナ・アルクスへ。
この半年、リノたちとともに弱きを守り悪を挫く戦いに身を投じるうちに身につけたヴェルリーナの新たな姿と力だ。
Illust:前河悠一
他にも旋回性能、低空での安定性を重視するならヴェルリーナ・エルガー、接近戦ならばヴェルリーナ・バリエンテという選択肢もある。それらの変化と特性をトリクスタ=ヴェルリーナはまるでドラゴンエンパイアの街道を走る自動車が変速するように自由自在に使いこなしていた。
ぐんと風を切るスピードが増して、卵を掴んで飛ぶ竜との距離が一気に詰まる。
こちらの姿とスピードに驚く隻眼の竜の顔が見えるまで迫った時、相手を強敵と看破したトリクスタ=ヴェルリーナは再び変化。半人半馬型のヴェルリーナ・エクスペクターとなって、右手の槍を激しく突き込んだ。
Illust:北熊
その時──
バィイン!!
音にするとそのような物凄い衝撃を受けて、ヴェルリーナ・エクスペクターが弾け飛んだ。
まるで突然、空中に見えない壁が現れ、ヴェルリーナを跳ね返したようだった。
「ぐっ!なんだこれは!」
だが、まだ引き離されてはいない。ヴェルリーナはサンライズ・エッグを掴んだ隻眼の竜を追う。
さらに次の瞬間──
ヴェルリーナ・エクスペクターは本能だけの動きで、左腕の盾をあげた。
ガシィィッ!!
今度ははっきりと鋼がかみ合う音と衝撃があり、ヴェルリーナは空中から地上の沼に叩き落とされた。
まるで巨大な剣の斬撃を受けたかのようだ。
そして──
“退きなさい、シルンガ!”
天から何者とも知らない女性の声が響いたかと思うと、隻眼の竜の姿は見えないトンネルにでも入ったかのように消えた。サンライズ・エッグとともに。
「何なんだ、一体……」
トリクスタは変化を解いて、葦の間から顔をあげた。
まだ全身に痛みがある。あれは、とっさに盾で守っていなければ死んでいたかもしれない一撃だった。もっともトリクスタは死とはどんなものかをよく知らなかったのだが……。
「あーあ、リノたちになんて言えばいいんだろ……」
焔の巫女たちが何よりも大事にしている天輪竜の卵、サンライズ・エッグは奪われてしまった。
希望をくじかれ、がっくりと肩を落とすトリクスタの頭上を、水鳥の群れが渡っていった。
その夜。
ドラゴンエンパイア中西部、新竜骨山系のとある氷穴。
全身に鎖をまとった竜たちが、洞窟の奥を守っていた。
トリクムーンは、その精悍な竜の衛兵をまるでいないかのようにすり抜けて(本来、鋭敏な感覚をもつ竜たちもトリクムーンに気がつかないようだった)、洞窟の最奥に達した。
その部屋は寝室らしく、今はまったく明かりがなかったが、トリクムーンの視力ならば闇を見通すことは容易い。
藁のベッドに柔らかな毛皮に包まれ、大きな卵を抱いて眠る、一人の人間の少女がいた。
知る者がここにいたら覗き込んで、驚きの声をあげたに違いない。
その少女の寝顔は、焔の巫女リノに酷似していた。
そのためなのか、胸に抱かれた卵サンライズ・エッグも、まったく警戒することなくすやすやと眠っている。
トリクムーンは少女を見つめたまま、彫像のように立ち尽くしていた。
とても長い時間。
やがてその口から感情のない声が流れ出た。氷穴を抜ける風のように冷たく微かな音が。
「世界なんて滅べばいい。君がそう望むなら」
黒いトリクスタは硬く冷たい手を伸ばし、毛皮を掛け直した。その顔はまったくの無表情のまま。
「おやすみ、リノリリ」
少女が寝返りをうった時、寝室にも氷穴にも黒いトリクスタの姿はなかった。
すべては、秋の夜が見せた幻だったかのように。
了
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《今回の一口用語メモ》
封焔
封焔竜と封焔の巫女が確認されている。封焔竜とはドラゴンエンパイアの中でも無神紀の長い間、絶望的な世界を孤独に見つめ続けた竜たちであり、バヴサーガラによって見いだされ、生まれ変わらされた際に体内に己が身をも焼き尽くすほどの強烈なエネルギー=昏い焔を蓄えている。その封焔竜を率いるのは“絶望”からの救済を旗印としてドラゴンエンパイア南部に勢力を増している「封焔の巫女バヴサーガラ」。巫女は年若い人間の少女であるというが、封焔竜はバヴサーガラを唯一絶対のリーダーとして崇めているという。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡