ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
郷に入りては郷に従え、と言う。
「こんにちはー!“星々の門を超えてあなたの玄関まで”シュレディンガーキティの荷物お届けでーす!」
それでも僕は、丑三つ時の墓地でいつもの口上を叫ぶのを止めなかった。
「ユーファさん!お荷物のお届けでーす。いらっしゃいますかー?」
陽気な呼びかけに答えるように、墓場に漂う瘴気が渦を巻いた。どこかで獣の鳴く声がする。草むらが不気味に揺れる。ここは深夜の墓地なのだ。闇を照らすのは小さな僕の携帯ライトだけ。
……。
怖かったかって?
そりゃあ怖いよ。でもこれが仕事だもの。
「お留守ですかー?」
僕はことさら声を張った。
伝票を残して引き返す手もあったができれば繁忙期の今、スケジュールからしても再配達は避けたい。そもそもどこに不在伝票を置けばいいのか。墓石の上か、鉄柵の合わせ目?いや無理だ。この瘴気では数分ももたず散り散りになってしまうだろう。
最後にもう一度、僕は宛名をフルネームで呼んでみた。これでダメなら引き返すしかない。
「廉潔の聖光ユーファさーん!お荷物のお届けでーす」
「はーい。ご苦労様です」
応答は背後からあった。
瘴気たちこめる夜闇の中で本日のお届け先、ユーファさんはにっこり微笑んでいた。
キラキラと輝く白い光の粒に囲まれて。
Illust:齋藤タヶオ
荷物を受け取ったユーファさんは少し休んでいきなさいと言い、僕はその言葉に甘えることにした。この闇の中、安らかな光に囲まれたユーファさんの元からすぐには離れがたかったのが正直な所だ。
「そうですか。ここまで大変だったでしょう」
「いいえ、どんな所でもお客様に荷物をお届けするのが僕の務めですから」
僕はここまでの果てしない沼地の踏破行を思い出しながら答えた。
「素敵なお仕事ですね。はい、どうぞ」
ユーファさんはお茶道具一式を広げて淹れた、白く湯気のたちあがるお茶をすすめてくれた。
空き地に敷かれた布の上、真夜中の墓地に僕らは向かい合って座っている。
「い、いただきまーす……」
僕は用心しいしいカップに口をつけた。
失礼にならない程度に、飲む振りだけで済ませるつもりだった。
“夜の墓地の門を叩く者。其処は死者の世界と心得よ”
ダークステイツのことわざだ。
郷に入りては郷に従え、という意味らしい。
もう一つ。
“死者の国のものを摂るなかれ”
そう。僕らの国の子供たちは皆、墓場では何も口にするなと大人から教えられる。罰が当たるよ、と。僕の場合はそれはお祖母ちゃんだったけど。本当の所その理由は、ここ暗黒地帯では死者が憩う墓地にたちこめる瘴気があまりに濃いために、一度に体内に取り込まれすぎると生者にとって毒になることもあるからだと言う。
「あ、おいしい」
ところが、一口目で僕はお祖母ちゃんの言いつけをあっさり忘れ、あとは夢中で飲み干した。これは後で何か罰があたるかな。
湯気が立っているのにその飲み物は冷たかった。
冷たかったのだけど、喉を通り過ぎるときに得も言われぬ芳しい香りと……なんだろう、爽やかな風のようなものが身体を駆け巡るのを感じる。
「もう一杯、いかがですか」
「いただきます!」
僕はことわざも警戒心も忘れて、ポットから注がれる不思議なお茶を見つめた。ふと気になってユーファさんを見る。
「ただのお茶ですよ。この森の外れに生えている香草を混ぜて煎じたもので」
ユーファさんは、僕の無言の問いを見事に読み取っていた。
「瘴気で火が点きづらいのが、ちょっと手間かな。さ、どうぞ」
「ありがとうございまーす」
僕はお礼を言って、冷たく爽やかなお茶を啜り、飲み干した。
「そのお茶には二つの効果があります」
はい?と僕は首を傾げた。
「ひとつは疲労を回復し、傷を癒やします。茨のひっかき傷、もう塞がっていますよ」
はっとなって僕は猫マークの制服の裾をあげた。
その言葉通り、墓地の入り口に密生していた茨を通り抜ける時についた、かすり傷はもう跡形もなかった。
「もうひとつの効果。それは……」
背中に冷たい汗がつたった。
いる。
座っている僕の背後すれすれに、何か恐ろしいモノが掴みかかろうとしている。それは霊感のない、ただの人間の僕でも感覚でわかるほど強力で邪な存在だった。
「あぁ振り向いちゃダメですよ~。目が合うと魂持ってかれますからね」
顔をあげると光の中、ユーファさんは優しく微笑んでいた。僕の怯えた心が癒やされる心地がした。
そしてゆっくりと、ゆっくりと背後の“恐怖”が遠ざかってゆく。
「お茶の効果、その二は魔除けです。ここのお墓には亡くなった方以外にも時々、こういうお客様がいらっしゃるので」
お客とは僕のことだろうか、それとも背後の“あれ”のことか。
「さぁお休みなさい。荷物をどうもありがとう」
この夜について僕が覚えているのはここまでだ。
強烈な眠気に襲われる中、僕は墓地にふさわしくない白く柔らかな光だけを感じていた。
「これで帰り道も安心ですよ」
その声は本当に僕の耳に聞こえたものだったろうか。
目が覚めると瘴気は薄れ、朝日が空を青く染めていた。惑星クレイの空を彩る大小様々な星の下、僕は目覚めた。
確かに向かい合って話したはずの誰かの姿もお茶道具も敷布も、すでに影も形もなかった。
でも僕はさっきまでのことが夢でないと知っていた。
それは喉に残る爽やかな味と、活力がみなぎる身体。
そして心を満たす満足感だ。僕はなぜか、もの凄い危険を誰かの助けで回避したことを知っていた。
ただ、その人の名前がどうしても思い出せなかった。
朝日にかざして、伝票の控えを見直してみる。
依頼主も受取人もきれいなまでに消えていた。
受け取りのサインだけ“Y”と印してあった。
……まぁいいか。
これで配達も一件、完了。こんな事も僕らの仕事ではよくある話だ。
僕は勢いよく立ち上がって、墓地のどこかにいる相手に向かって声を上げた。
「“星々の門を超えてあなたの玄関まで”。シュレディンガーキティのご利用、ありがとうございましたー!」
さぁ帰ろう。今日もどこかでまた新しい荷物が届けられるのを待っている。
※註.刻限(丑三つ時)や時間、アルファベットについては地球の言語・単位に変換した※
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《今回の一口用語メモ》
シュレディンガーキティ
多国籍運送会社。天輪聖紀からサービスが始まったダークステイツとブラントゲートの合弁会社である。
もともとの始まりは、天輪聖紀となって魔法と加護が復活した惑星クレイにおいて、長らく沈滞していた星間交流が活気を取り戻し始めたことにある。
この時、異星文明のエイリアンたちの娯楽として盛り上がったのがブラントゲートの「ノヴァグラップル」である。続いて注目を集めたのがサーカス団「ペイルムーン」と超過激スポーツ「ギャロウズボール」を擁する魔法王国ダークステイツ。魔法を基幹としたダークステイツのエキゾチックな文化と観光が異世界文明の目に触れ、注目を集めた。
ここでダークステイツの魔王と、ブラントゲートの星間企業が意気投合し、提携・研究機関を発足。成果物として、魔法と科学を組み合わせて、異星文明都市から惑星クレイまで、短時間かつ驚異的な安全率ときめ細かいサービスを実現した少量輸送が生まれた。(時代の流れとしてダークステイツの魔王が内戦を止め、各々の利益と富を増すことに注力できる環境となったことも大きい)
その技術を生かし誕生した星間宅配便は、瞬く間に広まり、惑星クレイを含む様々な星で独特の企業マークを目にするようになった。
“星々の門を超えてあなたの玄関まで”。それが「シュレディンガーキティ」のモットーである。
ノヴァグラップルとノヴァグラップラーについては
→ユニットストーリー010「グラナロート・フェアティガー」、050世界樹篇「軋む世界のレディヒーラー」も参照のこと。
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「こんにちはー!“星々の門を超えてあなたの玄関まで”シュレディンガーキティの荷物お届けでーす!」
それでも僕は、丑三つ時の墓地でいつもの口上を叫ぶのを止めなかった。
「ユーファさん!お荷物のお届けでーす。いらっしゃいますかー?」
陽気な呼びかけに答えるように、墓場に漂う瘴気が渦を巻いた。どこかで獣の鳴く声がする。草むらが不気味に揺れる。ここは深夜の墓地なのだ。闇を照らすのは小さな僕の携帯ライトだけ。
……。
怖かったかって?
そりゃあ怖いよ。でもこれが仕事だもの。
「お留守ですかー?」
僕はことさら声を張った。
伝票を残して引き返す手もあったができれば繁忙期の今、スケジュールからしても再配達は避けたい。そもそもどこに不在伝票を置けばいいのか。墓石の上か、鉄柵の合わせ目?いや無理だ。この瘴気では数分ももたず散り散りになってしまうだろう。
最後にもう一度、僕は宛名をフルネームで呼んでみた。これでダメなら引き返すしかない。
「廉潔の聖光ユーファさーん!お荷物のお届けでーす」
「はーい。ご苦労様です」
応答は背後からあった。
瘴気たちこめる夜闇の中で本日のお届け先、ユーファさんはにっこり微笑んでいた。
キラキラと輝く白い光の粒に囲まれて。
Illust:齋藤タヶオ
荷物を受け取ったユーファさんは少し休んでいきなさいと言い、僕はその言葉に甘えることにした。この闇の中、安らかな光に囲まれたユーファさんの元からすぐには離れがたかったのが正直な所だ。
「そうですか。ここまで大変だったでしょう」
「いいえ、どんな所でもお客様に荷物をお届けするのが僕の務めですから」
僕はここまでの果てしない沼地の踏破行を思い出しながら答えた。
「素敵なお仕事ですね。はい、どうぞ」
ユーファさんはお茶道具一式を広げて淹れた、白く湯気のたちあがるお茶をすすめてくれた。
空き地に敷かれた布の上、真夜中の墓地に僕らは向かい合って座っている。
「い、いただきまーす……」
僕は用心しいしいカップに口をつけた。
失礼にならない程度に、飲む振りだけで済ませるつもりだった。
“夜の墓地の門を叩く者。其処は死者の世界と心得よ”
ダークステイツのことわざだ。
郷に入りては郷に従え、という意味らしい。
もう一つ。
“死者の国のものを摂るなかれ”
そう。僕らの国の子供たちは皆、墓場では何も口にするなと大人から教えられる。罰が当たるよ、と。僕の場合はそれはお祖母ちゃんだったけど。本当の所その理由は、ここ暗黒地帯では死者が憩う墓地にたちこめる瘴気があまりに濃いために、一度に体内に取り込まれすぎると生者にとって毒になることもあるからだと言う。
「あ、おいしい」
ところが、一口目で僕はお祖母ちゃんの言いつけをあっさり忘れ、あとは夢中で飲み干した。これは後で何か罰があたるかな。
湯気が立っているのにその飲み物は冷たかった。
冷たかったのだけど、喉を通り過ぎるときに得も言われぬ芳しい香りと……なんだろう、爽やかな風のようなものが身体を駆け巡るのを感じる。
「もう一杯、いかがですか」
「いただきます!」
僕はことわざも警戒心も忘れて、ポットから注がれる不思議なお茶を見つめた。ふと気になってユーファさんを見る。
「ただのお茶ですよ。この森の外れに生えている香草を混ぜて煎じたもので」
ユーファさんは、僕の無言の問いを見事に読み取っていた。
「瘴気で火が点きづらいのが、ちょっと手間かな。さ、どうぞ」
「ありがとうございまーす」
僕はお礼を言って、冷たく爽やかなお茶を啜り、飲み干した。
「そのお茶には二つの効果があります」
はい?と僕は首を傾げた。
「ひとつは疲労を回復し、傷を癒やします。茨のひっかき傷、もう塞がっていますよ」
はっとなって僕は猫マークの制服の裾をあげた。
その言葉通り、墓地の入り口に密生していた茨を通り抜ける時についた、かすり傷はもう跡形もなかった。
「もうひとつの効果。それは……」
背中に冷たい汗がつたった。
いる。
座っている僕の背後すれすれに、何か恐ろしいモノが掴みかかろうとしている。それは霊感のない、ただの人間の僕でも感覚でわかるほど強力で邪な存在だった。
「あぁ振り向いちゃダメですよ~。目が合うと魂持ってかれますからね」
顔をあげると光の中、ユーファさんは優しく微笑んでいた。僕の怯えた心が癒やされる心地がした。
そしてゆっくりと、ゆっくりと背後の“恐怖”が遠ざかってゆく。
「お茶の効果、その二は魔除けです。ここのお墓には亡くなった方以外にも時々、こういうお客様がいらっしゃるので」
お客とは僕のことだろうか、それとも背後の“あれ”のことか。
「さぁお休みなさい。荷物をどうもありがとう」
この夜について僕が覚えているのはここまでだ。
強烈な眠気に襲われる中、僕は墓地にふさわしくない白く柔らかな光だけを感じていた。
「これで帰り道も安心ですよ」
その声は本当に僕の耳に聞こえたものだったろうか。
目が覚めると瘴気は薄れ、朝日が空を青く染めていた。惑星クレイの空を彩る大小様々な星の下、僕は目覚めた。
確かに向かい合って話したはずの誰かの姿もお茶道具も敷布も、すでに影も形もなかった。
でも僕はさっきまでのことが夢でないと知っていた。
それは喉に残る爽やかな味と、活力がみなぎる身体。
そして心を満たす満足感だ。僕はなぜか、もの凄い危険を誰かの助けで回避したことを知っていた。
ただ、その人の名前がどうしても思い出せなかった。
朝日にかざして、伝票の控えを見直してみる。
依頼主も受取人もきれいなまでに消えていた。
受け取りのサインだけ“Y”と印してあった。
……まぁいいか。
これで配達も一件、完了。こんな事も僕らの仕事ではよくある話だ。
僕は勢いよく立ち上がって、墓地のどこかにいる相手に向かって声を上げた。
「“星々の門を超えてあなたの玄関まで”。シュレディンガーキティのご利用、ありがとうございましたー!」
さぁ帰ろう。今日もどこかでまた新しい荷物が届けられるのを待っている。
了
※註.刻限(丑三つ時)や時間、アルファベットについては地球の言語・単位に変換した※
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《今回の一口用語メモ》
シュレディンガーキティ
多国籍運送会社。天輪聖紀からサービスが始まったダークステイツとブラントゲートの合弁会社である。
もともとの始まりは、天輪聖紀となって魔法と加護が復活した惑星クレイにおいて、長らく沈滞していた星間交流が活気を取り戻し始めたことにある。
この時、異星文明のエイリアンたちの娯楽として盛り上がったのがブラントゲートの「ノヴァグラップル」である。続いて注目を集めたのがサーカス団「ペイルムーン」と超過激スポーツ「ギャロウズボール」を擁する魔法王国ダークステイツ。魔法を基幹としたダークステイツのエキゾチックな文化と観光が異世界文明の目に触れ、注目を集めた。
ここでダークステイツの魔王と、ブラントゲートの星間企業が意気投合し、提携・研究機関を発足。成果物として、魔法と科学を組み合わせて、異星文明都市から惑星クレイまで、短時間かつ驚異的な安全率ときめ細かいサービスを実現した少量輸送が生まれた。(時代の流れとしてダークステイツの魔王が内戦を止め、各々の利益と富を増すことに注力できる環境となったことも大きい)
その技術を生かし誕生した星間宅配便は、瞬く間に広まり、惑星クレイを含む様々な星で独特の企業マークを目にするようになった。
“星々の門を超えてあなたの玄関まで”。それが「シュレディンガーキティ」のモットーである。
ノヴァグラップルとノヴァグラップラーについては
→ユニットストーリー010「グラナロート・フェアティガー」、050世界樹篇「軋む世界のレディヒーラー」も参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡