ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
夕靄に煙る川のほとり。森の奥深く。
リアノーンは農園を囲む柵の前に立っていた。
『グランフィア』
それは表札なのだろうか。彼女はしばらく文字を見つめてから、木戸を押して中に歩み入った。
ほどなく最初の邂逅があった。その人物は畑のカボチャを愛おしげに撫でていた。自分の子供のように。
「おんやぁ、リアノーン様。大変ご無沙汰で~」
そう言う庭師の顔もカボチャだった。(注.ストイケイア国では別段驚く事でもない。なにしろ空には妖精が飛んでいるし大学の学者は獣人であるし街道には旅人を脅かす改造昆虫怪人も出没するのだから)
穏やかな冬の陽差しの下、麦わら帽子には小鳥が止まって囀っている。ここは農業の国ストイケイアでも常春で知られる地域であり、植物の楽園だ。
Illust:樹人
「お久しぶりです、ファーミンさん。カボチャさんたちは元気ですか」
と満開の大行進リアノーン──ストイケイアに名高い『世界樹の音楽隊』のドラムメジャー──はドリアードに笑顔で呼びかけた。どうやら二人は旧知の仲らしい。
「はぁ~、おかげさまで良い出来です」とカボチャ庭師がゆったりと喋る。
「それは何よりです。あの……グランフィアさんはどちらに?」
「あぁ~、ご領主さまでしたら、お屋敷におられますだよ~」
庭師は手袋をはめた腕で森に伸びる道を指した。それはリアノーンにとっても馴染みの道だった。
「ありがとうございます!」
「はいはい、ではお気をつけてぇ」
カボチャを育むカボチャ庭師ののどやかな言葉の響きとリズムに、リアノーンは思わず和んだ。
道は深い森に入った。
リアノーンの目の前で獣人の少年がこちらに手を差し伸べている。
その手に足に森の精霊たちがじゃれつく。少年は森を愛し、また森に愛されていた。
Illust:黒井ススム
「さぁ行くよ!リアノーン、僕についてきて!」
その姿が薄らぎ、夕方の光に消えてゆく。もちろんこれは幻だ。まだ彼女が迷いもなく、ただ楽しく自分の務めに励んでいた頃の……。
どれくらい立ち止まっていたのだろう。やがてリアノーンは小さな嘆息をつくと歩き出した。
領主の屋敷は農地の中心、広い庭園を見下ろす小高い丘の上にあった。
花畑を歩くリアノーンの前に、また幻影が現れる。
獣人の男の子。森の幻よりさらに幼い頃のことだ。
明らかに持て余す大きさの如雨露で一生懸命、水やりをしている。
皆が笑顔でいて欲しい。胸に芽吹いた、純粋な想い。それを見つめる優しい視線。
そうだ。いつも見守られていたのだ。私は仲間に。この子は家族に。
大切な思い出というものは時に、自分の中で当たり前になりすぎて、それがどれほど得がたいものだったのかを忘れてしまいがちだ。
Illust:黒井ススム
「ご主人様。リアノーン様がいらっしゃいました」
古風だが手入れのいき届いた屋敷を案内してくれたランラン・オランジェリンが高い声で告げると、中からはひと言。
「お入り」とだけ答えがあった。
「失礼します」
リアノーンがドアを開けると懐かしい顔がこちらを見ていた。聡明さがあふれるような美しい青年である。
Illust:黒井ススム
「満開の大行進リアノーン」
「俊英の賢狼グランフィア様」
バイオロイドと狼獣人二人は呼び合い、手を取り合って笑顔になった。
「“様”だなんて。長いお付き合いでしょう」
「でも今はこちらのご領主。……お父様のこと、お悔やみ申し上げます」
「恐れ入ります。さぁ掛けて。お茶は?」
「いただきます」
オランジェリンは二人のためにオレンジのフレーバーティーを用意してくれていた。
「突然お訪ねしてしまって」
「いつでも歓迎です。我が家の大切なお友達ならまして、ね」
リアノーンは書斎を見渡した。ここに来るのは彼の父親が健在だった頃以来だ。何年ぶりだろうか。
「また本が増えましたね。もう全部?」
読んだのかという問いに、若狼の獣人はいいえと笑った。
「頑張ってるけどまだとても無理ですよ。読めば読むほど僕は何も知らないんだと思い知らされる」
「とても勉強家ね」
「でも最近、思います。勉学だけで、本当に良き領主となれるのだろうかと。……父上のような」
「もう少し早く来られれば良かったのだけど」
グランフィアは首を振ると、ご多忙の所来てくださったこと、きっと父も喜んでくれますと礼を返した。
「父上は、世界樹と対話し力づける『世界樹の音楽隊』とあなたの仕事を尊いものだといつも称えていました。お聞きしましたよ。セイクリッド・アルビオンでのご活躍」
リアノーンははにかんだように笑ったが、その顔には翳りがあった。彼女の悩みもまた力不足を痛感したことにあったからだ。
「異国の出来事、僕に聞かせてください。頂の天帝バスティオン、破天の騎士ユースベルク、魔宝竜ドラジュエルド、封焔の巫女バヴサーガラ、焔の巫女リノ、そして天輪竜のこと。あなたは歴史の目撃者だ。それは生きている知識だ。たくさん聞かせて。ね、いいでしょう。……リアノーン?」
グランフィアは家臣の前では見せない、幼馴染みの相手に対する弾んだ様子で話をせがんで、そして相手の様子に気がついた。
「……」
「すみません。独りが長すぎたのか、ついはしゃいでしまって……これではまた父上に叱られますね」
リアノーンが少し慌てて何か言いかけるのを、若き主人は笑顔で抑えた。
「お疲れのようです。食事のあと、お部屋にご案内しましょう」
燭台と彼女の荷を持って立つ姿には父の跡とそしてこの館を背負うべくして生まれついた者の威厳と思慮が備わっていた。
「リアノーン、あなたにぜひご覧いただきたいものがあります。明日の朝、庭でお待ちしていますよ」
──翌朝。
リアノーンは早く起きて屋敷のまわりを散策していた。
寝室は清潔でベッドも心地よく窓からは陽も爽やかに差しこみ、朝夕に饗された花の蜜や焼きたてのパンもさすがは名高いグランフィア農園の新鮮な逸品──半人半植物であるバイオロイドにとってこれ以上のもてなしはない──と、一刻も早く古い友人グランフィアに心からの礼を伝えたい気分だったのだ。
久々の深い眠りであり、穏やかな目覚めだった。
リアノーンが『世界樹の音楽隊』の仲間の勧めで休暇を取り、一人この古い馴染みの農園を訪ねた目的のひとつは、各地からの招待に答えて世界を巡る多忙なスケジュールに疲れきった心身を休めたかったというものだが、この館の温かい饗応、そして友情と思いやりが溢れる心づくしだけでも思い切って訪ねた甲斐を感じるものだった。
「新しき朝の訪れ。今日もまた地の恵みに感謝を捧げつつ、我らは生きてゆく。平和と豊かな実りとともに」
その声は決して大きくはなかったが、低く力強く、庭にそして農園に広く響いていた。
リアノーンはその声の方向へと歩いて行った。
Illust:黒井ススム
「いま終わりの始まりの島から警鐘が鳴らされ、大地にも不穏の気配を感じる。世界は変わりつつある」
正装した若き領主グランフィアの前で、屋敷の前庭に勢揃いした庭師たち、パンプキンやオランジェリン、エンドウ、マッシュルームたちが真剣な顔でその言葉を聞いていた。
「この変化に際して我らが森厳なる薔薇の園、父祖伝来の土地も我ら自身の手で守らねばならない。皆の力を貸してくれ」
おーっ!
パンプキンの手袋やオランジェリンの杖などが掲げられる。
「すでに知っている者もいると思うが、客人としてここに古き友も訪れている。世界樹の心を知る者、満開の大行進リアノーン」
わーっ!
庭師たちの歓声があがり、振り向いたグランフィアに手で差し招かれて、リアノーンは目をぱちくりさせた。
「彼女こそケテルサンクチュアリの白き世界樹を救う鍵となった存在。次、世界に危機が迫るときも我が友リアノーンこそ、植物を愛する我らの旗印となるであろう」
手を把られ、庭師と植物たちの前に立ったリアノーンは笑顔だった。
あえて昨夕の轍は踏まない。古い友人グランフィアにさえリアノーンの笑顔の後ろにある何かを感じ取れないはずだ。
「高貴なる薔薇!」
領主グランフィアの呼びかけに、馥郁たる香りを振りまきながら、この地の名ともなっている薔薇の貴婦人たちが立ち上がった。トゲもつ美しい家臣達はみな領主を見つめている。
Illust:山崎太郎
「汝ら、我が庭園を彩り、そして守護する者。我が愛しの薔薇よ!共に美しき大地を護ろう!」
声なき歓声が白と赤の戦士たちからあがり、庭師たちのそれと混じって朝の農園を震わせた。
「平和を求めようとする者、戦に備えるべし。力なき平和は続かず、脅威に臨まざる者には滅びあるのみ!」
リアノーンははっと顔を上げた。
家臣に呼びかけ、未来を見据える領主グランフィアは、彼女が知っていた子供、かつて家族に見守られながら森や庭で遊んでいた少年ではなかった。民を慈しみ、その平和と安寧の責任を背負うひとりの大人だったのだ。
「リアノーン、僕は正しいだろうか」
グランフィアは、リアノーンにしか聞こえない声で、前を向いたまま呟いた。
「お父様はあなたを誇りに思うでしょう」
リアノーンの言葉は厳密にいえば友人の問いの答えになってはいない。
だが、今グランフィアが示した危機に対する構えは、リアノーンがここを訪ねた理由、そのもう一つについての明確な指針になっていた。
「ありがとう。その言葉が聞けて嬉しい」とグランフィア。
「お礼を申し上げるのは私のほうです」
リアノーンはある決意を固めながら、心から古き友人に感謝した。
結局、リアノーンの滞在は一旬に及んだ。(注.一旬とは惑星クレイの農業歴で10日のこと)
別れの日。領主は農園の境界まで供を連れて見送りに来てくれた。
「もっと居てくださって良いのだが」
「これ以上いたら根が張ってしまいます。私も仲間を守るため、世界樹の心に寄り添うために、自分自身により強さと力を求めていかなければ」
リアノーンは笑ったが、グランフィアは友人の言葉に真面目に答えた。
「あなたには我が門戸はいつでも開いている。辛いとき援助が欲しい時は遠慮無く知らせて欲しい」
「ありがとうございます。森厳なる薔薇の主グランフィア」
供のパンプキン、オランジェリンがその称号にキラキラと目を輝かせる。民に慕われ尊敬されることは領主にとっての宝である。グランフィアがこの土地の庭師と薔薇にとって良い君主であることは疑いなかった。
こうしてリアノーンとグランフィア、古き友は別れた。
常春の農園と外界を隔てる柵、その存在を知らない者にとってはいずことも知れぬストイケイアの秘密の花園──グランフィアの森厳なる薔薇の園との境界線で。
街道はストイケイアの豊かな田園風景の中、どこまでも続いていた。見渡すかぎり近くに人里はない。
その同行者のことを、リアノーンはとうに気がついていた。
「私にご用かしら、猫さん」
リアノーンはとうとう歩みを止めると、振り返ってかがみ込み、さきほどからずっと彼女の後についてきていた一匹の黒猫に手を差し伸べた。
にゃん。
ひと声発すると猫はリアノーンの胸に飛び込んできた。
「よしよし。お腹が空いてるのかな。ごめんね、私バイオロイドだから花の蜜とかパンくらいしか無いんだけど。ちょっと待って……あら!」
リアノーンの腕の中で、黒猫が身じろぎした。
歩きながら持っていて居心地わるい体勢にしてしまったのかと覗きこんだ彼女の顔を、猫の奇妙に光る右眼が見つめた。
黒猫が喋った。
「アナタを助けられると思う。ワタシについてきて、リアノーン」
※註.カボチャ、オレンジなど作物については地球の似た種の名前を使用した。
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《今回の一口用語メモ》
グランフィアの森厳なる薔薇の園
ストイケイアのどこかにあると言われている隠れ里。
この土地は常春の気候で知られ、広大な敷地は四季を通じて豊かに実る農園、果樹園など植物園があり、そのすべてを歴代の領主である獣人「グランフィア」が治めている。
ここにはカボチャや果樹型の庭師がおり、豊かで滋味あふれる作物を育て管理している。
また森厳なる薔薇の園のバラについては意思があり動くとも、庭園が脅かされるようなことがあれば領主の呼びかけに呼応して守人として立ち上がる等、綺麗なバラにはトゲがあるとした噂もあるが、そもそもグランフィアの農園の位置も、見つけたとして許可無く立ち入ることは不可能なため、真相は定かでは無い。
グレートネイチャー総合大学とワービースト
グレートネイチャー総合大学の教授陣のほとんどが太古の昔から獣人であった。
これまでに登場した天輪聖紀における獣人の学者としては、大渓谷の探究家 C・K・ザカットがいる。
ただし同大学には古代にも、人間やその他の知的種族が属していたこともあり獣人に限定されているというわけでは無い。天輪聖紀ではハイビーストの研究者も見かけられる。また祈り無き時代に消滅寸前だった「グレートネイチャー総合大学」の護り手となった大賢者ストイケイアは、弟子として異種族(マーメイドやインセクトなど)にも積極的にその教えを広め、思想の共感者を得た経緯がある。
ドリアードについては
→ユニットストーリー058 「望郷の騎士 マルコ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
また、ケテルサンクチュアリの乱におけるリアノーンの役割については
→ユニットストーリー064「マーチングデビュー ピュリテ」
ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」
ユニットストーリー070「ユースベルク“反抗黎騎・翠嵐”」
ユニットストーリー071「魔石竜 ロックアグール」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
を参照のこと。
ワービースト(全般)については
→ユニットストーリー035「樹角獣帝 マグノリア・エルダー」と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
(元)グレートネイチャー総合大学教授C・K・ザカットについては
→ユニットストーリー017「樹角獣 ダマイナル」
ユニットストーリー053「大渓谷の探究家 C・K・ザカット」
を参照のこと。なお、現在のザカットの職籍については本人(退職)と大学側(在籍)で齟齬がある。
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リアノーンは農園を囲む柵の前に立っていた。
『グランフィア』
それは表札なのだろうか。彼女はしばらく文字を見つめてから、木戸を押して中に歩み入った。
ほどなく最初の邂逅があった。その人物は畑のカボチャを愛おしげに撫でていた。自分の子供のように。
「おんやぁ、リアノーン様。大変ご無沙汰で~」
そう言う庭師の顔もカボチャだった。(注.ストイケイア国では別段驚く事でもない。なにしろ空には妖精が飛んでいるし大学の学者は獣人であるし街道には旅人を脅かす改造昆虫怪人も出没するのだから)
穏やかな冬の陽差しの下、麦わら帽子には小鳥が止まって囀っている。ここは農業の国ストイケイアでも常春で知られる地域であり、植物の楽園だ。
Illust:樹人
「お久しぶりです、ファーミンさん。カボチャさんたちは元気ですか」
と満開の大行進リアノーン──ストイケイアに名高い『世界樹の音楽隊』のドラムメジャー──はドリアードに笑顔で呼びかけた。どうやら二人は旧知の仲らしい。
「はぁ~、おかげさまで良い出来です」とカボチャ庭師がゆったりと喋る。
「それは何よりです。あの……グランフィアさんはどちらに?」
「あぁ~、ご領主さまでしたら、お屋敷におられますだよ~」
庭師は手袋をはめた腕で森に伸びる道を指した。それはリアノーンにとっても馴染みの道だった。
「ありがとうございます!」
「はいはい、ではお気をつけてぇ」
カボチャを育むカボチャ庭師ののどやかな言葉の響きとリズムに、リアノーンは思わず和んだ。
道は深い森に入った。
リアノーンの目の前で獣人の少年がこちらに手を差し伸べている。
その手に足に森の精霊たちがじゃれつく。少年は森を愛し、また森に愛されていた。
Illust:黒井ススム
「さぁ行くよ!リアノーン、僕についてきて!」
その姿が薄らぎ、夕方の光に消えてゆく。もちろんこれは幻だ。まだ彼女が迷いもなく、ただ楽しく自分の務めに励んでいた頃の……。
どれくらい立ち止まっていたのだろう。やがてリアノーンは小さな嘆息をつくと歩き出した。
領主の屋敷は農地の中心、広い庭園を見下ろす小高い丘の上にあった。
花畑を歩くリアノーンの前に、また幻影が現れる。
獣人の男の子。森の幻よりさらに幼い頃のことだ。
明らかに持て余す大きさの如雨露で一生懸命、水やりをしている。
皆が笑顔でいて欲しい。胸に芽吹いた、純粋な想い。それを見つめる優しい視線。
そうだ。いつも見守られていたのだ。私は仲間に。この子は家族に。
大切な思い出というものは時に、自分の中で当たり前になりすぎて、それがどれほど得がたいものだったのかを忘れてしまいがちだ。
Illust:黒井ススム
「ご主人様。リアノーン様がいらっしゃいました」
古風だが手入れのいき届いた屋敷を案内してくれたランラン・オランジェリンが高い声で告げると、中からはひと言。
「お入り」とだけ答えがあった。
「失礼します」
リアノーンがドアを開けると懐かしい顔がこちらを見ていた。聡明さがあふれるような美しい青年である。
Illust:黒井ススム
「満開の大行進リアノーン」
「俊英の賢狼グランフィア様」
バイオロイドと狼獣人二人は呼び合い、手を取り合って笑顔になった。
「“様”だなんて。長いお付き合いでしょう」
「でも今はこちらのご領主。……お父様のこと、お悔やみ申し上げます」
「恐れ入ります。さぁ掛けて。お茶は?」
「いただきます」
オランジェリンは二人のためにオレンジのフレーバーティーを用意してくれていた。
「突然お訪ねしてしまって」
「いつでも歓迎です。我が家の大切なお友達ならまして、ね」
リアノーンは書斎を見渡した。ここに来るのは彼の父親が健在だった頃以来だ。何年ぶりだろうか。
「また本が増えましたね。もう全部?」
読んだのかという問いに、若狼の獣人はいいえと笑った。
「頑張ってるけどまだとても無理ですよ。読めば読むほど僕は何も知らないんだと思い知らされる」
「とても勉強家ね」
「でも最近、思います。勉学だけで、本当に良き領主となれるのだろうかと。……父上のような」
「もう少し早く来られれば良かったのだけど」
グランフィアは首を振ると、ご多忙の所来てくださったこと、きっと父も喜んでくれますと礼を返した。
「父上は、世界樹と対話し力づける『世界樹の音楽隊』とあなたの仕事を尊いものだといつも称えていました。お聞きしましたよ。セイクリッド・アルビオンでのご活躍」
リアノーンははにかんだように笑ったが、その顔には翳りがあった。彼女の悩みもまた力不足を痛感したことにあったからだ。
「異国の出来事、僕に聞かせてください。頂の天帝バスティオン、破天の騎士ユースベルク、魔宝竜ドラジュエルド、封焔の巫女バヴサーガラ、焔の巫女リノ、そして天輪竜のこと。あなたは歴史の目撃者だ。それは生きている知識だ。たくさん聞かせて。ね、いいでしょう。……リアノーン?」
グランフィアは家臣の前では見せない、幼馴染みの相手に対する弾んだ様子で話をせがんで、そして相手の様子に気がついた。
「……」
「すみません。独りが長すぎたのか、ついはしゃいでしまって……これではまた父上に叱られますね」
リアノーンが少し慌てて何か言いかけるのを、若き主人は笑顔で抑えた。
「お疲れのようです。食事のあと、お部屋にご案内しましょう」
燭台と彼女の荷を持って立つ姿には父の跡とそしてこの館を背負うべくして生まれついた者の威厳と思慮が備わっていた。
「リアノーン、あなたにぜひご覧いただきたいものがあります。明日の朝、庭でお待ちしていますよ」
──翌朝。
リアノーンは早く起きて屋敷のまわりを散策していた。
寝室は清潔でベッドも心地よく窓からは陽も爽やかに差しこみ、朝夕に饗された花の蜜や焼きたてのパンもさすがは名高いグランフィア農園の新鮮な逸品──半人半植物であるバイオロイドにとってこれ以上のもてなしはない──と、一刻も早く古い友人グランフィアに心からの礼を伝えたい気分だったのだ。
久々の深い眠りであり、穏やかな目覚めだった。
リアノーンが『世界樹の音楽隊』の仲間の勧めで休暇を取り、一人この古い馴染みの農園を訪ねた目的のひとつは、各地からの招待に答えて世界を巡る多忙なスケジュールに疲れきった心身を休めたかったというものだが、この館の温かい饗応、そして友情と思いやりが溢れる心づくしだけでも思い切って訪ねた甲斐を感じるものだった。
「新しき朝の訪れ。今日もまた地の恵みに感謝を捧げつつ、我らは生きてゆく。平和と豊かな実りとともに」
その声は決して大きくはなかったが、低く力強く、庭にそして農園に広く響いていた。
リアノーンはその声の方向へと歩いて行った。
Illust:黒井ススム
「いま終わりの始まりの島から警鐘が鳴らされ、大地にも不穏の気配を感じる。世界は変わりつつある」
正装した若き領主グランフィアの前で、屋敷の前庭に勢揃いした庭師たち、パンプキンやオランジェリン、エンドウ、マッシュルームたちが真剣な顔でその言葉を聞いていた。
「この変化に際して我らが森厳なる薔薇の園、父祖伝来の土地も我ら自身の手で守らねばならない。皆の力を貸してくれ」
おーっ!
パンプキンの手袋やオランジェリンの杖などが掲げられる。
「すでに知っている者もいると思うが、客人としてここに古き友も訪れている。世界樹の心を知る者、満開の大行進リアノーン」
わーっ!
庭師たちの歓声があがり、振り向いたグランフィアに手で差し招かれて、リアノーンは目をぱちくりさせた。
「彼女こそケテルサンクチュアリの白き世界樹を救う鍵となった存在。次、世界に危機が迫るときも我が友リアノーンこそ、植物を愛する我らの旗印となるであろう」
手を把られ、庭師と植物たちの前に立ったリアノーンは笑顔だった。
あえて昨夕の轍は踏まない。古い友人グランフィアにさえリアノーンの笑顔の後ろにある何かを感じ取れないはずだ。
「高貴なる薔薇!」
領主グランフィアの呼びかけに、馥郁たる香りを振りまきながら、この地の名ともなっている薔薇の貴婦人たちが立ち上がった。トゲもつ美しい家臣達はみな領主を見つめている。
Illust:山崎太郎
「汝ら、我が庭園を彩り、そして守護する者。我が愛しの薔薇よ!共に美しき大地を護ろう!」
声なき歓声が白と赤の戦士たちからあがり、庭師たちのそれと混じって朝の農園を震わせた。
「平和を求めようとする者、戦に備えるべし。力なき平和は続かず、脅威に臨まざる者には滅びあるのみ!」
リアノーンははっと顔を上げた。
家臣に呼びかけ、未来を見据える領主グランフィアは、彼女が知っていた子供、かつて家族に見守られながら森や庭で遊んでいた少年ではなかった。民を慈しみ、その平和と安寧の責任を背負うひとりの大人だったのだ。
「リアノーン、僕は正しいだろうか」
グランフィアは、リアノーンにしか聞こえない声で、前を向いたまま呟いた。
「お父様はあなたを誇りに思うでしょう」
リアノーンの言葉は厳密にいえば友人の問いの答えになってはいない。
だが、今グランフィアが示した危機に対する構えは、リアノーンがここを訪ねた理由、そのもう一つについての明確な指針になっていた。
「ありがとう。その言葉が聞けて嬉しい」とグランフィア。
「お礼を申し上げるのは私のほうです」
リアノーンはある決意を固めながら、心から古き友人に感謝した。
結局、リアノーンの滞在は一旬に及んだ。(注.一旬とは惑星クレイの農業歴で10日のこと)
別れの日。領主は農園の境界まで供を連れて見送りに来てくれた。
「もっと居てくださって良いのだが」
「これ以上いたら根が張ってしまいます。私も仲間を守るため、世界樹の心に寄り添うために、自分自身により強さと力を求めていかなければ」
リアノーンは笑ったが、グランフィアは友人の言葉に真面目に答えた。
「あなたには我が門戸はいつでも開いている。辛いとき援助が欲しい時は遠慮無く知らせて欲しい」
「ありがとうございます。森厳なる薔薇の主グランフィア」
供のパンプキン、オランジェリンがその称号にキラキラと目を輝かせる。民に慕われ尊敬されることは領主にとっての宝である。グランフィアがこの土地の庭師と薔薇にとって良い君主であることは疑いなかった。
こうしてリアノーンとグランフィア、古き友は別れた。
常春の農園と外界を隔てる柵、その存在を知らない者にとってはいずことも知れぬストイケイアの秘密の花園──グランフィアの森厳なる薔薇の園との境界線で。
街道はストイケイアの豊かな田園風景の中、どこまでも続いていた。見渡すかぎり近くに人里はない。
その同行者のことを、リアノーンはとうに気がついていた。
「私にご用かしら、猫さん」
リアノーンはとうとう歩みを止めると、振り返ってかがみ込み、さきほどからずっと彼女の後についてきていた一匹の黒猫に手を差し伸べた。
にゃん。
ひと声発すると猫はリアノーンの胸に飛び込んできた。
「よしよし。お腹が空いてるのかな。ごめんね、私バイオロイドだから花の蜜とかパンくらいしか無いんだけど。ちょっと待って……あら!」
リアノーンの腕の中で、黒猫が身じろぎした。
歩きながら持っていて居心地わるい体勢にしてしまったのかと覗きこんだ彼女の顔を、猫の奇妙に光る右眼が見つめた。
黒猫が喋った。
「アナタを助けられると思う。ワタシについてきて、リアノーン」
了
※註.カボチャ、オレンジなど作物については地球の似た種の名前を使用した。
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《今回の一口用語メモ》
グランフィアの森厳なる薔薇の園
ストイケイアのどこかにあると言われている隠れ里。
この土地は常春の気候で知られ、広大な敷地は四季を通じて豊かに実る農園、果樹園など植物園があり、そのすべてを歴代の領主である獣人「グランフィア」が治めている。
ここにはカボチャや果樹型の庭師がおり、豊かで滋味あふれる作物を育て管理している。
また森厳なる薔薇の園のバラについては意思があり動くとも、庭園が脅かされるようなことがあれば領主の呼びかけに呼応して守人として立ち上がる等、綺麗なバラにはトゲがあるとした噂もあるが、そもそもグランフィアの農園の位置も、見つけたとして許可無く立ち入ることは不可能なため、真相は定かでは無い。
グレートネイチャー総合大学とワービースト
グレートネイチャー総合大学の教授陣のほとんどが太古の昔から獣人であった。
これまでに登場した天輪聖紀における獣人の学者としては、大渓谷の探究家 C・K・ザカットがいる。
ただし同大学には古代にも、人間やその他の知的種族が属していたこともあり獣人に限定されているというわけでは無い。天輪聖紀ではハイビーストの研究者も見かけられる。また祈り無き時代に消滅寸前だった「グレートネイチャー総合大学」の護り手となった大賢者ストイケイアは、弟子として異種族(マーメイドやインセクトなど)にも積極的にその教えを広め、思想の共感者を得た経緯がある。
ドリアードについては
→ユニットストーリー058 「望郷の騎士 マルコ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
また、ケテルサンクチュアリの乱におけるリアノーンの役割については
→ユニットストーリー064「マーチングデビュー ピュリテ」
ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」
ユニットストーリー070「ユースベルク“反抗黎騎・翠嵐”」
ユニットストーリー071「魔石竜 ロックアグール」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
を参照のこと。
ワービースト(全般)については
→ユニットストーリー035「樹角獣帝 マグノリア・エルダー」と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
(元)グレートネイチャー総合大学教授C・K・ザカットについては
→ユニットストーリー017「樹角獣 ダマイナル」
ユニットストーリー053「大渓谷の探究家 C・K・ザカット」
を参照のこと。なお、現在のザカットの職籍については本人(退職)と大学側(在籍)で齟齬がある。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡