ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
087 龍樹篇「戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクス」
ストイケイア
種族 ゴースト
魔帝都D.C.
未完成ではあるものの、統治者である大魔王、正式名称「魔皇帝」が座す所という意味においてのダークステイツの首都。
天輪聖紀に入り完成に向け、建造が急ピッチで進められているD.C.は闇首都とも闇魔城とも、クロニクル特別区の略であるとも言われるが、国民のほとんどは由来や語源など気にもしないだろう。なにしろここは瘴気と魔物と魔法の国ダークステイツなのだから。
もう少しだけ、この闇首都についての解説につきあってほしい。
いま絶賛建造中の魔帝都D.C.は真上から見ると歯車の形をしている。
歯車はギアクロニクルのマークだ。
これだけを見ると、魔皇帝はギアクロニクルの末裔という噂はどうやら真実のようでもある。
魔帝都は、これまでダークステイツに築かれた砦や古城などの城塞都市とは明らかに趣が異なる。
まずは面積。
広大な面積をほこる魔帝都は巨大都市である。
そして他との違いのもう一つが都市構造だ。
5層からなる区分けは中心から、魔皇帝の居城、行政区、商業区、居住区、防衛区(軍務区)と大まかに分かれている。大まかに、というのは例えば行政区の貿易管理と商業区はほとんど同じものだし、居住区とひと口にいっても住民によって様々な階層と街の機能に別れているからだ。
わたしたちが今いる、歓楽街とかね。
『偉業』
よく見ると、金箔で飾られたその店名には読めないほど小さい文字で-erと付け加えられていた。
魔帝都D.C.の歓楽街。その一等地に最近開業した巨大なカジノは、名前のもう一つの意味exploiter──食い物にする者──を隠す気も無いようだった。
実際、重い扉を押して入ってみれば、この店内には一攫千金を狙う者、ギャンブルのスリルに取り憑かれた者、死線を越えたあとのうまい一杯が忘れられない者……目をギラつかせたお客と怪しげな店員、国内外さまざまな種族で溢れている。ここにいるのは常に食う者と食われる者なのだ。
「いらっしゃいませ、お客様。本日はルーレット?それともテーブルになさいますか?」
インキュバスの美形な男性店員が艶っぽい声でわたしに声に呼びかけてきた。
全身黒ずくめ、マント姿なのに、なぜわたしが女だと分かったのだろう。
「今日は“普通ではできないギャンブル”をしに来たのよ」
インキュバスの店員はきゅっと尻尾と片眉を吊り上げると、かしこまりました。奥へどうぞと手を差しのばした。
秘密のノックをして隠し扉を開けると、そこは緋色のカーテンに囲まれた、見上げるほど天井の高い部屋だった。照明といえば壁の消えかけた燭台の明かりだけなので、ひどく暗い。
「よぉ、姐ちゃん。オレの店一番の賭けに挑戦したいんだってな」
重々しくドスのきいた、でもどこかユーモラスでもある声が薄闇に響いた。
「そうよ。ただし賞品はこっちで指定させてもらうわ」
ガッハッハと声は笑った。あぁもう反響してムチャクチャうるさい。たまらずわたしは耳をふさぐ。
「おもしれぇ!おもしれぇぜ、姐ちゃん。気に入った」
薄闇の向こうから、太い骨(穴が空いたこれはパイプなのかな?)を握った手がぬっと現れた。
「で?欲しいものとは何だ」
わたしは一拍置いてから、顔をあげて答えた。
「あなたの助力よ、強欲魔竜グリードン」
闇がどよめいた。
イーダ♪イーダ♪とあちこちから会話する変な声がした。意味は「マジ?マジで?」あたりか。だいだい解る。
「あぁテメエらは黙ってろ!片っ端から取って食っちまうぞ」
イ~ダ~……と変な声たちは静まり、部屋に備えつけられたロウソクにぼっと大きな灯が点った。
「そいつはちょっと話が違ってくるなぁ、姐ちゃん。それに人に頼み事する時はまず名乗るもんだぜ」
わたしの前には巨大な人型が、けばけばしいスーツに身を包んだ深淵の竜が立ち塞がっていた。
わたしはマントを引き剥がすと胸を張り、見上げるような図体のこのダークステイツ一の暗黒街の大ボスを睨みながら叫んだ。
「空飛ぶ幽霊船リグレイン号船長代理!継承の乙女ヘンドリーナ!ストイケイア、ネオネクタールのバイオロイドよ!」
Illust:п猫R
前夜のこと。
「うるぁ!テメェら!船荷は大事な命の糧だ、一粒とておろそかにすんじゃねぇ!」
わたし、ヘンドリーナは空飛ぶ幽霊船リグレイン号の甲板で、舶刀を振りかざした。服は上(羽根つき帽子)からベスト、下(ブーツ)まで、海賊といえばコレといった格好で固めている。ちなみにわたしは結構、形から入るタイプ。手下どもにナメられてなるもんか。
「入港準備だ!ボヤボヤしてるヤツはマストに吊るしちまうぞ!」
わたしの号令へ返答は、
……。
沈黙。
骸骨の船員が黙々と索具を操り、箱詰めされた荷を積み直しながら、船を魔帝都D.Cの港(この街の近くを流れる大きな川沿いに建てられている)に接岸させてゆく。やはり不死の船員相手にコスプレのこけ脅しは無意味だ。わたしは上陸したらこの扮装はやめようと決意した。
一方でリグレイン号の入港に岸壁は大騒ぎだ。
なにしろ世界の海に名高い空飛ぶ幽霊船のご入来なのだから。
甲板には幽霊やらゾンビやらの不死の船員が溢れ、マストでは竜が羽を休め、水中にも油断なく私の師匠ハイドロリックラム・ドラゴンが潜んでいる。その外見だけでもお化けてんこもり。化け物に慣れっこのダークステイツの住民でも目を剥くことだろう。
さて皆。
ここで大いなる疑問が沸き上がると思う。
当の船長は──怪雨の降霊術師ゾルガはどこにいるのか。
それは一番わたしが聞きたい。
あんの野郎、他人に仕事押しつけてどこほっつき歩いてんだか!
時間はさらに一旬(10日)ほど遡る。
いつも雨雲を纏っている船なので天気はわからないけど、時間はまだ午後の浅い頃のことだった。
ちなみにこの日の時点で、船の目的地はこの地点からは遠方にある魔帝都D.C.と知らされていた。
その気になれば陸地だって滑走できる(いつも飛んでいるからね)リグレイン号だけど、河沿いとはいえダークステイツの中心部の港に堂々寄港するというのは珍しい。これはわたしにも絶好のチャンスだった。
「ちょっといい?話があるんだけど」
わたしは船長室をノックして中に呼びかけた。相手は当然、船長のゾルガだ。
「駄目だ。いま忙しい」
「開けるよー」
わたしは船長室の扉を開いた。ノックはしたんだし、構うことはない。中で繰り広げられる光景に覚悟さえできていれば(たいていは邪悪な死と生命のオドロオドロした実験のまっ最中だ)問題は無い。
「忙しいと言っただろう」
ゾルガは振り返りもせず水晶玉に向き合っていた。
「あら失礼。通話中だった?」さすがに通信中に邪魔するのは野暮というものだ。
「終わった。話とはなんだ」
「あ、ええっと……」
わたしは少し言い淀んだ。思っていたよりゾルガが真面目に(そう。いつだってからかうように適当にあしらわれるので)対応してくれたせいでもある。
「休暇の申請を」
「却下だ」
「ちょっと!横暴すぎない?有休だって溜まってるんだから!次の魔帝都で休み取らせてくれても……」
「ヘンドリーナ、頼みがある」
ゾルガはずいと顔を近づけてきた。近い!近いって!
……ってあれ?今、名前呼ばれなかった?
「な、なによ?」
「俺は、しばらく船を空ける」
「は?」
「その間この船はお前に任せる。頼むぞ、船長代理」
「はぁ?」
「いつまでとは言えない。だが必ず戻ってくるつもりだ。この船のために」
「はぁぁ?」
「もうひとつ。魔帝都で新しい店を開こうとしている知り合いがいる。会いに行って協力を求めろ。“悪意”や終わりの始まりについて話せば、ヤツの心も動くかもしれない」
「“悪意”?終わりの始まり?」わたしはもう目が点だった。
「水晶玉を置いていく。特設チャンネルを見て学べ。継承の乙女の腕の見せ所だぞ」
「……」
わたしはもう言葉もなく、ゾルガをじぃーっと見つめた。この男はいつも勝手ばかり。こういうヤツだ。
「なんだ?」
とゾルガ。わたしは相当げんなりした顔をしていたらしい。
「もういい。それで、知り合いって?」
「暗黒街のボスだ。もちろん、ただ会いに行っても門前払いを食うだろう。俺の紹介だと言ってもな」
「じゃどうするのよ」
「頭を使え、ヘンドリーナ。賭場を経営する食いしん坊の悪たれ竜だぞ。何を欲しがる?」
「うーむ……」
考え込むわたしの横をすり抜けて、杖を持ったゾルガは甲板に出た。わたしも慌てて追いかける。
「それで、出かけるのはいつ?」
とわたし。船を任せられるというのが悪質な冗談でなく本気なら、契約変更や引き継ぎなど色々と準備をしておきたい。理不尽を感じても契約は厳格に守られるべきだし、プロとして仕事はきちんと遂行したい。
「今だ」
「へ?」間抜けな声をあげてしまった。
「後のこと任せたぞ」
「い、いや!ちょっと待ちなさいって!」
「ヘンドリーナ」
「……」
ゾルガはまた至近距離まで顔を近づけてきて、そして囁いた。
いつか見た夢の中でしか聞いたことがない真剣な口調だ。後になって気がついたけど人称まで変わっている。わたしは完全に雰囲気に呑まれていた。
「私は幽霊。幻だ。君の人生につきまとう幻影。だがその幻もいつか実体をもってこの惑星の未来に働きかけることがあるかもしれない」
「な、何言ってるか、まったくわからないんですけどぉ……」
「覚悟を決めろ。世界の危機なんだ。事態はおまえが思っているより深刻だぞ、船長代理」
からかう様にそう言って、ゾルガは宙に消えた。突然に。リグレイン号を覆う曇天の中へ。跡形もなく。
「この……」
我に返ったわたしは拳を握りしめ、天に向かって叫んだ。竜が一斉に鳴き、不死の船員は黙々と仕事を続ける。
「大バカ野郎──────っ!!」
こうして、わたしことリグレイン号船長代理ヘンドリーナの旅が始まったのだった。
Illust:Moopic
「そうか。そいつぁ大変だったなぁ」とグリードン。
「ホント。どうしようもないほど無っ責任で面倒くさい男なのよ。ささ、どんどん召し上がれ」
グリードンの前に置かれた大皿にストイケイア最高品種の小麦粉を焼いたパンケーキを山盛り、名高いグランフィア農園製の蜂蜜(高給取りだけど海の上では使い所のないわたしにとって、どちらも数少ない贅沢品だ)を瓶からたっぷりと注いだ。ちなみに今のわたしは平服でも海賊服でもなく、清潔なシェフコートで上下ともビシッと決めている。
こいつはうめぇぜ。酒だ酒!もっと酒持ってこい!とグリードンが吠えた。
イーダ♪と叫んで、デザイアデビル タイーダたちがかいがいしく給餌をする。
噂によればいつものグリードンのごちそうは、この可愛そうな悪魔たちらしいのだけど今の所、取って食われるタイーダは一人もいない。
「いやぁ見事だぜ、姐ちゃん。まさかこのオレ様の食欲を悪魔以外に満たせるもんがあるとはなぁ」
わたしに課せられた条件は“グリードンを満足させること”だった。厨房を借りたわたしは用意してきた食材を運び込んで調理、料理とお酒をたっぷりふるまったってわけ。
「じゃあ、賭けはわたしの勝ち?わたしの頼み、聞いてくれるわね!」
「いいだろう。まぁ実際の所、ゾルガの野郎にゃ多少貸しがある。あの野郎がどっか行っちまってるんだったら取り立てるいい機会だ。すげぇ船だからな、アレは」
「あ、リグレイン号は今、現在わたしがシメてますので絶対に差しあげませんけど」わたしは言葉を継いだ。
「お金でしたら、いくらでも」どうせ減るのはあいつの財布だし。
ガッハッハとグリードンはまた笑った。
「ここをどこだと思ってんだ。金なら腐るほどあるぜ。魔皇帝の金庫逆さにしたって追いつかないほどになぁ。要らねぇよ」
「ええっとそれでは……」
半ば成功を確信しつつ恐る恐る聞いてみる。頭の片隅で、魔皇帝のお膝元でいまの発言は大丈夫なの?と一瞬、思わないでもなかったが。
「パンケーキだ。あとハチミツもな。これを厨房の連中が作れるように教える。それが条件だ」
「それでOK?」ちょっと呆気にとられた。この暗黒街のボスの甘い物好きは筋金入りのようだ。
「それでOKだ。あんたと同じように焼けるまでビシビシ仕込んでやってくれ」
イーダ♪とメイド服を着たタイーダたちが手を上げた。彼らも自分たちが食われないために必死である。
契約成立。
わたしとグリードンはワインのグラスを触れあわせた(これもストイケイアの最高品ヌエバ野生種だ)。
正直、賭けの条件として“負けたらわたしが悪魔に変えられる”と聞いたときにはどうなるかと思ったけれど、ゾルガのヒントで命拾いした。
賭場を経営する食いしん坊の悪たれ竜を攻略するには。
伝承にあたってグリードンの特性を調べ、考え抜いたけれど、結局の所「胃袋を掴む」くらいしかわたしには思いつかなかったので、大急ぎで進路を変えてわたしの“母港”であるストイケイアの港町トランスに寄港。そこからネオネクタール商館への膝詰め談判、ワイナリー巡り、紹介された腕利きのパンケーキ職人に緊急弟子入りして“悪魔みたいに美味い”といわれるレシピを習得……とまぁ目も回る忙しさだったのだ。
報われて良かった。ワインが美味しい。
若い身空でデザイアデビル化なんて事だけは、何がなんでも避けたかったからね。
ただちょっと意外だったのは、グリードンって噂に聞いていたよりずっと話せる砕けた竜(ドラゴン)だったって事。最近、何か性格が変わるようなことでもあったのかな。
「で、親玉グリードン」
別に洒落たわけじゃない。仲間なんだからそう呼べと言われたのだ。ドン・グリードンに。
「さっそくなんだけど、力を借りたいの」
“悪意”や終わりの始まり、そして龍樹とグリフォシィド。話しておきたいことが沢山ある。
わたしは懐からゾルガの手紙を取り出すと、用心しいしい切り出した。
手紙の一枚目は指示書。その表題にはこう書いてあった(ドン・グリードンには見せられないけど)。
『①ダークステイツ篇──グリードンに協力を取り付ける。但し油断するべからず』
あんの野郎、さんざん意味深なこと言っておいて、変更済みの契約書と状況についての詳細な説明と指示を書き留めた書類もちゃんと残して行ったのだ。それは船長室の机の上、分厚い手紙として残されていた。宛名と差し出しはこうだ。
空飛ぶ幽霊船リグレイン号 船長代理 継承の乙女 ヘンドリーナ 殿
空飛ぶ幽霊船リグレイン号 船長 怪雨の降霊術師ゾルガ 拝
……と。
あいつって、ホント面倒くさい。
──“狭間”。
遮蔽した虚空の中、柩機の主神オルフィスト・レギスSDと怪雨の降霊術師ゾルガは、至近距離で睨み合っていた。
「オルフィスト卿。おまえは、ある場所であるモノを見つけた。それこそ俺が知りたい事なのだ」
「貴様はまだ我の質問に答えていないぞ、不死の者。“それを知ってどうする”のか」
「おまえはもうその答えを知っている」
「聞かねば出ない答えは既知ではない」
二人の掛け合いはまるで禅問答だ。本質的にループしている。だがこの会話をわかりやすくする術もない。
「それでは突破口を開けてやろう、柩機。おまえはいま混乱している」
とゾルガ。冷たい貌にアルカイックな笑みが浮かんだ。
オルフィストは沈黙した。
「ブラント月、秘宝を護る遺跡、メサイアの碑文…少し前、ダークステイツの悪魔に託されたもの、それは運命力の塊」
怪雨の降霊術師は謳うように謎めいた言葉を並べた。
「そうだ。見える。見えるぞオルフィスト卿。石碑に文字が浮かんでいる。偶然、虹の魔石が触れた時、ブラント月の地表に置かれているメサイアの碑文に、今まで書かれていなかったはずの新しい文字が生まれた。おまえはそれを読んだ」
「……」柩機の沈黙は続く。
「なぜおまえの記憶が読めるかと?動揺だよ、オルフィスト卿。この宇宙で、完全に静止しているものはない。故に俺はおまえの頑なな精神に石を投げ、湧き上がる波紋の形を読み取ったのだ」
「不覚。幾千世界、多次元を渡ってきたこの我の隙をつくとは」
オルフィストは呟いた。ここまで2人は微動だにしていない。互いの精神と精神が競り合う戦いだったからだ。
「安心しろ、オルフィスト卿。俺は敵ではない。トモダチだ」
ここでゾルガは今まで後ろ手に隠していたモノを取り出した。
それは、仮面だった。
奇妙な形だった。それは骨のようであり兜のようでもある。
片面だけを覆う形のその仮面には輝く目がついており、それ自体生きているように時々煌めいていた。
「贈り物をおまえに」
「貴様、ふざけているのか」
「真面目だ。俺は言ってみれば使い。大いなる力の主からの誘いをもってきた」
「大いなる力だと……新碑文にあったぞ……“その名はグリフォシィド”」
「ご名答。仲良くやっていけそうじゃないか、オルフィスト卿」
そう言う間も、ゾルガは仮面を片手で弄んでいる。
「これは中々良く出来た仮面なんだ。少し──俺と遊ばないか」
「黙れ。惑星クレイ世界に仇なすもの……我、ここに滅ぼさん!」
オルフィスト・レギスSDは手を広げた。
エネルギーを集中し、なんらかの打撃に変えようというのか。
「待て待て。勝ち目のない戦いをしかけるなど愚かなことだぞ……聞け、オルフィスト!!」
Illust:増田幹生
ゾルガはいきなり口調を改め、柩機の主神を呼び捨てにした。
「おまえが唯一、忠誠を誓い、その実現に力を注いでいるのがメサイアの碑文──神格との盟約の証。未来を啓示する石碑だ。そこには未来が……グリフォシィドと龍樹によって変えられた未来が書かれていたのだろう」
「貴様、なぜそれを!?」
オルフィストはエネルギー照射の構えを解かずに、相手を睨みつけた。
ゾルガはもうひとつマスクを取り出し、顔につけた。
オルフィストの目の前で、ゾルガは……いやゾルガだったものは今までとは別格の存在へと変わっていた。気配が違う。漲る力が遮蔽された虚空に溢れかえらんばかりだった。
「我らはマスクス。トモダチだ。この俺も未来を知り、進んでグリフォシィドの軍門に下ったのだ。生まれ変わった我が名は、戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクス」
「マスクス……」
「おまえも加われ、オルフィスト。そしてメサイアの新碑文を実現させる力を手に入れるのだ」
目の前に仮面が、マスクスの証が差し出された。
「強制はしない。だがおまえはもう知っている。これは必然で、俺たちはここで出会う運命だったのだ。オルフィスト、新碑文を思い出せ。このことが書いてあっただろう」
碑文。そうだ。確かにそう書いてあった。オルフィストは驚きとともにゾルガが嘘偽り無く、協力者としてここに現れたのを悟った。
「マスクスとなるのは我一人」
とオルフィスト。彼は柩機の軍勢を率いるリーダーである。マスクスに同化するのは自分だけだな、と念を押しているのだ。
「無論だ。おまえは己自身を保ったままマスクスとなれる。俺を信じろ、トモダチを」
オルフィストSDは渡されたものを見つめた。
虚空時間で──地上の尺度ではそれは刹那である──長い時がたった。
「メサイアのために」柩機リンクジョーカーは呟いた。
「メサイアのために」不死の者ゾルガも唱和した。
やがて柩機の主神オルフィスト・レギスは、仮面を被った。
了
※註.都市のアルファベット表記、ならびに古フランス語「利用する」に起源をもつ英単語exploitなどについては地球の言語に変換した※
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《今回の一口用語メモ》
空飛ぶ幽霊船リグレイン号
伝説の幽霊船。船籍はストイケイア。
怪雨の降霊術師ゾルガが船長であり、現在は継承の乙女 ヘンドリーナが船長代理を務めている。
天輪聖紀となりゾルガが活動を本格化させるのと同時に、リグレイン号の名は恐怖の伝説とともにドラゴニア海を中心として広まっていった。
それは
“暗雲をまとって”──船の周りに雨雲が発生しているのは事実。ただし昼も航行する
“救われぬ魂をさらい閉じ込める”──積極的にさらいはしないが幽霊の集積所としては事実に近い
“幽霊船”である──実体はある
とかなり大袈裟なものだが、実際ドラゴンエンパイアの家庭では「良い子にしていないとリグレイン号に連れて行かれてしまうよ」と親が子供を躾ける決まり文句にもなっている。ちなみにこの噂の尾ひれについてはゾルガ自身が積極的に広めたという疑いもある。曰く「恐怖こそ、この船の力だからな」だそうである。
リグレイン号は空中を飛んで航行するため、幾つかの問題(潜水して随行する竜や魔物はその間どうするのか等)はあるが、地上を進むこともできる。
なお今回ヘンドリーナは海賊に扮しているが、リグレイン号は幽霊船であって海賊船ではない。逆に、全世界の海賊にとってリグレイン号は宿敵である。海賊の略奪品を奪って(その半分を)庶民に配るという義賊めいた行いをゾルガがするためなのだが、その船長とも長い付き合いになりつつあるヘンドリーナに言わせると、それらの“行動に一貫性がなく何がしたいのか全くわからない”ため、ゾルガのつかみ所の無さをますます謎めいたものにしている。
怪雨の降霊術師 ゾルガと継承の乙女 ヘンドリーナについては
→ユニットストーリー008「継承の乙女 ヘンドリーナ」
ユニットストーリー025「旗艦竜 フラッグバーグ・ドラゴン」
ユニットストーリー054 「混濁の瘴気」
を参照のこと。
ダークステイツ暗黒街のボス、グリードンとデザイアデビルについては
→023「強欲魔竜 グリードン」の《今回の一口用語メモ》
ライドライン解説 梶田シノブ
を参照のこと。
天輪聖紀のダークステイツ:大魔王とギアクロニクルについては
→064 世界樹篇「マーチングデビュー ピュリテ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
メサイアの碑文については
→世界観コラム「セルセーラ秘録図書館」柩機(カーディナル)を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡