ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
088 龍樹篇「異星刻姫 アストロア=バイコ・マスクス」
ダークステイツ
種族 ヒューマン
破天騎士団の定例会議は終わった。
ケテルサンクチュアリ、地上の都セイクリッド・アルビオン。
この都市と地上の治安を担う破天騎士団は、かつて旧都と呼ばれていたセイクリッド・アルビオンの地下に広がる水路網そのものを根城としている。
「何か質問はある?……いいみたいね、じゃ解散!」
とフリーデ。その号令に、起立した団員たちが気合いをあげて応答した。
この若い女獣人の戦士は破天の騎士としても古参であり、部下や同僚からの信頼も厚く、会議でもよく進行を任される。常にユースベルクの右腕たらんと姿勢を正す様子は、ベテランの戦士らしい風格はあるものの、団長に対する隠しきれない熱狂的な忠誠心ゆえに仲間内からは微笑ましく見られることが多い。
「俺はこれから新人研修だ。何ごともまずは清掃から。さぁ掃除用具持ってついてきな、ヒヨっ子さんたち」
破断の騎士シュナイゼルは新兵たちを促して席を外した。シュナイゼルもユースベルクの腹心である。
集会に使っていた石造りの部屋から、団員たちが整然と立ち去ってゆく。
ここは地下に幾つかある拠点のひとつ。破天騎士団の団員の多くは、素に戻れば普通の市民(英雄ユースを慕う義勇兵)であったり天上騎士団から派遣された見習いであったり、みな朗らかな若者たちだが、任務中はそのリーダーに似て、みな寡黙であり自分のやるべき事に真剣に向き合っている。
「午後は反抗励起の定期整備だぞ。忘れずラボに寄れ」
とアリアドネ。この黒衣の女エルフだけはユースベルクがどれほど人望を集め、その社会的重要度が増しても上から目線で話すのを止めない。ユースベルクも鷹揚に頷いた。素人から職業軍人、天才技術者まで集う人材をあるがままに受け入れつつ軍団として束ねる統率力と度量の大きさは、リーダーとして恵まれた資質である。
「ユース……」
最後に扉をくぐったフリーデは何か言いたげに振り向いたが、ユースベルクが気さくに(フリーデは仮面ごしにこの命の恩人の機嫌を察するのが特技である)顔をあげて「何だ?何かあれば聞くぞ」と目線を送ってくれたのに逆に気後れしてしまう。
《革命》からこの方、あまりにも多忙な日々でありあまりにも大きな変化があった。それは今も続いている。話したいことは山ほどあった。もちろんユースも親身になって聞いてくれるだろう。でもそれはたぶん甘えなのだ。相手を思えばこそ黙っていた方が賢明なこともある。そのことが分かる程度には自分は大人なのだとフリーデは思っていたので、ここは動揺をおさえつつ気合いを入れることに切り替えた。
「ううん。なんでもない。今日も一日、頑張ろー!」と元気よく片手を開けてみせる。
「あぁ」
ユースベルクは応えて小さく片手を上げ、扉が閉まった。
Illust:村上ゆいち
トゥルルルル……トゥルルルル……。
その音がどこから聞こえ始めたのか分からず、ユースベルクは一瞬動きを止めたが、ややあって私物を詰め込んだ革袋から水晶玉を取り出した。その表面が輝き、暗号機能付き秘匿回線を示すメッセージが浮き出ている。手をかざすと通話モードが開く。今回は音声のみの着信らしい。
「ユースベルク。セイクリッド・アルビオン」
破天の騎士は水晶玉の慣例通り、名前と居場所をまず口にした。
「朝の定例会議はもう終わり?ユース君」相手はルール無視で喋り始めた。
「お前か、星刻姫」
「あら覚えていてくれて嬉しい。では名前で呼ぶことも許可してあげるわ。ただし“様”は忘れないでね」
「それはやめておこう、小娘」
言葉だけで聞くと嫌みの応酬のようにも感じられるが、会話自体には意味が無く、互いに無感情に近い。二人が言外に散らしている花火は真剣そのものであった。
「何の用だ」
「知っているでしょう」
「ドラジュエルドはどこだ」
「どうして私が知っていると思うの」
「秘匿回線に侵入し“用件は知っているだろう”とまで言っておいて今更とぼけるな。怪雨の降霊術師ゾルガ、柩機オルフィストの行方も知っているのか」
3名についての報告を、ユースベルクは水晶玉を通じて知っていた。
「それとストイケイアのリアノーンもね……あら、知らなかったの。彼女もいま私たちと一緒なのよ」
彼女の気品漂う涼やかな口調のためもあるが、自白もここまで堂々とされると一種清々しささえ漂う。
「今の発言は裁判でおまえの不利になることがある。我、ケテルサンクチュアリ国地上の都セイクリッド・アルビオンの治安担当にして……」
「権利の読み上げ?責任感が強いのね。頑固な正義感もあいかわらず」
「弁護士を呼ぶ権利も教えてやろう」
「ふふっ、まぁお待ちなさい。そんな振りで動揺を誘いながらリアルタイムデータを上位権限者に一斉転送しようだなんて、機転の利くこと。でもそれは後でゆっくりできるから、こそこそしなくて良いわ」
それはまるで、ユースベルクがこれから操作しようとしていた動作を全て先読みしたかのようだった。
「この後の用が終わったら、あなたのお友達のバスティオンやブルースたちにも知らせればいい……それと聞いた?あの暴れん坊悪魔、この前はブラント月まで飛んで行ったそうよ。どう思う、ユース君」
「噂通り、おまえ達はずいぶんと事情通のようだ。だが俺はいつまでもガキのお喋りに付き合うつもりはないぞ……それとその呼び名はやめろ」
「どうして?ユースベルクってきちんと呼んでいるの、今はもうオールデンくらいしかいないでしょう」
「おまえは友でも同志でも好敵手でもない」
「ま、つまらない」
「用とはそれだけか。もう切るぞ。我は忙しい」
ユースベルクは実際、もう回線を閉じかけていた。
「せっかちね。情報が欲しいならもっとあげるって言っているのよ。あなた一人だけ、特別に。興味ない?」
「……」
「チャンスは1回きり。それとも今から天上騎士団に頼んで逆探知始める?私ならその手は選ばないけれど」
「……」
「沈黙は了解と取るわ。それでは、10数えてから目の前の扉を開けなさい」
「10とはたった今からか、それともこの会話が終わってからか」
「……ユース君。本当に知りたいなら真面目にやりなさい。気が短いのはあなただけではないのよ」
嘆息をついた声の主がやや苛立った口調で言い残すと、通話は唐突に切れた。
10、数えた。
「“星降る夜。悪意が現れる。この星のいずこか」
扉に向かう前、ユースベルクは水晶玉を手に取り、誰に聞かせるでもなく声に出して言った。この時、仮面の騎士が何を思って言ったのかは、彼を見ている者がいたとしてもわからない。
だが槍を片手にユースベルクが扉を開いた時、その先にあるはずの地下水路の通路や壁面はなく──
「ごきげんよう、破天の騎士ユースベルク」
瀟洒な書斎。
窓から覗くのは瘴気たちこめる昼なお暗いダークステイツの空。
水晶玉が置かれた来客用テーブルに腰掛けた、星刻姫アストロア=ユニカが破天の騎士ユースベルクに微笑んでいた。
Illust:п猫R
ダークステイツ/ブラントゲート国境。イザック村より南方5km。
冬の森にソラ・ピリオドは一人、佇んでいる。
群青のジャケットに音も無く降り積もる雪。そのフードに隠された瞳に去来するのは追憶……倒してきた悪の姿か、燃え上がり廃墟と化す故郷の村であろうか。
!
突如、空気が張り詰めた。
ソラがわずかに身をよじると、露わになったジャケットの下から稲妻のように釘のような細身のナイフが滑り出る。
雪の軌道が丸く歪む。
ソラが睨むその先で空間が揺らめき、閃光を発したかと思うとそこには……、
地面にかがみ込んだ悪魔の姿があった。ややあって大柄なその男は起き上がる。
「葬空死団ソラ・ピリオドか」とブルースが重々しく問いかけると、
「ディアブロス “暴虐”ブルースだな。ヴェルストラから話は聞いている」ソラは答えた。
そうか、と悪魔は頷いた。どうやら超銀河基地の転送は今回も過たず、最適な場所へと送ってくれたらしい。ソラはナイフをしまうと、フードを下ろし、また表情を窺えなくした。
「ドラジュエルドの行方について、手かがりがあるという事だが」
「途中で説明する。それよりあんた、少し休まなくていいのか」
とソラ。水晶玉の共有情報によればこの悪魔は、ドラゴンエンパイア新竜骨山系の希望の峰に単独登頂し、その直後に惑星周回軌道上にある銀河英勇』の本部A.E.G.I.S. 基地へ飛び、さらになんとブラント月までも往復し、そのままソラが待機している地上へと転送されてきたのである。聞いているだけで気が遠くなるほどの移動だった。
「構わん。あの老いぼれバカ野郎を早く捕まえたい」
「本当にいいんだな。ここからも甘くはないぞ」
ソラが指を鳴らすと、その背後の雪原から人型機動兵器が立ち上がった。
“天死光”ステルヴェイン。
葬空死団第二部隊“アズライル”所属の機体であり、その識別番号0はソラが操るエース機の証である。
Illust:けんこ
“天死光”ステルヴェインは超低空飛行でダークステイツの領空に侵入した。
雪を被った森、その梢がすぐ眼下にある。
「もっと速く行けないのか」
機体の両腕で吊り下げられているブルースは、ソラに渡されて装着したヘッドセットに口を当てた。
剥き出しでジェット推進の風圧に耐えているはずなのだが、本人の表情にはまったく変化はない。
「俺の相棒はもっと飛ばすぞ」
これは、一足先にチーム・ディアブロスが待つ闘技場へと転送されたリペルドマリス・ドラゴンのことを言っているらしい。
『隠密行動だぞ。無茶言うな』
ソラの応答はシンプルな拒絶だった。
事実、山に住む獣でさえ、“天死光”ステルヴェインの接近に通り過ぎるまで気がつかないほど鮮やかな侵入だった。
「で……ブラントゲートの私兵がなぜダークステイツに隠密で飛行している」
『聞くなら、どうしてこの飛行が魔宝竜に関係するのか、だろう』
とソラ。見かけは十代後半くらいの少年だが、コックピットで操縦桿を握り、危険な超低空飛行を易々とこなす姿には既にベテランの風格がある。
「ドラジュエルドが姿を消したのは1旬(10日)ほど前」ブルースは考えにふけりながら続けた。
「それ以来、虹の魔竜の郎党は主を求めて彷徨っているが、合流したという知らせは聞かない」
ステルヴェインは緩やかに上昇して、またひとつ丘を越えた。
ソラが話し始めた。
『俺は、もともとストイケイアのバイオロイドを追うはずだった』
「世界樹の音楽隊のリアノーンか」
『そうだ。あんたを連れて飛んでほしいという急な依頼があるまでは』
「なにか動きが?」
『1時間ほど前、水晶玉の特設チャンネルにある音声が流れた。バスティオンはそれを合い言葉として警報が出せるよう、メンバーに周知していた。“星降る夜……”」
「“星降る夜。悪意が現れる。この星のいずこか。その脅威は運命力をも歪めるほど強い”。ドラジュエルドの言葉だ。知る者は戦う覚悟を決めた者のみ。……なるほど。あの堅物、あいかわらず頭は切れるな」
『音声は途絶えたが追跡は続けている。俺たちは今、それを追っている』
人型機動兵器と悪魔は誰にも気取られること無く密やかに、しかし着実にそこへと近づいていた。
Illust:NOMISAKI
書斎では優雅に椅子に掛けるアストロアと、完全装備で戸口に立つ騎士ユースベルクが見つめ合っている。
ノックの音。
部屋にあるもう一方の扉が開き、廊下から3人の星刻姫が入ってきた。
一人、ワゴンを押していたシュアト=スパーダが無言で主人と来客にお茶を淹れる。
しかし、その目は決してユースベルクから離れることはない。そして巧みに茶器を操るその右腕が、先日は彼女が紐づく星座である“魔剣”と化していたのを騎士は忘れていなかった。
「なんだか……緊張するねっ」
と蝙蝠(コウモリ)座のピピス=ムルシェの明るい笑い声が室内の沈黙を破る。
「案外、ビックリして言葉も出ないんじゃないか」
と恐竜(ディノドラゴン)座のテュラン=ダイナがにやりと笑って腕を組む。
「皆、破天の騎士殿をからかってはいけないわ。ユース君、お砂糖は?……いらないみたいね」
とアストロアは優雅にカップを口に当て、シュアトが淹れた芳しい湯気の香りを堪能した。
「情報を与えるというから来たのだ。この件、お前たちはどこまで関わっている」
ユースベルクの声はどこまでも冷静だった。だが、4人いずれからも答えは無い。質問を変えてみる。
「あの扉を操る力は魔法か」
「星刻の魔術。その初歩も初歩。子供だましよ」とアストロアは静かにカップを傾けた。
「子供の時、よくみんなで良く遊んだよね。あっちとこっち色んな所と繋げて」
ピピスが2つの扉を差して、指をくるくる回した。
「あなたが選ぶのはいつもおかしな所ばかり」とシュアトは長い髪を掻き上げた。
「どっかの魔王様の浴室に繋がっちまったのは傑作だったよなぁ」テュランは豪快に笑う。
「もういい」
ユースベルクは遮った。ひとつ聞くと4つ返ってきてしまう。これだから女どものお喋りというのは……。
「あ。いま何かひどい悪口考えてましたねっ」とピピスが今度は仮面の騎士を指差す。
「ピピス、勝手に盛り上がっている私たちが悪いのよ。悪かったわ、ユース君。退屈させてしまって」
アストロアはゆらりと立ち上がると、もう一方の扉に近づいて開けた。
するとその向こうは廊下ではなく、ダークステイツの暗い陽が差す中庭とそれを囲む回廊だった。
「ついて来て」
ユースベルクは自分を注視する3人の少女たちの間を抜け、アストロアに付き従って外に出た。
中庭の中央まで出て、自然と2人は距離を取って相対する。
「わかるわね」
「勝ったら情報を喋る、お決まりの交換条件だな。そろそろ貴様も本気とやらを見せたいのだろう」
ユースベルクの口調はむしろ明るかった。決戦の予感に血が騒ぐ。常に強者との闘いを求めるのは騎士の救われぬ性である。
「いいえ。遊びながら教えてあげるわ。どうせあなたは負けるけど」
アストロアの右手に天球儀のような形のオーラが収束した。すでに闘いは始まっているのだ。
「私たちは星刻姫。ダークステイツでもとても古い家系で、星座から運命を読み解く事を生業としてきた。特に私の星刻は、国家を左右するほどの力を持っている」
「それで我がバスティオンを殺し、王となる運命だったと?国の相談役とやらも大したものではないな」
挑発したユースベルクの周りでエネルギーの爆発が3つ、炸裂した。どうやら怒らせてしまったらしい。
「人は期待外れも多いもの。あなたみたいにね。星の偉大な力を侮辱しないで」
「推参!」
素早く距離を詰めたユースベルクは槍を繰り出すものの、額に一角のオーラを浮き立たせたアストロアは微笑みながら切っ先を躱してゆく。深窓の令嬢然としたアストロアだが、真剣を前にしても全く臆する様子はない。
「歴史とはほとんど覆ることのない大いなる流れ。あなたは……いえ、あなた達は負ける運命」
「本題から逸れているぞ。知りたいのは行方不明者についてだ。掠ったのはお前たちだな!」
会話同様、ひらりひらりと遇われ噛み合わない戦いにユースベルクは少し苛立ちを滲ませる。
「掠うなんてとんでもない。彼ら彼女らは進んで加わったのよ」
「お前たちは“悪意”の一味なのだろうが」
ユースベルクが思い出していたのは、ケテルサンクチュアリの聖所で遭遇した人とも獣とも鳥ともつなかない異形の群れのことだった。
「逆よ、失礼ね。“悪意”は龍樹を信奉する者。そしてその影響力によって変質した生き物のなれの果て。あちらこそ手先に過ぎない。私たちは、龍樹のもたらす膨大な力と共にあるのよ」
「龍樹とは何か」
ユースベルクは今、アストロアの披露する話が核心に近づきつつあることを悟っていた。変質した信奉者だと?ではこの事態が起こる以前より、この惑星には龍樹なるものの襲来を予知し、迎え入れようとした者がいだということか。いや、まさか。
「力の象徴よ。この星を変える圧倒的な流れ。まもなくこの星は祖となる種子によってその有り様を変える。今からでも遅くないわ、ユースベルク。あなたも加わりなさい」
「そんな誘いに俺が乗るとでも?」
「あら、ユース君が出てきたわね。あくまでも聴く耳を持たないというなら……滅びなさい」
Illust:北熊
「龍樹の落胤スカル・ケムダー」
アストロアが左手を差し伸べて呼ぶと、何もいなかったはずの空中から巨大な骸骨のような姿が実体化し、彼女の側に降り立つと恭しくあるものを捧げた。
「龍樹の落とせし雫が一粒。罪知らぬ、無尽の貪欲」
そう謳うように唱えながら、アストロアは左手に受け取ったものをユースベルクに突き出して見せた。
それは、仮面だった。
「我らはマスクス。世界を変革し、すべてを統べるもの」
「マスクスだと!?」
アストロアは仮面を持ち上げると左の半面に着けた。それは眼のようであり角のようでもあり羽根のようにも見える。
「湧き上がる。舞い踊る。そして崩れ落ちる」
その言葉どおり、激しいエネルギーの放出に揺さぶられた中庭の地面はめくれ、回廊の柱がきしんで揺らぎ、星刻姫の屋敷の洋瓦が滝のように崩れ落ちた。
本能的に槍を構えたユースベルクの前で、いままで黒衣の一角獣の様だった星刻姫は、白衣の二角獣へと変化していた
「私の新たなる名前は、異星刻姫アストロア=バイコ・マスクス」
美しい、しかしとてつもなく危険な存在が今、満面の笑みを浮かべた。
Illust:NOMISAKI
中庭に破天の騎士は槍だけを支えに、中庭の地面に片膝をついていた。いま地に倒れ伏していないのは彼の高いプライドがそれを許さないだけだ。
アストロアは散々エネルギー弾を叩きこんだ相手に賛辞を送った。彼女はまだ息も上がっていない。
「やるわね、このマスクス相手に、普通の人間が。これがあなたの言う騎士の誇りというの」
ぐっとユースベルクの視線があがる。アストロア=バイコ・マスクスの笑顔がわずかに曇った。
「……そうこなくては。では、もうちょっと遊んであげようかしら」
「姫!」
テュラン=ダイナの警告は不要だった。超長距離から飛来した弾丸を、アストロアは最小限の動きで避けたからだ。風圧に巻き上げられた艶やかな黒髪の背後で中庭の土砂が着弾の衝撃で噴き上がる。
「ようやくご到着?」
異星刻姫アストロア=バイコ・マスクスは白いドレスのような装いで居住まいを正した。宮廷でダンスに臨む淑女のごとき所作だが、それはまぎれもなく臨戦態勢である。
キィィィィン……!
初撃からかなり時間を空いて、スナイパーライフルを抱えた人型機動兵器、葬空死団“天死光”ステルヴェインが屋敷に突入してきた。
「淑女を狙撃なんて無粋極まるわね。叩き落としてあげる!」
アストロアと回廊に控えていた3人の星刻姫全員の注意が上空に向けられた、その瞬間。
Hut! Hut!!
掛け声とともに一陣の影が中庭を駆け抜けた。
駆け抜ける疾風の名はブルース!
ディアブロス “暴虐”ブルースこそ、ギャロウズボール不出世のスタアだ!
アストロアが振り返った時にはユースベルクは掠われ、悪魔は彼方に駆け去っていた。
「こうして会うのは初めてだよな。俺の名はユースだ」
抱えられた破天の騎士ユースベルクは雪原をひた走るブルースに呼びかけた。
“構えろ!”と呼びかけられた瞬間、破天の騎士は身体を硬めて、来るべき衝撃に備えていたのである。でなければ悪魔の突進で救出どころか、さらなるダメージを負っていたのは間違いない。凄まじく荒っぽいやり方だった。だが悪くない。
「喋るな。舌噛むぞ」
ブルースの短い返答にユースベルクは黙って従った。
気がつけば星刻姫の追撃は無かった。人型機動兵器も離脱に成功したようだ。
見逃してくれたのだろうか。ユースベルクは瘴気垂れこめるダークステイツの空を見ながら思いを巡らせた。
いや、そうではないだろう。おそらくアストロアは、あのマスクスは……。
「また会いましょうね、ユース君」
そう呟いて俺たちを見送ったはずだからだ。
※註.単位、嗜好品の名称(砂糖)、掛け声は地球のものに変換した。
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《今回の一口用語メモ》
マスクス
我がシャドウパラディン精鋭の懸命な調査にも関わらず、まだ不明な部分も多いが
水晶玉所持者および閲覧許可を有する者を対象として、
「マスクス」に関連する第1回目の報告を下記にしていきたい。
まずは惑星クレイで連続しておきている行方不明事件について。
現在姿を消している著名人をその捜索依頼主とあわせて列記する。
魔宝竜ドラジュエルド【虹の魔竜 眷属たち】
満開の大行進 リアノーン【世界樹の音楽隊およびカラーガード3名】
怪雨の降霊術師ゾルガ【継承の乙女ヘンドリーナ】
柩機の神 オルフィスト【柩機およびブラントゲート宇宙軍】
また、所在が確認できている上に捜索依頼も出ていないので上の一覧には当たらないが今回、事件との関わりを認めたため、マスクス関係者として下記4人の名前をあげておく。
星刻姫 アストロア=ユニカ
星刻姫 ピピス=ムルシェ
星刻姫 シュアト=スパーダ
星刻姫 テュラン=ダイナ
さて、マスクスに関してである。
結論から言えば、現時点では
・“仮面”を持ち(誰かに与えられ?)、その恩恵を得る者たちが「マスクス」と自称している。
・“仮面”を着けることによって驚異的な力を得ることができる。
・“仮面”装着後も本人の自我を保ったままである。脱着も本人の自由意思に任され、洗脳の疑いや強制は星刻姫 アストロア=ユニカの言動を見る限り無いようである。
・目的は不明。
・行方不明との関わりも濃厚なため、賢者たちの間ではドラジュエルドが密かに言い残した「星降る夜の脅威」との関連も疑われている。
と、判明しているのはこの程度となる。
今後も引き続き、情報がわかり次第、掲載・共有する予定である。
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ケテルサンクチュアリ、地上の都セイクリッド・アルビオン。
この都市と地上の治安を担う破天騎士団は、かつて旧都と呼ばれていたセイクリッド・アルビオンの地下に広がる水路網そのものを根城としている。
「何か質問はある?……いいみたいね、じゃ解散!」
とフリーデ。その号令に、起立した団員たちが気合いをあげて応答した。
この若い女獣人の戦士は破天の騎士としても古参であり、部下や同僚からの信頼も厚く、会議でもよく進行を任される。常にユースベルクの右腕たらんと姿勢を正す様子は、ベテランの戦士らしい風格はあるものの、団長に対する隠しきれない熱狂的な忠誠心ゆえに仲間内からは微笑ましく見られることが多い。
「俺はこれから新人研修だ。何ごともまずは清掃から。さぁ掃除用具持ってついてきな、ヒヨっ子さんたち」
破断の騎士シュナイゼルは新兵たちを促して席を外した。シュナイゼルもユースベルクの腹心である。
集会に使っていた石造りの部屋から、団員たちが整然と立ち去ってゆく。
ここは地下に幾つかある拠点のひとつ。破天騎士団の団員の多くは、素に戻れば普通の市民(英雄ユースを慕う義勇兵)であったり天上騎士団から派遣された見習いであったり、みな朗らかな若者たちだが、任務中はそのリーダーに似て、みな寡黙であり自分のやるべき事に真剣に向き合っている。
「午後は反抗励起の定期整備だぞ。忘れずラボに寄れ」
とアリアドネ。この黒衣の女エルフだけはユースベルクがどれほど人望を集め、その社会的重要度が増しても上から目線で話すのを止めない。ユースベルクも鷹揚に頷いた。素人から職業軍人、天才技術者まで集う人材をあるがままに受け入れつつ軍団として束ねる統率力と度量の大きさは、リーダーとして恵まれた資質である。
「ユース……」
最後に扉をくぐったフリーデは何か言いたげに振り向いたが、ユースベルクが気さくに(フリーデは仮面ごしにこの命の恩人の機嫌を察するのが特技である)顔をあげて「何だ?何かあれば聞くぞ」と目線を送ってくれたのに逆に気後れしてしまう。
《革命》からこの方、あまりにも多忙な日々でありあまりにも大きな変化があった。それは今も続いている。話したいことは山ほどあった。もちろんユースも親身になって聞いてくれるだろう。でもそれはたぶん甘えなのだ。相手を思えばこそ黙っていた方が賢明なこともある。そのことが分かる程度には自分は大人なのだとフリーデは思っていたので、ここは動揺をおさえつつ気合いを入れることに切り替えた。
「ううん。なんでもない。今日も一日、頑張ろー!」と元気よく片手を開けてみせる。
「あぁ」
ユースベルクは応えて小さく片手を上げ、扉が閉まった。
Illust:村上ゆいち
トゥルルルル……トゥルルルル……。
その音がどこから聞こえ始めたのか分からず、ユースベルクは一瞬動きを止めたが、ややあって私物を詰め込んだ革袋から水晶玉を取り出した。その表面が輝き、暗号機能付き秘匿回線を示すメッセージが浮き出ている。手をかざすと通話モードが開く。今回は音声のみの着信らしい。
「ユースベルク。セイクリッド・アルビオン」
破天の騎士は水晶玉の慣例通り、名前と居場所をまず口にした。
「朝の定例会議はもう終わり?ユース君」相手はルール無視で喋り始めた。
「お前か、星刻姫」
「あら覚えていてくれて嬉しい。では名前で呼ぶことも許可してあげるわ。ただし“様”は忘れないでね」
「それはやめておこう、小娘」
言葉だけで聞くと嫌みの応酬のようにも感じられるが、会話自体には意味が無く、互いに無感情に近い。二人が言外に散らしている花火は真剣そのものであった。
「何の用だ」
「知っているでしょう」
「ドラジュエルドはどこだ」
「どうして私が知っていると思うの」
「秘匿回線に侵入し“用件は知っているだろう”とまで言っておいて今更とぼけるな。怪雨の降霊術師ゾルガ、柩機オルフィストの行方も知っているのか」
3名についての報告を、ユースベルクは水晶玉を通じて知っていた。
「それとストイケイアのリアノーンもね……あら、知らなかったの。彼女もいま私たちと一緒なのよ」
彼女の気品漂う涼やかな口調のためもあるが、自白もここまで堂々とされると一種清々しささえ漂う。
「今の発言は裁判でおまえの不利になることがある。我、ケテルサンクチュアリ国地上の都セイクリッド・アルビオンの治安担当にして……」
「権利の読み上げ?責任感が強いのね。頑固な正義感もあいかわらず」
「弁護士を呼ぶ権利も教えてやろう」
「ふふっ、まぁお待ちなさい。そんな振りで動揺を誘いながらリアルタイムデータを上位権限者に一斉転送しようだなんて、機転の利くこと。でもそれは後でゆっくりできるから、こそこそしなくて良いわ」
それはまるで、ユースベルクがこれから操作しようとしていた動作を全て先読みしたかのようだった。
「この後の用が終わったら、あなたのお友達のバスティオンやブルースたちにも知らせればいい……それと聞いた?あの暴れん坊悪魔、この前はブラント月まで飛んで行ったそうよ。どう思う、ユース君」
「噂通り、おまえ達はずいぶんと事情通のようだ。だが俺はいつまでもガキのお喋りに付き合うつもりはないぞ……それとその呼び名はやめろ」
「どうして?ユースベルクってきちんと呼んでいるの、今はもうオールデンくらいしかいないでしょう」
「おまえは友でも同志でも好敵手でもない」
「ま、つまらない」
「用とはそれだけか。もう切るぞ。我は忙しい」
ユースベルクは実際、もう回線を閉じかけていた。
「せっかちね。情報が欲しいならもっとあげるって言っているのよ。あなた一人だけ、特別に。興味ない?」
「……」
「チャンスは1回きり。それとも今から天上騎士団に頼んで逆探知始める?私ならその手は選ばないけれど」
「……」
「沈黙は了解と取るわ。それでは、10数えてから目の前の扉を開けなさい」
「10とはたった今からか、それともこの会話が終わってからか」
「……ユース君。本当に知りたいなら真面目にやりなさい。気が短いのはあなただけではないのよ」
嘆息をついた声の主がやや苛立った口調で言い残すと、通話は唐突に切れた。
10、数えた。
「“星降る夜。悪意が現れる。この星のいずこか」
扉に向かう前、ユースベルクは水晶玉を手に取り、誰に聞かせるでもなく声に出して言った。この時、仮面の騎士が何を思って言ったのかは、彼を見ている者がいたとしてもわからない。
だが槍を片手にユースベルクが扉を開いた時、その先にあるはずの地下水路の通路や壁面はなく──
「ごきげんよう、破天の騎士ユースベルク」
瀟洒な書斎。
窓から覗くのは瘴気たちこめる昼なお暗いダークステイツの空。
水晶玉が置かれた来客用テーブルに腰掛けた、星刻姫アストロア=ユニカが破天の騎士ユースベルクに微笑んでいた。
Illust:п猫R
ダークステイツ/ブラントゲート国境。イザック村より南方5km。
冬の森にソラ・ピリオドは一人、佇んでいる。
群青のジャケットに音も無く降り積もる雪。そのフードに隠された瞳に去来するのは追憶……倒してきた悪の姿か、燃え上がり廃墟と化す故郷の村であろうか。
!
突如、空気が張り詰めた。
ソラがわずかに身をよじると、露わになったジャケットの下から稲妻のように釘のような細身のナイフが滑り出る。
雪の軌道が丸く歪む。
ソラが睨むその先で空間が揺らめき、閃光を発したかと思うとそこには……、
地面にかがみ込んだ悪魔の姿があった。ややあって大柄なその男は起き上がる。
「葬空死団ソラ・ピリオドか」とブルースが重々しく問いかけると、
「ディアブロス “暴虐”ブルースだな。ヴェルストラから話は聞いている」ソラは答えた。
そうか、と悪魔は頷いた。どうやら超銀河基地の転送は今回も過たず、最適な場所へと送ってくれたらしい。ソラはナイフをしまうと、フードを下ろし、また表情を窺えなくした。
「ドラジュエルドの行方について、手かがりがあるという事だが」
「途中で説明する。それよりあんた、少し休まなくていいのか」
とソラ。水晶玉の共有情報によればこの悪魔は、ドラゴンエンパイア新竜骨山系の希望の峰に単独登頂し、その直後に惑星周回軌道上にある銀河英勇』の本部A.E.G.I.S. 基地へ飛び、さらになんとブラント月までも往復し、そのままソラが待機している地上へと転送されてきたのである。聞いているだけで気が遠くなるほどの移動だった。
「構わん。あの老いぼれバカ野郎を早く捕まえたい」
「本当にいいんだな。ここからも甘くはないぞ」
ソラが指を鳴らすと、その背後の雪原から人型機動兵器が立ち上がった。
“天死光”ステルヴェイン。
葬空死団第二部隊“アズライル”所属の機体であり、その識別番号0はソラが操るエース機の証である。
Illust:けんこ
“天死光”ステルヴェインは超低空飛行でダークステイツの領空に侵入した。
雪を被った森、その梢がすぐ眼下にある。
「もっと速く行けないのか」
機体の両腕で吊り下げられているブルースは、ソラに渡されて装着したヘッドセットに口を当てた。
剥き出しでジェット推進の風圧に耐えているはずなのだが、本人の表情にはまったく変化はない。
「俺の相棒はもっと飛ばすぞ」
これは、一足先にチーム・ディアブロスが待つ闘技場へと転送されたリペルドマリス・ドラゴンのことを言っているらしい。
『隠密行動だぞ。無茶言うな』
ソラの応答はシンプルな拒絶だった。
事実、山に住む獣でさえ、“天死光”ステルヴェインの接近に通り過ぎるまで気がつかないほど鮮やかな侵入だった。
「で……ブラントゲートの私兵がなぜダークステイツに隠密で飛行している」
『聞くなら、どうしてこの飛行が魔宝竜に関係するのか、だろう』
とソラ。見かけは十代後半くらいの少年だが、コックピットで操縦桿を握り、危険な超低空飛行を易々とこなす姿には既にベテランの風格がある。
「ドラジュエルドが姿を消したのは1旬(10日)ほど前」ブルースは考えにふけりながら続けた。
「それ以来、虹の魔竜の郎党は主を求めて彷徨っているが、合流したという知らせは聞かない」
ステルヴェインは緩やかに上昇して、またひとつ丘を越えた。
ソラが話し始めた。
『俺は、もともとストイケイアのバイオロイドを追うはずだった』
「世界樹の音楽隊のリアノーンか」
『そうだ。あんたを連れて飛んでほしいという急な依頼があるまでは』
「なにか動きが?」
『1時間ほど前、水晶玉の特設チャンネルにある音声が流れた。バスティオンはそれを合い言葉として警報が出せるよう、メンバーに周知していた。“星降る夜……”」
「“星降る夜。悪意が現れる。この星のいずこか。その脅威は運命力をも歪めるほど強い”。ドラジュエルドの言葉だ。知る者は戦う覚悟を決めた者のみ。……なるほど。あの堅物、あいかわらず頭は切れるな」
『音声は途絶えたが追跡は続けている。俺たちは今、それを追っている』
人型機動兵器と悪魔は誰にも気取られること無く密やかに、しかし着実にそこへと近づいていた。
Illust:NOMISAKI
書斎では優雅に椅子に掛けるアストロアと、完全装備で戸口に立つ騎士ユースベルクが見つめ合っている。
ノックの音。
部屋にあるもう一方の扉が開き、廊下から3人の星刻姫が入ってきた。
一人、ワゴンを押していたシュアト=スパーダが無言で主人と来客にお茶を淹れる。
しかし、その目は決してユースベルクから離れることはない。そして巧みに茶器を操るその右腕が、先日は彼女が紐づく星座である“魔剣”と化していたのを騎士は忘れていなかった。
「なんだか……緊張するねっ」
と蝙蝠(コウモリ)座のピピス=ムルシェの明るい笑い声が室内の沈黙を破る。
「案外、ビックリして言葉も出ないんじゃないか」
と恐竜(ディノドラゴン)座のテュラン=ダイナがにやりと笑って腕を組む。
「皆、破天の騎士殿をからかってはいけないわ。ユース君、お砂糖は?……いらないみたいね」
とアストロアは優雅にカップを口に当て、シュアトが淹れた芳しい湯気の香りを堪能した。
「情報を与えるというから来たのだ。この件、お前たちはどこまで関わっている」
ユースベルクの声はどこまでも冷静だった。だが、4人いずれからも答えは無い。質問を変えてみる。
「あの扉を操る力は魔法か」
「星刻の魔術。その初歩も初歩。子供だましよ」とアストロアは静かにカップを傾けた。
「子供の時、よくみんなで良く遊んだよね。あっちとこっち色んな所と繋げて」
ピピスが2つの扉を差して、指をくるくる回した。
「あなたが選ぶのはいつもおかしな所ばかり」とシュアトは長い髪を掻き上げた。
「どっかの魔王様の浴室に繋がっちまったのは傑作だったよなぁ」テュランは豪快に笑う。
「もういい」
ユースベルクは遮った。ひとつ聞くと4つ返ってきてしまう。これだから女どものお喋りというのは……。
「あ。いま何かひどい悪口考えてましたねっ」とピピスが今度は仮面の騎士を指差す。
「ピピス、勝手に盛り上がっている私たちが悪いのよ。悪かったわ、ユース君。退屈させてしまって」
アストロアはゆらりと立ち上がると、もう一方の扉に近づいて開けた。
するとその向こうは廊下ではなく、ダークステイツの暗い陽が差す中庭とそれを囲む回廊だった。
「ついて来て」
ユースベルクは自分を注視する3人の少女たちの間を抜け、アストロアに付き従って外に出た。
中庭の中央まで出て、自然と2人は距離を取って相対する。
「わかるわね」
「勝ったら情報を喋る、お決まりの交換条件だな。そろそろ貴様も本気とやらを見せたいのだろう」
ユースベルクの口調はむしろ明るかった。決戦の予感に血が騒ぐ。常に強者との闘いを求めるのは騎士の救われぬ性である。
「いいえ。遊びながら教えてあげるわ。どうせあなたは負けるけど」
アストロアの右手に天球儀のような形のオーラが収束した。すでに闘いは始まっているのだ。
「私たちは星刻姫。ダークステイツでもとても古い家系で、星座から運命を読み解く事を生業としてきた。特に私の星刻は、国家を左右するほどの力を持っている」
「それで我がバスティオンを殺し、王となる運命だったと?国の相談役とやらも大したものではないな」
挑発したユースベルクの周りでエネルギーの爆発が3つ、炸裂した。どうやら怒らせてしまったらしい。
「人は期待外れも多いもの。あなたみたいにね。星の偉大な力を侮辱しないで」
「推参!」
素早く距離を詰めたユースベルクは槍を繰り出すものの、額に一角のオーラを浮き立たせたアストロアは微笑みながら切っ先を躱してゆく。深窓の令嬢然としたアストロアだが、真剣を前にしても全く臆する様子はない。
「歴史とはほとんど覆ることのない大いなる流れ。あなたは……いえ、あなた達は負ける運命」
「本題から逸れているぞ。知りたいのは行方不明者についてだ。掠ったのはお前たちだな!」
会話同様、ひらりひらりと遇われ噛み合わない戦いにユースベルクは少し苛立ちを滲ませる。
「掠うなんてとんでもない。彼ら彼女らは進んで加わったのよ」
「お前たちは“悪意”の一味なのだろうが」
ユースベルクが思い出していたのは、ケテルサンクチュアリの聖所で遭遇した人とも獣とも鳥ともつなかない異形の群れのことだった。
「逆よ、失礼ね。“悪意”は龍樹を信奉する者。そしてその影響力によって変質した生き物のなれの果て。あちらこそ手先に過ぎない。私たちは、龍樹のもたらす膨大な力と共にあるのよ」
「龍樹とは何か」
ユースベルクは今、アストロアの披露する話が核心に近づきつつあることを悟っていた。変質した信奉者だと?ではこの事態が起こる以前より、この惑星には龍樹なるものの襲来を予知し、迎え入れようとした者がいだということか。いや、まさか。
「力の象徴よ。この星を変える圧倒的な流れ。まもなくこの星は祖となる種子によってその有り様を変える。今からでも遅くないわ、ユースベルク。あなたも加わりなさい」
「そんな誘いに俺が乗るとでも?」
「あら、ユース君が出てきたわね。あくまでも聴く耳を持たないというなら……滅びなさい」
Illust:北熊
「龍樹の落胤スカル・ケムダー」
アストロアが左手を差し伸べて呼ぶと、何もいなかったはずの空中から巨大な骸骨のような姿が実体化し、彼女の側に降り立つと恭しくあるものを捧げた。
「龍樹の落とせし雫が一粒。罪知らぬ、無尽の貪欲」
そう謳うように唱えながら、アストロアは左手に受け取ったものをユースベルクに突き出して見せた。
それは、仮面だった。
「我らはマスクス。世界を変革し、すべてを統べるもの」
「マスクスだと!?」
アストロアは仮面を持ち上げると左の半面に着けた。それは眼のようであり角のようでもあり羽根のようにも見える。
「湧き上がる。舞い踊る。そして崩れ落ちる」
その言葉どおり、激しいエネルギーの放出に揺さぶられた中庭の地面はめくれ、回廊の柱がきしんで揺らぎ、星刻姫の屋敷の洋瓦が滝のように崩れ落ちた。
本能的に槍を構えたユースベルクの前で、いままで黒衣の一角獣の様だった星刻姫は、白衣の二角獣へと変化していた
「私の新たなる名前は、異星刻姫アストロア=バイコ・マスクス」
美しい、しかしとてつもなく危険な存在が今、満面の笑みを浮かべた。
Illust:NOMISAKI
中庭に破天の騎士は槍だけを支えに、中庭の地面に片膝をついていた。いま地に倒れ伏していないのは彼の高いプライドがそれを許さないだけだ。
アストロアは散々エネルギー弾を叩きこんだ相手に賛辞を送った。彼女はまだ息も上がっていない。
「やるわね、このマスクス相手に、普通の人間が。これがあなたの言う騎士の誇りというの」
ぐっとユースベルクの視線があがる。アストロア=バイコ・マスクスの笑顔がわずかに曇った。
「……そうこなくては。では、もうちょっと遊んであげようかしら」
「姫!」
テュラン=ダイナの警告は不要だった。超長距離から飛来した弾丸を、アストロアは最小限の動きで避けたからだ。風圧に巻き上げられた艶やかな黒髪の背後で中庭の土砂が着弾の衝撃で噴き上がる。
「ようやくご到着?」
異星刻姫アストロア=バイコ・マスクスは白いドレスのような装いで居住まいを正した。宮廷でダンスに臨む淑女のごとき所作だが、それはまぎれもなく臨戦態勢である。
キィィィィン……!
初撃からかなり時間を空いて、スナイパーライフルを抱えた人型機動兵器、葬空死団“天死光”ステルヴェインが屋敷に突入してきた。
「淑女を狙撃なんて無粋極まるわね。叩き落としてあげる!」
アストロアと回廊に控えていた3人の星刻姫全員の注意が上空に向けられた、その瞬間。
Hut! Hut!!
掛け声とともに一陣の影が中庭を駆け抜けた。
駆け抜ける疾風の名はブルース!
ディアブロス “暴虐”ブルースこそ、ギャロウズボール不出世のスタアだ!
アストロアが振り返った時にはユースベルクは掠われ、悪魔は彼方に駆け去っていた。
「こうして会うのは初めてだよな。俺の名はユースだ」
抱えられた破天の騎士ユースベルクは雪原をひた走るブルースに呼びかけた。
“構えろ!”と呼びかけられた瞬間、破天の騎士は身体を硬めて、来るべき衝撃に備えていたのである。でなければ悪魔の突進で救出どころか、さらなるダメージを負っていたのは間違いない。凄まじく荒っぽいやり方だった。だが悪くない。
「喋るな。舌噛むぞ」
ブルースの短い返答にユースベルクは黙って従った。
気がつけば星刻姫の追撃は無かった。人型機動兵器も離脱に成功したようだ。
見逃してくれたのだろうか。ユースベルクは瘴気垂れこめるダークステイツの空を見ながら思いを巡らせた。
いや、そうではないだろう。おそらくアストロアは、あのマスクスは……。
「また会いましょうね、ユース君」
そう呟いて俺たちを見送ったはずだからだ。
了
※註.単位、嗜好品の名称(砂糖)、掛け声は地球のものに変換した。
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《今回の一口用語メモ》
マスクス
我がシャドウパラディン精鋭の懸命な調査にも関わらず、まだ不明な部分も多いが
水晶玉所持者および閲覧許可を有する者を対象として、
「マスクス」に関連する第1回目の報告を下記にしていきたい。
まずは惑星クレイで連続しておきている行方不明事件について。
現在姿を消している著名人をその捜索依頼主とあわせて列記する。
魔宝竜ドラジュエルド【虹の魔竜 眷属たち】
満開の大行進 リアノーン【世界樹の音楽隊およびカラーガード3名】
怪雨の降霊術師ゾルガ【継承の乙女ヘンドリーナ】
柩機の神 オルフィスト【柩機およびブラントゲート宇宙軍】
また、所在が確認できている上に捜索依頼も出ていないので上の一覧には当たらないが今回、事件との関わりを認めたため、マスクス関係者として下記4人の名前をあげておく。
星刻姫 アストロア=ユニカ
星刻姫 ピピス=ムルシェ
星刻姫 シュアト=スパーダ
星刻姫 テュラン=ダイナ
さて、マスクスに関してである。
結論から言えば、現時点では
・“仮面”を持ち(誰かに与えられ?)、その恩恵を得る者たちが「マスクス」と自称している。
・“仮面”を着けることによって驚異的な力を得ることができる。
・“仮面”装着後も本人の自我を保ったままである。脱着も本人の自由意思に任され、洗脳の疑いや強制は星刻姫 アストロア=ユニカの言動を見る限り無いようである。
・目的は不明。
・行方不明との関わりも濃厚なため、賢者たちの間ではドラジュエルドが密かに言い残した「星降る夜の脅威」との関連も疑われている。
と、判明しているのはこの程度となる。
今後も引き続き、情報がわかり次第、掲載・共有する予定である。
シャドウパラディン第5騎士団副団長/水晶玉特設チャンネル管理配信担当チーフ
厳罰の騎士ゲイド 拝
厳罰の騎士ゲイド 拝
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡