ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
090 龍樹篇「武装鏡鳴 ミラズヴェルリーナ」
ドラゴンエンパイア
種族 タリスマン
ぽふ!ぽふ!ぽふっ!
「むぐ!」「きゃっ!」「む、無念……」
焔の巫女ゾンネ、ローナ、装撃竜ストレガリオの顔に雪玉が命中。
「はい、失格」「ゾンネ、ローナ、ストレガリオ、退場して」
喋る黒猫アマナと、それを肩にのせた焔の巫女レイユが淡々と判定を下した。
声援と歓声を上げる世界樹の音楽隊やプレアドラゴン、沈黙して佇む黒衣の一団マスクスと違って、彼女たちは審判。あくまで中立の立場でなければならない。この点、1匹と1人は良い人選と言えよう。
「やったー!」
雪を固めて造った盾陣地の後ろで、リアノーンとアムリア、ディアンサが歓声を上げてハイタッチする。
ここで残る参加メンバーを数えてみよう。
・天輪チーム
:焔の巫女リノ、トリクスタ、装照竜グレイルミラ、そしてサプライズ・エッグ
・世界樹の音楽隊チーム
:満開の大行進リアノーンと吹き上げる信愛アムリア、パフォーミングペタル ディアンサ、そして“竜”とだけエントリーされている長細い蛇のようなもの。
4vs4。
勝者は今宵、“樹と語らう者”となる。
時刻は夕刻。辺りは一面の雪景色。
白夜の沈まぬ陽の下、一同を見守るのは凍える南極の山々を背に聳え立つ「ブラントゲートの極東世界樹」。
一見のどかな、しかし実に真剣な攻防戦は終盤を迎えつつあった。
Illust:ToMo
──30分ほど前。
リノたち天輪の一行は、ブラントゲート極東の上空に差し掛かっていた。
正月に滞在していたドラゴンエンパイアの東洋地域を発ち、ドラゴニア海を越えてグレートネイチャー総合大学の客となり、さらにストイケイア旧ズー領を縦断して、尽きせぬ泉の町ヌエバへ。さらに南極海を越えてブラントゲート国と、気候の変化も雪のない穏やかな冬枯れの温泉町から常春の森林地帯、そして白夜の極寒までと変化も目まぐるしい。
リノがプレアドラゴンの背に乗って急ぎ駆けつけたのには、複数の依頼がひとつの地点、つまりここファーイーストドームの東にある極東世界樹を指していたからだ。
「リノ、あそこ」とトリクスタ。
それを受けてリノは乗っていた装剣竜ガロンダイトに着地点を告げる。後に続くプレアドラゴンの一群も後に続いた。
『そのまま降下してください、リノ。手続きは終わらせてあります。ようこそブラントゲート国へ』
「感謝します、捜査官セラス」
手の中の水晶玉から聞こえる極光戦姫セラス・ホワイトの声に、リノは心から礼を言った。二人は先の《世界の選択》で出会った仲である。ともに平和と正義を愛する同士、心友といっても過言ではない。
リノたち「天輪」と呼ばれる一行は最近、これらプレアドラゴンの群れがトレードマークのようになっているが──特に正体を隠すこともなかったので──増え続ける竜の頭数が事情をよく知らないものにとっては脅威と感じられるほどになっている。もちろん母なるバヴサーガラが特に選びぬいて仕えさせているプレアドラゴンはいずれも主に忠実かつ古武士然とした性格であり、一度も地元民とトラブルなど起こしたこともないが、それでも空を埋め尽くす精強な竜の群れは一国の軍隊と見まごう偉容、大所帯ではある。
そこで各国の航空管制局にはあらかじめ移動の連絡を入れるようにしてあるのだが、これにはドラゴンエンパイア国竜皇帝から下賜された特製の水晶玉が役に立っていた。
Illust:にじまあるく
「リアノーン!」
ガロンダイトが着地するまで待てずに、リノは竜の背から飛び降りながら叫んだ。
「わぁっ!リノ、ご無沙汰でーす!」
集団の先頭を歩いていた満開の大行進リアノーン──セラスであればこの時リアノーンは一度つけたマスクをまた外していたことを指摘できただろう──は、リノの予想に反して屈託ない笑顔と抱擁で、友を迎えた。だがよく見ればリノが棒立ちだったのに気がつくだろう。
「トリクスタも!」
やあ、とトリクスタも手を上げて応える。しかし心なしか、こちらにもいつもの元気は無い。その足元にはいつの間にか天輪竜の卵サプライズ・エッグも姿を見せている。
だがリアノーンがそんな違和感に気づく間もなく、さらに懐かしい声が上空から降ってきた。
「リアノーン!」「こっちこっち!」「もう心配かけて……」
コルフィ、グラシア、レクティナ。世界樹の音楽隊カラーガード三人娘である。
見れば、パフォーミングペダル ディアンサの姿もあった。音楽隊には欠かせない中核メンバーだ。
拠点であるヌエバの町に滞在していた世界樹の音楽隊は、リノたち天輪の一行が姿を消したリアノーンの行方についての情報を掴んだことを知り、人数ギリギリまで絞り同行を願い出たのだった。
「みんなー!」
リノにしがみついたまま手を振るリアノーン。
だが抱擁に応えぬままリノが放った次のひと言で、その華やいだ動きは凍り付いた。
「リアノーン。わたし、あなたを止めに来ました」
目を見開いて身を離すリアノーンの肩をつかんで、リノは強い視線で彼女を捕らえた。
「ここからは一歩も先へは進ませません。世界樹の元には、絶対に」
Illust:藤ちょこ
「えーっと。お話、整理させてください。つまり……」
とアムリア。リアノーンにスカウトされ、世界樹の音楽隊に新加入したメンバーであり、ブラントゲート入国手続きでは身元引受人に名乗り出ていた。
「リノさんと天輪の皆さんは、リアノーンが何か悪いことしてるって言うんですか?!」
アムリアの横には困惑した様子のリアノーン。カラーガード三人娘、ディアンサ。ここにいる音楽隊の少女たちは奇しくも全員がバイオロイドである。リアノーンの肩に乗った黒猫と、その背後に群れ集う黒衣の一団を除けば。
対するはリノ、レイユ、ゾンネ、ローナの焔の巫女たち。トリクスタ。サプライズ・エッグ。そして一騎当千のプレアドラゴンたち。
雪上の再会は喜びから一転、一気に深刻な雰囲気をはらむものとなっていた。
「なぜ世界樹に近づくのを止めるんですか?私たち、いつも通りのことをするだけなのに!」
「世界樹への奉納演舞は音楽隊の務め。あなた達はその中でも最優秀だわ」
とレイユ。音楽達のバイオロイドたちは笑顔で頷く。リアノーン以外は。
「ごめんな。あたしたちもケンカしたいわけじゃないんだよ。ただ……」
と何ごとにも単刀直入、竹を割ったような性格のゾンネにしては珍しく言い淀む。
「私たち、旅先でずっと気になる評判を聞いていたんです。最近リアノーンさんが回った世界樹たちが、その……一時はすごく元気になるんですけど、その後におかしくなっているって」
とローナ。優れた治癒師であることはよく知られているので、その発言には重みがあった。
バイオロイドたちはまさかと顔を見合わせた。またもリアノーン以外は。
「私は楽団長のこと!信じてますから!」
アムリアの叫びを皮切りに、一斉に反発の声があがった。
すっとリアノーンが手をあげると騒然となりかけた場が鎮まった。さすがはストイケイアが世界に誇る指揮者の面目躍如といった所だろうか。
「リノ。あなたはどう思っているんですか。私は悪?世界樹を枯らす者かしら?私たちの音楽はいつだって世界樹のためにあるのに」
リアノーンの声は落ち着いていた。相手を気づかう余裕すらある。いや、それは余裕なのだろうか。
それに彼女を知るバイオロイドたちの顔に浮かぶ困惑を見れば、その話し方は気遣いと優しさの人、リアノーンにしてはあまりにも自信に満ち、慇懃無礼とさえ思えるものだったかもしれない。
「わたしは……真実が知りたい。あなたの口から直接」
リアノーンは少し目を見開いた。
「セラスさんに聞いた。みんなの前から姿を消している間、何があったのか。あなたは答えなかった」
「……」
「これは強いアナタを動揺させるための罠。応えちゃダメ、リアノーン」
肩に乗った黒猫が喋ったことに皆、驚きが広がった。
喋る猫自体、惑星クレイ世界では珍しいものではないが、問題はその親し気でありながら何か強い立場と指導力をも感じさせる──高圧的と言い換えるべきかもしれないが──その声音だ。
「そうね、アマナ」
リアノーンの瞳が燃え上がった。
「私、目が覚めたの。自分らしく生きるためには強い力が必要だって。もっと大きく、誰にも負けない力が。平和を望むのに、ただ祈っているだけでは敵は防げないわ。戦いに備えないと」
「それはあなたの言葉ではないでしょう」
確かにそれは彼女の古い友、グランフィアの言葉を流用したものだ。
リノは静かに首を振る。リアノーンはその様子に激昂した。そこには慈悲の心が見えたからだ。
「トモダチよ!それに私に力をくれるアマナやみんなは、本物の仲間よ」
「わたしはあなたの友達だけど、あなたにそんな力を与え、背負わせようとは思わない」
「じゃ私はずっと弱いままでいろと言うの」
「強すぎる力はそれを持つものにもまた強さを求めるもの。だから力を持つほどに自らの弱さを見つめ、自分を律し、謙虚に学び続けなくては」
リノの言葉は、焔の巫女として自身への戒めのようなものだった。
「それに、あなたは弱くない。リアノーン」
「弱いわよ!あなた達のように崇高な任務を負って世界を巡るわけじゃないし、騎士たちのように竜と戦うわけでもない。広い農地とたくさんの領民がいるわけでもない」
リノは嘆息をついた。
「リアノーン。音楽で世界樹を、そしてこの惑星を元気づけ、心通わせる。それもまた今あなたが挙げたものと同じか、あるいはもっと偉大な力だと思うけれど」
「そうね。だからそうさせてもらう……そこをどいて!」
「できない。今のあなたを世界樹に触れさせるわけにはいかないから」
「どうして?」
「わかっているでしょう」
雪原に沈黙が降りた。それを破ったのは、リアノーンの笑いだった。
「ふふっ。もし私が無理矢理、世界樹に触れようとすれば後ろのプレアドラゴンたちが力ずくで止めるのね」
「……」
「言い返せないでしょう。ほら、それが私が言う“不公平”よ。邪魔する力。私たちトモダチが幸せになるのを止めようとする力」
リノは視線をサプライズ・エッグに移した。この神性の化身はどんな時でも泰然と、物事の流れを見守っている。
「ではどうすれば、退いてくれますか」とリノ。
「あなたが特別に強い力を持っているうちはダメよ。公平でなくちゃ。ね、アマナ」
リアノーンが問いかけると黒猫は同意して、にゃあと鳴いた。
「では1対1で……」
「あなたは修道僧、私は音楽家。格闘では絶対に勝ち目はない。ブルースさんとのケンカ、噂に聞いてるのよ」
ダメか。人払いをしたはずだけど、やはりあの一件は国を超えて広まってしまっているようだ。それに体術に関する限り、これは確かに不公平な争いだ。リノは思考をめぐらせる。
「話し合いを」
「ついさっき決裂したばかりでしょう。永遠に平行線だわ。この南極で、みんな揃って凍りつくまで……」
いいアイデアが浮かばない。気が取られていることがあるためだ。リアノーンのこの話し方。もうわたしの知っている、あの陽気で気づかいのできる優しい彼女ではない。怖いのは、元に戻れるのかという事。
「では、みんなで決めましょう」
「みんな?」
鉄壁に見えたリアノーンの拒絶にわずかなほころびが見えた。
「こんな雪の真っ只中で、いったい何を……雪合戦でもやるというの」
「そう!それだ!」
ここまで珍しく口を挟まずに黙っていたトリクスタが大きな声をあげた。
「雪合戦しよう!」
リアノーンとバイオロイドたちは、はぁ?と首を傾げた。天輪側はといえば──トリクスタはいつもこんな調子なので──あまり動揺はない。それに身体の大きさと戦闘能力のバランスを考えると雪合戦というのは意外と名案なのかもしれない。何しろプレアドラゴン程になると距離にもよるが投げれば当たるほど不利な大きさなのだから。
特にリノはトリクスタがこちらにウインクして見せたので、メンバーにあえて新加入のプレアドラゴン、装照竜グレイルミラを入れたことに何か狙いがあることを察していた。
「ルールは簡単。2チームに分かれて、雪玉をぶつけられた人が抜ける。誰もいなくなったらそちらの負け」
「全員でやるの?」
これもまたずっと黙っていたアムリアが質問する。
「うーん。ちょっと多すぎるよね」
トリクスタは周囲を見渡した。
「じゃあ7人ずつでどう?こっちはまずボクとリノ、ゾンネ、ローナ、プレアドラゴンから2人。それとエッグ君、キミもやるよね」
トリクスタの誘いに、2房の髪を揺らしてサプライズ・エッグの目がにっこり笑った。
「こっちは……」
リアノーンが振り返ると、コルフィ、グラシア、レクティナ、アムリア、ディアンサが手を挙げる。
「あともう一人。これはサプライズ・エッグと同じく投げ手ではなく、私の直衛として付いてもらう」
リアノーンが合図すると、雪に潜っていた細長い何かが這い寄ってきて彼女の足元でとぐろを捲いた。
「よし決まり!」
トリクスタは指を鳴らした。飛び去ろうとする彼を、リアノーンが手を伸ばして止める。
「ちょっと待って、トリクスタ。雪玉が当たっても認めずに退場しようとしない人も出てくるでしょう。公正でなくては勝負にならない」
「そこで審判の登場!いいよね、レイユ。キミは厳しすぎるほど公正だから」
トリクスタが最初から自分を戦闘チームに含めなかったのはそういう事、とレイユは苦笑して引き受けた。
「ワタシがやる」
リアノーンがこちらチームの審判を探す前に、黒猫アマナはそう宣言して、レイユの肩に飛び移った。
「絶対に負けないで。世界樹はもうワタシたちのものだから。ね、リアノーン」とアマナ。
「わかった」
リアノーンの瞳も闘志に燃えている。ただその表情にわずかな揺らぎが窺えるのは、自分の主張がリノやトリクスタに受け入れられない苛立ちか。それとも、彼女の中にも微かな葛藤が存在するのだろうか。
こうして天輪vs世界樹の音楽隊の雪合戦対決が始まった。
ここで話は冒頭に戻る。
ぽす!ぱふ!
「うひゃ!」「しまった……」
アムリアとディアンサが脱落。
そして雪原には……
・天輪チーム
:焔の巫女リノ、トリクスタ、装照竜グレイルミラ、サプライズ・エッグ
・世界樹の音楽隊チーム
:満開の大行進リアノーンと、地面を這う長細い蛇のような“竜”
が残った。
「これで決まりかしら」とレイユ。
「これからよ。いまのリアノーンを本気にさせた事、きっと後悔させてあげるから」と黒猫アマナ。
「ところで、聞いておきたいことがあるのよ。黒猫さん」
「ワタシの名前はアマナよ。何も喋らないからね」
「マスクスって何なの、アマナ。人の性格まで変えてしまうほど、すごい強い力を持っているようだけど」
自尊心をくすぐられるレイユの質問に、黒猫はあっさり前言を撤回した。
「この世の中をより良いモノに変える。仮面から最高の力をもらった、最っ高のトモダチの集まりよ」
「私が思う“友達”とはそうしたものではないわね」レイユは言葉を継いだ。
「トリクスタはリアノーンを傷つけずに、彼女が自分自身を顧みることで気づかせようとしている。こういう優しさって本当に強い人しか持てないし、そうした真心からの行いは刷り込まれた考え方や押しつけられた力よりも強いものよ。“仮面”よりね」
「アナタたち巫女だの慈善を掲げる連中のやり方はいつもそうやって甘いのよ。思いやりでお腹が満たせる?厳しい生存競争を生き延びれる?だから私たちがやるべきなのよ。マスクスがね」
「なぜ世界樹を狙うの」ここでレイユは核心を突いた。
「アナタ、わかっていて質問してるね。小賢しいオンナ」黒猫アマナの右眼が鋭く輝いた。怒ったのだ。
褒め言葉をありがとう、レイユは笑顔で答えた。ただし目は笑っていない。
「世界樹の力を吸い上げて、その“世の中を変える力”にしているのね」とレイユ。
「言っとくけど、ワタシたちを止めることはできないよ。あの水晶玉でつながってるアンタ達にはね」
そうかしら、レイユはまた笑って戦場に目を戻した。
風に巻かれた雪が降り始めている。
リノは陣地から出ると、慌てるトリクスタを制して歩き出した。
「リアノーン。もう止めにしましょう」
「それはいや。だって世界樹が待っているんだもの。新しい私の力を、あなたたち正義の味方みたいな」
「わたしは強くありません」
強い者というのは、例えばプレアドラゴンの生みの親バヴサーガラであったり、ケテルサンクチュアリのバスティオンやユースベルク、ダークステイツのブルースやドラジュエルド、そしてここに繋いでくれたブラントゲートのセラスのような人だとリノは思う。
正義の味方などと言われても、旅の行く先々で困っている人の相談を受けたり、怪我や病気を治したり、国境によって引き裂かれた恋人たちの仲を取り持ったり、悪事に手を染めてしまった地方領主を懲らしめ、大立ち回りの末にトリクスタが天輪竜の御前で全員ひれ伏せさせるくらいの、ほんのちょっとした事なのだから。
「それは嘘。今必要なのはあなた達みたいな飛び抜けて強い力なのよ」
「違います。世界樹が待っているのは癒やし、元気づけてくれるあなたの音楽です」
リアノーンの手が真上にあがった。
「それはそうね。世界から音が消えても、私達の音楽は世界樹の為に」
リノはハッとなった。この場面はここに来るまでに受けた報告を思わせる。
破天の騎士ユースベルクが遭遇したもの、その名前には確か……
「龍樹の落胤デプス・エイリィ!」
リアノーンが叫ぶと、今まで朧気な姿だったそれがはっきりとした形──深海生物を思わせる銀色の細長い蛇のようなもの──を顕わにした。
Illust:Moopic
「我が名は仮面に連なる者、隷属の葬列リアノーン・マスクス!」
Illust:にじまあるく
「いけない!」
駆けだそうとしたリノが一瞬躊躇した瞬間。
デプス・エイリィが銜えていた仮面を着けたリアノーン・マスクスから発せられたエネルギーの奔流が雪原をなぎ払い、チームもギャラリーも皆、地面になぎ倒されてしまった。天輪竜の卵サプライズ・エッグ一人を除いて。
「雪玉ではないから」
退場では?と顧みた黒猫アマナに、膝をついたレイユは視線すら動かさずに答えた。
「これこれ!この力よ!見て、リノ!私、はじめて本当の自分になれた気がする」
リアノーンは、いやリアノーン・マスクスは“力”に酔いしれていた。
森に昇り来る朝陽のようだった輝かしい金髪は南極に吹き荒れる吹雪のような冷たい白髪に、花をあしらったステッキは茨の様。華やかな衣装も帽子も──帯びる名のごとく──まるで喪服のように暗く沈んだ色に染まっている。
「そんな……」
「リアノーン・マスクス」
呆然とするリノや一同の中でただ一人、仮面の人となったリアノーンに憧憬の視線を送る者がいた。バイオロイドのアムリアである。彼女は“吹き上げる信愛”の名の通り、出会ったのはつい最近だがリアノーンとは強い信愛で結ばれている。特にアムリアの側からリアノーンに捧げるそれは心酔と言っても良かった。
「ダメよ、リアノーン。それではダメ!」
リノは立ち上がった。
先にディアブロス “暴虐”ブルースがケンカの形をとって、“覚悟”を試してくれた意味が今、わかった。
力をくれるのがトモダチですって?違う。
友達は辛い時にそっと寄り添ってくれる人だ。困っている時は一緒に悩んでくれる人だ。明らかに間違ったことをしようとしている時には身体を張ってでも、覚悟を持って止めてくれる人だ。
成長するのは自分。力を貸してくれたとしても、使い切れない程のものを一方的に押しつけるものではない。
「わたしが、止める」
「まだ雪合戦?今の私なら、あなたを軽く吹き飛ばすことだってできるのよ」
リアノーンはリノが抱えているものを見て笑い、すぐに止めた。
リノの目に浮かぶ涙を見てしまったからだ。そして続けられたその言葉も。
「そっちに行ってはダメ。リアノーン。その先には何もない」
冷たい雪を握りしめたリノの手は真っ赤である。
「どうしてわかるのよ。ねぇ、リノもみんなもトモダチになろう!幸せになれるから」
「そして皆でその仮面を被るの?悪いけど遠慮させてもらうわ」
リノは雪玉を構え、振りかぶって、投げた。
リアノーン・マスクスは手首の返しだけでステッキを回し、それを粉砕する。
「こんな遊び、やめましょう。わかるでしょう。今の私には誰も勝てない」
そうかしら、と呟きながらリノはまた振りかぶって、投げた。そして弾かれる。
リノは諦めず足元の雪を丸める。その背後にはいつ追いついたのか、サプライズ・エッグがひょこひょこと歩きながら付いてくる。
「止めて!あなたを傷つけたくない」
リアノーン・マスクスは刺だらけのステッキでリノを指した。圧倒的な力を持っていると宣言した当の本人が、なぜか動揺し始めている。
「わたしもあなたを傷つけはしない。友達だから」
リノは左手を挙げて叫んだ。
「トリクスタ!グレイルミラ!」
その声に、トリクスタと祈りの竜装照竜グレイルミラが飛来する。
Illust:ToMo
「ただ真実を見て、知ってもらいたいだけ」
リノとリアノーン・マスクスの上空で光が交わり、炸裂した。
「「Xo-Dress!!」」
『武装鏡鳴ミラズヴェルリーナ』!!
Illust:ToMo
「……やっとその気になった?」
リアノーン・マスクスはむしろ嬉々としてステッキを取り直した。この仮面の“力”を試す相手として、トリクスタとプレアドラゴンの合身ならば不足はない。
『そうじゃないよ。リアノーン。ボクたちは見せたいものがあるんだ』
とトリクスタ=ミラズヴェルリーナ。
「見せたいもの?」
『これまでと、今の君自身だよ』
鏡が輝いた。ミラズヴェルリーナは全身鏡だらけと言ってもいいタリスマンだが、特に5つの小鏡は自在に動いて敵の目を眩ませ、防御を解かせる。時にそれは凍えた心をも。
目の前を覆って莫大な量の水が落ちている。滝だ。
ここはストイケイアの古都、尽きせぬ泉の町ヌエバ。リアノーンはここである人に出会ったのだった。
──情景が次々と飛んでゆく。
世界樹の音楽隊と巡った世界の町。
歓迎する人々。
その一方で、次第に闇を深くしていくリアノーンの心。世界樹はどんなに心を尽くした音楽でも、その元気を完全に取り戻させることはできなくなっていた。気がついているのは、樹と直接触れあっている自分一人。
そんな時に出会い、立ち会ったのがケテルサンクチュアリの動乱だった。
彼らは強く、勇敢で、そして美しかった。あまりにも眩しく、羨ましいほどに。
──情景はつい最近、力を得てから黒猫アマナ、吹き上げる信愛アムリア、そして黒衣の一団マスクスと共に巡った世界樹との触れあいに飛んだ。
「ほら、見て。リアノーン。仮面をつけたあなたの力を世界樹が喜んでいる」
と黒猫が満足げに囁くと
「よかった。これでみんな幸せになりますね!」
とアムリアも無邪気に笑っていた。
だけどね……。
──最後の情景は、リアノーンが見たものではない。
語りかけるリノとトリクスタが見た光景だ。
力を失った世界樹がまるで草花のようにしおれ、傾いでいた。
それは確かにリアノーンとマスクスが触れた世界樹だった。
「そんな!?」
「本当よ、リアノーン」
鏡の幻視は終わった。
目の前にリノの顔があった。慈しみと同情に溢れた天輪の巫女がそこにいた。
「わたし……とんでもない事を……」
「あなたのせいじゃない。だって、あなたは悪い事をしていないもの」
リノはさらさらの雪をすくってリアノーンの頬に触れさせた。
新雪の冷たさ、でも暖かい。リノの手が、想いが温かく心を安らがせた。
リアノーン・マスクス──いや、リノが優しく仮面を外させたので、今はただのリアノーンだ──は、自分が泣いていることに気がついた。
「もう大丈夫。音楽隊のみんなも支えてくれます。きっと元通りになる。ううん、もっと元気になれる」
「リノ……ごめんなさい」
リノは黙って彼女の背中を抱いて、ギャラリーに声をかけた。
「さぁ皆さん!雪合戦は終わりです。お祝いしましょう。満開の大行進リアノーンの帰還です」
歓声が上がった。
「わかるでしょう。本当の友達こそ、あなたの真の強さだわ」
リノがそう囁いて身を離した途端、リアノーンは瞬く間に沢山の手に抱擁され、子供のように泣き出した。
真の友達に。
音楽隊の仲間たちに囲まれて。
「フン!仲良しごっこね。がっかりだわ」
黒猫アマナがそっぽを向いた。
「勝負あったわね。ここの世界樹は諦めて」
とレイユ。口調は穏やかだが、断固たる意思が窺えた。
「言われなくても!リアノーンが欠けた今、プレアドラゴン軍団やニルヴァーナ相手にケンカ売るほどバカじゃないわ」
「そう。賢いのね、アマナちゃんは」
レイユが落ち着けば落ち着くほど、黒猫は怒りを募らせていくようだった。
「馴れ馴れしく呼ばないで」
黒猫アマナはレイユの肩から飛び降りた。
「ワタシの名前はアマナキィティ。きっとまた会うことになるから。あの娘たちにも伝えなさい」
黒猫アマナは新雪に足跡をつけながら歩き出し、振り返らずに言葉を続けた。
「ワタシたちは悪じゃない。リアノーンも他の皆も、誰も強制されていないのに仲間になった。それだけ私たちの“力”が魅力的なのよ。そこをよく考えてみるのね、賢い焔の巫女さん」
そのまま黒衣の集団の真ん中を、貴婦人のように頭をもたげて歩き続けると果たして人垣は海が割れるように道を空けた。
「異界の穴」
レイユは呟いた。
その言葉通り、黒猫の行く先の空間に黒くぽっかり空いた穴が出現すると、アマナキィティと黒衣の集団を飲み込み、消滅した。
「マスクス……」
レイユは抱き合うリノとリアノーン、雪に落ちた仮面を顧みてその言葉を繰り返した。
「仮面に連なる者……」
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《今回の一口用語メモ》
ヒュドラグルム
今回は水晶玉特設チャンネルユーザーに対し、惑星クレイ各地で増殖している種族ヒュドラグルムについて報告させていただきたい。
その特徴は以下のようになる。
①ヒュドラグルムは龍樹の落胤という名を帯びている。
これはつまり落とし子として本体から生み出されたもの、の意味だろう。
②ヒュドラグルムは惑星クレイ世界各地の動物に擬態している。
「動物」なのは本体が植物系の生物だからなのだろうか。
それとも今後、植物に擬態するヒュドラグルムが我が森林でも発見されることもあるのだろうか。
今のところは不明である。
③ヒュドラグルムと原生の動物との最大の違いは、その体表が「水銀様」の
謎の物質によって構成されていることにある。
④ヒュドラグルムは人語(特に共通語)を介して行動しているものの、
ヒュドラグルム側が言葉を発音したという報告はあがっていない。
これもまた進化や惑星環境との同化レベルによるものなのかもしれない。
⑤これまで目撃された国家と擬態元と思われるものを列記しておく。
ユーザー各位にはこれら生物と関わる際、惑星外生命体の落胤である可能性を留意し、
細心の注意をもって臨まれたい。
龍樹の落胤 デモン・シェリダー 悪魔(デーモン)型
龍樹の落胤 ロイド・アクゼリュス バトロイド型
龍樹の落胤 ソルダ・ザーカブ 騎士型
龍樹の落胤 ビスト・アルヴァス 水牛型
龍樹の落胤 スカル・ケムダー スケルトン型
龍樹の落胤 デプス・エイリィ 深海生物型
龍樹の落胤ドラコ・バティカル 竜(ドラゴン)型
⑥最後にヒュドラグルムそのものの情報ではないが、気になる事があるので共有しておく。
先日より、龍樹に共鳴する個体が現れたという報告が各地で相次いでいる。
これは惑星クレイ世界の生物に擬態した分体であるヒュドラグルムとは違い、
原生のクレイの生物自体が龍樹の影響を受け、これに同調し始めていることを意味する。
龍樹共鳴個体は、特にストイケイア、ダークステイツの割合が多いことに注目すべきであり、
「マスクス」なる龍樹の同志・信奉者グループとの関連も探るべきではないだろうか。
グレートネイチャー総合大学動物学教授/水晶玉特設チャンネル客員アドバイザー
C・K・ザカット 拝
※なお、ザカット氏の職籍については同大学の学生・教授陣からの依頼により追記した/配信編集部より※
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「むぐ!」「きゃっ!」「む、無念……」
焔の巫女ゾンネ、ローナ、装撃竜ストレガリオの顔に雪玉が命中。
「はい、失格」「ゾンネ、ローナ、ストレガリオ、退場して」
喋る黒猫アマナと、それを肩にのせた焔の巫女レイユが淡々と判定を下した。
声援と歓声を上げる世界樹の音楽隊やプレアドラゴン、沈黙して佇む黒衣の一団マスクスと違って、彼女たちは審判。あくまで中立の立場でなければならない。この点、1匹と1人は良い人選と言えよう。
「やったー!」
雪を固めて造った盾陣地の後ろで、リアノーンとアムリア、ディアンサが歓声を上げてハイタッチする。
ここで残る参加メンバーを数えてみよう。
・天輪チーム
:焔の巫女リノ、トリクスタ、装照竜グレイルミラ、そしてサプライズ・エッグ
・世界樹の音楽隊チーム
:満開の大行進リアノーンと吹き上げる信愛アムリア、パフォーミングペタル ディアンサ、そして“竜”とだけエントリーされている長細い蛇のようなもの。
4vs4。
勝者は今宵、“樹と語らう者”となる。
時刻は夕刻。辺りは一面の雪景色。
白夜の沈まぬ陽の下、一同を見守るのは凍える南極の山々を背に聳え立つ「ブラントゲートの極東世界樹」。
一見のどかな、しかし実に真剣な攻防戦は終盤を迎えつつあった。
Illust:ToMo
──30分ほど前。
リノたち天輪の一行は、ブラントゲート極東の上空に差し掛かっていた。
正月に滞在していたドラゴンエンパイアの東洋地域を発ち、ドラゴニア海を越えてグレートネイチャー総合大学の客となり、さらにストイケイア旧ズー領を縦断して、尽きせぬ泉の町ヌエバへ。さらに南極海を越えてブラントゲート国と、気候の変化も雪のない穏やかな冬枯れの温泉町から常春の森林地帯、そして白夜の極寒までと変化も目まぐるしい。
リノがプレアドラゴンの背に乗って急ぎ駆けつけたのには、複数の依頼がひとつの地点、つまりここファーイーストドームの東にある極東世界樹を指していたからだ。
「リノ、あそこ」とトリクスタ。
それを受けてリノは乗っていた装剣竜ガロンダイトに着地点を告げる。後に続くプレアドラゴンの一群も後に続いた。
『そのまま降下してください、リノ。手続きは終わらせてあります。ようこそブラントゲート国へ』
「感謝します、捜査官セラス」
手の中の水晶玉から聞こえる極光戦姫セラス・ホワイトの声に、リノは心から礼を言った。二人は先の《世界の選択》で出会った仲である。ともに平和と正義を愛する同士、心友といっても過言ではない。
リノたち「天輪」と呼ばれる一行は最近、これらプレアドラゴンの群れがトレードマークのようになっているが──特に正体を隠すこともなかったので──増え続ける竜の頭数が事情をよく知らないものにとっては脅威と感じられるほどになっている。もちろん母なるバヴサーガラが特に選びぬいて仕えさせているプレアドラゴンはいずれも主に忠実かつ古武士然とした性格であり、一度も地元民とトラブルなど起こしたこともないが、それでも空を埋め尽くす精強な竜の群れは一国の軍隊と見まごう偉容、大所帯ではある。
そこで各国の航空管制局にはあらかじめ移動の連絡を入れるようにしてあるのだが、これにはドラゴンエンパイア国竜皇帝から下賜された特製の水晶玉が役に立っていた。
Illust:にじまあるく
「リアノーン!」
ガロンダイトが着地するまで待てずに、リノは竜の背から飛び降りながら叫んだ。
「わぁっ!リノ、ご無沙汰でーす!」
集団の先頭を歩いていた満開の大行進リアノーン──セラスであればこの時リアノーンは一度つけたマスクをまた外していたことを指摘できただろう──は、リノの予想に反して屈託ない笑顔と抱擁で、友を迎えた。だがよく見ればリノが棒立ちだったのに気がつくだろう。
「トリクスタも!」
やあ、とトリクスタも手を上げて応える。しかし心なしか、こちらにもいつもの元気は無い。その足元にはいつの間にか天輪竜の卵サプライズ・エッグも姿を見せている。
だがリアノーンがそんな違和感に気づく間もなく、さらに懐かしい声が上空から降ってきた。
「リアノーン!」「こっちこっち!」「もう心配かけて……」
コルフィ、グラシア、レクティナ。世界樹の音楽隊カラーガード三人娘である。
見れば、パフォーミングペダル ディアンサの姿もあった。音楽隊には欠かせない中核メンバーだ。
拠点であるヌエバの町に滞在していた世界樹の音楽隊は、リノたち天輪の一行が姿を消したリアノーンの行方についての情報を掴んだことを知り、人数ギリギリまで絞り同行を願い出たのだった。
「みんなー!」
リノにしがみついたまま手を振るリアノーン。
だが抱擁に応えぬままリノが放った次のひと言で、その華やいだ動きは凍り付いた。
「リアノーン。わたし、あなたを止めに来ました」
目を見開いて身を離すリアノーンの肩をつかんで、リノは強い視線で彼女を捕らえた。
「ここからは一歩も先へは進ませません。世界樹の元には、絶対に」
Illust:藤ちょこ
「えーっと。お話、整理させてください。つまり……」
とアムリア。リアノーンにスカウトされ、世界樹の音楽隊に新加入したメンバーであり、ブラントゲート入国手続きでは身元引受人に名乗り出ていた。
「リノさんと天輪の皆さんは、リアノーンが何か悪いことしてるって言うんですか?!」
アムリアの横には困惑した様子のリアノーン。カラーガード三人娘、ディアンサ。ここにいる音楽隊の少女たちは奇しくも全員がバイオロイドである。リアノーンの肩に乗った黒猫と、その背後に群れ集う黒衣の一団を除けば。
対するはリノ、レイユ、ゾンネ、ローナの焔の巫女たち。トリクスタ。サプライズ・エッグ。そして一騎当千のプレアドラゴンたち。
雪上の再会は喜びから一転、一気に深刻な雰囲気をはらむものとなっていた。
「なぜ世界樹に近づくのを止めるんですか?私たち、いつも通りのことをするだけなのに!」
「世界樹への奉納演舞は音楽隊の務め。あなた達はその中でも最優秀だわ」
とレイユ。音楽達のバイオロイドたちは笑顔で頷く。リアノーン以外は。
「ごめんな。あたしたちもケンカしたいわけじゃないんだよ。ただ……」
と何ごとにも単刀直入、竹を割ったような性格のゾンネにしては珍しく言い淀む。
「私たち、旅先でずっと気になる評判を聞いていたんです。最近リアノーンさんが回った世界樹たちが、その……一時はすごく元気になるんですけど、その後におかしくなっているって」
とローナ。優れた治癒師であることはよく知られているので、その発言には重みがあった。
バイオロイドたちはまさかと顔を見合わせた。またもリアノーン以外は。
「私は楽団長のこと!信じてますから!」
アムリアの叫びを皮切りに、一斉に反発の声があがった。
すっとリアノーンが手をあげると騒然となりかけた場が鎮まった。さすがはストイケイアが世界に誇る指揮者の面目躍如といった所だろうか。
「リノ。あなたはどう思っているんですか。私は悪?世界樹を枯らす者かしら?私たちの音楽はいつだって世界樹のためにあるのに」
リアノーンの声は落ち着いていた。相手を気づかう余裕すらある。いや、それは余裕なのだろうか。
それに彼女を知るバイオロイドたちの顔に浮かぶ困惑を見れば、その話し方は気遣いと優しさの人、リアノーンにしてはあまりにも自信に満ち、慇懃無礼とさえ思えるものだったかもしれない。
「わたしは……真実が知りたい。あなたの口から直接」
リアノーンは少し目を見開いた。
「セラスさんに聞いた。みんなの前から姿を消している間、何があったのか。あなたは答えなかった」
「……」
「これは強いアナタを動揺させるための罠。応えちゃダメ、リアノーン」
肩に乗った黒猫が喋ったことに皆、驚きが広がった。
喋る猫自体、惑星クレイ世界では珍しいものではないが、問題はその親し気でありながら何か強い立場と指導力をも感じさせる──高圧的と言い換えるべきかもしれないが──その声音だ。
「そうね、アマナ」
リアノーンの瞳が燃え上がった。
「私、目が覚めたの。自分らしく生きるためには強い力が必要だって。もっと大きく、誰にも負けない力が。平和を望むのに、ただ祈っているだけでは敵は防げないわ。戦いに備えないと」
「それはあなたの言葉ではないでしょう」
確かにそれは彼女の古い友、グランフィアの言葉を流用したものだ。
リノは静かに首を振る。リアノーンはその様子に激昂した。そこには慈悲の心が見えたからだ。
「トモダチよ!それに私に力をくれるアマナやみんなは、本物の仲間よ」
「わたしはあなたの友達だけど、あなたにそんな力を与え、背負わせようとは思わない」
「じゃ私はずっと弱いままでいろと言うの」
「強すぎる力はそれを持つものにもまた強さを求めるもの。だから力を持つほどに自らの弱さを見つめ、自分を律し、謙虚に学び続けなくては」
リノの言葉は、焔の巫女として自身への戒めのようなものだった。
「それに、あなたは弱くない。リアノーン」
「弱いわよ!あなた達のように崇高な任務を負って世界を巡るわけじゃないし、騎士たちのように竜と戦うわけでもない。広い農地とたくさんの領民がいるわけでもない」
リノは嘆息をついた。
「リアノーン。音楽で世界樹を、そしてこの惑星を元気づけ、心通わせる。それもまた今あなたが挙げたものと同じか、あるいはもっと偉大な力だと思うけれど」
「そうね。だからそうさせてもらう……そこをどいて!」
「できない。今のあなたを世界樹に触れさせるわけにはいかないから」
「どうして?」
「わかっているでしょう」
雪原に沈黙が降りた。それを破ったのは、リアノーンの笑いだった。
「ふふっ。もし私が無理矢理、世界樹に触れようとすれば後ろのプレアドラゴンたちが力ずくで止めるのね」
「……」
「言い返せないでしょう。ほら、それが私が言う“不公平”よ。邪魔する力。私たちトモダチが幸せになるのを止めようとする力」
リノは視線をサプライズ・エッグに移した。この神性の化身はどんな時でも泰然と、物事の流れを見守っている。
「ではどうすれば、退いてくれますか」とリノ。
「あなたが特別に強い力を持っているうちはダメよ。公平でなくちゃ。ね、アマナ」
リアノーンが問いかけると黒猫は同意して、にゃあと鳴いた。
「では1対1で……」
「あなたは修道僧、私は音楽家。格闘では絶対に勝ち目はない。ブルースさんとのケンカ、噂に聞いてるのよ」
ダメか。人払いをしたはずだけど、やはりあの一件は国を超えて広まってしまっているようだ。それに体術に関する限り、これは確かに不公平な争いだ。リノは思考をめぐらせる。
「話し合いを」
「ついさっき決裂したばかりでしょう。永遠に平行線だわ。この南極で、みんな揃って凍りつくまで……」
いいアイデアが浮かばない。気が取られていることがあるためだ。リアノーンのこの話し方。もうわたしの知っている、あの陽気で気づかいのできる優しい彼女ではない。怖いのは、元に戻れるのかという事。
「では、みんなで決めましょう」
「みんな?」
鉄壁に見えたリアノーンの拒絶にわずかなほころびが見えた。
「こんな雪の真っ只中で、いったい何を……雪合戦でもやるというの」
「そう!それだ!」
ここまで珍しく口を挟まずに黙っていたトリクスタが大きな声をあげた。
「雪合戦しよう!」
リアノーンとバイオロイドたちは、はぁ?と首を傾げた。天輪側はといえば──トリクスタはいつもこんな調子なので──あまり動揺はない。それに身体の大きさと戦闘能力のバランスを考えると雪合戦というのは意外と名案なのかもしれない。何しろプレアドラゴン程になると距離にもよるが投げれば当たるほど不利な大きさなのだから。
特にリノはトリクスタがこちらにウインクして見せたので、メンバーにあえて新加入のプレアドラゴン、装照竜グレイルミラを入れたことに何か狙いがあることを察していた。
「ルールは簡単。2チームに分かれて、雪玉をぶつけられた人が抜ける。誰もいなくなったらそちらの負け」
「全員でやるの?」
これもまたずっと黙っていたアムリアが質問する。
「うーん。ちょっと多すぎるよね」
トリクスタは周囲を見渡した。
「じゃあ7人ずつでどう?こっちはまずボクとリノ、ゾンネ、ローナ、プレアドラゴンから2人。それとエッグ君、キミもやるよね」
トリクスタの誘いに、2房の髪を揺らしてサプライズ・エッグの目がにっこり笑った。
「こっちは……」
リアノーンが振り返ると、コルフィ、グラシア、レクティナ、アムリア、ディアンサが手を挙げる。
「あともう一人。これはサプライズ・エッグと同じく投げ手ではなく、私の直衛として付いてもらう」
リアノーンが合図すると、雪に潜っていた細長い何かが這い寄ってきて彼女の足元でとぐろを捲いた。
「よし決まり!」
トリクスタは指を鳴らした。飛び去ろうとする彼を、リアノーンが手を伸ばして止める。
「ちょっと待って、トリクスタ。雪玉が当たっても認めずに退場しようとしない人も出てくるでしょう。公正でなくては勝負にならない」
「そこで審判の登場!いいよね、レイユ。キミは厳しすぎるほど公正だから」
トリクスタが最初から自分を戦闘チームに含めなかったのはそういう事、とレイユは苦笑して引き受けた。
「ワタシがやる」
リアノーンがこちらチームの審判を探す前に、黒猫アマナはそう宣言して、レイユの肩に飛び移った。
「絶対に負けないで。世界樹はもうワタシたちのものだから。ね、リアノーン」とアマナ。
「わかった」
リアノーンの瞳も闘志に燃えている。ただその表情にわずかな揺らぎが窺えるのは、自分の主張がリノやトリクスタに受け入れられない苛立ちか。それとも、彼女の中にも微かな葛藤が存在するのだろうか。
こうして天輪vs世界樹の音楽隊の雪合戦対決が始まった。
ここで話は冒頭に戻る。
ぽす!ぱふ!
「うひゃ!」「しまった……」
アムリアとディアンサが脱落。
そして雪原には……
・天輪チーム
:焔の巫女リノ、トリクスタ、装照竜グレイルミラ、サプライズ・エッグ
・世界樹の音楽隊チーム
:満開の大行進リアノーンと、地面を這う長細い蛇のような“竜”
が残った。
「これで決まりかしら」とレイユ。
「これからよ。いまのリアノーンを本気にさせた事、きっと後悔させてあげるから」と黒猫アマナ。
「ところで、聞いておきたいことがあるのよ。黒猫さん」
「ワタシの名前はアマナよ。何も喋らないからね」
「マスクスって何なの、アマナ。人の性格まで変えてしまうほど、すごい強い力を持っているようだけど」
自尊心をくすぐられるレイユの質問に、黒猫はあっさり前言を撤回した。
「この世の中をより良いモノに変える。仮面から最高の力をもらった、最っ高のトモダチの集まりよ」
「私が思う“友達”とはそうしたものではないわね」レイユは言葉を継いだ。
「トリクスタはリアノーンを傷つけずに、彼女が自分自身を顧みることで気づかせようとしている。こういう優しさって本当に強い人しか持てないし、そうした真心からの行いは刷り込まれた考え方や押しつけられた力よりも強いものよ。“仮面”よりね」
「アナタたち巫女だの慈善を掲げる連中のやり方はいつもそうやって甘いのよ。思いやりでお腹が満たせる?厳しい生存競争を生き延びれる?だから私たちがやるべきなのよ。マスクスがね」
「なぜ世界樹を狙うの」ここでレイユは核心を突いた。
「アナタ、わかっていて質問してるね。小賢しいオンナ」黒猫アマナの右眼が鋭く輝いた。怒ったのだ。
褒め言葉をありがとう、レイユは笑顔で答えた。ただし目は笑っていない。
「世界樹の力を吸い上げて、その“世の中を変える力”にしているのね」とレイユ。
「言っとくけど、ワタシたちを止めることはできないよ。あの水晶玉でつながってるアンタ達にはね」
そうかしら、レイユはまた笑って戦場に目を戻した。
風に巻かれた雪が降り始めている。
リノは陣地から出ると、慌てるトリクスタを制して歩き出した。
「リアノーン。もう止めにしましょう」
「それはいや。だって世界樹が待っているんだもの。新しい私の力を、あなたたち正義の味方みたいな」
「わたしは強くありません」
強い者というのは、例えばプレアドラゴンの生みの親バヴサーガラであったり、ケテルサンクチュアリのバスティオンやユースベルク、ダークステイツのブルースやドラジュエルド、そしてここに繋いでくれたブラントゲートのセラスのような人だとリノは思う。
正義の味方などと言われても、旅の行く先々で困っている人の相談を受けたり、怪我や病気を治したり、国境によって引き裂かれた恋人たちの仲を取り持ったり、悪事に手を染めてしまった地方領主を懲らしめ、大立ち回りの末にトリクスタが天輪竜の御前で全員ひれ伏せさせるくらいの、ほんのちょっとした事なのだから。
「それは嘘。今必要なのはあなた達みたいな飛び抜けて強い力なのよ」
「違います。世界樹が待っているのは癒やし、元気づけてくれるあなたの音楽です」
リアノーンの手が真上にあがった。
「それはそうね。世界から音が消えても、私達の音楽は世界樹の為に」
リノはハッとなった。この場面はここに来るまでに受けた報告を思わせる。
破天の騎士ユースベルクが遭遇したもの、その名前には確か……
「龍樹の落胤デプス・エイリィ!」
リアノーンが叫ぶと、今まで朧気な姿だったそれがはっきりとした形──深海生物を思わせる銀色の細長い蛇のようなもの──を顕わにした。
Illust:Moopic
「我が名は仮面に連なる者、隷属の葬列リアノーン・マスクス!」
Illust:にじまあるく
「いけない!」
駆けだそうとしたリノが一瞬躊躇した瞬間。
デプス・エイリィが銜えていた仮面を着けたリアノーン・マスクスから発せられたエネルギーの奔流が雪原をなぎ払い、チームもギャラリーも皆、地面になぎ倒されてしまった。天輪竜の卵サプライズ・エッグ一人を除いて。
「雪玉ではないから」
退場では?と顧みた黒猫アマナに、膝をついたレイユは視線すら動かさずに答えた。
「これこれ!この力よ!見て、リノ!私、はじめて本当の自分になれた気がする」
リアノーンは、いやリアノーン・マスクスは“力”に酔いしれていた。
森に昇り来る朝陽のようだった輝かしい金髪は南極に吹き荒れる吹雪のような冷たい白髪に、花をあしらったステッキは茨の様。華やかな衣装も帽子も──帯びる名のごとく──まるで喪服のように暗く沈んだ色に染まっている。
「そんな……」
「リアノーン・マスクス」
呆然とするリノや一同の中でただ一人、仮面の人となったリアノーンに憧憬の視線を送る者がいた。バイオロイドのアムリアである。彼女は“吹き上げる信愛”の名の通り、出会ったのはつい最近だがリアノーンとは強い信愛で結ばれている。特にアムリアの側からリアノーンに捧げるそれは心酔と言っても良かった。
「ダメよ、リアノーン。それではダメ!」
リノは立ち上がった。
先にディアブロス “暴虐”ブルースがケンカの形をとって、“覚悟”を試してくれた意味が今、わかった。
力をくれるのがトモダチですって?違う。
友達は辛い時にそっと寄り添ってくれる人だ。困っている時は一緒に悩んでくれる人だ。明らかに間違ったことをしようとしている時には身体を張ってでも、覚悟を持って止めてくれる人だ。
成長するのは自分。力を貸してくれたとしても、使い切れない程のものを一方的に押しつけるものではない。
「わたしが、止める」
「まだ雪合戦?今の私なら、あなたを軽く吹き飛ばすことだってできるのよ」
リアノーンはリノが抱えているものを見て笑い、すぐに止めた。
リノの目に浮かぶ涙を見てしまったからだ。そして続けられたその言葉も。
「そっちに行ってはダメ。リアノーン。その先には何もない」
冷たい雪を握りしめたリノの手は真っ赤である。
「どうしてわかるのよ。ねぇ、リノもみんなもトモダチになろう!幸せになれるから」
「そして皆でその仮面を被るの?悪いけど遠慮させてもらうわ」
リノは雪玉を構え、振りかぶって、投げた。
リアノーン・マスクスは手首の返しだけでステッキを回し、それを粉砕する。
「こんな遊び、やめましょう。わかるでしょう。今の私には誰も勝てない」
そうかしら、と呟きながらリノはまた振りかぶって、投げた。そして弾かれる。
リノは諦めず足元の雪を丸める。その背後にはいつ追いついたのか、サプライズ・エッグがひょこひょこと歩きながら付いてくる。
「止めて!あなたを傷つけたくない」
リアノーン・マスクスは刺だらけのステッキでリノを指した。圧倒的な力を持っていると宣言した当の本人が、なぜか動揺し始めている。
「わたしもあなたを傷つけはしない。友達だから」
リノは左手を挙げて叫んだ。
「トリクスタ!グレイルミラ!」
その声に、トリクスタと祈りの竜装照竜グレイルミラが飛来する。
Illust:ToMo
「ただ真実を見て、知ってもらいたいだけ」
リノとリアノーン・マスクスの上空で光が交わり、炸裂した。
「「Xo-Dress!!」」
『武装鏡鳴ミラズヴェルリーナ』!!
Illust:ToMo
「……やっとその気になった?」
リアノーン・マスクスはむしろ嬉々としてステッキを取り直した。この仮面の“力”を試す相手として、トリクスタとプレアドラゴンの合身ならば不足はない。
『そうじゃないよ。リアノーン。ボクたちは見せたいものがあるんだ』
とトリクスタ=ミラズヴェルリーナ。
「見せたいもの?」
『これまでと、今の君自身だよ』
鏡が輝いた。ミラズヴェルリーナは全身鏡だらけと言ってもいいタリスマンだが、特に5つの小鏡は自在に動いて敵の目を眩ませ、防御を解かせる。時にそれは凍えた心をも。
目の前を覆って莫大な量の水が落ちている。滝だ。
ここはストイケイアの古都、尽きせぬ泉の町ヌエバ。リアノーンはここである人に出会ったのだった。
「リアノーン?」
その人、リノの声、過去からの声がした。滝の下で、温かい手に抱き留められる自分。
「暗い所にいましたね。もう大丈夫」
その人、リノの声、過去からの声がした。滝の下で、温かい手に抱き留められる自分。
「暗い所にいましたね。もう大丈夫」
──情景が次々と飛んでゆく。
世界樹の音楽隊と巡った世界の町。
歓迎する人々。
その一方で、次第に闇を深くしていくリアノーンの心。世界樹はどんなに心を尽くした音楽でも、その元気を完全に取り戻させることはできなくなっていた。気がついているのは、樹と直接触れあっている自分一人。
そんな時に出会い、立ち会ったのがケテルサンクチュアリの動乱だった。
「「下がれ!」」
豪儀の天剣オールデンと破天の騎士ユースベルク、二人の騎士は同時にリアノーンとフェストーソ・ドラゴンをかばうと、それぞれの武器を一閃させた。
「援護しろ!ユースベルク!」
「貴様がな!オールデン!」
かつての天上騎士といまの天上騎士は呼び交わしながら、聖所の只中へと突っ込んだ。
破邪に燃える白銀と黒、二筋の炎のように。
豪儀の天剣オールデンと破天の騎士ユースベルク、二人の騎士は同時にリアノーンとフェストーソ・ドラゴンをかばうと、それぞれの武器を一閃させた。
「援護しろ!ユースベルク!」
「貴様がな!オールデン!」
かつての天上騎士といまの天上騎士は呼び交わしながら、聖所の只中へと突っ込んだ。
破邪に燃える白銀と黒、二筋の炎のように。
彼らは強く、勇敢で、そして美しかった。あまりにも眩しく、羨ましいほどに。
──情景はつい最近、力を得てから黒猫アマナ、吹き上げる信愛アムリア、そして黒衣の一団マスクスと共に巡った世界樹との触れあいに飛んだ。
「ほら、見て。リアノーン。仮面をつけたあなたの力を世界樹が喜んでいる」
と黒猫が満足げに囁くと
「よかった。これでみんな幸せになりますね!」
とアムリアも無邪気に笑っていた。
だけどね……。
──最後の情景は、リアノーンが見たものではない。
語りかけるリノとトリクスタが見た光景だ。
力を失った世界樹がまるで草花のようにしおれ、傾いでいた。
それは確かにリアノーンとマスクスが触れた世界樹だった。
「そんな!?」
「本当よ、リアノーン」
鏡の幻視は終わった。
目の前にリノの顔があった。慈しみと同情に溢れた天輪の巫女がそこにいた。
「わたし……とんでもない事を……」
「あなたのせいじゃない。だって、あなたは悪い事をしていないもの」
リノはさらさらの雪をすくってリアノーンの頬に触れさせた。
新雪の冷たさ、でも暖かい。リノの手が、想いが温かく心を安らがせた。
リアノーン・マスクス──いや、リノが優しく仮面を外させたので、今はただのリアノーンだ──は、自分が泣いていることに気がついた。
「もう大丈夫。音楽隊のみんなも支えてくれます。きっと元通りになる。ううん、もっと元気になれる」
「リノ……ごめんなさい」
リノは黙って彼女の背中を抱いて、ギャラリーに声をかけた。
「さぁ皆さん!雪合戦は終わりです。お祝いしましょう。満開の大行進リアノーンの帰還です」
歓声が上がった。
「わかるでしょう。本当の友達こそ、あなたの真の強さだわ」
リノがそう囁いて身を離した途端、リアノーンは瞬く間に沢山の手に抱擁され、子供のように泣き出した。
真の友達に。
音楽隊の仲間たちに囲まれて。
「フン!仲良しごっこね。がっかりだわ」
黒猫アマナがそっぽを向いた。
「勝負あったわね。ここの世界樹は諦めて」
とレイユ。口調は穏やかだが、断固たる意思が窺えた。
「言われなくても!リアノーンが欠けた今、プレアドラゴン軍団やニルヴァーナ相手にケンカ売るほどバカじゃないわ」
「そう。賢いのね、アマナちゃんは」
レイユが落ち着けば落ち着くほど、黒猫は怒りを募らせていくようだった。
「馴れ馴れしく呼ばないで」
黒猫アマナはレイユの肩から飛び降りた。
「ワタシの名前はアマナキィティ。きっとまた会うことになるから。あの娘たちにも伝えなさい」
黒猫アマナは新雪に足跡をつけながら歩き出し、振り返らずに言葉を続けた。
「ワタシたちは悪じゃない。リアノーンも他の皆も、誰も強制されていないのに仲間になった。それだけ私たちの“力”が魅力的なのよ。そこをよく考えてみるのね、賢い焔の巫女さん」
そのまま黒衣の集団の真ん中を、貴婦人のように頭をもたげて歩き続けると果たして人垣は海が割れるように道を空けた。
「異界の穴」
レイユは呟いた。
その言葉通り、黒猫の行く先の空間に黒くぽっかり空いた穴が出現すると、アマナキィティと黒衣の集団を飲み込み、消滅した。
「マスクス……」
レイユは抱き合うリノとリアノーン、雪に落ちた仮面を顧みてその言葉を繰り返した。
「仮面に連なる者……」
了
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《今回の一口用語メモ》
ヒュドラグルム
今回は水晶玉特設チャンネルユーザーに対し、惑星クレイ各地で増殖している種族ヒュドラグルムについて報告させていただきたい。
その特徴は以下のようになる。
①ヒュドラグルムは龍樹の落胤という名を帯びている。
これはつまり落とし子として本体から生み出されたもの、の意味だろう。
②ヒュドラグルムは惑星クレイ世界各地の動物に擬態している。
「動物」なのは本体が植物系の生物だからなのだろうか。
それとも今後、植物に擬態するヒュドラグルムが我が森林でも発見されることもあるのだろうか。
今のところは不明である。
③ヒュドラグルムと原生の動物との最大の違いは、その体表が「水銀様」の
謎の物質によって構成されていることにある。
④ヒュドラグルムは人語(特に共通語)を介して行動しているものの、
ヒュドラグルム側が言葉を発音したという報告はあがっていない。
これもまた進化や惑星環境との同化レベルによるものなのかもしれない。
⑤これまで目撃された国家と擬態元と思われるものを列記しておく。
ユーザー各位にはこれら生物と関わる際、惑星外生命体の落胤である可能性を留意し、
細心の注意をもって臨まれたい。
龍樹の落胤 デモン・シェリダー 悪魔(デーモン)型
龍樹の落胤 ロイド・アクゼリュス バトロイド型
龍樹の落胤 ソルダ・ザーカブ 騎士型
龍樹の落胤 ビスト・アルヴァス 水牛型
龍樹の落胤 スカル・ケムダー スケルトン型
龍樹の落胤 デプス・エイリィ 深海生物型
龍樹の落胤ドラコ・バティカル 竜(ドラゴン)型
⑥最後にヒュドラグルムそのものの情報ではないが、気になる事があるので共有しておく。
先日より、龍樹に共鳴する個体が現れたという報告が各地で相次いでいる。
これは惑星クレイ世界の生物に擬態した分体であるヒュドラグルムとは違い、
原生のクレイの生物自体が龍樹の影響を受け、これに同調し始めていることを意味する。
龍樹共鳴個体は、特にストイケイア、ダークステイツの割合が多いことに注目すべきであり、
「マスクス」なる龍樹の同志・信奉者グループとの関連も探るべきではないだろうか。
グレートネイチャー総合大学動物学教授/水晶玉特設チャンネル客員アドバイザー
C・K・ザカット 拝
※なお、ザカット氏の職籍については同大学の学生・教授陣からの依頼により追記した/配信編集部より※
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡