ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
092 龍樹篇「マスク・オブ・ヒュドラグルム」
……パチ。
明らかに人間のものではない鉤爪が駒を指した。左手である。
「後手5五飛車」
黒猫アマナは盤面を読み上げ、アクビをすると舌で毛並みを整え始めた。
「飛車とは古代ドラゴンエンパイアの戦車。盤上では十字に疾駆する」
相手が一手打ち返した所で、戯弄の降霊術師はその駒を一気に縦へ、敵陣中央へと進めた。
「敵陣では転じて……炎吐く龍と化す」
成った駒を裏返す。確かにそこには赤く“龍王”と書かれていた。
「将棋。東洋のさらに先、ドラゴニア大陸の極東に伝わる盤遊戯だ」
ゾルガは片手に獲った“歩兵”の駒を、もう片方の手でヒュドラグルムの仮面を玩びながら解説した。
「このゲームの大きな特徴として、取った相手の駒を自らの手勢として使うことができる。これによりただの9✕9の盤上の駆け引きのはずが、取り得る戦法は天文学的な数にまで広がる」
「ふぅん。まるでボクらみたいだね」
声と共に細い木の根が駒を動かした。いま玉将は周囲に将を巡らせた防御の中心にある。
「来る者拒まず去る者は追わず、ってね」
「リアノーンのことは高く評価していたようだが。龍樹」
「そうだね。でもボクらとは合わなかった。隷属の葬列は盤面の将から外れたのさ。トモダチが1人減って、落とすべき世界樹がひとつ増えた。それだけのこと」
「目先の攻防優劣に固執せず大局で勝利条件を満たすことを至上とする。戦いそのものを俯瞰し手中に収める。それが戦略だ。よく覚えた」
グリフォギィラと呼ばれた声は誉められたと知って笑った。
岩に腰掛けて対局を見守っていた黒髪のアストロア=バイコ・マスクスは淑やかに口元を押さえて笑い、黒猫アマナキィティはフン!とそっぽを向いた。もう一人、無言の人物もいるようだが、木の根の元にあるはずの龍樹の本体と同様に、この薄闇の中ではその姿を見ることは出来ない。
「そう。ボクにとって大事なのは忠誠心じゃない。マスクスを繋ぐのは“力”。“力”こそ唯一の掟だよ」
「この仮面が“龍樹”と我らを結びつける……」
ゾルガは感慨深げに手元のそれを見つめた。
「キミはいつになればそれを着けてくれるのかな。強制はしないけれど」と龍樹の声には苦笑が感じられた。
「私にはまだ仮面なしでしなければいけない事のほうが多い。例えば君の家庭教師など。これは仮面でご陽気になっていてはできない仕事だ。できる教師はしかつめらしいものだからな」
「色々教えてくれたよね、ゾルガ。この惑星のこと、歴史と人物、ボクらが採るべき戦略まで。点ではなく……」
「点ではなく線として浸透し面で支配すること」
ゾルガの声に応えるように、木の根は岩屋に彫られた惑星クレイ全図を指した。
それは一般的に知られている地図に世界樹を置いたもののようだった。色分けされた部分はダークステイツを中心に、ストイケイア、ブラントゲート3ヵ国を覆い尽くす不吉な緑色の帯のようでもあり、また何らかの勢力図のようにも見える。
「これからも教えよう。君が望むだけ」
「そうだ。すべてはまだ始まったばかりだからね。だから今は……」
木の根の指は自陣に突きつけられた赤い“龍王”を取り上げ、掲げて見せた。
するとそれが合図だったかのように、一同が集う岩屋の空中に水晶玉からの投影映像が浮かび上がった。そこではすでに竜と悪魔の死闘が始まっていた。
「さぁ2回戦の始まりだ。頑張ってもらおうよ、ドラジュエルドのおじいちゃんに」
Hut! Hut!!
南の空から赤い悪魔が弾丸のように五角の城塞に突っ込んできた。
惑星クレイの大気を終端速度いっぱいで切り裂きながら。
「ワシがまともに食らうと思うてか!ぬんッ!」
業魔宝竜ドラジュエルド・マスクスは石礫でも弾くように重ねた翼で弾き飛ばした。
ギンッ!ズドドドドーン!
ただの墜落ではない。打ち出され落下したエネルギーそのままに弾かれ逸れた悪魔の弾丸は、元ダークゾーン領・現ブラントゲート北部に聳える五角城塞跡の一角を破壊し、衝撃波を撒き散らし、土砂を巻き上げながら凍った大地を抉り驀進する。
……ンンンン……。
ようやく止まった。
「おい。貴様は猪か何かか?それのどこが援軍なんだ」
やや呆れたような声があがった。槍を抱えて地面に片膝をついた破天の騎士ユースベルク──口惜しいことに現在はただの一観客でしかないが──である。
同意の声はそのユースベルクの敵からあがった。
「フッ。だが実におぬしらしい参入よのう、ブルース。……おぉ痛タ。無茶しおって」
ドラジュエルドは翼の感触を確かめるように羽ばたいて、低く呻いた。
咄嗟に弾いて直撃を避けたものの、痺れたのだろうか。はるか上空からの突貫攻撃はマスクス化した老竜にとっても痛手ではあったらしい。
「加勢じゃない。一騎打ちだ」
降り注ぐ氷土の中から悪魔──ディアブロス“爆轟”ブルースが立ち上がった。
Illust:lack
「ほーら見ろ、うまく行ったじゃないか。初弾で的中。角度・速度ともに完璧」
ヴェルストラは、城塞が映るラウンジのモニターを見上げながら腕を組んで頷いていた。
『ムチャクチャすぎますよ、CEO!人を電磁カタパルトで射出するなんて……』
オペレート・マスター フライハイツはワイプ画面の中で首を振り、嘆息をついた。
「フライハイツ。あれは人間じゃない、悪魔だ」
『CEO。カタパルトで射ち出すのは生き物じゃない、戦闘機なんだ!自前の推進力を持たず飛行空力特性もない軽すぎる対象物を大気圏内巡行中の空母甲板上で急加速してただ放り出したら水平じゃなく上にすっ飛び後方に流れてく。つまり戻ってきちゃうんですよ!あんたもこれくらいの物理、わかるでしょうが!!』
天才オペレーターとして知られるフライハイツは怒り心頭らしく、公の場で保っている雇用主と業務委託らしいいつもの礼儀も立ち振る舞いも忘れているようだ。
「そうかぁ?オレの飛行バイクもしょっちゅう使わせてもらってるけど、しっかり前に飛ぶぜ」
『僕の話、ちゃんと聞いてました!?』
「まぁまぁ、ブルースはしっかり前にぶっ飛んでったんだから、もういいじゃん」
『よくありません!僕、もうこの船降りますから』
「うん、ご苦労ご苦労。いや見事だったぜ、カタパルト悪魔弾狙撃。距離・相対速度・慣性・風力と気象データ・高度・重力・コリオリの力まで計算してブルースの射出姿勢指示と戦術艦体機動、照準とトリガーのタイミングも完璧。お前がいなきゃ絶対ブチ当てられなかったよ、フライハイツ。感謝してる。前線で殴り合うばかりが戦士じゃない。お前やこの艦のクルーもまた英雄なのさ。今回は情報収集だの追跡調査なんて地味な仕事してくれてるバスティやソラと同じくらいな。オレは忘れないぜ」
『……』
黙り込んだワイプ内の天才オペレーターの表情は複雑だった。暴言暴走無理難題ばかりのこのCEOはとんでもない人たらしなのだ。
「さ、次の現場も首を長くして待ってるんだから、早く行ってやりな。あ、今回のギャラ、増しとくからね」
この会話自体が楽しくて仕方ないのか、まだにやにや笑っているヴェルストラにおずおずと声をかける者がいた。
「あのぅ……ヴェルストラCEO」
ケテルの破天騎士、獣人フリーデである。
「もうフリーデちゃん、一緒にメシ食った仲でしょ。”ヴェルストラ”でいいよん。どした?」
この男、女性には無限に甘い。
「ユースのことです。これ、置いて行っちゃって……大事なものなのに、どうしても聞いてくれなくて」
フリーデの手には虹の魔石──ドラジュエルドからユースベルクに贈られた──破天騎士団が保有する運命力の塊があった。ケテルサンクチュアリに7つしかない至宝である。
「あー。どうりでユース君、あっさりマスクス化ドラおじに瞬殺された訳だ」
ドラおじ?と眉を顰め顔を見合わせるシュナイゼルとリプレニッシュメント・エンジェル。
「自分が斃れても魔石が奪われないように、と考えて君に託したんだろうな。形見分けってヤツ?それにしても魔石のブーストなしであーんな化け物とケンカしようだなんて無茶しやがる。これだから騎士ってのは」
「ユース、大丈夫でしょうか……」
「大丈夫大丈夫。あのバヴサーガラが付いてるし、わんぱく小僧の怪我くらいオレん所の医者がいくらでも治してくれるって。その石は大事なユース君が帰ってきた時に渡してやりなよ。今はあの悪魔を応援して、さ」
ヴェルストラはフリーデの柔らかい手を取ると魔石をしっかりと握らせ、小粋にウインクしてみせた。
Illust:桂福蔵
魔竜と悪魔は相対していた。
「魔石は」とドラジュエルド・マスクス。
「あぁ。一つはブラント月に置いてきた」
「それは重畳。これでおぬしも新たなる神格の誕生に一枚噛んだわけじゃ。そうか。頼んだ通りやり遂げてくれたか、バヴサーガラ」
上空の封焔の巫女らを見上げるドラジュエルドを見て、ブルースは懐に入れた手を取り出した。眩しいほど輝く虹の魔石が現れる。
「もう一つはついさっき渡されたものだ。ジュエルニールから、これを役立ててほしいと」
「フッ。ワシ秘蔵の魔石よなぁ。ほれ、これとおそろいじゃ」
ドラジュエルドは羽根の間からまったく同じように輝く魔石を覗かせて見せ、老竜は彼が右腕とも頼ってきた魔石竜ジュエルニールにいまは届かぬ称賛を送った。
「言わずともそれを今おぬしに渡すとは。でかしたぞ、ジュエルニール。聡い奴め」
ブルースが魔石をしまうとドラジュエルド・マスクスが城塞の頂きで構えた。前傾し爪立ちとなり翼を広げる。鳥も竜もこの型が意味するものは威嚇と、攻撃である。
「思い出すのう。初対面もこうじゃった」
「あぁ……あの時は俺もまだガキだった」
「ふふ。ある日まどろみから覚めると何と悪魔が枕元におるではないか。あれには驚かされた」
タタタタ!ドスドスッ!
雪を踏む足音と2発の打撃音はほとんど重なって聞こえた。
だが、殴りかかったブルースの拳はドラジュエルド・マスクスの体表に生じた力場に阻まれる。
「むぅ、よいパンチじゃ」
なおも肘・膝・張り手、嵐のように叩きつける強烈な悪魔の打撃をすべて受け止めながら、老竜はじりじりと後退した。
「この城塞はワシが若い頃からこの地にある。あれはそうじゃのう、今年でワシもちょうど100億歳になるから、魔法という力が生まれたあたり34、5億年ほど前になるじゃろうか」
「100億とはいくら何でもサバの読み過ぎじゃないのか」とトリクムーン。
「まぁ老竜の記憶だ、誇張はあろうよ。……だがもう少し聞いてみようではないか。我らは見届け役ゆえ」
上空。封焔竜カーンクシャティの背に乗ったバヴサーガラは傍らの友、絶望の精霊に答えて肩をすくめた。
「ケンカの最中に昔話か!」
ブルースは少し距離を取りつつ半身に構えて吐き捨てた。
「いいや。ちゃんと本気で殴っておるぞ!ワシは器用なのじゃ、ギャロウズボールのスタアなどと持て囃され、イイ気になっておるどこぞの突貫小僧と違っての。……それ!」
ドラジュエルド・マスクスが鉤爪でなぎ払い、ブルースは身をかがめて際どく避けた。確かに本気の勢いはある。油断はできない。この一閃にこめられたエネルギーは一瞬で破天の騎士ユースベルクを戦闘不能にまで追い込んだのだから。
「黙って戦え!このお喋りバカ野郎!」
ブルースは気を吐いた。言葉は罵倒だが、実際には強敵を前にした自らへの気合い入れである。
「まぁ聞け。この五角城塞はかつて原初の強力な魔法の要所であり、ある言い伝えがあるのじゃ。“魔石を持ちこの地に立つ者はたった一度、望む姿を取ることができる”とな」
「望む姿だと?」
ブルースのかすかな困惑も理解できる。どう考えてもこの戦いには意味が無さそうな伝説の披露だが、ドラジュエルドはいったい何を言いたいのか。
「かりそめでも永遠にでも良い。自分以外の何ものかになってみたいとは思わぬか」
「俺は俺。他の誰でもない己だ」
「自信家じゃな、ブルース。まぁ実際この世でおぬしに敵する者は少ないじゃろうよ。だが、本当の壁とはまだ越えていない先にあるものだ。……そら!」
ドラジュエルド・マスクスは輪状のエネルギーを幾つも吐き出した。
それは避ける間もなくブルースの首に、腕に胴に脚に巻き付いていく。
「ぐっ……」
「どうじゃ、動けまい。ワシといえば一つ覚えでボゥボゥ炎を吐くばかりと思っておったのじゃろ。戦いは常に進化するもの。よく覚えておくがいい」
「……聞きたいことがある!」とブルースは歯を食いしばりもがきながら叫んだ。
「若いモンは質問ばかりじゃのう。よろしい、許すぞ」
「なぜあっさり転んだ。仮面の連中などに」
「ふむ。ちと難しい説明になるので、その状態は助かるのう。お前ときたら長くなると殴りかかってきそうじゃから」
「さっさと言え」
「このままではこの世界は滅ぶ」
「!」
「“おまえの知る世界ではなくなる”が正しい表現か。よいか龍樹なるもの、その名は蝕滅の龍樹グリフォギィラという。……むっ」
先にユースベルクに打ち明けた時と同じく、機密や龍樹の禁忌に触れるとドラジュエルド・マスクスは苦痛に耐える様子となった。
「その……グリフォギィラがじゃ、種であるグリフォシィドである時にワシはある場所を突き止めた」
「場所とは」
「……い、言えぬ。言えぬ代わりにこれから話すことをよく聞くのじゃぞ」
それは奇妙な光景だった。
束縛し、いつでも止めを刺せるはずのドラジュエルドが苦悶しながら、なんとか言葉を搾り出し、課せられた制限の中で動けないブルースに何かを伝えようとしている。
「よいか。おまえも居合わせたケテルの叛乱、あれは本来星辰が告げていた未来とは違う様相を呈した。むろん希望のある未来につながる分岐じゃ」
それが星刻姫アストロアの言葉を裏打ちするものであることを、ブルースはまだ知らない。
「龍樹によってもたらされる未来とは、世界樹の力がヤツとマスクスによって枯渇しきるまで吸い上げられた世界。強き者は栄え、弱き者は滅ぶ。……どうじゃ楽しかろうが」
ドラジュエルドの最後の言葉が(口を楽に動かすための)真逆の意味であることを、皮肉っぽいその口調からブルースには察することができた。
「世は移ろうも世界の行方に介入せし者の数いまだ我が指に余らず。そして今また一人」
ドラジュエルド・マスクスは重々しく告げた。
告げられた相手──明らかにブルースではない外野に向けられていた──、次の行動に向け心身の回復をはかっていた破天の騎士ユースベルクはハッと顔をあげた。その一人とは俺のことだろうか。
「そうじゃ。太古より誰もなしえなかった我が枕辺に辿り着いた者ブルース、そして血まみれの覇道を征くはずだった運命を共存の道へと変えた者ユースベルク、そして“悪意”に対抗し立ち上がる者たち」
「……」ブルースは沈黙した。
「……」ユースベルクは頭を垂れた。
「おぬし達がこの惑星の未来を創ってゆくのじゃ。……」
ブルースは次の台詞を言わせなかった。悪魔は吠えた。
「勝手なこと抜かすな!好き放題しやがって!」
「初めて会った時は“寝てばっかりいやがったくせに!”じゃったのう」
ドラジュエルド・マスクスの隠されていない側の目が和んでいた。
「さぁ、やってくれ」
「何のことだ」
「マスクスは自分で自分を滅ぼすことができない。おぬしが我を葬ってくれ」
「断る!!」
「やるのじゃ!愚か者!おまえはこのワシに世界を滅ぼす片棒を担げと言うのか!」
「俺に……どうしろと」
「ヒントはやった。これ以上は喋れん。目に見えぬツタがこの口を縛っているのでな。……ブルースよ」
「……」
「正面から戦ってもおぬしに勝ち目はない。だが、この運命も覆して見せよ。ひとつ覚えておけ、我の名は業魔宝竜ドラジュエルド・マスクスなれば」
いまなぜ名乗った?ユースベルクは再び顔をあげた。
「“魔石を持ちこの地に立つ者はたった一度、望む姿を取ることができる”」
そう呟いて、破天の騎士は悪魔──彼にとっては命の恩人でもある──に呼びかける。
「そうだ!魔宝竜は教えてくれていたぞ、ブルース」「?」
「業魔宝竜を滅ぼせるのは一人しかいない。業魔宝竜の軛を裁ち切り、その虹色の炎で焼き尽くすもの」
そうか!
ブルースは念じた。かりそめでいい。この一瞬だけ。友であり庇護者であり、はからずも幾たびかこの惑星とその歴史を変えるほどの任務を何度も──惑星クレイ一の暴れん坊と恐れられる──この自分に課した存在に成ると。
遠く離れた土地。5つの強きマスクスが集う場所で……飛車の駒が弾けた。
Illust:北熊
天がどよめき地が吠えた。
五角城塞に2人のドラジュエルドが存在していた。
一人は仮面に連なる者、業魔宝竜ドラジュエルド・マスクス。
もう一人はブルースと同一の存在となっている魔宝竜ドラジュエルド。その炎がもたらす災いは……
「覚悟!」
ブルース=ドラジュエルドは一瞬で身体を縛っていたエネルギーの戒めを弾き飛ばし、大きくその口を開けた。
「あとは頼んだぞ」
ドラジュエルド・マスクスがそう言い終えた途端、その顔から仮面が剥がれ落ちた。
その時、竜であるドラジュエルドの顔に笑みが浮かんでいたのも、悪魔であるブルースの目に涙が光っていたのも……たぶんどちらもそれは目の錯覚なのだろうと、ユースベルクは思った。
ゴォォォォ!
虹の炎に触れた途端、ドラジュエルドの姿は眩しい光とともに霧のように細かい分子となって消え失せた。
もともとそこに虹の魔竜などいなかったように。
龍樹の協力者として生きるよりも、永遠に自らの存在を見えなくなるのが彼の望む姿であったかのように。
「さらばだ、友よ」
虹の魔竜の長、魔宝竜ドラジュエルドのそれが最後の言葉。
それは惜別の炎を放ったブルースに、上空で見守るバヴサーガラに、そして彼がもっとも将来へ期待をかけて叩きのめした年若きユースベルクへと、一度に送られた別れの言葉だった。
「ドラジュエルドーッ!」
悪魔ブルースの慟哭は雪原のはるか遠くまで木魂した。
水晶玉の投影映像が消えた。
「終わったね」
まだ本体の見えないそれは4人に話しかけた。惑星クレイに生きとし生けるものにとって不吉な、大人でも子供でもない声、あまりにも冷静な口調で。
「最後まで骨のある漢だった」と戯弄の降霊術師ゾルガ・マスクス。
「続きは私たちがやり遂げますわ」と異星刻姫アストロア=バイコ・マスクス。
「ワタシもね」と黒猫アマナキィティ。
「……」姿の見えぬいまもう一人はまたも無言だった。
蝕滅の龍樹グリフォギィラ──まだ木の根の先しか動かしてはいない龍樹の本体──は一拍おいてから告げた。
「さて。勝利条件の話をしようよ、みんな。世界がボクらを待っている」
満足げに、だが溢れるほどの自信を漲らせ、楽しげに笑いながら。
星降る夜。悪意が現れる。この星のいずこか
※惑星の転向力の名称については地球で使われている「コリオリの力」を用いた。※
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《今回の一口用語メモ》
Illust:北熊
マスク・オブ・ヒュドラグルム
これまで報告してきたように「マスクス」とは惑星クレイに根を張りつつある“龍樹”の力を得て、仮面の力を帯びるを装着した者の呼び名、またはその組織名である。
マスクスの特徴は、自我と自由意志を保持したまま異星よりの存在“龍樹”の強大な力を得られることだ。
またさらに興味深いのは、マスクスにはいわゆるタテの繋がりである「忠誠心」やヨコの繋がり「団結」が見受けられないという事。チームワークがなくリーダーシップもないというのは歴代、惑星クレイ世界を脅かしてきた脅威の中でも比較的珍しい。
ここから先はあくまで推測でしかないが、“龍樹”の種であるグリフォシィド──さらにはその成体なる個体といわれる蝕滅の龍樹グリフォギィラ──が惑星クレイに存在する運命力を吸収し・食らいつくし・成長すること(のみ)を欲する一方で、その下に集う将たち──特に龍樹の到来によって迎える惑星クレイの「未来」を知った星刻姫アストロア=ユニカ、怪雨の降霊術師ゾルガや、彼と接触したらしい柩機オルフィスト──は自分たちの望むことや達成すべき目的のために「マスクス」という集団の一員に同化し、龍樹の力を借りているようだ。リアノーンに至っては(聴取の結果)「世界樹をより“元気”にするために、龍樹の力を借りることが正しいと信じ、マスクス化後の奉納公演をしていた」という証言を得ている。これ自体を単純に“悪”への転向とも龍樹の“欺瞞”とも呼ぶことはできない。
だが、ケテルサンクチュアリの地上の都セイクリッド・アルビオンの世界樹を脅かし危害を加えた矮小な怪物たちの群れ、“悪意”の正体とは封焔の巫女バヴサーガラによれば、龍樹の信奉者である配下の仮面の者が心身共に龍樹に吸い尽くされた成れの果てだという。信奉者が仮に善意であったとしても、“龍樹”をこの星に迎え、その一員として支配の下で生きることを目指して仕えているとするならば、これは我々、惑星クレイの原住民にとっては“悪”と見なされるだろう。より詳しい情報と議論が待たれる所である。
さて最後に、満開の大行進リアノーンから提供され分析が進められている「ヒュドラグルムの仮面」について、第1回目の報告があがっているのでここで触れておく。
仮面は半顔型。装飾を含めた素材はすべて惑星クレイ外の物質である。
我々が手に入れたものは活動停止しているが、リアノーンが着けていた当時はまるで生き物のような感触があり、気分と思考は爽快かつ開放的・楽天的・陽気なものとなり、龍樹の意志を強く感じ、まるですぐ側で囁かれるように対話できたという。
貴重な情報源となっているリアノーンの証言の中で注目すべきは──同証言によりマスクスの将の一人と判明した──怪雨の降霊術師ゾルガ改め戯弄の降霊術師ゾルガ・マスクスが、転向後もこの仮面を着けていないことだ。
熱心に勧誘していたリアノーンの加入と同じほど脱退もまた容易に認め、仮面を着けない「マスクス」を将として抱える龍樹グリフォギィラの方針は、我々クレイ側の人間(シャドウパラディンであるこの私ゲイドに至っては日頃から犯罪者や謀反人などに接してその心理と思考を探ることが勤めであるにもかかわらず)、にわかには理解しづらいものがある。
速報として飛び込んできたドラジュエルドが残した言葉もまた、利敵行為とみられることまで(苦痛はあるらしいが)許容してしまう龍樹の姿勢が垣間見える。
現在、我々水晶玉に連なる側には、信奉者マスクス団の増加や世界樹の衰弱、観測されている運命力の乱れなど惑星クレイ各地からあがっている懸案は多い。次回の報告までは時間が空きそうである。
水晶玉特設チャンネルユーザー各位におかれては引き続き警戒怠りなく、続報推して待たれたし。
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明らかに人間のものではない鉤爪が駒を指した。左手である。
「後手5五飛車」
黒猫アマナは盤面を読み上げ、アクビをすると舌で毛並みを整え始めた。
「飛車とは古代ドラゴンエンパイアの戦車。盤上では十字に疾駆する」
相手が一手打ち返した所で、戯弄の降霊術師はその駒を一気に縦へ、敵陣中央へと進めた。
「敵陣では転じて……炎吐く龍と化す」
成った駒を裏返す。確かにそこには赤く“龍王”と書かれていた。
「将棋。東洋のさらに先、ドラゴニア大陸の極東に伝わる盤遊戯だ」
ゾルガは片手に獲った“歩兵”の駒を、もう片方の手でヒュドラグルムの仮面を玩びながら解説した。
「このゲームの大きな特徴として、取った相手の駒を自らの手勢として使うことができる。これによりただの9✕9の盤上の駆け引きのはずが、取り得る戦法は天文学的な数にまで広がる」
「ふぅん。まるでボクらみたいだね」
声と共に細い木の根が駒を動かした。いま玉将は周囲に将を巡らせた防御の中心にある。
「来る者拒まず去る者は追わず、ってね」
「リアノーンのことは高く評価していたようだが。龍樹」
「そうだね。でもボクらとは合わなかった。隷属の葬列は盤面の将から外れたのさ。トモダチが1人減って、落とすべき世界樹がひとつ増えた。それだけのこと」
「目先の攻防優劣に固執せず大局で勝利条件を満たすことを至上とする。戦いそのものを俯瞰し手中に収める。それが戦略だ。よく覚えた」
グリフォギィラと呼ばれた声は誉められたと知って笑った。
岩に腰掛けて対局を見守っていた黒髪のアストロア=バイコ・マスクスは淑やかに口元を押さえて笑い、黒猫アマナキィティはフン!とそっぽを向いた。もう一人、無言の人物もいるようだが、木の根の元にあるはずの龍樹の本体と同様に、この薄闇の中ではその姿を見ることは出来ない。
「そう。ボクにとって大事なのは忠誠心じゃない。マスクスを繋ぐのは“力”。“力”こそ唯一の掟だよ」
「この仮面が“龍樹”と我らを結びつける……」
ゾルガは感慨深げに手元のそれを見つめた。
「キミはいつになればそれを着けてくれるのかな。強制はしないけれど」と龍樹の声には苦笑が感じられた。
「私にはまだ仮面なしでしなければいけない事のほうが多い。例えば君の家庭教師など。これは仮面でご陽気になっていてはできない仕事だ。できる教師はしかつめらしいものだからな」
「色々教えてくれたよね、ゾルガ。この惑星のこと、歴史と人物、ボクらが採るべき戦略まで。点ではなく……」
「点ではなく線として浸透し面で支配すること」
ゾルガの声に応えるように、木の根は岩屋に彫られた惑星クレイ全図を指した。
それは一般的に知られている地図に世界樹を置いたもののようだった。色分けされた部分はダークステイツを中心に、ストイケイア、ブラントゲート3ヵ国を覆い尽くす不吉な緑色の帯のようでもあり、また何らかの勢力図のようにも見える。
「これからも教えよう。君が望むだけ」
「そうだ。すべてはまだ始まったばかりだからね。だから今は……」
木の根の指は自陣に突きつけられた赤い“龍王”を取り上げ、掲げて見せた。
するとそれが合図だったかのように、一同が集う岩屋の空中に水晶玉からの投影映像が浮かび上がった。そこではすでに竜と悪魔の死闘が始まっていた。
「さぁ2回戦の始まりだ。頑張ってもらおうよ、ドラジュエルドのおじいちゃんに」
Hut! Hut!!
南の空から赤い悪魔が弾丸のように五角の城塞に突っ込んできた。
惑星クレイの大気を終端速度いっぱいで切り裂きながら。
「ワシがまともに食らうと思うてか!ぬんッ!」
業魔宝竜ドラジュエルド・マスクスは石礫でも弾くように重ねた翼で弾き飛ばした。
ギンッ!ズドドドドーン!
ただの墜落ではない。打ち出され落下したエネルギーそのままに弾かれ逸れた悪魔の弾丸は、元ダークゾーン領・現ブラントゲート北部に聳える五角城塞跡の一角を破壊し、衝撃波を撒き散らし、土砂を巻き上げながら凍った大地を抉り驀進する。
……ンンンン……。
ようやく止まった。
「おい。貴様は猪か何かか?それのどこが援軍なんだ」
やや呆れたような声があがった。槍を抱えて地面に片膝をついた破天の騎士ユースベルク──口惜しいことに現在はただの一観客でしかないが──である。
同意の声はそのユースベルクの敵からあがった。
「フッ。だが実におぬしらしい参入よのう、ブルース。……おぉ痛タ。無茶しおって」
ドラジュエルドは翼の感触を確かめるように羽ばたいて、低く呻いた。
咄嗟に弾いて直撃を避けたものの、痺れたのだろうか。はるか上空からの突貫攻撃はマスクス化した老竜にとっても痛手ではあったらしい。
「加勢じゃない。一騎打ちだ」
降り注ぐ氷土の中から悪魔──ディアブロス“爆轟”ブルースが立ち上がった。
Illust:lack
「ほーら見ろ、うまく行ったじゃないか。初弾で的中。角度・速度ともに完璧」
ヴェルストラは、城塞が映るラウンジのモニターを見上げながら腕を組んで頷いていた。
『ムチャクチャすぎますよ、CEO!人を電磁カタパルトで射出するなんて……』
オペレート・マスター フライハイツはワイプ画面の中で首を振り、嘆息をついた。
「フライハイツ。あれは人間じゃない、悪魔だ」
『CEO。カタパルトで射ち出すのは生き物じゃない、戦闘機なんだ!自前の推進力を持たず飛行空力特性もない軽すぎる対象物を大気圏内巡行中の空母甲板上で急加速してただ放り出したら水平じゃなく上にすっ飛び後方に流れてく。つまり戻ってきちゃうんですよ!あんたもこれくらいの物理、わかるでしょうが!!』
天才オペレーターとして知られるフライハイツは怒り心頭らしく、公の場で保っている雇用主と業務委託らしいいつもの礼儀も立ち振る舞いも忘れているようだ。
「そうかぁ?オレの飛行バイクもしょっちゅう使わせてもらってるけど、しっかり前に飛ぶぜ」
『僕の話、ちゃんと聞いてました!?』
「まぁまぁ、ブルースはしっかり前にぶっ飛んでったんだから、もういいじゃん」
『よくありません!僕、もうこの船降りますから』
「うん、ご苦労ご苦労。いや見事だったぜ、カタパルト悪魔弾狙撃。距離・相対速度・慣性・風力と気象データ・高度・重力・コリオリの力まで計算してブルースの射出姿勢指示と戦術艦体機動、照準とトリガーのタイミングも完璧。お前がいなきゃ絶対ブチ当てられなかったよ、フライハイツ。感謝してる。前線で殴り合うばかりが戦士じゃない。お前やこの艦のクルーもまた英雄なのさ。今回は情報収集だの追跡調査なんて地味な仕事してくれてるバスティやソラと同じくらいな。オレは忘れないぜ」
『……』
黙り込んだワイプ内の天才オペレーターの表情は複雑だった。暴言暴走無理難題ばかりのこのCEOはとんでもない人たらしなのだ。
「さ、次の現場も首を長くして待ってるんだから、早く行ってやりな。あ、今回のギャラ、増しとくからね」
この会話自体が楽しくて仕方ないのか、まだにやにや笑っているヴェルストラにおずおずと声をかける者がいた。
「あのぅ……ヴェルストラCEO」
ケテルの破天騎士、獣人フリーデである。
「もうフリーデちゃん、一緒にメシ食った仲でしょ。”ヴェルストラ”でいいよん。どした?」
この男、女性には無限に甘い。
「ユースのことです。これ、置いて行っちゃって……大事なものなのに、どうしても聞いてくれなくて」
フリーデの手には虹の魔石──ドラジュエルドからユースベルクに贈られた──破天騎士団が保有する運命力の塊があった。ケテルサンクチュアリに7つしかない至宝である。
「あー。どうりでユース君、あっさりマスクス化ドラおじに瞬殺された訳だ」
ドラおじ?と眉を顰め顔を見合わせるシュナイゼルとリプレニッシュメント・エンジェル。
「自分が斃れても魔石が奪われないように、と考えて君に託したんだろうな。形見分けってヤツ?それにしても魔石のブーストなしであーんな化け物とケンカしようだなんて無茶しやがる。これだから騎士ってのは」
「ユース、大丈夫でしょうか……」
「大丈夫大丈夫。あのバヴサーガラが付いてるし、わんぱく小僧の怪我くらいオレん所の医者がいくらでも治してくれるって。その石は大事なユース君が帰ってきた時に渡してやりなよ。今はあの悪魔を応援して、さ」
ヴェルストラはフリーデの柔らかい手を取ると魔石をしっかりと握らせ、小粋にウインクしてみせた。
Illust:桂福蔵
魔竜と悪魔は相対していた。
「魔石は」とドラジュエルド・マスクス。
「あぁ。一つはブラント月に置いてきた」
「それは重畳。これでおぬしも新たなる神格の誕生に一枚噛んだわけじゃ。そうか。頼んだ通りやり遂げてくれたか、バヴサーガラ」
上空の封焔の巫女らを見上げるドラジュエルドを見て、ブルースは懐に入れた手を取り出した。眩しいほど輝く虹の魔石が現れる。
「もう一つはついさっき渡されたものだ。ジュエルニールから、これを役立ててほしいと」
「フッ。ワシ秘蔵の魔石よなぁ。ほれ、これとおそろいじゃ」
ドラジュエルドは羽根の間からまったく同じように輝く魔石を覗かせて見せ、老竜は彼が右腕とも頼ってきた魔石竜ジュエルニールにいまは届かぬ称賛を送った。
「言わずともそれを今おぬしに渡すとは。でかしたぞ、ジュエルニール。聡い奴め」
ブルースが魔石をしまうとドラジュエルド・マスクスが城塞の頂きで構えた。前傾し爪立ちとなり翼を広げる。鳥も竜もこの型が意味するものは威嚇と、攻撃である。
「思い出すのう。初対面もこうじゃった」
「あぁ……あの時は俺もまだガキだった」
「ふふ。ある日まどろみから覚めると何と悪魔が枕元におるではないか。あれには驚かされた」
タタタタ!ドスドスッ!
雪を踏む足音と2発の打撃音はほとんど重なって聞こえた。
だが、殴りかかったブルースの拳はドラジュエルド・マスクスの体表に生じた力場に阻まれる。
「むぅ、よいパンチじゃ」
なおも肘・膝・張り手、嵐のように叩きつける強烈な悪魔の打撃をすべて受け止めながら、老竜はじりじりと後退した。
「この城塞はワシが若い頃からこの地にある。あれはそうじゃのう、今年でワシもちょうど100億歳になるから、魔法という力が生まれたあたり34、5億年ほど前になるじゃろうか」
「100億とはいくら何でもサバの読み過ぎじゃないのか」とトリクムーン。
「まぁ老竜の記憶だ、誇張はあろうよ。……だがもう少し聞いてみようではないか。我らは見届け役ゆえ」
上空。封焔竜カーンクシャティの背に乗ったバヴサーガラは傍らの友、絶望の精霊に答えて肩をすくめた。
「ケンカの最中に昔話か!」
ブルースは少し距離を取りつつ半身に構えて吐き捨てた。
「いいや。ちゃんと本気で殴っておるぞ!ワシは器用なのじゃ、ギャロウズボールのスタアなどと持て囃され、イイ気になっておるどこぞの突貫小僧と違っての。……それ!」
ドラジュエルド・マスクスが鉤爪でなぎ払い、ブルースは身をかがめて際どく避けた。確かに本気の勢いはある。油断はできない。この一閃にこめられたエネルギーは一瞬で破天の騎士ユースベルクを戦闘不能にまで追い込んだのだから。
「黙って戦え!このお喋りバカ野郎!」
ブルースは気を吐いた。言葉は罵倒だが、実際には強敵を前にした自らへの気合い入れである。
「まぁ聞け。この五角城塞はかつて原初の強力な魔法の要所であり、ある言い伝えがあるのじゃ。“魔石を持ちこの地に立つ者はたった一度、望む姿を取ることができる”とな」
「望む姿だと?」
ブルースのかすかな困惑も理解できる。どう考えてもこの戦いには意味が無さそうな伝説の披露だが、ドラジュエルドはいったい何を言いたいのか。
「かりそめでも永遠にでも良い。自分以外の何ものかになってみたいとは思わぬか」
「俺は俺。他の誰でもない己だ」
「自信家じゃな、ブルース。まぁ実際この世でおぬしに敵する者は少ないじゃろうよ。だが、本当の壁とはまだ越えていない先にあるものだ。……そら!」
ドラジュエルド・マスクスは輪状のエネルギーを幾つも吐き出した。
それは避ける間もなくブルースの首に、腕に胴に脚に巻き付いていく。
「ぐっ……」
「どうじゃ、動けまい。ワシといえば一つ覚えでボゥボゥ炎を吐くばかりと思っておったのじゃろ。戦いは常に進化するもの。よく覚えておくがいい」
「……聞きたいことがある!」とブルースは歯を食いしばりもがきながら叫んだ。
「若いモンは質問ばかりじゃのう。よろしい、許すぞ」
「なぜあっさり転んだ。仮面の連中などに」
「ふむ。ちと難しい説明になるので、その状態は助かるのう。お前ときたら長くなると殴りかかってきそうじゃから」
「さっさと言え」
「このままではこの世界は滅ぶ」
「!」
「“おまえの知る世界ではなくなる”が正しい表現か。よいか龍樹なるもの、その名は蝕滅の龍樹グリフォギィラという。……むっ」
先にユースベルクに打ち明けた時と同じく、機密や龍樹の禁忌に触れるとドラジュエルド・マスクスは苦痛に耐える様子となった。
「その……グリフォギィラがじゃ、種であるグリフォシィドである時にワシはある場所を突き止めた」
「場所とは」
「……い、言えぬ。言えぬ代わりにこれから話すことをよく聞くのじゃぞ」
それは奇妙な光景だった。
束縛し、いつでも止めを刺せるはずのドラジュエルドが苦悶しながら、なんとか言葉を搾り出し、課せられた制限の中で動けないブルースに何かを伝えようとしている。
「よいか。おまえも居合わせたケテルの叛乱、あれは本来星辰が告げていた未来とは違う様相を呈した。むろん希望のある未来につながる分岐じゃ」
それが星刻姫アストロアの言葉を裏打ちするものであることを、ブルースはまだ知らない。
「龍樹によってもたらされる未来とは、世界樹の力がヤツとマスクスによって枯渇しきるまで吸い上げられた世界。強き者は栄え、弱き者は滅ぶ。……どうじゃ楽しかろうが」
ドラジュエルドの最後の言葉が(口を楽に動かすための)真逆の意味であることを、皮肉っぽいその口調からブルースには察することができた。
「世は移ろうも世界の行方に介入せし者の数いまだ我が指に余らず。そして今また一人」
ドラジュエルド・マスクスは重々しく告げた。
告げられた相手──明らかにブルースではない外野に向けられていた──、次の行動に向け心身の回復をはかっていた破天の騎士ユースベルクはハッと顔をあげた。その一人とは俺のことだろうか。
「そうじゃ。太古より誰もなしえなかった我が枕辺に辿り着いた者ブルース、そして血まみれの覇道を征くはずだった運命を共存の道へと変えた者ユースベルク、そして“悪意”に対抗し立ち上がる者たち」
「……」ブルースは沈黙した。
「……」ユースベルクは頭を垂れた。
「おぬし達がこの惑星の未来を創ってゆくのじゃ。……」
ブルースは次の台詞を言わせなかった。悪魔は吠えた。
「勝手なこと抜かすな!好き放題しやがって!」
「初めて会った時は“寝てばっかりいやがったくせに!”じゃったのう」
ドラジュエルド・マスクスの隠されていない側の目が和んでいた。
「さぁ、やってくれ」
「何のことだ」
「マスクスは自分で自分を滅ぼすことができない。おぬしが我を葬ってくれ」
「断る!!」
「やるのじゃ!愚か者!おまえはこのワシに世界を滅ぼす片棒を担げと言うのか!」
「俺に……どうしろと」
「ヒントはやった。これ以上は喋れん。目に見えぬツタがこの口を縛っているのでな。……ブルースよ」
「……」
「正面から戦ってもおぬしに勝ち目はない。だが、この運命も覆して見せよ。ひとつ覚えておけ、我の名は業魔宝竜ドラジュエルド・マスクスなれば」
いまなぜ名乗った?ユースベルクは再び顔をあげた。
「“魔石を持ちこの地に立つ者はたった一度、望む姿を取ることができる”」
そう呟いて、破天の騎士は悪魔──彼にとっては命の恩人でもある──に呼びかける。
「そうだ!魔宝竜は教えてくれていたぞ、ブルース」「?」
「業魔宝竜を滅ぼせるのは一人しかいない。業魔宝竜の軛を裁ち切り、その虹色の炎で焼き尽くすもの」
そうか!
ブルースは念じた。かりそめでいい。この一瞬だけ。友であり庇護者であり、はからずも幾たびかこの惑星とその歴史を変えるほどの任務を何度も──惑星クレイ一の暴れん坊と恐れられる──この自分に課した存在に成ると。
遠く離れた土地。5つの強きマスクスが集う場所で……飛車の駒が弾けた。
Illust:北熊
我は、魔宝竜 ドラジュエルド!!
天がどよめき地が吠えた。
五角城塞に2人のドラジュエルドが存在していた。
一人は仮面に連なる者、業魔宝竜ドラジュエルド・マスクス。
もう一人はブルースと同一の存在となっている魔宝竜ドラジュエルド。その炎がもたらす災いは……
ダークステイツの悪夢!!
「覚悟!」
ブルース=ドラジュエルドは一瞬で身体を縛っていたエネルギーの戒めを弾き飛ばし、大きくその口を開けた。
「あとは頼んだぞ」
ドラジュエルド・マスクスがそう言い終えた途端、その顔から仮面が剥がれ落ちた。
その時、竜であるドラジュエルドの顔に笑みが浮かんでいたのも、悪魔であるブルースの目に涙が光っていたのも……たぶんどちらもそれは目の錯覚なのだろうと、ユースベルクは思った。
ゴォォォォ!
虹の炎に触れた途端、ドラジュエルドの姿は眩しい光とともに霧のように細かい分子となって消え失せた。
もともとそこに虹の魔竜などいなかったように。
龍樹の協力者として生きるよりも、永遠に自らの存在を見えなくなるのが彼の望む姿であったかのように。
「さらばだ、友よ」
虹の魔竜の長、魔宝竜ドラジュエルドのそれが最後の言葉。
それは惜別の炎を放ったブルースに、上空で見守るバヴサーガラに、そして彼がもっとも将来へ期待をかけて叩きのめした年若きユースベルクへと、一度に送られた別れの言葉だった。
「ドラジュエルドーッ!」
悪魔ブルースの慟哭は雪原のはるか遠くまで木魂した。
水晶玉の投影映像が消えた。
「終わったね」
まだ本体の見えないそれは4人に話しかけた。惑星クレイに生きとし生けるものにとって不吉な、大人でも子供でもない声、あまりにも冷静な口調で。
「最後まで骨のある漢だった」と戯弄の降霊術師ゾルガ・マスクス。
「続きは私たちがやり遂げますわ」と異星刻姫アストロア=バイコ・マスクス。
「ワタシもね」と黒猫アマナキィティ。
「……」姿の見えぬいまもう一人はまたも無言だった。
蝕滅の龍樹グリフォギィラ──まだ木の根の先しか動かしてはいない龍樹の本体──は一拍おいてから告げた。
「さて。勝利条件の話をしようよ、みんな。世界がボクらを待っている」
満足げに、だが溢れるほどの自信を漲らせ、楽しげに笑いながら。
星降る夜。悪意が現れる。この星のいずこか
了
※惑星の転向力の名称については地球で使われている「コリオリの力」を用いた。※
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《今回の一口用語メモ》
Illust:北熊
マスク・オブ・ヒュドラグルム
これまで報告してきたように「マスクス」とは惑星クレイに根を張りつつある“龍樹”の力を得て、仮面の力を帯びるを装着した者の呼び名、またはその組織名である。
マスクスの特徴は、自我と自由意志を保持したまま異星よりの存在“龍樹”の強大な力を得られることだ。
またさらに興味深いのは、マスクスにはいわゆるタテの繋がりである「忠誠心」やヨコの繋がり「団結」が見受けられないという事。チームワークがなくリーダーシップもないというのは歴代、惑星クレイ世界を脅かしてきた脅威の中でも比較的珍しい。
ここから先はあくまで推測でしかないが、“龍樹”の種であるグリフォシィド──さらにはその成体なる個体といわれる蝕滅の龍樹グリフォギィラ──が惑星クレイに存在する運命力を吸収し・食らいつくし・成長すること(のみ)を欲する一方で、その下に集う将たち──特に龍樹の到来によって迎える惑星クレイの「未来」を知った星刻姫アストロア=ユニカ、怪雨の降霊術師ゾルガや、彼と接触したらしい柩機オルフィスト──は自分たちの望むことや達成すべき目的のために「マスクス」という集団の一員に同化し、龍樹の力を借りているようだ。リアノーンに至っては(聴取の結果)「世界樹をより“元気”にするために、龍樹の力を借りることが正しいと信じ、マスクス化後の奉納公演をしていた」という証言を得ている。これ自体を単純に“悪”への転向とも龍樹の“欺瞞”とも呼ぶことはできない。
だが、ケテルサンクチュアリの地上の都セイクリッド・アルビオンの世界樹を脅かし危害を加えた矮小な怪物たちの群れ、“悪意”の正体とは封焔の巫女バヴサーガラによれば、龍樹の信奉者である配下の仮面の者が心身共に龍樹に吸い尽くされた成れの果てだという。信奉者が仮に善意であったとしても、“龍樹”をこの星に迎え、その一員として支配の下で生きることを目指して仕えているとするならば、これは我々、惑星クレイの原住民にとっては“悪”と見なされるだろう。より詳しい情報と議論が待たれる所である。
さて最後に、満開の大行進リアノーンから提供され分析が進められている「ヒュドラグルムの仮面」について、第1回目の報告があがっているのでここで触れておく。
仮面は半顔型。装飾を含めた素材はすべて惑星クレイ外の物質である。
我々が手に入れたものは活動停止しているが、リアノーンが着けていた当時はまるで生き物のような感触があり、気分と思考は爽快かつ開放的・楽天的・陽気なものとなり、龍樹の意志を強く感じ、まるですぐ側で囁かれるように対話できたという。
貴重な情報源となっているリアノーンの証言の中で注目すべきは──同証言によりマスクスの将の一人と判明した──怪雨の降霊術師ゾルガ改め戯弄の降霊術師ゾルガ・マスクスが、転向後もこの仮面を着けていないことだ。
熱心に勧誘していたリアノーンの加入と同じほど脱退もまた容易に認め、仮面を着けない「マスクス」を将として抱える龍樹グリフォギィラの方針は、我々クレイ側の人間(シャドウパラディンであるこの私ゲイドに至っては日頃から犯罪者や謀反人などに接してその心理と思考を探ることが勤めであるにもかかわらず)、にわかには理解しづらいものがある。
速報として飛び込んできたドラジュエルドが残した言葉もまた、利敵行為とみられることまで(苦痛はあるらしいが)許容してしまう龍樹の姿勢が垣間見える。
現在、我々水晶玉に連なる側には、信奉者マスクス団の増加や世界樹の衰弱、観測されている運命力の乱れなど惑星クレイ各地からあがっている懸案は多い。次回の報告までは時間が空きそうである。
水晶玉特設チャンネルユーザー各位におかれては引き続き警戒怠りなく、続報推して待たれたし。
シャドウパラディン第5騎士団副団長/水晶玉特設チャンネル管理配信担当チーフ
厳罰の騎士ゲイド 拝
厳罰の騎士ゲイド 拝
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡