ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
Illust:DaisukeIzuka
それはブラントゲート沖上空でリノを待っていた。いや覆っていた。
「我は盟約を果たす者。終わりなき夜を砕く刃である」
轟く声は宙の咆哮。
「我、因果を断ち切り顕現せり」
聳える姿は水平線の上空、視界全てを埋め尽くす。
柩機の禍神オルフィスト・マスクス。
これより天輪の巫女リノが挑むのは地上のものではない、宇宙的な存在である。
「リノ!」
武装鏡鳴ミラズヴェルリーナ、つまり今リノが乗っているトリクスタの化身が声をかけてきた。
暁紅院を発ってから12日。雲霞のごとく襲い来る龍樹の落胤を仲間とともに撃破しつつ前進し、ここまでも長い道程だった。自分たちを待つ敵が超巨大な柩機の禍神であっても、今さら臆することはない。さぁ行くよ、と言っているのだ。
「行きましょう!」
応えたリノはミラズヴェルリーナ=トリクスタの背に身を伏せた。急加速に、2体を包む防御バリアが蒸気の円錐を形作る。
こうしてリノが初めて経験する異次元の戦いが始まった。
Illust:ToMo
──前夜。
チーン……。
触れあうグラスが軽やかな音をたてると、金色の蜂蜜酒がかすかに揺れた。
照明を落としたテーブルに灯りは燭台のローソクだけ。外には凪いだ夜の南極海が広がっている。
「今日という日に乾杯。リノ、全ては君のために」
「お招きいただきありがとうございます」
これ以上ないくらい満面の笑顔のヴェルストラに対して、リノはあくまで真面目な表情を崩さない。
乾杯を受け傾けたリノのグラスに満たされているのは、味はまったく同じだが発泡しているアルコール分の無い清涼飲料だ。暁紅院の僧や巫女は祭祀以外での飲酒を戒律で固く禁じられている。
「うーん!さすがCEOのレストラン、何もかも美味しいねっ!」
そう言いながらローソクの明かりの下にぴょこんと飛び出してきたのはトリクスタ。ビスケットが気に入ったらしく口の周りを粉だらけにしている。
そして4つ目の席、うずたかく積まれた座布団の上には天輪竜の卵サプライズ・エッグが薄暗がりの中でいつものように目をぱちくりさせている。
「おー、どんっどん食ってけ~。タリスマン!」
渾身の決めシーンがぶち壊されたにも関わらず、おかわりを求めてビュッフェに飛んでいくトリクスタの後ろ姿へヴェルストラは陽気に呼びかけた。笑いながら指を鳴らすと照明が上がり、展望レストラン『The Great VERSTRA』の全貌が照らし出される。
とたんに流れ出す楽団の生演奏。隅々まで凝った調度と豪奢な装飾。気配りの行き届いたスタッフと、シェフも国賓を唸らせるほどの超一流ぞろい。これをたった3人の客をもてなすためだけに開かせたのだ。もっともこのレストランがあるリューベツァールもまた、今夜3人を迎えるためだけに駆り出されたもので、空母さえ自家用車なみの気軽さで使うブリッツ・インダストリーCEO ヴェルストラという存在あってのものだ。
「さ、リノも食べて。力つけなきゃ」
「もう沢山いただきましたから」
嘘だ。ヴェルストラはリノをちょんちょんちょんと指差してにっこり笑った。実際、リノは最初に盛られたサラダくらいしか手をつけていない。
「喉を通らないんでしょ。ま、そりゃ辿り着いた先にあーんなのがいたんじゃ落ち着かないよな」
ヴェルストラは苦い笑いを浮かべながら、黒い海の上に聳えるものに向かって首を傾げた。
ブラントゲートの北の空には半月前からずっと、仮面を着けた柩機の禍神の姿が浮かんでいる。それは侵攻に加勢するわけでもなく、ある意図をもって全天を覆っているのだった。
「すみません」「謝ることじゃないよ」
ヴェルストラは頬杖をついてリノを見つめた。このCEOは天輪の巫女の熱狂的ファンで知られている。久々に(一応)二人きりになれてデレデレするかと思いきや、その視線にはリノに対する確かな理解と労りがある。
「なぁ、ここいつまで居てくれてもいいんだぜ。リノがいいと思うまで」
とヴェルストラCEO。リノは首を振って立ち上がった。
「ありがとうございます。でももう行きます」
手慣れた様子でベビーキャリアを着け、神格ニルヴァーナの化身である卵を背負う。その様子を見て、頬一杯にビスケットを詰めこんだトリクスタも席に戻ってきた。
「あの人は、わたしを呼んでいるのですから」
一礼するリノに、ヴェルストラは黙ったまま笑顔で手を挙げた。
頑張れ、でも気をつけて、でもない。ただ「リノのそういう所が好きなのさ」という意思表示。普段どんなにおちゃらけようともこの男は、相手が抱えている重荷を思いやる事にはいつも真剣なのだ。
気密扉が開くと猛風の中、リューベツァールの飛行甲板にはプレアドラゴン、装照竜グレイルミラが跪いていた。3人以外では唯一一体だけ、この強行軍に最後まで着いて来られた仲間だった。
Illust:ToMo
自分たちが柩機の禍神に呼ばれている、とリノが聞いたのは、今からもう12日も前のことになる。水晶玉ネットワークからの報告では3日前、南極海上空に突如出現したオルフィスト・マスクスが昼夜を問わず、全空域に次のメッセージを繰り返し発信しているというものだった。
「天輪よ。我と立ち合え」
この惑星クレイで、“天輪”と言われて神格ニルヴァーナを思い起こさない者などいないだろう。
仮にその化身であるサプライズ・エッグの姿や、焔の巫女4人、希望の精霊トリクスタのことは知らなかったとしても(果たしてきた役割と功績の大きさの割に、リノたちはいつも自分たちから進んで名乗り出るような事はしなかったので、一般には意外なほど知られていないのだ)。
「もちろん受けて立ちます。そしてその先にあるものも、必ず」
──暁紅院。
居並ぶ長老や僧、巫女たちの前で宣言したリノの決意に対し、水晶玉の向こうに並ぶ各国家と主要人物の意見は割れた。
柩機の禍神オルフィスト・マスクスをもし倒せたなら?
それは現在までにドラジュエルド、リアノーン、マグノリア、グリードンそして軍師ゾルガと(マスクスとして“力”と新たな名前を与えられた)重鎮を次々失いつつある龍樹勢力に、かなりの痛手を負わせる事ができるだろう。
この見解は一致している。
しかし、その代わりとして天輪側が賭けるものは他でもない、神格ニルヴァーナとその巫女だ。惑星クレイを照らす神格ニルヴァーナまで敵の手に落ち、利用されるようなことがあれば、この太陽系すべてが龍樹の完全な支配下に落ちるだろう。危険が大きすぎる。そもそもドラゴニア大陸中央部は龍樹が最近急激に軍備と監視を強めており、強行突破は難しく、オルフィストが待つブラントゲート沖までには長大な迂回コースを選択せざるを得ない。
全兵力をあげて討つべしと答えたのは、ドラゴンエンパイア国とストイケイア海軍「アクアフォース」。
戦局を見て、今立ち合うことは避けるべきとしたのは、ストイケイアのグレートネイチャー総合大学とブラントゲート政府。特に、先日までオルフィストと緊密な連携関係にあったブラントゲート宇宙軍からは、そもそも異界の存在である柩機と正面きって戦うこと自体が無謀とのコメントがあった。
だが結局、決定へと全体を大きく動かしたものは友たちからリノにかけられた言葉。もっとも予想されていた2人と逆に予想外の2人からのものだった。
「天輪がチームとして一丸となれば山も動く。教えたとおりだ。当たって砕けろ、リノ」
と悪魔ブルースがスクリーンの向こうで腕組みをすれば、
「砕けてどうすんのよ。ま、ドデカイ異界の存在相手に大砲撃ちまくる二乗則であたっても効果は怪しいし、勝つチャンスがあるとしたら接近して白兵戦に持ち込むしかないよな。『惑星クレイ頂上決戦 ニルヴァーナvsリンクジョーカー』っヤツ。リノちゃん、リューベツァール出しとくからね。こっちに着くの、待ってるよ~ん」
とブリッツ・インダストリーCEOも執務室から手を振ってみせる。いまも黙って聴講しているソラ・ピリオド同様、将官たちの表情を見てもこの男が切れ者なのかお調子者なのか判断しかねているようである。
「私も、天輪の一行が立ち合うべきだと考える。その露払いが我々の仕事だ。オラクルと賢者の同意も得た」
このケテルサンクチュアリ防衛省長官の意見はもっとも驚きをもって受け止められたものだったろう。バスティオンといえばケテル一の剣士、法の護り手、北の賢将として名高い常識人のはずではなかったか。
「いかにも。リノの意思は神格ニルヴァーナと分かちがたく結ばれている。行くというなら迷うことは無い」
「僕らが援護する」
と最後に竜騎士たちを率いて駆けつけたバヴサーガラがそっとリノの肩に手をかけると、トリクムーンが無表情ながらも天輪の一行に頷いてみせた。トリクスタがありがと!と親指を立てる。ヴェルロードへ変化する力を身につけたためか、今までのトリクムーンとはひと味違う頼もしさを醸し出している。
「ありがとうございます。よろしくお願いします、皆さん」
リノは周囲を見渡した。
わたしは一人では無い。こんなに力を貸してくれる友がいて、同志がいる。
心友バヴサーガラに至っては、ブラントゲートの防衛を封焔竜軍団と味方となったグラビディアン達に任せ、傷心のマグノリア王を慰問した後、普段は使わない時空の歪みを利用しての空間跳躍──心身の負担が大きいらしい──まで使って、天輪の一行の護衛のために暁紅院までやって来たのである。その横ではやはり大陸の半分を横断して駆けつけ合流したドラグリッターと、飛行隊長のラティーファが笑顔で頷いている。封焔の巫女バヴサーガラを“母”と呼ぶ彼女たちドラグリッターには絶対の自信があるのだ。竜騎士と飛行教官がいる限り、ドラゴンエンパイアを脅かす敵に勝機無しと。
「この戦い、わたしが終わらせます。必ず!」
リノの宣言は勇ましかった。
意気上がる暁紅院の僧、巫女と水晶玉ネットワーク。
だがレイユ──焔の巫女のリーダー格でリノに対してはいつも姉のように接する──だけが、そんな天輪の巫女の背に少し不安げな視線を向けていたことに、バヴサーガラだけは気がついていた。
「龍樹の勢力圏を避けて12日間。地縁のある町村を足がかりにケテル、ドラゴンエンパイア、ブラントゲート総力をあげての護衛も2度の大会戦を経て次第に削られ、いまや味方の巫女らもはるか後方。辿り着いたのは3人と1柱か」
ハッとリノの意識が明晰さを取り戻した。
柩機の禍神が浮かぶ空域に突進したまでの記憶はあった。だがしかし……。
「リノ……ボクら取り込まれちゃったみたい」「不覚。面目次第もございません」
リノとサプライズ・エッグを乗せたミラズヴェルリーナ=トリクスタは同時に2人の声を発した。
「我の存在の中に閉じ込められたこと、意外ではないようだな。天輪の巫女」
「えぇ。こうなることはたぶん皆わかっていました」
周囲に広がる虚空を見渡しながら、リノは落ち着きを取り戻していた。かつて龍樹グリフォギィラも同じような方法でリノたちを時空間の外に拉致したことがあった。
「ここはあなたの“夜”ですね、オルフィスト」
“夜”とはリンクジョーカーの柩機が戦場に展開する「異界の中の異界」である。
黒夜、そして深淵黒夜。この中では柩機の力が通常空間よりも増大するのだ。
「然り。だがまずはよく来られた、天輪の巫女」
虚空からの声にリノは軽く会釈した。すでに一度、ドラゴニア大山脈西の森で会った仲、しかも得がたい忠告ももらった間柄である。その姿は見えなくても、あるいは敵に回ったと知らされてもなお敬う気持ちは消えなかった。
「わたしたちをお呼びと聞きました。この戦いの最中に」
「そして汝は我と戦って倒す覚悟だったな。12日前には」
空間を包むオルフィストの声は穏やかだった。オルフィスト・マスクスは何もかもお見通しのようだ。だがその口調よりもある言葉に、リノは引っかかるものを感じた。
「今も倒すつもりです。あなたが龍樹の仮面を捨てないのなら」
「そして我を倒した後はそのままギーゼ=エンドの地へと向かい、龍樹グリフォギィラと決着をつけるつもりか。龍樹の落胤との交戦で足止めを食わされ、ここまで援護してくれた味方が一人一人、薄紙を剥ぐように減らされて、いまや汝ら4人しか残っていないのに。それでも最終決戦に持ち込めると?」
「……」
「それでは理が通らぬ。戦争は個人が止められるものではないし、汝は神格ニルヴァーナの巫女である。自重すべきだ」
正論だった。水晶玉ネットワークの一同が聞いたら深く首肯しただろう。
「その神格なら全てを覆す事が可能です。龍樹の前で覚醒すれば正せるはずです。この間違った世界を」
「そうして全部背負い込んで、一騎打ちを挑むのか。かつての《世界の選択》のように。仮にニルヴァーナの力が圧倒的だとして、龍樹が分の悪い挑戦を正面切って受けると思うのか。むしろ龍樹グリフォギィラはそれを好機と捕らえて重層的な防御陣を敷き、長期戦に持ち込んで汝らの消耗を誘うとは考えられないか」
リノはまた沈黙した。
その脳裏にはドラゴニア大陸を大きく迂回してオルフィスト・マスクスを撃破し、まっすぐに龍樹の核心に向かう絵図が浮かんでいる。いかに龍樹の監視と防御が固いとはいえ、ケテル退却で少し勢いが落ちているこの時期に龍樹軍の隙間を縫って暁紅院から敵の核心を目指すならばこの道しか無く、狙い澄ました“逆転の一刺し”を見舞う希望があるとすれば、それは今しかないのだ。それはきっとバスティオンもバヴサーガラもブルースも、そしてヴェルストラもわかっていたと思う。それが無謀とも言える試みであったとしても、最大限の援助と自らも戦うことをためらわない真友たちだった。
「なんだかリノを止めたいみたいだね、オルフィストは」
とミラズヴェルリーナ=トリクスタ。
「然り、だ。タリスマン。それがまさに我がマスクスに転じた理由。そのひとつである」
トリクスタとリノは顔を見合わせた。その背で天輪竜の卵サプライズ・エッグがまた目をパチクリしている。
「わたしの真の狙いがわかっていたと?」とリノ。
「その結果もだ。天輪の巫女。時空連続体の外に身を置けるこの我には、不確定ながら未来の可能性が見える。突進すれば数で潰され、天輪鳳竜ニルヴァーナ・ジーヴァの真の覚醒以前に汝とタリスマンは滅ぶ。すなわち惑星クレイの希望は絶える」
「それはつまり……」
リノの顔色は悪かった。オルフィストの言葉の次が想像できてしまったからだ。
「これは龍樹グリフォギィラの罠だ。汝らは見事その思惑にはまっている」
やっぱりぃとトリクスタは思わずコミカルに落ち込んだが、それを笑う者は誰もいない。
「龍樹は戦略を学んだ。ケテルの退却、軍師の脱落とそれに伴う龍樹軍の混乱と一時弱体化は狭い視点で見れば不利かもしれぬが、広い視点で見ればその隙を狙って放たれるであろう天輪の反撃を誘う一手だとも言える」
「それってクロスカウンターだよね」
とトリクスタは腕を動かしながら言った。ヴェルリーナ形態の格闘術として、ブルースにボクシング技も習ったらしい。最大の隙は攻撃時にできるもの。打ったつもりが、相手の狙い澄ました一撃を食らうことになる。
「うむ。必死であがく汝らに対して、龍樹がする事は大陸中央部とギーゼ=エンド湾に精鋭を配置しておくだけ。さすれば自然と勝つ。この相手に対して、ただ懸命に戦えば良いと信じるのは短慮というものだ」
「うーん……ねぇ、つまりオルフィストはボクらの味方なの?」
とトリクスタ。難しく込みいった話もトリクスタにかかると、わかりやすいものになる。リノはいつもこうした一言に救われてきた。
「否。マスクスとして我の役割は龍樹の番人である。我が試練に耐えねばここで門を閉ざす」
ぴん、と空間に緊張が走った。
スキュードペイン・ドラゴン!
召喚の声に虚空から、宇宙竜が1体出現した。
Illust:ナブランジャ
「彼を破ってみせよ」
とオルフィスト・マスクスの声は言った。マスクスの力からすれば何体でも出現させられたはずだが、それでも今はただの1体というのは、対する戦力が実質ヴェルリーナ1人という事に対するオルフィスト流の礼儀なのかもしれない。だが“夜”の世界では1体といえども柩機の配下は強敵である。
「どうしてもやるんだ。ボクはケンカがキライなんだけど……しかたないね」
ミラズヴェルリーナ=トリクスタはリノが引っかからないように、ゆっくりと背後の鏡板を展開した。
「リノ、祈って!」
そう言われたリノは手を組んで瞑目した。希望の妖精、タリスマンであるトリクスタの原動力は“希望の祈り”である。それは邪悪を滅ぼし、世界を正す力となる。
スキュードペイン・ドラゴンが身体から放つビームの光束を巧みに避けて、リノとサプライズ・エッグを乗せたミラズヴェルリーナは“夜”の空間を飛翔した。
Illust:ToMo
「汝、いまだ我を揺るがすこと適わず」
その声が空に響き渡った時、リューベツァールの航法士はセンサー画面の僅かな異常を見逃さなかった。
「飛行甲板上に、空間異常!」
「攻撃か?とりあえず全艦警戒態勢な」
切迫した報告にのんびりした声でヴェルストラは答えた。もちろん意図的なものだ。個人所有とはいえ巨艦の長に一番大事なことは揺るがない姿勢なのだから。
「熱源6つ。出現します!」
アラームが鳴り響く中、甲板に現れたものを見た途端、ヴェルストラはそれまでの泰然とした態度をいきなり全部投げ出した。
「甲板に救護班!迎撃はまだ待て!」
ヴェルストラは艦橋の気密扉を開けると、高空に吹き荒れる猛風にも負けず一気に甲板まで駆け下りる。
甲板に横たわっているのは焔の巫女リノ、トリクスタ、装照竜グレイルミラ。
そして最後に、人型機動兵器巡回変形ポリジアロート2体に支えられたサプライズ・エッグが恭しいといって良いほどの丁寧さで、甲板に置かれた。それを終えるとポリジアロートは素早く身を翻し、発光弾を振りまきながら、巧みな飛行機動を見せて離脱してゆく。迎撃は不可能。鮮やかな手並みだった。
「チッ!いいプログラミングしてやがるな、ブリッツの連中は」
ヴェルストラは懸命に走りつつ顔をしかめた。巡回変形ポリジアロートはブラントゲートに侵攻した際、龍樹が真っ先に鹵獲・浸食した人型機動兵器。他ならぬブリッツ・インダストリー社製である。
「リノちゃん!リノ!無事か!」
ヴェルストラはマントを剥がして、甲板のリノを包み込んだ。身体は冷えているが見たところ大事なさそうだ。オルフィストに向けて突っ込み、姿を消したリノを内心憔悴しながら待ちわびていたCEOの口から思わず安堵の息が漏れる。
「あ、ごめんなさい……わたし……」
「話さなくていい!……救護班!」
ヴェルストラは背後に叫ぶと、トリクスタの様子も看る。こちらも弱ってはいるが外傷はなさそうだった。
「やあ、CEO……ボク、頑張ったんだけど……」
「よくやったな!タリスマン。いま医者に診せるから」
サプライズ・エッグは?と……ヴェルストラは一瞬動きかけたが、神格の化身なんてこの世のどんな存在よりも大丈夫だろ、と思い直してグレイルミラの意識があることの確認のほうを優先した。実際、ヴェルストラの事をまん丸な目でじっと見つめる天輪竜の卵には傷どころか汚れすら付いていない。
「何があった。オルフィストは……」
と聴きかけて、ヴェルストラは上空を仰いだ。
あの巨大な柩機の禍神オルフィスト・マスクスの姿はもう消えていた。
「“力”では……」
リノの介抱に戻ったヴェルストラは、彼女が何かを呟いていることに気がついた。
「もう大丈夫だ。オルフィストは消えた。無理しなくていい。……どうした、リノ?」
優しく呼びかけるヴェルストラだが、リノは伝えたい事があるようだった。
「“力”では勝てない。わたしたちの強みとは……独りでは……」
「そう、仲間だよ。オレたちの強さは団結と連携だ。もっともっとオレを頼ってくれよ、リノちゃん。それに間もなく遅れてた巫女さんやバヴサーガラも敵を突破して駆けつけるから」
だがその励ましにもリノは話すのを止めない。どうしても今言っておかなければならない事らしい。
「頼れる仲間……そう、今こそ、わたし達みんなが、思い起こさなければ……」
「リノ!もういいって!」ヴェルストラはリノの状態に気が気でない様子だ。
「オルフィストの、言葉……“魂の中⼼にある祈りを⼤切にせよ”」
リノはそろそろ限界のようだった。オルフィストとその眷属からリノが被ったダメージは異界のものなのだ。傷はなくてもすぐに起き上がれるものではないだろう。
駆けつけたドクターの手に任せる直前、ヴェルストラはリノの言葉を確かに聞いた。それは次の戦いとその行方を暗示していた。
「リアノーンに伝えなければ。『絶対的な正しさなど、この世に在りはしない』のだと」
了
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《今回の一口用語メモ》
龍樹侵攻とマスクス──ケテルサンクチュアリ首都防衛戦中間報告に寄せて
この度、我がケテルサンクチュアリ国を襲った龍樹侵攻の脅威は、(龍樹)本隊が突如撤退したことによって休戦段階に入っている。
第3軍が守るケテル左翼防御拠点も一時ギア5陥落という憂き目はみたものの、司令官オールデンを筆頭とした粘り強い抗戦によって、これを奪還し戦線を立て直すに至ったのは別紙本部宛て報告書の通りである。
さて目下、いつまた再び龍樹の攻勢に直面するか不明な状況ではあるが、このような時だからこそ改めて龍樹軍の重鎮となった「マスクス」とその所属国家についてまとめておきたいと思う。
《名称と所属国家》
業魔宝竜 ドラジュエルド・マスクス …ダークステイツ
異星刻姫 アストロア゠バイコ・マスクス…ダークステイツ
凶眼竜皇 アマナグルジオ・マスクス …ダークステイツ
強欲魔竜王 グリードン・マスクス …ダークステイツ
厄災の樹角獣王 マグノリア・マスクス …ストイケイア
隷属の葬列 リアノーン・マスクス…ストイケイア
戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクス…ストイケイア
柩機の禍神 オルフィスト・マスクス …ブラントゲート
ゴアグラビディア ネルトリンガー・マスクス…ブラントゲート
こうしてマスクスと国家について並べると興味深い傾向が見られる。
まずダークステイツが非常に多く、ストイケイア、ブラントゲートがそれに次ぐ。
この理由として考えられるのは、ダークステイツはもともと弱肉強食が根底にある事。ストイケイアも(旧メガラニカは特に)厳しい自然の中で生き伸びるという意味で「強い力」を受け入れる素地はあったと思われる。ブラントゲートの2名はいずれも異星側の存在であるので、我々惑星クレイの原住民に比べると、龍樹に近い存在だと言える。
さらに侵略地図と重ねてみよう。
ギーゼ=エンドの地を中心に、上記の3つの国家ダークステイツ、ストイケイア、ブラントゲートへと龍樹は侵略の手を伸ばし、浸透したことがわかる。いまや我々は、蝕滅の龍樹グリフォギィラがギーゼ=エンド湾に本拠を構えていることを知っているので、ここに至るまでの龍樹侵攻ルートからもマスクスと国家の関係を理解できる。そして現在ギーゼ=エンド湾を中心とした龍樹の強固な防御陣がドラゴニア大陸に根を張っている訳だ。
今のところ、ドラゴンエンパイアでマスクス幹部となった報告はあがっていない。尚武の国であるドラゴンエンパイアは他力には頼らない頑固なまでの独立心がある。これが龍樹に取り込まれなかった理由ではないか。
また我がケテルサンクチュアリ国と騎士団が、マスクスの「力の誘惑」に強い抵抗力を持つ事についての考察は第3軍の幕僚会議レポートに記載した通りである。
最後に、上記のマスクスの一覧は一時期に比べるとかなり数が減っている。
マスクスを脱退あるいはその存在を現世以外に置いた者が増えているのだ。
今回、あがっている報告でも(ブラントゲートの各ドームを圧倒してきた)柩機の禍神オルフィスト・マスクスは天輪の巫女リノに止めを刺すことなく姿を消している。龍樹側としては我らが神格ニルヴァーナを斃す絶好の機会であったのに、あえてそれを手放しているようにも思える。各所からあがる推測や情報でも「龍樹は一枚板ではない(連携の意識が薄い)」と言われている。このあたりに我々の反転攻勢が突くべき弱点がありそうだ。
追記:
なお以上の報告は本来、第2軍の参謀を務める厳罰の騎士 ゲイドが行う予定であったが、先の防衛戦の残務処理多忙につき、小官が代わって記すものである。
ケテルサンクチュアリ第3軍参謀長 開明の賢者 フィロン
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リノとオルフィストの遭遇については
→ユニットストーリー063「柩機の主神 オルフィスト・レギス」を
またこの時かけられた言葉と、その意味にリノが最初に思い当たった時のことについては
→ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」を参照のこと。
ブリッツCEO個人所有の構造物「強襲飛翔母艦 リューベツァール」と展望レストランについては
→ユニットストーリー091「業魔宝竜 ドラジュエルド・マスクス」本編と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
装照竜グレイルミラと武装鏡鳴ミラズヴェルリーナについては
→ユニットストーリー090「武装鏡鳴 ミラズヴェルリーナ」を参照のこと。
ケテルサンクチュアリ第3軍幕僚 開明の賢者 フィロンについては
→ユニットストーリー112「天壌を繋ぐ剣 オールデン」を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡