ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
115 龍樹篇「爛漫の総行進 リアノーン・ヴィヴァーチェ」
ストイケイア
種族 バイオロイド
その尾根には名前がなかった。だが断崖の下、すり鉢状に落ち込んだこの地全体の呼び名はリアノーンも知っていた。
「恐怖の谷」と。
南北に畝々と続く稜線の頂は剥き出しの硬い岩盤で、人ひとりがやっと立てるほどの狭さでしかない。
その剣の刃のように尖った足場に、リアノーンは危なげなく立っている。
正面、かなり離れた岩場に立つ相手もまた。
風が……遮るものとてない空を横切る風が、微動だにしない二人に吹きつける。
にわかに湧きあがった雲が一瞬視界を0にし、すぐにまた瘴気渦巻く空と眼下に広がる高所からの眺めが戻ってくる。
「アマナ、久しぶり」
リアノーンの呼びかけに黒猫は大きな右眼を光らせ、ぷいとそっぽを向いた。返事はない。
雲が流れ、目隠しする。
視界が晴れるとその姿は変わっていた。右眼の大きな鴉に。
「あなたが私をここに呼んでくれたんだよね、アマナ」
鴉は答えず、ただ忌々しげにリアノーンを睨むとカァーッ!と鳴いた。
再び雲が遮る。
「ねぇ、アマナ」
「馴れ馴れしく呼ぶな。この裏切り者めが!」
低い怒りのこもった声がようやくリアノーンに答えた。不吉な言葉を放つ鳥、その姿は今フクロウだ。
「そんなこと言わないで。わたしも色々話したいことがあって……」
最後の幕が引かれ、そして破られた。
流れた雲の向こうに浮かぶのは深淵の竜の巨体。
「ねぇ、アマナ!」
「その名で呼ぶなと言ったぞ!我が名は凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスなれば!」
その叫びと共に、身体正面に備わった巨大な凶眼が開いた。この目こそアマナの“恐怖”の力源だ。
龍樹よりの者に名を連ねる中でも、仮面と一体化しているという点ではもっとも“グリフォギィラに近しい者”と噂される重鎮、この谷と一帯を支配する恐怖の王の姿だった。
Illust:touge369
──半日前。
ウルペヘグ飛行場は、ダークステイツ東部の森と山の間に造られた小さな飛行場だ。
ここを使用できる飛行機は小型のものに限られ、不規則な風と険しい地形から離発着が惑星クレイでもっとも難しいと言われる。そもそも一帯を治める支配者の許可が得られた者のみしかこの飛行場を使用できないのだ。
上空から着陸まで閃突の魔槍士ハルゲンティに監視されていた小型旅客機がエンジンを停止させ、“世界樹の音楽隊”リアノーン、エンレイザ、エレンティスの3人がタラップを降りた時、舗装されていない滑走路の端、管理棟と呼ぶにはためらわれる小さな小屋の前で、ごく控えめな人数の出迎えだけが待ち受けていた。
『裏切り者 ご一行様』
そう書かれた紙をつまんで振っている女は4頭の狼を引き連れ、手足の先が獣と同じ形をしていた。後に統宰の赤眼リンダルキアと名乗った彼女はダークイレギュラーズだ。赤い目、耳のような髪飾りを着けた荒々しい狼毛同様、戦闘能力でも野生との共存においても人間であって人間以上の存在である。
「あの……これって、私のことですよね」
リアノーンは荷物を引きながら近づくと、そう尋ねた。
赤い目の女はニヤリと笑った。
「そうだよ。ようこそウルペヘグ、『恐怖の谷』へ。あんたが満開の大行進リアノーンで……」
「歩み続ける結束エンレイザだ!」「歓喜の律動エレンティスです!」
指差された後ろの2人が間髪いれずに陽気に答えた。
リアノーンの親しい仲間、カラーガードの3人や調律師フェストーソ・ドラゴン、そして音楽隊の本隊はまだダークステイツ領内に入られていない。ダークステイツに限らず、惑星クレイの低緯度地帯はいま実質、龍樹の支配下にある。龍樹に属するか従う者でないと自由な長距離移動は認められないのだ。効率的な支配を実現するポイントとは移動と通信の監視・制限にある。龍樹グリフォギィラは軍師ゾルガの教えをよく吸収していた。
「ハァ!いつまであんたらのそのニコニコ顔が保つか見ものだねぇ……あたしらについてきな!」
あたしら?と顔を見合わせる3人に、1人と4頭の狼たちは振り向いてまたニヤリと笑った。
「ちょっとお散歩しようぜ、バイオロイドのお嬢ちゃんお坊ちゃんたち」
Illust:萩谷薫
「なんで『恐怖の谷』って呼ばれているんですか?」
「ここの主が“恐怖”で支配しているからさ」
「あなたもここに住んでいるんでしょう。恐怖で治められるのって、イヤじゃないですか?」
「そう?あたしはワル共をビシッと締めてくれたほうが心地いいけどね。それにここの住民は荒くればっかだろ。優しくした所でナメられるだけだって」
「ふーん……」
リアノーンと同行者は急斜面に点在するわずかな出っ張りを足場に、まるでカモシカが登攀するように跳ねながら上を目指していた。4頭の狼が健脚なのはわかる。だが残りは人だ。ほんのわずか足を滑らせただけで一気に転落する恐怖と緊張、見ている方が思わず震えるような光景だ。だが幸い、一行を案内するのは特異個体(恐らく手足の先同様、野生の狼に近い能力を持つ)のダークイレギュラーズ。かたやリアノーンたち3人も半人半植物のバイオロイドである。肉体と精神の耐性が通常な人間とは違うのだった。
「アマナはどうして私を呼んだんだろう」
リアノーンが呟いた途端、尾根の頂で雷のような轟音が鳴り、今まで快調だった狼の友リンダルキアが危うく足を滑らせそうになって断崖にしがみついた。
「ちょ、ちょっと!あんた!」「はい?」
リアノーン、エンレイザ、エレンティス、そして4頭の狼も続いて崖面に貼り付いた。
「なんで友達みたいに呼ぶのさ?!ここじゃヤバイって!あの方の玉座に向かってるんだよ!ちゃんと呼ばなきゃ、『凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクス様』って!」
「だって友達だもの、アマナとは」
また頭上から轟音。高山特有の急な雷雲だろうか。いや、それはまるで何者かの憤怒の唸りのようだ。
さすがのリンダルキアも音を上げた。
「あんたって天然?!聞いてたよりヒドイもんだね、ったく」
そう嘆きながら、一同を大きな岩棚に導くと狼たちをはべらせて、獣っぽくでんと座り込んだ。この崖の登攀はとりあえずここが目的地だったらしい。
「あたしはここまで。こっちからはあんた一人で行きな」
「はい?」「いや、ここまで来て?」「わたしたちは?」
あー、うるさいうるさい!リンダルキアは喚いて3人のバイオロイドを黙らせた。
「凶眼竜皇様がお呼びなのはリアノーンだけ!他はおまけ。ごちゃごちゃ言うなら着陸前に撃墜してやっても良かったんだよ、感謝しな!」
滅茶苦茶な言い分だが、リアノーンはあえて呑んで、2人に待つよう頼んだ。ここはアマナの支配下、彼女は王だ。まして龍樹の重鎮であるアマナグルジオには、リンダルキアの言うとおり生殺与奪の権利がある。要人と接する機会の多い“世界樹の音楽隊”の指揮者としては為政者と接する時、大事にしていることがあった。すなわち「郷に入りては郷に従え」である。
「わかった!また皆で揃って盛り上げて、歓喜の鼓動を世界に刻もう」
エレンティスが携えてきたスネアドラムを軽快に叩けば
「リアノーン、僕たちの行進は、これからもずっと続いていくんだ!」
エンレイザも景気づけのメロディーをひと節、トロンボーンで鳴らす。
「うん。じゃあ、行ってくる!」
この期に及んでもあくまで弾けるような笑顔で挨拶を交わす3人の様子を、疎ましげに目を細めて睨んでいたリンダルキアは邪悪な笑みを浮かべると狼たちにこう呟いた。
「さぁ同志諸君。蹂躙を始めよう」
Illust:モレシャン
Illust:mado*pen
──現在。尾根の上の2人。
今にも飛びかからんばかりの姿勢を見せるアマナグルジオに、リアノーンは落ち着いた様子で、ここまで持ってきたケースを2つ、狭い稜線の上で広げた。
「なんだ、それは?」
深淵の竜が首を傾げた。
リアノーンはにっこり笑って箱からそれを取り出した。2本のフルートが2つ。計4本の楽器である。それとは別に腰に留めていた指揮棒も肩に構えている。
マスクスの竜は失笑した。その轟音はまた雷のように下にいる一同を揺さぶり、悲鳴を上げさせた。
「まさか!それで我を倒すつもりだとでも?!」
「いいえ。言ったでしょう。話し合いに来たのよ、私」
「そんな楽器を持って?」
拍子抜けしたのか、凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスの口調はほんの束の間、黒猫アマナに戻っていた。彼女とリアノーンはかつて共にストイケイアの平原を旅し、寝食を共にした“盟友”だった。
「わかっていないようだが、今の我はあの非力な黒猫ではないぞ。この地の支配者なのだ」
アマナグルジオはそのことを思い出したくないのか、恐ろしく不機嫌な口調でそう言った。
「知ってる。ここに来る途中、リンダルキアさんが教えてくれた。ここはかつてハイビーストの隠れ里と呼ばれていた。野良猫だったあなたを温かく迎え入れてくれたのよね、アマナ」
「……」
恐怖の支配者はもうその名で呼ぶなとは言わなかった。
「でも幸せな時間は長く続かなかった。ハイビーストは皆亡くなってしまった。ドラゴン同士の抗争に巻き込まれて。あなたのその姿は……」
そうだ!アマナグルジオは吼え、山が震えた。
「憎んでも憎みきれない仇敵。深淵の竜だとも!ヤツらは滅ぼしてやったわ、全てな!」
「可哀想に。その深淵の竜にも家族がいたんじゃないかしら。守りたい仲間が。あなたがそうだったように」
黙れ!我の復讐は絶対に正統なものだ!!
凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスの凶眼がカッ!と見開かれた。
するとこのマスクスの禍々しい翼から幾筋もの青いビームが放たれ、危うい足場に立つリアノーンを襲った。
だがその直前に、リアノーンの手から飛び立った4本のフルートが、まるで彼女を守るかのように菱形の隊形を取ってアマナグルジオの光線を受け止め、反射させた。
──!!
リアノーンを逸れたビームがはるか眼下の谷に落ち、幾つもの爆光を湧きあがらせた。
指揮棒はしっかりと前を、友を指していた。続く言葉は彼女のもう一人の友であり恩人でもある、焔の巫女リノから命がけで届けられたものだった。
「『絶対的な正しさなど、この世に在りはしない』。力で私はねじ伏せられない。話し合いましょう、アマナ」
「なんだそれは!?」
この日、いやこの地の統治者を龍樹から任されて以来初めて、アマナグルジオは驚愕した。
ただのフルートと思われた4本の楽器は、2本が剣の、もう2本が弩の形の力場を展開して、リアノーンが構える指揮棒に合わせ、踊るように主を守護していた。そしてその持ち主、リアノーンの姿もまたさらに華やかなものに変わり、その背には輝く花弁のような羽根までもが出現している。
爛漫の総行進 リアノーン・ヴィヴァーチェ。
「これを間に合わせてくれたことに感謝するわ。みんなに」
Illust:にじまあるく
ユニゾンドレス。
リアノーンの新たな姿──いや“状態”と呼ぶべきだろうか──それはストイケイアの2つの力、バイオロイドを生み出す旧ズーの生物科学、ハイドロエンジンに見られる旧メガラニカの流体科学に、各国の協力や助言を得て完成した傑作だった。
「水晶玉ネットワークだな?!」
この一言で、アマナグルジオや龍樹の重鎮マスクスがリアノーンたちの事情に詳しいことが察せられた。
約1年前、ケテルサンクチュアリ防衛省長官バスティオンの呼びかけで、軍事ネットワークとしても動き出した水晶玉ネットワークは、音楽の使い手として戦闘では本来非力なはずのリアノーンに──アマナは復讐のため必ず彼女に接触するはずだと、ここまでの経緯聞き取りで予想できたので──マスクスと五角に渡り合える力を与えるべく協調し、これを実現させたのだ。
下の岩棚ではエレンティスとエンレイザが、目を丸くするリンダルキアと狼たちの前でハイタッチしていた。2人はただのお陽気な楽団員ではない。今回この危険極まりないダークステイツへの旅にたった2人だけ許された随員となったのは、エレンティスとエンレイザがリアノーンの“ユニゾンドレス”を共に完成させた、この新形態のスペシャリストだからだ。
「あなたに力で勝とうとは思わない」
これはかつてディアブロス“爆轟”ブルースからもらった忠告だった。リアノーンは顔をあげ友をまっすぐに見つめながら続けた。
「でも、こうしないと復讐に燃えるあなたは私と話してもくれない。そうでしょう、アマナ」
「うるさい!裏切り者!」
斉射!
リアノーンと4本のフルートは今回も見事な連携を見せた。
羽根の力を借りて、ふわりと飛び退り跳躍するリアノーン・ヴィヴァーチェが空中で無防備になった瞬間、襲い来るビームを2本の弩が弾き、さらに着地のスペースを確保すべく稜線ぎりぎりに分離した2本の剣が構える。果たしてリアノーンの足元を狙った破壊光線は展開されたフィールドに吸収され、リアノーンは無事着地した。
「聞いて!アマナ」
「イヤだ!」
リアノーンはアマナグルジオの声の変化に目を見開いた。
「では周りを見てちょうだい!あなたの国、あなたが治める里と人々を」
アマナグルジオは頭を巡らせた。
彼女が愛している土地。彼女の悲しい思い出の詰まった場所。北は万年雪を頂き天を圧する新竜骨山系の峰々、西は暗黒海を隔て魔帝都まで広がるダークステイツの版図、南は瘴気渦巻く不毛の荒地、そして東には……いまや龍樹の本拠地となったギーゼ=エンド湾。
龍樹の力の下、見渡す限りの全てがアマナが統べる土地だった。
それが今、傷ついていた。
怒りにまかせてリアノーンに放った自らの力、その余波で。
「私はあなたの誘いを受けてマスクスになったこと、後悔していない」
凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクス──その中で同時に存在する黒猫アマナ──は、ゆっくりと振りむいた。
「仮面にも感謝してる。あなたと龍樹は私に“力”と選択肢をくれた。新しい世界とその可能性も」
「……でもアナタはワタシと仮面を捨てたじゃない。リアノーン」
その口調はアマナ。リアノーンにとって懐かしい旅友のものだった。
「捨てていない。ここにあるし、ここにいるわ。あなたが望む時、望むだけ」
リアノーンは腰の後ろに下げていた龍樹の仮面を取り出して、掲げた。
水晶玉ネットワークとその参加メンバーがもっとも驚いた特性。
それはストイケイアのリアノーンが仮面を捨てずに持ち続けながら、世界樹と心通わせる力もより豊かになり、かつ龍樹の影響からは完全に離れているという分析結果だった。それは、ゾルガとの邂逅から帰還したバスティオンにとっては一層興味深い示唆を含む事実だったのだが、それはまた別な話である。
「何故だ。何故そんなことが言える?リアノーン。我は変わらぬし、仮面を捨てぬのに」
それは凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスとして最後の抵抗だつたかもしれない。
「だって、アマナ……」
リアノーンはにっこり笑った。友に対する時、いつもと変わらぬように。
「私たち、お友だちでしょ」
確かに、アマナグルジオを負かせるのは“力”ではなかった。
リンダルキアと4頭の狼たちにとって今日という日は、どうも驚かされっぱなしの厄日だったようだ。
テラスまで4本のフルートを引き連れて穏やかに下降してきたリアノーンに驚き。
彼女がほとんど無傷である──どう考えても命は無いものと確信していたので──ことにまた驚き。
さらによく見れば、輝く羽根を纏ったリアノーン・ヴィヴァーチェがユニゾンドレス形態であることに気がついて驚き。
止めに、リアノーンの腕の中で心地よさそうに喉を鳴らして甘える黒猫が──この姿をかなり長い間見かけなかったため──その正体が咄嗟に思いつかず首を捻るリンダルキアに向かい、大きな右眼を開けてこう言ったので。
「この事みんなに喋ったら、わかってるね」
は、はいぃ!凄まれたリンダルキアと狼たちは、雷に打たれたように平服して他言無用を誓ったのだった。
「さぁ、あなたの里を案内して、アマナ。さっきので壊れたところも直さないとね」とリアノーン。
「あのね、リアノーン。みんなの前ではあんまり気安く話しかけないで」と黒猫アマナ。
「いいじゃない。猫でも鴉でもフクロウでも竜でも、アマナはアマナだもの。ね?」
背後で、恐怖の支配者ですから~!王の威厳が~!と大騒ぎするリンダルキアをじろりと見ながら、黒猫はやれやれと首を振った。
「じゃあ小っちゃい声でお願い。ああやって困る者もいるんだから」
「わかったわ、アマナ!」
音楽隊の指揮者はよく通る声で答え、黒猫アマナは小さく嘆息をついた。
リアノーンの足が岩場の縁を蹴ると、慌てる一同を背に1人と1匹はダークステイツの空に飛び立った。それは龍樹のことも仮面のことも変わりゆくこの世界全体のことさえも、友情というひとつの環で結び、包み込んだ心友同志の姿だった。
※フルートは地球の似た楽器名とした。※
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《今回の一口用語メモ》
ダークイレギュラーズと天輪聖紀の「傭兵」
ダークステイツ(旧ダークゾーン)には他では見られない異形の戦闘部隊ダークイレギュラーズが存在する。
ダークイレギュラーズが誕生したのは、神格メサイアによって惑星クレイに魔法がもたらされた弐神紀(約35億年前)のこと。当時、後にダークゾーンと呼ばれる瘴気渦巻くドラゴニア大陸南部の暗黒地方では、特に突出した魔力を持つ者が「魔王」を名乗り、支配権を巡って、各地で果てしの無い闘争を繰り返していた。
この魔王同士の闘争の駒として、濃厚な瘴気の影響による暗黒地方独自の生態系に目をつけ、これに魔法と科学両面を用いた禁忌の実験を繰り返して進化させた結果、生まれたのが特異な能力を持つ個体(以後“特異個体”)だ。彼らは戦士として異常とも言える優れた力を持っていた。一方で彼ら特異個体は通常の種族とは違った特徴や力から、同族に馴染むこともできず孤立する運命にある悲しい存在でもあった。
そこに手を差し伸べ庇護した一人の魔王(これは伝説の大悪魔 魔界侯爵アモンであるという説がある)により、特異個体たちは「ダークイレギュラーズ」を結成することになる。このクランは特異個体を保護し、助け合い、仕事と生活を確保し、かつそもそもの元凶である一部魔王たちによる人体実験を永遠に停止・監視させるという目的を持っていた。このうち第4の目的はもっとも早く達成された。特異個体部隊の襲撃によって各地の施設は殲滅され、研究結果も破棄され、この邪悪な試みに関わった人も物も消滅した。以後、ダークゾーンにおける精強無比な戦闘部隊──報酬のためならば基本、誰にもどんな事にも力を貸すが、いずれにも属さず屈しない鉄の結束を持つ──ダークイレギュラーズは確固たる地位を手に入れたのである。
国家がダークステイツとなった天輪聖紀におけるダークイレギュラーズは、(魔王同士の抗争が以前に比べて激減したため)戦争の行方に大きく関わる軍事組織としての枠組みは緩やかになったものの、瘴気の影響でいまだ産み出される特異個体の受け入れ先、不可欠な互助団体として存続している。ただし頑なに群れることを拒む者──過去に隠遁生活をしていた重力使いアレクサンドラ(現 アトラクト・インヴァース)のように──もいるため、一匹狼的な暮らしを続ける特異個体も少なくない。
なお「傭兵」という職業は、生まれ持った特殊能力と高い戦闘能力を持つダークイレギュラーズには最大にして最適の就職先だが、傭兵とそれに関わる全てが必ずしもダークイレギュラーズではないことも──仲介役であり今回、対龍樹抵抗運動でも協力を仰いだ幻想の奇術師カーティスなどもいる──ここで触れておきたい。
恐怖の谷(ハイビーストの隠れ里)とウルペヘグ飛行場
凶眼竜アマナグルジオ(凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクス)が支配するダークステイツ東北部の一帯。
先日、知の探求者セルセーラと冒険科学士アリウスの報告により特定されたこの場所は、かつてハイビーストの隠れ里として知られ、現在は龍樹グリフォギィラによる支配の拠点「恐怖の谷」と呼ばれている。
恐怖の谷は非常に険しい山岳地帯に位置し、もう少し北に行くと緋炎帥竜ガーンデーヴァ率いるドラゴロイドの緋焔武者たちが防人を務めるドラゴンエンパイアとの国境となる現代の秘境、本来は地元の民でさえ近づくことの無い物騒な地域だった。
ところが龍樹侵攻の後、この山岳地帯にあるわずかな平地に小さな飛行場が造られた。
当地の古名にならって「ウルペヘグ」と名付けられたこの飛行場は惑星クレイ世界一、パイロットの間で着陸が難しいと言われている。同時に、もっとも乗客を選ぶ飛行場とも。
ウルペヘグ飛行場は“アマナ専用”なのだ。
他の国内外を結ぶ定期便はなく、発着するのは凶眼獣アマナキィティと彼女に関わる者を乗客とするプライベート飛行機──乗り物といえば駅馬車や蒸気鉄道など古色蒼然としたイメージがあるダークステイツとしては珍しいブラントゲート製の最新機種──のみ。
この飛行場を使って、凶眼獣アマナキィティ=凶眼竜アマナグルジオは世界を飛び回り、少し前にはストイケイア全土を危うく陥落させるほど圧倒したのだ。注.異界の穴を使った空間移動は、同じ力を持つバヴサーガラ同様、常用するには心身の負担が大きすぎるようだ。
今回、ストイケイアのリアノーンらが凶眼の獣アマナに招待され、このウルペヘグの地に降り立ったのだがそれ以降、これまで龍樹の落胤たちによって厳重に守られてきた飛行場の空域の警備が緩くなった、という報告が入っている。
今まで厳重かつ困難を極めた離着陸の許可申請も、リアノーンと世界樹の音楽隊ならばいつでも来て良いらしい。
さらに長期滞在こそ許されないものの、明らかに龍樹へ敵対する者でなければ攻撃することもなく受け入れているらしい。こうした新しい利用者は行商であったり、この地の珍しい生態や気候を研究する学者たちのようだ。いずれは「空港」として、ダークステイツ国内線航路の一環となる未来もあり得るかもしれない。
こうした変化が、この地を恐怖で支配してきたに龍樹よりのものアマナの気まぐれか、何らかの意図があるものか、真相を知る術は無いがリアノーンとの再会が何らかの影響を及ぼしたのは間違いないようだ。
現在、龍樹の重鎮と言われる仮面の者も、アマナを含めて異星刻姫 アストロア=バイコ・マスクスの2人まで減っている(戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクスは我がケテル防衛省長官との邂逅の後、行方不明である)。
これは、長かった対龍樹侵攻の戦いの行方にも明るい希望を持てそうな状況といっても良いのではないか。
先日のケテル首都防衛戦では第2軍参謀の一員として参加した私としても、久しぶりに心励まされる情報である。
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「恐怖の谷」と。
南北に畝々と続く稜線の頂は剥き出しの硬い岩盤で、人ひとりがやっと立てるほどの狭さでしかない。
その剣の刃のように尖った足場に、リアノーンは危なげなく立っている。
正面、かなり離れた岩場に立つ相手もまた。
風が……遮るものとてない空を横切る風が、微動だにしない二人に吹きつける。
にわかに湧きあがった雲が一瞬視界を0にし、すぐにまた瘴気渦巻く空と眼下に広がる高所からの眺めが戻ってくる。
「アマナ、久しぶり」
リアノーンの呼びかけに黒猫は大きな右眼を光らせ、ぷいとそっぽを向いた。返事はない。
雲が流れ、目隠しする。
視界が晴れるとその姿は変わっていた。右眼の大きな鴉に。
「あなたが私をここに呼んでくれたんだよね、アマナ」
鴉は答えず、ただ忌々しげにリアノーンを睨むとカァーッ!と鳴いた。
再び雲が遮る。
「ねぇ、アマナ」
「馴れ馴れしく呼ぶな。この裏切り者めが!」
低い怒りのこもった声がようやくリアノーンに答えた。不吉な言葉を放つ鳥、その姿は今フクロウだ。
「そんなこと言わないで。わたしも色々話したいことがあって……」
最後の幕が引かれ、そして破られた。
流れた雲の向こうに浮かぶのは深淵の竜の巨体。
「ねぇ、アマナ!」
「その名で呼ぶなと言ったぞ!我が名は凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスなれば!」
その叫びと共に、身体正面に備わった巨大な凶眼が開いた。この目こそアマナの“恐怖”の力源だ。
龍樹よりの者に名を連ねる中でも、仮面と一体化しているという点ではもっとも“グリフォギィラに近しい者”と噂される重鎮、この谷と一帯を支配する恐怖の王の姿だった。
Illust:touge369
──半日前。
ウルペヘグ飛行場は、ダークステイツ東部の森と山の間に造られた小さな飛行場だ。
ここを使用できる飛行機は小型のものに限られ、不規則な風と険しい地形から離発着が惑星クレイでもっとも難しいと言われる。そもそも一帯を治める支配者の許可が得られた者のみしかこの飛行場を使用できないのだ。
上空から着陸まで閃突の魔槍士ハルゲンティに監視されていた小型旅客機がエンジンを停止させ、“世界樹の音楽隊”リアノーン、エンレイザ、エレンティスの3人がタラップを降りた時、舗装されていない滑走路の端、管理棟と呼ぶにはためらわれる小さな小屋の前で、ごく控えめな人数の出迎えだけが待ち受けていた。
『裏切り者 ご一行様』
そう書かれた紙をつまんで振っている女は4頭の狼を引き連れ、手足の先が獣と同じ形をしていた。後に統宰の赤眼リンダルキアと名乗った彼女はダークイレギュラーズだ。赤い目、耳のような髪飾りを着けた荒々しい狼毛同様、戦闘能力でも野生との共存においても人間であって人間以上の存在である。
「あの……これって、私のことですよね」
リアノーンは荷物を引きながら近づくと、そう尋ねた。
赤い目の女はニヤリと笑った。
「そうだよ。ようこそウルペヘグ、『恐怖の谷』へ。あんたが満開の大行進リアノーンで……」
「歩み続ける結束エンレイザだ!」「歓喜の律動エレンティスです!」
指差された後ろの2人が間髪いれずに陽気に答えた。
リアノーンの親しい仲間、カラーガードの3人や調律師フェストーソ・ドラゴン、そして音楽隊の本隊はまだダークステイツ領内に入られていない。ダークステイツに限らず、惑星クレイの低緯度地帯はいま実質、龍樹の支配下にある。龍樹に属するか従う者でないと自由な長距離移動は認められないのだ。効率的な支配を実現するポイントとは移動と通信の監視・制限にある。龍樹グリフォギィラは軍師ゾルガの教えをよく吸収していた。
「ハァ!いつまであんたらのそのニコニコ顔が保つか見ものだねぇ……あたしらについてきな!」
あたしら?と顔を見合わせる3人に、1人と4頭の狼たちは振り向いてまたニヤリと笑った。
「ちょっとお散歩しようぜ、バイオロイドのお嬢ちゃんお坊ちゃんたち」
Illust:萩谷薫
「なんで『恐怖の谷』って呼ばれているんですか?」
「ここの主が“恐怖”で支配しているからさ」
「あなたもここに住んでいるんでしょう。恐怖で治められるのって、イヤじゃないですか?」
「そう?あたしはワル共をビシッと締めてくれたほうが心地いいけどね。それにここの住民は荒くればっかだろ。優しくした所でナメられるだけだって」
「ふーん……」
リアノーンと同行者は急斜面に点在するわずかな出っ張りを足場に、まるでカモシカが登攀するように跳ねながら上を目指していた。4頭の狼が健脚なのはわかる。だが残りは人だ。ほんのわずか足を滑らせただけで一気に転落する恐怖と緊張、見ている方が思わず震えるような光景だ。だが幸い、一行を案内するのは特異個体(恐らく手足の先同様、野生の狼に近い能力を持つ)のダークイレギュラーズ。かたやリアノーンたち3人も半人半植物のバイオロイドである。肉体と精神の耐性が通常な人間とは違うのだった。
「アマナはどうして私を呼んだんだろう」
リアノーンが呟いた途端、尾根の頂で雷のような轟音が鳴り、今まで快調だった狼の友リンダルキアが危うく足を滑らせそうになって断崖にしがみついた。
「ちょ、ちょっと!あんた!」「はい?」
リアノーン、エンレイザ、エレンティス、そして4頭の狼も続いて崖面に貼り付いた。
「なんで友達みたいに呼ぶのさ?!ここじゃヤバイって!あの方の玉座に向かってるんだよ!ちゃんと呼ばなきゃ、『凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクス様』って!」
「だって友達だもの、アマナとは」
また頭上から轟音。高山特有の急な雷雲だろうか。いや、それはまるで何者かの憤怒の唸りのようだ。
さすがのリンダルキアも音を上げた。
「あんたって天然?!聞いてたよりヒドイもんだね、ったく」
そう嘆きながら、一同を大きな岩棚に導くと狼たちをはべらせて、獣っぽくでんと座り込んだ。この崖の登攀はとりあえずここが目的地だったらしい。
「あたしはここまで。こっちからはあんた一人で行きな」
「はい?」「いや、ここまで来て?」「わたしたちは?」
あー、うるさいうるさい!リンダルキアは喚いて3人のバイオロイドを黙らせた。
「凶眼竜皇様がお呼びなのはリアノーンだけ!他はおまけ。ごちゃごちゃ言うなら着陸前に撃墜してやっても良かったんだよ、感謝しな!」
滅茶苦茶な言い分だが、リアノーンはあえて呑んで、2人に待つよう頼んだ。ここはアマナの支配下、彼女は王だ。まして龍樹の重鎮であるアマナグルジオには、リンダルキアの言うとおり生殺与奪の権利がある。要人と接する機会の多い“世界樹の音楽隊”の指揮者としては為政者と接する時、大事にしていることがあった。すなわち「郷に入りては郷に従え」である。
「わかった!また皆で揃って盛り上げて、歓喜の鼓動を世界に刻もう」
エレンティスが携えてきたスネアドラムを軽快に叩けば
「リアノーン、僕たちの行進は、これからもずっと続いていくんだ!」
エンレイザも景気づけのメロディーをひと節、トロンボーンで鳴らす。
「うん。じゃあ、行ってくる!」
この期に及んでもあくまで弾けるような笑顔で挨拶を交わす3人の様子を、疎ましげに目を細めて睨んでいたリンダルキアは邪悪な笑みを浮かべると狼たちにこう呟いた。
「さぁ同志諸君。蹂躙を始めよう」
Illust:モレシャン
Illust:mado*pen
──現在。尾根の上の2人。
今にも飛びかからんばかりの姿勢を見せるアマナグルジオに、リアノーンは落ち着いた様子で、ここまで持ってきたケースを2つ、狭い稜線の上で広げた。
「なんだ、それは?」
深淵の竜が首を傾げた。
リアノーンはにっこり笑って箱からそれを取り出した。2本のフルートが2つ。計4本の楽器である。それとは別に腰に留めていた指揮棒も肩に構えている。
マスクスの竜は失笑した。その轟音はまた雷のように下にいる一同を揺さぶり、悲鳴を上げさせた。
「まさか!それで我を倒すつもりだとでも?!」
「いいえ。言ったでしょう。話し合いに来たのよ、私」
「そんな楽器を持って?」
拍子抜けしたのか、凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスの口調はほんの束の間、黒猫アマナに戻っていた。彼女とリアノーンはかつて共にストイケイアの平原を旅し、寝食を共にした“盟友”だった。
「わかっていないようだが、今の我はあの非力な黒猫ではないぞ。この地の支配者なのだ」
アマナグルジオはそのことを思い出したくないのか、恐ろしく不機嫌な口調でそう言った。
「知ってる。ここに来る途中、リンダルキアさんが教えてくれた。ここはかつてハイビーストの隠れ里と呼ばれていた。野良猫だったあなたを温かく迎え入れてくれたのよね、アマナ」
「……」
恐怖の支配者はもうその名で呼ぶなとは言わなかった。
「でも幸せな時間は長く続かなかった。ハイビーストは皆亡くなってしまった。ドラゴン同士の抗争に巻き込まれて。あなたのその姿は……」
そうだ!アマナグルジオは吼え、山が震えた。
「憎んでも憎みきれない仇敵。深淵の竜だとも!ヤツらは滅ぼしてやったわ、全てな!」
「可哀想に。その深淵の竜にも家族がいたんじゃないかしら。守りたい仲間が。あなたがそうだったように」
黙れ!我の復讐は絶対に正統なものだ!!
凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスの凶眼がカッ!と見開かれた。
するとこのマスクスの禍々しい翼から幾筋もの青いビームが放たれ、危うい足場に立つリアノーンを襲った。
だがその直前に、リアノーンの手から飛び立った4本のフルートが、まるで彼女を守るかのように菱形の隊形を取ってアマナグルジオの光線を受け止め、反射させた。
──!!
リアノーンを逸れたビームがはるか眼下の谷に落ち、幾つもの爆光を湧きあがらせた。
指揮棒はしっかりと前を、友を指していた。続く言葉は彼女のもう一人の友であり恩人でもある、焔の巫女リノから命がけで届けられたものだった。
「『絶対的な正しさなど、この世に在りはしない』。力で私はねじ伏せられない。話し合いましょう、アマナ」
「なんだそれは!?」
この日、いやこの地の統治者を龍樹から任されて以来初めて、アマナグルジオは驚愕した。
ただのフルートと思われた4本の楽器は、2本が剣の、もう2本が弩の形の力場を展開して、リアノーンが構える指揮棒に合わせ、踊るように主を守護していた。そしてその持ち主、リアノーンの姿もまたさらに華やかなものに変わり、その背には輝く花弁のような羽根までもが出現している。
爛漫の総行進 リアノーン・ヴィヴァーチェ。
「これを間に合わせてくれたことに感謝するわ。みんなに」
Illust:にじまあるく
ユニゾンドレス。
リアノーンの新たな姿──いや“状態”と呼ぶべきだろうか──それはストイケイアの2つの力、バイオロイドを生み出す旧ズーの生物科学、ハイドロエンジンに見られる旧メガラニカの流体科学に、各国の協力や助言を得て完成した傑作だった。
「水晶玉ネットワークだな?!」
この一言で、アマナグルジオや龍樹の重鎮マスクスがリアノーンたちの事情に詳しいことが察せられた。
約1年前、ケテルサンクチュアリ防衛省長官バスティオンの呼びかけで、軍事ネットワークとしても動き出した水晶玉ネットワークは、音楽の使い手として戦闘では本来非力なはずのリアノーンに──アマナは復讐のため必ず彼女に接触するはずだと、ここまでの経緯聞き取りで予想できたので──マスクスと五角に渡り合える力を与えるべく協調し、これを実現させたのだ。
下の岩棚ではエレンティスとエンレイザが、目を丸くするリンダルキアと狼たちの前でハイタッチしていた。2人はただのお陽気な楽団員ではない。今回この危険極まりないダークステイツへの旅にたった2人だけ許された随員となったのは、エレンティスとエンレイザがリアノーンの“ユニゾンドレス”を共に完成させた、この新形態のスペシャリストだからだ。
「あなたに力で勝とうとは思わない」
これはかつてディアブロス“爆轟”ブルースからもらった忠告だった。リアノーンは顔をあげ友をまっすぐに見つめながら続けた。
「でも、こうしないと復讐に燃えるあなたは私と話してもくれない。そうでしょう、アマナ」
「うるさい!裏切り者!」
斉射!
リアノーンと4本のフルートは今回も見事な連携を見せた。
羽根の力を借りて、ふわりと飛び退り跳躍するリアノーン・ヴィヴァーチェが空中で無防備になった瞬間、襲い来るビームを2本の弩が弾き、さらに着地のスペースを確保すべく稜線ぎりぎりに分離した2本の剣が構える。果たしてリアノーンの足元を狙った破壊光線は展開されたフィールドに吸収され、リアノーンは無事着地した。
「聞いて!アマナ」
「イヤだ!」
リアノーンはアマナグルジオの声の変化に目を見開いた。
「では周りを見てちょうだい!あなたの国、あなたが治める里と人々を」
アマナグルジオは頭を巡らせた。
彼女が愛している土地。彼女の悲しい思い出の詰まった場所。北は万年雪を頂き天を圧する新竜骨山系の峰々、西は暗黒海を隔て魔帝都まで広がるダークステイツの版図、南は瘴気渦巻く不毛の荒地、そして東には……いまや龍樹の本拠地となったギーゼ=エンド湾。
龍樹の力の下、見渡す限りの全てがアマナが統べる土地だった。
それが今、傷ついていた。
怒りにまかせてリアノーンに放った自らの力、その余波で。
「私はあなたの誘いを受けてマスクスになったこと、後悔していない」
凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクス──その中で同時に存在する黒猫アマナ──は、ゆっくりと振りむいた。
「仮面にも感謝してる。あなたと龍樹は私に“力”と選択肢をくれた。新しい世界とその可能性も」
「……でもアナタはワタシと仮面を捨てたじゃない。リアノーン」
その口調はアマナ。リアノーンにとって懐かしい旅友のものだった。
「捨てていない。ここにあるし、ここにいるわ。あなたが望む時、望むだけ」
リアノーンは腰の後ろに下げていた龍樹の仮面を取り出して、掲げた。
水晶玉ネットワークとその参加メンバーがもっとも驚いた特性。
それはストイケイアのリアノーンが仮面を捨てずに持ち続けながら、世界樹と心通わせる力もより豊かになり、かつ龍樹の影響からは完全に離れているという分析結果だった。それは、ゾルガとの邂逅から帰還したバスティオンにとっては一層興味深い示唆を含む事実だったのだが、それはまた別な話である。
「何故だ。何故そんなことが言える?リアノーン。我は変わらぬし、仮面を捨てぬのに」
それは凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクスとして最後の抵抗だつたかもしれない。
「だって、アマナ……」
リアノーンはにっこり笑った。友に対する時、いつもと変わらぬように。
「私たち、お友だちでしょ」
確かに、アマナグルジオを負かせるのは“力”ではなかった。
リンダルキアと4頭の狼たちにとって今日という日は、どうも驚かされっぱなしの厄日だったようだ。
テラスまで4本のフルートを引き連れて穏やかに下降してきたリアノーンに驚き。
彼女がほとんど無傷である──どう考えても命は無いものと確信していたので──ことにまた驚き。
さらによく見れば、輝く羽根を纏ったリアノーン・ヴィヴァーチェがユニゾンドレス形態であることに気がついて驚き。
止めに、リアノーンの腕の中で心地よさそうに喉を鳴らして甘える黒猫が──この姿をかなり長い間見かけなかったため──その正体が咄嗟に思いつかず首を捻るリンダルキアに向かい、大きな右眼を開けてこう言ったので。
「この事みんなに喋ったら、わかってるね」
は、はいぃ!凄まれたリンダルキアと狼たちは、雷に打たれたように平服して他言無用を誓ったのだった。
「さぁ、あなたの里を案内して、アマナ。さっきので壊れたところも直さないとね」とリアノーン。
「あのね、リアノーン。みんなの前ではあんまり気安く話しかけないで」と黒猫アマナ。
「いいじゃない。猫でも鴉でもフクロウでも竜でも、アマナはアマナだもの。ね?」
背後で、恐怖の支配者ですから~!王の威厳が~!と大騒ぎするリンダルキアをじろりと見ながら、黒猫はやれやれと首を振った。
「じゃあ小っちゃい声でお願い。ああやって困る者もいるんだから」
「わかったわ、アマナ!」
音楽隊の指揮者はよく通る声で答え、黒猫アマナは小さく嘆息をついた。
リアノーンの足が岩場の縁を蹴ると、慌てる一同を背に1人と1匹はダークステイツの空に飛び立った。それは龍樹のことも仮面のことも変わりゆくこの世界全体のことさえも、友情というひとつの環で結び、包み込んだ心友同志の姿だった。
了
※フルートは地球の似た楽器名とした。※
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《今回の一口用語メモ》
ダークイレギュラーズと天輪聖紀の「傭兵」
ダークステイツ(旧ダークゾーン)には他では見られない異形の戦闘部隊ダークイレギュラーズが存在する。
ダークイレギュラーズが誕生したのは、神格メサイアによって惑星クレイに魔法がもたらされた弐神紀(約35億年前)のこと。当時、後にダークゾーンと呼ばれる瘴気渦巻くドラゴニア大陸南部の暗黒地方では、特に突出した魔力を持つ者が「魔王」を名乗り、支配権を巡って、各地で果てしの無い闘争を繰り返していた。
この魔王同士の闘争の駒として、濃厚な瘴気の影響による暗黒地方独自の生態系に目をつけ、これに魔法と科学両面を用いた禁忌の実験を繰り返して進化させた結果、生まれたのが特異な能力を持つ個体(以後“特異個体”)だ。彼らは戦士として異常とも言える優れた力を持っていた。一方で彼ら特異個体は通常の種族とは違った特徴や力から、同族に馴染むこともできず孤立する運命にある悲しい存在でもあった。
そこに手を差し伸べ庇護した一人の魔王(これは伝説の大悪魔 魔界侯爵アモンであるという説がある)により、特異個体たちは「ダークイレギュラーズ」を結成することになる。このクランは特異個体を保護し、助け合い、仕事と生活を確保し、かつそもそもの元凶である一部魔王たちによる人体実験を永遠に停止・監視させるという目的を持っていた。このうち第4の目的はもっとも早く達成された。特異個体部隊の襲撃によって各地の施設は殲滅され、研究結果も破棄され、この邪悪な試みに関わった人も物も消滅した。以後、ダークゾーンにおける精強無比な戦闘部隊──報酬のためならば基本、誰にもどんな事にも力を貸すが、いずれにも属さず屈しない鉄の結束を持つ──ダークイレギュラーズは確固たる地位を手に入れたのである。
国家がダークステイツとなった天輪聖紀におけるダークイレギュラーズは、(魔王同士の抗争が以前に比べて激減したため)戦争の行方に大きく関わる軍事組織としての枠組みは緩やかになったものの、瘴気の影響でいまだ産み出される特異個体の受け入れ先、不可欠な互助団体として存続している。ただし頑なに群れることを拒む者──過去に隠遁生活をしていた重力使いアレクサンドラ(現 アトラクト・インヴァース)のように──もいるため、一匹狼的な暮らしを続ける特異個体も少なくない。
なお「傭兵」という職業は、生まれ持った特殊能力と高い戦闘能力を持つダークイレギュラーズには最大にして最適の就職先だが、傭兵とそれに関わる全てが必ずしもダークイレギュラーズではないことも──仲介役であり今回、対龍樹抵抗運動でも協力を仰いだ幻想の奇術師カーティスなどもいる──ここで触れておきたい。
恐怖の谷(ハイビーストの隠れ里)とウルペヘグ飛行場
凶眼竜アマナグルジオ(凶眼竜皇アマナグルジオ・マスクス)が支配するダークステイツ東北部の一帯。
先日、知の探求者セルセーラと冒険科学士アリウスの報告により特定されたこの場所は、かつてハイビーストの隠れ里として知られ、現在は龍樹グリフォギィラによる支配の拠点「恐怖の谷」と呼ばれている。
恐怖の谷は非常に険しい山岳地帯に位置し、もう少し北に行くと緋炎帥竜ガーンデーヴァ率いるドラゴロイドの緋焔武者たちが防人を務めるドラゴンエンパイアとの国境となる現代の秘境、本来は地元の民でさえ近づくことの無い物騒な地域だった。
ところが龍樹侵攻の後、この山岳地帯にあるわずかな平地に小さな飛行場が造られた。
当地の古名にならって「ウルペヘグ」と名付けられたこの飛行場は惑星クレイ世界一、パイロットの間で着陸が難しいと言われている。同時に、もっとも乗客を選ぶ飛行場とも。
ウルペヘグ飛行場は“アマナ専用”なのだ。
他の国内外を結ぶ定期便はなく、発着するのは凶眼獣アマナキィティと彼女に関わる者を乗客とするプライベート飛行機──乗り物といえば駅馬車や蒸気鉄道など古色蒼然としたイメージがあるダークステイツとしては珍しいブラントゲート製の最新機種──のみ。
この飛行場を使って、凶眼獣アマナキィティ=凶眼竜アマナグルジオは世界を飛び回り、少し前にはストイケイア全土を危うく陥落させるほど圧倒したのだ。注.異界の穴を使った空間移動は、同じ力を持つバヴサーガラ同様、常用するには心身の負担が大きすぎるようだ。
今回、ストイケイアのリアノーンらが凶眼の獣アマナに招待され、このウルペヘグの地に降り立ったのだがそれ以降、これまで龍樹の落胤たちによって厳重に守られてきた飛行場の空域の警備が緩くなった、という報告が入っている。
今まで厳重かつ困難を極めた離着陸の許可申請も、リアノーンと世界樹の音楽隊ならばいつでも来て良いらしい。
さらに長期滞在こそ許されないものの、明らかに龍樹へ敵対する者でなければ攻撃することもなく受け入れているらしい。こうした新しい利用者は行商であったり、この地の珍しい生態や気候を研究する学者たちのようだ。いずれは「空港」として、ダークステイツ国内線航路の一環となる未来もあり得るかもしれない。
こうした変化が、この地を恐怖で支配してきたに龍樹よりのものアマナの気まぐれか、何らかの意図があるものか、真相を知る術は無いがリアノーンとの再会が何らかの影響を及ぼしたのは間違いないようだ。
現在、龍樹の重鎮と言われる仮面の者も、アマナを含めて異星刻姫 アストロア=バイコ・マスクスの2人まで減っている(戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクスは我がケテル防衛省長官との邂逅の後、行方不明である)。
これは、長かった対龍樹侵攻の戦いの行方にも明るい希望を持てそうな状況といっても良いのではないか。
先日のケテル首都防衛戦では第2軍参謀の一員として参加した私としても、久しぶりに心励まされる情報である。
シャドウパラディン第5騎士団副団長/水晶玉特設チャンネル管理配信担当チーフ
厳罰の騎士ゲイド 拝
厳罰の騎士ゲイド 拝
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡