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ユニット

Unit
短編小説「ユニットストーリー」
125 「禍啜り」
ストイケイア
種族 ゴースト

Illust:海野シュウスケ


 わたしは深い海の中にいる。
 目指すは水底。先導するのは異形。うち・・の新入りだ。
 そいつ・・・は節足動物のようであり深海魚のようでもある。ネオンサインのように体側を走る蛍光。規則的に鮮やかに。それがルシフェラーゼを触媒とした生物発光バイオルミネセンスだとわたしは知っている。このくらいの知識、“継承の乙女”の名を持つネオネクタールのエージェントとしては持っていて当然のことだ。
禍啜まがすすり』
 海淵かいえんより惨禍さんかすする、幽世かくりよの使者。
 の連中に聞いた説明によれば、どうやらそういうヤツゴーストらしい。
「ヘンドリーナ」
 突然誰かに呼ばれた気がして、わたしは思わずゾッとした。ちょっと!ここ水中だよ?……気色の悪い。おかげでいま一番思い出したくもないヤツのこと、思い出しちゃったじゃない。
 気を取り直すと禍啜まがすすりは泳ぎを停めていた。どうやらここが目的地らしい。
 海底に座礁した船がある。長い年月潮流に洗われて、崩れかけた古い船だ。
「どうしろって言うのよ?」
 わたしはアクアラング潜水用呼吸装置ごしに問いかけた。ちょっとごぼごぼ言っちゃったけど聴き取れはするだろう。
 そもそも目の前をフヨフヨ泳ぐタコだかイカだか深海生物だかと違って、こっちは潜水マスク、シュノーケルにフィンそれと潜水ライト。ウェットスーツに至っては、塩水でわたしの花と髪を傷めないための完全防備の特注品。海軍さんのアクアロイドじゃないんだから、これほど本格的な潜水にはバイオロイドでもちゃんとした装備一式が必要なんだからね。
 ふと見ると、禍啜まがすすりが触手でちょいちょいと海底に沈んだ船の方を指していた。
 わたしは──正直気は進まなかったけど──崩れて空いた隙間から入ると、真っ暗な沈没船の内部をライトの明かりを頼りに身をくねらせながら進んで……どうやら船倉の最深部だったらしい場所に“それ”を見つけた。
 なるほどね。
 わたしは腕組みをして天井を仰いだ。
「あんの野郎。どこまで面倒かければ気が済むのよ、このわたしに」
 深い吐息が水泡となって廃船の倉庫を嘆きで満たした。

Illust:増田幹生


 査問会は最終段階に入っていた。
「さて。この度の龍樹侵攻における貴殿の背信行為ならびに利敵行為、そして軍師として指南した結果、増加したと思われる諸国への被害について証言と報告、概算はすべて出そろった」
 議長席のバスティオン──万民の剣バスティオン・アコードは国家を代表する際の正装である──は断罪し、旧友の名を、いまは裁かれる者としてこの場に呼ばれている者の名を呼んだ。
「ゾルガ船長」
「あぁ、防衛省長官。いや、今は“議長”とお呼びすべきだな、バスティオン殿」
 2人が向き合っているのは豪華な調度に飾られた広い部屋だ。
 ゾルガとバスティオンが長テーブルの端と端。
 間を埋める席にも周囲にも人の姿はなく、ただ輝く水晶玉だけが台座に置かれている。その数は4つの2列。つまり端末──言うまでもなく通信機としての水晶玉マジックターミナルだ──の向こう、8箇所で出席者がこの会話を聴いているということになる。
「互いの立場を正しくご理解いただけてありがたい」
「どういたしまして」
 ふっとゾルガは声をたてずに笑った。
 2人しか知らないことだが、つい先日海底で邂逅し海上で死闘を繰り広げた旧友同士としては、確かに白々しいと思える会話には違いない。一方のバスティオンはどう思ったのか、微動だにしない。
「改めて説明するまでもないが、我ら各国を代表する者としても貴殿との関係は表沙汰にはできない性質のものだ。諜報、密偵、裏工作、闇取引」
「そして裏切り。そう。それはすべてがしてきた仕事だよ、バスティオン。はご覧の通りの汚れ役さ」
 バスティオンは低く嘆息をついた。どこまで持つか心配していたが、この男ゾルガはいつも通りの変幻自在なトリックスターに戻ってしまったらしい。
「そこが貴様・・の強みだ。相手の知られたくない所、後ろ暗い所を握って行動を縛る。だが“国家の運営とは常に清濁あわせ持つものだ”とも言われたことがある。つまり貴様もここが“年貢の納め時”というものだろう」
 ゾルガはにっこり少年のように笑った。この場に引っ立てられた意味など意に介していない。自分が過去にかけた言葉をバスティオンが聞き逃さず、一理あると受け止めてくれたのが嬉しいのだ。
「君はいつも正しい。も友として誇らしいよ、バスティオン」
「お褒めに与り光栄至極」
 これも前回の会談で言われたセリフを皮肉ったものだが、バスティオンが口にすると重みと品が漂う。だがゾルガの次の言葉で部屋の空気は一気に張り詰めたものになった。
「そんな君の手にかかるなら本望だ。さぁ、斬ってくれ」
 バスティオンは劇的な台詞を無視した。議長としての立場から次の事柄が明らかになるまで動けない。
「諸君。この査問会の目的を改めて確認したい」
 見渡すテーブルには整然と並んだ水晶玉マジックターミナル。だがリモート会議に慣れたバスティオンには、向こう側・・・・にいる者たちの姿と物腰がそれぞれ重なって見える。

Illust:えびら


「前に述べたとおり、このゾルガという男は法律や常識に捕らわれない“悪人”であり、龍樹の一件で及ぼした被害は大きい。彼が犯した罪は罰せられて当然だ。彼が言うとおり、斬るべきかもしれぬ」
 水晶玉マジックターミナルの向こうからは同意の声があがった。もちろんその中には多くの親しい者もいるし腐れ縁の好敵手ライバルもいる。だがそれぞれ各国を代表する有力者も同席している今は、いつものような砕けた率直な物言いはできないようだった。
「しかし法を重んじる我々としては、最後に彼の弁明を聞いてみたいとも考える。その上で許されぬとなれば、その時は私がこの手で介錯する。いかがか」
 同意多数とみた。
 バスティオンは旧き友、いまは惑星クレイを危うく龍樹に渡しかけた悪人に手を向けた。話せ、と。
「では、方々」
 ゾルガは杖を片手に立ち上がった。目線は下方。恐れているのでも反抗しているのでもない。端正な唇を歪ませているのを見ればわかる通り、この男はどこまでも冷笑的なのだ。
「まずはこのような扮装なりで申し訳ない。まさか帰還した途端に当局に突き出されるとは予想外だった」
 ゾルガはバスティオンを見上げた。龍樹侵攻における利敵行為についての査問会議長は頷いた。
「通報と引き渡しは速やかだった。ヘンドリーナ船長代理には感謝している」
「確かによろしく伝えろとは言ったが……まぁ契約が完了するまではリグレイン号の全権があいつにあるものでね。こっそり帰ったつもりが拘束され船長室に軟禁されたら手も足もでない。で、気がつけばこの南海の楽園で秘密裁判の準備も万端というわけだ」
「その場に居合わせたかった。船上で抵抗したら即、この聖剣で叩っ斬ってくれたものを」
「冗談だろう」
 ゾルガは笑い飛ばそうとしたが、バスティオンは元来冗談を言うような人物ではない。ゾルガは笑いを引っ込めた。ようやくこの平静を装った古い友が、まだ怒り心頭にあることを悟ったらしい。
「さて。弁明をお許し頂けるとのことだが」
 ゾルガは杖の石突きで厚い絨毯を軽く突いた。
に弁明などない。結果がすべてだ。の教育によって龍樹は惑星クレイとその住民を深く理解するに至り、鎮静化した後、最終的に同化を望んだ。『メサイアの碑文』が警告した最悪の未来は避けられた」
「極めて婉曲な方法ではあったがな。敵の懐に入り、心底からの理解と協力の姿勢を貫き、そして裏切った」
 ゾルガは重々しく頷いた。
「そうだ。友が悪に転んだとしても一刀のもとに斬り捨てることができない君には不可能なことだよ、バスティオン。結果として、貴殿やご列席の誰もができない事をした。私とオルフィスト、そして今は現世と幽世かくりよの狭間にいるドラジュエルドとで」
「オルフィスト卿は自主的に謹慎処分を受けている。ブラントゲート国に対する賠償も同意に漕ぎ着けた。ドラジュエルド老は……ダークステイツで彼を責めている者などいるのだろうか。龍樹グリフォギィラを最後に説得したのがドラジュエルドだという噂が流れ、いまや少なからぬ竜や人からも彼は尊敬の的だとも聞く」
「それは噂ではなく事実だろう。ドラジュエルドはいいジイさんだったよ。去り際までいちいち格好よかった」
 ゾルガがかすかに頭を垂れたのは敬意の表れだったのだろうか。



 オルーク・パラダイスは不夜城だ。
 メガ多島海アーキペラゴのほぼ中心に位置するストイケイア国の自由貿易港、として知られているけれど、オルークと聞いて貿易と答えるのは商人だけ。ほとんどの人はこう答えるだろう。つまり……
 世界一のカジノの街。ギャンブラーの楽園。
 ということで今夜のわたし、こと継承の乙女ヘンドリーナは黒のロングドレスにヒール、お花をワンポイントあしらったクラッチバッグという出で立ち。カジノは大人の社交場だからね。隙なく決めていかなくちゃ。
「あ、いいの。もう決めているから」
 この街最大のホテル兼カジノその名も『ザ・オルーク・パレス(ちなみに正式名所はもっと長い)』のエントランスに乗りこんだわたしは、駆け寄ってくるコンシェルジュを優雅にいなして目指すポイントに向かった。
 ドレスも仕草もバッチリ決まっているらしく、周囲の視線を集めていることにはかなりいい気分だった。最近いろいろなドレスを着る機会が多いので、甲板を使ってわざわざ歩く練習までした甲斐があったというものだ。わたしは内心ぐっと拳を握りしめた。
 さて、そんなわたしが辿り着いたのは、開店直後の賭場の中央に鎮座している……
 広いテーブル、緑のマット、そして回る巨大な円盤、0と1から36までの数字が刻まれた赤と黒との盤面を弾けて転がるボール
 それはカジノの女王とも呼ばれる、
 ルーレットだった。
「ようこそ、お客様」
 一礼するディーラーに微笑んでおいて、わたしはしばらく卓の流れと履歴が積み上がるのを見ることにした。
 カジノは他にもスロットやカードなど、もっと白熱したり集中を要するギャンブルが沢山あるので、掛けの合間に漠然とルーレットの出目を眺めている人も多い。わたしの姿が浮くことは──見とれてる人はいたかもね──なかった。5回目まで待ってから、6回目の賭けを募るディーラーの声……
「どなたかお賭けになりますか?」
 に、わたしが一枚の変わったチップを取り出して卓の上に置き、次の言葉を発するまでは。
「1点賭けよ。0ゼロに全額」
 どよめきが起こった。
 ルーレットの1点賭けは勝てば36倍。確かに当たれば大きいけれど、普通は2点賭けスプリット3点賭けストリート4点賭けコーナーなどに分散させ、小さな勝ちを積み重ねて地道に儲けを狙うのが基本の攻略法だから。つまりいきなり全額0ゼロの1点賭けとは、無謀きわまるギャンブルだった。
 でもディーラーを含むこの場の全員が驚いたのはそこ・・じゃない。
 わたしが0の数字の上に置いたのは巨大な金貨、たった一枚で小国をも買えるとも言われるダークステイツの伝説「パガニーニ金貨」だったからだ。それはドン・グリードンこと、強欲魔竜グリードンのおじさんから教わった“唯一カジノが拒めない賭け代”でもあった(普通はそのカジノのチップでしか賭けられないからね)。
「さぁ、始めましょう」
 わたしはドレスの裾を直して、卓に挑んだ。
 促されたディーラーが盤面から目を逸らしてボールを投げる。心なしかその手は震え、顔色も悪いようだ。
 今夜のわたしはギャンブラー。
 国が買える金貨を元手に増やさなきゃいけない目標額って一体幾らなんだって思うけど……ここからが大勝負の始まりよ!

Illust:п猫R


 ──査問会議。
「繰り返させてもらうが、に弁明はない。議長ならびに会議にご出席の方々は“ゾルガの罪”なるものに対して、どのような償いをお望みか」
「まずは心からの謝罪であろう」とバスティオン。
「痛み入る。この頭で良ければいくらでも下げよう」とゾルガ。
「事件の詳細な報告が欲しい。事実とその裏側にあった意図についても、碑文の解析と未来予測に大変貴重な資料となる」
 これはケテルのオラクルからのコメントのようだ。
「書こう」
「以後はきちんと契約書を取り交わす。今回のような味方をも欺いて解決する場合の条件も話し合いたい」
 これはドラゴンエンパイアの貴族竜からの発言である。
「異論は無い」とゾルガ。
「森林復興の援助を」
「ドームの改修もだ」
 とはストイケイアの学長とブラントゲートの国防大臣。
うけたまわった。ケテル防衛省長官から他には?」
「貴様とは絶交だ。二度と関わりたくない」
 バスティオンは冷たく言い放った。ゾルガはわざと慇懃に問い返した。
「それは個人の意見ですな。いっそ正直に『叩っ斬りたい』とおっしゃっては、バスティオン殿?……だがまぁ、今は公人として要求の漏れが無いのかを改めてお聞きしたい所だ」
「……。経緯報告書と活動の透明性、そして賠償だ。とにかく許してもらえるまで詫びを入れて回れ」
「ほう。では皆さんと同じでよろしいと」
 ゾルガはにやりと笑うと、悠然とした身のこなしで椅子に腰を下ろした。
「謝罪と弁償。人間の基準でみると相当長生き・・・させてもらっているが、争いを解決するのは大抵これだね」
「余裕綽々しゃくしゃくだな、ゾルガ船長。だが忘れていないか。謝罪や報告はともかく莫大な賠償金はどうやって工面するつもりなのだ。払えなければ、この私が正義の名において悪を根絶する。ためらいは一切無い」
「変わらないなぁ、バスティオン。君は真面目すぎるって言っただろう」
「呼び捨てはやめろと言っている!」
「そうカリカリしなさんな。そろそろ届く頃だよ……ほぅら」
 バーン!
 ゾルガが背後を指した大扉が開くと、そこには空飛ぶ幽霊船フライングゴーストシップリグレイン号船長代理、黒のロングドレスに身を包んだ継承の乙女ヘンドリーナが仁王立ちになっていた。
 彼女が引き連れているのはカジノの黒服。
 彼らが携えている“宝箱”からはぎっしりと詰め込まれた金貨がこぼれ落ち、そんな人と金の行列がホテル『ザ・オルーク・パレス』最上階──この秘密会議のために用意されたスィートルームのある──の長い廊下の果てまで続いていた。

Illust:筒井海砂


 ──港。空飛ぶ幽霊船フライングゴーストシップリグレイン号。
 潮風攫しおかぜさらい。
 リグレイン号のマストにはいつもその姿がある。少年の幽霊ゴーストだ。
 今朝も朝焼けの光の中、マストから下界を眺めていると彼がもっとも注目する人物2人が、いま乗船タラップに足をかけた所だった。
 声が聞こえてくる。
「お先にどうぞ。船長代理。ドレスがことほかお似合いですな」
「なに?気持ち悪いわね。また何か悪いこと考えてるんでしょう」
「とんでもない。俺と船を救ってくれた恩人だからな。英雄として尊んでいるだけだ」
「まーったくね。何よ、あの指示。海に潜って沈没船の中に埋もれている『パガニーニ金貨』を手に入れて、カジノのルーレット卓で6回目の0ゼロ1点賭けしろ。ですって?」
「しかも3回連続で0ゼロに賭けろ、だ。うまく行っただろう」
「あのね。0ゼロを含む37の目の中で同じものに3回入るなんて、どのくらいの確立だと思う?」
「限りなく0ゼロに近いだろうな。だが、それ故にオルーク・パレスの最高レートの卓では同じ数字に当たり続けると倍々となる」
「3回連続で144倍。ま、見せたかったわね、あのディーラーと駆けつけた支配人の顔ったら」
 朝日に愉快げな笑い声が弾けた。驚くべきことにゾルガまで(さすがに呵呵大笑とまではいかないが)声をあげて笑っている。
「あのさ。でもわかんない事がいっぱいあるんだよね。なんで沈没船に、無くしたグリードンのおじさんも(輸送してる船が嵐で難破して)どこに行ったかわからない万能超高額金貨があることを知ってたの?なんで6回目から8回目までの目が0ゼロだってわかったの?なんであんな莫大なお金を儲けたの?パガニーニ金貨ってそれだけで国が買えるほどの価値があるんでしょ」
「最後の質問の答えは簡単だぞ。当てて見ろ」
「あんたが強欲だから?」
「それもある。だが正解は、“賠償しなければいけない国は幾つもあるのに金貨は一つしかない”からだ」
「全世界を敵に回したあんたのせいでしょ!涼しい顔してとんでもないこと言ってるんじゃないわよ!だいたいこんな偶然がこのオルーク島で全部、今日起こるって出来過ぎなのよ!」
「まだわからないのか。この世には未来を予測するものがいる。その中でも最大最高のものが『メサイアの碑文』だ」
「ああ、あのブラント月にあるっていう」
「オルフィストが読んだそれ・・の一節によればこうだ。“楽園の島、1の円盤ホイール。6の試行の後、3つの0ゼロが続くであろう”」
「それだけでここのルーレットの大勝ちだとよくわかったわね」
「日付は今日になっていた。いわば予言だな」
「ちょっと!神格ってそんな事も予言しているの?!」
「ストイケイアの小川の氾濫がケテルサンクチュアリの相場暴落に繋がることだってある。この世界はそうして繋がっているんだ。小さいことだと馬鹿にできんぞ」
「ふーん。で、その予言に従って動いたと。……わたしも踊らされた訳ね」
「予言というのは幾通りもある『未来の可能性』のひとつだ。それに通じたオルフィストは龍樹の件では大いに役に立ったが、それでも外れはあり得る。だがはそれに全額賭けた。今回はどうせ賭け代・・・も他人のものだからな」
「ん?でもさ……予言を元にカジノで掛けをして勝つって、やっぱりズルじゃ……」
 ゾルガの指がヘンドリーナの唇を押さえた。そっと優しくしかし断固とした仕草で。
「声が大きい」
 猛然と手を振り払ったヘンドリーナはゾルガに詰め寄った。だが、以前は許さなかった“胸ぐらを掴まれ”ても揺すぶられても怪雨の降霊術師は動じることなく、唯にやにやと笑っている。ダメだ、こいつには何をしても脅しにもならない、と見て船長代理は手を離して腕組みすると、この放浪癖と冷笑癖と他人を愚弄することを好むリグレイン号の船長を真っ正面から睨みつけた。今日という今日こそ、こんな適当野郎に負けてなるもんか!
「今度こそ契約違反よ!よくもこのわたしに犯罪の片棒担がせてくれたわね!」
「ズルでも悪事ではない。実は『ザ・オルーク・パレス』の胴元はあの・・グリードン以上の悪玉なのだ」
「はぁ?」
「商業、観光業、そして賭博。あの島のビジネスの裏には、ストイケイア政府でさえ手を出せない巨大な裏家業集団の存在があった」
「まぁギャンブルと裏社会は切っても切れない関係にあるくらいは知ってるけど……」
「そこでだ。この一件の前にグリードンから提案があった。“大昔、オレ(グリードン)の船を沈めたヤツらへの復讐とライバル(オルーク一味のことだな)を排除するためならその場所を教えてやるぜ”と。これでグリードンとは貸し借り無し、賭けの元金も確保できた」
「ふむふむ」
「で、案の定、ストイケイア政府からは“オルーク島のビジネス健全化作戦を決行するなら、賠償金額は各国にとりなしてやる”と。いかにパガニーニ金貨の144倍といえども惑星規模の被害額などどうあがいても個人で補償できるわけもない。結果悪は潰れ、補償金を払って、俺の首もつながった。どうだ、いい取引だったろうが」
取引でしょ!……フン、交渉上手というか何というか、どいつもこいつも曲者ばっかり。あの紳士なバスティオンさんに教えてあげたいわ、あんた達のしたこと」
「あの性格と物言いに騙されているようだな。彼はプロの政治家でもあるんだぞ。表立って関知はしないものの、国際関係から認めざるを得ないのさ。それにに言わせれば、おまえもすでに十分、曲者だ」
「こんのバカ野郎!知ってれば引き受けなかったわよ!危うく全世界に指名手配される所よ、あんた同様に」
「実際は、伝説のギャンブラーそして一夜で悪徳カジノを潰した女英雄ヘンドリーナとなったわけだが?」
「騙されないわよ、この悪党!結局、毒をもって毒を制しただけじゃない。極悪が悪に勝っただけで」
「これが我々の仕事だ」
「割に合わないって言ってるのよ!知らないうちに国家とか世界まで背負わされてるなんて冗談じゃないわ!」
「正装で決めてカジノに単身乗り込み、世界に何枚とない大金貨を賭け代に、国を賭けた一世一代の大ギャンブルに興じるのは楽しかっただろうが……」
 噛みつくヘンドリーナに上の空で返事をしていたゾルガは、なにかを思いついた風で船に視線を走らせた。
「よし。褒美として船尾を船長代理専用の区画としてやろう。船長の権限は絶大だからな」
「あーら残念!そんな餌で釣られるほど安い魚じゃないのよ、わたしは。それに絶大な権限を持ってる船長代理なら辞めるのも自由よね~。今この瞬間に引き継いじゃえば……すっぱり辞任っと。バイバーイ!」
「残念ながら、それは通らない。契約の0ゼロ項目を読んでいないのか」
「はぁ?何よ、それ」
 怪雨の降霊術師ゾルガは懐から取り出したぶ厚い紙の束をマジシャンのように見せびらかした。
「ここだ。最終ページ。『以上の全権限は再引き継ぎされるまで船長代理が持つものとする』」
「ほらご覧なさい」
「続きがあるぞ。『ただし船長代理を引き受けた場合、乗船中に辞任することは不可とする』」
「ちょっと!なにこの細かーい文字!?……だましたのね!」
「契約を隅々までよく読まないお前が悪い。ネオネクタールの上司もきっとそう言うだろうよ」
「ちょっと待って!でもその理屈で言ったら、陸に降りたわたしはお役御免ってことでしょ!じゃあ止めても無駄ね!サヨナラ!」
「待て!復帰した船長の権限で、乗船・・している船員のおまえに辞任することを禁じる」
「乗ってないでしょうが!」
「おまえが両脚をつけているタラップは船の上・・・だ。船長の許可無く仕事を放棄すると契約違反で母国からも糾弾されるぞ。さっきまでの俺のようにな」
「あ?!」
「安心しろ。賠償金を払っても世界最大のカジノの金庫を空にした儲けはまだ余る。今までとは比べものにならない高給取りにしてやるぞ。なぁ、副長」
「なによそれ!今度は『副長』?もー勘弁してよ!お金はいらないから降ろして!」
「どうしてだ。艦長代理もあのグリードンのお守りも結構楽しんでやっていたじゃないか」
「え!?どこで見てたの?」
「すべて筒抜けだ。この水晶玉マジックターミナルと俺の配下の怪物どもがある限りな」
「……」
「承知だな。最後に何か言っておきたいことがあれば聞くぞ。着任・・の儀式として」
「……てやる」
「ん。どうしたよく聞こえないぞ」
「絶・対!いつか!辞めてやる!いい?必ずこの船降りてやるからねっ!!!」
「そうかそうか。ではタラップをあげろ。さっさと持ち場につけ、ヘンドリーナ副長」
 船長の帰還だぞ、とゾルガが叫ぶと上空を回っていた飛竜が吼え、船に溢れる不死の者たちはどろんとした目を向け、ヘンドリーナが連れてきた数少ないバイオロイドたちが拍手をし、水中からは水竜がしぶきをあげて飛び出した。
 新たな船出だ。
 ヘンドリーナはまだ何か叫んでいたが、マストの上にいる潮風攫しおかぜさらいも含め、誰もその言葉を聞いている者はいなかった。この不死の存在と怪物どもを満載する船において、良識派の声はひどく小さいのだ。叫んでいる者の真意があべこべだった場合は、まして。タラップに一度乗ったら最後、そこは船長の天下なのだと彼女は本当はよく知っていたはずなのだから……。
 だから潮風攫しおかぜさらいの言葉は不吉なものではあったけれど、その意味はまったく逆のものと言って良かった。マストに腰掛けた幽霊の少年の唇に浮かぶ楽しげな微笑がその証であるように。

 風が吹く。怨嗟えんさはらみ、苦痛を伴いながら。



※科学用語(発光酵素ルシフェラーゼ)は地球の同意のものに変換した。ギャンブルは地球のものに酷似したものが惑星クレイには存在する※

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《今回の一口用語メモ》

オルーク・パラダイス
 ストイケイア国メガ多島海アーキペラゴのほぼ中心に位置する自由貿易港。
 それがオルーク・パラダイスだ。

 オルークには3つの顔がある、と言われる。
 1つは「貿易港」。
  特にストイケイアの特別免税制度の下にあるオルークは、貿易額でも世界屈指の港である。
 2つは「観光」。
  港から少し離れた入り江にある海岸は良質な白砂と温暖な気候、メガ多島海アーキペラゴの中でも特に風光明媚な景色で知られており、サーフィンなどのマリンスポーツから、装具をつけた潜水で難破した沈没船での宝探し、人懐っこい海中生物との邂逅、またもっと単純に海水浴と美食を楽しむバカンス客で常に溢れている。
 3つ目が「ギャンブル」。
  オルークは公営ギャンブルを産業の柱としている。観光客のもう一つの目当てであり、一攫千金を狙うギャンブラーから社交の場として集う富裕層までが世界中から集まり、それぞれのレートで運試しをする。

 今回、龍樹侵攻における利敵行為についての査問会が開かれた通称『ザ・オルーク・パレス』は、宿泊や食事、娯楽などのサービスはもとより、国賓クラスを持てなすに足る格調も備わったオルークいちのホテルであり、機密保持も完璧との評判である。


「パガニーニ金貨」については
 →ユニットストーリー023「強欲魔竜 グリードン」を参照のこと。

ゾルガとヘンドリーナについては
 →ユニットストーリー008「継承の乙女 ヘンドリーナ」
 →ユニットストーリー009「ハイドロリックラム・ドラゴン」
 →ユニットストーリー054「混濁の瘴気」
 →ユニットストーリー097「六角宝珠の女魔術師 “藍玉”」を参照のこと。

ヘンドリーナとグリードンの馴れ初めについては
 →ユニットストーリー087「戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクス」を参照のこと。

ゾルガが、ヘンドリーナのことを託した経緯は
 →ユニットストーリー113 「万民の剣 バスティオン・アコード」を参照のこと。

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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡