ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
126 運命大戦第1話「大望の翼 ソエル」
ケテルサンクチュアリ
種族 エンジェル
D3は世界第3位の峰。渡る鳥も避ける天下の嶮である。
特に山頂付近ともなると晴れは少なく、ほとんどの日が曇りか雪だ。昼でも薄闇が続き、風は上下左右あらゆる方向から吹き寄せて、生命の根源である温かみを根こそぎ奪う。
そんな極限の世界、一寸先さえ見えない氷雪の嵐に挑む翼があった。
「越えてみせる!絶対に!」
それは天使だった。
齢は──人間に比べれば不老といっても良いこの種族としても──まだ若い。
「越えなきゃ!」
ぶ厚い氷壁のように感じられる猛風の圧力に耐えながら、少年はまた叫んだ。
天使が身体の周囲に張り巡らせる結界に守られてもなお、このあまりにも強烈な大自然の脅威の前では自分の声さえ聞こえない。びっしりと雪に覆われた翼はほとんど凍りついていた。身体が煽られ、朦朧となった目が閉じかける。
「僕には!……行かなきゃいけない……」
D3は山頂からの無慈悲な一吹きを止めに繰り出し、若き天使に叩きつけた。
「場、所が……」
白い世界が柔らかな闇に閉ざされる。
大望の翼はこうして墜ちた。
秀峰連なるドラゴニア大山脈を厚く覆って渦巻く、冬の嵐の中に。
Illust:眠介
「いっただっきまーす!」
炎竜の少年は焚き火に掛けた鳥肉に向かい、パンと手を合わせて破顔した。
今日の夕食はドラゴニアン・ターミガンの丸焼き。
下処理を終えた丸鶏を木の枝に吊るし、時間をかけてじっくりこんがり美しく焼き上げた。内臓を抜いた腹には香草を詰めてある。近くに熊でもいれば脇目も振らず突進してきそうな、食欲をそそる匂いがたちこめていた。
ごちそうの時間だ。
少年は──このフレイムドラゴンは二足歩行であり、そのシルエットも手を器用に使うことも人間とあまり変わらない──、舌なめずりしながら丸焼きに手を伸ばした。
その時である。
ヒュ──……
かすかな音。しかし、待ちに待った食べ物を前にデレデレだった炎竜は真顔に戻ると、速やかに体勢を整えて武器を持って立ち上がった。
研ぎ澄まされた厚みのある片手剣。
周囲への目配り、構えにも隙がない……ように見えた。
次の瞬間。
ゴッ・チーン!!!
もの凄い音と共に頭に激痛が走ったかと思うと、炎竜の少年は地面に倒れ伏した。
ぱっと目を開けると、炎竜は一動作で起き上がった。
さすが若いとはいえ竜の一員。失神していたのはほんの少しの間だったようだ。
見上げた空は夕焼けがかすかに残るだけの黄昏時。山の夜は早い。
頭頂部がズキズキ痛む。
殴られた?手を当てて見るが出血はしていないようだ。実はそれは目を開けた時からわかっていた。
地表は一面、真っ白な雪である。
「イタタ。オレ様としたことが奇襲食らったのかよ……って、オイ!?」
炎竜は後ろを振り向いて、目を見開いた。
そこには凍りかけた少年が焚き火の明かりに照らされて、ぐったりと横たわっていたからだ。
こうして天使と炎竜の2人は出会った。
山頂に嵐雲を戴く、D3の峰で。
Illust:北熊
「痛ってえな!テメェ一応、医者だろ?患者の扱い荒くねぇか、ソエル」
「あ、ごめん、アルダート。えっと……二足ドラゴンの打撲、頭部の治療法は、と」
ソエルと呼ばれた天使の少年は、どこからか取り出したぶ厚い本をめくりながら治療法を探しているようだった。患者を目の前にして医学百科を開きだす医師というのは、あまり心安まる光景では無い。
「だーっ!打ち身はこうやって冷やして直すんだよ!んな事も知らねぇの?!」
炎竜の少年アルダートは座り込んだまま、足元の雪を丸めるとぶつけた頭──またよりにもよって角の間、髪が生えている柔らかい部分にぶち当たってきたのだ。この天使野郎は!──に押し当てた。
「いや、でもホラ、ドラゴンには何か相性のいい薬とかよく効く神聖呪文とかあるかも知れないし。頭へのダメージって怖いんだよ。それに僕が落ちてきてケガさせちゃったワケだし、ここは慎重にね」
ソエルは1本指を立てて、にっこり笑った。よく気の回る、見るからに人の良さそうな銀髪の少年である。翼と光輪がなければただの人間の少年のようだ。
一方のアルダートはと言えば鼻息も荒かった。
このガキ、空からトペ・スイシーダ食らわせておいてなーにが慎重にだ。これが竜と天使でなければ2人ともオダブツだったよなぁ。そういやテメェはなんで頭、平気なんだ。その光ってる輪っかに仕掛けでもあんのか、あぁ?と物騒に細めた目が言葉より雄弁に語っている。
「さっきは温めてくれてありがとう。あのまま放っておかれたら、天使でもちょっとヤバかったね」とソエル。
「まぁちょうど火起こしてたからな。雪山で凍りかけた天使を焙ってみるのもオツなもんかと思ってさ。だがもしもオレ様の、この鳥の上に落ちてきたら……テメェ命は無かったぜ」
食うか?と鶏の手羽元を差し出す炎竜のアルダート。口ほどにも無くイイ奴である。
天使のソエルは笑顔で、ありがとう。でも大丈夫、食べ物はもってるからねと首を振った。
「ヘッ!天使のお口にゃ合いませんかねぇ」
皮肉っぽく言って、手羽元を口に放り込んだアルダートはバリバリと骨ごと平らげる。
「で?さっき自己紹介ってヤツで軽くは聞いたが、ケテルサンクチュアリの天使、それも天空の都のいいトコのお坊ちゃんがなーんでこんな冬山にアタックしてんだよ……おっ!それ神聖魔術の手当ってヤツか」
アルダートは牙をせせりながら、差し出された天使の手に頭を触られるままにさせている。
「うん、そう。まぁこれくらいのケガなら僕も治せるし……あぁ、質問に答えなきゃね。僕はこの先にある『エンジェルフェザー前線基地』に行きたいんだ」
「へぇ、ドラゴンエンパイアのこんな山奥に?」
「エンジェルフェザーは国境なき救護部隊だからね。あ、もうちょっと動かないでいて」
「……にしたって、わざわざD3の峰に挑むこと無いだろうによ。迎え頼んじまえば良かったんじゃねーの。天使のお仲間にさ」
ソエルは伸ばしていた手を引っ込めた。
「はい、終わり。2、3日は痛むかもしれないけど、骨にも異常なさそうだから」
「サンキュ。まぁ事情はよくわかんねぇけど、これも何かの縁だ。夜になっちまったんだし、そこで休んでこうぜ」
アルダートはD3の山腹に自然に形成された岩窟を指した。
「大騒ぎしちまったから、かわるがわるの不寝番も必要だしな」
炎竜の少年は夕闇の中、麓から聞こえてくる遠吠えに、ニヤリと笑って見せた。怖れているのでは無い。今夜生き残るかどうかも、力試しの一環なのだ。
「って置き手紙してきたぁ?なーんだ、家出しといて遭難してんのかよ。オマエは」とアルダートは笑い、
「そう……」
ソエルは焚き火に照らされて輝く杖を見つめながら、悄気た。
2人が一晩の宿と定めたこの狭い岩窟に入ってから、アルダートがテメェではなく、オマエと呼んでいることにはまだ気がついていない。
「実はあの基地はケテルの天使でも、飛んで辿り着く者が少ないと云われる難所なんです」
「へぇ。エリートの集まりってワケか」
ドラゴニア大山脈の最高峰にあるエンジェルフェザー前線基地は、他国ドラゴンエンパイアにあってケテルサンクチュアリの民である救命天使たちが独立して医療救援活動をする為に、あえて敵も味方も近づき難い地点を選んでいるのだ(もちろんこの世界最高峰が連なる山々で遭難した者を救助するという目的もある)。
「すげえ高い所に目標を立てるのはいいと思うぜ。まぁ、このオレもさ……」
アルダートは一人称まで変わってきた。
狭い岩窟で肩を並べて話すうちに、オレ様などと斜に構える必要がなくなったのかもしれない。
「師匠の背中を追って旅を続けてるんだぜ」
今度はソエルがへぇと関心する番だった。
「剣のお師匠様、凄腕なんだろうね」
「そりぁもうなんたって『天下無双』だからな。このオレなんて、足元にも及ばねぇよ」
アルダートは焚き火の炎を片手剣でフッ!と切って見せた。
さりげない仕草だが、この狭さで危なげなく自在に剣を操るアルダートもまた相当の腕であると察せられた。
「師匠は高弟──これまたすっげえ使い手の竜のアニキたちでさ──さえも近くに置かないんだ。ただ一人『最強』を目指して修行し、自分を鍛え続ける孤高の人なんだ」
アルダートの竜の瞳に燃える炎をソエルは綺麗だと思った。
「僕が会いたいと願っている『救世の使い』もそうだよ。名声や他人の助けには頼らず、ただ病める人や傷ついた人を癒やすためにこの世界を放浪しているんだ。僕もいつか、偉大な彼みたいになるんだ、必ずね!」
ソエルは銀髪と光輪を振りながら熱弁した。こいつもアツイ奴だなとアルダートは横目で見ながら苦笑した。
「……やれやれ。オレたちはどっちも師匠を勝手に追いかけてる、弟子見習いみたいなもんか」
「そうかもね」ソエルも笑った。
じゃあさ、とアルダートは木の枝を火に投げ込んで天使に向き合った。
「ひとつ約束しようぜ」
「約束?」
「オレたちは憧れの師匠を追う。そして教えを乞うだけではなくて、『オレたちじゃなければできない何か』を探すんだ」
「『何か』って何さ?」
「だから『何か』だよ。だってオレにはこの剣、オマエにはその杖があるだろう。師匠の真似をするだけじゃなくて、その……探すんだよ!こうまでして追い求めてる、その先にある『何か』をさ」
出会ってからそれ程時間がたったわけではないが、ソエルが見るところアルダートという炎竜の少年は語彙が豊かではない。だけどぶっきらぼうに始まった出会いもそうだった様に、アルダートは“芯”があった。つまり自分というものがあって、情熱があって、困っている者は見捨てておけない(口は悪いけれど)、信用できる相手だと思える。ソエル自身が故郷の天空の都ケテルギアでは、ごく近所の付き合いを除けばあまり積極的に友達を作るタイプではなかったために余計、アルダートのそういう気質は心地よく感じられた。
「うん!そうだ!そうだね、約束しよう!」
「おぅ、約束だ!頑張ろうな!」
ソエルが神聖国家の良家の子息らしく優美に腕を差し出すと、アルダートは竜の帝国の武人の若者らしく力強くその腕を当てた。
笑い出す2人。
だが、片方はすぐに笑いを止めた。アルダートである。
「どうかした?」
「……しっ!」
口に指を立ててソエルの発言を止めた炎竜の目は今、活き活きと輝いている。
足で焚き火を崩すと、灯りは消えて岩窟の中には静寂と闇が支配した。
アルダートは、ジェスチャーでソエルに『着いてこい』と指示すると、入り口まで忍び寄った。
冬の空からは双子月の光が射し込んでいる。
山の中腹にある岩窟からは麓の景色がよく見て取れた。
「(なにかいるの?)」とソエルは声を殺して囁いた。
「(わからねぇ。だが、何かヤバイ気配がするぜ)」
アルダートが囁き返した時、眼下にそれが現れた。
Illust:Hirokorin
──超銀河基地“A.E.G.I.S.”。
ユナイト・ディアノスはスクリーンの1点を見つめていた。
ディアノスは銀河英勇でも指折りの物見である。
そんな彼の目に映っているのはスクリーンに浮かぶ惑星クレイ、夜の面。
暗い宇宙を背景とした巨大な球体のシルエットに、極小粒の宝石を散りばめたような美しい光景。
『気になるみたいだね』
ディアノスの頭の中に大人びた声が響いた。
顧みると、四輪車に乗ったピュアリィ・アグノがモニター室に入ってきた所だった。
見かけはほんの幼児の彼はしかし、その能力と知恵そして数々の功績により銀河英勇でも一目置かれるエリートである。
「ピュアリィ・アグノ」
「ゆあひと・てぃあのしゅ(ユナイト・ディアノス)」
銀河英勇たちは挨拶を交わす。
『引っかかっているのは、竜の帝国で起こっているハイビーストの失踪と恐慌についてかな』
とピュアリィ・アグノの思念。口がまだうまく回らない肉声と違って淀みなく深みのある知的な響きである。
「あぁ。お見通しだな。いつもながら」
『君は探究心旺盛だからね。僕と同じ』
違いない。ディアノスは苦笑しかけて、すぐに顔を引き締めた。
「知の探求者からの報告も見た。だが運命力の奔流の落ちた先は断定できていないし、今回のハイビーストの一件が関係あるという確証もない。我々の仕事はまるで、砂漠に落ちた一粒の“種”を探すようなものだ」
その例えが示すところを2人はよく知っていた。
『龍樹の件では遅れを取ったからね……危機に備えるために僕らに与えられる時間はいつもひどく少ない』
幼きアグノは四輪車の中でしかめつらしく頷いた。ディアノスは銀河英勇きっての知識人らしくある決意に瞳を煌めかせた。
「うむ。無駄足は覚悟のうえで事にあたらねばなるまいよ、ピュアリィ・アグノ」
『もちろんだよ。警戒レベルを上げ、地上の監視を強めよう、ユナイト・ディアノス』
「了解だ。全隊に通達する」
2人の銀河英勇はもう一度、母なる星に目を向けた。
太陽がクレイの地表を照らし始めていた。
時は移ろい、また朝が訪れる。
だが厚い雲に隠された気配、地上に蠢く闇に光が届くことはない。
いつかヴェールが剥がされる、その時まで。
Illust:まるえ
※註.山岳名のアルファベット表記は地球の言語に変換した※
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《今回の一口用語メモ》
エンジェルフェザーの正規部隊と「見習い」、『救世の使い』
エンジェルフェザーは、神聖国家ケテルサンクチュアリの医療救命組織であり、その活動は(同国がもっとも閉鎖的であった近年までであってさえ)国境の壁や敵味方を越えて、病や傷を癒し、苦しむ者を救うことであった。
こうした活動は当然ながら癒やしの技と知識・経験、そして戦場や極地にあっても自分たちで身を守り生き残ることができる実力もきわめて高いレベルで要求される。
その厳しい基準を乗り越えた者のみが名誉あるエンジェルフェザー正規部隊となるわけだ。
一方で、年齢や力不足によって正規部隊と認められない者であっても、志願し「見習い」として修行する者もいる。それがソエルなどの(天使としては)まだ若く未熟な世代である。
そんな天使の少年少女の中で憧れの的となっているのは、『救世の使い』と呼ばれる偉大なる癒やし手だ。
治せない傷はないと噂される『救世の使い』は、無神紀の頃からすでに活躍していたとされる大天使なのだと言い伝えられている。
ただし、何故か大人たちは、人知れず全ての人に癒しを与え続ける『救世の使い』の功績を褒め称えながらも、その所在や来歴について詳しく調べたり、その存在を声高に宣伝しようとはしない。それがますます謎めいた魅力ともなっているわけだが果たして、ケテルの天使たちがあえて距離を置きたがる『救世の使い』にまつわる真実とは、どのようなものなのか。今のところそれは明らかになってはいない。
エンジェルフェザーについては
→ユニットストーリー057「救命天使 ディグリエル」および《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
銀河英勇と超銀河基地“A.E.G.I.S.”、四輪車に乗る、見かけは幼児だが言動は大人の凄腕隊員ピュアリィ・アグノについては
→『The Elderly ~時空竜と創成竜~』
後篇 第1話 遡上あるいは始源への旅
後篇 第2話 終局への道程
を参照のこと。
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特に山頂付近ともなると晴れは少なく、ほとんどの日が曇りか雪だ。昼でも薄闇が続き、風は上下左右あらゆる方向から吹き寄せて、生命の根源である温かみを根こそぎ奪う。
そんな極限の世界、一寸先さえ見えない氷雪の嵐に挑む翼があった。
「越えてみせる!絶対に!」
それは天使だった。
齢は──人間に比べれば不老といっても良いこの種族としても──まだ若い。
「越えなきゃ!」
ぶ厚い氷壁のように感じられる猛風の圧力に耐えながら、少年はまた叫んだ。
天使が身体の周囲に張り巡らせる結界に守られてもなお、このあまりにも強烈な大自然の脅威の前では自分の声さえ聞こえない。びっしりと雪に覆われた翼はほとんど凍りついていた。身体が煽られ、朦朧となった目が閉じかける。
「僕には!……行かなきゃいけない……」
D3は山頂からの無慈悲な一吹きを止めに繰り出し、若き天使に叩きつけた。
「場、所が……」
白い世界が柔らかな闇に閉ざされる。
大望の翼はこうして墜ちた。
秀峰連なるドラゴニア大山脈を厚く覆って渦巻く、冬の嵐の中に。
Illust:眠介
「いっただっきまーす!」
炎竜の少年は焚き火に掛けた鳥肉に向かい、パンと手を合わせて破顔した。
今日の夕食はドラゴニアン・ターミガンの丸焼き。
下処理を終えた丸鶏を木の枝に吊るし、時間をかけてじっくりこんがり美しく焼き上げた。内臓を抜いた腹には香草を詰めてある。近くに熊でもいれば脇目も振らず突進してきそうな、食欲をそそる匂いがたちこめていた。
ごちそうの時間だ。
少年は──このフレイムドラゴンは二足歩行であり、そのシルエットも手を器用に使うことも人間とあまり変わらない──、舌なめずりしながら丸焼きに手を伸ばした。
その時である。
ヒュ──……
かすかな音。しかし、待ちに待った食べ物を前にデレデレだった炎竜は真顔に戻ると、速やかに体勢を整えて武器を持って立ち上がった。
研ぎ澄まされた厚みのある片手剣。
周囲への目配り、構えにも隙がない……ように見えた。
次の瞬間。
ゴッ・チーン!!!
もの凄い音と共に頭に激痛が走ったかと思うと、炎竜の少年は地面に倒れ伏した。
ぱっと目を開けると、炎竜は一動作で起き上がった。
さすが若いとはいえ竜の一員。失神していたのはほんの少しの間だったようだ。
見上げた空は夕焼けがかすかに残るだけの黄昏時。山の夜は早い。
頭頂部がズキズキ痛む。
殴られた?手を当てて見るが出血はしていないようだ。実はそれは目を開けた時からわかっていた。
地表は一面、真っ白な雪である。
「イタタ。オレ様としたことが奇襲食らったのかよ……って、オイ!?」
炎竜は後ろを振り向いて、目を見開いた。
そこには凍りかけた少年が焚き火の明かりに照らされて、ぐったりと横たわっていたからだ。
こうして天使と炎竜の2人は出会った。
山頂に嵐雲を戴く、D3の峰で。
Illust:北熊
「痛ってえな!テメェ一応、医者だろ?患者の扱い荒くねぇか、ソエル」
「あ、ごめん、アルダート。えっと……二足ドラゴンの打撲、頭部の治療法は、と」
ソエルと呼ばれた天使の少年は、どこからか取り出したぶ厚い本をめくりながら治療法を探しているようだった。患者を目の前にして医学百科を開きだす医師というのは、あまり心安まる光景では無い。
「だーっ!打ち身はこうやって冷やして直すんだよ!んな事も知らねぇの?!」
炎竜の少年アルダートは座り込んだまま、足元の雪を丸めるとぶつけた頭──またよりにもよって角の間、髪が生えている柔らかい部分にぶち当たってきたのだ。この天使野郎は!──に押し当てた。
「いや、でもホラ、ドラゴンには何か相性のいい薬とかよく効く神聖呪文とかあるかも知れないし。頭へのダメージって怖いんだよ。それに僕が落ちてきてケガさせちゃったワケだし、ここは慎重にね」
ソエルは1本指を立てて、にっこり笑った。よく気の回る、見るからに人の良さそうな銀髪の少年である。翼と光輪がなければただの人間の少年のようだ。
一方のアルダートはと言えば鼻息も荒かった。
このガキ、空からトペ・スイシーダ食らわせておいてなーにが慎重にだ。これが竜と天使でなければ2人ともオダブツだったよなぁ。そういやテメェはなんで頭、平気なんだ。その光ってる輪っかに仕掛けでもあんのか、あぁ?と物騒に細めた目が言葉より雄弁に語っている。
「さっきは温めてくれてありがとう。あのまま放っておかれたら、天使でもちょっとヤバかったね」とソエル。
「まぁちょうど火起こしてたからな。雪山で凍りかけた天使を焙ってみるのもオツなもんかと思ってさ。だがもしもオレ様の、この鳥の上に落ちてきたら……テメェ命は無かったぜ」
食うか?と鶏の手羽元を差し出す炎竜のアルダート。口ほどにも無くイイ奴である。
天使のソエルは笑顔で、ありがとう。でも大丈夫、食べ物はもってるからねと首を振った。
「ヘッ!天使のお口にゃ合いませんかねぇ」
皮肉っぽく言って、手羽元を口に放り込んだアルダートはバリバリと骨ごと平らげる。
「で?さっき自己紹介ってヤツで軽くは聞いたが、ケテルサンクチュアリの天使、それも天空の都のいいトコのお坊ちゃんがなーんでこんな冬山にアタックしてんだよ……おっ!それ神聖魔術の手当ってヤツか」
アルダートは牙をせせりながら、差し出された天使の手に頭を触られるままにさせている。
「うん、そう。まぁこれくらいのケガなら僕も治せるし……あぁ、質問に答えなきゃね。僕はこの先にある『エンジェルフェザー前線基地』に行きたいんだ」
「へぇ、ドラゴンエンパイアのこんな山奥に?」
「エンジェルフェザーは国境なき救護部隊だからね。あ、もうちょっと動かないでいて」
「……にしたって、わざわざD3の峰に挑むこと無いだろうによ。迎え頼んじまえば良かったんじゃねーの。天使のお仲間にさ」
ソエルは伸ばしていた手を引っ込めた。
「はい、終わり。2、3日は痛むかもしれないけど、骨にも異常なさそうだから」
「サンキュ。まぁ事情はよくわかんねぇけど、これも何かの縁だ。夜になっちまったんだし、そこで休んでこうぜ」
アルダートはD3の山腹に自然に形成された岩窟を指した。
「大騒ぎしちまったから、かわるがわるの不寝番も必要だしな」
炎竜の少年は夕闇の中、麓から聞こえてくる遠吠えに、ニヤリと笑って見せた。怖れているのでは無い。今夜生き残るかどうかも、力試しの一環なのだ。
お父様 お母様
僕には大きな望みがあります。
いつまでも見習いのままではなく正式なエンジェルフェザーとして世界中の病める人、傷ついた人を癒やしたいのです。
そのためにまず一人で、ドラゴンエンパイアにある前線基地に辿り着き、訓練を志願したいと思います。
できれば旅の途中であの『救世の使い』の情報も集めてみたいのです。彼を探しだし、教えを乞うために。
家宝の杖をお借りして行きます。
どうか僕のワガママをお許しください。
僕には大きな望みがあります。
いつまでも見習いのままではなく正式なエンジェルフェザーとして世界中の病める人、傷ついた人を癒やしたいのです。
そのためにまず一人で、ドラゴンエンパイアにある前線基地に辿り着き、訓練を志願したいと思います。
できれば旅の途中であの『救世の使い』の情報も集めてみたいのです。彼を探しだし、教えを乞うために。
家宝の杖をお借りして行きます。
どうか僕のワガママをお許しください。
ソエル
「って置き手紙してきたぁ?なーんだ、家出しといて遭難してんのかよ。オマエは」とアルダートは笑い、
「そう……」
ソエルは焚き火に照らされて輝く杖を見つめながら、悄気た。
2人が一晩の宿と定めたこの狭い岩窟に入ってから、アルダートがテメェではなく、オマエと呼んでいることにはまだ気がついていない。
「実はあの基地はケテルの天使でも、飛んで辿り着く者が少ないと云われる難所なんです」
「へぇ。エリートの集まりってワケか」
ドラゴニア大山脈の最高峰にあるエンジェルフェザー前線基地は、他国ドラゴンエンパイアにあってケテルサンクチュアリの民である救命天使たちが独立して医療救援活動をする為に、あえて敵も味方も近づき難い地点を選んでいるのだ(もちろんこの世界最高峰が連なる山々で遭難した者を救助するという目的もある)。
「すげえ高い所に目標を立てるのはいいと思うぜ。まぁ、このオレもさ……」
アルダートは一人称まで変わってきた。
狭い岩窟で肩を並べて話すうちに、オレ様などと斜に構える必要がなくなったのかもしれない。
「師匠の背中を追って旅を続けてるんだぜ」
今度はソエルがへぇと関心する番だった。
「剣のお師匠様、凄腕なんだろうね」
「そりぁもうなんたって『天下無双』だからな。このオレなんて、足元にも及ばねぇよ」
アルダートは焚き火の炎を片手剣でフッ!と切って見せた。
さりげない仕草だが、この狭さで危なげなく自在に剣を操るアルダートもまた相当の腕であると察せられた。
「師匠は高弟──これまたすっげえ使い手の竜のアニキたちでさ──さえも近くに置かないんだ。ただ一人『最強』を目指して修行し、自分を鍛え続ける孤高の人なんだ」
アルダートの竜の瞳に燃える炎をソエルは綺麗だと思った。
「僕が会いたいと願っている『救世の使い』もそうだよ。名声や他人の助けには頼らず、ただ病める人や傷ついた人を癒やすためにこの世界を放浪しているんだ。僕もいつか、偉大な彼みたいになるんだ、必ずね!」
ソエルは銀髪と光輪を振りながら熱弁した。こいつもアツイ奴だなとアルダートは横目で見ながら苦笑した。
「……やれやれ。オレたちはどっちも師匠を勝手に追いかけてる、弟子見習いみたいなもんか」
「そうかもね」ソエルも笑った。
じゃあさ、とアルダートは木の枝を火に投げ込んで天使に向き合った。
「ひとつ約束しようぜ」
「約束?」
「オレたちは憧れの師匠を追う。そして教えを乞うだけではなくて、『オレたちじゃなければできない何か』を探すんだ」
「『何か』って何さ?」
「だから『何か』だよ。だってオレにはこの剣、オマエにはその杖があるだろう。師匠の真似をするだけじゃなくて、その……探すんだよ!こうまでして追い求めてる、その先にある『何か』をさ」
出会ってからそれ程時間がたったわけではないが、ソエルが見るところアルダートという炎竜の少年は語彙が豊かではない。だけどぶっきらぼうに始まった出会いもそうだった様に、アルダートは“芯”があった。つまり自分というものがあって、情熱があって、困っている者は見捨てておけない(口は悪いけれど)、信用できる相手だと思える。ソエル自身が故郷の天空の都ケテルギアでは、ごく近所の付き合いを除けばあまり積極的に友達を作るタイプではなかったために余計、アルダートのそういう気質は心地よく感じられた。
「うん!そうだ!そうだね、約束しよう!」
「おぅ、約束だ!頑張ろうな!」
ソエルが神聖国家の良家の子息らしく優美に腕を差し出すと、アルダートは竜の帝国の武人の若者らしく力強くその腕を当てた。
笑い出す2人。
だが、片方はすぐに笑いを止めた。アルダートである。
「どうかした?」
「……しっ!」
口に指を立ててソエルの発言を止めた炎竜の目は今、活き活きと輝いている。
足で焚き火を崩すと、灯りは消えて岩窟の中には静寂と闇が支配した。
アルダートは、ジェスチャーでソエルに『着いてこい』と指示すると、入り口まで忍び寄った。
冬の空からは双子月の光が射し込んでいる。
山の中腹にある岩窟からは麓の景色がよく見て取れた。
「(なにかいるの?)」とソエルは声を殺して囁いた。
「(わからねぇ。だが、何かヤバイ気配がするぜ)」
アルダートが囁き返した時、眼下にそれが現れた。
Illust:Hirokorin
──超銀河基地“A.E.G.I.S.”。
ユナイト・ディアノスはスクリーンの1点を見つめていた。
ディアノスは銀河英勇でも指折りの物見である。
そんな彼の目に映っているのはスクリーンに浮かぶ惑星クレイ、夜の面。
暗い宇宙を背景とした巨大な球体のシルエットに、極小粒の宝石を散りばめたような美しい光景。
『気になるみたいだね』
ディアノスの頭の中に大人びた声が響いた。
顧みると、四輪車に乗ったピュアリィ・アグノがモニター室に入ってきた所だった。
見かけはほんの幼児の彼はしかし、その能力と知恵そして数々の功績により銀河英勇でも一目置かれるエリートである。
「ピュアリィ・アグノ」
「ゆあひと・てぃあのしゅ(ユナイト・ディアノス)」
銀河英勇たちは挨拶を交わす。
『引っかかっているのは、竜の帝国で起こっているハイビーストの失踪と恐慌についてかな』
とピュアリィ・アグノの思念。口がまだうまく回らない肉声と違って淀みなく深みのある知的な響きである。
「あぁ。お見通しだな。いつもながら」
『君は探究心旺盛だからね。僕と同じ』
違いない。ディアノスは苦笑しかけて、すぐに顔を引き締めた。
「知の探求者からの報告も見た。だが運命力の奔流の落ちた先は断定できていないし、今回のハイビーストの一件が関係あるという確証もない。我々の仕事はまるで、砂漠に落ちた一粒の“種”を探すようなものだ」
その例えが示すところを2人はよく知っていた。
『龍樹の件では遅れを取ったからね……危機に備えるために僕らに与えられる時間はいつもひどく少ない』
幼きアグノは四輪車の中でしかめつらしく頷いた。ディアノスは銀河英勇きっての知識人らしくある決意に瞳を煌めかせた。
「うむ。無駄足は覚悟のうえで事にあたらねばなるまいよ、ピュアリィ・アグノ」
『もちろんだよ。警戒レベルを上げ、地上の監視を強めよう、ユナイト・ディアノス』
「了解だ。全隊に通達する」
2人の銀河英勇はもう一度、母なる星に目を向けた。
太陽がクレイの地表を照らし始めていた。
時は移ろい、また朝が訪れる。
だが厚い雲に隠された気配、地上に蠢く闇に光が届くことはない。
いつかヴェールが剥がされる、その時まで。
Illust:まるえ
了
※註.山岳名のアルファベット表記は地球の言語に変換した※
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《今回の一口用語メモ》
エンジェルフェザーの正規部隊と「見習い」、『救世の使い』
エンジェルフェザーは、神聖国家ケテルサンクチュアリの医療救命組織であり、その活動は(同国がもっとも閉鎖的であった近年までであってさえ)国境の壁や敵味方を越えて、病や傷を癒し、苦しむ者を救うことであった。
こうした活動は当然ながら癒やしの技と知識・経験、そして戦場や極地にあっても自分たちで身を守り生き残ることができる実力もきわめて高いレベルで要求される。
その厳しい基準を乗り越えた者のみが名誉あるエンジェルフェザー正規部隊となるわけだ。
一方で、年齢や力不足によって正規部隊と認められない者であっても、志願し「見習い」として修行する者もいる。それがソエルなどの(天使としては)まだ若く未熟な世代である。
そんな天使の少年少女の中で憧れの的となっているのは、『救世の使い』と呼ばれる偉大なる癒やし手だ。
治せない傷はないと噂される『救世の使い』は、無神紀の頃からすでに活躍していたとされる大天使なのだと言い伝えられている。
ただし、何故か大人たちは、人知れず全ての人に癒しを与え続ける『救世の使い』の功績を褒め称えながらも、その所在や来歴について詳しく調べたり、その存在を声高に宣伝しようとはしない。それがますます謎めいた魅力ともなっているわけだが果たして、ケテルの天使たちがあえて距離を置きたがる『救世の使い』にまつわる真実とは、どのようなものなのか。今のところそれは明らかになってはいない。
エンジェルフェザーについては
→ユニットストーリー057「救命天使 ディグリエル」および《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
銀河英勇と超銀河基地“A.E.G.I.S.”、四輪車に乗る、見かけは幼児だが言動は大人の凄腕隊員ピュアリィ・アグノについては
→『The Elderly ~時空竜と創成竜~』
後篇 第1話 遡上あるいは始源への旅
後篇 第2話 終局への道程
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡