ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
日常生活で、自分が住んでいる街の名前の由来や謂れを意識する瞬間は少ないだろう。
ましてその名と実態に差がある場合は。
例えば、ケテルサンクチュアリの地上の都セイクリッド・アルビオンを「神聖なる白亜の都」と意味する所を知ってはいても、天空の都ケテルギアの繁栄に比べると(都を守る破天騎士たちや住民たちが彼の街をいかに愛しているかは置くとして)衰退し荒廃し煤けた古都としか見えない。
虫園スカポーロ。
ストイケイア旧メガラニカ地方東部の多島海にその街がある。
スカポーロは、かつて国際的犯罪結社メガコロニーの一大拠点となっていた場所であり、天輪聖紀の今、先の神聖王国の例とは反対にこの街は未曾有の好景気に沸いている。
これは、その住民構成もインセクト以外の者が増えてきた虫園の話である。
『ファルファラ!』
瀟洒なカフェから見下ろす大通りには市が立ち、休日ならではの賑わいを見せていた。空気には海港の潮と南国の花の香りが入り混じったエキゾチックな雰囲気が満ちている。
『ファルファラ(毎度あり。またきてください)!』
「偉人の死を悼む声にしては陽気であろうが、商売の挨拶にその名が使われるということは、故人が生前いかに敬われていたかが窺えるな」
バヴサーガラはコーヒーカップをソーサーに戻し、目の端をそっと拭った。
その表情に重々しい満足の色があるのは、“スカポーロの一服”と呼ばれる良質な豆と抽出法が自慢のコーヒーに、故人との思い出を重ねていたためかもしれない。いずれにしても「なぜ泣いているのか」などと無粋なことを訊きそうなもう一人の友、いつもは影のように彼女に寄り添う絶望の精霊トリクムーンの姿が今は見えない。
未来から顧みれば、この頃はまだ龍樹の予兆すら無く、率いる封焔の一党もまだ警戒態勢には入っていない。とはいえ「世界の均衡の監視役」を自認するバヴサーガラのこと、彼女がリノ宛てにリアノーンに会うように勧める手紙を送るまでの間、漠然とした不安を解消するために、トリクムーンと手分けして世界樹や運命力の異常について調査を始めていた時期だとも考えられるだろう。
「式へのご参列、ありがとうございました。母も本当に喜んでいると思います」
向かいの席に座る少女が頭を下げ、芳しく香る鱗粉がカフェの空気に漂って消えた。
「ファルファラは良き友であった。こうして立ち会えたは不幸中の幸い。私にできる事があれば何でも言って欲しい、ラスカリア。いやヴェレーノ組頭首と呼ぶべきか」
「そのことでご相談させていただきたくて、絶望の巫女バヴサーガラ」
ラスカリアは伏せていた目をあげ、思い切って声を上げた。背には羽、頭には触覚、身体は鮮やかな青、緑、黒色に彩られている。頭首と呼ばれた少女ラスカリアは、蝶のインセクトである。
「私を鍛えてほしいのです。あなたは絶望の救済者、封焔の指導者。一軍を率いる将であり、竜を駆る者。そして優れた武芸、絶大なる魔力、広い見識をお持ちの御方。母ファルファラはあなたを誰よりも尊敬し頼っていた。図々しいお願いかもしれませんが、どうか私にもお力を。この街すべてを統べる力を授けてください!」
「待て、ラスカリア。我が愛しき友の娘御よ」
少女の手を取ってなだめるバヴサーガラの目は慈愛と悲しみに満ちていた。その瞳はひょっとすると彼女の人間的な面を司る、リノリリの表情だったのかもしれない。だがラスカリアは若く情熱に満ちていた。
「引き受けていただけませんか、バヴサーガラ。それは私が……メガコロニーの子だからですか!」
「そうではない。それを言うならば私も見る者が見れば、世界の半分を背負い、絶望の群衆で世界を席巻した大悪人であろうよ。現在メガコロニーの多くが地域に根差し、共存共栄の道を選んでいることを私は知っている」
冷静過ぎるほどの返答に何を感じたのか、ラスカリアは恐縮した様子で詫びた。
「申し訳ございません!私とした事が、大切なお客人に大変失礼な物言いを」
「よいのだ。その絶望の巫女の我が言うことではないかも知れぬが、つい先日その名から退いた身として言わせてもらう。ラスカリア、汝はメガコロニーの希望。剣は恨みを晴らしたり覇道の達成のためでは無く、愛する者を守るために振るえ。これが母であり幼時から汝を鍛えた師匠である先代ファルファラから、私が預かった最後の言葉である」
「母が……そんなことを」
少女の目には──葬式の席でさえ気丈に振る舞いこらえていた──大粒の涙が盛り上がってきた。
「ラスカリア、汝の人生はいま始まったばかりだ。世界は可能性に満ちている。たった一人で縄張り争いの終結を図ろうなどと、少女が負うべきではない重荷で自らの未来を狭めることはない。今のまま穏やかな組の方針を受け継ぎ、現場の荒事よりも運営や対外交渉を担う者としての道を選ぶべきだろう」
「ですが!……ですが私は受け継ぎました。この夢幻剣を。母の形見を」
ラスカリアは顔を振って涙を弾き飛ばすと、窓際に立てかけた剣を担ぐようにして持ち上げた。
それは少女が持つにはあまりにも巨大な剣だった。
「重荷とあなたはおっしゃいました。しかし私はこれを重いとは思いません」
バヴサーガラは黙って心友の娘の次の言葉を待った。
「人には皆、背負うべきものがあります。そして母は、たぶんそのために私をこれまで鍛えてくれたのだと思います。ならば私は進んでこれを受け継ぎたい。自分のため、そして組のために」
「よくぞ言った」
バヴサーガラの答えは重々しく誠意に満ちていた。
「先代への信愛、長年の友誼。そして何より汝の心意気に応じ、汝の師となろう、ラスカリア」
「ありがとうございます!よろしくお願いいたします!」
少女はまた深々とお辞儀をして、この師匠への感謝と入門の挨拶とした。
続くラスカリアの呟きは、果たしてバヴサーガラに聞こえていただろうか。
「母様、見ていてください。あなたの愛したこの街は、私が必ず――」
こうしてラスカリアの新たな鍛練の日々は始まった。
──今から遡ること2年前のことである。
Illust:п猫R
──現在。
虫園スカポーロの街中心部、ヴェレーノ邸。
「ん~、よしっ!ミカジメ料の回収に行きましょうか♪」
元気なフィオリエの声が玄関に木魂した。彼女はシルフ、風の妖精だ。
「あまり張り切りすぎないで」
メリアルがたしなめて、いつものセリフを続けた。こちらはバイオロイド。種族こそ違えど、2人はその身に花を着けているのが共通している。
「わたしたちヴェレーノ組は法に依らず、義侠に篤く、武と智を以って、この街を……」
「今日もがっちり支配しちゃうのだっ!」
Illust:眠介
Illust:霜月友
フィオリエの言葉が無邪気すぎて思わずクスクス笑ってしまう2人だったが突然、背後から掛かった声に共に背筋がピンと伸びた。
「いいえ。私たちは守って差しあげているのです。この街とそこに暮らす人々の生活を」
「「ラスカリア様!」」
振り向いた先に、彼女たちヴェレーノ・ファミリアが忠誠を誓う美しきボスがいた。
落ち着いた物腰と声音は、彼女に18歳という年齢よりも遙かに大人びた印象を与えていた。母の死に打ちのめされていた2年前とは別人のようだ。
その背には大剣。古代世界において棒を束ねた斧が権力者の象徴だったように、ファミリアたちを束ねる頭としてこのヴェレーノの刃、夢幻剣が肩にある限り、彼女が代々受け継ぐ組の頭であることを見間違う者はいないだろう。
「私たち組とこの街の皆さんは一蓮托生。ですから、みかじめ料はお金ではなく感謝の気持ちとして有り難くいただくのです。くれぐれも失礼のないように」
「「はいっ!」」
「いつも苦労をかけるけどよろしくね」
最後ににっこりと年相応の笑顔で労うラスカリア。
シルフのフィオリエ、バイオロイドのメリアルは感激の涙すら浮かべながら、街に向かって一目散に駆けだした。
「良いお言葉で、お嬢」
邸の奥から現れたエラフスが、走り去る2人のヴェレーノ・ファミリアの後ろ姿を見ながら言った。
Illust:BISAI
組では頭に次いでほんの一握りしかいない幹部でありながら、自身の権威などよりもラスカリアのことを第一に考え、振る舞うのがエラフスだ。誰よりも信用が置けて、頼れる男だった。その低く太い声にも組織の柱として思慮深さと豪胆さが兼ね備わっている。
「おまえに誉められるなら上出来ということね、エラフス」
ラスカリアはまた硬い表情に戻って言った。
本当は母の代から続く頭の腹心として、また幼い頃から見守ってくれた年上の友達として、もっと砕けた言い方をしたいのだが人目がある場所では駄目だ。
組は縦社会である。例外を作ることは思わぬ歪みを生んでしまうのだ。
「恐れ入ります。ところでお嬢、今日からザイラスをお供させてください」
その言葉に応えるかのように、空中にぽん!と小さなハチ型の昆虫怪人が出現した。
「やぁ!ラスカリア様!ボク、ハニカム・ザイラスです、ヨロシク!」
ラスカリアの反応は冷たかった。
「もうお守りが要る年齢じゃないわ。それに私の腕は知っているでしょう」
巨大な剣を肩付けにするラスカリアに、エラフスは鍬形の角がついた頭を下げた。
「もちろん。お嬢の剣が先代と封焔の先生仕込みなのは知ってます。ただ最近妙な風体の連中が街をうろついてるんで、念のため。用心が肝心と先代もおっしゃってました。ここはどうか手前の勘を信じてください」
まぁいいでしょう、とラスカリアが肩をすくめるのを見てエラフスは、陽気にぶんぶん飛んでいるザイラスを横目で睨んだ。
「くれぐれもお嬢に失礼のないようによくお仕えしろ。それからボクはやめときな。おまえは正確には組の者じゃないが、ヴェレーノ組の昆虫怪人が素人衆にナメられちゃなんねぇ」
ザイラスは一瞬顔をこわばらせた(エラフスが目下に向かう時の顔は本当に怖いのだ)ものの、にっこりと笑って胸を叩いた。
「はーい!ボクにお任せ……イテっ!」
もちろんエラフスは指で突いただけだ。用心、くれぐれも用心と繰り返しながら。
出入りとあれば鍬形の槍一本でバッタバッタと強きを挫くエラフスの剛腕は、剽軽な弱者相手には決して振るわれないものなのだから。
Illust:匈歌ハトリ
カフェの前の大通りは今日も賑わい、店内は芳しいコーヒーの香りに包まれていた。
2年前のあの日と同じように。今回の相席は封焔の巫女ではなく小さなインセクトだったが。
「ふーん。それで親分はあのバヴサーガラに剣を習ったんだね」
「親分はやめて。2人だけの時は呼び捨てで良いわ。あなたは組の人じゃないんだから」
ザイラスの呼び方にラスカリアは苦笑いした。組員の前では保たれなければならない鹿爪らしい立ち振る舞いも、マスターからギャルソンまで家族のように馴染んで、歴代の頭に専用の席をいつでも用意してくれるこの店では不要だ。
「じゃあ、ラスカリア。それにしても島一つを仕切る組の頭って大変そうだね。僕がキミの姉弟なら剣を持たせるんじゃなくて、絶対リリカルモナステリオへの入学を勧めるよ。アイドルよりキレイだもん」
ラスカリアはまた表情を硬くするとカップに注がれたコーヒーを見つめ、何も答えなかった。
「……ごめんなさい。ボク、またやっちゃったね。ラスカリアの気持ちも考えずに」とザイラス。
「いいのよ。『夢幻剣』は代々の頭首が受け継ぐ組の宝。この島を統べる権威の象徴。はるか昔からこの剣をめぐって多くの血と涙が流されてきたそうよ」
ザイラスはぞくっと身を震わせた。
怒声や剣戟、侠客同士、この楽園のような島を血に染める抗争の地獄絵図が思い浮かんでしまったのだろう。
「組の運命に生まれた。だから私は誰よりも強くなれと育てられた。母様との思い出は剣の稽古ばかり。教わったのは、剣の真。刃を握り、血の道を往く者としての心延え」
ラスカリアは目を閉じて回想に浸っているようだった。
Illust:п猫R
「すごいお師匠さんだったんだね」
「それはもう厳しかったわ。甘えられたのはごく幼い頃だけね。……でもこうして受け継いでみるとわかる」
Illust:п猫R
「母様……先代が教えたかったことはたぶん、自分一人でも生き残っていけるようになるための強さなんだって。先代が組同士に不可侵協定を結ばせるまでは、抗争が一番激しい時期だったから。……きっと残された時間が少なかったことを知っていたんだと思う」
うーん、とザイラスは腕を組んで唸った。感心しているのだ。
「すごいね。最高の贈り物だよ。ボクなんて雇ってくれる人を探しながら気の向くまま、昨日はあっち今日はこっち、って暮らしだもの。組織だとか縄張りだとか島の権威だとか、全然わからないよ。関わりたくもないし」
「そうね。そう願うわ。あなたがこの後こんな怖い世界と無縁であることをね、ザイラス」
ラスカリアは少し寂しそうに笑った。
この島の組の長として、剣客として辛いことはただ一つ。友達が長続きしないことだ。相手の事を思えばこそ。
「で、噂のバヴサーガラには何を教わったのさ」
ザイラスはラスカリアの表情には気づかず、無邪気に尋ねた。封焔の将としての武力・軍事力、各国要人との交流・発言力、魔力、そして若々しくミステリアスな美貌と、天輪聖紀におけるバヴサーガラはどこにいても一挙手一投足が注目される世界的な有名人なのだ。
「必殺技、かな」「必殺技?!」
ザイラスが素っ頓狂な声をあげた、その時──。
眼下の通りに異変があった。
最初はざわめき、そして怒声と悲鳴。
ザイラスが気を取り直した時、テーブルの向かいにいたはずのラスカリアの姿は既に消えていた。いつものように壁に立てかけてあった大きな剣とともに。
Illust:山崎太郎
「おら!どけーっ!」「どけどけー!」
ついさっきまで活気と喜びに満ちていた通りの空気がピリピリとささくれ立っていた。
胴間声で喚いているのは2体のサソリ型昆虫怪人、シザーズ・スコーピオだ。
「おい!テメー、リベリオン組の縄張りでなに勝手やってくれてんだ?あぁ!」
屋台の台がかぎ爪でひっくり返されると、スカポーロ名産の色鮮やかな果実が道路に転げ落ちた。
また悲鳴と嘆き、抗議の声が通りにあふれた。
「ここはヴェレーノさん所だ。勝手してるのはそっちだろう!」
「うるせぇ!頭がいなくなって2年にもなるんだ。下っ端がチョロチョロ走り回るだけでケンカもできねぇ腰抜けどもが」
「仁政のヴェレーノ組とか聞いて呆れるぜ。今日からここら一帯はオレたちのもんだ。ショバ代よーく貢げよ。ヘっヘっヘ!」
街路は絶望に彩られていた。
「お待ちなさい」
その声は澱みかけた街の空気を吹き払う爽やかな、しかし強い風のようだった。
人垣が割れると、そこには一人の美しい少女が立っていた。
すらりとした肢で大地を踏みしめ、背には青緑黒の羽、同色のドレス、そして肩には『夢幻剣』が担がれている。
「リベリオン組のお兄さんがた。ちょっと目に余るお振る舞いじゃありませんか」
「来たぜヤツが」「予定より早いがな」
サソリ型昆虫怪人2人はひそひそと囁き交わしてから、また声を張り上げた。
「よォ、蝶々とお花組の姐ちゃん自らお出ましですかい」
「まーた女だてらにそんなでっかい剣持ち歩いて、重くなーい?」
「この剣の重みはこの街を守る責任の大きさ」
すいと音もなくラスカリアは前進した。
「そしてこの剣は、民に平和と安心をもたらすために鍛えられた」
「な、なにっ?!」
サソリ型昆虫怪人の1人が声をあげた時、ラスカリアの剣の鍔近くが彼のノド元に当てられていた。
「見えなかったぞ……近づいてくるところなんて」
怯えたように呟くもう1人のシザーズ・スコーピオもまた動きを封じられていた。剣の切っ先は彼の腹に当たっている。ラスカリアがこのまま刀身を擦り上げれば、二人まとめて両断されるだろう。
Illust:п猫R
「裁かれるは往来を騒がせた罪。この落とし前は手前の命で。それが筋と云うものでしょう」
この台詞を美しい少女の声で淡々と言われると凄みがあった。怪人2人は声もない。
「おまえたちには聞きたいことがある」
ラスカリアの声は力みもなく穏やかだったが、今この体勢で巨大な剣をぴたりと静止させていることを考えれば、恐ろしいほどの技量と体力、そして余裕だった。
「お前たちの親分は、協定を破り私にケンカを売ればこうなると知っていた。互いの領分を守っていれば共存共栄、出入りなど時代遅れの解決法でしかない。なぜ今わざわざ平和を乱そうとする」
「それには僕がこたえてあげよう」
静まりかえった道路に笑いを含んだ声が響いた。
カフェのテラス席から紅茶のカップを飲み干して、一人の青年が立ちあがった。
頭の触角の形でわかる通り、彼は蛾型昆虫怪人だ。
「妙な気配がすると思っていた」
「あ、お気に召しませんでしたか、僕の鱗粉。まずはお嬢さん、そのザコ2人を離してやってくださいよ」
ラスカリアは剣を引いた。
腰を抜かしたシザーズ・スコーピオたちは情けない声をあげて転がるように蛾型怪人の背後へと隠れた。
「言え。ここを私たちヴェレーノ組の縄張りと知って、なぜ騒ぎを起こした」
「あなたですよ」「なに?」
蛾型怪人はにやりと笑った。
「自己紹介が遅れました。1旬前からリベリオン組の現場を仕切らせてもらってます、アクチアスティッキーと申します」
「妙な名前だ。気配同様」
ラスカリアの返答にアクチアスティッキーは笑った。
「これはキツイ。いやしかし、こうしてお会いしてみると噂以上にお美しい、お嬢」
「その呼び名は組にしか許していない。それより目的を言いなさい、約束よ」
これは失礼、とアクチアスティッキーは皮肉っぽく会釈をした。
「僕がヴェレーノ組の杯を受けた時、ひとつ質問して提案もしたんですよ。この島一番の宝とは何か。そして僕がそれを組にもたらしましょう、とね」
「……」
「この島の宝、言うまでもありませんよね。それはあなたです、お嬢さん。美しきラスカリアとその剣だ。そしてそれがもたらしているこの島の繁栄だ。僕はそれが欲しい」
「それって大それた望みだと思わない?」
ラスカリアはまた肩で剣を担ぎながら言った。この担ぐという動作はどうやら重いからではなく、この位置から剣を第3の羽のごとく軽快かつ自在に操る、バヴサーガラ直伝の型らしい。
「言うこと聞かないと斬ります?野蛮だなぁ」
アクチアスティッキーはそう言いながら低く飛んで、ラスカリアの左へ──右利きの剣先の到達をわずかでも遅くするポイントとしてはこれが定石である──と回った。白く不気味な鱗粉が周囲を舞い、通りに詰めかけた観衆をむせ返らせた。
「!」
「そうです。毒ですよ。ま、死ぬほどじゃないですが肺がちょっと苦しくなりますよねぇ。特にあなたを慕ってこの島に集まってくる“昆虫以外の生き物”には」
許せない。ラスカリアの呟きが毒蛾怪人には聞こえたようだった。
「そう嫌わないでくださいよ。これから長い付き合いになるんですから。だってどんなにケンカを売ってもうちの組を潰すことはしないんでしょう、あなたは」
「……」
「共存共栄、ですよね。平和主義の弱点はそこです。禍根は元から絶たなきゃ……ホラ、こんな風に!」
シュル!という音は可聴域のはるか外だった。
ほとんど音も無く伸びてきた糸がラスカリアの肩の剣にからみつく。
「くっ!」
それがただの糸ではなかった証拠に、ラスカリアが剣を振っても、本来は鉄から紙までをも断つ刃が切れ味を示すことはなく、さらにその糸は妙な粘性を帯びて絡みつきラスカリア自身の動きを封じつつあった。
「どうです。厄介でしょう。僕の名前まだフルネームで紹介してませんでしたね。粘糸怪人アクチアスティッキーです。どうぞお見知りおきを」
Illust:瀬名まさき
「……!」
「斬れないですよね。大丈夫、うちの組にお連れしたらほどいてあげますよ」
元気を取り戻したサソリ型怪人2人が、捕らえようと駆け寄ってきたのを、ラスカリアは鮮やかな体捌きと前蹴り、横蹴りを見舞って撃退した。大の男、暴れん坊の昆虫が、腕と剣の自由を奪われた少女にそれぞれ一撃でのされたのに観衆から喝采があがる。
「ほほぅ、やりますね。封焔の巫女が教えたのは剣だけではなかったのか。そうそう、運命者のことも後で聞かせてもらいますよ」
「! なぜそのことを?」
運命者という言葉に反応したのはラスカリア一人だった。誰も知るわけもない言葉である。
「組ってね、力の話題には敏感なんですよ。3日前、あなたを尋ねたあの封焔の巫女がこっそり話してたでしょう。これから何人も世間を揺るがす力の持ち主が現れるって。そのための協力を、メガラニカの有力者としてのあなたにも求めていた。あなたはもちろん快諾した」
「聞こえていた?」
「他の人には無理でしょうが、ホラ、僕って超音波も感知できるんですよ。密談は不可能なんです」
とアクチアスティッキーは自分の頭の触角を指差す。
どこか遠くで叫びがあがっていた。それは近づいてくる。
「……ふむ。ちょっと時間を掛けすぎましたか。こんな短い間で親分の危機に対応できるなんて、あなたいい子分をお持ちだ。僕はといえば借りられたのはそんな役に立たないサソリ2人ですよ、実に羨ましい」
ザイラスが機転を利かせ、応援を呼ぶため邸に飛んだのだろう。
「さて次の一吹きで視界も口も閉ざされます。何か言い残しておきたいことは、お嬢?」
「呼ぶな」
「はい?」
「その名で私を呼ぶな!」
ラスカリアの叫びにアクチアスティッキーは嘲笑うと、口から粘糸を吐き出した。
それが断たれる。
「斬られた!?」
粘糸怪人は驚愕した。腕も剣もがっちりと糸にからめ取ったはずなのに。
ラスカリアは解き放たれていた。たった二振りで剣も身体も、あの粘る糸から。
剣の本当の切れ味と鍛え上げた膂力をも隠していたのだ。
「そう。あなたとリベリオン組の目的を知るために」
全ての糸を断ちきって舞うラスカリアの姿は
「美しい……ふっ、また見事にだまされましたね、この僕も」
皆まで言わせず、ラスカリアは跳躍した。
その剣が左から振り下ろされるのを見た時、周囲を舞う青い蝶の幻影の中で、アクチアスティッキーは夢見るように呟いた。
「両利きの剣士とは……まただまされた」
『夢刃泡影』!!
「夢見るままに、散華なさい!」
ヴェレーノの刃、夢幻剣が振り下ろされた。
Illust:п猫R
「用心と申しましたでしょう、お嬢」
ヴェレーノ・カポレジューム エラフスはやれやれとその鍬形の頭を振ると、
「でもボク、役に立ったでしょう。えへへっ」
ハニカム・ザイラスが嬉しそうに組の面々の間を飛び回った。
「ありがとう。心配かけたわね」
ラスカリアはそう言いながら、渡された柔らかい布で剣を清めていた。
「なんで生かしておいたんです」
とエラフス。七生まで守護を誓った、命より大事なラスカリアの身を脅かした敵には怒りしかない。
「片腕一本は落とし前としては軽くないでしょう。それに……」
地面に落ちていた粘糸怪人アクチアスティッキーの右腕が泡となって溶け、夕陽の下に消滅していった。
「メガコロニーの怪人ならば再生能力もまた持っているはず。懲りずにまた来れば、斬るだけのこと」
組の頭らしい凄みのある言葉に、2人のヴェレーノ・ファミリアがまた感涙にむせぶ。もちろんラスカリアが無事だったことの安堵も泣き崩れる理由だ。
「ともかく相手の狙いが分かったことですし。色々と備えませんと」とエラフス。
「その前にバヴサーガラ様からの依頼に応えねばなりません。配下を総動員して、運命力の異常についての情報を集めましょう」
「はい。それが封焔の先生のお望みなら」
「よろしく。愛しているわ、みんな」
ラスカリアの心からの言葉に、ヴェレーノ・ファミリアと群衆が一斉に頭を下げた。
虫園スカポーロにヴェレーノ組あり。
美しき夢刃の剣姫ラスカリア・ヴェレーノに民と配下の忠誠篤く、南海に今日も安堵の日が暮れる。
了
※権威の象徴としての「棒を束ねた斧」は惑星クレイ世界の古代にも同様の風習があった。コーヒーについては地球で似た製法の飲料の名称を借りた。なお侠客が親分子分の契りを交わす杯事も、メガコロニーの一部では慣例化している※
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《今回の一口用語メモ》
虫園スカポーロとヴェレーノ組
ヴェレーノはストイケイアの西部に名高い組である。
その頭首は代々、権威の象徴である『夢幻剣』を受け継ぐことから「ヴェレーノの刃」という名でも恐れられる。
その歴史は元々、国際的犯罪結社メガコロニーの有力者だった初代ヴェレーノ頭首が同志と共に、無神紀の衰退と混乱の中、すべての種族が助け合って暮らす理想郷としてスカポーロ島を占拠し支配したことから始まる。
だが独立後もメガコロニーの常で、組同士の裏切りと抗争の日々が続き、長らく初志が実ることはなかった。
果てしなく続くかに見えた不毛な抗争の中、インセクトだけでなく、妖精やバイオロイドなど他種族からも広く人材を求め、今までは搾取されるだけだった住民との協調を図ったのが、ラスカリアの母、先代のファルファラである。いわゆるミカジメ料は低額に抑え、それ以上の保安・経済・インフラへの貢献を組が担い、民に恩恵をもたらす。こうしてヴェレーノ組と頭首にとって、犯罪組織メガコロニーの名は“かつて所属していた”という関係となり、縁は切れたと見なされている。
ラスカリアの施策は成功を収め、民衆から支持を集めたヴェレーノ組は虫園スカポーロに堅固な基盤を持つ、この島最大の組となった。
だが犠牲もまた大きかった。
ラスカリアの母ファルファラは単身で街を視察中に、何者かの襲撃を受けて深手を負い、それが原因となって亡くなった。
悲しみにくれる娘ラスカリアを支え、その願いに応えて、いかなる邪な企みにも屈することのない剣技と精神を鍛え上げたのが、母の心友でもあった封焔の巫女バヴサーガラである。
様々な武器・武芸に通じるバヴサーガラがラスカリアに授けたのが必殺剣「夢刃泡影」。
夢幻剣に秘められている力を引き出すこの奥義は、長い年月の中で忘れられ失われていた技だったが、歴史に通じるバヴサーガラはこれを知って(または実際にこの技が振るわれるのを見て)おり、現代のラスカリアに継承されることとなった。
なお犯罪組織としてのメガコロニーを捨て、民との融和を図った初代ヴェレーノ頭首が、大賢者ストイケイアの高弟だったのではないか、またこの夢幻剣の持ち主が晩年のストイケイアの近くに仕え、彼の異才や発明を奪おうと敵も少なくなかった大賢者を、ワイズキューブの完成まで守り通した女英雄であったという噂については、バヴサーガラは沈黙を守っている。
真実であったとしてもまたそうでないとしても、それが現ラスカリアとヴェレーノ組、虫園スカポーロに不必要なほどの注目を集めたり、夢幻剣にさらなる価値を付加させて騒動の種になることを避ける意図があるものと思われる。
メガコロニーとインセクトについては
→ユニットストーリー080「終わりの始まり」と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
絶望の受け皿としてのバヴサーガラ、南極のグラビディアンとの関わりについては
→ユニットストーリー108「ゴアグラビディア ネルトリンガー・マスクス」を参照のこと。
バヴサーガラがコーヒーを好むことについては
→ユニットストーリー117「滅尽の覇龍樹 グリフォギィラ・ヴァルテクス」を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡