ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
134 運命大戦第8話「禁忌の運命者 ゾルガ・ネイダール」
ストイケイア
種族 ゴースト
みんな、大時化の夜に船で乗り出したことあるかな。ないよね、たぶん。今後も荒海とは縁がないことを心から祈るよ。特に幽霊船とか怪雨の降霊術師なんていうのは避けること。絶対つきあっちゃダメだよ。
そんなわけで、それを避けられなかった私こと継承の乙女ヘンドリーナは、突然巻き起こった嵐の真っ只中、甲板から振り落とされそうになりながら怪物たちと共に船の舵と必死に格闘していた。
嵐の海、しかも夜の外海ってさ、これはもうトラウマものの光景なんだ。
大雨大風稲光。
漆黒の海面は山のように盛り上がったかと思うと突如、谷底へと続く奈落を滑り落ちる。
リグレイン号は着水していない船だけど、これほどの嵐ではいつまで保つのか。本職の舵取りは何やってるのよ!?
Illust:ガマゾウ
甲板当直に上がっていた業臨の怪魔に手振りで「舵を取れ」と押しつけると──こいつはでっかい上に怪力なのでこういう時は頼もしい。外見は……かなりグロいけど──、私は雨と波が滝のように襲い来る甲板を泳ぐようにして渡りきり、船長室の扉をノックも無しで叩き開けた。
バンッ!
そして啖呵を切る。
「いいかげん甲板上がれ、ボンクラ船長!ぼやぼやしてるとこの船沈むよ!今すぐ嵐をなんとかしなッ!」
テーブルで来客と向かい合っていた船長は、この部屋の床の半分近くを占める蠢く触手の中でにやりと笑った。……あ、この触手についてはまた改めて。いまは一刻を争う切迫した状況なんだから。
「ちょうど良かったな、副長。禍啜りを使って呼びに行かせるところだった。が、まず扉を閉めろ」
「よォ姉ちゃん、久しぶりだなぁ。ま、とにかくその扉閉めな」
私は慌てて船長室の扉を押して嵐の雨と風を閉め出した。で、2人に振り返る。憤然と。
「ちょっと!どうしてあんたがここにいるのよ!カジノのおっさん!」
それに応える深淵竜のバカ笑いは広くもない室内に轟くようで、私は思わず耳を塞いだ。うわぁ今気がついた。部屋が葉巻臭い~。
「ドン・グリードン!そう呼べって言っただろう、姉ちゃんよォ。それとまた口悪くなったんじゃねぇか?」
強欲魔竜グリードンはガハガハ笑いながらそう言った。
ぐぬぬと私は黙り込まざるを得なかった。痛いところを突かれた。
そうだ。自分でも最近、どんどん柄が悪くなっている自覚はある。この船に長く居すぎたせいだ。わかっている。わかってる!海賊相手のケンカとか荒っぽいことについてはそりぁもう船はパワフルなバケモン揃いなんだし、後は任せてこの船を降りると私は言っているんだ、何度も。でも辞めさせてはもらえない。ネオネクタールのお偉いさんも天輪聖紀始まって以来の優良案件だの、ドラゴニア海の奇跡ペアとか言って煽ててくるし。けど知ってるんだよ私、うちのクランがこの船からすっごい額の寄付もらってるの。
「うっさいのよ!だいたいダークステイツ暗黒街のラスボスが根城の魔帝都D.C.空けてて良いわけ?!」
「オレは呼ばれてわざわざ来てやったんだ。大いにもてなしてもらわなきゃなぁ。ほれ、ウィスキー」
空のグラスを差し出すおっさんことグリードン。注げってこと?この前はブランデーじゃなかった?私はフン!とそっぽを向いた。欲しけりゃ自分で棚から取れば。女の子にお酌させるもてなしなんていつの時代の話?こっちは泣く子も黙る花の副長なのよ。
「それで副長。嵐がどうとか言っていなかったか」
とあいつ。私ははっと背後の現実に立ち返った。
「そうよ、嵐よ!みんな必死にやってるけど、浸水は深刻。山と積まれた積み荷と酒の状態も確認しなくちゃ。そもそもこのままじゃ難破するわよ!」
「慌てるな、副長」「そうだ。落ち着け、姉ちゃん」
なんだかよくわかんない成り行きだけど、私は2人になだめられた。これが落ち着いていられるかっての!
「もう一度外を見て見ろ」「はぁ?何言ってんの?」
私はこいつの触手を初めて見た時くらい目一杯のハァ?顔をして、背後の扉を開けた。
……夜の海はほとんど凪いで嵐などどこにも無かった。
嘘のように。
目が点になった私に、背後からあいつの声が聞こえた。
「『虚空を満たせよ屍の呪印』。ここ以外の周辺の海を大時化にしてオレの船に近づけぬようにした。これからやる事を外野に邪魔されたくないからな」
私はがっくりと肩を落とした。怒りに身体がぶるぶる震え始める。
「……そのためだけに、船を、危険にさらしたの」「大丈夫だっただろう、加減したし」「そうだよなぁ」
「……で、そこのおっさんと酒飲んでたんだ。またそんな姿で」「これは運命者として私が禁忌に挑む誇るべき変化。いわば正装だぞ」「あとドン・グリードンな、姉ちゃん」
こ、こいつら!と私が爆発しかけた。
その時だ。船長の声が凜とした命令口調になったのは。
「そこで君の今日の任務だ、ヘンドリーナ」「は?」
「今から私はドン・グリードンと重要な商談に入る」「はぁ」
「ついては両者の契約の証人となり、その媒酌を頼みたい」「あんたたち結婚するの?」
「違う。酒は厳粛な誓いの証だ。国を背負う丈夫2人の杯を媒するのは名誉なことだぞ、副長」「国を背負う?丈夫?ハッ!笑わせるわねぇ……で、それってつまり?」
「酌だ。ウイスキー」と強欲魔竜は杯を突き出した。
「僕にはラムを」と禁忌の運命者も空になったビンを振った。
テ、テメェら……。
苛立ちが頂点を越えた。
私の声にならない怒声と、男2人の笑い声が大海原に響き渡った。
Illust:木下勇樹
──さて、気を取り直して。
2日前のことだ。
「あれ。キミは誰君かな?」
私こと継承の乙女ヘンドリーナはいつもの見回りで、甲板に見慣れない竜が停まっているのに気がついた。まぁ船長のあいつが勝手に竜やらゾンビやらゴーストやらを船に参加させちゃうのは、よくある事だ。
「よしよし。大人しいね。……んー、でもキミの特徴は確か」
ちょうどその時、声が聞こえたので私は船長室の方へと向かった。
見れば扉が少し開いている。珍しい。
ドロドログログロの生命と死の実験に励むゾルガは、降霊術師としては超秘密主義なので実験中は鍵を掛けて私でも立ち入る事を許さない。そして今は、いつもの船の時間割からするとその実験中のはずなんだ。
「ではどうしても実験は止めぬと?禁忌の運命者」女性の声。お客さんかな。
「そうだ」こちらはいつものあいつ、この船の船長の声。
「汝がいま挑み超えようとしているのは“世界の理”だ。成功しても失敗しても均衡を崩しかねない」「理解している。だが僕は止めるつもりはない」
「私がこれほど言ってもか」「警告は受け取った。依頼の件は検討してみるが、実験は何としても続ける」
「……決裂だな。では貴殿が暴走するようなことがあれば私と我が封焔一党がお相手する。良いな」「承知」
ケンカ腰だけど何の話なんだろう。誰と話しているのか。私は細くあいた扉の隙間に耳をそばだてた。
「失礼」
穏やかな声。でも急に扉が開けられたのにはびっくりしてしまった。
目の前に綺麗な女の人がいた。年齢は若いように見えるけれど、何歳かはわからない。
黒と青の装い。羽根持つ冠。なびく黒髪。吸い込まれそうな紺碧の瞳。全身を包む圧倒的な魔力。
その女は言った。
「こうして直に会うのは初めてだな。バヴサーガラだ」
「バヴサーガラさん……って、あの封焔の巫女?!」
私は息を呑んだ。あの竜はやっぱり封焔竜アーヒンサ。アーヒンサはこの人の騎乗する竜として有名だ。
「ごめんなさい!立ち聞きするつもりは……」
「いや聞かれていたのは知っていた、ヘンドリーナ」
「どうして私の名前を?」
「伝説のギャンブラーにして悪徳カジノを滅ぼした女英雄、空飛ぶ幽霊船リグレイン号副長ヘンドリーナ。オルーク・パラダイスの一件は世界的なニュースとして広まっている。もっともその前から私は汝を知っているがな。トランスの商館には伝手があるし、同じ水晶玉ネットワークのメンバーだ」
あぁと納得した。この船に乗ってずいぶん経つけれどネオネクタールの管轄から言うと私は港町トランスにあるネオネクタール商館の所属のままだ。それにしても、同じ水晶玉ネットワークメンバーとは言っても、私は下位チャンネルの末端として利用しているだけだ。多忙なこの人がそれを覚えているとは凄すぎる。
「そんな女英雄だなんて……」
てへへと私は照れた。ここで立ち位置に気づく。
「あの、お帰りですよね。お送りします」と私。
「放っておけ。そんなお節介は」
どこかで船長室の主らしき声がしたような気がするけど思いっきり無視して、私は賓客ををエスコートした。
Illust:山宗
アーヒンサは離艦するために舳先へと回っていたので、船を覆う雨雲の下、私は憧れのバヴサーガラさんと歩きながらたっぷりお話することができた。
龍樹侵攻での活躍のこと、天輪の巫女リノさんとの友情、各国の英雄との親交などなど。夢中でお喋りする私に、封焔の巫女は好意的な微笑を浮かべながら付き合ってくれた。堂々として威厳もあるのに気配りもできる素晴らしい人だ。どこかの幽霊船船長とはえらい違い。まぁ追いつけるのは顔が良いくらいかな。
「見送り感謝する。……ヘンドリーナ」「は、はい」
手を振る私に、アーヒンサに騎乗したバヴサーガラさんは向き直った。
「辛いことも多かろうが、どうか頑張って欲しい」
「ありがとうございます!」
「特にゾルガだ。彼の野心は世界の均衡を危うくする。暴走するならば我々が介入せざるを得ない」
「それさっき、ちょろっと聞こえちゃいました。色々すみません。ああいうヤツなので。頭のてっぺんからつま先まで本物の悪党なんです。何すねてるか知りませんけど私、後で〆ときますから」
バヴサーガラさんは驚いたことにくすっと笑ったようだった。まさかね。封焔の巫女が女の子みたいに笑う?
「汝こそゾルガとこの船の良心、均衡を司る者だ。汝がここに来た理由、現在ここにいる意味、そしてここで迎える未来にも繋がっている」
なんだか難しい。でもすごく誉められているのはわかった。最高の気分だ。
「これから何があっても何を見ても、その強さを失わないで欲しい。……ではさらば。また水晶玉で会おう、ヘンドリーナ」
「はい!お会いできて光栄でした!」
思わず敬礼しちゃった。バヴサーガラさんが離艦する寸前、お返しに片目をつぶったように見えたのはきっと気のせいだろう。それともあれは噂に聞く封焔の巫女の人間としての人格、リノリリさんだったのかな。
……さぁて、おしおきの時間だ。
バヴサーガラさんの機影が見えなくなるまで見送った私は、闘志を燃やして船長室にずんずん歩み寄った。
あんなに世界とこの惑星に生きる者のことを親身に思ってくれているバヴサーガラさんに心配かけるなんて、絶対許さない。〆てやる。
バンッ!
私は閉じかけていた重い扉を蹴り開けた。……あ、いま振り返るとやっぱり荒っぽくなってるね、私。
「ノックぐらいしろ」
私は凍りついた。
それは、あいつの無愛想すぎる口調でも、船長席で不機嫌そうにふんぞり返って答える(失礼だよね)格好でも、来客があったのに実験装置と羊皮紙でごちゃごちゃの室内の様子のためでも、なかった。
原因は、ゾルガの腰から下だ。
ゾルガの身体のあちこちはもともと人間の形ではない。それは見慣れてるし耐性がある。
でもその肢。8本ある。それが軟体でうねってる。
「あ、あ……」
私はどんな顔をしていたのだろう。どんな反応をすれば良かったのだろう。
沈黙は長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
私は後ろ手に扉の鉄輪を探ると、急いで部屋を飛び出して、勢いよく閉めた。
「失礼しましたっ!」
Illust:増田幹生
話は現在に戻る。
ドン・グリードンはまだ笑っている。おかしくてしょうが無いらしく、巨体をひねりながら涙まで流している。
「そ、それで姉ちゃんは逃げたわけだ。そうだよな。こいつがいきなりイカだかタコみたいになったら錯乱するよなぁ」
「ホント!びっくりしたわよ、もう」
私は蜂蜜酒のジョッキをぐいと傾けた。普段はやらないしお行儀良くしたい所だけど、2人だけ飲んでるのを見るのも腹が立つので、当艦バイオロイド組醸造による名酒の封を開けたというわけ。
「失礼な話だ」
ラム酒のビンを傾けていたゾルガがぼそりと言い、ドン・グリードンはさらに笑った。いいかげんうるさいし葉巻が臭い。
「それがおまえの運命者としての姿なんだって?ゾルガ」
ドン・グリードンがそう言いながらグラスを突き出すので、またウィスキーをドボドボ注いでやった。それをまたうまそうに飲み干す。
「てことは声は聞いたかい」
ゾルガは目を見開いた。ちょっと驚いたようだ。こういう顔は珍しいので、私はまじまじと見てしまう。
「知っていたのか」とゾルガ。
「噂だよ、噂。なんでも運命者に選ばれたヤツには名前と“声”が降ってくるんだと。ま、その顔を見るとどうやら事実らしいな」
へー。私はちょっと朦朧としてきた頭で感心した。これだけ飲んでるのにカマかけてたのか。古狸だね、ドン・グリードン。
「で、なんなんだ。このオレ様に頼みたいことってよ」
「龍樹の仮面はまだ持ってるか、グリードン」
おっと、それはいきなりな質問じゃない。
「いや。あれは捨てた。ブルースとの男の約束だしな。オレの部屋でただの飾りになってるぜ。テメエが勝手に使いやがったあの金貨を飾るはずだった場所になぁ!」
ドン・グリードンの声が凄みを増した。みんなお酒飲んでるからあまり気がついていないけど、この船の個室としてはすごく広い船長室がゾルガと私、でっかいグリードンとで今はかなり狭苦しい感じだ。
「俺とおまえは悪と悪。持ちつ持たれつだ」とゾルガ。
「今回は、ちょっとどころじゃない貸しだと思うがなぁ」とドン・グリードン。
ん?あれ?パガニーニ金貨とオルーク・パラダイスの一件は確か『オルークの悪徳カジノを潰す代わりに、グリードンが金貨の在処を教えてくれた』って聞いてたけど……。
あ!
まーたウソついたのね!と突っ込もうとした私に、ゾルガは珍しくしっかり目線で「黙れ」と合図してきた。あまり真面目な顔だったので、私の酔いは一気に醒めた。何企んでるの?
「お前たち陸のギャングにとって何より大事なのは、縄張りだな」ラム酒が干された。私が次のビンを渡す。
「言うまでもねぇ」ウィスキーが干された。私がグラスにドボドボ注ぐ。
「それを侵す者がいるとしたら」
今まで悠然としていたドン・グリードンの動きが止まった。私もようやくお酒を注ぐ動作から解放された。
「ほほう、そいつぁ誰だ」
「どこだとは聞かないのか」
「知ってたら真っ先にそれを餌にオレを釣るんだろうが!笑わせるぜ」
「ここはひとつ取引といこうじゃないか、ドン・グリードン」
「取引だぁ?そういうテメエも立派なギャングのドンだよな、ゾルガ」
私はあることに気がついたけど、さっきの目線を思い出して表情に出すのは止めた。
これは陸と海のギャングの化かし合いだ。
酔った振りをしながら(いやたぶんホントに全員酔っているけれど)いまは会話をあちこち飛ばして互いに牽制しつつ着地点を探ってる所。……ってちょっと待って。この理屈だと私もギャング団の中に含まれてない?!
Illust:Moopic
「暗黒地方のどこかで今、異変が起きている」
「それがオレとオレの縄張りに何の関係があるんだよ」
「あるとも。そいつはあんたの富と力、あんたの部下を呑み込んでいるんだ」
「うちのデザイアデビルをか」
「報告が届いていないか」
「聞いてねぇな」
「では逆に、報告があがってこない所場は?不審がるほど連絡が途絶えた賭場はないか」
ドン・グリードンは沈黙した。どうやら思い当たる節があったらしい。
「……で?もし心当たりがあるとして、それがどうしてテメエとの取引になるんだよ」
私だけがこの時、ゾルガの目が妙な光り方をしたのに気がついた。相手がようやく餌に食いついたのだ。
「いまオレには金はある。有り余るほどに」
「パガニーニ金貨の144倍だな。そりゃあ使い切れんだろうぜ」
「ほとんど各国への賠償で消えたがな」
ゾルガはにやりと笑った。
「それでもあの金貨を買い戻すことはできるぞ。潰れたカジノの管財人からな」
うわ、コイツずるーい!私は思わず頭を抱えた。ゾルガの企みがわかってしまった。
ドン・グリードンはちらりとこちらを見たが、酔いが回ったと誤解してくれたらしい。指で弾いて氷入れを滑らせてきた。私は素直に受け取って礼を言った。ドン・グリードン、悪魔喰らいの甘いもの好き極悪竜なんだけどこういう所が憎めないんだよね。
「あれを利用させてくれた詫びに金貨を返したい。もちろん利子をつけて」
ドン・グリードンはどうしようかね、と肩をすくめた。あまりにも持ち過ぎてお金には興味がないこのおっさんも、パガニーニ金貨のこととなるとちょっと事情が違うらしい。
「あんたは暗黒地方の異変を探る。俺は金貨を取り戻して渡す。これが均衡というものだ」
ん?この均衡って言葉、最近も聞いたような気が……。
「どうだ。承知なら今すぐ魔帝都D.C.に帰してやる」
ドン・グリードンは腕組みをした。
「ヘッ!ここに無理矢理連れてきたのはテメエじゃねぇか」
「悪いとは思ってる」
「「ウソつけ!」」
私とドン・グリードンはユニゾンした。
何が商談よ!このおっさん誘拐して監禁して取引を迫ってるんじゃない。コイツ本当にとんでもない悪党だ。
「あぁホントにとんでもない悪党だぜ」
どうやら心の声が言葉になってしまっていたようだ。ドン・グリードンはガハハと笑った。
「ま、しようがない。受けてやるぜ。それとお代とは別に、姉ちゃんをカジノに招待したい」
は?私は目を丸くした。
「パンケーキが恋しくてなぁ。姉ちゃんのじゃないとダメなんだ。カジノで遊ばせてやるから厨房に立ってくれ。ひと月でいい」
「承知した。こちらが満足する情報が得られたら代金と一緒に、副長をそちらに派遣しよう」
ちょっと!なに勝手に返事してるのよ!
「船長命令だぞ。それに陸に上がりたがっていただろうが」
じゃなに、それって休暇ってこと!?(ま、確かにカジノ遊び放題はちょっと心動かされるけどね)
「よし。取引成立だ。さっさとオレを帰してくれ」
「誓約の握手はいいのか」
「タコやイカの足と握る手はねぇんだよ。姉ちゃんが証人だろ。充分さ」
とドン・グリードンはこちらに片目をつぶって見せた。最近はウインクが流行っているのだろうか。
「では、おやすみ。ドン・グリードン」
ゾルガがその言葉を発した瞬間、また船が大きく揺れた。でもこれは嵐というより、とんでもなく巨大な巻上げ器か巨人に船ごと引き起こされた感じだね。
ズーン!
部屋の明かりが暗くなり、すぐに戻った。でもその時はあのドン・グリードンのでかい図体はいなくなっていた。
「何をしたの!?」
と私。こいつの魔術は色々見ているけど、海を越えて大陸の向こう側から呼んで、送り返す力は記憶にない。
Illust:海野シュウスケ
「『怨毒の握撃』。あのデカブツを移動させるのは、さすがに……少々手間だった」
そう言うなりゾルガは船長席から床に転げ落ちた。その足はまた2本に戻っている。
「ったく!無茶が過ぎるのよ。シャキッとしなさい」
私は歩み寄ると氷入れをひっくり返して冷水を浴びせかけた。
「……ひどいな」
ゾルガはびしょ濡れになった髪をかき上げる。まぁいい男ぶりだった。……あんまり認めたくないけど。
「またズルしたのね!拾ったパガニーニ金貨を元手に144倍して賠償金に充てて、それを餌に持ち主のドン・グリードンに情報を探らせる。なにが均衡のとれた取引よ。結局あんたは何一つ損してないじゃない」
「十分酔わせたつもりだったが……バレたか」
「リグレイン号副長をナメないで欲しいわね。ホラ、起きなさい!」
「そうだな。人間の振りもたまにはいいものだ」
ゾルガはゆらりと起き上がった。そこにはもう酔いの影すら無い。
忘れちゃいけない。彼は惑星クレイのゴーストだ。
実体を持ち、杖と怪しげな魔術を使い、その気になれば飲食もできるけど、こいつは既に死んでいる。酒に酔い潰れるわけもない。
「さて。これから忙しくなるぞ、ヘンドリーナ」
「忙しいのはいつものことよ。それより今回の企みについて教えて」
「犯罪に加担しないのが契約だろう」
「その犯罪かどうかを判断するために情報を明かせ、って言ってるのよ。あと“運命者”とバヴサーガラさんが言っていた“実験”についても、全部」
「いいだろう。“実験”以外については、な」とゾルガ。
猛烈に反論しかけた私の頬に、ゾルガの人間の右手が触れた。ちょっと!なんで頬!?離しなさいよ!
「理由は聞かないでくれ。今の俺はこの船を愛しているが、僕の切なる望みは遙か過去にあるんだ。生と死を超えた所に」
私は今日一番のハァ?顔をしていたんだと思う。
だけど私がまた何か言う前に、船長らしくビシッと決まった指示が飛んだ。
「針路北北西。追風に帆を上げ!」
反射的に敬礼しかけて、私は船長を睨んだ。
「どうした?副長、復唱は!」
情報の共有、明かされない秘密、邪悪な実験、取り交わされた契約、世界の均衡、とっちめたい美男子、絡み合う世界的超大物たちの思惑、シェフ服でひと月厨房入り、黒ドレスでカジノ遊び放題。一瞬の間に私の頭を様々な思考が駆け巡り、ある選択に辿り着いた。
「針路北北西!帆を上げ!」
私は復唱するときちんと敬礼してから踵を返し、扉に向かった。
リグレイン号を動かすには色々と手間がかかる。禍啜り、深潭漁り、宿縁裂きにも働いてもらわなくては。副長は忙しく、でもやりがいのある仕事だ。船長以上に自分が船を操っているという満足感がある。まだ始めて間もないけれど、私は結構この立場が気に入っていた。
「頼んだぞ、ヘンドリーナ。私は実験があるから夕方までは誰も近寄らせないでくれ」
「ようそろっ!」
完璧な敬礼を返す私の前で、船長室の扉は静かに閉じた。ゾルガの含み笑いは労うようにも嘲笑のようにも聞こえた。どっちでもいい。こいつは悪党だからね。真心なんて期待していない。
またゾルガのペースで煙に巻かれてしまったけど、この悪党を問い詰めるには、また余裕があるときにしよう。
どうせこの大海原の船の上ではどこにも逃げられる所はないのだから。
----------------------------------------------------------
《今回の一口用語メモ》
デザイアデビルの名称についての追記と、ゾルガ船長の動きについて
こちらへの配信はかなり久しぶりの事になるが、水晶玉ネットワーク各位に於かれては益々ご清栄のこととお慶び申し上げる。
さて、強欲魔竜グリードン配下のデザイアデビルについて追加情報がまとまったのでご報告する。
なお名称の考察については前回同様、空飛ぶ幽霊船リグレイン号副長 継承の乙女ヘンドリーナからの情報提供を元に、悪魔化した本人が生前(厳密に言えば“変化”であり“死亡”してはいないが)正せなかった悪行や悪癖に由来するものという前提で、私ゲイドの推測も含んでいることをお断りしておく。
モウシーン(猛進。猪突と並べられる事も。何ごとも時には立ち止まって大局を見つめ直すことが大事である)
ゴウツーク(業突。頑固で強引に押し通すこと。業突張りとなると強欲も含まれる。いずれも過ぎれば悪癖だ)
ゴージョー(強情。頑なに過ぎると悪魔に身を落としたりもするということか。騎士も他人事とは思えない)
アラークレイ(荒くれ。抑制のきかない乱暴者がふるうのが暴力。故に騎士には厳しい規律が求められるのだ)
ドクセーン(独占。我欲は悪魔に通じる道。騎士は相身互い、という言葉を改めて肝に銘じたい)
デザイアデビルについての調査報告と推察は以上となる。
各位ご存じの通り、元々はごく一部の限られたメンバーのための連絡・情報共有手段として始められた本ネットワークも各国各機関の協調宜しく、各チャンネルごとに細分化し、惑星クレイの危機予測機構の一部として順調稼働中である。
ネットワークに流れる情報も緊迫感を増している昨今、本案件について取り上げるのはやや場違いと見られる向きもあろうが、我々調査部は「小なれども見逃すまじ」が基本方針である。こうした些細な名称にも今後活かされる暗示や兆候が隠れているかも知れぬ。
例えば、オルーク・パラダイスの一件以来、秘密主義をやめたとされるゾルガ船長。今回はドン・グリードンにある調査を依頼したのだというが、このような我欲集団を率いるダークステイツ暗黒街のボスと怪物満載の幽霊船の主とが手を組むその真意と目指すところとは果たして何なのか。我々シャドウパラディンも目を離す事なく、動向を追ってゆく所存である。
シャドウパラディン第5騎士団副団長/水晶玉特設チャンネル管理配信担当チーフ
厳罰の騎士ゲイド 拝
※註.漢字と読みの関係については、惑星クレイにおける文字・発音を累次の地球の表記に置き換えてある。※
前回の、騎士ゲイドによるデザイアデビルの名称推察については
→ユニットストーリー111「強欲魔竜王 グリードン・マスクス」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
暗黒街のボス グリードン、「パガニーニ金貨」については
→ユニットストーリー023「強欲魔竜 グリードン」、さらに
ユニットストーリー111「強欲魔竜王 グリードン・マスクス」を参照のこと。
ゾルガとヘンドリーナについては
→ユニットストーリー008「継承の乙女 ヘンドリーナ」
→ユニットストーリー009「ハイドロリックラム・ドラゴン」
→ユニットストーリー054「混濁の瘴気」
→ユニットストーリー097「六角宝珠の女魔術師 “藍玉”」を参照のこと。
ヘンドリーナとグリードンの馴れ初めについては
→ユニットストーリー087「戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクス」を参照のこと。
ゾルガとヘンドリーナによるオルーク・パラダイスの大博打については
→ユニットストーリー125 「禍啜り」を参照のこと。
----------------------------------------------------------
そんなわけで、それを避けられなかった私こと継承の乙女ヘンドリーナは、突然巻き起こった嵐の真っ只中、甲板から振り落とされそうになりながら怪物たちと共に船の舵と必死に格闘していた。
嵐の海、しかも夜の外海ってさ、これはもうトラウマものの光景なんだ。
大雨大風稲光。
漆黒の海面は山のように盛り上がったかと思うと突如、谷底へと続く奈落を滑り落ちる。
リグレイン号は着水していない船だけど、これほどの嵐ではいつまで保つのか。本職の舵取りは何やってるのよ!?
Illust:ガマゾウ
甲板当直に上がっていた業臨の怪魔に手振りで「舵を取れ」と押しつけると──こいつはでっかい上に怪力なのでこういう時は頼もしい。外見は……かなりグロいけど──、私は雨と波が滝のように襲い来る甲板を泳ぐようにして渡りきり、船長室の扉をノックも無しで叩き開けた。
バンッ!
そして啖呵を切る。
「いいかげん甲板上がれ、ボンクラ船長!ぼやぼやしてるとこの船沈むよ!今すぐ嵐をなんとかしなッ!」
テーブルで来客と向かい合っていた船長は、この部屋の床の半分近くを占める蠢く触手の中でにやりと笑った。……あ、この触手についてはまた改めて。いまは一刻を争う切迫した状況なんだから。
「ちょうど良かったな、副長。禍啜りを使って呼びに行かせるところだった。が、まず扉を閉めろ」
「よォ姉ちゃん、久しぶりだなぁ。ま、とにかくその扉閉めな」
私は慌てて船長室の扉を押して嵐の雨と風を閉め出した。で、2人に振り返る。憤然と。
「ちょっと!どうしてあんたがここにいるのよ!カジノのおっさん!」
それに応える深淵竜のバカ笑いは広くもない室内に轟くようで、私は思わず耳を塞いだ。うわぁ今気がついた。部屋が葉巻臭い~。
「ドン・グリードン!そう呼べって言っただろう、姉ちゃんよォ。それとまた口悪くなったんじゃねぇか?」
強欲魔竜グリードンはガハガハ笑いながらそう言った。
ぐぬぬと私は黙り込まざるを得なかった。痛いところを突かれた。
そうだ。自分でも最近、どんどん柄が悪くなっている自覚はある。この船に長く居すぎたせいだ。わかっている。わかってる!海賊相手のケンカとか荒っぽいことについてはそりぁもう船はパワフルなバケモン揃いなんだし、後は任せてこの船を降りると私は言っているんだ、何度も。でも辞めさせてはもらえない。ネオネクタールのお偉いさんも天輪聖紀始まって以来の優良案件だの、ドラゴニア海の奇跡ペアとか言って煽ててくるし。けど知ってるんだよ私、うちのクランがこの船からすっごい額の寄付もらってるの。
「うっさいのよ!だいたいダークステイツ暗黒街のラスボスが根城の魔帝都D.C.空けてて良いわけ?!」
「オレは呼ばれてわざわざ来てやったんだ。大いにもてなしてもらわなきゃなぁ。ほれ、ウィスキー」
空のグラスを差し出すおっさんことグリードン。注げってこと?この前はブランデーじゃなかった?私はフン!とそっぽを向いた。欲しけりゃ自分で棚から取れば。女の子にお酌させるもてなしなんていつの時代の話?こっちは泣く子も黙る花の副長なのよ。
「それで副長。嵐がどうとか言っていなかったか」
とあいつ。私ははっと背後の現実に立ち返った。
「そうよ、嵐よ!みんな必死にやってるけど、浸水は深刻。山と積まれた積み荷と酒の状態も確認しなくちゃ。そもそもこのままじゃ難破するわよ!」
「慌てるな、副長」「そうだ。落ち着け、姉ちゃん」
なんだかよくわかんない成り行きだけど、私は2人になだめられた。これが落ち着いていられるかっての!
「もう一度外を見て見ろ」「はぁ?何言ってんの?」
私はこいつの触手を初めて見た時くらい目一杯のハァ?顔をして、背後の扉を開けた。
……夜の海はほとんど凪いで嵐などどこにも無かった。
嘘のように。
目が点になった私に、背後からあいつの声が聞こえた。
「『虚空を満たせよ屍の呪印』。ここ以外の周辺の海を大時化にしてオレの船に近づけぬようにした。これからやる事を外野に邪魔されたくないからな」
私はがっくりと肩を落とした。怒りに身体がぶるぶる震え始める。
「……そのためだけに、船を、危険にさらしたの」「大丈夫だっただろう、加減したし」「そうだよなぁ」
「……で、そこのおっさんと酒飲んでたんだ。またそんな姿で」「これは運命者として私が禁忌に挑む誇るべき変化。いわば正装だぞ」「あとドン・グリードンな、姉ちゃん」
こ、こいつら!と私が爆発しかけた。
その時だ。船長の声が凜とした命令口調になったのは。
「そこで君の今日の任務だ、ヘンドリーナ」「は?」
「今から私はドン・グリードンと重要な商談に入る」「はぁ」
「ついては両者の契約の証人となり、その媒酌を頼みたい」「あんたたち結婚するの?」
「違う。酒は厳粛な誓いの証だ。国を背負う丈夫2人の杯を媒するのは名誉なことだぞ、副長」「国を背負う?丈夫?ハッ!笑わせるわねぇ……で、それってつまり?」
「酌だ。ウイスキー」と強欲魔竜は杯を突き出した。
「僕にはラムを」と禁忌の運命者も空になったビンを振った。
テ、テメェら……。
苛立ちが頂点を越えた。
私の声にならない怒声と、男2人の笑い声が大海原に響き渡った。
Illust:木下勇樹
──さて、気を取り直して。
2日前のことだ。
「あれ。キミは誰君かな?」
私こと継承の乙女ヘンドリーナはいつもの見回りで、甲板に見慣れない竜が停まっているのに気がついた。まぁ船長のあいつが勝手に竜やらゾンビやらゴーストやらを船に参加させちゃうのは、よくある事だ。
「よしよし。大人しいね。……んー、でもキミの特徴は確か」
ちょうどその時、声が聞こえたので私は船長室の方へと向かった。
見れば扉が少し開いている。珍しい。
ドロドログログロの生命と死の実験に励むゾルガは、降霊術師としては超秘密主義なので実験中は鍵を掛けて私でも立ち入る事を許さない。そして今は、いつもの船の時間割からするとその実験中のはずなんだ。
「ではどうしても実験は止めぬと?禁忌の運命者」女性の声。お客さんかな。
「そうだ」こちらはいつものあいつ、この船の船長の声。
「汝がいま挑み超えようとしているのは“世界の理”だ。成功しても失敗しても均衡を崩しかねない」「理解している。だが僕は止めるつもりはない」
「私がこれほど言ってもか」「警告は受け取った。依頼の件は検討してみるが、実験は何としても続ける」
「……決裂だな。では貴殿が暴走するようなことがあれば私と我が封焔一党がお相手する。良いな」「承知」
ケンカ腰だけど何の話なんだろう。誰と話しているのか。私は細くあいた扉の隙間に耳をそばだてた。
「失礼」
穏やかな声。でも急に扉が開けられたのにはびっくりしてしまった。
目の前に綺麗な女の人がいた。年齢は若いように見えるけれど、何歳かはわからない。
黒と青の装い。羽根持つ冠。なびく黒髪。吸い込まれそうな紺碧の瞳。全身を包む圧倒的な魔力。
その女は言った。
「こうして直に会うのは初めてだな。バヴサーガラだ」
「バヴサーガラさん……って、あの封焔の巫女?!」
私は息を呑んだ。あの竜はやっぱり封焔竜アーヒンサ。アーヒンサはこの人の騎乗する竜として有名だ。
「ごめんなさい!立ち聞きするつもりは……」
「いや聞かれていたのは知っていた、ヘンドリーナ」
「どうして私の名前を?」
「伝説のギャンブラーにして悪徳カジノを滅ぼした女英雄、空飛ぶ幽霊船リグレイン号副長ヘンドリーナ。オルーク・パラダイスの一件は世界的なニュースとして広まっている。もっともその前から私は汝を知っているがな。トランスの商館には伝手があるし、同じ水晶玉ネットワークのメンバーだ」
あぁと納得した。この船に乗ってずいぶん経つけれどネオネクタールの管轄から言うと私は港町トランスにあるネオネクタール商館の所属のままだ。それにしても、同じ水晶玉ネットワークメンバーとは言っても、私は下位チャンネルの末端として利用しているだけだ。多忙なこの人がそれを覚えているとは凄すぎる。
「そんな女英雄だなんて……」
てへへと私は照れた。ここで立ち位置に気づく。
「あの、お帰りですよね。お送りします」と私。
「放っておけ。そんなお節介は」
どこかで船長室の主らしき声がしたような気がするけど思いっきり無視して、私は賓客ををエスコートした。
Illust:山宗
アーヒンサは離艦するために舳先へと回っていたので、船を覆う雨雲の下、私は憧れのバヴサーガラさんと歩きながらたっぷりお話することができた。
龍樹侵攻での活躍のこと、天輪の巫女リノさんとの友情、各国の英雄との親交などなど。夢中でお喋りする私に、封焔の巫女は好意的な微笑を浮かべながら付き合ってくれた。堂々として威厳もあるのに気配りもできる素晴らしい人だ。どこかの幽霊船船長とはえらい違い。まぁ追いつけるのは顔が良いくらいかな。
「見送り感謝する。……ヘンドリーナ」「は、はい」
手を振る私に、アーヒンサに騎乗したバヴサーガラさんは向き直った。
「辛いことも多かろうが、どうか頑張って欲しい」
「ありがとうございます!」
「特にゾルガだ。彼の野心は世界の均衡を危うくする。暴走するならば我々が介入せざるを得ない」
「それさっき、ちょろっと聞こえちゃいました。色々すみません。ああいうヤツなので。頭のてっぺんからつま先まで本物の悪党なんです。何すねてるか知りませんけど私、後で〆ときますから」
バヴサーガラさんは驚いたことにくすっと笑ったようだった。まさかね。封焔の巫女が女の子みたいに笑う?
「汝こそゾルガとこの船の良心、均衡を司る者だ。汝がここに来た理由、現在ここにいる意味、そしてここで迎える未来にも繋がっている」
なんだか難しい。でもすごく誉められているのはわかった。最高の気分だ。
「これから何があっても何を見ても、その強さを失わないで欲しい。……ではさらば。また水晶玉で会おう、ヘンドリーナ」
「はい!お会いできて光栄でした!」
思わず敬礼しちゃった。バヴサーガラさんが離艦する寸前、お返しに片目をつぶったように見えたのはきっと気のせいだろう。それともあれは噂に聞く封焔の巫女の人間としての人格、リノリリさんだったのかな。
……さぁて、おしおきの時間だ。
バヴサーガラさんの機影が見えなくなるまで見送った私は、闘志を燃やして船長室にずんずん歩み寄った。
あんなに世界とこの惑星に生きる者のことを親身に思ってくれているバヴサーガラさんに心配かけるなんて、絶対許さない。〆てやる。
バンッ!
私は閉じかけていた重い扉を蹴り開けた。……あ、いま振り返るとやっぱり荒っぽくなってるね、私。
「ノックぐらいしろ」
私は凍りついた。
それは、あいつの無愛想すぎる口調でも、船長席で不機嫌そうにふんぞり返って答える(失礼だよね)格好でも、来客があったのに実験装置と羊皮紙でごちゃごちゃの室内の様子のためでも、なかった。
原因は、ゾルガの腰から下だ。
ゾルガの身体のあちこちはもともと人間の形ではない。それは見慣れてるし耐性がある。
でもその肢。8本ある。それが軟体でうねってる。
「あ、あ……」
私はどんな顔をしていたのだろう。どんな反応をすれば良かったのだろう。
沈黙は長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
私は後ろ手に扉の鉄輪を探ると、急いで部屋を飛び出して、勢いよく閉めた。
「失礼しましたっ!」
Illust:増田幹生
話は現在に戻る。
ドン・グリードンはまだ笑っている。おかしくてしょうが無いらしく、巨体をひねりながら涙まで流している。
「そ、それで姉ちゃんは逃げたわけだ。そうだよな。こいつがいきなりイカだかタコみたいになったら錯乱するよなぁ」
「ホント!びっくりしたわよ、もう」
私は蜂蜜酒のジョッキをぐいと傾けた。普段はやらないしお行儀良くしたい所だけど、2人だけ飲んでるのを見るのも腹が立つので、当艦バイオロイド組醸造による名酒の封を開けたというわけ。
「失礼な話だ」
ラム酒のビンを傾けていたゾルガがぼそりと言い、ドン・グリードンはさらに笑った。いいかげんうるさいし葉巻が臭い。
「それがおまえの運命者としての姿なんだって?ゾルガ」
ドン・グリードンがそう言いながらグラスを突き出すので、またウィスキーをドボドボ注いでやった。それをまたうまそうに飲み干す。
「てことは声は聞いたかい」
ゾルガは目を見開いた。ちょっと驚いたようだ。こういう顔は珍しいので、私はまじまじと見てしまう。
「知っていたのか」とゾルガ。
「噂だよ、噂。なんでも運命者に選ばれたヤツには名前と“声”が降ってくるんだと。ま、その顔を見るとどうやら事実らしいな」
へー。私はちょっと朦朧としてきた頭で感心した。これだけ飲んでるのにカマかけてたのか。古狸だね、ドン・グリードン。
「で、なんなんだ。このオレ様に頼みたいことってよ」
「龍樹の仮面はまだ持ってるか、グリードン」
おっと、それはいきなりな質問じゃない。
「いや。あれは捨てた。ブルースとの男の約束だしな。オレの部屋でただの飾りになってるぜ。テメエが勝手に使いやがったあの金貨を飾るはずだった場所になぁ!」
ドン・グリードンの声が凄みを増した。みんなお酒飲んでるからあまり気がついていないけど、この船の個室としてはすごく広い船長室がゾルガと私、でっかいグリードンとで今はかなり狭苦しい感じだ。
「俺とおまえは悪と悪。持ちつ持たれつだ」とゾルガ。
「今回は、ちょっとどころじゃない貸しだと思うがなぁ」とドン・グリードン。
ん?あれ?パガニーニ金貨とオルーク・パラダイスの一件は確か『オルークの悪徳カジノを潰す代わりに、グリードンが金貨の在処を教えてくれた』って聞いてたけど……。
あ!
まーたウソついたのね!と突っ込もうとした私に、ゾルガは珍しくしっかり目線で「黙れ」と合図してきた。あまり真面目な顔だったので、私の酔いは一気に醒めた。何企んでるの?
「お前たち陸のギャングにとって何より大事なのは、縄張りだな」ラム酒が干された。私が次のビンを渡す。
「言うまでもねぇ」ウィスキーが干された。私がグラスにドボドボ注ぐ。
「それを侵す者がいるとしたら」
今まで悠然としていたドン・グリードンの動きが止まった。私もようやくお酒を注ぐ動作から解放された。
「ほほう、そいつぁ誰だ」
「どこだとは聞かないのか」
「知ってたら真っ先にそれを餌にオレを釣るんだろうが!笑わせるぜ」
「ここはひとつ取引といこうじゃないか、ドン・グリードン」
「取引だぁ?そういうテメエも立派なギャングのドンだよな、ゾルガ」
私はあることに気がついたけど、さっきの目線を思い出して表情に出すのは止めた。
これは陸と海のギャングの化かし合いだ。
酔った振りをしながら(いやたぶんホントに全員酔っているけれど)いまは会話をあちこち飛ばして互いに牽制しつつ着地点を探ってる所。……ってちょっと待って。この理屈だと私もギャング団の中に含まれてない?!
Illust:Moopic
「暗黒地方のどこかで今、異変が起きている」
「それがオレとオレの縄張りに何の関係があるんだよ」
「あるとも。そいつはあんたの富と力、あんたの部下を呑み込んでいるんだ」
「うちのデザイアデビルをか」
「報告が届いていないか」
「聞いてねぇな」
「では逆に、報告があがってこない所場は?不審がるほど連絡が途絶えた賭場はないか」
ドン・グリードンは沈黙した。どうやら思い当たる節があったらしい。
「……で?もし心当たりがあるとして、それがどうしてテメエとの取引になるんだよ」
私だけがこの時、ゾルガの目が妙な光り方をしたのに気がついた。相手がようやく餌に食いついたのだ。
「いまオレには金はある。有り余るほどに」
「パガニーニ金貨の144倍だな。そりゃあ使い切れんだろうぜ」
「ほとんど各国への賠償で消えたがな」
ゾルガはにやりと笑った。
「それでもあの金貨を買い戻すことはできるぞ。潰れたカジノの管財人からな」
うわ、コイツずるーい!私は思わず頭を抱えた。ゾルガの企みがわかってしまった。
ドン・グリードンはちらりとこちらを見たが、酔いが回ったと誤解してくれたらしい。指で弾いて氷入れを滑らせてきた。私は素直に受け取って礼を言った。ドン・グリードン、悪魔喰らいの甘いもの好き極悪竜なんだけどこういう所が憎めないんだよね。
「あれを利用させてくれた詫びに金貨を返したい。もちろん利子をつけて」
ドン・グリードンはどうしようかね、と肩をすくめた。あまりにも持ち過ぎてお金には興味がないこのおっさんも、パガニーニ金貨のこととなるとちょっと事情が違うらしい。
「あんたは暗黒地方の異変を探る。俺は金貨を取り戻して渡す。これが均衡というものだ」
ん?この均衡って言葉、最近も聞いたような気が……。
「どうだ。承知なら今すぐ魔帝都D.C.に帰してやる」
ドン・グリードンは腕組みをした。
「ヘッ!ここに無理矢理連れてきたのはテメエじゃねぇか」
「悪いとは思ってる」
「「ウソつけ!」」
私とドン・グリードンはユニゾンした。
何が商談よ!このおっさん誘拐して監禁して取引を迫ってるんじゃない。コイツ本当にとんでもない悪党だ。
「あぁホントにとんでもない悪党だぜ」
どうやら心の声が言葉になってしまっていたようだ。ドン・グリードンはガハハと笑った。
「ま、しようがない。受けてやるぜ。それとお代とは別に、姉ちゃんをカジノに招待したい」
は?私は目を丸くした。
「パンケーキが恋しくてなぁ。姉ちゃんのじゃないとダメなんだ。カジノで遊ばせてやるから厨房に立ってくれ。ひと月でいい」
「承知した。こちらが満足する情報が得られたら代金と一緒に、副長をそちらに派遣しよう」
ちょっと!なに勝手に返事してるのよ!
「船長命令だぞ。それに陸に上がりたがっていただろうが」
じゃなに、それって休暇ってこと!?(ま、確かにカジノ遊び放題はちょっと心動かされるけどね)
「よし。取引成立だ。さっさとオレを帰してくれ」
「誓約の握手はいいのか」
「タコやイカの足と握る手はねぇんだよ。姉ちゃんが証人だろ。充分さ」
とドン・グリードンはこちらに片目をつぶって見せた。最近はウインクが流行っているのだろうか。
「では、おやすみ。ドン・グリードン」
ゾルガがその言葉を発した瞬間、また船が大きく揺れた。でもこれは嵐というより、とんでもなく巨大な巻上げ器か巨人に船ごと引き起こされた感じだね。
ズーン!
部屋の明かりが暗くなり、すぐに戻った。でもその時はあのドン・グリードンのでかい図体はいなくなっていた。
「何をしたの!?」
と私。こいつの魔術は色々見ているけど、海を越えて大陸の向こう側から呼んで、送り返す力は記憶にない。
Illust:海野シュウスケ
「『怨毒の握撃』。あのデカブツを移動させるのは、さすがに……少々手間だった」
そう言うなりゾルガは船長席から床に転げ落ちた。その足はまた2本に戻っている。
「ったく!無茶が過ぎるのよ。シャキッとしなさい」
私は歩み寄ると氷入れをひっくり返して冷水を浴びせかけた。
「……ひどいな」
ゾルガはびしょ濡れになった髪をかき上げる。まぁいい男ぶりだった。……あんまり認めたくないけど。
「またズルしたのね!拾ったパガニーニ金貨を元手に144倍して賠償金に充てて、それを餌に持ち主のドン・グリードンに情報を探らせる。なにが均衡のとれた取引よ。結局あんたは何一つ損してないじゃない」
「十分酔わせたつもりだったが……バレたか」
「リグレイン号副長をナメないで欲しいわね。ホラ、起きなさい!」
「そうだな。人間の振りもたまにはいいものだ」
ゾルガはゆらりと起き上がった。そこにはもう酔いの影すら無い。
忘れちゃいけない。彼は惑星クレイのゴーストだ。
実体を持ち、杖と怪しげな魔術を使い、その気になれば飲食もできるけど、こいつは既に死んでいる。酒に酔い潰れるわけもない。
「さて。これから忙しくなるぞ、ヘンドリーナ」
「忙しいのはいつものことよ。それより今回の企みについて教えて」
「犯罪に加担しないのが契約だろう」
「その犯罪かどうかを判断するために情報を明かせ、って言ってるのよ。あと“運命者”とバヴサーガラさんが言っていた“実験”についても、全部」
「いいだろう。“実験”以外については、な」とゾルガ。
猛烈に反論しかけた私の頬に、ゾルガの人間の右手が触れた。ちょっと!なんで頬!?離しなさいよ!
「理由は聞かないでくれ。今の俺はこの船を愛しているが、僕の切なる望みは遙か過去にあるんだ。生と死を超えた所に」
私は今日一番のハァ?顔をしていたんだと思う。
だけど私がまた何か言う前に、船長らしくビシッと決まった指示が飛んだ。
「針路北北西。追風に帆を上げ!」
反射的に敬礼しかけて、私は船長を睨んだ。
「どうした?副長、復唱は!」
情報の共有、明かされない秘密、邪悪な実験、取り交わされた契約、世界の均衡、とっちめたい美男子、絡み合う世界的超大物たちの思惑、シェフ服でひと月厨房入り、黒ドレスでカジノ遊び放題。一瞬の間に私の頭を様々な思考が駆け巡り、ある選択に辿り着いた。
「針路北北西!帆を上げ!」
私は復唱するときちんと敬礼してから踵を返し、扉に向かった。
リグレイン号を動かすには色々と手間がかかる。禍啜り、深潭漁り、宿縁裂きにも働いてもらわなくては。副長は忙しく、でもやりがいのある仕事だ。船長以上に自分が船を操っているという満足感がある。まだ始めて間もないけれど、私は結構この立場が気に入っていた。
「頼んだぞ、ヘンドリーナ。私は実験があるから夕方までは誰も近寄らせないでくれ」
「ようそろっ!」
完璧な敬礼を返す私の前で、船長室の扉は静かに閉じた。ゾルガの含み笑いは労うようにも嘲笑のようにも聞こえた。どっちでもいい。こいつは悪党だからね。真心なんて期待していない。
またゾルガのペースで煙に巻かれてしまったけど、この悪党を問い詰めるには、また余裕があるときにしよう。
どうせこの大海原の船の上ではどこにも逃げられる所はないのだから。
了
----------------------------------------------------------
《今回の一口用語メモ》
デザイアデビルの名称についての追記と、ゾルガ船長の動きについて
こちらへの配信はかなり久しぶりの事になるが、水晶玉ネットワーク各位に於かれては益々ご清栄のこととお慶び申し上げる。
さて、強欲魔竜グリードン配下のデザイアデビルについて追加情報がまとまったのでご報告する。
なお名称の考察については前回同様、空飛ぶ幽霊船リグレイン号副長 継承の乙女ヘンドリーナからの情報提供を元に、悪魔化した本人が生前(厳密に言えば“変化”であり“死亡”してはいないが)正せなかった悪行や悪癖に由来するものという前提で、私ゲイドの推測も含んでいることをお断りしておく。
モウシーン(猛進。猪突と並べられる事も。何ごとも時には立ち止まって大局を見つめ直すことが大事である)
ゴウツーク(業突。頑固で強引に押し通すこと。業突張りとなると強欲も含まれる。いずれも過ぎれば悪癖だ)
ゴージョー(強情。頑なに過ぎると悪魔に身を落としたりもするということか。騎士も他人事とは思えない)
アラークレイ(荒くれ。抑制のきかない乱暴者がふるうのが暴力。故に騎士には厳しい規律が求められるのだ)
ドクセーン(独占。我欲は悪魔に通じる道。騎士は相身互い、という言葉を改めて肝に銘じたい)
デザイアデビルについての調査報告と推察は以上となる。
各位ご存じの通り、元々はごく一部の限られたメンバーのための連絡・情報共有手段として始められた本ネットワークも各国各機関の協調宜しく、各チャンネルごとに細分化し、惑星クレイの危機予測機構の一部として順調稼働中である。
ネットワークに流れる情報も緊迫感を増している昨今、本案件について取り上げるのはやや場違いと見られる向きもあろうが、我々調査部は「小なれども見逃すまじ」が基本方針である。こうした些細な名称にも今後活かされる暗示や兆候が隠れているかも知れぬ。
例えば、オルーク・パラダイスの一件以来、秘密主義をやめたとされるゾルガ船長。今回はドン・グリードンにある調査を依頼したのだというが、このような我欲集団を率いるダークステイツ暗黒街のボスと怪物満載の幽霊船の主とが手を組むその真意と目指すところとは果たして何なのか。我々シャドウパラディンも目を離す事なく、動向を追ってゆく所存である。
シャドウパラディン第5騎士団副団長/水晶玉特設チャンネル管理配信担当チーフ
厳罰の騎士ゲイド 拝
※註.漢字と読みの関係については、惑星クレイにおける文字・発音を累次の地球の表記に置き換えてある。※
前回の、騎士ゲイドによるデザイアデビルの名称推察については
→ユニットストーリー111「強欲魔竜王 グリードン・マスクス」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
暗黒街のボス グリードン、「パガニーニ金貨」については
→ユニットストーリー023「強欲魔竜 グリードン」、さらに
ユニットストーリー111「強欲魔竜王 グリードン・マスクス」を参照のこと。
ゾルガとヘンドリーナについては
→ユニットストーリー008「継承の乙女 ヘンドリーナ」
→ユニットストーリー009「ハイドロリックラム・ドラゴン」
→ユニットストーリー054「混濁の瘴気」
→ユニットストーリー097「六角宝珠の女魔術師 “藍玉”」を参照のこと。
ヘンドリーナとグリードンの馴れ初めについては
→ユニットストーリー087「戯弄の降霊術師 ゾルガ・マスクス」を参照のこと。
ゾルガとヘンドリーナによるオルーク・パラダイスの大博打については
→ユニットストーリー125 「禍啜り」を参照のこと。
----------------------------------------------------------
本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡