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ユニット

Unit
短編小説「ユニットストーリー」
149 クレイ群雄譚 アナザーストーリー 「Absolute Zero サジッタ」
リリカルモナステリオ
種族 ワービースト
 夢を見ていた。
 桜の花枝が風にゆれる、春の薄暮れ。
 彼女——フクロウのワービースト、リックスの日々がすっかり変わってしまった、あの日の夢だ。
 

Illust:斯比

 
 掲示板には一枚のポスターが張られていた。

Absolute Zeroアブソリュート・ゼロ 新メンバー募集』

「えっ……?」
 呆気に取られ、リックスは立ち尽くした。
 もしかして、Absolute Zeroアブソリュート・ゼロのことを好きすぎるせいで見てる幻覚なんじゃないかな?
 しかし何度首をひねり、目をパチパチさせてもやっぱりポスターはそこにあった。
 幻覚じゃない!
 胸がドキドキと打って飛び出してしまいそうだ。どうにか抑えてオーディションの日程を見る。
 記されていたのは『今日』だった。
 今日の放課後——始まるまで、あと少ししかない。
「え、えっ、えっ……?!」
 今度の「えっ」はパニックの「えっ」だ。
 オーディションの場所は第8レッスン室、ここからやや距離がある。
 リックスはもう、わけもわからず走り出していた。 
 入学して間もない自分がAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロの新メンバーになる? 
 そんな身の程知らずの望み、ワライカワセミあたりに話したら、ケララケラケラと笑われてしまうに違いない。
——でも。
 こんなチャンス、もう一生やって来ない。 

Absolute Zeroアブソリュート・ゼロは、鳥類のワービースト3人によるアイドルグループだった。
 天真爛漫で華やかなアイドルが多いリリカルモナステリオにおいて、彼女たちのクールなパフォーマンスは異彩を放ち世界的な人気を誇っている。
「どのメンバーが好きなの?」
 もしそう聞かれたら、リックスは間髪いれずにこう答える。

——サジッタ!
 
 凜とした佇まいに目を奪われたあの瞬間のことは、まるでつい昨日のことのようにはっきりと覚えている。
 それからずっと、サジッタはリックスにとってのスターだ。
 Absolute Zeroアブソリュート・ゼロが新しいPVを出すたびに、サジッタのダンスを真似て練習した。
 上手くできたと思ったときには、動画を配信チャンネルにあげることもあった。
 今覚えば本当に下手くそなダンスで、思い出すだけで顔が燃えるように熱くなってしまう。 
 それでも、リックスがリリカルモナステリオへの入学を志したのは、Absolute Zeroアブソリュート・ゼロに憧れ、いつか彼女たちのようなアイドルになりたいと思ったからだった。

 文字通り『飛ぶように』学内を駆け抜け、心の整理もできない間に、リックスは第8レッスン室に辿り着いた。
 外にはいくつかのパイプ椅子が置かれているが、リックスのほかに人の姿はなかった。ドアノブにはホワイトボードが下がっていて、
Absolute Zeroアブソリュート・ゼロ 新メンバー オーディション会場』
 と書かれていた。
 リックスは手鏡で乱れた髪を直し、色なしのリップグロスを塗り直した。
(うぅ……知ってたらもっとちゃんとした格好で来たのに……)
 しかしもう寮室に戻って身だしなみを整えている時間はない。
 リックスは大きく息を吸いこみ、レッスン室のドアをノックした。
——コン、コン
 2回ノックしてから、3回するのがマナーだったような気がして、あわてて3回目をコンと叩いた。
 すぐには反応がなかった。
 ちょっとの静寂が、永遠のように長く感じられる。
 ドキドキはさらに大きくなって、こめかみの辺りなんてハンマーでしきりに叩かれているようだった。
「はい。どうぞ、お入りください」
 ドアの向こうから凜とよく通る声がして、リックスは飛び上がってしまった。
 何度も、何度も、目を閉じなくたって思い出せてしまうほど何度も聞いた、あの人の声だった。
 ここまで来たら、もう行くしかない。
 リックスは顔を上げ、ドアを開けた。
 レッスン室では3人の少女が椅子に座っていて、その中央にサジッタはいた。
 とっさに息をすることすら忘れた。
 画面越しに見ていた姿よりも、ずっとずっと素敵だった。
 

Illust:斯比


 艶やかな黒髪が、さら、と揺れる。
「初めまして、今日はよろしくお願いします」
「は、はい……よろしくお願いします」
 緊張でうまく声が出なかった。
 足はまるで凍ったようにカチコチになってしまっている。
 リックスはどうにか足を動かして、3人の前に立った。
 えぇと最初は……そうだ、自己紹介だ。
「り、リックスと申します。出身はストイケイアで」
「あぁいえ、結構ですよ」
 サジッタは右羽をあげてリックスの台詞を止めた。
 え? どうして?
 戸惑って、思わず目をパチパチとしばたたかせる。
 するとサジッタは椅子から立ちあがり、あたふたとしているリックスに向かい、ゆっくりと近づいてきた。
 何かおかしなことをしてしまったのかな? もしかして、新入生はオーディションに参加しちゃいけなかったとか?
——コツ
 ローファーを鳴らし、サジッタが目の前で立ちどまった。リックスよりも背が大きいから、少し見上げるかたちになる。
 嘘、嘘、あのサジッタがこんなに近い。
 身動きすら取れずに立ち尽くしていると、サジッタは腰を軽く折り、右羽をリックスの頭に伸ばした。
「……っ!」
 何が起こっているのかわからなくて、リックスは目を閉じて肩をこわばらせた。
 頭のうえから、髪と羽が柔らかに触れあう音が聞こえてきた。
「桜の花びらが」
「えっ?」
 目を開けると、彼女の羽先には薄桃色の桜の花びらがあった。
 サジッタはリックスの頭についていた花びらを取りのぞいてくれたのだ。
「リリカルモナステリオの生徒として、Absolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーとして、風紀はしっかりと守らないといけません」
「す、すみませ……」
 慌てて謝ろうとしたリックスだが、その途中で首をかしげてしまった。
「……メンバーとして?」
 サジッタは柔らかに微笑んだ。
「ずっとあなたを待っていたの」
 その表情はステージ上のクールな雰囲気とは少し違って、春の桜のようにふんわりとして、そんなサジッタもやっぱり素敵だなぁとリックスは思った。

    ☆

 ここはリリカルモナステリオ。
 空飛ぶクジラの背中に乗って、アイドルたちが世界中に歌と希望と愛を届ける学園都市。
 春に入学したばかりの一年生の教室には、陽光が燦々と降りそそぎ、昼さがりの風が吹いていた。
 もうすぐ夏がやってくる。
 けれどまだ汗ばんでしまうほどではなく、心地よい風が一年生たちを眠りに誘っていた。
 こくり、こくり、こくり……
 机に座り、うつむくように船をこいでいる生徒がひとり。
 リックスだった。
 彼女はフクロウと同じく夜行性で、いつもお昼には眠くなってしまう。
 もちろん、眠気を払うために毎日いろいろな対策は行っていた。
 頬をつねってみたり、手で瞼をぐいっと引き上げてみたり、目の覚める飲み物を飲んでみたり……
 それでもこんなうららかな日は、睡魔に負けてしまうことだってあるのだった。
「むにゃむにゃ……サジッタ先輩……」
 舌ったらずな寝言をこぼすリックス。
 その肩を、横から誰かがツンツンとつついた。
「リックス、ね、リックス……っ」
 めいっぱいに張りあげたコソコソ声も、まどろむリックスを起こすことはできなかった。
 そこに、別の声が朗々と響く。

「 “朝だよ、朝だよ、おんどりさん♪The cock crows in the morn” 」

 リックスの耳元で小さな星がきらめき、けたたましい鳴き声が響きわたった。
 コッケコッコ−!
「!」
 これには夢もぱちんと弾け、リックスはたちまち目を覚ました。
「えっ、えっ、なに……?」
 慌てて顔をあげる。
 目の前で、夜空色のローブの女が微笑んでいた。
 彼女はステリィ、このクラスの担任だ。
 世界的な指揮者かつ作曲家だが、偉ぶったところのないフランクな性格で、生徒たちから好かれている。
「おはよう、リックス」
 ステリィは魔法のタクトを振りあげ、リックスの鼻先をツンとつついた。
「今ちょうどナイスな話をしてたところなんだ」
「ナイスな、はなし……?」
 リックスは首をかしげた。
フクロウのワービーストらしく、ぐるりと大きく首が回る。
 するとぼんやりとしていた頭が、ゆっくりと現実を思い出していく。
 そうだ、今はホームルームの時間だった。
 授業がすべて終わったあと、担任であるステリィが前に立ち、様々な決め事をするのだ。
 でも、ナイスな話って一体なんのことだろう?
 ちっともわからない。リックスはもう片方にぐるりと首をかたむけた。
 その鼻先を、ステリィはタクトでもうひとつ、チョンと悪戯するようにくすぐった。
「じゃあ大丈夫だね?」
「う……?」
 何を聞かれているのか、よくわからなかった。
 しかしクラス中の視線が集まるなかで「何のことですか?」と聞き返す勇気はない。
 控えめに、コクリ……と頷いた。
「よぅし!」
 ステリィはタクトを大きく振るって、クラス中に聞こえるよう声を張りあげた。
「さぁ、決まりだ! ミチュ、リックス、よろしくね」
「うぅ……?」 
 やはり何を「よろしく」されたのか、わからない。
 困ったリックスは右に、左に、とグルグル首をかしげた。するとステリィの身体で隠れていたホワイトボードが見えた。
 大きな文字でこう書かれている。

星灯祭せいとうさいクラス委員について』

——星灯祭
 それは初夏に行われるお祭りだ。
 国や地域によって詳細は異なるが、願いをこめた星形のランタン『星灯せいとう』を空や海などに流すことは共通している。
 いっせいに星灯が舞いあがる光景は、まるで煌めく天の川のように美しい。
 ホームルームが終わり、ステリィが教室から出ていくと、クラスメイトたちは一斉にリックスの元へ駆けよってきた。
「うぅ、頑張って起こしたんだけど……」
 隣の席で肩を落としたのは、ピンク髪のバトロイド、ミチュだった。
 

Design:kaworu Illust:刀彼方


 どうやら、隣の席からツンツンとつついてくれたのはミチュだったらしい。
 リックスは首を横に振った。
「ううん、ありがとうミチュ」
 リックスとミチュは“居眠り”仲間だった。
 夜行性のリックスが眠くなってしまうときは大体お昼過ぎで、ミチュが眠くなってしまうときは朝が多い。
 ミチュによると「突然データの更新が始まっちゃって……」だとか。
 眠くなる時間が違うため、ピンチのときはお互いに協力しあっているのだ。
「星灯祭のクラス委員、ミチュ以外に立候補する人がいなかったの。抽選かな、と思ってたらステリィ先生がリックスちゃんを見つけちゃって……」
 ミチュの隣で悲しそうにうなだれたのは、マーメイドのノクノだった。
 

Design:kaworu Illust:刀彼方


 クラスのなかでも抜群に歌が上手なノクノ。
 緊張に弱い性格なので、テストでは目立った成績を修めてはいないが、何気ない鼻歌すら聞き惚れてしまうほど美しい。
 彼女は元お針子ということもあり服を作るのが得意で、噂ではお披露目していない衣装が何着もあるという。
 他にもリックスの席に集まってきたのは、ウサギのワービーストのハーゼリットや、ジャイアントのリルファ、エルフのメディエールなど個性豊かなクラスメイトたちだった。
「ミチュはクラス委員に自分から立候補したんだね」
 リックスが問いかけると、ミチュは元気にガッツポーズをする。
「うん! だってすっごく楽しそうなんだもん!」
「星灯祭に参加するのは楽しいと思うけど……」
 お祭りが楽しいぶんだけ、準備をするクラス委員は大変に違いない。
 だからみんな「やりたい」とは言い出せなかったのだ。
 ミチュは勢いよく前のめりになった。
「それで、リリカルモナステリオの星灯祭ってどんなことするの?」
「えっ?」
 リックスは思わず、ぽかんと口を開けてしまった。
 まわりにいたクラスメイトたちの気持ちも、まったく同じだっただろう。

『知らないのに立候補したの?!』

 少女たちの声が重なった。
「えへへ」
 照れたように笑うミチュに、少女たちはずずいと詰め寄った。みんな目がキラキラと輝いている。
「リリカルモナステリオの星灯祭は、ほんっとにすごいんです!」
 パンダのぬいぐるみと一緒に勢い込んだのは、リリカルモナステリオの市街地出身のメディエールだった。
 

Illust:ミズツ


 通信用の液晶タブレットに星灯祭の写真を表示し、夢見るような目になった。
「リリカルモナステリオでは夕方になると、色んなステージでアイドルがライブをするんです。みんな星の衣装を着てて、すっごくきれいで……」
 きっとリリカルモナステリオに入学する前から、近隣の住人として招かれていたのだろう。言葉には強い説得力があった。
「すごい!」
 ミチュの顔に笑顔の花が咲く。
「ステージの周りにはたくさん夜市が出るんです。例えばわたしのお家の薬屋さんは、夜空色の瓶に入ったコロンを毎年売っているんですよ」
 メディエールは液晶に表示された写真を切り替え、ずらりと並んだ香水瓶を見せてくれた。
 きらびやかな銀河を映したような美しさに、クラスメイトたちは「わぁっ」と歓声をあげる。
「えへへ、夜市のライトアップも綺麗なんですよ。高いところにのぼると、まるで光のおもちゃ箱みたいに見えるんです」
「すごいすごい!」
 ミチュははしゃいで小さくジャンプする。
 横からノクノはミチュの肩を軽くグーでポカリと叩いた。
「もう、ちゃんと調べてから立候補しないと……」
「えへへ、ぜーんぶ楽しみたかったんだ。だってわたし、星灯祭のお祝いするの初めてだから!」
「えっ?」
 リックスはまた、ぽかんと口を開けてしまった。

『初めて?!』

 ふたたび、少女たちの声が重なった。
 星灯祭は惑星クレイでは一般的なお祭りで、ほとんどの生徒が星灯祭を祝ったことがあるだろう。
 しかしミチュは目をキラキラさせて言った。
「うん、初めて!」
「じゃ、初めてがリリカルモナステリオの星灯祭なんだ。それって最高!」
 元気にピョンと飛んだのはハーゼリットだった。
 

Illust:りんこ。


 ノクノは口元に手をやって考えこんでいる。
「じゃあ……私はミチュのぶんも星灯祭の衣装を作ろうかと思うんだけど、どうかな?」
 星灯祭の日には、ライブをするアイドルたちだけでなく、一般の生徒たちも星をモチーフにした衣装を身に着ける。それもまた、星灯祭の楽しみのひとつだった。
「ほんとほんとっ? やったぁ!」
 ミチュは元気よくノクノに抱きついた。
 その勢いに、ノクノは「わっ」と声をあげる。
「どんな衣装にするの?」
「うぅん……それはまだ考え中か」
「いいなぁ。ノクノの衣装、いつかあたしも着てみたいな」
 羨ましげに言ったのはジャイアントのリルファだ。
 

Illust:とくまろ


 身長はリックスの数倍に及び、もちろん制服は特注だ。
 悩みはショーウィンドウでオシャレな服が飾られていても、サイズが合わず買えないことだという。
「布が足りれば作れるんだけど……」
 とノクノは眉を曇らせた。
「うぅん、ありがとう! ジャイアント用のアパレルも、結構可愛い服があるって最近気づいたんだ~」
 そこから話題はジャイアント向けビッグサイズのアパレルショップの話題や、当日の衣装をどうするかという話題へと脱線していった。
 大小存在するステージにアイドルデビューしていない一年生たちは出演できないが、それでも特別な夜にはおめかししたい!
 白熱する議論の途中で「あれ……?」とハーゼリットが耳をぴょこぴょこさせた。
「もしかしてリックス、キミって星灯祭の日にライブあったり、する?」
「……うん」
 リックスはコクリとうなずいた。
 あえてそのことについて考えないようにして、うんうんとみんなの話に頷いていたリックスだが、聞かれてしまったらもう無視することはできない。
 まだまだ大人になりきらない、タンポポの綿毛のような羽がしゅしゅしゅ……と細くしぼんでいく。
「クラス委員とライブ、どっちも頑張るのは大変そうです……」
 メディエールが言って、腕のなかではパンダのぬいぐるみが不安そうに震えた。
「ううん。とっても大丈夫」
 自分に言いきかせるように、リックスははっきりと言葉をつくった。
 思いのほか、ちゃんと「大丈夫」な声になった、と思う。
 しかし——
 しゅしゅしゅ……
「あ、もっと細くなっちゃった」
 ミチュが眉を下げる。
 いくら「とっても大丈夫」な言葉が出たとしても、リックスの羽は「怖い」と感じると、細く細くなってしまうのだった。 
「ボクが代わろうか? ちょちょいのちょいでやっちゃうよ!」
 力強く言ったのはハーゼリットだ。
「えっ、本当にいいの?」
 思いがけない提案に、リックスは背筋をピンと伸ばしてしまった。
「うん! だってリックス、ずっとAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーになりたかったんでしょ? せっかくのライブ、応援したいもん」
 じゃあ代わってもらってもいいかな……?
 そう言いかけて、リックスは口を噤んだ。膝にのせた手のひらに視線を落とす。
「もう少しだけ……考えてみる」
「うん、いつでも言って!」
「ありがとう、ハーゼリット」
 ひとつお辞儀をして、リックスは教室から出た。

 廊下を足早に歩きながら、リックスの心の中では様々な想いが渦巻いていた。
(うぅ、なんでホームルームで居眠りなんてしちゃったんだろう?)
 あぁそうだ、昨日は夜遅くまでダンスの自主練をしてて……
 自己嫌悪で、頭をぽかぽかと殴りつけたくなる。
 やっぱり、ハーゼリットの申し出に甘えてクラス委員を代わってもらおうか。
 でも居眠りをしていたのに無責任だ、とクラスのみんなに思われてしまうかも……
 思い悩んでいるうちに、どんどん足取りは早くなり、リックスの目には周りの生徒たちが見えなくなっていた。
 そのとき、誰かから声がかかった。
「——そこのあなた」
 注意をするための、緊張感のある声音だった。
 けれど知り合いの声ではなかったので、自分のこととは思わずリックスはそのまま通りすぎてしまった。
 声のボリュームが上がった。
「白い羽のあなた」
 さすがに自分のことだと気づいたリックスは、慌てて足を止めた。
「は、はい」 
 リックスを呼び止めたのは、青みがかった銀色の毛並みを持つ少女だった。
 上級生だ。名前はたしか……アルハ。
 

Illust:はねこと


「靴紐がほつれていますよ。転ばないように、結んでくださいね」
「えっ」
 リックスが自分の足元に視線を落とすと、右足の靴紐がほどけてしまっていた。
「ありがとうございます、アルハさん」
「えっ?」
 アルハは、名前を呼ばれたことにやや意外そうな顔をした。
 リックスが彼女の名前を知っているのには理由があった。
 アルハは、サジッタが委員長を務める風紀委員会——通称『風紀乙女ジャッジ・メイデン』のメンバーだからだ。
 活動内容は字の通り「風紀」を守ること。
 生徒たちの身だしなみが乱れていないか、校則に背いて危険なことをしていないか、常に目を光らせている。
 例えばミチュが足のターボを噴かして廊下をダッシュすれば、たちまち「待った」の声がかかるだろう。
 例えばノクノが制服のスカートを改造し、地面についてしまうほどたっぷりのレースを着けたとしたら、これもまた「待った」の声がかかり、すみやかに戻すよう指示があるに違いない。
 そんな風紀委員たちは『風紀乙女ジャッジ・メイデン』と呼ばれ、畏敬の視線を集めている。
「あぁ、なるほど。あなたはAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロの新しいメンバーでしたね」
 アルハは自分の名前をリックスが知っていることに納得したようだ。
 風紀乙女ジャッジ・メイデンとして緊張した顔が少しほころんだ。
Absolute Zeroアブソリュート・ゼロの星灯祭ライブ、今から楽しみにしています。会場で見られるといいんだけど……当日はパトロールがあるからまだわからなくて。でも、応援しています」
「あ、ありがとうございます!」
 リックスがぺこりと礼をすると、アルハはふたたび毅然とした顔になり、すっと手をあげた。
「いえ。それでは足元には気をつけて」
「はい」
 リックスは靴紐を結びなおし、努めていつも通りの足取りになるよう気をつけながら廊下を進んだ。
 靴紐がほつれて気づかず風紀乙女ジャッジ・メイデンに注意されるなんて、初めてのことだった。
 サジッタがリーダーを務めるAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーなのに、だらしない生徒だと思われてしまっただろうか?
 恥ずかしくて、頭がぽかぽかと熱くなる。また足取りが速くなっていき、リックスは慌ててスピードをゆるめた。
 気づけば第8レッスン室についていた。
 第8レッスン室はAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロがレッスンのために押さえている部屋だった。
 リリカルモナステリオのレッスン室の予約はいつも争奪戦で、一般の生徒では定期的に押さえることはできない。
 しかしAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロは多くのファンの声援を受ける人気アイドルだ。そのため、こうしてレッスン室を押さえておくことができるのだった。
ドキドキと打つ鼓動を整えていると、ドアの向こうから声が漏れきこえてくる。
 どうやら、もう来ているメンバーがいるらしい。
「——!」
「——、——!」
 内容はこもってよく聞き取れなかったが、強い語調から、和やかな雰囲気でないことだけはわかった。
(どうしよう。入るの、待ったほうがいいのかな?)
 リックスは少しためらったあと、恐る恐るドアを開けた。
「——失礼します」 
 なかでは二人の少女が近い距離で向かい合っていた。
「アドリブは控えるべきです」
 びしっと言ったのは、オウギバトのワービーストのクラウだった。
 眼鏡のレンズを光らせ、理知的なまなざしを相手に向けている。
 

Illust:斯比


「決めた通り、に拘って良いパフォーマンスができない方が本末転倒じゃん」
 少々荒っぽい語調で言ったのは、ヒクイドリのワービーストのカシュアだ。
 腕を組み、胸を反らし、鋭い視線でクラウをねめつけた。
 

Illust:斯比


 クラウとカシュアはAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーで、サジッタと共に結成から今までずっと活動してきた。
 そんな2人の険悪な雰囲気に、リックスの身体はまたしゅしゅしゅ……と細くなってしまった。 
 理知的なクラウと、直感力に優れたカシュアが議論を交わすことは珍しくない。
 それでもいつだって「議論」であり「口論」に発展することは稀だった。
 理由は単純で、リーダーのサジッタがふたりの意見を汲み取り、結論を導き出すからで——
 サジッタ先輩はまだ来てないのかな?
 リックスは縋るようにレッスン室を見渡したが、もちろん何度見たところで、そこにサジッタの姿はない。
 サジッタは今日、風紀乙女ジャッジ・メイデンの定期会合に出ている。来るまでにはもう少し時間がかかるはずだ。
 リックスがおろおろとしている間にも、二人の口論はさらにヒートアップしていった。
「前から言いたかったからこの機会に伝えますが——」
「は? それならこっちだって——」
 ど、どうにかしなきゃ……
 焦りばかりが膨らんで、リックスはただしゅしゅしゅと細くなることしかできなかった。
 だってついこの前まで熱心なファンだったのだ。
 それを、今日からメンバーとして意見してください、と言われてもどうしていいかわからない。
「もうあなたとはやっていられません」
「お、気が合うじゃん。わたしも同じ気持ちだね」
 ついに2人はふんとそっぽを向いてしまった。
 どうしよう、このままじゃAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロが解散しちゃう……!
 そのとき、ガチャ、と音がしてドアが開いた。
「皆さん、お疲れ様です」
 長い髪なびかせて、颯爽と入ってきたのはサジッタだった。
 風紀乙女の会合のあと着替えてきたらしく、レッスン着姿だ。染みひとつない白いレッスン着に、鮮やかな緋色の髪が映えている。
 サジッタはピリピリとした空気が漂うレッスン室を見渡した。
「なにかありましたか?」
 それを皮切りにして、カシュアとクラウが餌を求める雛鳥のような勢いで訴えた。
「聞いてよサジッタ!」
「聞いてください、サジッタさん!」
 二人に押しかけられても、サジッタのクールな佇まいは変わらなかった。
「聞きます。ではカシュアからどうぞ」
 先攻を許されたカシュアは、クラウが一切の振り付けアレンジを許さないのだと訴えた。
 その間、サジッタはふむふむと頷き、カシュアの勢いがやや収まったタイミングで右羽をあげる。
「わかりました。では、クラウもどうぞ」
 後攻のクラウは、サビのタイミングでカシュアがわざと振り付けをアレンジしてくるため、リズムが狂ってしまうのだと訴えた。
 サジッタはクラウの勢いが収まったタイミングで右羽をあげる。
「どちらの意見も間違っていないと思います」
『——じゃあ!』
 ふたたび勢いこむカシュアとクラウを視線で制止し、静かになると、サジッタは口を開いた。
「ではこうしましょう。イントロからサビの直前までは、カシュアも振り付けの通りに。そこまでは臨機応変なアレンジはなし、立ち位置も決して誤差がないよう。できますか、カシュア」
「まぁ、そりゃできるさ、わたしだよ?」
 カシュアはむすっと唇を尖らせる。
 頷き、サジッタはクラウへと視線を向けた。
「サビですが、ここはきっちりと合わせることを重視せず、あえて会場のエネルギーに任せるのはどうでしょうか。左右に展開し、お互いに干渉しない形に立ち位置を調整しましょう」
「……なるほど、それでしたら」
 クラウは眼鏡のフレームに羽を当て、かすかに頷く。
 手を尽くしようがないと思われた空気が、サジッタの言葉によって、たちまち良くなっていく。
 まるで魔法みたいだった。
 サジッタは右羽を振りあげ、フローリングの練習場を指した。
「では、指摘した点に注意しながら、一度通してやっていきましょう。立ち位置の調整はそれから行っていきます」 
『はい!』
 メンバーの声が重なった。


 練習を終えたリックスは、施錠を済ませてレッスン室の外に出た。
 時刻は夜。
 すっかり陽が落ちて、廊下では角灯ランプのもの寂しい灯りが揺れている。
 鍵を返しに行くのはメンバー間の持ち回りで、今日はリックスの番だ。
 事務室のほうに足を向けると、廊下にサジッタが立っていた。
 リックスは足を止める。
「忘れ物ですか? 鍵を開けましょうか」
「いいえ。練習前、リックスも私に何かを伝えようとしていませんでしたか? あなたの意見を聞けず、すみませんでした」
 サジッタは羽先で優しくリックスの肩に触れる。
 ほっとする柔らかな感触。しかしリックスは言葉を失って、口をパクパクさせてしまった。
 サジッタは、なすすべ無く慌てるばかりだった自分に気づいていたのだ。
 恥ずかしさに、裏返った声が出た。
「いいえ、なんでもないんです!」
「……そう」
「お疲れさまでした、失礼します!」
 リックスは深く礼をして、振り返らずに歩き出した。
 不甲斐なさで頭が真っ赤に染まっている。
 もしわたしがもっとしっかりしていたら、こんな風にサジッタ先輩に心配されることもなかったのに。
 Absolute Zeroアブソリュート・ゼロのリーダーにして、風紀乙女ジャッジ・メイデンの委員長、サジッタ。
 もちろんトップアイドルの活動と委員会活動を両立させるためには、並々ならぬ努力をしなければいけない。
 しかし彼女は決して疲れた様子を見せたり、泣き言を漏らしたりはしない。
『美しいライブを魅せる、それが私の務め』
 それが彼女の信条で、圧巻のステージは人々を惹きつけてやまない。
 リックスは自分に言いきかせるように呟いた。

「——わたしも、サジッタ先輩みたいにならなくちゃ」

    ☆
 
 星灯祭クラス委員の仕事は目が回るような忙しさだった。
 会場の掃除をすることも、仕事のうちのひとつ。
 星を空にあげる会場はリリカルモナステリオ内に十数カ所設けられるため、当日のためにゴミや石ころを拾い、雑草を刈る必要がある。
 もちろん放課後に行われるAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのレッスンを減らすことはできないため、委員の仕事は朝早くに行わなければいけない。
 リックスはミチュと声をかけあって早起きをして、ときにはうっかり寝坊したりしながら仕事をこなしていった。
 

 珍しくレッスンのない放課後のこと。
「——大変大変、大事件! お星様を作らなきゃ!」
 教室でリックスが帰り支度をしていると、エンジンを噴かしてミチュが飛びこんできた。
 ドサッ!
 ミチュはデスクの上に特大の段ボール箱を5つ、まるでちょっとした塔のように積みあげた。
「お星様って……?」
 覗きこんでみる。
 中には白い傘の骨のようなものと、淡く透けた青いトレーシング紙がたくさん入っていた。
 リックスはそっと問いかけた。
「……これって、星灯、だよね?」
 正確に言えば『星灯の材料』だろうか。
 青いトレーシング紙には折り目がついていて「ここを折って組み立てるように」と示してあるかのようだった。
「うん。星灯祭で必要だからってお願いされちゃったんだ。クラスみんなのぶんと、あとはお客さんたちのぶんで……全部で300個!」
「さ、300個……」
 声がふるえてしまった。
 そんなに沢山の星を、たった2人で?
 思わず箱から目をそむけてしまったが、現実逃避をしても始まらない。
 気合いをいれるように、リックスは羽をふかふかと膨らませた。
「とりあえず、作ってみよう」
「うん!」
 リックスとミチュは隣り合わせに座り、さっそく星灯作りに取りかかった。
 まずは白い骨組みを取り出し、星の形に組み立てる。それに合わせて特殊な青いトレーシングペーパーをぺたぺたと貼り付けていく、という手順だ。
 紙は分かれておらず繋がっているので、少しでも骨組みからズレると隙間が空いてしまい、綺麗な星にはならない。
 どうにか1個目が完成させたときには、リックスもミチュも、初めの空元気は吹き飛んでしまっていた。
「難しいよーっ!」
 ミチュは勢いよくデスクに突っ伏した。
 バトロイドのミチュは、もともと細かな作業が得意ではなかった。
 以前、衣装作りに励むノクノを手伝おうとして針と糸を取ったことがあるらしいが、それ以来、絶対に布に近づかないようにとノクノから厳命が出ているほどだ。
「……うぅ」
 うめき声をあげ、リックスも両羽で顔を覆った。
 リックスもまた、手先が器用なほうではない。というよりも、いわゆる『手』自体を持っていない。
 羽を駆使してペンで文字を書いたり、食事をしたりということはできるが、例えば針と糸を使って細かな縫い物をしろと言われると難しい。
 そんな2人にとって「星を300個作る」というのは眩暈がするほどの大仕事だった。
 リックスとミチュは悲痛な叫びをあげる。
「このままだと……」
「みんなの星が下手くそになっちゃうよ!」
 2人が大騒ぎをしていると、教室に残っていたハーゼリットがピョンと近づいてきた。
「ねぇねぇ、どうしたの?」
 かくかくしかじか。
 状況を説明すると、ハーゼリットがぴょこんと耳を動かした。
「よし、それならみんなで作ればいいよ」
「えっ?」
「みんなー!」
 ハーゼリットの呼びかけに応えて、放課後の教室に残っておしゃべりをしていたノクノ、リルファ、メディエールがやってきた。
「うん、お手伝いさせて」
「あたしは大きいお星様作ろっと!」
「えへへ、わたしでよければ」
 チーム分けはこうなった。
 身長が大きなリルファと、機動力のあるミチュはビッグサイズの星灯班。
 手先の器用なノクノ、メディエールは小ぶりな星灯班。
 ハーゼリットとリックスは星灯の元になる枠を組み立てる班だ。
 手は素早く動かしながら、おしゃべりに花が咲いた。
「皆さんは、お星様にどんなお願いをするんですか?」
 メディエールが問いかけると、 
「はいはーい!」
 とリルファが元気に手を上げた。
「あたしは、ジャイアント向けのカフェがもーっと増えますようにってお願いするんだ~」
 あぁ〜! と少女たちは納得の声をあげる。
 リリカルモナステリオの市街地にはたくさんのパティスリーやカフェがあるが、リルファが座れるほどの大きなテーブルとチェアを用意している店舗はごく少数だ。
 きっと悔しい思いをし続けてきたのだろう。
「じゃあボクも耳が出せるデザインの帽子がもっと増えますように、ってお願いしようかなぁ」
 と言ったのはハーゼリットだ。
 オシャレで私服をたくさん持っているハーゼリットだが、帽子だけはそうもいかず、諦めることが多かった。
 

Illust:りんこ。


 種族というものは国家や地域ごとにある程度の偏りがあるものだが、世界各国からアイドル志望の少女たちがやってくるリリカルモナステリオは驚くほど多くの種族が暮らしている。
 もちろんすべての種族の人々が暮らしやすいよう配慮されているが、それでも『こうだったらいいな』は数え上げればきりがないほどだ。
「うーんでも、せっかくだもん、もっとでっかい夢をお願いしなくちゃかな」
 ハーゼリットは枠を組み立てながら「うーん」と唸っている。
 そこに、太陽のような笑みを浮かべ、溌剌と声をあげたのはミチュだった。
「わたしは世界中の人が気づいてくれる・・・・・・・アイドルになれますように!」
 そう言って、リルファの前に追加の段ボールをドンと置いた。中にはヨットの帆のように大きなペーパーがたっぷりと入っている。
 その多さに、リルファが「わっ!」と悲鳴をあげた。
 反対に、手のひらで包み込めてしまうほど小さな星灯を作りながら、ノクノが言った。
「私は、故郷の人たちがみんな健康ですごせますようにって……お願いしようかな」
「うんうん、元気なのが一番です。わたしも、家族とお友達のみんなが健康でありますようにって、お願いするつもりです」
 メディエールも小さな指で小さな紙を折り、頷いた。
「みんな、素敵なお願いだね」
 そう言って、リックスは枠を組みあげる手を止めた。
「わたしのお願いは……」
 わずかに逡巡する。
 けれど抑えきれず、胸のうちから願いがこぼれた。

Absolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーになれますように」
 
 少女たちは一斉に首をひねった。
「リックスちゃん、もうAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーだよね?」
 不思議そうに言ったのはノクノだ。
「う〜〜〜そうなんだけど〜〜〜〜〜〜っ」
 上手く言葉にできなくて、リックスは机のうえに倒れ込み、腕をバタバタさせてしまった。
 そうだけど、そうじゃない。
Absolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーは、もっとも——っとすごくなきゃダメで……わたしなんかじゃまだ全然メンバーになれてなくて〜〜〜〜〜〜〜」
 バタバタ、バタバタ!
 星灯祭のクラス委員として忙しく過ごしたことでわかったのは、忙しい日々を完璧にこなすサジッタのすごさだけだった。
 サジッタに追いつくために始めたことなのに、距離がさらに広がってしまった気がするのは、どうしてだろう?
 
 
 時間はあっという間すぎ、星灯祭当日の夕方。
 一年生寮の談話室は、ビー玉をひっくり返したような騒ぎだった。
 星をあげるスポットの最終チェックにいそしむ生徒。
 手作りの衣装が仕上がらずに泣きべそをかいている生徒。
 夜市の人気店の情報を交換し、残らず回るために戦略を立てている生徒。
 思い思いの時間を過ごしているあいだに空鯨は高度を落とし、ストイケイアのとある沿岸に着水した。
 星灯祭期間中、生徒たちは鯨の外に出て星をあげることが許されている。もちろん、外には出ず空鯨に残って夜市を楽しんでもいい。
 星灯祭は自由で素敵なお祭りなのだから。
 空鯨は空を飛んでいるときはドームに覆われており、ドーム内の天気や気温が管理されているが、今日は違う。
 海から潮の香りのする風が、爽やかにリリカルモナステリオを吹き抜けている。
 そんななか——
「じゃあ、行ってきます」
 荷物をいっぱいに詰め込んだリュックサックを背負い、リックスは寮の出入り口に立った。
 リュックのなかには、タオルや水筒、身支度を整えるための道具が入っている。
 ライブのリハーサルのため、みんなよりも先に寮を出なければいけないのだ。すでに緊張でリックスの顔は強張っている。
 見送りにやってきたクラスメイトたちは、たくさんの応援の言葉をかけてくれた。
「頑張って、リックス!」
「ライブ、楽しみにしてるよ!」
「ぜったいに素敵なステージになります!」
 嘘偽りのない、心からの声援。
 リックスはリュックを背負い直しながら、自分に言い聞かせるように頷いた。
「うん、とっても大丈夫……!」
 決意を示すようにリックスはパッと身を翻し、足早に寮を出た。
 間もなく星灯祭が始まる。
 噴水の周りにはすでに夜市の露店が立ち並び、あとは電燈を灯すだけといった雰囲気だった。
(……きっと夜になったらとっても綺麗なんだろうな)
 でも、今日はゆっくりと見ることはできない。心惹かれながらリックスは駆けていく。   
 ついたのは、リリカルモナステリオの芝生広場の中央に設置された大ステージだった。
 今日、わたしは『Absolute Zeroアブソリュート・ゼロ』として、ここでライブをするんだ。
 リックスは震える声を張り上げた。
「——おはようございます、今日はよろしくお願いします!」
 
    
 
 舞台袖の幕の隙間から客席を見ると、芝生の上に設けられた客席はお客さんでいっぱいだった。
 リリカルモナステリオの生徒たちが8割ほどで、残りの2割が恐らく一般のお客さんだろう。みんな星がモチーフの衣装でおめかして、それぞれの星灯を抱きしめている。
 誰もが、ライブが始まるのを期待に胸を膨らませて待っていた。
「——……」
 舞台袖で、リックスは言葉を忘れ、ぎゅっと目をつむった。
 間もなく出番だ。
 この大ステージで、Absolute Zeroアブソリュート・ゼロの出演順は最後だった。
 それはただの『トリ』とは違った意味を持つ。
 祈りのこめられた星々が、空に、海に、遙かなるところまであがっていくのを送り出す歌は『星の灯し歌スターライト・メロディ』と呼ばれており、それによって蒼い星々はいっそうの輝きを放つ。
Absolute Zeroアブソリュート・ゼロは『星の灯し歌スターライト・メロディ』を歌う、重要な役目を負っていた。
 決して失敗は許されない。
(大丈夫、とっても大丈夫……!)
 リックスは心のなかで自分に言い聞かせ、ぎゅっと唇を引き結んだ。
 そのときだった。

——ぽつり。

 おでこの真ん中に、冷たい雨が一粒あたった。
「……?」
 リックスはゆっくりと顔を上げた。
 大ステージは屋外に設置されているので、見えるのは天井ではなく深い濃紺の夜空だ。きらきらと星がまたたいている。
(……気のせいかな?)
 そう思ってしまうほどかすかな雨は、ぽつり、ぽつりと少しずつ勢いを増していき、やがて、傘を差すか迷うほどの雨勢になった。
(このままじゃ、もしかして……)
 リックスは胸の前で震える手を合わせた。
 そこに、風紀乙女のアルハが足早にやってきた。
 彼女は風紀乙女として、星灯祭の進行にも関わっているようだ。ライブのリハーサルのときも、様々な人に指示を飛ばしているところを見た。
「——サジッタ委員長、ご相談が」
「なんでしょうか」
 良い相談ではないことは明らかだった。
 察したサジッタの声音が鋭くなる。
 アルハは深刻な面持ちで頷いた。
「雨でステージが濡れています。パフォーマンスに支障が出るかもしれません」
 アルハは決めかねているようだった。
 サジッタは静かに夜空を見上げ、次に舞台を見て、それからAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロの登場を待ちわびる客席へと真剣な視線を向けた。
 一拍を置いてから、口を開いた。
「私はパフォーマンス可能だと思います」
「本当にいいんですか?」
 アルハの声に驚きが混じった。
 サジッタは決して無茶をするような性格ではない。らしくない決断だ、という気持ちが声に現れていた。
「大丈夫です。私たちのステージは地だけでなく、空にもありますから」
 サジッタは振り返り、メンバーたちへと言葉を投げかける。
「いいですね、皆さん」
「おうよ! いいねぇ、ハプニング。ワクワクする!」
 軽く拳を握って応えたのはカシュア。
「はい、もちろんです」
 静かに青い髪を揺らしたのはクラウだ。
 そして最後にサジッタはリックスを見た。
 弾かれたように、リックスは慌てて口を開いた。
「はい、とっても——」
 大丈夫です。
 そう言わなきゃいけないのに、声がうまく出てこない。
(どうして……?)
 そのときふと、気づいたことがあった。
(わたしさっき、アルハさんが来たとき——雨でライブが中止になるかもって、ちょっと嬉しくなったんだ。今日はもうステージにあがらなくていい。そうしたら失敗することもないって——)
 自分の胸によぎった弱い心に、リックスは気づいてしまった。
 ダンスのステップが上手くいかないとき、歌にいつまでも納得がいかなかったとき。
 辛いと思ったことは、これまでにも数えきれないほどあった。
 そのすべてがちっぽけに思えてしまうほどショックだった。
(こんなんじゃ、駄目だ……)
 素敵なAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーとして、こんなわたしがいていいはずがない。
 言葉が溢れだした。
「……だ、大丈夫じゃ、ないです」
 毅然としていたサジッタの眉が、かすかに揺れた。
「リックス?」
「だって、わたしじゃ実力不足です」
 ひとつ吐露してしまえば、羽が舞い落ちるように言葉が止まらなかった。
 ずっと悩んでいた。
 自分がAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロの4人目のメンバーに選ばれたのは、応募者のなかに鳥類のワービーストがいなかったからに違いない。
 だから、サジッタ先輩はオーディションでパフォーマンスを見る前に自分を選んでくれたのだ。
 実力ではなく、ただ幸運な条件が重なっただけなのだと——
「だから、どうかわたし以外の3人でパフォーマンスしてください」
 リックスは腰を折り、深く深く頭を下げた。
 そこに——
「あれ? ちょっと待って待って」
 素っ頓狂な声をあげたのはカシュアだった。
「サジッタってリックスに言ってないの?」
 なんのことだろう?
 思わずリックスは顔を上げてしまった。
 カシュアはサジッタを羽先で指している。指されたサジッタは、珍しいことにややばつが悪そうな顔をしていた。
 それに構わず、カシュアは頓狂な声で詰問を続ける。
「リックスが入学してくる前から、リックスのダンス動画見てたんだって。スクショ取って待ち受けにしてたって——言ってないってこと?」
「……言っていません」
 やはり、珍しいことにサジッタの声音には覇気がない。
「はぁ?」
 カシュアの呆れ声が響いた。
「じゃあメンバー募集の張り紙もリックスに来てもらうためだったって言うのは?」
「……言っていません」
「なんでよ?」
「……プレッシャーを与えてしまうのはよくないかと」
「いや、プレッシャーじゃなくて自信になるから言いなってわたし言ったじゃん」
「機会がなくて……」
 サジッタの声がどんどん小さくなっていく。
「え? え?」
 会話の意味がよくわからなくて、リックスはしきりにまばたきしてしまった。
 サジッタがわたしのダンス動画を見てくれていた? 
 オーディションの張り紙もわたしのためだった?
 信じられなくて、自分のほっぺたを強くひっぱりたくなってしまう。
 これって、夢じゃないのかな。
「“言葉じゃなくて行動で示す”——とかカッコつけてさ、言葉にしないのがダメなトコだっていつも言ってるじゃん」
「今回は私もカシュアに同意します」
 クラウもうんうんと頷いている。
 2人に叱られ、サジッタはしばらく考え込むように視線を右に左にと向けていた。いよいよ決意したようで、
——コホン。
 ひとつ咳払いをして、リックスをまっすぐに見た。
「出会う前からずっと、あなたのパフォーマンスを素晴らしいと思っていました。だから今日、一緒にステージに立てることが本当に嬉しい」
 いつもは絶対零度アブソリュート・ゼロの声が、今は人肌の温度をしていた。
「それでも不安に思ったときは——私を見てください。私があなたの一番のファンであることを、どうか思い出して」
 サジッタはそっと羽をリックスへと差し出した。
「私と一緒にステージに立ってくれますか?」
「……はい」
 サジッタの言葉はまるで魔法みたいだった。
 胸にわだかまっていた雨雲のような黒いモヤモヤが、爽やかな風が吹いたように晴れていくのがわかる。
 縮こまり、細くなってしまっていた身体が、ふくふくと柔らかに膨らんでいく。
 カシュアとクラウは「やれやれ」と言うように肩を竦めた。
 サジッタはその美しい翼を広げ、ライブを待ちわびている観客たちを見据えた。

「さぁ、Absolute Zeroアブソリュート・ゼロを始めましょう」

  ☆

 星灯しの歌がリリカルモナステリオに響いている。
 その美しい歌声に導かれ、ひとつ、ふたつと星々は青い光を放ちはじめた。

——ひとつ。
 金にまたたく笏を手に、にこやかに微笑むハーゼリットのまわりで。
 

Illust:りんこ。


——ひとつ。
 ひとつに結いあげた髪を夜風になびかせる、リルファの腕のなかで。
 

Illust:とくまろ


——ひとつ。
 仲良しのパンダをそばに座らせて、一緒に夜空を見上げるメディエールの視線の先で。
 

Illust:ミズツ


——ひとつ。
 木の枝に腰かけ、湖畔に足を遊ばせているルーテシアの手のなかで。
 

Illust:なないち雲丹


——ひとつ。 
 ドレスのドレープを軽やかにひるがえし、海辺で遊ぶキョウカの頭上で。
 

Illust:やちぇ


 そして——
「雨、止んだみたい」
 そう言ってノクノは顔をあげた。
 ノクノがいるのは、リリカルモナステリオの鯨を降り、少し離れた海辺だった。
 星灯祭期間中、リリカルモナステリオの空鯨はストイケイアのとある海岸に身を寄せ、生徒たちは自由に内と外を行き来することが許されている。
 ノクノは外に出て、海で過ごすことを選んだ。
 空をいくリリカルモナステリオにもちろん海はなく、プールに星を浮かべても祈りが海に流れていくことはない。
 海で生まれ育ったノクノにとって、星灯祭は祈りを果てしなく広がる海へと託すお祭りだった。
 

Illust:kaworu


「ねぇノクノ、見てみてっ、きれいな星飾り!」
 そばで声がはじける。
 ミチュだった。 
 

Illust:kaworu


 寮友のミチュも、ノクノと一緒に海辺で過ごしていた。
 彼女のために作った衣装がよく似合っている。胸元で、貝をかたどったアクセサリーがキラリと光った。
 いま空鯨の中ではきらびやかな夜市がたち並び、そこには少女たちの胸をワクワクさせるものが溢れているのだろう。
 飴のかかったフルーツに、宝石のようなスティックアイス、目移りしてしまうアクセサリー。
 けれどここには自然のほかには何も無い。
——ざざぁ……ざざっ……
 あたりには、打ち寄せる波の音と星々のまたたきだけが満ちている。
 と、そのとき。
 すこし離れたところに設置された大型液晶モニターに、ふつりと電源が入った。
 映し出されたのは、深い瑠璃紺の天幕が張られたステージだ。
「わ、始まるよ!」 
「うんっ!」
 ミチュとノクノは歓声をあげる。
 ステージに現れたのは、圧倒的なカリスマ性を持つサジッタに、身体能力を生かしたダンスで魅了するカシュア、優等生的な雰囲気を持ちつつも観衆の意表を突くパフォーマンスのクラウ、そして——新メンバーのリックス。
 昼はいつも眠そうにしているリックスだが、陽が落ちた今、眠たげないつもの雰囲気とはまったく異なっていた。
 ふわふわの身体はまだまだ子どもっぽいが、そのまなざしは獲物を狙う猛禽の鋭さを帯びている。
 まさしく絶対零度アブソリュート・ゼロの名を冠するにふさわしい。

——それは数ヶ月前のこと。
 入学したばかりの一年生が、人気グループAbsolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーとして選ばれたというニュースは学園内を駆け巡った。
 リックスのことを知らない他学年の生徒たちは「どうしてだろう?」と一様に首をかしげた。
 けれど、彼女の姿をそばで見ているクラスメイトたちは誰も驚かなかった。
 リックスがサジッタにどれほど憧れているかを知っていたから。
 そのためにたくさんの努力をしていることを知っていたから。
 そして——
「リックスのダンス、断トツにカッコいいんだもん!」
 まるで自分のことのように嬉しそうにミチュは笑った。

  ☆

 ステージからは、熱狂の余韻にざわめく人々の声が、波の満ち引きのように聞こえてくる。
 パフォーマンスを終えたリックスの胸は、まるで何十キロものマラソンを終えたあとのようにドキドキと打っていた。
 舞台袖に戻ってきたリックスが肩を上下させていると、同じくステージから戻って来たカシュアが「気持ちよかったなー!」と声をあげた。
 そして、後ろのクラウに向かって振り返り、
「ほら、やっぱり“決めた通り”にこだわるよりもアドリブで伸び伸びやったほうが良かっただろ?」
「…………」
 黙りこみ、クラウは頬を膨らませている。
 また喧嘩だ。
 リックスは思わずサジッタのほうを見やったが、サジッタは静かに首を横に振った。
「大丈夫です。この2人のやり取りはもう10回は見ていますから」
 サジッタの声が聞こえていないらしいカシュアは、クラウに詰め寄っている。
「だってさ、クラウのダンスはアドリブが一番良い・・・・・・・・・・・・・・・・・んだから!」
「……でも」
 クラウは悔しそうに目を伏せた。
「せっかく完璧に作られた振り付けにアドリブをいれるなんて……」
「いや、振りを作ったわたしがアドリブでも良いって言ってるんだからさぁ!」
 サジッタは2人から視線を外し、リックスに向かって頷いた。
「ということです」
「な、なるほど」
 つまり——
 カシュアはクラウのために「アドリブを入れるべき」と主張していた。
 クラウはカシュアのために「決められた通りに演じるべき」と主張していた。
 2人とも、自分のためではなく相手のためを考えすぎるあまり、喧嘩になってしまう——と、そういうことだった。
「ふふっ」
 リックスは思わず笑ってしまった。 
 困った人たちですね、と言うようにサジッタも肩を竦める。
 4人はライブ衣装のまま、舞台袖から会場に出た。
「ありがとう!」
「すごいライブだったよ!」
 Absolute Zeroアブソリュート・ゼロに気づいた人々は、口々に歓喜の声をあげた。
 すると、星灯が入った篭を抱えた少女が、4人のもとに駆け寄ってきた。
「ライブ本当に素敵でした! はい、星をどうぞ!」
 少女はカシュアに向かい星灯を差し出した。
「やった、今年はライブがあるから星あげられないかと思った」
「いいえ! だって星灯祭なんですから。はい、リックスさんも星灯をどうぞ」
「ありがとうございます」
 受け取った星灯は、灯りによってかすかにぬくもりを帯びていた。
 カシュアはニッと歯を見せ、メンバーに言葉をかける。
「ねぇ、ここで星あげちゃわない? 今、サイコーの気分なんだ!」
「珍しく意見が合いますね。賛成です、私も最高の気分ですから」
 クラウも頷いた。
(……願い事)
 リックスは手に持った星灯に視線を落とす。
——Absolute Zeroアブソリュート・ゼロのメンバーになれますように。
 教室でリックスはそう願った。
 ライブをするまで、その願いを変えるつもりはなかった。
 だけど今は——
 星灯はリックスの心のうちを現して、ふるえるように瞬いている。
「いけっ」
 軽やかに言って、さっそくカシュアが星をあげた。
 それを目で追いながら、クラウが問いかける。
「どんなお祈りをしたんですか?」
「ふっふっふっ、よくぞ聞いた」
 カシュアは腰に羽をあて、自信満々に笑った。
「わたしのダンスで世界征服!」
 クラウは眼鏡のブリッジを羽で押し上げながらため息をついた。
「また変なことを……」
「じゃあ自分はどんなお願いをするのさ」
「私のダンスでワールドツアーを達成します」
「それもう世界征服じゃん?」
 2人の会話を聞いて、リックスはころころと笑ってしまった。
 クラウの手から離れた星灯も、笑い声にあおがれたようにぐんぐんと空へと舞いあがり、カシュアの星灯に追いついた。
 華やかなお祭りのムードと、さっきかけてもらった言葉に背中を押され、リックスはサジッタへと問いかけた。
「サジッタ先輩は、どんなお願いごとをするんですか?」
 口にしてから、少し後悔がやってきた。
 不躾な質問だったかな。
 しかし星灯を胸にいだいたサジッタは、やわらかに微笑んでいた。
「きっとリックスと同じお願いですよ」
「えっ?」
 思いがけない答えに、リックスは目の前に無数の金平糖が落ちてきたかのように驚いてしまった。
 すぐに、胸の底からあたたかな気持ちが湧き出てきて、羽が綿毛のようにふかふかと膨らんでいく。
 喜びが声になった。
「はいっ」
 青く光る2人の星は、まるでお互いに手を取りあうように空の彼方へとのぼっていった。

——このメンバーと、ずっとステージに立っていられますように。

 少女たちの祈りは、夜空にきらきらと輝いていた。