ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
Illust:北熊
俄雨が去った。
夏の夕。濡れた土とそよぐ草の芳しい匂い。ひぐらしが喧しい。
廃寺からは尺八の音が聞こえている。
──。
「お師匠様」
熱気の刃アルダートと轟炎獣カラレオルが、赤い陽が差す草むらに跪いた姿勢で姿を現した。どこからともなく風のように現れたのに、周囲の叢は乱れていない。2人とも格段に腕を上げている。
尺八の音が止まった。
無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスは自ら奏でた音色の余韻と、何者かの囁きに耳を傾けるかのように一瞬目を閉じて、呟いた。
「来たな」
「大2つ、中3つ、小5つ」
「凌駕の手勢、まずは小手調べというわけだな」
ヴァルガはそっと両の剣に手をかけた。崩れかけた縁側にただ腰掛けていたはずなのに、彼がいつ尺八をしまい、剣を引き寄せたのか、その脇に侍る時は片時も目を離さないアルダートでさえ全く気がつかなかった。
まさに剣により身を立て剣と共に生きる、無双を標榜するヴァルガは真の意味で剣客である。
「……お師匠様!お願いがあります!」
「やってみるか」
ヴァルガは、夕風が凪いだ程度にしか関心の無さそうな様子で弟子に声をかけた。
対するアルダートはぱっと顔を輝かせた。立ちあがると、愛用の片手剣はすでに逆手持ちに構えられている。
「ありがとうございますッ!」
「工夫せよ」
「はい!露払いに!」
重々しい師匠の言葉にアルダートはけし飛ぶ勢いで走り出した。友であるカラレオルもまた遅れることなく追い駆ける。
2人が去ると、境内には剣客がしがむ茅萱の茎と虫の音が絶えた叢だけが、ふたたび吹き始めた緩い夕風に吹かれていた。
アルダートとカラレオルの足元が草原から岩場に変わった。
その行く手は崖だ。
だが2人はまったく躊躇うことなく、岩の突端から身を躍らせた。
──!・!
水音を立てて、火竜とハイビーストは浅い海に飛び込んだ。
すでにアルダートの右手には片手剣が抜かれ、カラレオルは炎の息を喉元までこみ上げさせている。
周囲の海面が泡立つと、5体のバトロイドがぬっと姿を現した。
いずれも両手に短剣を構えているのは、銀色にオレンジの帯が入った機械歩兵だ。
尖兵を担うこのインバルディオ端末の名は(2人は知る由も無いが)ファルステイターという。
その体表がいかなる金属にしても、塩水に浸かることも潜ることも問題は無いらしい。
Illust:けんこ
曇天。海は暗いが陽は鈍く雲間から漏れている。
波は静かで風も凪。
……。
アルダートが右に動いた。
海水の抵抗を苦にすること無く、滑るようにファルステイターに近づくと振り回される2つの短剣をくぐりぬけ、1体を胴切りに続けて1体を逆袈裟に切り上げる。
カラレオルはその場から動かずに炎の弾をひと吐き。
真正面のファルステイターが火に包まれて倒れるのを待たず、左のファルステイターにも放つ。
だが直線の動きを読まれ、直撃には至らない。
凌駕の手勢の戦闘意思の高さは、左腕と刀を吹き飛ばされても、なお接近を止めない様子で窺えた。
カラレオルもまた慣れぬ足場(彼ははるか北方、ドラゴンエンパイアの山岳出身だったから)でも海底に足を踏ん張り、突進に備えた。
2体までならば吹き飛ばす自信がある。
そして1体。
片腕のファルステイターは壊れた人形のように吹き飛び、無傷だったもう1体もカラレオルのひと噛みでスクラップと化した。
残るは1体。
!
最後のファルステイターの頭部が急に背後を振り返ると、肩の小さな羽根を展開させ、海面を波立たせながら一気に空へと飛び去った。どうやら重力に反して、自在に移動する手段が備わっているらしい。
それが劣勢に困惑したり怯えたりしたのではない証拠に──
「なんだ!?こいつら……」
倒したはずのファルステイター4体もまた、ものによっては粉々になった破片ごと宙に浮いて、同じように空へ飛び去ってゆく。
「修復している?!」
アルダートの鍛練を重ねた目は、破壊された部品がまるで生物組織が高速再生するかのように、それ自身が元通りに修復されながら、また相互に引き合って元の機体の形となっていくのを見逃さなかった。
お師匠様に知らせなければ……。このままでは露払いにもならない。
「いや、十分だ。先に行く」
彼の思考を読んだかのごとく、空から剣士ヴァルガの声が聞こえ、弟子アルダートがハッと顔を上げた時には、すでに翼を広げた師匠の姿はファルステイター達の後を追って、視界の端に消える所だった。
Illust:萩谷薫
ヴァルガが降り立ったのは深い山林の中。
夜は深い。
無双の剣士は蹲踞の姿勢のまま、森の空き地の中心に凝固している。
その表情からは先程、気まぐれに尺八を吹いていた時との変化は微塵も窺えない。
夕景の廃寺、曇天の海岸、そして深夜の山林。
変わったのは「環境」だ。
そしてこの奇妙で劇的な変化の原因を、ヴァルガと弟子達は知っていた。
実は、これは自然の環境では無い。
ブラントゲート大型都市ドームよりも広く、巨大な密封型闘技施設なのだ。
闘技と聞いて、惑星クレイ世界の事情に詳しいものはすぐに思いつくことだが、いまヴァルガと弟子達が“凌駕”を名乗る謎のバトロイドと戦っているのは「ノヴァグラップル」である。
ノヴァグラップルとは武器・魔法・超能力使用無制限の格闘競技イベント。一大エンタテインメント産業として、発祥国であるブラントゲートはもとより、惑星規模での人気と視聴者、ファンを獲得している。
特にここはある目的のために作られた、その最新鋭の会場施設なのだ。
その名もノヴァグラップル《デッドゾーン》。
大きく4つに分かれた闘技エリアは、廻り舞台のような即座の場面転換を可能とする。
しかもそれぞれのエリアも、クレイ世界にあるものであれば(ものによってはこの惑星では無いものも)、数時間から最大1日で完璧に再現できるという優れものなのである。
そして今──。
前に大1中1小1、左右がそれぞれ小2、背後には大1中2小2。
ヴァルガは目を閉じたまま、それだけ数えた。
10対1。
完全に包囲されている。
相手の背後の包囲を固めることは、退路を断つこと、追い詰める心理的効果、さらにどんな戦士であれ背後には死角が生まれることからも、戦術として理に適う。
これはつまりこの状況が偶然の結果ではなく、戦闘部隊としての規律と統制下にあるという事を示す。
そしてもうひとつ、この包囲には重要な要素があった。
先に彼の弟子であるアルダートとカラレオルが倒したはずの4体が、敵の手勢としてすでに復活していることだ。
「……」
ヴァルガはすでに抜いていた。
右は光、左は闇に輝く刃。両の手は翼を畳んだ羽根のように閉じられ抱えられている。
またしてもいつ抜いたのか。
バトロイドが一斉に動き出した。
もっとも小型の(アルダートたちを襲った)二剣を持つファルステイターが前後左右から、押し包むように殺到する。
5対1。
ヴァルガには取りうる選択肢は少ない。
弟子アルダートとカラレオルのようにこちらから動いて各個撃破するか、それとも避けるか、いずれにしてもアクションが必要だ。
だが……。
ヴァルガは第3の選択肢を採った。つまり、受けである。
ガシャッ!
金属が互いに触れあう音を立てて、小型ファルステイターがボール状に固まった。では中心にいるヴァルガは四方から突き刺されたのか。
続けて、前と後ろから中型のバトロイド、イノ・プログレッテが味方の機体が作り敵の動きを封じたボール状の“檻”に、長い刃をもった紅の剣を突き立てる。
想定通りの戦法、これで止めだった。
ヴァルガは密集する刃の檻の中で絶命
Illust:石田バル
──していなかった。
ピ!ピ!ピ!ピ!
四閃。
バトロイドが作った金属のボールに、光と闇の筋が走った。
バラバラバラ……。
散り散りに切り刻まれた中小のバトロイド達の部品が作った山の中心に……
羽ばたくように両手を広げたヴァルガがいた。
! !
大型のバトロイド、ドラス・エヴォリアは前後に2体。
味方が壊滅したことにも躊躇せず動き出したのは、“凌駕”の手勢としては高度な思考と現場指揮の能力を与えられているからだろう。
ドラス・エヴォリアは示し合わせたかのように前後から走り寄ると、振りかざした鎌状の武器でヴァルガを薙ぎ払った。軌道は互いにわずかにずらしてある。理想的な挟み撃ち
……のはずだった。
ヴァルガは極限まで刃を引きつけてから身をかがめ、避けると、正面を光の剣で突いて胸部を貫通、同時に闇の剣の斬撃が背後の敵の胴を真っ二つにした。
凍りついたように動きを止めた2体のドラス・エヴォリアは、ヴァルガが剣を収めると、糸が切れたように地に倒れた。
血振りをしたヴァルガは翼を広げると、何ごとも無かったかのように空へと飛び立った。
Illust:とりゆふ
凌駕と無双のために用意された“廻り舞台”。
その最後は(意外にも)何の変哲もない夜の氷原だった。
そもそも──後に判明するが──このノヴァグラップル《デッドゾーン》は、某CEOの指示の下、格闘会場としては非常な急ピッチで造られたものだ。残り4分の1が未完成だったとしても不思議ではない。
「工夫セヨ」「ハイ露払イニ」「ナンダコイツラ」「イヤ十分ダ先ニ行ク」
声は氷原に立つ白銀の機体から発せられていた。
言葉は決して多くはない無双の主従から発せられた音声から、いまパターンを学習しているのである。
羽ばたきと共に、ヴァルガが氷原に降り立った。
「……」機械の声が止んだ。
「招かれて、来た。この声はもう止めろ」
「ムソウ」
白銀のバトロイドは長い金髪を振って、そして完璧な女性音声で冷たく言い直した。
「無双の運命者ヴァルガ・ドラグレス」
惑星クレイ世界標準語の学習は完了したらしい。
「X-ceedの呼びかけは止めた」
「予言と予知によれば、おまえは最強としてこの俺に挑戦してきたそうだが」
「インバルディオは全てを凌駕する」
凌駕の宿命者インバルディオは自らの存在意義を極めてシンプルに表現した。
「インバルディオはお前を凌駕する」
「無論、受けて立つ。挑まれれば倒すまで」
その背後には先程倒したはずのバトロイド、ファルステイター、イノ・プログレッテ、ドラス・エヴォリアが隊列を作っていた。ヴァルガを半包囲しているのだ。
「不死身か」とヴァルガ。
「インバルディオは改修したのだ。先の攻撃はもう効かない」
凌駕の宿命者は頭部の透明なパーツに光を走らせた。
「試してみろ」
「試す必要は無い」
光と闇の剣を体前でクロスさせる。
予備動作もなく、次の瞬間ヴァルガはインバルディオの目前にいた。
右腕が断たれる。
インバルディオは何もなかったかのように蹴りで押し返すと、腕と共に凍った地面に落ちていた銃を拾い、左手で射撃する。
ヴァルガは至近距離からの応射を避けた。
その背後で爆発が巻き起こる。
至近への着弾だが、包囲の人垣を作っているバトロイドは乱れること無く、それぞれの武器をかざしてヴァルガに殺到した。
乱戦になった。
斬る、躱す。突き返し、くぐり抜け、斬る。また斬る。斬る!斬る!斬る!
再び10体が瓦礫の山と化すのに、数秒とかからなかった。
「お師匠様!」
ヴァルガが上体を伏せた。
その頭上をインバルディオのビームが通過する。
声をかけたのは2つのエリアを走りきって、ようやく合流した熱気の刃アルダートだが、その横で瓦礫を念入りに踏み潰し噛み砕く轟炎獣カラレオルにも、師匠ヴァルガは目もくれない。感謝が無いのではない。その逆で、この自分の戦いにここまで付いてこられる弟子達をそれだけ信頼しているのだ。
「おまえは飛べるか」
ヴァルガは翼を広げて飛び上がると、上方からインバルディオに迫った。
左腕が断たれる。
「改修した」
インバルディオは平板な冷たい声でそれだけ言うと、右腕で落ちた左腕を抱えて、後方へ長く飛んで見せた。
一動作で左腕が繋がる。
再びの射撃。
ヴァルガは残像を残す体捌きで避ける。
「お師匠様……」
アルダートは相棒にならって、次々復活するバトロイドたちを徹底的に片手剣で潰しながら、空を見上げて師匠を案じた。
無限とも思える“修復”能力を持つ敵に、無双はいかにして勝利するのか。
Illust:saikoro
──惑星クレイ上空、約1000km。極軌道。
歴史という見地から振り返ると、宇宙空間に浮かぶその天体は比較的早くから、人工のものとしてその特異性に注目され、監視されていた。
ブラントゲート宇宙軍による命名によれば、その衛星は──正しくはそれが放つ信号は──
SYSTEM CODE:X-ceed
と呼ばれている。
それはつい先日から、惑星クレイ世界の全スキャンを開始。
そしてパターンと数学的分析を経て選び出した、ある一点に向けて電波信号を送り続けている。
01100101 01111000 01100011
01100101 01100101 01100100
信号は一見、ただの数字の羅列だ。
だが奇妙なことに、これが選ばれた者の頭には(その者が理解できる言葉として)こう伝わるのだ。
「来たれ、南極の地へ。汝が最強であることを証明するために」
声は、一度聞こえたら何時も離れることが無い。我最強と思うのならば来て戦えと煽り、誘う。
そして選抜された者はやがて声が指定する地に行かざるを得なくなる。
これこそが何者かが作ったSYSTEM。
最強のファイターを誘う、永遠の闘争のカラクリだ。
だがそんな策を講じずとも、最強を証明するためならば地の果てまで行くような者もこの世には存在する。
そんな無双の運命者に、先程までメッセージを送り続け、今ははるか眼下の戦いをモニターしているX-ceedに今、異変が生じていた。
ヴァルガは2つの変化を剣先で感じていた。
ひとつは「見切られる回数が増えてゆく」こと。
凌駕の宿命者インバルディオは、この戦いのごく短い間に、ヴァルガの戦闘パターンを学習したようだ。
ヴァルガが放つ一撃ごとにインバルディオの反応が良くなり、ヴァルガの予測よりも早く防御し・受け流し・反撃してくる。
それは今までに味わったことの無い感覚だった。並みの剣士ならばとうに戦意は折れているはず。
だが、燃えた。
無双とはヴァルガにとって、頂点の傲慢を指す言葉ではない。
並び立つ者が無くなるまで自己鍛錬を繰り返す、自戒の証である。
つまり無限に修復し学習するような手応えを感じさせるインバルディオは、最高の鍛練の相手と言えるのだ。
もうひとつの変化。
それは──矛盾するようだが──「学習速度が鈍くなってきたこと」だ。
急上昇に続く鈍化。それは数学の図解でいうS字曲線を思い浮かべるとわかりやすい。
“ヴァルガと数学”というと違和感を覚えるかもしれないが、戦いでいえば有効な剣技とは対象に向かって美しく研ぎ澄まされた軌道、すなわち数学曲線の集まりであり、先程から無双の師弟が繰り広げている多数vs小数の戦いも彼我の位相と強度を瞬時に把握し、優位に導くよう計算しなければ壊滅するのはこちらだっただろう。射撃や砲撃もまた数学の理解が無ければ機能しない。
無縁どころか、戦闘とは肉体と精神に叩き込まれた数学の成果でもあるのだ。
そして──。
「むん!」
何度目かわからぬほど回避された後に、奇跡のようにヒットしたヴァルガの斬撃が、インバルディオの銃と身体を地上に叩きつけた。
──!
伏したインバルディオの金髪が雪原に広がる。
即座に起き上がろうとした瞬間、目前、首を挟み込むようにヴァルガの光と闇の双剣が突きつけられていた。
「何が起きた」とヴァルガ。
「SYSTEMがオーバーフローした」とインバルディオ。
果たして2人のはるか上空。
極軌道では人工衛星SYSTEM CODE:X-ceedが2人の攻防の激しさとインバルディオの学習・修復の早さに追いつけず機能をフリーズさせていた。
致命的なシステムエラーが拡大し、永遠に機能が失われるリスクを避けるための措置だ。
「継続不能。戦闘行動を終了する」
インバルディオは銃を下ろした。
「うむ。善き試合であった」
ヴァルガもまた両の剣を収めた。
「凌駕の証明に善いも悪いも無い。敗北したということは、まだ私自身に改修し続ける余地があるということだ。ヴァルガ・ドラグレス」
その背後に端末、主インバルディオの尖兵であり盾でありセンサーであり、最大の武器であるバトロイドたちが集結してきた。
「だが次は勝つ。こうして端末からSYSTEMに集められ蓄えられたデータは私の糧となり、やがて全てを凌駕する力となる」
「その通り。敗北や己の至らなさを受け容れられるのは明日の強者だけだ。インバルディオ」
ヴァルガは初めて相手の名を呼んだ。
「我は無双し、おまえは一時とは言え我を凌駕し続けた」
凌駕の宿命者はまた頭部の透明なパーツに光を走らせた。それが示す反応は殺気か、あるいは新たに燃えあがる闘志だろうか。もっとも何者かに造り出された超古代兵器に感情があればの話だが。
「私とSYSTEMはまたおまえに挑むぞ、ヴァルガ・ドラグレス。そして勝利する」
「好きにしろ」
ヴァルガは踵を返すと、弟子を手で促し、ドームの出口に向かって歩き始める。
「私がいま射つとは考えなかったのか」
ぴたりとその背をインバルディオの銃が狙った。
「あらゆる者はそれを産み出したものを否定しては、存在し得ない」
振り向かず背で言い放つヴァルガの言葉の重みは哲学者を思わせた。
「……」
「故に凌駕を存在意義としてこの世に現れたお前は、最強と評価した勝者を殺すことはできぬはず。殺せば凌駕できないし成長の種を失うからだ」
インバルディオの光の乱舞は収まり、その頭部の表示は緩やかなものとなった。
「おまえはここで凌駕し続けるがいい。そうなることを望んだ男がいる」
氷原に眠っていたインバルディオと端末たちを発見したのはブラントゲート政府。しかしまだ起動するかもわからない彼女たちの上に、巨大な闘技施設を造らせたのは誰あろう標の運命者 ヴェルストラ“ブリッツ・アームズ”こと、ブリッツ・インダストリーCEOヴェルストラである。
「いや、そう企んだというのが正しいかもしれんな。我ら戦いに明け暮れるものとは違う頭脳の持ち主だ」
ヴァルガの口調に苦笑が滲むのは極めて珍しい。後ろに付き従うアルダートは目を丸くした。
「それでも我が運命は『無双』、おまえの宿命は『凌駕』。善き戦いだった。さらばだ」
無双の師弟は去った。
端末たるバトロイドたちに周囲をかこまれた凌駕の宿命者インバルディオは、無言でその背を見送った。
だがその頭の透明な表示はある反応を繰り返していた。
それは恐らく、いま去った無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスと同じ想い。
さらなる成長と鍛練(修復)の決意、そして再戦と勝利の誓いだった。
なお、この戦いの結果は開場前試合として、ノヴァグラップル《デッドゾーン》の公式記録には残されていない。
Illust:百瀬寿
了
※注.kmなどの単位は地球で使われているものに換算した。※
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《今回の一口用語メモ》
ノヴァグラップル《デッドゾーン》
南極大陸に新設された凌駕の宿命者インバルディオ専用ステージ、それがノヴァグラップル《デッドゾーン》だ。
死の海域とはもともと海洋生物学でいう「水中生物が棲息できない領域」のこと。
無酸素状態のため全てが死に絶える不毛の地から転じて、最強と聞けばそれを凌駕し倒さずにはいられない凌駕の宿命者インバルディオに当てはめたものだとも言える。
ノヴァグラップルはその特性から(※注.詳しくは下記の参照先をご覧いただきたい)競技によって様々な環境、大きさ、設備があるが、《デッドゾーン》は数あるノヴァグラップル会場の中でも特別なものである。
その特徴に触れる前に、この《デッドゾーン》の主とも言えるインバルディオについて説明しておく。
凌駕の宿命者インバルディオとその端末(惑星クレイの種族分類に当てはめるとその固体はいずれも「バトロイド」となるが)はその構造から、強い相手と戦い、“凌駕”するためだけに、“何者”かによって“太古の昔”に産み出され、この惑星クレイ南極大陸に“設置”された“兵器”であろうと我々は推測していた。そしてこの謎だらけの“埋設された”超古代兵器群は、天輪聖紀になってその場所が特定され、監視・保護のためにある施設が地上に建てられ、ブラントゲート国の官民軍の総力をあげた調査が進んでいたのだ。
これは言うまでもなく、(同じく南極大陸の)極点近くに潜んでいたグラビディアンの轍を踏まないためだ。※注.グラビディアンは覚醒と同時にブラントゲート国と衝突し、実質、極点一帯の地下を彼女たちの版図として認めさせるに至った。
そして遺跡は、発掘されたプレートから解読された名称、そして一様に直立したままの主従の埋められ方から「凌駕する者インバルディオ及び端末俑坑」と呼ばれていた。
事態が大きく動いたのは、宿命者についての動きが見られた先日からだ。
調査では死せる主と副葬品と見なされていた一群のバトロイドが突如、起動したのだ。
そして同時に、正体を現したのが未知の斥候、ブラントゲート宇宙軍による仮称「SYSTEM CODE:X-ceed」が極軌道から地上をスキャンし、最強と評価する対象に直接メッセージを送り始めた。
内容は、受信者の耳に囁きかける「最強を証明する戦い」への招待。
その第一の標的となったのが、無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスだ。
もちろんヴァルガ氏が自他共に認める“無双”として、SYSTEM CODE:X-ceedに緒戦の相手として選ばれたのには、これまでの戦闘評価としても今回の結果としてもまったく異論は無い。
ここでノヴァグラップル《デッドゾーン》についての話に戻る。
ブラントゲートと各国の有力者は、惑星クレイ世界にインバルディオとその端末が蘇った場合──そのきっかけが宿命者の出現だったわけだが──に備えて、その力を限定しておく必要があるという点で一致していた。
武芸者一人(と弟子)が自らの最強を証明するために各地を旅するのと同じことを、超古代兵器軍団が行えば、世界にとっての脅威となることは必至だったからだ。
そこで手を挙げたのが我がブリッツ・インダストリー──正確に言えば、CEOヴェルストラ──である。
そして、ヴェルストラがノヴァグラップル協会に働きかけ、弊社が投資として設計・建設したのが、インバルディオ専用ステージ、ノヴァグラップル《デッドゾーン》というわけだ。
《デッドゾーン》はいわば、凌駕の宿命者インバルディオの戦闘志向を満たすためだけに設けられた新造スタジアムなので、対戦相手の片方は常に「インバルディオ」となる。
先に触れた監視施設として当時、「なぜ全天候全地形を再現できる闘技場が必要なのか」と批判も受けたが、
①全天候全地形対応の専用闘技場にする事によりインバルディオの尽きることのない戦闘意欲を満たす。
②ジャッジシステムと配信ディレイ(過激なシーンを編集する)方式を導入し、安全なファイトを保証。
③南極点と《デッドゾーン》を一直線に配置させることでインバルディオとグラビディアンを互いに牽制させる。(南極大陸地図参照)
④独占配信権を持つ契約によりブリッツ・インダストリーの利益となる
……というまさにWin-Winの図式を描くことに成功したと言える。(まったくウチのCEOときたら……)
ノヴァグラップル《デッドゾーン》の初回配信は好評だったそうである。
なおSYSTEM CODE:X-ceedの誘因電波を受けたと訴え出た者には都度、送迎も用意される。なお今回のヴァルガ一行の送迎はAFG商会の貨客船《鳳凰》に快諾してもらった。なお契約に先立ち、船員とCEOとの交流は(弊社広報担当フェンリッタのコメントによれば)大変心温まるものだったそうで、ヴェルストラの通常運転を知る我々としては意外なことではなかったが、私としては冒険家として知られるAFG商会の少年少女メンバーに悪い影響(例えば惑星クレイ世界の秘宝探索に関するさらなるビッグオファー等)がなかったことを祈りたい。
運命力導入プロジェクトチーム ブリッツ主任研究員 ユーバ
無双の運命者 ヴァルガ・ドラグレス、熱気の刃アルダートと轟炎獣カラレオルについては
→ユニットストーリー126 運命大戦第1話「大望の翼 ソエル」
ユニットストーリー127 運命大戦第2話「熱気の刃 アルダート」
ユニットストーリー128 運命大戦第3話「奇跡の運命者 レザエル」
ユニットストーリー129 運命大戦第4話「無双の運命者 ヴァルガ・ドラグレス」
を参照のこと。
ノヴァグラップルとノヴァグラップラーについては
→ユニットストーリー010「グラナロート・フェアティガー」
ユニットストーリー050「軋む世界のレディヒーラー」および《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
バトロイドについては
→ユニットストーリー010「グラナロート・フェアティガー」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
南極の厚い氷の下に棲息するグラビディアンと、ブラントゲートと対立しながらもその版図を主張・確保することに成功している女王ネルトリンガーについては
→ユニットストーリー024「グラビディア・ネルトリンガー」および《今回の一口用語メモ》
ユニットストーリー030「フォーリング・ヘルハザード」
ユニットストーリー095「出動!お掃除三姉妹!」
ユニットストーリー106「柩機の徒 オプアート」
ユニットストーリー108「ゴアグラビディア ネルトリンガー・マスクス」
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡