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ユニット

Unit
短編小説「ユニットストーリー」
171 「破滅の怪音 アドゥーロ」
ダークステイツ
種族 デーモン
カード情報

Illust:はにわ


 音も無くコウモリのような翼が羽ばたく。
 羊角シープホーンの下は乾いた白髪のツインテール、油膜のようにぎらつく真白な瞳、毛皮に包まれた山羊ヤギの下肢と蹄。顔も肌も翼も紫。炎が燃える尻尾の先もまた紫だった。
 アドゥーロは悪魔デーモンだ。
 時は真夜中過ぎ。東洋で言う丑三つ時である。
 悪魔は気まぐれな風に乗って滑空に移った。高度はまだかなり上を保っている。
 眼下には真っ暗な夜の森。
 時折、ちらりちらりと小さな明かりが見え隠れする。
 その光源は見るからに豪邸といった石造りの建物、その窓越しのものだった。
 アドゥーロはにぃっ・・・と口の端を吊り上げ邪悪な笑みを浮かべて、今宵の探索者に呼びかける。
「ほぅら頑張って。夜明けなんてあっという間だよ」 
 からかうように。嘲るように。
 緑の角笛が金の腕輪と触れあって、瘴気の空に耳障りな音を立てた。

 廊下を憤然と歩きながら、悪魔デーモンドキュメント・ディサイファーは頬を膨らませた。
「まったく。読むべき物が次から次に増えていくわ」
 両肩には冷たい鬼火を点けている。基本的な魔術の技だ。
 右に巻物スクロール、左に書物。
 紙にしても羊皮紙にしても記録というものは重い。その価値としても重量としても。
 人の気配が全くない廊下にも豪奢な調度の柱にも、瘴気が満ちていた。彼女の厚い長衣チュニックの裾にも戯れつくように絡み、揺れ、そして流れてゆく。瘴気とはダークステイツの「暗黒」とその力を象徴するような存在だ。悪魔にとっては生まれてこの方、ずっと吸い続けてきた空気のようなもので、濃いほどに一種の懐かしさすら感じる。
 建築様式は長堂バジリカ
 王の列柱廊を意味する語源からすれば、この場所にふさわしいと言えるだろう。
 エルメスベルジェ。
 この館とそのあるじの名である。
 古典の解読を生業なりわいとする彼女ディサイファーや同類の探索者たちにとって、旧ダークゾーンの領主エルメスベルジェとその館は特別な意味を持っている。
「また行き止まり?……もう!朝まで時間がないのに」
 ディサイファーは呟くと両脇の“お宝”を下ろし手放した。試練に挑む、この今だけは。
 目の前を塞いだ壁に閉ざされた扉がある。
 その表面に、まるで瘴気がそれを形作ったかのように暗く輝く古代語の文字が現れた。
『知恵を持ち帰らんとする者 汝 死すべきものと心得よ』
 問1/3

 これはこの館から抜け出すまでに、あと3つの問いすなわち3つの関門を乗り越えろという事か。
 ディサイファーは固唾を呑んで、扉に浮き出る続きの文字を待った。

Illust:TOH.


 紫の悪魔アドゥーロは、館の窓辺近くまで降りてきていた。
 いつもは(窓越しとはいえ)探索者にこれほど近づくことも、まして覗きこむこともなく、夜が明けるのを待って、あるいはもっと気まぐれな時間に気まぐれに笛を吹き鳴らす。そうすればもう全ては、ククク……いや、それは今宵もまたお楽しみだ。
「ほぅらほら。急がないと大変なことになっちゃうよ~」
 今夜のお客は同じ悪魔デーモンのようだ。
 まぁ人間ヒューマンであれ天使エンジェルであれ同族であれ、アドゥーロのやるべきこと、好むことは変わらない。
 時を告げる音色、そして崩壊。
 破壊と再生こそ悪魔の本質ではないだろうか。
 つまりはこの館こそもっとも悪魔らしい場所だ。
「あと3つ」
 視線の先、瘴気たちこめる廊下で眉根を寄せ、考え込んでいる長衣チュニック姿の女悪魔を見ながら、アドゥーロはまた邪悪な笑みを浮かべた。

「あと3つ」
 奇しくもディサイファーは外の傍観者と同じ言葉を呟いていた。
 問いの文字はこう書かれていた。
 問1/3
 この扉は開けようとすると無限の力で押し返す。故に無事には通過できない。この矛盾を解決せよ。

「……」
 窓の外ではあの女悪魔デーモンが何やら、押し引きするジェスチャーをしているようだった。こちらの迷いや悩んでいる様子を嘲っているのだろう。
 ドキュメント・ディサイファーはしばらく考えた後、おもむろに被っていた学士の帽子の位置を直し、足元の巻物スクロールと書物を右腕にまとめて抱え上げた。
「バカにしてるの?」
 フン!と鼻を鳴らすと、ディサイファーは扉の可動範囲から身を避け、伸ばした指の先で取っ手を回して引いた。
 ドォン!!!
 次の瞬間、壁ごと扉は吹き飛んだ。
 もうもうと立ちこめるほこりに軽くせながら、ディサイファーは壁があった場所を乗り越えて、廊下を進んだ。
「1つの謎、1つの罠ね」
 窓の外を、にやにや笑いながら併走する白髪紫肌の悪魔を睨みながら、呟く。
「無限の力で押し返されているから引いて開いた時、正面にいたら扉に巻き込まれて一巻の終わりだったわね」
 押して駄目なら引いてみる。
 惑星クレイ世界の東洋では扉は外開きなのに対し、ダークステイツなどの“西洋”では扉は一般に内開きなので、『ドアを引いてみる』は意外と思いつかない選択肢だ。特に時間が無く、焦りを誘われるこの状況では。
 しかも自身の構造を、壁ごと破壊するほどのあの扉の勢い。
 単純だが、めてかかると命はない。
 汝、死すべきものと心得よ。というのはこの意味なのか。
 この館の仕掛けを作ったあるじの意図が読めない。
 次の関門もまた一見、何の変哲もない、廊下の突き当たりの壁に設けられた木の扉だった。
 問2/3
 二つ扉二つの回廊。直列すれば息絶える。悪魔の均衡をもって解毒せよ。

 ディサイファーは文字をじっと見て、しかし今度は両脇のお宝を下ろそうともしなかった。
 この悪魔というのは自分のことを指すのではないらしい。
 問いはこの館を訪れる──そして所蔵される書物を得ようと夜明けまでに運び出す──探索者全員に向けられたものだろう。
「悪魔とは複雑な手法や概念をあらわす修辞技法レトリックね。そして毒は文字通りの毒か」
 とすると解く鍵とは数学だろうか。それとも物理学か。
 ディサイファーは知恵を求めるように書物を見下ろし、そして窓の外を飛ぶ白髪紫肌の悪魔を見た。
 ぐぇぇ。
 扉を2度開けて通過した瞬間、いきなり喉を押さえて苦しむ様子を演じている。どうやら空気が猛毒と化すことを暗示しているらしい。戯けた仕草だった。
 私をからかっているの!? 二度までふざけた真似を!
 一瞬、カッとなりかけたディサイファーだが、ふと何かに思い当たった様子になった。
 見れば、東の空がやや白んできている。
 噂では決まり・・・の夜明けを待たず、あのふざけた悪魔は終わり・・・の角笛を吹いてしまうこともあるそうだ。そうなれば……。
「やるしかない!」
 ディサイファーは第一の扉を開け、中に入った。背後で扉が閉まる。分厚い扉だった。
 両肩の明かりでここがごく狭い小部屋だとわかる。
 正面に第二の扉があった。
 ディサイファーは息を止めたまま、振り返ってもう一度、第一の扉を開けてから初めて第二の扉に手を掛けて開けた。
 ゴォ!
 強い空気の流動にディサイファーは踏ん張って耐えた。
 次の廊下に漂っていた毒の空気は、圧力差で前の廊下に流れ込み、急激に薄まって無毒化した。
 ぷはぁ!
 ディサイファーの溜めていた息が吐き出される。人間よりは耐性はあるものの、背後の扉を開けずに進んでいたら窓の外の悪魔のジェスチャー通り、命は無かっただろう。
 圧力差と拡散。
 科学やエアロックの技術はなにもブラントゲートの専売特許というわけではない。特に流体力学と熱力学の基礎は錬金術でも必須の知識だ。学士であるディサイファーも当然知っている。
 問3/3
 開ければ館は倒壊し、夜明けと共に吹き鳴らされる角笛の音もまた破滅を引き起こす。
 答えよ。もし全ての状態と力を知り得て、全てを解析する知性があるとするならば、汝が採るべき選択肢とは何か。

「ここで終わりというわけね……」
 ドキュメント・ディサイファーは立ち尽くした。
 最後に待つのが絶望のみとはダークステイツ、いやかつてのダークゾーンらしい救いの無さだ。
 思えば、失われた知識の探求のためにこの館に入ったのが、昨日の夕方。
 館の中心に山と積まれた巻物スクロールと書物の中から、時間ギリギリまで選び抜いた『持ち帰られる有益な知識』の限界量いっぱいを彼女はいま両脇に抱えている。
 エルメスベルジェの無限書庫。
 この館はそう呼ばれていた。
 そして、入口はあっても出口はない知的な陥穽ピットだ、とも。
「己が欲望に従うのが暗闇の国ダークステイツの習い。悔いは無いわ」
 ディサイファーは大きく息を吸い込み、そして答えた。
 目の前の扉に。はるか昔に滅びたこの館のあるじに。窓の外でいまにも角笛を吹こうとする女悪魔に。
「私は運命を受け容れる!」
 扉の前で何もせず崩壊を待つ。それもまたひとつの選択肢だ。
 ──かすかな曙光。
 そして悪魔の角笛、その怪音が鳴り響いた。
 途端に、今までしっかりと建てられ維持されていた館の構造が揺らぎ、轟音とともに瓦礫と化して降り注いだ。
“その音色を耳にした時、すでに破滅は始まっている”
 破滅の怪音アドゥーロ。
 ダークステイツ西部の辺境に伝わる伝承を思い出しながら、ドキュメント・ディサイファーは、窓の外にいた悪魔デーモンの名前をいまようやく悟っていた。



 ダークステイツの夜明けは暗い。
 上空に厚く垂れこめる瘴気が太陽ニルヴァーナの輝きを遮るからだ。
「おい。おーい、起きろ。いつまで寝てるんだよ」
 学士の悪魔ドキュメント・ディサイファーはぱちぱちと頬を叩く手を払いながら目を覚ました。
「あなたね!」
 飛び起きて、睨みつけた。
 ここは館を見下ろせる小高い禿げ山の上。この辺りのご多分に漏れず、岩と土、草一本ない不毛の大地だった。
 破滅の怪音アドゥーロはにやりと笑って角笛に口をつけ、また吹き鳴らす。
 ──!!!
 耳を聾する怪音にディサイファーは頭を抱えた。
 その足元に巻物スクロールと書物が落ちる。
 気絶していた間もしっかりと抱えこみ、離さなかった“お宝”だ。
「角笛はこのあたりに朝を告げる音色なんだ」
 鈍い朝陽を浴びながらアドゥーロは得意げにポーズを決めて見せた。
「一番鶏ならぬ一番悪魔ね。迷惑な騒音だわ」
 あわててお宝を拾い集めながら、ディサイファーは睨みつけるのをやめない。
「大事にしなよ。出てこられたヤツなんてほとんどいないんだからさ。あそこから」
 !
 そうだ。私はなぜ死んでいないのだろう。
 ディサイファーが振り向くと、いまは亡き領主エルメスベルジェの館はもうもうと土煙を上げながら、いま完全に崩壊した所だった。
「ああやって壊れても、また夕方には組み上がる」
「元通りになるって言うの?あの建物が」
「そしてあたしがまた夜明けの角笛で壊す。その繰り返しさ」
「……。私、なんで助かったんだろう」
 最後の瞬間、床が抜けたような感覚があったことは覚えている。でもその後のことは……何か魔法的な力が働いたとしか考えられない。
 エルメスベルジェはどうやら、試練を課し、それを知性の限界まで振り絞って克服することを(生前と同様)死した後もこの世界と探索者に求めているらしい。最後の最後に救いを用意して。
「いいんじゃない。命がけの冒険の末に、お宝を手に入れたんだから」
「もう御免よ。こんな危ないのは」
「本当にぃ?」
 破滅の怪音アドゥーロは目を細め、疑わしそうに学士の悪魔を見つめた。
「謎は毎度変わるんだよ。また解き明かす楽しみとスリルがあっていいじゃない。ある程度パターンはあるらしいけどねぇ」
「だとしても、これだけ書物があれば当分来ないわよ!こんな所まで!」
 アドゥーロはにやにや笑いを止めない。
「ま、いいさ。アンタがいつ来てもここは建ててはぶっ壊し、また建ててはぶっ壊すだけなんだから」
「その角笛でね。この悪魔!」
「それはお互い様だろ」
 アドゥーロは角笛を玩びながら、飛び立った。
「また会おうぜ、命あったら」
「うるさいのよ、あなたは!」
 石でも投げつけたい様子のディサイファーはしかし、拾うべき手頃な石も、そんな徒労のためにまた書物を取り落とすこともしなかった。
 ただ、にやにや笑いながら遠ざかってゆく女悪魔を見ながら、あの破壊を司る彼女アドゥーロが、扉の試練のたびに見せたジェスチャーが、自分の打開策を思いつくきっかけになったのかどうかを思い返していた。
「まぁ、いいわ」
 学士は確かにお宝──無神紀から奇跡的に残された知識の断片である書物──を得たのだ。
 いまはそれを素直に喜ぼうではないか。
 またここを訪れるかどうか。またあの憎ったらしい女悪魔と夜明けのタイムリミットを競う知的冒険に挑むかどうか。
 それはまた改めて考えればいいことだ。



※注.バジリカとその語源は地球の類似する様式(用語)を使用している。※


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《今回の一口用語メモ》

エルメスベルジェの無限書庫

 ダークステイツ国西部、その最果ての森林地帯に「エルメスベルジェの無限書庫」がある。
 エルメスベルジェはこの国がまだダークゾーンと呼ばれていた頃に、この地方を治めていた君主だと伝えられている。なお肝心の持ち主についての知識が確信を持って語られない理由は、本編と後述の理由による。

 自らが行き着く権力の頂点に立った者が望むこと。それは栄華をずっと我が物とすること。
 そしてそのために必要なものこそ永遠の命、つまりは不老不死である。
 ※ところが残念なことに、惑星クレイ世界において完全な不老不死を実現させたと認められる例は、現在に至るまでない。※
 (余談だが関連する事として、死者を完全な肉体と魂をもって現世に復活させた者もまたクレイ世界にはいない。それこそが空飛ぶ幽霊船フライングゴーストシップリグレイン号船長ゾルガが幾度も挑戦している、世界のことわりを超える試み、その野望である)

 エルメスベルジェ自体は──いかにもダークゾーンの地方君主らしく──悪魔デーモンであったようだが、自らの力に衰えを感じた時、ひとつのアイデアを思いつき、それを実行した。
 エルメスベルジェが得た財産の中で失いたくないと感じたものは、生涯かけて追求した魔道の秘儀とその実験結果だったようだ。確かにN-C境界と呼ばれる、無神紀の終わりから天輪聖紀の始まりまでの時空断絶によって失われた知識や秘法は多く、結果としてエルメスベルジェの試みは後世の文化にも貢献している。
 ところがエルメスベルジェが記憶と記録の保存のために取った方法が厄介だった。
 それは「この書庫から引き上げサルベージられた知識は、(このあたりに棲息する)悪魔が吹き鳴らす“夜明けを告げる”角笛の音をきっかけとして、崩壊を始める書庫とともに消え去るというもの。言うまでもなく夜明けの時刻は季節によって異なるし悪魔は気まぐれ・・・・だ。正しい時刻に吹くとは限らない。しかも書庫自体が仕掛けと複雑な構造にあふれる迷宮ダンジョンでありそもそも一晩で深層まで行って帰還すること自体が困難であり、夜明けまでに脱出できなければ即、生命の危機となる。
 気まぐれか君主の趣味なのか、この不規則な“記録のリセット”により、結果として「時空の断絶」の影響は最小限で済んだものの、エルメスベルジェ自身のプロフィール(魂とも疑似人格とも言われる存在)まで閉じ込めたしまったために、こんな仕掛けをなぜ思いついたのか、そしてこの奇妙なサイクルを止める方法すら全くわからぬまま、館と書庫は存在し続けている。
 天輪聖紀の現在に至るまで、冒険家または禁断の知識を求める(人間などに比べればずっと長寿の)悪魔の探求者たちにとって「エルメスベルジェの無限書庫」は未知の秘法を持ち帰る格好の試練であり、クレイ世界にある不思議の一つ、危険は大きくとも得られるものもまた大きい挑むべき難関として存在し続けている。

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ダークステイツの支配層、魔皇帝、魔王、(地方)君主については
 →ユニットストーリー167 「魔道君主 ヴァサーゴ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。

七海覇王しちかいはおうナイトミストを蘇らせようとするゾルガの野望については
 →ユニットストーリー113「万民の剣 バスティオン・アコード」
  ユニットストーリー140「零の運命者 ブラグドマイヤー」
  ユニットストーリー154「守護の宿命者 オールデン」を参照のこと。
  なおユニットストーリー155「守護の宿命者 オールデン」にも(ゾルガがいまだ野望を捨てていない事について)ケテルサンクチュアリ国防衛省長官バスティオンの指摘がある。

N-C境界、すなわち無神紀末期クレイ歴4500年代に観測され、天輪聖紀以前の時代のすべての記録や記憶が不明・曖昧・一部喪失してしまったという災害「時空の断絶」については
 →『The Elderly ~時空竜と創成竜~』後篇第2話 終局への道程
  ユニットストーリー101「ギガントアームズ シルエット」の《今回の一口用語メモ》
  ユニットストーリー138「時の運命者 リィエル゠アモルタ II 《過去への跳躍》」を参照のこと。

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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡