ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
「貴様がもがき苦しむ悪夢を、現実にしてやろう」
悪魔が三つ叉の槍を突き出して迫る。その背後には地平までを埋め尽くす魔族の軍勢。
彼らが唱和する。
「オレたちの仲間はまだまだいるぞ。そら、お前の虹の炎で焼き尽くしてみるがいい」
オォォォォ!
虹の魔竜の長ドラジュエルドは叫び、もがいた。悪魔の宣告通りに。
現実と夢の両方で。
今、そのどちらにも危機が迫っている。
Illust:山宗
──“虹の魔竜の地下迷宮”警備室。
ジュエリアス・ドラコキッドはマグカップに淹れた食後のコーヒーを、うっとりとした表情で嗅いでいた。
彼が嗜んでいるのがいつもの火酒でも、低層階の小鬼どもが密造する超辛口「巨鬼ころし」でもないのは、先日訪れたブリッツCEOこと標の運命者ヴェルストラ“ブリッツ・アームズ”がこの迷宮に持ち込んだ、最高級のグランフィア農園産コーヒー豆(CEOお手製の深煎&粗挽き)のせいである。
「ふっ。このオレ様ジュエリアス・ドラコキッドともあろう者が、コーヒー如きに心奪われるなんてなぁ」
これぞ褐色の魅惑ってヤツだぜ。
渋い笑いを浮かべながらカップを傾けた……その時、
オォォォォ!
ジュエリアスは制御卓に座ったままの姿勢で垂直にぴょんと飛び上がると、こぼれた熱いコーヒーを浴びてのたうち回った。
それでも、椅子を蹴立てて起き上がり警備室のドアから顔を覗かせたまでは、さすが警備主任であり虹の魔竜の一員だったが兄貴分たちの反応はさらに早く、控えていた回廊から既に何人もの竜が玉座の間の中へと駆け込んでいた。
「ドラジュエルド様ッ?!」
マテルバーラ、ロックアグール、リドスアグール、そしてジュエルニール。
魔石竜の名を帯びる彼らは、この地下迷宮の主に仕える中堅。特に、今叫んだジュエルニールは最も長くドラジュエルドに侍る信頼篤い重鎮である。
「……あ、兄貴……」
遅れて辿り着いたジュエリアス・ドラコキッドが恐る恐る顔を覗かせると、その景色を見て茫然と呟いた。
「何が、起こってるんです?」
彼らの視線の先、塒に横たわる地下迷宮最奥の住人、魔宝真竜ドラジュエルド・イグニスは苦しげにもがきながら明滅──その姿を空気に溶けるように薄れさせてはまた物質化する──を繰り返していた。
まさか。
虹の魔竜たちは怯えた顔を見交わした。
現世と幽世の狭間から奇跡の復活を果たしたドラジュエルドが、いま再び消滅してしまうというのか。
Illust:北熊
そのドラジュエルドは今、危険なうたた寝の中にいた。
──現実の世界。
塒に横たわる老竜は彼を案じて囲む、臣下のアビスドラゴン達の叫びに耳を傾けている。
だがその呼びかける声は近くて遠い。
そして自ら覚醒しようとあがく。
──夢の世界。
悪魔の軍勢が一糸乱れぬ構えで突き出す三つ叉の槍はもう目前、今にもその鼻先に触れようかという所だ。
「空しく滅せよ、老いぼれ」
悪魔たちの切っ先と嘲笑を受け、反射的にドラジュエルドは喉奥にためこんだ“虹の炎”を吐きつけようとして……
「待て!待つのじゃ!!ドラジュエルド!!!」
ドラジュエルドは自分を叱咤して、辛うじて堪えた。
いや、実際には少し口から漏れている。
灼熱の吐息は炎の渦を巻いて辺りを焼き……
現実の世界では、迷宮全体が鳴動し、魔石竜たちとジュエリアス・ドラコキッドが慌てて身を引いた。
夢の世界でも、悪魔たちが一斉に動きを止めた。
だがそれは退避ではなく、ドラジュエルドの様子を注意深く窺う態勢のようだ。
「漏れ出た炎でもその威力か。さすがだ、虹の魔竜の長」
「我が微睡みの中に侵入して来るとはキサマ……キサマら、いったい何が目的じゃ」
「それは決まっている。お前の首だ、ドラジュエルド」
「……」
「古来、魔王たちが“こいつだけは怒らせるな”と恐れる暴竜。その首をもって帰れば財宝だろうが地位だろうが思うがままだ。さて、ダークステイツに数ある魔王のうち一体誰が、もっとも高値をつけてくれるかな」
ふー。老竜がまた細く息を吐いた。
「では、望みは金と権力というわけか」
「この闇の国ダークステイツで他に何の望みがある?“力”はこうしてキサマを圧倒することで既に証明している。さぁ悔しければもう一度、あの炎を吐いてみろ。その時こそキサマは悪夢の意味を知ることになる」
ふ。また吐息。いや違う。
……ふふふ、フハハハハ!
ドラジュエルドは笑っていた。
Illust:北熊
「?! ついに狂ったか、ドラジュエルド」
「ハァ!ハーハハハ!そうじゃ!そうとも!気が狂いそうじゃ。おかしくてならぬわ。この程度の小細工でワシを負かしたつもりのお前がなぁ」
「こいつ!」
また三つ叉の槍が突き出された。
だがその切っ先はドラジュエルドの直前で止まってしまう。
「ほれ、どうした。突いてみよ。この寝ぼけた老いぼれの鼻面を」
飄々とドラジュエルドは悪魔を煽り、夢の世界と分かっていながらゴロリと寝返りを打った。横回転。竜なのに猫のように器用に相手から目を離さない動きである。
「できんじゃろう。なぜならお前の実体は一つであり、他は幻」
すると老竜の言葉がそうさせたかのように、あれほど夢の世界を埋め尽くしていた軍勢は消え、いきなり独りぼっちになった悪魔は三つ叉の槍をもったまま立ち尽くした。
「お前自身に、現実世界のワシを倒すほどの力は無いからじゃ。そうじゃろうが、小童」
ドラジュエルドは竜の顔を歪ませて笑った。
──現実の世界。
アビスドラゴン達は戦慄した。
先程まで吼え、危険な虹の炎を玉座の間に吐き散らかしかけ、それを危うく堪えたドラジュエルドが何やらムニャムニャ寝言を言い、今度は大笑いし出したからだ。それもそのはず、こちら現実世界では何一つ可笑しいことなど発生していないし、これが寝ぼけだとしたらあまりに酷い。
──夢の世界。
「他人を蹴落としても自分の欲を満たす。実にダークステイツらしい。だがちと喋りすぎたの。浅い夢、ありえない数の軍勢の出現、ワシに炎を吐かせようとする煽り。……名を聞こうか」
「現れる凶夢ディムメア」
「名乗らなかったのは正解だったのう。でもヒント多過ぎじゃ」
「……」
「だがお前は良い点に気がついていた。“ドラジュエルドを滅ぼせるのはドラジュエルド”ということ。おかげで危うくワシは塒と我が臣下を丸焼きにする所じゃった」
「もう一歩だった」
悪魔は苦々しい顔のまま答えた。
「大言壮語して口を滑らすほどにはワシを研究しとった様じゃの。どれ」
ドラジュエルドは身を起こし、黙り込む悪魔を見下ろした。
「我が枕辺を侵した者には罰を与えねばならぬ。それが夢の中だったとしても、我が安眠を妨害した者は万死に値する」
「オレも魔族の端くれ。野望に敗れ、この瘴気の中に滅びるもまた定め。虹の炎で灰にするがいい」
「うむ。潔し」
ドラジュエルドは尻尾を腕のように繰り出して、悪魔の首に巻き付け、侵入者は観念して目を閉じた。
「だが“悪夢の探求”という点で、お前のような夢を操る悪魔にも利用価値はある」
悪魔ディムメアは目を瞠った。
「ワシはこの世界に戻ってきた時、まだ目覚めぬまま、ひとつの異常を感じ取ったのじゃ」
「……」
「“月”。原因のひとつとして、それが第一の月で行われていた『月の試練』であったことを今は知っておる。だが、それだけでこのワシが違和感を覚えるじゃろうか。莫大な力を貯め込みそれと共に眠り、世に“伏竜”と忘れ去られてもそれを良しとして来た、このワシが」
ディムメアは凍りついたようになって老竜の言葉を聞いていた。今になって、自分は挑む相手を間違えた気がする。
ドラジュエルドはただの寝ぼすけの剽軽な100億歳の老いぼれた竜などではなく、実はこの惑星クレイ世界を観測し続ける賢者の一人なのではないか。
「この夢で聞いたことを忘れること。二度とワシの夢に侵入しないこと。そして以後はワシ、ドラジュエルドとこの“虹の魔竜の地下迷宮”に忠誠を誓うなら生かしてやろう。どうじゃ」
「……」
「いますぐ決めよ。言っておくが、ワシが夢の中でずっと、名も知れぬ少年と続けてきた数知れぬ戦いに比べれば、ここで悪魔一匹焼くくらい何のためらいもないぞ」
ドラジュエルドは今日初めて、ダークステイツで最も恐れられる暴竜の片鱗を見せた。
「お仕えします」
悪魔ディムメアが総毛立った表情で答えると、ドラジュエルドはにやりと笑った。
──現実の世界。
ドラジュエルドの身体が急に輪郭をはっきりさせたかと見えた瞬間。
ぽい、と音をたてそうな素っ気なさで、虹の魔竜たちの前に見慣れぬ悪魔が投げ出された。
「曲者!」とジュエリアス・ドラコキッド。
「取り押さえろ」
魔石竜ジュエルニールの一言で、侵入者は屈強な魔石竜マテルバーラ、ロックアグール、リドスアグールによってお縄となった。抵抗する悪魔をさっそくボカボカ殴って大人しくさせる。まぁ手荒いのは仕方ない。ここは力こそ正義の国ダークステイツなのだから。
「殺すでないぞ。久々に我が迷宮破りに成功した悪魔なのじゃからな。じっくり手口を聴取せよ」
主の言葉を聞いて、ジュエリアス・ドラコキッドはまたがっくりと肩を落とした。
地下迷宮への侵入は、悪友ブルースやコーヒーの伝道者ヴェルストラのような力押しとは限らない。警備主任にはありとあらゆる災いに備えなければならない重責がある。
「名前は『現れる凶夢ディムメア』。危うく皆、そやつのせいで黒コゲじゃったのう」
悪魔の名と竜たちを襲った危機を告げるドラジュエルドに、また臣下のアビスドラゴンたちは顔を見合わせた。
ドラジュエルド様は眠りながら何を知ったのだ。
そもそも今、この短い間にいったい何があったのだ。
「ま、せいぜいこき使ってやるがいい。ではワシは寝るぞ」
魔宝真竜ドラジュエルド・イグニス、その名を聞くだけでダークステイツの全魔王が震え上がる深淵の竜は悪戯っぽく笑うと、身を丸めて目を閉じ、また安らかな微睡みの中に戻っていった。
※コーヒーについては地球の似た製法の飲料の名称を借りた。※
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《今回の一口用語メモ》
ドラジュエルドの眠り──夢と現実の狭間に満ちるもの
虹の魔竜の長ドラジュエルドは「眠れる竜」としても有名である。
運命力の塊とも言える虹の魔石をその住み処に溜め込み、自身も強大な力を持ちながら、日常のほとんどの時間をひたすら睡眠に当てているために、惑星クレイの歴史の表舞台に出てくる機会は(天輪聖紀となってケテルサンクチュアリ地上の都セイクリッド・アルビオンを襲うまで)ほぼ無かった。
ところが今回本編でも示唆されている通り、実はこれはただの「惰眠」ではなかったという可能性もある。
まずドラジュエルドの実力から見てみよう。
ドラジュエルドの呼び名として「虹の魔竜の長」、「虹の魔石の主」そして「怒れる魔石竜」がある。
この最後のものこそ(本人は不本意かもしれないが)天輪聖紀となって、惑星クレイ世界にドラジュエルドの名を知らしめたものだ。つまり下記の2つ。
①旧都セイクリッド・アルビオン襲撃事件
②龍樹が最も信頼をおく重鎮として天輪側の敵として立つ(業魔宝竜ドラジュエルド・マスクス)
それぞれの事件の経緯と結果については他に記録が残っているため、ここでは詳細を省くが、ひとつ共通している事がある。
それが「怒れるドラジュエルド最強説」だ。
①では虹の炎の一撃のみで山体の三分の一を破砕・消失させ、②ではその実力を充分に発揮できないままディアブロス“爆轟”ブルースに敗れた(これは実はドラジュエルド自身の意志でもあった)ものの、当時、龍樹が惑星クレイでもっとも“自分を倒す可能性が高い”と判断し真っ先にねじ伏せ、幹部マスクスとして戦力に加えたのもドラジュエルドである。
さて、ここで話題を戻そう。
ドラジュエルドが表立った歴史に登場しない理由は、もちろん本人が運命力の結晶ともいえる“虹の魔石”を貯め込んだ塒の中で、安眠を好むという事が第一だと思われる。悪友ブルースが言う「単純に怠け者の寝ぼすけなのだ」というのは真実だろう。
だが一方で、虹の魔石と膨大な運命力、全てを破壊する虹の炎を源とする強すぎる力を「休眠」という形で、自ら抑え込んできたという事も──上記に2つ挙げた破壊や脅威の大きさ、しかもいずれもまだ実力の片鱗でしかないというのだから恐ろしい──また否定できない、というのが近年、クレイ各国識者の見方となっている。
そしてさらにもう一つ。
ドラジュエルドは、おそらく惑星クレイの歴史でも稀な「生と死の狭間」を訪れ、そこから生還することに成功した者だ。龍樹侵攻の中盤において前述のブルース(正確には“魔宝竜ドラジュエルドの姿と力を借りたブルース”)によって滅ぼされて消滅。宿命決戦の後、惑星クレイ世界に帰還している。
なおこの領域への旅路について、老竜の「よく覚えていない」というコメントはおそらく真実であり、今回、夢と現実の狭間を乗り越えてみせた事よりも遙かに、彼ドラジュエルドにとって異質な経験であったようだ。
なにしろ「生と死の狭間」からの生還には、奇跡の運命王レザエル・ヴィータが開放し世界そのものを変化させた“在るべき未来”の選択によって生まれた運命力の均衡の変化とエネルギーの流れが、これを可能としたわけなので検証も困難、再現できる可能性も限りなく低いと言える。
ただこの稀な経験が運命者でも宿命者でもなく、虹の魔竜の長、魔宝竜ドラジュエルド(転じて魔宝真竜 ドラジュエルド・イグニス)に与えられた事自体が、老齢であっても彼が惑星クレイにおける特別な存在であることを示す証なのかもしれない。まさに……
虹の魔竜は微睡み続けたのだ。在るべき未来が来る日まで。
ドラジュエルドがただの寝ぼすけ老竜ではなく、惑星クレイ世界の危機を感知・警戒する力を持ち、龍樹侵攻の際にはグリフォシィドの芽を摘むために(バヴサーガラよりも早く)行動していた事については
→ユニットストーリー083「グリフォシィド」を参照のこと。
ブリッツCEOこと標の運命者 ヴェルストラ“ブリッツ・アームズ”がブルースと共に、“虹の魔竜の地下迷宮”を訪れ、食事とコーヒーを振る舞った時のことについては
→ユニットストーリー183「魔宝真竜 ドラジュエルド・イグニス」を参照のこと。
ドラジュエルドと“虹の魔竜の地下迷宮”=虹の魔竜の塒については
→ユニットストーリー061「魔宝竜 ドラジュエルド」
ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」を参照のこと。
ドラジュエルドの旧都セイクリッド・アルビオン襲撃事件については
→ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」
ユニットストーリー071「魔石竜 ロックアグール」
ユニットストーリー072 世界樹篇「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」
ユニットストーリー072 世界樹篇「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
を参照のこと。
業魔宝竜ドラジュエルド・マスクスが、ディアブロス“爆轟”ブルースの力を借り、自ら望んで惑星クレイ世界から消えた経緯については
→ユニットストーリー091龍樹篇「業魔宝竜 ドラジュエルド・マスクス」
ユニットストーリー092龍樹篇「マスク・オブ・ヒュドラグルム」を参照のこと。
なお、ドラジュエルドが龍樹侵攻の最終局面で重要な役割と言葉を残していることは
→ユニットストーリー118龍樹篇「武装焔聖剣 ストラヴェルリーナ」で見ることができる。
ドラジュエルドの旧都セイクリッド・アルビオン襲撃事件については
→ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」
ユニットストーリー071「魔石竜 ロックアグール」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
を参照のこと。
異世界同士(惑星クレイと地球)の相互干渉については
→ユニットストーリー187「零から歩む者 ブラグドマイヤー・ネクサス」および《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
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悪魔が三つ叉の槍を突き出して迫る。その背後には地平までを埋め尽くす魔族の軍勢。
彼らが唱和する。
「オレたちの仲間はまだまだいるぞ。そら、お前の虹の炎で焼き尽くしてみるがいい」
オォォォォ!
虹の魔竜の長ドラジュエルドは叫び、もがいた。悪魔の宣告通りに。
現実と夢の両方で。
今、そのどちらにも危機が迫っている。

──“虹の魔竜の地下迷宮”警備室。
ジュエリアス・ドラコキッドはマグカップに淹れた食後のコーヒーを、うっとりとした表情で嗅いでいた。
彼が嗜んでいるのがいつもの火酒でも、低層階の小鬼どもが密造する超辛口「巨鬼ころし」でもないのは、先日訪れたブリッツCEOこと標の運命者ヴェルストラ“ブリッツ・アームズ”がこの迷宮に持ち込んだ、最高級のグランフィア農園産コーヒー豆(CEOお手製の深煎&粗挽き)のせいである。
「ふっ。このオレ様ジュエリアス・ドラコキッドともあろう者が、コーヒー如きに心奪われるなんてなぁ」
これぞ褐色の魅惑ってヤツだぜ。
渋い笑いを浮かべながらカップを傾けた……その時、
オォォォォ!
ジュエリアスは制御卓に座ったままの姿勢で垂直にぴょんと飛び上がると、こぼれた熱いコーヒーを浴びてのたうち回った。
それでも、椅子を蹴立てて起き上がり警備室のドアから顔を覗かせたまでは、さすが警備主任であり虹の魔竜の一員だったが兄貴分たちの反応はさらに早く、控えていた回廊から既に何人もの竜が玉座の間の中へと駆け込んでいた。
「ドラジュエルド様ッ?!」
マテルバーラ、ロックアグール、リドスアグール、そしてジュエルニール。
魔石竜の名を帯びる彼らは、この地下迷宮の主に仕える中堅。特に、今叫んだジュエルニールは最も長くドラジュエルドに侍る信頼篤い重鎮である。
「……あ、兄貴……」
遅れて辿り着いたジュエリアス・ドラコキッドが恐る恐る顔を覗かせると、その景色を見て茫然と呟いた。
「何が、起こってるんです?」
彼らの視線の先、塒に横たわる地下迷宮最奥の住人、魔宝真竜ドラジュエルド・イグニスは苦しげにもがきながら明滅──その姿を空気に溶けるように薄れさせてはまた物質化する──を繰り返していた。
まさか。
虹の魔竜たちは怯えた顔を見交わした。
現世と幽世の狭間から奇跡の復活を果たしたドラジュエルドが、いま再び消滅してしまうというのか。

そのドラジュエルドは今、危険なうたた寝の中にいた。
──現実の世界。
塒に横たわる老竜は彼を案じて囲む、臣下のアビスドラゴン達の叫びに耳を傾けている。
だがその呼びかける声は近くて遠い。
そして自ら覚醒しようとあがく。
──夢の世界。
悪魔の軍勢が一糸乱れぬ構えで突き出す三つ叉の槍はもう目前、今にもその鼻先に触れようかという所だ。
「空しく滅せよ、老いぼれ」
悪魔たちの切っ先と嘲笑を受け、反射的にドラジュエルドは喉奥にためこんだ“虹の炎”を吐きつけようとして……
「待て!待つのじゃ!!ドラジュエルド!!!」
ドラジュエルドは自分を叱咤して、辛うじて堪えた。
いや、実際には少し口から漏れている。
灼熱の吐息は炎の渦を巻いて辺りを焼き……
現実の世界では、迷宮全体が鳴動し、魔石竜たちとジュエリアス・ドラコキッドが慌てて身を引いた。
夢の世界でも、悪魔たちが一斉に動きを止めた。
だがそれは退避ではなく、ドラジュエルドの様子を注意深く窺う態勢のようだ。
「漏れ出た炎でもその威力か。さすがだ、虹の魔竜の長」
「我が微睡みの中に侵入して来るとはキサマ……キサマら、いったい何が目的じゃ」
「それは決まっている。お前の首だ、ドラジュエルド」
「……」
「古来、魔王たちが“こいつだけは怒らせるな”と恐れる暴竜。その首をもって帰れば財宝だろうが地位だろうが思うがままだ。さて、ダークステイツに数ある魔王のうち一体誰が、もっとも高値をつけてくれるかな」
ふー。老竜がまた細く息を吐いた。
「では、望みは金と権力というわけか」
「この闇の国ダークステイツで他に何の望みがある?“力”はこうしてキサマを圧倒することで既に証明している。さぁ悔しければもう一度、あの炎を吐いてみろ。その時こそキサマは悪夢の意味を知ることになる」
ふ。また吐息。いや違う。
……ふふふ、フハハハハ!
ドラジュエルドは笑っていた。

「?! ついに狂ったか、ドラジュエルド」
「ハァ!ハーハハハ!そうじゃ!そうとも!気が狂いそうじゃ。おかしくてならぬわ。この程度の小細工でワシを負かしたつもりのお前がなぁ」
「こいつ!」
また三つ叉の槍が突き出された。
だがその切っ先はドラジュエルドの直前で止まってしまう。
「ほれ、どうした。突いてみよ。この寝ぼけた老いぼれの鼻面を」
飄々とドラジュエルドは悪魔を煽り、夢の世界と分かっていながらゴロリと寝返りを打った。横回転。竜なのに猫のように器用に相手から目を離さない動きである。
「できんじゃろう。なぜならお前の実体は一つであり、他は幻」
すると老竜の言葉がそうさせたかのように、あれほど夢の世界を埋め尽くしていた軍勢は消え、いきなり独りぼっちになった悪魔は三つ叉の槍をもったまま立ち尽くした。
「お前自身に、現実世界のワシを倒すほどの力は無いからじゃ。そうじゃろうが、小童」
ドラジュエルドは竜の顔を歪ませて笑った。
──現実の世界。
アビスドラゴン達は戦慄した。
先程まで吼え、危険な虹の炎を玉座の間に吐き散らかしかけ、それを危うく堪えたドラジュエルドが何やらムニャムニャ寝言を言い、今度は大笑いし出したからだ。それもそのはず、こちら現実世界では何一つ可笑しいことなど発生していないし、これが寝ぼけだとしたらあまりに酷い。
──夢の世界。
「他人を蹴落としても自分の欲を満たす。実にダークステイツらしい。だがちと喋りすぎたの。浅い夢、ありえない数の軍勢の出現、ワシに炎を吐かせようとする煽り。……名を聞こうか」
「現れる凶夢ディムメア」
「名乗らなかったのは正解だったのう。でもヒント多過ぎじゃ」
「……」
「だがお前は良い点に気がついていた。“ドラジュエルドを滅ぼせるのはドラジュエルド”ということ。おかげで危うくワシは塒と我が臣下を丸焼きにする所じゃった」
「もう一歩だった」
悪魔は苦々しい顔のまま答えた。
「大言壮語して口を滑らすほどにはワシを研究しとった様じゃの。どれ」
ドラジュエルドは身を起こし、黙り込む悪魔を見下ろした。
「我が枕辺を侵した者には罰を与えねばならぬ。それが夢の中だったとしても、我が安眠を妨害した者は万死に値する」
「オレも魔族の端くれ。野望に敗れ、この瘴気の中に滅びるもまた定め。虹の炎で灰にするがいい」
「うむ。潔し」
ドラジュエルドは尻尾を腕のように繰り出して、悪魔の首に巻き付け、侵入者は観念して目を閉じた。
「だが“悪夢の探求”という点で、お前のような夢を操る悪魔にも利用価値はある」
悪魔ディムメアは目を瞠った。
「ワシはこの世界に戻ってきた時、まだ目覚めぬまま、ひとつの異常を感じ取ったのじゃ」
「……」
「“月”。原因のひとつとして、それが第一の月で行われていた『月の試練』であったことを今は知っておる。だが、それだけでこのワシが違和感を覚えるじゃろうか。莫大な力を貯め込みそれと共に眠り、世に“伏竜”と忘れ去られてもそれを良しとして来た、このワシが」
ディムメアは凍りついたようになって老竜の言葉を聞いていた。今になって、自分は挑む相手を間違えた気がする。
ドラジュエルドはただの寝ぼすけの剽軽な100億歳の老いぼれた竜などではなく、実はこの惑星クレイ世界を観測し続ける賢者の一人なのではないか。
「この夢で聞いたことを忘れること。二度とワシの夢に侵入しないこと。そして以後はワシ、ドラジュエルドとこの“虹の魔竜の地下迷宮”に忠誠を誓うなら生かしてやろう。どうじゃ」
「……」
「いますぐ決めよ。言っておくが、ワシが夢の中でずっと、名も知れぬ少年と続けてきた数知れぬ戦いに比べれば、ここで悪魔一匹焼くくらい何のためらいもないぞ」
ドラジュエルドは今日初めて、ダークステイツで最も恐れられる暴竜の片鱗を見せた。
「お仕えします」
悪魔ディムメアが総毛立った表情で答えると、ドラジュエルドはにやりと笑った。
──現実の世界。
ドラジュエルドの身体が急に輪郭をはっきりさせたかと見えた瞬間。
ぽい、と音をたてそうな素っ気なさで、虹の魔竜たちの前に見慣れぬ悪魔が投げ出された。
「曲者!」とジュエリアス・ドラコキッド。
「取り押さえろ」
魔石竜ジュエルニールの一言で、侵入者は屈強な魔石竜マテルバーラ、ロックアグール、リドスアグールによってお縄となった。抵抗する悪魔をさっそくボカボカ殴って大人しくさせる。まぁ手荒いのは仕方ない。ここは力こそ正義の国ダークステイツなのだから。
「殺すでないぞ。久々に我が迷宮破りに成功した悪魔なのじゃからな。じっくり手口を聴取せよ」
主の言葉を聞いて、ジュエリアス・ドラコキッドはまたがっくりと肩を落とした。
地下迷宮への侵入は、悪友ブルースやコーヒーの伝道者ヴェルストラのような力押しとは限らない。警備主任にはありとあらゆる災いに備えなければならない重責がある。
「名前は『現れる凶夢ディムメア』。危うく皆、そやつのせいで黒コゲじゃったのう」
悪魔の名と竜たちを襲った危機を告げるドラジュエルドに、また臣下のアビスドラゴンたちは顔を見合わせた。
ドラジュエルド様は眠りながら何を知ったのだ。
そもそも今、この短い間にいったい何があったのだ。
「ま、せいぜいこき使ってやるがいい。ではワシは寝るぞ」
魔宝真竜ドラジュエルド・イグニス、その名を聞くだけでダークステイツの全魔王が震え上がる深淵の竜は悪戯っぽく笑うと、身を丸めて目を閉じ、また安らかな微睡みの中に戻っていった。
了
※コーヒーについては地球の似た製法の飲料の名称を借りた。※
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《今回の一口用語メモ》
ドラジュエルドの眠り──夢と現実の狭間に満ちるもの
虹の魔竜の長ドラジュエルドは「眠れる竜」としても有名である。
運命力の塊とも言える虹の魔石をその住み処に溜め込み、自身も強大な力を持ちながら、日常のほとんどの時間をひたすら睡眠に当てているために、惑星クレイの歴史の表舞台に出てくる機会は(天輪聖紀となってケテルサンクチュアリ地上の都セイクリッド・アルビオンを襲うまで)ほぼ無かった。
ところが今回本編でも示唆されている通り、実はこれはただの「惰眠」ではなかったという可能性もある。
まずドラジュエルドの実力から見てみよう。
ドラジュエルドの呼び名として「虹の魔竜の長」、「虹の魔石の主」そして「怒れる魔石竜」がある。
この最後のものこそ(本人は不本意かもしれないが)天輪聖紀となって、惑星クレイ世界にドラジュエルドの名を知らしめたものだ。つまり下記の2つ。
①旧都セイクリッド・アルビオン襲撃事件
②龍樹が最も信頼をおく重鎮として天輪側の敵として立つ(業魔宝竜ドラジュエルド・マスクス)
それぞれの事件の経緯と結果については他に記録が残っているため、ここでは詳細を省くが、ひとつ共通している事がある。
それが「怒れるドラジュエルド最強説」だ。
①では虹の炎の一撃のみで山体の三分の一を破砕・消失させ、②ではその実力を充分に発揮できないままディアブロス“爆轟”ブルースに敗れた(これは実はドラジュエルド自身の意志でもあった)ものの、当時、龍樹が惑星クレイでもっとも“自分を倒す可能性が高い”と判断し真っ先にねじ伏せ、幹部マスクスとして戦力に加えたのもドラジュエルドである。
さて、ここで話題を戻そう。
ドラジュエルドが表立った歴史に登場しない理由は、もちろん本人が運命力の結晶ともいえる“虹の魔石”を貯め込んだ塒の中で、安眠を好むという事が第一だと思われる。悪友ブルースが言う「単純に怠け者の寝ぼすけなのだ」というのは真実だろう。
だが一方で、虹の魔石と膨大な運命力、全てを破壊する虹の炎を源とする強すぎる力を「休眠」という形で、自ら抑え込んできたという事も──上記に2つ挙げた破壊や脅威の大きさ、しかもいずれもまだ実力の片鱗でしかないというのだから恐ろしい──また否定できない、というのが近年、クレイ各国識者の見方となっている。
そしてさらにもう一つ。
ドラジュエルドは、おそらく惑星クレイの歴史でも稀な「生と死の狭間」を訪れ、そこから生還することに成功した者だ。龍樹侵攻の中盤において前述のブルース(正確には“魔宝竜ドラジュエルドの姿と力を借りたブルース”)によって滅ぼされて消滅。宿命決戦の後、惑星クレイ世界に帰還している。
なおこの領域への旅路について、老竜の「よく覚えていない」というコメントはおそらく真実であり、今回、夢と現実の狭間を乗り越えてみせた事よりも遙かに、彼ドラジュエルドにとって異質な経験であったようだ。
なにしろ「生と死の狭間」からの生還には、奇跡の運命王レザエル・ヴィータが開放し世界そのものを変化させた“在るべき未来”の選択によって生まれた運命力の均衡の変化とエネルギーの流れが、これを可能としたわけなので検証も困難、再現できる可能性も限りなく低いと言える。
ただこの稀な経験が運命者でも宿命者でもなく、虹の魔竜の長、魔宝竜ドラジュエルド(転じて魔宝真竜 ドラジュエルド・イグニス)に与えられた事自体が、老齢であっても彼が惑星クレイにおける特別な存在であることを示す証なのかもしれない。まさに……
虹の魔竜は微睡み続けたのだ。在るべき未来が来る日まで。
ドラジュエルドがただの寝ぼすけ老竜ではなく、惑星クレイ世界の危機を感知・警戒する力を持ち、龍樹侵攻の際にはグリフォシィドの芽を摘むために(バヴサーガラよりも早く)行動していた事については
→ユニットストーリー083「グリフォシィド」を参照のこと。
ブリッツCEOこと標の運命者 ヴェルストラ“ブリッツ・アームズ”がブルースと共に、“虹の魔竜の地下迷宮”を訪れ、食事とコーヒーを振る舞った時のことについては
→ユニットストーリー183「魔宝真竜 ドラジュエルド・イグニス」を参照のこと。
ドラジュエルドと“虹の魔竜の地下迷宮”=虹の魔竜の塒については
→ユニットストーリー061「魔宝竜 ドラジュエルド」
ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」を参照のこと。
ドラジュエルドの旧都セイクリッド・アルビオン襲撃事件については
→ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」
ユニットストーリー071「魔石竜 ロックアグール」
ユニットストーリー072 世界樹篇「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」
ユニットストーリー072 世界樹篇「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
を参照のこと。
業魔宝竜ドラジュエルド・マスクスが、ディアブロス“爆轟”ブルースの力を借り、自ら望んで惑星クレイ世界から消えた経緯については
→ユニットストーリー091龍樹篇「業魔宝竜 ドラジュエルド・マスクス」
ユニットストーリー092龍樹篇「マスク・オブ・ヒュドラグルム」を参照のこと。
なお、ドラジュエルドが龍樹侵攻の最終局面で重要な役割と言葉を残していることは
→ユニットストーリー118龍樹篇「武装焔聖剣 ストラヴェルリーナ」で見ることができる。
ドラジュエルドの旧都セイクリッド・アルビオン襲撃事件については
→ユニットストーリー069「フェストーソ・ドラゴン」
ユニットストーリー071「魔石竜 ロックアグール」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(前編)」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
を参照のこと。
異世界同士(惑星クレイと地球)の相互干渉については
→ユニットストーリー187「零から歩む者 ブラグドマイヤー・ネクサス」および《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡