ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
全ての病と苦しみが無い世界。私はまだこの世界に生まれたばかりだけれど
惑星クレイの歴史を振り返っても、そんな完璧な時代が存在していないのはわかる。
惑星クレイの歴史を振り返っても、そんな完璧な時代が存在していないのはわかる。
──時の宿命者 リィエル゠オディウム

白と黒、2色の鉸刀をかざした天使が、9つの浮島を擁する蒼天へと一気に舞い上がった。
ケテルギア。神聖国ケテルサンクチュアリの中枢、天空の都である。
「黒き刃が病みを絶ち、白き刃で命を救う!」
これが謹厳実直な彼女、ディセクション・エンジェルの座右の銘。そして自らを励ます言葉だ。
エンジェルフェザーの仕事は激務である。
今も地上の都セイクリッド・アルビオンのゴールド・パラディン、信憑の騎士ガヘリスと旧都西区監視線の状況視察、懸念事項の共有、患者の申し送り、次の手術日程の擦り合わせ──医師ディセクションは外科担当だ──を終えてきた所。
それでも疲れの色も見せず、きびきびとした調子で白と黒の天使は本部との回線を開いて呼びかける。
「任務1完了。このまま次のランデブーポイントへ向かう」
『本部、了解』
エンジェルフェザーはもともと敵味方や国の枠組みさえ超える癒やし手だが、天輪聖紀のケテルサンクチュアリではさらに、天上側の医術や物資、そして情報を地上に派遣し分配し共有するという重要な楔の役割を果たしている。ちなみにケテルサンクチュアリにおいて、信仰を柱として同じように天と地の間を取り持っているのがディヴァインシスターである。

「旧都西12区。救援物資を送ります。それまでは耐えてください」
オペレーティング・エンジェルは浮遊スクリーンの間を優雅に移動し、次々と処理していく。
その指が触れ、滑らかに軌跡を描く先で、世界中に散っているエンジェルフェザーの隊員たちの配置と、命を支え繋ぐ物資の流れが次々と変化し整えられる。適時、適量、かつ効率的に。
彼が操るロジスティクスは、まるで芸術だ。
──天空の都ケテルギア、ギア中央エンジェルフェザー本部指令室。
ここは1年360日24時間、交代制で天使たちが常時詰めており、休むということがない。
エンジェルフェザーの癒やしの手を待ちわびる者、つまり患者や困窮する者は、昼夜も季節も国も場所も選ばないからだ。
「本部よりディセクションへ。ガヘリス隊からの補給要求を受理。投下準備を進めている」
オペレーティングが呼びかけた先の浮遊モニターには、飛翔するディセクションの横顔が映っている。
『了解。速やかな手配、感謝。“悪意”の群れとの小競り合いで消耗しているようだったから』
「統計データからすると悪意の出現数はまだ“急増”というほどではない。僕が必要だと判断したからだ」
ロジスティクス担当としてオペレーティングの分析はあくまで冷静だ。
「ただ気になる点もある。脅威分析の結果、龍樹侵攻以来ほぼ鎮静化していた小鬼型“悪意”の出現数が増加に転じたのはある報告と時期が一致する」
『奇跡の運命者レザエルにムーンキーパーが接触した事ね。何か関係が?』
「直接は無いとの見立てだ。オラクルと賢者たちによればね」
『間接的にはあると?』
「レザエルの《在るべき未来》の選択により、我々が住むこの世界の在りようは変化した。病気や怪我、争いが減った世の中。だが強く大きく変えようとする力はまた、ひずみをも生み出してしまう。ダークステイツのリィエル゠オディウムがその一つだ」
オペレーティングは解説しつつ一瞬も手を止めなかった。
彼にとってロジスティクスは引き出しのようなものだ。あふれるが如き豊かな見識もまた。
「そして悪意とは虚無の尖兵だ。虚無は、この世界が存在するという事に対し、常に無に還そうと反発する」
『望ましい世界を“選択”しようとする時にも、反作用が生まれるという事ね……』
ディセクションは制帽を風に靡かせながら呟いた。
「善悪ではないんだ。力の顕れというものは」とオペレーティング。
『悪意は魔物そのものの外見と害意で襲いかかってくるから、世界を浸食する悪にしか見えないけれど』
「逆の例を見ればわかりやすい。リィエル゠アモルタは聖竜ガブエリウスの肉体に自らの存在を合致させる事で邪竜シヴィルトの野望を挫いた。世界を滅びから救った英雄だ。しかしその結果、時空法に触れ、ギアクロニクルの介入を招き、今はこの世界の外に置かれている」
『アモルタとオディウム、2人のリィエルが誕生した経緯自体、時空法としては限りなくグレーに近いことね』
ユナイテッドサンクチュアリの華リィエルは、エンジェルフェザー隊内では偉大な先達、伝説的な癒やし手として、またその自己犠牲と勇気、レザエルとの悲劇とあわせて最も尊敬をもって語られる名の一つだ。
モニター画像のディセクションは視線を落とした。
手元の鉸刀、救命の白と病絶の黒、その2つの色と特性を見て何か思う所があるのだろう。
「……?!」
彼女の表情にさっと緊張の色が走ったのはその時、もう一つの要請を伝える通信をキャッチしたからだった。

その音域とでも呼ぶべき一帯に入った時、ディセクションは思わず緊張を緩めそうになった。
天空の浮島、9つの都市群と空中港を見下ろす空に、横笛を奏でる白銀の天使がいた。
奏明の騎士スピナビリス。
ロイヤルパラディンの楽士である。
騎士団に旗手や伝令がいるように、楽士もまた立派な兵種である。
特にスピナビリスを評するこの言葉、
「天空より響く、魔滅の旋律」
を聞けば、その笛の音がただ味方の心を安らがせたり、奮い立たせるだけではなく、都を脅かす悪意や魔物を退けるものだと分かるだろう。
「ようこそ、我が奏壇へ。ディセクション・エンジェル」
スピナビリスは笑顔で挨拶すると、すぐに横笛の演奏に戻った。
ロイヤルパラディンの白銀の鎧が陽光を反射し、天使の輪も相まって、まさに天上の美しさである。
「いつも演奏、ご苦労様。“悪意”の出現数増加については?」
『限定共有通信で聞いていましたよ』
とスピナビリスは頭を傾げてイアモニを見せた。優雅な身振りと微笑みは言葉よりも雄弁だった。
「あなたは音楽でこの都市全体を守っている」
『私だけではありませんけれどね』
スピナビリスは周囲を見渡して見せた。彼女が奏でる音が“協調”を意味する豊かな旋律へと変わる。
笛以外でも、ロイヤルパラディンの魔滅の旋律を奏でる天使は多い。
ディセクションは自然と、目視できた楽団騎士たちに敬礼を送っていた。
「改めて、あなた方に敬意を」
『慰労にいらっしゃったの?もちろんお気持ちは嬉しいけれど』
スピナビリスは軽く首を傾げた。あまりにも豊かな意思表示にディセクションはジェスチャーではなく本当に言葉を聞いているのではないかと一瞬、耳を疑った。
「実はお願いがあって。楽団の天使に」
「もちろん。私たちにできることなら何でもおっしゃってください。鉸刀の天使」
今度は横笛から口を離して応じると、スピナビリスはイヤモニに触れた。ケテルギア上空、周囲の楽団騎士すべてに戦術データリンクが開かれる。
「感謝します。奏明の騎士スピナビリス」
ディセクションは白と黒の鉸刀を身体の前面に立てて剣礼をした。

「射て」
シャドウパラディンの低い声に、彼を囲む漆黒の攻撃子は機敏に反応して青白い光線を放った。
地下水路に侵入していた小鬼型“悪意”、その先陣がビームの斉射を受けて消滅した。
だが、その数はまだ多い。
先ほどから急に増えたのだ。これまでそんな前兆はまったくなかったのだが。
「下がって援護を呼べ。それまで殿はオレがやる」
モーネスはそう叫ぶと、背後に仲間を押し出して、自分の身体で通路を塞いだ。
ケテルサンクチュアリ地上の都セイクリッド・アルビオン。
その地下に縦横無尽に延びる水路は旧時代の遺構であり、市民の生活を支える現役の設備、そして地上の民を守る破天騎士団の本拠であり砦でもある。一方で、シャドウパラディンもまた影からこの国と街を守る務めを負う闇の騎士である。
「この陰影の騎士モーネスが!」
モーネスの両手剣が押し寄せる“悪意”を薙ぎ払った。
神聖国の騎士が揮う剣は光であれ闇であれ、魔に対抗しそれを祓う力がある。味方を逃し反撃の機会を待つために危険な殿を買って出たモーネスの名乗りは、彼の自信とそして実績に裏打ちされたものだった。
だが……。
攻撃子が射ち、両手剣が薙いでも、今日の悪意の群れには数だけでなく、いつもにはない粘りがあった。何か狂気を感じさせるような。
「援軍は来る。もしオレ一人で敵わなければ、それだけのこと」
闇の騎士、戦闘のプロフェッショナルであり幾多の死線をくぐり抜けてきたモーネスにとって、勝利が奮闘の結果であるように、よしんばここで敗北し斃れたとてそれもまたもう一方の結果に過ぎない。
両手剣の騎士は構えた。
地下水路を埋め尽くす小鬼たち“悪意”は一斉突撃のタイミングを狙っている。
その時──。
天上の音色が響いた。
最初は澄んだ笛の音色。
そこへ管楽器、弦楽器、打楽器……やがてそれは暗い地下水路には似つかわしくない──いや音響効果からするとそれはむしろ地下空間だからこそ増幅され豊かになった──轟くような『光のオーケストラ』となって響き渡った。
──!!!
頭部を押さえ苦悶する“悪意”たち。
その姿はみるみる崩れ、空気に溶け込むように消えてゆく。
音のダメージを避けた悪意の残りは逃走にかかった。
そこへ、同じく輝く刃のような叫びと共に、2刀を構えたディセクション・エンジェルが突っ込んできた。
「黒き刃が病みを絶ち、白き刃で命を救う!受けよ、我が刃を!」
モーネスもただ見ていたわけではない。
「斉射!!」
これが援護と気がついた瞬間、飛来したディセクション・エンジェルの一撃とともに、陰影の騎士モーネスの漆黒の攻撃子が放つビームが悪意の最後の一群を捕らえ、闇の炎で焼き尽くした。

旧都西12区。
「斧ってのは、人を助ける為に振るうもんなんだ」
地下水道の奥から悠然と歩いてきたガヘリスは、陽が差しこむ開口部に立つ仲間を見るとそう言って笑った。地下の最深部にまで潜っていた彼は、つい先ほどその巨大な戦斧を振り下ろして悪意の侵入口を塞ぎ、封印してきたばかりである。
ディセクション・エンジェル、奏明の騎士スピナビリス、陰影の騎士モーネス。そして彼、信憑の騎士ガヘリス。
奇しくもエンジェルフェザー、ロイヤルパラディン、シャドウパラディン、ゴールドパラディンとケテルサンクチュアリを代表する癒やし手と騎士が揃った感がある。
「急遽増援は頼んだが、こんなに総出になるとは。とにかく礼を言う。おかげで助かった」
ガヘリスは巨大な斧を肩に預けて、笑った。
「破天騎士団からも感謝の伝言があった。向こうは東区と北区に同時出現した悪意の対応で手が離せなかったらしい。まぁ、天と地の違いはあっても騎士団の目的は同じ。俺たちが守るべき街だ。困った時はお互い様ってヤツだな」
「お役に立てて何より」
そう言って横笛を構え直したスピナビリスは微笑みと仲間の楽団と共に、天上へと帰っていった。
「いい腕だ。医者にしておくには惜しい」
陰影の騎士モーネスはそれだけ言って、地下道の向こうへと踵を返した。
「ちゃんと礼は言ったのか、モーネス」
ガヘリスはその背に呼びかけたが天使ディセクションは軽く手を挙げて制した。
「人を助けるのが私の仕事です。礼など要りません」
「それはそうだが……」
「私も戻ります。それではまた後日」
信憑の騎士ガヘリスは頷いた。
「あぁまたな。こんな機会がまたあるといい」
「機会?」
今にも飛び立とうとしていた謹厳実直な癒やしの天使ディセクションは振り返った。
「天と地。天使と人間。癒やしと戦い。あんたのその得物と同じように、俺たちの国には2つを両立させる力がある。活かす力が」
ディセクションは胸を突かれた様子になった。
ガヘリスも先ほどの通信を聞いていたとは思えないが、彼の言葉は白と黒の鉸刀を携えるディセクションの抱える思いと合致していたからだ。
「ヤツのぶんも礼を言うよ。オペレーティングにもよろしく伝えてくれ」
ええ。ディセクション・エンジェルは口元に微笑を浮かべて頷き、次の任務へと飛び立った。
地上の騎士への返答、その短い言葉に万感の思いを込めて。
「必ず」
了
※註.惑星クレイの1日は24時間、1年は360日(いずれも地球の単位に換算した場合)である。※
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《今回の一口用語メモ》
エンジェルフェザーの一装備:天使の鋏
天輪聖紀のケテルサンクチュアリあるいはそれ以前も含め、医術と治癒の力をもつ天使たちの中で「鋏」型の装備を所持する者は(注射器やメスなどと比べても)少なくない。
今回はこの天使のハサミについて考察していきたい。
ハサミは惑星クレイでも古代にまで、遡ることができる道具だ。
刃物としての用途は広く、裁縫や料理に使う生活用具のほかに、今回触れる天使の装備品にもなっている。
エンジェルフェザーの天使がハサミを持つのは医療用具と、そして武器として使うためだ。
天輪聖紀の今日、エンジェルフェザーは惑星圏全体に活動範囲を広げる医療集団として知られている。
だがもともとの「エンジェルフェザー」とは神聖王国ユナイテッドサンクチュアリの頃より、戦場で敵味方の区別なく、傷や病の治療に当たっていた治癒の天使と協力者、それらが集まった組織を指す言葉であり、優れた癒やし手であると同時に「戦場を駆ける天使」たちでもあるのだ。
自分の身は自分で守らねばならない定め。
病魔や怪我に挑み原因を取り除く導きの刃は、同時に行く手をはばむ敵を退け血路を開く悪斬の刃ともなる。
一方で、ハサミには祭具・呪具として魔をはらい悪念を断ち、運命を切り拓くという表象的な意味もある。
敵と味方、国内においては天と地との区別なくケテルの民と共に病と戦い、癒やしを与えることを生業とするエンジェルフェザー、ディセクション・エンジェルがハサミを持つのは、彼女たちの覚悟と神聖国の癒やし手としての誇りの現れでもあるのだ。
エンジェルフェザーについては
→ユニットストーリー057「救命天使 ディグリエル」および《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
ハサミを持つ天使としてはこれまで
→ユニットストーリー066「ユースベルク“反抗黎騎・疾風”」
にイニュクリエイト・エンジェルが登場している。
なおエンジェルフェザーと同じく、その仕事がケテルサンクチュアリの天と地をつなぐ役目を果たしているのが、ディヴァインシスター。こちらについては
→ユニットストーリー005「ディヴァインシスター ふぁしあーた」および《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
虚無の尖兵については
→ユニットストーリー048「インヴィガレイト・セージ」
ユニットストーリー076「砂塵の雷弾 サディード」
ユニットストーリー072「天輪鳳竜 ニルヴァーナ・ジーヴァ(後編)」
ユニットストーリー094「緋炎帥竜 ガーンデーヴァ」
を参照のこと。虚無の尖兵はその正体や規模、狙われる対象が不明な場合、ただ“悪意”とも呼ばれる。
“悪意”は小鬼のようであったり翼あるものであったり、あるいは人型であったりとその外見は様々だが、本編にもあるように虚無が惑星クレイ世界の存続と表裏一体である以上、完全に消滅することはない。
“悪意”はまた地上/地下、空中、水中そして宇宙や異空間も含めて、神出鬼没であることも特徴である。
ケテルサンクチュアリと魔術数“2”については
→ユニットストーリー057「救命天使 ディグリエル」および《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
惑星クレイの時間と暦法については
→ユニットストーリー097「六角宝珠の女魔術師 “藍玉”」の《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡