ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」

月から見下ろす惑星クレイの姿は、それが球体であれ、レザエルの踏破してきた陸や海、空の有様をまざまざと思い起こすものだった。
「健やかであって欲しいと望むものだろう。人であれ星であれ」
並んで立つ月の門番ヴェイズルーグは、奇跡の運命者レザエルの思いを読み取ったように言葉をかけた。
「全てを話してくれると、あなたは言った」
「話そう。だが全てとはいえない」
レザエルの傍らではリフィストールが2人の会話に耳を傾けていた。
「ヴェイズルーグ。知っての通り私は医師であり、現状を診て、原因を追求し、症状を正常化し、快方に向かわせるのが仕事だ。あなたもそれを見込んで試練に挑ませ、その結果、彼──奇跡の幻真獣リフィストール──を共につけてくれたのだと思っている」
「リフィストールは我が遣わせた者では無い。君の資格を認め、門が答えたのだと思って欲しい。君はまさに幻真獣と《門》に選ばれたのだ」
「……」
レザエルはリフィストールと目を合わせた。
共となり、友となってまだ日も浅いが、再びこうして月世界へと招待された今、救世の使いと奇跡の幻真獣の間には確かな信頼が築かれ始めている。
「では改めて問わせてもらおう、ヴェイズルーグ。あなた達と《門》は何者か。何のためにこの第1の月に、惑星クレイ世界にやってきたのだ」
「うむ。我々はいわば調整者だ。“月に発生する災い”を感知し、それを排除するために存在している」
「月の災い?ではこの月のどこかに異変が……?」
レザエルが見渡す月の表面にも、ムーンキーパーに連れられて見た近影にも、いつもと変わった様子はないように見えた。
ヴェイズルーグはじっと月を、彼らの足元を見つめていた。
「この3ヶ月あまり、君とリフィストールには惑星クレイ各地での異変を探ってもらっていたな」
「調査は今も続けてもらっている。私の友や大切な仲間が」
「その件では感謝を。運命者と宿命者のネットワークにも協力を得られたのは幸いだった」
ヴェイズルーグは頷いて礼を表した。
「先の報告では目立った事件はないとの事だった」
「ケテルサンクチュアリでの“悪意”の侵入頻度の増加くらいだと聞いている。それも憑依や異質な存在への変化などというものではない、小競り合いだった。実地にも向かってみたが、封印もよく利いていた」
「では今の状態こそが前代未聞と言わねばなるまい。赫月病の」
「赫月病?」
レザエルは目を瞠ってヴェイズルーグを見つめた。
「それは病なのか」
「あぁ。『月は赫く病み、災いの至るを告ぐ』。それは星に起因する恐るべき病だ、医師レザエル」

「月が赤く染まるのが災いの前兆だということか。衛星の異常現象が、離れた星に異変を引き起こすと?」
「前兆ではない。赫月は災いそのものだ。月がその元の光を失い、赤く染まる時、発せられた魔力によって本星の生物を狂わせる。その結果、自我消失、人格変質、衝動が制御できなくなり凶暴化する」
「原因が月の魔力というのは初耳だが、月の引力、光、満ち欠けが人の精神や肉体に少なからず影響を及ぼすという説はある」
聞いているレザエルは月面にいるのを忘れるほど、優秀な医師として診察に臨む体勢となっていた。
一方のヴェイズルーグは、話す相手を間違えていなかったという確信を得たようだ。
「だが月の門番よ。地上では、月が赤くなることは光と大気の状態によって観測される自然な現象だ。そもそも我々の世界の月として赤黒い見かけのブラント月が既にあるではないか。赤い色が全て災いを招くとは思えないのだが」
「レザエル。思い出して欲しい。我は長きに渡り、幾つもの世界を巡り、それぞれの月の実態を見てきた。赫月病による月の赤化現象とは見間違えようが無く独特で、不可逆のものだ」
レザエルは少し混乱しているようだった。
「だが、ヴェイズルーグ。私は地上でも、ここに連れて来られる途中でも、そして今もこの第1の月を見ている。この月は白い」
「いいや。我は確かにこの月、惑星クレイ世界の第1の月が赤く染まるのを見て、ここへやってきたのだ。だが、“赤い月”はすぐに元の白色に戻ってしまった。魔力の影響を受けた者も見つかっていない。これは、今までに見てきた赫月病とは明らかに異なる。異常なものだ」
「……」
レザエルは緊張した。医者が感染病に向き合う時、もっとも警戒し恐れるのが従来の治療法が通じない“変種”と“変異”である。
月の門番さえ見たことがないという宇宙的な病の変種または変異だとすると、そんなものに我々がどう対処できるというのだろう。
ヴェイズルーグが手を広げる先で、月の昼の世界は白く輝いていた。
「だが私は確かに感じる。この月が病んでおり、赫月の魔力を秘めているという事が。しかし今は打つ手がない。発症しなければ対処できないなど、《月の門》を戴き、月の異変に向き合ってきた我と我がムーンキーパーにとって痛恨極まる状況だ。……レザエル、赫月病に冒された星の惨状を、君に見せられたなら……。昔、この月で楽園を見たことがある。クレイの月は美しい。我が手で救い、癒やせたなら、どんなに……」
「ヴェイズルーグ」
レザエルは一歩踏み出して、月の門番の手を取った。
突き動かしたのは完全に共感だった。
ヴェイズルーグはいわば誠実な月の医者だ、とレザエルは認め、今改めて世界と彼のために心から役に立ちたいという思いが燃え上がったのである。
医師の気持ちとは医師にしかわからないものなのかもしれない。
治癒を見る喜びも、手が施せない憤りも。
そして同じように男性として、何かを見いだし、それを失った無念もまた。

ブラントゲート北部、リィエル記念病院。
ドラゴニア大陸南端にあるここは同国の領土としては飛び地になるが、天輪聖紀に至るまでに寒冷化が進み、(南極大陸と同様の)氷雪気候となった一帯である。
その正午の中天に浮かぶ2つの月。
淡い赤黒のブラント月。そして白く輝いている第1の月。
彼女がいつも案じている相手は、今またあそこにいるのだ。
「心配ですね、レザエル様のこと」
遠慮がちな声がかかって、時の宿命者リィエル゠オディウムは初めて、医局の皆が心配するくらい長く、自分が窓の外の月をぼんやりと眺めていたことに気がついた。
「何よ。この前の仕返し?」
オディウムはそう言って、大望の翼ソエルの額を軽く突いた。
「ヴェイズルーグとムーンキーパーは敵じゃない。心配があるとするなら、月の門番がレザエルや(また修行の旅に出ている)ヴァルガに何をやらせようとしているかって事かしらね」
「お帰りになったら、さっそく聞いてみましょう」
ソエルはにっこり笑うと、幾つかの申し渡しをして、自分の席へと戻った。
医師の卵としてレザエルに出会ったソエルは、エンジェルフェザーの父母の期待に背くことなく、良い医者への道を歩んでいる。(アモルタの知識と経験、技術までも丸ごと受け継ぐ)凄腕オディウムや、医療に《零の虚》を持ち込むブラグドマイヤーほどの奇抜さは無いが、患者の痛みに寄り添い、気持ちを共にして回復へと導く優しさと真面目さは、かつて友である熱気の刃アルダートに発揮したものが兆しだったのだろうか、病院では愛される存在になっている。
「うん。もう任せても大丈夫かな」
オディウムの呟きは、幸か不幸かソエルには届かなかったが、彼女が向き合う先はもう目の前の机に変わっていた。
デスクの上、視線の先には“卵”がある。
ギアクロニクルの遺構と運命力が生み出した、精妙にして複雑な生ける機械、リィエル゠アモルタの“卵”。
「……」
両手で頬杖をついて、それを見つめてみる。
ギアクロニクルの天使が小さく首を傾げると、診察のためにまとめられていた豊かな象牙色の髪がこぼれた。
“卵”を一心に見つめるその様子は、敏腕と博識で知られるリィエル記念病院の人気医師オディウムというより、難題に手を付けかねている学生といった風だ。
「ねぇ、そろそろだと思う?……そろそろかな」
オディウムの言葉は謎めいて、様々な感情が万華鏡のように散りばめられていたけれども、その奥底には確かな期待と希望の気配があった。
「わかった。彼に繋ぐわ」
オディウムは頷くと卓上のコールボタンを押した。
物言わぬリィエル゠アモルタの“卵”と意思を交わし対話できるのは今のところ、この世界でたった2人なのだ。

「ケテルサンクチュアリへようこそ、降誕の龍樹ゼフィロギィラ殿」
神聖国を訪れる賓客の招待所としても知られるアルビオン港迎賓館。
その豪奢な応接室の卓に一つの鉢が置かれている。
守護の宿命者こと外交武官オールデンは、この小さな客人に対しても礼儀正しく立って迎えていた。
「バスティオン長官も間もなくこちらに来られます。くつろいでください」
「感謝します、オールデン将軍。でもどうか『ゼフィロシィド』と。僕はまだ生まれたばかりなんですから」
白銀に輝く甲冑を身につけた騎士オールデンが直立し、植木鉢の上で揺れる若木と会話している光景は可笑しみを禁じ得ないが、ここはケテルサンクチュアリ外交の拠点にして玄関口。両者とも大真面目である。
「では俺もオールデンで。ゼフィロシィド」
オールデンは緊張を解くと、椅子に掛けて微笑んだ。
オールデンは若くして栄達を遂げた立志伝中の人物。地上生まれの天上騎士として、謹厳実直と、これと見込んだ人物に心を開く大胆さを同時に兼ね備えている。
「よかった。聞いていた通りの人だ、あなたは。だから多くの人に慕われるんだね」
ゼフィロシィドも一気に打ち解けた様子になった。
宇宙由来の外来種植物である彼も、この会見には相当緊張するものがあったらしい。
「君も。バヴサーガラからも心配はいらないと伝えられてはいたし、いざとなれば私も宿命者の力で対抗すれば良いと覚悟してはいたが、こうして対面するまで厳戒態勢を解くことはできなかった。職業病だろうな」
「無理もないよ」
若木ゼフィロシィドは手のように両の枝を動かして、“同感”と“自省”の感情を同時に表した。
「僕の前身はヒュドラグルム軍団を率い、世界を席巻して、最後にこのケテルサンクチュアリ中心部にまで迫った。しかもその時もっとも奮戦したのが他でもないオールデン、あなただったのだから」
「しかし古き龍樹は滅び、貯め込んだ運命力は散って“運命者”を生み出し、さらにまた君は再生したと聞いた」
「そう植え変わった。トリクスタとリノのおかげでね。そしてバヴサーガラ、ゾルガ船長とヘンドリーナ、ヴェルストラCEO。みんなも僕にもう一度生きて、学び直す機会をくれた」
「いま名を挙げられた者は全て、この星の運命力に関わる重要人物だ。それが皆、君はもう大丈夫と口を揃えている。こうして分体として惑星クレイ世界へと乗り出し、関与し、未来に働きかける良い時機だと」
「……」
ゼフィロシィドは頭に当たるらしい部分を揺らしながら、神妙な様子で聞いている。
「バスティオン長官はその地位からもご性格としても慎重で厳格な方だが、それでもこの迎賓館の門を君に対して開ける許可を出された事が、ケテルサンクチュアリと龍樹の今後にとって偉大な第一歩だと俺は信じている」
オールデンの本音はいつも、彼の地を示す“俺”が出ることで窺える。
「改めて謝罪申し上げると共に、どうぞよろしく。オールデン。そしてケテルサンクチュアリ」
龍樹ゼフィロシィドは感激した様子を隠さず、両の葉を巻き込むと深々と頭を垂れた。
それに再び立ちあがって返礼したオールデンは言葉を継いだ。
「実際、龍樹の助力があるならば我々としても得る所は大きい。礼を言うのはこちらの方だ。神聖国と惑星クレイのことならば天上・地上あるいは地下であっても我が騎士団の備えは万全。だが唯一、いつも後手に回らざるを得ないのが星の外のこと」
「特に宇宙の事となるとブラントゲートが得意だものね。歴史の授業で学んだよ」
「そうだ。奇跡の運命者レザエルから協力要請を受けた月の門番ヴェイズルーグの言葉は、見逃すべきではない何らかの脅威の予兆であるとして、オラクルと賢者たちからも警鐘が鳴らされている。龍樹からも意見が聞けるならば是非にとバスティオン様も仰せだ」
「もちろん。僕のできる事なら何でも」
植木鉢の上のゼフィロシィドは両手のように葉を広げて、協調の意を示した。
「きっと役に立てると思う。まぁさっきも言ったように、僕自身がその宇宙的な脅威だった訳だからね」
ゼフィロシィドの発言に長い会議卓の両端を挟んで2人は一瞬動きを止め、やがてどちらからともなく小さく、やがて甲冑と枝葉をそれぞれ揺らしながらの哄笑となった。こうした際どい冗談が通じるのは、健全な精神を持つ話者同士に限られるものだ。かつての敵手同士の仲がより深まった瞬間だった。
だからケテルサンクチュアリ防衛省長官バスティオンが会議室のドアを開けた時、そこには既に、かつてこの惑星の未来をかけ命がけで戦った敵同士とは思えぬほど、砕けて話し合える雰囲気が築かれていたのである。

ケテルサンクチュアリ国より南西、暗黒海上空。
強襲飛翔母艦リューベツァール、CEO執務室。
「な?いい子だろ、ゼフィロシィド。オレも無事届けられてホッとした。これでガッチリ龍樹と組んで行けるし良かったよな、バスティ」
ヴェルストラは一人、してやったりの笑み──彼の場合、悪だくみ大成功を意味する──を浮かべていた。
「いやー、『ケテル警戒網に引っかかって大騒ぎにならないよう、安息の地からアルビオン港まで極秘裏に龍樹の小体を輸送せよ』なんて悪だくみ、燃えるじゃん?バヴサーガラからの頼みだし、もうオレ、張り切ってブリッツ・アームズの転送使いまくっちゃってさ~。ゼフィロシィド君の強すぎる運命力を隠蔽するのは骨が折れたぜ。帰りはもっと凄い事やっちゃおっと……って、これ防空システムの裏かかれた当の防衛省長官に言う事じゃないよな、こりゃ失礼」
標の運命者は親友からのクレームに耳を傾けながら、机の上に置いてある見事な枝ぶりを見せる盆栽の白い樹を見て、ふと感慨深げな顔になった。
彼のオフィスの傍らに常に置かれているこの東洋風の鉢植えに対する愛好の深さと、今回の龍樹ゼフィロシィドに関する働きかけとを結びつけるのはやや強引だろうか。仲間とすべての女性に対する無限の篤志と援助は有名だが、何故それを行うのかという理由も動機もヴェルストラしか知らない。いや、ヴェルストラ当人にも実はよく判っていないのかもしれない。
「まぁそう怒るなって。代わりに『知ってるとお得な情報』教えるからさ。どっちも取れたてピチピチだよん」
ヴェルストラが視線を移した先、一つのモニターには惑星クレイの全球監視図の上を移動する機影が複数色分けされて追尾中。もう一つには分厚い扉とその前にいる複数の人影が映っている。
もちろんどれもこれも極秘事項。
国家や政府、軍の枠にも縛られない国際企業ブリッツ・インダストリー、その資金力と技術力、開発力が成せる技だ。
しかも何より質が悪いことにCEOヴェルストラのこうした無茶無理無謀のワガママと暴走は、回り回って結局、惑星クレイ世界の行く末に大きな貢献をしていることが多く、一概に個人と企業モラルに違反していると咎めたり止めたりすることも難しい。
今回も、ケテルサンクチュアリ防衛省長官をからかったり、見つかれば撃墜されかねない危険な龍樹極秘輸送任務を鼻歌交じりでやってのける一方で、この男はきちんと情報の圧倒的な優位も抑えているのだ。
バスティオンなど真面目に世界や国、組織を背負う者からすると、本当に憎ったらしく食えない男である。
「なぁバスティ。秤と時なら、どっちの面白い話を先に聞きたい?」
ブラントゲート北部、リィエル華廟。
病院の裏手にあたるこの場所は、ユナイテッドサンクチュアリの華と呼ばれたエンジェルフェザー リィエルの墓所。そして現在、居住者もいる稼働中のギアクロニクル施設でもあり、原則立ち入り禁止となっている。
何人かの例外を除けば。
今、華廟の分厚い扉の前に立った時の宿命者リィエル゠オディウム──絶望の運命力とギアクロニクルが生み出したリィエル複製──はその一人である。
オディウムの右手があがると、監視カメラに何かをかざした。
するとそれに答えるように、閉ざされていた扉のロックが次々と外されてゆく。
「ここに入ることができる人はほんの一握り」
オディウムは彼女が連れてきた2人と1つを振り向いて、そう告げた。
「知っている。レザエルの恋人リィエルの墓所だ」
答えたのは零の運命者ブラグドマイヤー。
記念病院では、《零の虚》の時間停止能力を使った画期的な保護療法を担当する悪魔。
正確には医師ではないのだが、気休めや希望的観測を一切挟まない診療がかえって患者とその家族から篤い信頼を集め、院内ではドクターを付けて呼ばれている。
「名医であり戦場で身を挺して多くの兵を救った英雄であり、今でも尊敬をもって語られる名だとデータに記載されています」
そう続けたのはリリカルモナステリオの柩機アイドル、PolyPhonicOverDrive アルティサリア。ブラグドマイヤーとの交友は学園公認のもので、戦闘任務と公演の合間に堂々とブラグドマイヤーの元を訪れる様子は近年最大の芸能ニュースとなっている。ちなみに、今もブラグドマイヤーにまとわりつく金色の粉、無限鱗粉こと無限の宿命者レヴィドラスの懸念は当たらず、アルティサリアの人気はむしろ発覚以後、急騰しているという。
「それで、レヴィドラスのおじいちゃん」
「な、なんだ。いきなり」
朱霧森ヴェルミスムの主にして、(運命王レザエルと並び)偉大なる運命力の担い手でもある宿命王レヴィドラスを慌てさせるような者など、この世界には数えるほどしかいない。
だが、100億歳を超えるという老体にとって大変気の毒なことに今、リィエル華廟の前に集っているのは全員がそれなのだった。
「とりあえず、ブラグドマイヤーから離れて」「そんな命令には従わぬぞ!私は!」
「離れろと言っているのだ、ジジイ」「イヤだ!この先を知れないなど、つまらぬではないか!」
「従わなければ《呪縛》するだけの話ですが」「横暴だ!断固抗議する!」
3者3様の説得を受けても駄々をこねる老人の無限鱗粉に、オディウムはやれやれと首を振った。
それでもちょっと気の毒に思ったのか、言葉を少し和らげてオディウムは説得にかかった。お年寄りに辛く当たるのは、彼女の性格からも医師としても本意ではない。
「あのね。別に仲間はずれにしようって言うんじゃないの。そこは分かってね、おじいちゃん。運命者と宿命者、いつも一緒のお友達なのは知ってるけど(そんなに必死に否定しなくてもいいのよ、2人とも)、そろそろブラグドマイヤーも自分一人だけで何かに取り組んでも良いと思わない?」
「……」
無限鱗粉はいかにも渋々といった風で、マフラーの様だったブラグドマイヤーの首から離れた。元々、この惑星に稀なブラグドマイヤーという存在とその成長、ついでに憎まれ口の応酬が楽しみで居続けているレヴィドラス(の情報端末であり耳目)である。何よりオディウムの言葉には説得力があった。
「ブラグドマイヤー、あなたにお願いしたいことがある」
「オレにできることならば」
ギアクロニクルの天使と《零の虚》の悪魔との間には、病院の同士として確かな信頼関係がある。ブラグドマイヤーの答えに迷いは無かった。
「そう。これは、あなたにしか預けられない。消せない過去と切り離せない縁を持つ、あなたにしかできない事」
アルティサリアは真剣な面持ちの2人を、興味深そうに見比べている。
「これを」
オディウムはまた表情を改め、右手に包まれたあるものを零の運命者に差し出した。
ブラグドマイヤーは息を呑んで、オディウムの手の中のものを見つめた。
アルティサリアも、宙に漂う無限鱗粉のレヴィドラスも。
それはアモルタの“卵”。
時の運命者リィエル゠アモルタがこの世に生じ、そして去りし後に遺した忘れ形見。リィエル複製として“妹”にあたるオディウムが、肌身離さず持ち続けてきた“卵”だった。
そして時の宿命者リィエル゠オディウムの厳粛な声音が、暗く口を開けた華廟の構造物を重く震わせた。
「待つこと、省みること、語りかけること。あなたに頼みたいのは誰かのために一人、『祈る』こと。大いなる願いを叶える助けとなる事よ、ブラグドマイヤー」

了
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《今回の一口用語メモ》
赫月病について①
ブラントゲート国赫月病対策委員会 拝呈
今回、奇跡の運命者レザエルの報告を受け急遽、結成された本委員会であるが、その立ち上げに際し、以下はその現状を確認するものである。
惑星クレイには2つの月がある。
元々、クレイに存在していた方が白く輝くことから「皓月」とも呼ばれる「第1の月」。
一方、「第2の月」は「ブラント月」の方が一般的な呼び名として知られる、赤黒い星。
ブラント月はもともとが遊星ブラント、当時、侵略者としてこの世界に到来したリンクジョーカーの母星である。星輝大戦の終わりに覚醒した創造神メサイアが遊星と融合し、クレイ惑星圏に取り込まれたものだ。
《月の試練》を克服して幻真獣を得たレザエルは、ヴェイズルーグから「赫月(かくげつ)」および「赫月病」というキーワードと警告を得た。
月の門番によれば赫月病とは、
①月が罹る病である。
②月の色が赤く変化することで、発症が確認される。
③赤い月、赫月はその魔力で本星──つまり我々の世界でいう惑星クレイ──の生物を変質させ、凶暴化させる。
というもののようだ。
また、赫月病に対し、月の門番ヴェイズルーグは対抗手段を持っているようであり、彼は惑星クレイ第1の月の罹患を感知し、この世界へとやってきたようだ。
ここで懸念されるのは、同じくヴェイズルーグの説明から我々に共有されたこと。
つまり今、惑星クレイ世界を脅かしているのが「通常の赫月病ならざる赫月病」であるようなのだ。しかも(ヴェイズルーグによれば)今回の赫月病は確かに一度発生したはずなのに、その影響を受けた者が誰もいないということである。
これは変異または変種である可能性がある。
ヴェイズルーグの経験を超えるものだとするならば、医師レザエルが補足してくれたように、より対処困難である“星の病”となる事も考えられ、より強い警戒が求められる。
ただ今の所、ヴェイズルーグの警告と懸念、それを受けたレザエル達の努力にも関わらず、惑星クレイとその周辺宇宙では、大きな異変は報告されていない。
つまり現在までの所、「赫月病」は症状なき病というわけだ。
これが嵐の前の静けさなのか、それとも警戒の目をくぐり抜けて、既に発症しているのかはまだ不明である。
ただし、聖竜紀後期に赤黒く染まった星「遊星ブラント」がクレイに迫った際、それはリンクジョーカーの大攻勢を意味していた。
今回もそうした脅威の前兆ではないことを祈りつつ、次回の報告のため引き続き探索と情報収集に務めていきたい。
──当委員会は以上を各国政府ならびに運命者/宿命者ネットワークあてに厳正に提出し、また本報告書を以て、我がブラントゲート国科学委員会の最高水準の分析結果を添付・提示するものである。
遊星ブラントが惑星クレイを巡る第2の月となった経緯、その前後の歴史については
→世界観コラム ─ 解説!惑星クレイ史 第11章 聖竜紀後期Ⅱ ~時空改変とメサイアの覚醒~
を参照のこと。
2つの月が存在することによって発生する2つの月食と“合”については
→『The Elderly ~時空竜と創成竜~』 前篇 第2話 砂上の楼閣
に説明がある。
ゼフィロシィドについては
→ユニットストーリー122 龍樹篇「トリクスタ」
ユニットストーリー175 「ゼフィロシィド」
ユニットストーリー182 朔月篇第7話「降誕の龍樹 ゼフィロギィラ」
を参照のこと。
レヴィドラスとブラグドマイヤーについては
→ユニットストーリー152 宿命決戦第2話「無限の宿命者 レヴィドラス」
と下記を参照のこと。
ブラグドマイヤーとアルティサリアについては
→ユニットストーリー179 朔月篇第4話「PolyPhonicOverDrive アルティサリア」
ユニットストーリー187 朔月篇第12話「零から歩む者 ブラグドマイヤー・ネクサス」
を参照のこと。
かつてギアクロニクル第99号遺構と呼ばれていた「リィエル華廟」が、ブリッツ・インダストリーの寄付とヴェルストラCEOの働きかけによって、周囲と隔絶した神聖な場所となっていることについては
→ユニットストーリー176 朔月篇第1話「奇跡の運命者 レザエル VI」
を参照のこと。
最近、ケテルサンクチュアリ地上の都セイクリッド・アルビオンへ、悪意の侵入が増えたことについては
→ユニットストーリー199「ディセクション・エンジェル」
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡