ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
201 赫月篇第2話「楽園へ導く者 ナナクリル」
ストイケイア
種族 シルフ


ブラントゲート国センタードーム。
超銀河警備保障本社。
セラス──極光烈姫セラス・ピュアライト──は、コマンド・ルームのモニターを埋め尽くす捜査資料を眺め、それらの情報が自らの内なる探針を刺激するのを感じていた。
彼女は人間なので、もちろんこれは比喩だ。
だが超銀河警備保障の捜査官、そのトップエージェントとして幾多の事案や犯罪者、世界的な脅威と向き合ってきた彼女には、散在する情報の向こうにある事件の全体像を洞察する力がある。
あるいはそれはベテラン捜査官が“勘”と呼ぶものなのかもしれない。
『真宵楽園』
彼女が見つめているのはこの単語だ。
付記事項には“詳細不明”とある。
“民間伝承ないしは都市伝説的な未確定情報”とも。
やがてセラスは表情を変えぬまま「配属希望申請書」の書式を呼び出し、報告を添えて記入、チームメンバーの候補リストを添えて送信した。そしてもう一度、画面を睨む。
『真宵楽園』
彼女の探針は警告を発し続けている。
これは、看過すべきではない事案だと。
惑星クレイ第1の月。
ヴェイズルーグは腕を組み、地表にただ一人、佇んでいた。
上空には《月の門》。中空は漆黒の宇宙空間。
砂礫の大地はクレーターの縁や月の海などを挟みながら遙か地平線まで広がり、太陽の光を反射して白く輝いている。だが、この眩しいほどの輝きが、一度は病の赤に染まったことを彼は知っていた。
「……」
そしてこういう時のヴェイズルーグには眷族のムーンキーパー達も近づくことなく、あえて声を掛けようとはしない。彼女以外は。
「ヴェイズルーグ様」
「ヘルグヴァールか」
ヴェイズルーグは微動だにしない。
思念の呼びかけに、ヴェイルズルーグもまた思念で答えたからだ。
「お邪魔でしたら、また時を改めます」
「よい。話せ。時は何よりも貴重だ。既にこちらに帰っているのだろう」
御意、と第三の幻真獣“玲獄寵妃”ヘルグヴァールの思念は恐縮した様子で答え、主との対話を続けた。

「ヴァルガはどうだ。あれをどう見る?」
この問いかけだけで、ヴェイルズルーグが第三の幻真獣ヘルグヴァールに念話や人型女性的な外観だけでなく、第一と第二とは異なる役割を期待していることがわかるだろう。
無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスは知られている限り、レザエルと並ぶ《月の試練》の挑戦者であり、ヴェイルズルーグから直に秘密の依頼も受けている。
「より過酷な鍛錬に励んでおります。例の件に関してはレザエルにさえ漏らすことなく心の内に留め、次の試練に対する気概。いや増すばかり」
「そうだ。それでよい。それでこそ無双」
ヴェイルズルーグは深く頷いた。
「もう一つ。お耳に入れたいことが。ご依頼の件につきまして」
“玲獄寵妃”ヘルグヴァールは、第三の幻真獣として「隠密」と「移動」のエキスパートである。気配を消し、長距離への転移を単独でこなす秀でた存在である。その歯切れの悪さだけでヴェイルズルーグは察した。
続けて発せられた思念は謎めいた対話だった。
「では特定はできぬか。惑星クレイでも」
「ブラントゲートのエージェントは思念傍受にも耐性が強く、隙もありません。ただ一点だけ。被害者の証言に共通するものとして、『その“宵”は真に望む者の前に現れる』と」
「……」
ヴェイルズルーグの思念が沈黙したのを、ヘルグヴァールは不満と捉えた。
「引き続き探ってまいります」
「いいや。ヴァルガの件で十分だ。ご苦労」
再び恐縮と感激の──幻真獣やムーンキーパーたちにとってヴェイルズルーグの労いは大変光栄なものなのだ──思念の返答があり、恭しく念話の“糸”は閉じられ、そしてまたヴェイルズルーグは独りになった。
瞑目し、今得た情報の意味を咀嚼する。
月の門番には多くの憂いがあった。
ムーンキーパーが属する“月”とは、この惑星クレイ第1の月ばかりではない。
数多くの世界の“月”に気を配り、警戒し続ける必要があるのだ。そして赫月病に脅かされる本星、地上の民のことにも。その努力と姿勢はレザエルが見破った通り、誠実で真面目な「星の医者」と呼ぶにふさわしいものだ。
そして、他の想いも。
移りゆく世界の前に不動を貫いたヴェイズルーグの沈黙は、今日も重く、深かった。
「……」
黄昏。
月に夜が迫っている。
大気のない月の夜の訪れは惑星クレイとは違い、光と影、灼熱と極寒の強烈なまでの転換である。
やがて夜の影がヴェイズルーグと月の表を覆った時……
それが現れた。

突然なんの前触れもなく、ヴェイズルーグの周りに燐光が舞い始めた。
四方も砂礫の平原ではなく、うっすらとではあるが森のような景色に変わりつつある。
昆虫のような翅を持つ小動物たちの姿も。
「!?」
ヴェイズルーグは驚愕した。それも二重に。
一つの驚きは、この不毛な月の表面に、あるはずのない地上の地形が出現したこと。
そしてもう一つとは……。
ヴェイズルーグはこの現象に以前、出会ったことがあったからだ。
それは惑星クレイ第1の月が赤く染まり、彼がこの地にやって来た、まさにその時に体験した事だった。
「楽園を訪れし者レイセント」
涼やかな女性の声が大気のない世界で、音としてヴェイズルーグに聞こえた。呼ばれて嬉しそうに跳ね回っている所を見ると、レイセントとはこの小動物たちの名らしい。
「……知っている。我はこれを知っているぞ」
そう呟いたヴェイズルーグはハリネズミのような夜行生物が飛び交う、月の“森”へと歩き出した。
先日、対話したレザエルが見たならきっと驚愕しただろう。
今の彼は月の門番あるいは月の医者として、配下のムーンキーパーを率い、任務に殉ずる、あのヴェイズルーグではなかった。

月と呼ばれる星は、それがどの世界であれヴェイズルーグにとって庭のようなものだ。
灼熱に輝く昼も極寒の闇に閉ざされる夜も、地形の隅々まで把握しているし、赫月病を始め、月を由来とする災いに備える者として異変があれば、誰よりも早く察知する。
だが、
「楽園を訪れし者ヨーティル」
またしても音無き声に呼ばれたかのように、行く手には見覚えの無い(そもそもここにある筈がない)草地と泉とが現れ、そのほとりに立つ昆虫のような翅を持つ四足獣がヴェイズルーグを迎え、そして先導を始めた。
「……」
“声”以外に聞こえるものはなく、動物たちとも対話することはなかった。
ヴェイズルーグはその仕事柄、各月の本星にあたる惑星の自然や動物の知識は持っているし、必要とあれば短い間地上を訪れることもある。
だが、惑星クレイでこのような動物を目にしたことはないし、彼らムーンキーパーの力も借りずに、月世界で呼吸し生存し続けられる生物もまた知らなかった。
そもそも自分に語りかけるこの声は何なのだろうか。

「楽園を訪れし者ノクトラン」
ある種の両生類を思わせる飛行生物が、あの“声”とともに森の終わりで彼を出迎えた時、ヴェイズルーグにもう驚きはなかった。
最後の茂みを掻き分けると、ヴェイズルーグの前には一面の花畑が広がっていた。
かろうじて空の色が夜であることが、この光景すべてが時間を超越した異界ではないことを告げていた。その夜空には薄く雲もかかっている。
ヴェイズルーグは草花に触れてみようと片膝をついた。
「ここまでは来たのだ。あの時も」
同じだった。
ここにあるのは平穏と癒やし、安息だけ。
厳しく自らの務めと向き合い続ける月の門番ヴェイズルーグをして、警戒すら忘れさせる空間だった。
「我はここで彼女を見た。ほんの一瞬だけ。そして消え去ってしまった。溶け込むようにこの花たちと共に」
「しばらくぶりね」
花に手をかけて俯いていたヴェイズルーグは、目の前から掛けられた声に凍りついた。
「我を覚えていたのか」
「ええ、もちろん。珍しいお客様だもの」
ヴェイズルーグは顔をあげる。
そこには美しいシルフの女性が浮かんでいた。
「いい夜ね」
朗らかな笑顔と声だった。楽しくてたまらないといった風だ。
草原に広がる花々が一斉に咲き開き、空の雲は消え去り、芳しい香りを含んだ温かい微風が吹き寄せてくる。
ヴェイズルーグは幻想的なまでに美しい風景に陶然となり、何度か首を振って、やっと気を取り直した。
前回訪れた時、記憶はここで終わってしまい、彼の心には激しい衝動──憧れに似た強い渇望──だけが焼き付いてしまったのだ。
「……まずは名乗るのが礼儀だ。我は月の門番ヴェイズルーグ。《月の門の守護者》にして、ムーンキーパーを統べる者」
「楽園へ導く者ナナクリル。この『真宵楽園』の……まぁ主といった所かしら」
シルフのナナクリルは色違いの瞳を輝かせて満開の花のように笑った。
「よろしくね、月の門番さん」

「君には色々と聞きたいことがある」
出会いの衝撃から覚めるとヴェイズルーグは自分の仕事と立場を思いだし、尋問を始めた。
「なぁに。お巡りさんか兵隊さんみたいで怖いわ。ここは楽園なのよ。もっと楽しいことを話さない?」
上空に暗雲が垂れこめると、冷たい風が吹きつけ、楽園に葉擦れの音が湧きあがった。
ナナクリルは少し不満げに頬を膨らませている。
『真宵楽園』はまるでナナクリルの心の状態と連動しているようだ。
「これは門番である我の務めなのだ、ナナクリル。気を悪くしたのなら謝る」
ナナクリルはあっさり機嫌を直し、楽園の不穏な雰囲気も去っていった。
「わかった。でもまずは座って、ヴェイズルーグ。……あ、でもお花は踏まないでね」
ヴェイズルーグは──浮かんでいるシルフに対して立って対話するつもりだったのだが──なぜか座ってしまった。草花を潰さないように細心の注意を払って。
「まず君は何者で、この月で何をしているのか」
「私は楽園の主。これはさっきも言ったよね。“ここで・何をしているか”か。それは2つの質問を含んでいるな~……うーん」
ナナクリルはステッキで長い編み髪を玩びながら考え込んでしまった。その仕草も口調も考え方も、どこか浮世離れした感じが漂う。不思議と無礼な印象を受けないのは、彼女なりに答えようと努力しているのが伝わるからだろう。
「ここは月。惑星クレイ第1の月だ。君はどこの出身で、どこに住んでいるのか」
たまりかねて、ヴェイズルーグは助け船を出した。
「住み処はここよ。私は楽園の主だもの。ここから生まれてここで過ごすの」
話が噛みあわず、ヴェイズルーグは天を仰いだ。助け船はあえなく難破したようだった。
「君はこの『真宵楽園』とともに移動している存在、で良いか」
「うん、それでいいよ」
ナナクリルは無邪気に笑い、ヴェイズルーグはその笑顔を見て挫けかけた心を、再び奮い立たせた。
「質問に戻る。君たちはここで何をしているのか」
「安らぎを求め楽園を訪ねられるお客様を待っていたのよ。たった今、お迎えしたけれど」
「この“月”では今と前回しか出会っていないが、私は君をずっと探していた」
「そうなの。嬉しいわ」
ナナクリルの素直な感情の表明に、ヴェイズルーグはなぜかまた激しく動揺してしまい、月の門番としての役目を必死に思いだしながら追及を続けた。
「君たちは真空では生きられない惑星由来の生物で、それは外見からも明らかだ。つまり楽園とは惑星クレイに存在するもので、ここ月にも移動することができるという事なのだな」
「まぁそうね」
ナナクリルは肩をすくめた。楽園がどこに移動できるかなど気にもしていないのだろう。おそらく月であれ惑星クレイであれ、楽園が今ここに在ること、お客様に安らいでもらえるという事が彼女にとっては大事なのだ。
「うむ。実に奇妙な力だ。我は様々な月と本星とを長く見ているが、こんな事は初めてだ。だから是非もう一度逢って、君が何者か、この楽園が何なのかを確かめたかった」
「なーるほど。あなたのその強い望みが楽園を呼んだのかもね」
「我が望んだから楽園が現れた?」
この時、ヴェイズルーグの脳裏をかすめたのは、第三の幻真獣ヘルグヴァールがもたらした被害者の証言『その“宵”は真に望む者の前に現れる』だっただろうか。
「一体、『真宵楽園』とは何だ。ここに辿り着いた者が安らぐまま、ここに居続けたらどうなるのだ」
「それはね」
笑いながら口を開きかけたナナクリルはここでふと上を、白み行く夜の空を見上げた。
「いけない、もうこんな時間。じゃあ出逢えて良かったわ、ヴェイズルーグ」
慌てたナナクリルの気分を反映して、草花と楽園全体がざわめき始めた。
「話はまだ終わっていない!」
ヴェイズルーグの叫びと不満は心底からのものだった。実際、推測をぶつけてものらりくらりと往なされて疑問だけが増えるばかりで、核心に迫る重要な情報は引き出せていない。これでは完全なる敗北ではないか。月の門番ともあろう我が。
「またね!またお話ししましょう」
「待て!どうすればまた逢えるのだ?!」
「大丈夫よ。あなたが楽園を呼べるなら、きっと」
慌てるヴェイズルーグをよそに、ナナクリルは手を振りながら上昇し、こちらが何かする間も無く、彼女たちの姿と楽園の風景は急激に薄れて消え去っていた。
流るる風の如く。舞い上がる花びらの如く。一夜の美しい夢の如く。
気がつくと、ヴェイズルーグは極寒の世界、現実に戻されていた。
「必ずだぞ!」
ヴェイズルーグはやるせない気持ちを抑えられずに叫んだ。
「楽園を呼びよせるものとは何なのか、君の真の目的が何なのか!」
だが星々が浮かぶ漆黒の空から答えが帰ってくる事はなかった。また逢えるという保証も。
なぜならここは光もなく森もなく、芳しい香りを伝える大気も、間近で麗しく微笑むシルフもいない、孤独な月の夜だったから。
了
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《今回の一口用語メモ》
真宵楽園①/第703-F号 誘引・誘拐事案(暫定分類:高次精神干渉)
奇跡の運命者レザエルからの要請を受け、精査を進めている「惑星クレイ世界における異変」について。
我々のデータバンクに、最近になって報告件数が増えている、気になる事案が見つかった。
『真宵楽園』。
惑星クレイ世界では都市伝説的なものとして、一般にその実在は疑問視されてきた。
しかし超銀河警備保障としては、長らくその正体と首謀者を捜査してきた対象である。
真宵楽園は以下のように、奇妙な特徴を持つ事案だ。
①惑星クレイ世界ではその名の通り「宵/夜」に発生する。
②被害者のみに感じ、認識する事ができる「花園」ないしは「楽園」が目撃される。
↑ここまでが真の宵の楽園と称される理由である。
③被害者たちが行方不明となる。
④しかし一夜明けると、まったくの無傷で帰還する。
※精神的な影響については、この後に述べる。
⑤被害者は拉致、つまりどこかに連れ去られていたにも拘わらず、不安や恐怖ではなく、一様に「満足」を訴える。
⑥本事案で被害届が出た例は稀。
そして被害を申し出た場合も、その理由は(前述の通り)何か酷い目に遭わされたからではなく、その反対。「もう一度、あの楽園を訪れたい」ためだという。
つまりこれは──分析班からも同意見があがっているが──、犯罪事案というよりも、“楽園”を見せる何者かと接触した事によって、被害者が深く魅了され精神的な変化を遂げたとみなすべきで、本報告書を「誘引・誘拐事案」と称する所以だ。
さて⑤⑥にも挙げた事情によって、被害者は捜査協力に消極的であり、言い伝えでは「明日に迷う者」しか見られないという真宵楽園の捜査進行は遅れている。
この度、正式に本件の担当に任ぜられた私セラスは捜査主任(現場チーフ)と特別捜査官を兼任する。
捜査方針としては
・『真宵楽園』とは誰が、何のために現出させ、明日に迷う者を誘うのか。
・『真宵楽園』がヴェイズルーグ、レザエルらが懸念する月の異変に関係するか否か。
……を主眼において鋭意進めていくものとする。
関係各位には引き続き忌憚なきご意見を求め、超銀河兵装オーロラフレームの強化・新型開発についても改めてご助力を乞うものである。
極光烈姫セラス・ピュアライト/『真宵楽園』捜査主任 兼 特別捜査官
ヴェイズルーグがレザエルに共有した赫月病についての情報は
→ユニットストーリー200 赫月篇第1話 「奇跡の運命者 レザエル VIII」および《今回の一口用語メモ》
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡