ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
203 赫月篇第4話「聖なる時の運命者 リィエル゠ドラコニス」
ケテルサンクチュアリ
種族 エンジェル


ブラグドマイヤーは拝跪している。
リィエル華廟。
かつてギアクロニクル第99号遺構と呼ばれたその最奥、美しく清められた祭壇には、永遠に朽ちぬ遺体と静かに駆動する“卵”。2人のリィエルが安置されているこの霊廟の内部と周囲は、ブラントゲートの工業会社ブリッツ・インダストリー製の警備システムが常に目を光らせていた。
零の運命者ブラグドマイヤーは悪魔。人間より強靭で耐久力にも優れた種族である。
だがこの数旬というもの、ブラグドマイヤーは日の出から日没まで、まるで太陽や暦に背を向けるようにこの華廟の核心に閉じこもり、祈り、不動を貫いてきた。それは悪魔にとっても苦行であることには違いない。
それでも……
「アルティサリアは友だ。彼女の居場所として《零の虚》が役に立っている。オレたちは何も無い故に零から始められる似たもの同士なのだ。零友とでも呼ぶべきものだろう」
誰に語りかけているのか、ブラグドマイヤーは床を向いたまま話し続けている。
「あなたとレザエルを引き離す原因となったことを後悔しない日はない。世界の悲しみが降り積もる沼で生まれたオレはあの時、間違いなくこの世界にとっての悪だった。零の虚があなたの命を救う助けになったとしても……」
ブラグドマイヤーは俯いたまま、静かに首を振った。
「オディウムは何故か今になってこのオレに、誰かのために一人、『祈る』ことを課した。オレは祈りの言葉など知らん。ただこうしてあなたに向かって、《零の虚》を出てから“起こったこと”を話し続けること以外、思いつかなかったのだ」
この祭壇と“卵”の前で、ブラグドマイヤーが顔を上げることはほとんど無い。
跪くといい、拝跪といい、竜央と東洋では叩頭、また極東ではこれを土下座とも呼ぶ。
相手に対し最も強い崇敬、謝罪あるいは恭順の意を示す姿勢だ。
『ブラグドマイヤー』
《零の虚》の悪魔の耳に、遠慮がちな呼びかけが響いた。
昼はアイドル、夜は戦士。リリカルモナステリオが誇る新進気鋭、PolyPhonicOverDriveアルティサリア。ブラグドマイヤーの零友だ。
宇宙由来の存在であるリンクジョーカーにとって、その気になれば障壁が何層あろうと遠隔通信を繋ぐくらいお手の物である。もっとも、女性と親友への手厚すぎる世話焼きで知られるこの施設の管理者、ブリッツCEOヴェルストラは──このブラグドマイヤーのお籠もりが始まるや否や──2人専用の連絡用周波数とロック解除権、柩機/悪魔用デリバリーまで速やかに手配していたのだけれど。
「アルティサリア」
ブラグドマイヤーは受信したことを知らせるためにあえて名を呼んで答えた。
『邪魔はしたくなかったのですが、そろそろ日没です。私も出撃しますので』
「先にあがってくれ。今日は零の虚を開けてやれず、すまなかった」
『お気になさらず。ですが……』「なんだ?」
『私がこうなった責任は取っていただきます。あなたがこもっている間、ずっとレヴィドラス老の相手というのも……その、疲れてしまいますし』
「柩機も疲れ知らずではなかったのか」『相手によります』
ブラグドマイヤーは──彼を知る者は驚愕するかもしれない──愉快そうに低く笑って、返した。
「わかった。気の済むように……するといい」
察しが良いアルティサリアは、ブラグドマイヤーが言い終える前にさっさと通信を遮断していた。
この状況はまるで、埋め合わせの約束をしかけた瞬間、完全武装の美少女に目の前でさっと髪を振られて立ち去られたようなものだろうか。当のブラグドマイヤーがどう感じたのか、その表情からは定かではない。
「……また来る。明日の朝」
ブラグドマイヤーは祭壇と“卵”に向き直り一礼すると、立ちあがり、背を向けて歩き出した。
だが運命者、零の虚の主として彼ほどの超感覚を持つ者でも気づかぬことがあった。
それは祭壇の上、棺と捧げられた“卵”に重なるように朧げな影、羽持つ女性の姿が湧きあがっていること。
そしてその顔。
時の運命者リィエル゠アモルタの閉じられていた目が開き、ブラグドマイヤーを見つめていること。
瞳に竜の如き炎を燃やし、怒りに満ちた視線を彼に向けていることを。

「不安♪不穏♪一触即発~♪」
ボミング・ジャグラーが歌いながら、焙烙玉をお手玉する。
おっとっと。取り落としたボールが軽快な爆裂音を立てて次々破裂すると、愉快な顔マークのついた爆煙があがり、ロビーに詰めかけた子供たちが一斉に歓声をあげた。
「あなたの周りって変わり者ばかりなのね」
喜ぶ子供たちに笑顔で手を振って通り過ぎた医師オディウムが、医局のドアをくぐった。
その後ろで、同じように子供たちの声に応えたブラグドマイヤーが無表情のまま扉をそっと閉じる。
「時には道化も役に立つ。医者も患者も、病や怪我に向き合うばかりでは息が詰まるからな」
「辛い過去にもね。苦しいなら、どうしてすぐに相談してくれなかったの」
オディウムは併設されたカンファレンス室まで歩みを止めず、2人きりになった所でようやく本題に入った。
もっとも厳密に言えばこの部屋は2人だけではない。
ブラグドマイヤーの首にはまたレヴィドラスの無限鱗粉がまとわりついていたし、部屋に入るなり点灯したモニターには、満面の笑みで手を振るブリッツCEO ヴェルストラの顔が映し出されていたからだ。
「もっと穏やかなもんだと思ってたよな。我らが英雄アモルタの帰還はさ」
ヴェルストラはそう言いながらリモートで警備カメラの映像、険しい表情を浮かべるリィエル゠アモルタの幻影の動画を再生して見せ、レヴィドラスの声が見逃しがちな細かい変化を指摘した。
「ブラグドマイヤーが語りかけたことに反応して出現したということなのか。……怒っているように見えるな。額に角も生えているようだ。相変わらず美人だが」
成長や立場の違いによって名前や形態も変化する惑星クレイにおいて、天使や人間に角が生えるというのはそれほど特別でも不吉な事でもない。あえて言えば、自身の強さや意思や激しい情動の表れという傾向はあるかもしれないが。
「恨まれて当然だ。このオレが世界を呑み込み、惑星クレイの全てを無と化したのだから」
「別の世界線の話よ。あなたはこちらの世界ではみんなの役に立っている」とオディウム。
「だがアモルタはその滅んだ世界から来た。彼女を構成しているのはそこで死んだレザエルの記憶と運命力だ」
「こちらの世界のレザエルが、一度でもあなたを責めたことがある?ブラグドマイヤー」
「いいや。覚えがない。レザエルは零の虚の奥からオレを連れ出し、広い世界を見せてくれた」
「そうね、彼はそういう人よ。ではそのレザエルの記憶を元に造られたアモルタが、やっとこの世界に戻って来られるという時に、今更あなたを憎む理由もないはず」
ブラグドマイヤー以外の全員が困惑している。
実際、短い間ではあったものの、宿命決戦の終盤にリィエル゠アモルタとブラグドマイヤーがこの世界で共存していた時期はある。その時もブラグドマイヤーは口数こそ少ないものの敬意をもって接していたし、アモルタもまた、零の虚による時間停止という画期的な療法によって命救われたことを感謝していた。
良好とまではいかないまでも、怒りの視線を向けられるほど険悪ではなかったのだ。
「ともかく、同じリィエルを素体に持つ妹として言わせてもらえば、アモルタは執念深くないと思う」
「お嬢さんほど怒りん坊ではないものな。なぁ、オディウム」
レヴィドラスの無限鱗粉の合いの手は、きっちりオディウムに無視された。老人のからかい程度に反応する怒りん坊ではないのだ。
「なぁ。そもそもだけどさ。レザエルには伝えてあるの?どうやらアモルタの帰還が近そうだってこと」
「まっさきに伝えるべきよね。笑顔の帰還なら。ただ……」
一同の視線が集まった。
「詳しく伝えていなくてごめんなさい。アモルタが今まで姿を消していたのは、彼女がギアクロニクルの裁きを受けていたからなの。時空法違反の罪を一身に被ってね」
「やはりな」「あー、やっぱり」
レヴィドラスとヴェルストラが声をあげた。
時空法は厳格で不可侵のものだ。ましてその執行者に関わることなど、惑星クレイの住人にとって軽々しく憶測で語れるようなものではない。時間の外で行われる裁きはそもそも感知することができないのだ。
「ギアクロニクルはそこに私も属する者だから、彼らがアモルタに綿密な調査の上で公正な贖罪を課したのは察せられる。でも扱いは丁重だったと思うわ。世界の救い手であるアモルタの功績にはさすがのギアクロニクルも一目おいているのよ」
「なら笑顔で帰ってきても良くない?オレみたいにさ」
とヴェルストラ。絶対脱獄不能といわれる銀河中央監獄ギャラクトラズから笑顔の帰還をした彼だが、刑務所をゲームセンターか何かと勘違いしている不埒な人間の言うことなど、人格者としても知られる天使アモルタの参考にはならないだろう。
「孤独は人を変えるもの、なのかもね」
オディウムは頬杖をついてしまった。
「見舞い客のいない患者と向き合っていると、確かにそう察せられることもあるな」
ブラグドマイヤーの言葉に一同に驚きの色が浮かぶ。“察する”こともできるようになったのか。
零の虚での時を分かち合うアルティサリアとの交友も、レヴィドラスと憎まれ口を叩き合う絶妙なコンビもそうだが、この世界に生まれてからの短い期間で、最も著しい成長を示したのは彼なのかもしれない。
「私がブラグドマイヤーに祈って欲しいと思ったのは、アモルタの釈放に向けてギアクロニクルにもう一押しするための訴えでもあったわけ。彼らはちゃんと見ているわ。ブラグドマイヤーが心から帰還を望むほど、アモルタがこの世界に必要なのだと」
「オレはただ独り言を繰り返していただけだ。あれが祈りといえるのかどうか」
「もし私がある日いなくなっても忘れずにいて、語りかけてくれる人がいれば嬉しいわ。それこそが“祈り”よ」
ブラグドマイヤーの反応を待たず、オディウムは立ちあがった。
「さあ。いずれにせよ、もうレザエルに知らせて呼び戻すべきね。ヴェイズルーグに頼まれた赫月病の調査で世界中駆け回っている所を、邪魔したくはなかったのだけれど。いよいよアモルタが帰ってくると確信がもてるまでは……」
「お嬢さんが考えているのは遠慮ではなくサプライズ。贈り物なのだろう」「?」
「レザエルとアモルタ、長く引き離されていた一つの運命力。そんな二人へ、妹からのプレゼント。オディウムは本当に家族思いなのだなぁ、いや感心感心」
無限鱗粉のレヴィドラスは核心をつき、オディウムはちょっと赤くなった。
「うるさいわね、ちょっと!聞いたからには協力してもらうわよ、みんな」
その様子は、品が良く思慮深く、子供たちに好かれる医師オディウムにしては、ちょっと照れ隠しが滲むものだったかもしれない。

「悠弓の騎士アルモーヴであります。レリジアルと共にリィエル゠アモルタの帰還が近いとのことで招集を受けました」
華廟の前で敬礼したケテルサンクチュアリの騎士は、見事な造りの弓を誇示していた。一騎当千の彼女はまた隣に並ぶ明刃の騎士レリジアルと同じ、リィエル華廟の警護を防衛省長官から任されている。
「ご苦労様です。まもなく奇跡の運命者レザエルが到着すると思いますので、その時、一緒に入場いただければ」
とオディウム。身内に見せる駄々っ子のような可愛らしく砕けた様子とは反対に、ギアクロニクルの天使、時の宿命者リィエル゠オディウムとして公的に振る舞う時には、とたんに貴族の令嬢とみまごう挙措を見せるのが彼女の魅力だ。
「それと客人としてPolyPhonicOverDriveアルティサリアの入場許可も出ています。彼女が着き次第、何卒よろしく」
追伸とともに騎士たちに敬礼を返して、オディウム、ブラグドマイヤーと彼にまとわりつく無限鱗粉のレヴィドラスが華廟の中に入った。
飛行できる者にとっては、入り口から霊廟まで辿り着くまでの時間は僅かでしかない。
無言で飛び続けていたオディウムが口を開いたのは、霊廟の扉が見えた頃。緊急通信を受けた様だった。
「監視カメラがダウンしているですって?」
「この施設のシステムはメンテナンス万全、時間が止まりでもしない限り故障はあり得ないと、標の運命者は自慢していたが」
とレヴィドラス。ヴェルストラCEOの“リィエル”に対する思い入れの深さは、宿命王を呆れさせるほどだ。
「となれば可能性は一つだ」
ブラグドマイヤーは扉の前に着地すると、仲間を制した。
「ここからは、オレ一人で行かせて欲しい」

「ようこそ時間の流れの外へ。私はスチームレイダー ザムーグ」
霊廟の側に立つ男性は恭しく一礼した。
「ギアクロニクルの時空監視者だな」
視線は外さず、油断なく後ろ手に扉を閉めながらブラグドマイヤーは応えた。
「左様。“結びつき”を冠する礼装で独り入室するとは、これを予期していたのかな、《零の虚》の主ブラグドマイヤー」
ザムーグが指摘した通り、今の彼は零から歩む者ブラグドマイヤー・ネクサスの姿だ。
「ここで待つのが何であれ、迎えるのはオレの役目だと思った。あるいは別件として、オレが知らぬうちに時空法を侵したのなら出頭する」
「潔し」
ザムーグは頷くと、祭壇と“卵”の上方に手を差し伸べた。
「だが安心して欲しい。時間が限りなく停止に近づく“核”を持つ《零の虚》は、いわば君の中にある小宇宙。悪用したり世界を再び脅かさない限り、我々の管轄外だ。私に出会ったことも賢明な君ならば他言しないだろう」
「最後の警告については答えるまでも無い」
「うむ。今回、私の役目は護送なのだ。次の任務が待っている。速やかに引き渡しに移りたい」
「アモルタか」
“卵”の上にまた、リィエル゠アモルタらしき朧な姿が出現していた。
「君たちが会いたいリィエル複製かどうかは保証の限りではない。これはギアクロニクルとしての忠告だ」
「何が言いたいのだ、監視者」
「君の“祈り”を聞いていた。零の虚の中、そしてそこを出てからレザエル達と旅した事、アモルタへの謝罪と懺悔」
「……」
「立派だった。私を中継した情報を分析し、ギアクロニクルは君を当面、無害と判定した。そして今回、受け取り手としての資格にもまたふさわしいと」
「感謝すべきなのだろうが正直、独り言を聞かれて良い気分はしない」
「我々ギアクロニクルは時空の旅人。意識と記憶は時空の外で膨大に蓄えられている。それらに照らしても、一度世界を滅ぼしかけた後、反対にその世界を学び、孤独に悩む魂に手を差し伸べられるほどに成長した君、ブラグドマイヤーを我々は高く評価する。恥じることは何もない。ただ……」
「ただ?」
「前置きはここまでとしよう。君が話すべき相手はこの後にいる。ではリィエル複製をお返しする」
「礼を言う」
「これは私の務め。礼など不要だ。ではさらば」
スチームレイダー ザムーグはかき消すように消えた。
残ったのはリィエル゠アモルタの幻。
その姿が大きく、はっきりとしたものになり、監視者ザムーグが言っていた引き渡しが今、成されることが分かった。
「アモルタ」
ブラグドマイヤー・ネクサスは手を差し伸べた。
「アモルタではない」
冷たい、しかし美しい女性の声が霊廟に響いた。
「おまえがあの零の虚の悪魔ではないように」
「いいや。我が名は零から歩む者ブラグドマイヤー・ネクサス。あなたは時の運命者リィエル゠アモルタだ」
「違う。私は聖竜の翼を得た天使」
輝く翼と衣が霊廟を隅々まで照らした。
白と青。後光も眩しいその天使の額には確かに竜らしき角があった。

「聖なる時の運命者リィエル゠ドラコニス!」
続く名乗りは轟く雷のよう。
そしてこんな風に強く心に呼びかける声を持っていた竜をブラグドマイヤーは一人だけ知っていた。それは彼女と共に消えたはずの……。
「ガブエリウス?!」
「彼はここにはいない。だけどガブエリウスの力こそが、私の存在をこの世界に繋ぎとめてくれた」
ブラグドマイヤーは(レザエルから聞いていた)この世界の流れを思い起こし、思考をめまぐるしく働かせる。
違う世界線で自分が滅ぼした“世界”、そこで死んだレザエルの記憶と最後の運命力がギアクロニクルの遺跡を起動させ、時の運命者リィエル゠アモルタが生まれた。一方で、蝕滅の龍樹グリフォギィラから飛び散った運命力が「運命者」を、さらに絶望の未来から注ぎ込まれた運命力が「宿命者」をそれぞれ産みだした。そして宿命決戦の最後、アモルタとガブエリウスは、精神汚染を受けた無双の魔刃竜ヴァルガ・ドラグレス “羅刹”を圧倒し、正気づかせた後、この世界から去った。それは自分もこの目で見ている。
「それではやはり聖竜ガブエリウスもまた、時の外に置かれていたのか」
「いいえ。ガブエリウスは異世界にいる。私の側にあったのは聖竜ガブエリウスが残してくれた聖なる力。その存在が、ギアクロニクルの裁きを受け、時空法違反を償う時にも私を支え、弁護してくれた。そしてこの新しい身体にも彼が生きている」
リィエル゠ドラコニスは瞑目して自らを抱くようにして、内なる存在に祈り、感謝を捧げているようだった。
「では、あなたの“帰還”は……」
「偉大な聖竜の後見を得ていなければ、私の拘留はきっと、惑星クレイ世界の時間ではもっと長く、次の時代に移ろうと終わることがなかったはず」
「そうか……。ではガブエリウスもまた一つの償いをしたのだ。おそらくは」
ブラグドマイヤーの呟きに、竜と天使の運命者は硬い表情のまま、頷いた。
「そして今、もう一つ。贖罪の時。零の運命者ブラグドマイヤー、今度はあなたの番」
リィエル゠ドラコニスは厳しい表情で針型の剣を構えた。
ブラグドマイヤーは動じない。
思えば、オディウムから“卵”を預かった時から、この瞬間が来るのを予感していたのかもしれない。
「かつてのアモルタであるリィエル゠ドラコニスが、オレに怒りを向けるのは当然だ。オレはあなたにとって“悪”だったのだから」
「今の私の怒りは、別のあなたに滅ぼされた、別世界の怒りそのもの」
「……!」
「あなたは悲しみの沼に生まれ、本能が欲するままに最大の悲しみの元であるレザエルと一体化しただけだったかもしれない。存在する物、全てを呑み込んで。でもその結果は間違いなく一つの世界を終焉へと向かわせた」
アモルタ、いや今はリィエル゠ドラコニスとなった者の声音は昂ぶることはなかったが、事実のみを告げるそのひと言ひと言が重かった。
「大きすぎる罪だ。自分が既にしてしまった事、過去の行いを取り戻すことなどできない。……それは分かっている」
ブラグドマイヤーはやっと顔をあげた。
祭壇の上にはこちらを見下ろすリィエル゠ドラコニスがいた。怒りを浮かべていたその瞳は今、さらに強い意志と感情をもって彼を見つめていた。
「ならばオレがやるべき事はひとつ」
ブラグドマイヤーは両手を大きく広げた。その右手には剣があった。
「受け止めよう。違う世界線で滅ぼした世界のために。アモルタを生み出した悲劇のために」
「この一撃。私の全てで、零を穿つ」
リィエル゠ドラコニスは右手の剣を振りかぶり、周囲に浮いていた剣たちも一斉に攻撃態勢となった。必中の構え。
「ひとつ聞いておきたい」とリィエル゠ドラコニス。
「答えよう」
ブラグドマイヤーは微動だにせず承諾した。
「なぜネクサスは剣を持つ」
「剣とは……」
ブラグドマイヤーは続けた。
「結びつきと変化の証だ。オレは自覚し、学び、成長し続ける。そしてレザエルのように友を支え、世界をも癒す存在になりたい。剣はそんな理想の未来を切り拓き、オレを導く道標なのだ」
「……」
「だが我が罪のため、あなたがあの優しいリィエルとして、レザエルの元に帰ってきてくれるのならば、喜んでこの身を捧げよう。あなたがかつて味方を逃すために敵の刃の前に身を投げ出したように」
リィエル゠ドラコニスの表情がほんの少し動いた。
「さあ!やってくれ、リィエル!」
その声に弾かれたように、ドラコニスは渾身の力で剣を投げた。
続いて彼女を囲む剣の群れもまたブラグドマイヤー・ネクサスに殺到した。

ブラグドマイヤーは霊廟の床に膝をつき、剣が力なく垂れ下がった。
「なぜ……」
ドラコニスの剣の群れは、ブラグドマイヤーの身体を避けるように人型の空間を除いて、一本残らず全て床に深々と突き刺さっていた。
「怒りは何も産みません。私が倒したのは世界を零と化した、もう一人のブラグドマイヤー」
ブラグドマイヤーは俯いて、ただアモルタの懐かしい声を聞いていた。世界の怒りは消え去り、その声と魂は、心優しきアモルタそのものに戻っていた。
悪魔は泣かない。だがブラグドマイヤーの心は今、確かに“泣いて”いた。
「誰も赦さなくても、私があなたの罪を赦します。そしてお礼を。この世界に還してくれて」
ブラグドマイヤーは首を振った。
「その言葉は一番そう望んだ人にかけられるべきだ。そして……今こそがその時だ」「?」
聖なる時の運命者リィエル゠ドラコニスは首を傾げた。
そうすると彼女の姿と心はアモルタとオディウム、そしてある人物を除いては誰も会ったことがないユナイテッドサンクチュアリの華リィエルそのものにも重なって見えた。
「リィエル!リィエル──っ!!!!」
霊廟の扉が開かれ、レザエルが叫んだ。
ドラコニスへかけられた声は、世界の為に姿を消していたアモルタへの、そしてかつて失ったユナイテッドサンクチュアリの華リィエルを呼ぶものでもあった。レザエルの過去の悲しみ、そして現在の喜びはここに正しく結ばれたのだ。
「レザエル!」
時空を超えたリィエルの現し身リィエル゠ドラコニスは、もう全てを忘れ、迷うことなく一直線に彼の胸に飛び込んだ。
抱擁は熱く、何も言葉は無かった。
ただこの時を、2人は待っていたのだから。
零から歩む者ブラグドマイヤー・ネクサスは剣の林の中に立ちあがり、駆け寄ってきた友たち、アルティサリア、オディウム、無限鱗粉のレヴィドラスによる祝福の嵐の中に我が身を任せた。
こうしてリィエル゠アモルタは惑星クレイに帰還したのだった。
了
----------------------------------------------------------
《今回の一口用語メモ》
アモルタの帰還──リィエル記念病院講堂でのスピーチより
ついにリィエル゠アモルタが帰還を果たしました!
「聖なる時の運命者リィエル゠ドラコニス」という新たな名前と姿となって。
アモルタさん──正しくは「ドラコニスさん」と呼ぶべきなんでしょうけれど、今日だけは尊敬と親しみをこめてこう呼ばせていただきますね──、そして我が師匠レザエル様、まずはおめでとうございます!良かった。本当に……良かったですね。長い間引き離されていた、お二人がこうして並んで華廟から帰っていらっしゃるのを見て……僕も、その……胸が、一杯です。
皆さん、どうぞ盛大な拍手を!
ご存じの方も多いと思いますが、リィエル゠アモルタは宿命決戦の終わりに、聖竜ガブエリウスの肉体と一体化することで、邪竜シヴィルトの精神汚染によって最大の脅威となった無双の魔刃竜ヴァルガ・ドラグレス “羅刹”を倒し、剣士ヴァルガを正気づかせることに成功しました。
しかしその後すぐ、アモルタさんは聖竜ガブエリウスと共に、この世界の外へと去ってしまった。
僕ら惑星クレイの民は、シヴィルトに勝ち、世界を救った英雄である彼女アモルタを称賛し、感謝を伝えることすらできなかった。
そして、その行く先についてはごくわずかな手掛かりしかありませんでした。
時の宿命者リィエル゠オディウムを除いては。
無事帰還された今、そして晴れ晴れとしたお顔が見える今となっては、この長い間に何があったのか僕は聞こうとは思いません。ギアクロニクルの技と力に大きく影響されているお二人、アモルタさんとオディウムさんしか理解できないことも多いと思うからです。
でもアモルタさん、あなたの心は、ずっとあのギアクロニクルの“卵”として、僕らの側にいたんですよね。
オディウムさんとその手の中にある“卵”を見る時、同じリィエルを戴く2人の医師を見る度に、いつも僕はもっともっと頑張らなきゃいけないと思っていたんです。今もそうです。
それと……止められていましたが、やっぱり僕、言ってしまいますね。
オディウムさんがアモルタさんの帰還をずっと、いつも願い続けていたこと。
自分とレザエル様のために。
その願いが強くひたむきだった事を、僕はよく知っています。だから。アモルタさんの帰還が近づく気配を感じた時、一番縁の深いブラグドマイヤーさんに祈ってもらった。アモルタさんへの思いが切実で強いほど、聖竜ガブエリウスの力にも僕らの願いが伝わりやすくなると思ったから。そうですよね。
祈りとはきっと、強い想いを投げかけることだと思います。切実な願いをこめて。
そしてその祈りは通じた。
「私は彼女にとって妹のようなものだから」
オディウムさんの言葉です。
今日、英雄が帰還し、時の運命者と時の宿命者、2人のリィエルが揃いました。
レザエル様とリィエルさんは僕の憧れる偉大な医師です。惑星クレイとこの病院にまた大いなる力と技をもたらしてくれる事でしょう。
僕ら病院スタッフはお帰りを心から歓迎します。ブラグドマイヤーさん、そしてオディウムさんからもきっと沢山お話ししたいことがあるでしょう(僕はこの後ちょっと叱られると思いますけれど)。
でも、どうか今はゆっくり休んで。アモルタさん。
お師匠様との“時間”を取り戻してください。
最後にもう一度。
お帰りなさい。
そして、世界と僕らのために本当に、ありがとうございました。
──大望の翼ソエル
零の運命者ブラグドマイヤーが奇跡の運命者レザエルと相対し、その導きによって外の世界を知った経緯、また時の運命者リィエル゠アモルタが惑星クレイから消滅した事については
→ユニットストーリー141 運命大戦第15話「奇跡の運命者 レザエル III《零の虚》」
を参照のこと。
宿命決戦の時点での3人のリィエルについては
→ユニットストーリー159 宿命決戦第8話「時の運命者 リィエル゠アモルタ IV《全てを知る者》」の《今回の一口用語メモ》3人のリィエル──運命と宿命、過去と2つの現在
を参照のこと。
この後にアモルタはガブエリウスと一体化して世界を救い、惑星クレイ世界に残ったオディウムはレザエルの側で彼を支えることになる。
宿命大戦の終わりと、聖竜ガブエリウスの肉体との合体。リィエル゠アモルタの退場については
→ユニットストーリー164 宿命決戦第13話「奇跡の運命王 レザエル・ヴィータ」
を参照のこと。
なお惑星クレイ側では感知できない事だが、ギアクロニクルの時空監視者ザムーグによって時の外側に連行される様子が、エピローグにある。
『リィエル゠アモルタはどこに消えたのか』については、魔道君主ヴァサーゴが知の探求者セルセーラに情報提供した形跡がある
→ユニットストーリー167「魔道君主 ヴァサーゴ」
を参照のこと。
ブラグドマイヤーがその決意と共に新たな姿となって現れたことについては
→ユニットストーリー187 朔月篇第12話「零から歩む者 ブラグドマイヤー・ネクサス」
を参照のこと。
----------------------------------------------------------
本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡