ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」

森は夏の香りに満ちている。希望の匂いだ。
「彼女は?」「この先におられます。医師レザエル」
森の入り口に立つコスモドラゴンの騎士は、柄を上に掲げる剣礼を捧げ、レザエルも会釈してこれに答えた。レザエルに仕えるべく、ケテル防衛省より派遣された騎士インパーヴィアス・ドラゴンの座右の銘は“命を尊び、正道を貫き続けるための剣”だ。
レザエルは、白銀の甲冑を身にまとう騎士に示された獣道を辿る。
周囲に目を光らせる警護の騎士のおかげで、レザエルは穏やかな気持ちでレティア大渓谷の空気と風景を楽しみながら歩くことができた。もっとも、この森も渓谷も客人を脅かす猛獣などいるはずもない平穏な土地である。
やがて木立ちの向こうに目的地は見えてきた。
「アモルタ……いや、ドラコニス」
レザエルの呼びかけに、泉を見つめていた聖なる時の運命者は微笑みながら立ち上がった。
「あるいはリィエルと?言い直さなくても良いのに。レザエル」
「いや、こういう事はしっかりと決めておかないと周りも混乱する。名前はその存在を形作るものだ」
そう言いながら歩み寄るレザエルには笑顔があった。
穏やかな抱擁。
「お帰りなさい。あまりにも綺麗な泉だったものですから」とドラコニス。
「君がくつろいでくれると嬉しい。ここに招いてもらったのは、まさにそのためなのだから」
レザエルはドラコニスの肩を抱いて、鏡のように静かな水面を見下ろした。
暖かい微風。青い空と輝く木立ちを背景に、寄り添う2人の天使の姿が揺れている。
「皆もそれぞれの務めのために忙しくしているのよ、レザエル。私も赫月病の調査をもっと手伝いたいし、病院の医局にも早く慣れたいのに。こうして2人で海を渡り、この豊かな森で休暇だなんて。これではまるで新婚旅行のよう」
「オディウムの心遣いだ。妹からの贈り物をありがたく受け取ろう」
「彼女の寛容には感謝と尊敬しかないわ。きっとあなたと周りの人々がオディウムの今を形作ったのでしょう」
「何もかもお見通しだな、リィエルは」
ほら。とドラコニスは笑った。レザエルが、自分で決めたことを守れないのは極めて珍しいことだ。
「すまない。わかってはいるのだ。君はアモルタであり、ガブエリウスの力と同化したドラコニスであり、私の記憶から再現された……」
「理想の恋人でもある」
「そうだ。正直言って、まだためらう時がある。亡きリィエルのように君に接することが正しいのかどうか」
「レザエル。私たち“リィエル”とは生と死、世界線と時間を超えた、1人の素体と2人の複製という存在。この複雑極まりない関係の中で、大事なものとは何かしら。それはたぶん個人の自我と意思よね。リィエルであれ、ドラコニスであれ、オディウムであれ、似ていてもそれぞれは全く別の存在。それでも皆が願うのはただ一つ、あなたの幸せ。私たちが共に生きることなのよ。私は望み、望まれ、力を与えられ、みんなの祈りを受けて帰ってきた。そしてここにいる。今はただ、それだけで良いのではないかしら」
穏やかに見えるのに、その言葉は何と言う力強さか。天使というよりもまるで円熟期を迎えた竜のようだ。
レザエルは感嘆するばかりだった。
ドラコニスである彼女がリィエル華廟に帰還した後、オディウムをはじめ記念病院のスタッフの勧めもあり、レザエルは長期休暇を取得。暗黒海に停泊する空母リューベツァールではCEOヴェルストラの熱烈な歓迎と連日大盤振る舞いの超豪華クルーズ(アモルタの帰還とレザエルを祝うのはまずこのオレだと言って絶対に譲らなかったのだ)、そして滅多なことでは他国の者にその門を開かない森の王マグノリアの招待を受けて、2人はここレティア大渓谷にいる。
「長い休暇もそろそろ終わりのようね」
ドラコニスはレザエルに向き直り、その目を正面から捉えていた。
「今また、あなたは任務のことに集中し始めている」
「すまない。せっかく再会した今くらい、もっと君のことを考えていたらと思うのだが……」
「謝ってばかりね。あなたは私と同じくらいこの世界を案じる人。だから好きになったのよ、気にしないで。それで森の王は何と?ご挨拶だけ?助力は得られそうなのかしら」
レザエルは大きく頷いた。
「ここまでの説明は済ませた。そこで、今後のことについては君にも同席して欲しいと、マグノリア王は仰せだ」
「それならば、すぐに伺いましょう」
ドラコニスは、この時ちょうど翼の音を立てながら森の上空から舞い降りたリフィストール──ここまでは遠慮して離れた場所に控えていたのだ──を迎えると、その首を両腕で抱えた。リフィストールもまた心許した様子でその愛撫を受け入れた。この旅の間にリィエル゠ドラコニスと奇跡の幻真獣にも確かな信頼関係が築かれている。
「あなたもそう思うわよね、リフィストール。王を待たせてはいけないわ」
そして聖なる時の運命者リィエル゠ドラコニスは頷いて、レザエルの手を取ると、森の空へと飛び立った。
思えば遙か昔、2000年以上も前。亡きリィエルもまた勇敢で、すべてに積極的な姿勢で臨む女性だった。
レザエルは彼女に手を引かれて飛び上がりながら、ドラコニスが帰還して以来、幾度も味わった心からの喜びと充足感、深い愛情と称賛を彼女の姿に投げかけていた。

「ようこそ、ご両人。そして幻真獣君」
一行を待ち構えていた樹角獣カラルケイルは、そう言うなり険しい斜面を駆け上がり始めた。
「さぁ!俺についてきて。王の御前へ案内するから」
「王の間とは違うようだが。本当にこの先で良いのだろうか」
とレザエル。つい先程、拝謁のために案内された“王の間”は峡谷の奥深くにある草地である。
カラルケイルが今、背後を飛翔する天使たちと幻真獣を先導しているのは山の斜面、翼ある者か俊敏な獣でもなければ踏破困難な岩場だ。
「大丈夫。どこにおられようと、このレティア大渓谷で王の聲を、俺たちが聞き逃すわけないんだよねっ!」
人語を解する樹角獣、それもこれほど気さくに話しかける者は──レザエルがこのレティア大渓谷特有の獣たちについて聞いている限り──珍しい。
ネコ科動物に酷似した樹角獣カラルケイルがそう言って鼻先で示したのは、峰の頂。
そこに樹角獣皇マグノリア・パトリアークの姿があった。
「レティア大渓谷へようこそ。聖なる時の運命者 リィエル゠ドラコニス」
堂々とした佇まいのマグノリア王の歓迎に、ドラコニスも空中で恭しく頭を垂れる。王の声には初対面とは思えないほどの敬意と慈愛が感じられた。
「マグノリア王。お会いできて光栄です。そして素晴らしいおもてなしに心から感謝いたします」
「こちらこそ。世界を救った英雄、聖竜の力を得て時間の外から帰還せし者の蜜月を我が渓谷にお迎えできるのは、こちらこそ光栄なこと」
レザエルは、懇ろに言葉を交わすマグノリア王とドラコニスを満足げに見守った。
聡いドラコニスはもうわかっているのだ。
蜜月の最後に訪れたレティア大渓谷で、マグノリア王が2人の滞在地として提供したのが、特別に水清く風光明媚な森の一角であることを。それは、世界と愛しい者たちのために時空法の罪を一身に背負い、長いギアクロニクルの抑留に耐えて、そしてやっとレザエルの元に帰還したドラコニスに贈る、心からの労いだった。マグノリア王が惑星クレイの有力者、識者から敬愛されるのはこの懐の広さと、レティア大渓谷全体を覆う平和と偉大な癒やしの力のためだ。
しかし蜜月と言えば、レザエルには思い起こされることがあった。
「……赫月病とはいわば“狂える月”」
レザエルがぽつりと呟いたのを、この地の王マグノリアが聞き逃すはずもなかった。
「赫月病。もし生物の本質を歪めてしまうという病が実在するとしたら、ムーンキーパーだけの問題ではない」
「まさに我々全員にとっての脅威です、マグノリア王」
「そう。そしてドラコニス。計らずも時間と世界線をも超えてこの世界に出現したあなたには、こうした宇宙的な災いに対して、我々にはない洞察力があると私は信じている。だから同席してもらいました」
「ありがとうございます」とドラコニス。
「さて医師レザエル。先程説明を受けましたが、赫月病について進展はまだ見つからないと?」
「残念ながら。ただ地表と海の隅々まで精査できたわけではありません。特にこのズーガイア大陸は広い」
「そしてストイケイアの森の奥深さには驚きを禁じ得ません。そこでマグノリア王、この地で最近、何か異常な事が起こったとお聞きになってはいませんか。普段と変わったこと。生物や植物、天候や地形についてなども」
ドラコニスは絶妙な連携でレザエルの発言を引き取り、そのまま率直で具体的な質問へと変えた。

「忘却の霧。2つの赤い月。そして『真宵楽園』」
マグノリアの言葉に、レザエルとドラコニス、そして2人の間に挟まれた奇跡の幻真獣リフィストールは顔を見合わせた。
「王よ。今何と?」
「レティア大渓谷には『マグノリアの結界』があります。私が望まぬ者を拒むそれは、かの龍樹とヒュドラグルムさえ侵入することは叶わなかった。ただし結界を外れたその周辺地域のこととなると、私の力の及ぶ範囲ではありません」
「……」
「我が臣下の中に、森の外れで不気味な霧を見たという者がいます。あなたもそうですね、カラルケイル」
カラルケイルは先程までの活発な様子はどこへやら、尻尾を丸めて蹲っている。恐縮ではない。この陽気でお喋りな樹角獣が今、怯えているのだ。
「はい、マグノリア様。昼間なのに獣の目でも先が見通せないほどの濃い霧でした。ただ奇妙なのは確かに見たはずなのに、霧に巻かれた後、それがいつどこで出会ったものなのかをどうしても思い出せないのです」
「さっそく調査を」
意気込むレザエルにマグノリアは首を振った。
「皆の証言が一致しているように、いずれも遭遇した記憶が定かでない以上、手の打ちようがありません。予測もまた困難といえるでしょう」
「しかし」
ドラコニスはその先を悟って呟き、マグノリアも頷いた。王として何も手を打たないという訳では無い。
「結界の外で、霧のたちこめる日が最近増えているのも事実。“憶えていない”以外には今の所、何の被害もありませんが、この忘却をもたらす霧については引き続き、我々が調べ警戒していきましょう」
「承知しました。そして、2つの赤い月とは」
レザエルが身を乗り出したのは2つ目の言葉だった。明らかに彼には思い当たる点があったのだ。
「宿命決戦が起こる直前、私はこの頂にいて、そして確かに見たのです。第1の月とブラント月、その両方が赤く染まるのを」とマグノリア。
「それがヴェイズルーグの言う、赫月病が発生した瞬間と言うことなのかしら」
《月の試練》と幻真獣、そして月の門番から得られた赫月病の情報についてはドラコニスも、この旅の間にレザエルから伝え聞いている。
「地上の生物としてそれを観測できたのは、マグノリア王が恐らく唯一ではないでしょうか」
ドラコニスの問いに、リフィストールが真面目な表情で頷いた。ある意味、月の側の代表としてこの場に立ち会っている幻真獣の意見には重みがあった。
「その後、第1の月の色は元に戻ってしまった」
「それもヴェイズルーグの証言と一致します。そうか……やはり地上と宇宙の両方から赫月病の発生は確認できていたのだ」
王の慧眼、まさに森の理を映す鏡のごとし。レザエルは感服した様子を隠さなかった。
「そしてこれは、いまだはっきりとした症状が出ない赫月病の実在性、王の疑問に対する答えでもあります」
「私と臣下も警戒を高め、赫月病に備えていきましょう。それがどんな現れになるにしても」
マグノリア王の決意表明に2人と1体は敬意を表し、そしてまたドラコニスが口を開いた。
「王よ。最後の『真宵楽園』について」
「『真宵楽園』については、つい先日、ヴェイズルーグからも新しい情報をもらっている」
レザエルが話を引き取ると、マグノリア王に向き合った。
「後ほどまた詳しくご説明いたしますが、王よ。今は取り急ぎ、かの楽園についてご存じの事があればお聞きしたい」
「『真宵楽園』自体は、宿命決戦や運命大戦、龍樹侵攻、それらが起こるよりも前から知られていたことです」
マグノリアは頂きに立ちながら、どこか遠くを見つめているようだった。
「神秘的な夜。私もその気配、香りと語りかける声を感じたことが何度もある。なぜか懐かしいような気持ちをかきたてられる程に」
レザエルとドラコニスは熟練の医師として、その様子を見ていた。
どうやら噂に聞く『真宵楽園』と天衣無縫なその主は、通り過ぎただけでも偉大なマグノリア王にさえ感傷に浸らせるほどに、強い影響力を持つものらしい。
「昼の霧。夜の楽園。そして2つの赤い月……篩にかけるべき要素は“宇宙的”ということかしら」
ドラコニスの呟きを聞いてレザエルは、彼女が世界の変化に対する情報を反芻して、短時間で解析し始めている事に感心し、このような得がたいパートナーをこの世界に戻してくれた友、聖竜ガブエリウスに心からの感謝を捧げた。
「そうだ。それら絡み合う出来事、散りばめられた断片から、真実を見い出さなくては」
レザエルは決意を新たに、森の王に向きあった。
「あらためて協力をお願いしたい、樹角獣皇マグノリア・パトリアーク。我らに導きの光を」
「汝が望みこそ我が望み」
マグノリアもまたその意志を示すように、大いなる翼を広げた。
王が統治するレティア大渓谷へ。眼下に広大な広がりを見せるストイケイアの森林に。
「共に歩みましょう。運命者と宿命者、そして幻真獣と月の民ムーンキーパーと手を携えて」
レザエル、ドラコニス、リフィストールが蒼穹に羽ばたいた。
それはこの惑星と月の未来を憂う者が、あらためて結束と決意を新たにした瞬間だった。

了
※註.興味深いことに、惑星クレイにも「蜜月」と呼ばれる言葉があり、地球と同様に“甘美な関係”と“移ろいゆく月の満ち欠け(時間)”とを結びつけている。※
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《今回の一口用語メモ》
真宵楽園②/第703-F号 誘引・誘拐事案(暫定分類:高次精神干渉)続報
本官が担当する『真宵楽園』事案についての続報を幾つか掲載する。
①月の門番ヴェイズルーグが『真宵楽園』と遭遇。
奇跡の運命者レザエルに共有された情報によれば、ついに月面にも『真宵楽園』が出現したという。
さらに重要な情報として、この楽園の主がシルフの「楽園へ導く者 ナナクリル」と名乗る者であること。
楽園には植物の他、ハイビーストも生息していることがわかった。
惑星クレイ地上由来の生物がどのような力によって、ほぼ大気のない低重力の下で活動できるのかは大いなる疑問点だが、以上の情報がもたらされた事については捜査としては大きな進展である。
②ストイケイアで『真宵楽園』の目撃例多発。
同じくレザエルに謁見したレティア大渓谷の主、樹角獣皇マグノリア・パトリアークによれば、最近ストイケイアでも『真宵楽園』の出現がたびたび目撃されているとのこと。
こちらは未確認の点が多いため、近く本官自身が聴取に向かう予定。
なおマグノリア王と本官は個人的にも昵懇であり、時間を充分にかけることで今後の役に立つ調査が望めると思われるため、短期休暇も兼ねた出張申請書を添付するものである。
極光烈姫セラス・ピュアライト/『真宵楽園』捜査主任 兼 特別捜査官
ストイケイアの森の王マグノリアについては
→ユニットストーリー017「樹角獣 ダマイナル」
ユニットストーリー035「樹角獣帝 マグノリア・エルダー」
ユニットストーリー053「大渓谷の探究家 C・K・ザカット」
ユニットストーリー109「厄災の樹角獣王 マグノリア・マスクス」
ユニットストーリー109「厄災の樹角獣王 マグノリア・マスクス」
ユニットストーリー184「樹角獣皇 マグノリア・パトリアーク」
および
世界観──ライドライン解説「大倉メグミ」
を参照のこと。
マグノリアの結界については
→世界観コラム──セルセーラ秘録図書館「樹角獣」
を参照のこと。
ドラコニス(旧アモルタ)の帰還については
→ユニットストーリー203赫月篇第4話 「聖なる時の運命者 リィエル゠ドラコニス」
を参照のこと。
今回、レザエルとドラコニスの蜜月に滞在地を提供したように、マグノリアが治めるレティア大渓谷の、それまでの鎖国から開放に向けての動きについては、宿命決戦の真っ只中である頃のエピソード
→ユニットストーリー152「無限の宿命者 レヴィドラス」《今回の一口用語メモ》
動物学者/大渓谷の探究家C・K・ザカットの解説でも触れられている。
マグノリアとセラスの交友については
→ユニットストーリー111「強欲魔竜王 グリードン・マスクス」
を参照のこと。
月に出現した真宵楽園とナナクリルについては
→ユニットストーリー201赫月篇第2話「楽園へ導く者 ナナクリル」
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡