ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
聖騎士が空に祈っている。
天上から降り注ぐ強い光。
神聖なる加護の輝き。そして静謐と調和。
それはまさに完璧な瞬間だった。
Illust:匈歌ハトリ
ケテルギア大講堂に掲げられた“天来せしは奇跡の階”。
祈る騎士の絵画の下。
演壇に立つ奇跡の運命王レザエル・ヴィータの言葉は、それを聞く全ての者の心に染み渡った。
「前へ進み続ける者だけが、奇跡を起こす資格を持つ。そしてこれについて私はもう一つ、素晴らしい言葉を知っています。『わずかな光でも、手を伸ばした者にのみ、奇跡は舞い降りる』。私の友であり師匠、そして2つの世界のために戦い、我々に豊かな未来をくれた偉大なる英雄、聖竜ガブエリウスです」
拍手。深い感動の波がレザエルを包む。
「ありがとう。最後に、誇りをもって彼女をご紹介したい。異なる未来から生じ、世界を救い、侵さざるを得なかった咎を贖うために囚われ、ガブエリウスの力を帯び、ついに我らの世界へと帰ってきた……」
差し伸べた手に応え、一人の角ある天使が壇上へと歩み寄った。
「聖なる時の運命者リィエル゠ドラコニス」
声を張る必要もなかった。一つ一つ挙げられる事績は万人の心を打つほどに重かったから。
そして大講堂と中継映像の前で観衆は彼女の姿、物腰、放たれる力、そして笑顔に確信した。
伝説の復活を。
ユナイテッドサンクチュアリの華の帰還を。
天と地に歓声が溢れ、そして眩しい運命力の光が爆発した。
Illust:ダイエクスト
『リィエル、ケテルサンクチュアリに帰還』
ドラコニスとレザエルがケテルの首都に到着する遥か前から、国内はこの話題でもちきりだった。
リィエルの名は『ユナイテッドサンクチュアリの華』の伝説だけでなく、もはや尊称として定着している。また敵の追撃を一身に受けて味方を救ったその最期は、エンジェルフェザーを始めとする医師やケテルサンクチュアリ騎士団にも慈愛と献身の象徴として崇敬の対象である。
「疲れただろう、リィエル」
レザエルの労う声に、ドラコニスは微笑んで首を振った。レザエルも今は運命者の装いに戻っている。
地上の都セイクリッド・アルビオンでも、ここ天空の都ケテルギアでも歓迎につぐ歓迎。
メディアが『“奇跡”と“時”の運命者、首都を席巻』とこぞって伝えたように、伝説のエンジェルフェザー リィエルをひと目見ようと詰めかける民の熱狂は、国の何処であっても留まるところを知らず、つい先ほど終えたケテルギア大講堂のスピーチまで一時も休む暇がなかったのである。
「いいえ、それより何もかもが懐かしくて」
二人が座っているのは、ケテルギア中央島の最上層テラス。
レザエルは辺りを見渡して、目を細めた。
「君とはいつもここだ」「ええ。いつもここね」
2人が言っているのは、レザエルとリィエルが昔、恋人としてここでよく語らっていたことだ。
ドラコニスがアモルタであった時、この場所を起点として全ての記憶をオディウムに共有したこともある。
「でも私は複製。リィエル本人ではないし、この感激も本物ではない」
「それは言わない約束だ、ドラコニス」
「ごめんなさい」
いいや。レザエルは手を伸ばし優しくリィエルの肩に置いた。
「謝ることじゃない。私にとって君はリィエル。君自身がそう言ってくれた。そしてケテルの民もリィエルが帰ってきたと思っている」
「あなたもね、レザエル」
「私のことはどうでもいい」
ドラコニスは微笑んだ。彼女は知っている。リィエル帰還のインパクトに隠れがちだが、この度の首都訪問は遙か昔に出奔し、いわば国を捨てていたレザエルにとっても和解の儀式であったのだ。その証拠に、運命大戦と宿命決戦、月の試練、そしてブラントゲート領にあるリィエル記念病院での働きに対して円卓会議から勲章を、エンジェルフェザー(を代表したソエルの父母)からは“名誉隊員”の称号を与えられている。そうした栄誉に加え、バスティオン、オールデン、ユースベルクを始めとするケテルの有力者と結ばれた友誼から見ても、得られたものは運命王レザエルのほうが遥かに勝っていた。
「そうね。“時に、事実がそうであると思うままに”」とドラコニス。
「“真実として受け入れることが癒やしになることもある”」
レザエルは引き取った。それは心も癒す医師としての心得だ。
「僕は君が幸せならそれでいいんだ」
レザエルは昔の口調になって恋人に告げた。
「オディウムとナナクリルにも言われたわ。あるがままに受け入れろと」
「妹と、真宵楽園の主に感謝しなければ」
レザエルは深く頷いた。
Illust:タカヤマトシアキ
「私は考え過ぎなのね。もっと、世界が私たちに語りかける声に耳を傾けるべきなのかも。あの楽園のように」
ドラコニスは肩をすくめ、豊かな群青の髪を揺らした。
「ケテルギアのこのテラスは何と言っているのかな」
「愛する人と話しなさい、と。様々なことを、もっとたくさん」
そっと肩を寄せ合う2人。
「ソエルが見たという謎の霧……あれは赫月病の兆しだというのかしら。謎が多すぎるわ、そして懸念も」
「希望があるとすれば、月の試練の挑戦者たちだ」
ドラコニスとレザエルの言葉は、2人が端から見るほど甘い雰囲気に浸っていないことを物語っていた。
どちらも元エンジェルフェザー隊員の経験と記憶を持つが故に、どんなロマンチックな状況でも心のどこかは常在戦場なのである。
ソエルは師匠たちから離れた所で、遠慮がちに立っていた。式典の帰りなので正装、いまは救護の翼ソエルである。
『ドラジュエルド』
その横で背筋を伸ばし佇んでいたリフィストールが、運命王の方へ頭を巡らせた。
「? 何か言いましたか、リフィストール」
ソエルは(親友のアルダートや幼馴染みであるベンテスタを除けば)皆に、敬語で話しかける。まして幻真獣は選ばれし者としか心許さず、行動を共にすることのない月世界の勇者である。リフィストールの方も同志として信頼はおいているが、馴れ合いは拒む毅然とした雰囲気があった。
「四炎を操る虹の魔竜の長ドラジュエルドと我らはこの前、相見えた」
リフィストールは思念ではなく、ソエルに伝わりやすいようにクレイ共通語の音声に切り替えた。
「はい。正直に言うと怖かったです。ドラジュエルド老、本気でしたから」
「あの時はよくやった」
リフィストールは好意的な表情でソエルを見た。
「今の君のその姿を、ご両親もさぞ誇らしく思われているだろう」
リフィストールは高い知性の持ち主だ。ソエルの経歴と夢、そして苦労して手に入れたエンジェルフェザー隊員就任のチャンスを蹴ってまで、師匠の危機に駆けつけた誠意と勇気を正しく評価している。
Illust:タカヤマトシアキ
「ありがとう。とっても嬉しいです!」
あ、でも。とソエルは思いだした。
「なぜドラジュエルドの名前を?リフィストール」
奇跡の幻真獣は沈黙した。
あの決闘の後、レザエルとリフィストールはドラジュエルドともう一度話し合う機会があったのだ。
ドラジュエルドが感じている“月の異変”について。
そしてレザエルに挑んだ理由の一つとして、実は先日、老竜の元を密かに月の使者が訪れていたこと。
つまりそれは次の《月の試練》に選ばれたということであり、改めて最強の証明をする機会を得て張り切る虹の魔竜の長は、進んで情報を提供してくれたのだが……。
「かの老竜の居室に侵入し、霧の中に消えるという存在。あれはソエル、君が見たという光る霧と似ている。正体がわからないのは不気味だ。さらにこれはケテルの有識者が指摘する『一見、何でもなさそうな出来事こそが予兆』というものにも繋がらないだろうか」
今度はソエルが黙ってしまう番だった。
レザエル一行は、ただ歓迎されるためだけにケテルの都を訪れたのではない。
防衛省長官バスティオン、オールデン大将、地上では破天騎士ユースベルクらとも話し合いを重ね、意見交換もしている。ケテルサンクチュアリは先の龍樹侵攻の折にも、監視をかいくぐり浸透してくる《悪意》の存在に悩まされた過去がある。それに──生まれ変わった龍樹の種ゼフィロシィドは国を問わず、こうした宇宙的な脅威への対策アドバイザーとして、今はクレイの民に協力しているけれど──そもそもこれだけ時間が経っても、龍樹の到来を予期し世界に根付かせる手引きをしていたと思われる《悪意》の一派もまだその尻尾を掴めていないのだ。
「内憂外患。世界の脅威に備えようとする者に、心安まる日などない」
リフィストールは何事か話し合うレザエルとドラコニス2人を見つめて、嘆息のように言葉を吐き出した。
「お師匠様たちは、あんなに愛し合っているのに。もっと時間をあげられないのでしょうか」
「長ければ良いというものでもないだろう。だが結局……」
ソエルは奇跡の幻真獣の言葉の響きに思わず振り返った。そこには意図せずに、これから先に待っている未来がただならぬものである事を予言しているように思えたからだ。
「共に過ごした時間の意味は、2人にしかわからないものなのだろう」
リフィストールはそう言うと、運命者たちに敬意を表するように頭を垂れた。
Illust:海鵜げそ
ケテルギアの夕暮れといえば、落日につれて移り変わる空の光と彩りで有名だ。
「こうして君とまた見ることになるとはね」
レザエルには幾つもの感慨があった。
そんな恋人の思いをかけがえのないものと感じながら、ドラコニスには言わなければならないことがあった。リィエルは強い女性だった。甘い睡りから覚ませられるのもまた、愛あるからこそできる技だ。
「夜が近づいているわ、レザエル」
「……」
「ケテルの人たちと話してわかったように、獣を狂わせる霧やドラジュエルドの塒への侵入者を、かつての龍樹の予兆のように、私たちは見過ごしてはいけない。……この世界は輝いているけれど」
ドラコニスが指す朱と蒼のグラデーション、それは思わず涙を誘われるほど美しかった。
「確かに病み始めている」
「そうだ。病と戦うこと。それが僕らの役目だね、リィエル」
ドラコニスの目が潤んだ。
ユナイテッドサンクチュアリの頃、テラスで語った言葉と同じだったから。
レザエルは立ちあがった。その目は夕焼けの空と浮遊する浮島、そして未来を見つめている。
「もう一度、みんなで話し合い、警戒を高めよう。いつ、何が、どこで起こったとしても診られるように」
「それでこそ、救世の使いよ」
「ありがとう。僕を起こしてくれて」
リィエル゠ドラコニスは恋人の手をとり、レザエルはそれを優しく引き上げた。
ドラコニスは軽くよろめいて彼の腕にしがみついた。
「すまない。急すぎたか」「いいえ、ちょっと足元が……」
レザエルは支えながら、目の前のドラコニスの角が──それは友であり師匠でもある聖竜ガブエリウスを思わせる竜の角だったのだが──一瞬、すっと透けたことに気がついた。
「どうかしたの?」
ドラコニスも優れた医師だ。レザエルの微妙な反応に気がついたが、この時だけはドラコニスよりもレザエルの感情の抑制が勝った。
「いいや。やはり疲れていたのだなと医師として私は診断しただけだよ」
手を挙げて、ソエルとリフィストールを呼んだ。
「さぁ、帰ろう。明日からはまた忙しくなる」
「そうね。歩き出しましょう、私たちの未来に」
こうして奇跡の運命者と聖なる時の運命者は、手を携えて仲間のもとへと戻っていった。
胸を満たす幸福、互いへの労りと、そして胸に抱く微かな不安とともに。
――リィエル=ドラコニスが忽然と姿を消したのは、その数か月後のことだった。
天上から降り注ぐ強い光。
神聖なる加護の輝き。そして静謐と調和。
それはまさに完璧な瞬間だった。

ケテルギア大講堂に掲げられた“天来せしは奇跡の階”。
祈る騎士の絵画の下。
演壇に立つ奇跡の運命王レザエル・ヴィータの言葉は、それを聞く全ての者の心に染み渡った。
「前へ進み続ける者だけが、奇跡を起こす資格を持つ。そしてこれについて私はもう一つ、素晴らしい言葉を知っています。『わずかな光でも、手を伸ばした者にのみ、奇跡は舞い降りる』。私の友であり師匠、そして2つの世界のために戦い、我々に豊かな未来をくれた偉大なる英雄、聖竜ガブエリウスです」
拍手。深い感動の波がレザエルを包む。
「ありがとう。最後に、誇りをもって彼女をご紹介したい。異なる未来から生じ、世界を救い、侵さざるを得なかった咎を贖うために囚われ、ガブエリウスの力を帯び、ついに我らの世界へと帰ってきた……」
差し伸べた手に応え、一人の角ある天使が壇上へと歩み寄った。
「聖なる時の運命者リィエル゠ドラコニス」
声を張る必要もなかった。一つ一つ挙げられる事績は万人の心を打つほどに重かったから。
そして大講堂と中継映像の前で観衆は彼女の姿、物腰、放たれる力、そして笑顔に確信した。
伝説の復活を。
ユナイテッドサンクチュアリの華の帰還を。
天と地に歓声が溢れ、そして眩しい運命力の光が爆発した。

『リィエル、ケテルサンクチュアリに帰還』
ドラコニスとレザエルがケテルの首都に到着する遥か前から、国内はこの話題でもちきりだった。
リィエルの名は『ユナイテッドサンクチュアリの華』の伝説だけでなく、もはや尊称として定着している。また敵の追撃を一身に受けて味方を救ったその最期は、エンジェルフェザーを始めとする医師やケテルサンクチュアリ騎士団にも慈愛と献身の象徴として崇敬の対象である。
「疲れただろう、リィエル」
レザエルの労う声に、ドラコニスは微笑んで首を振った。レザエルも今は運命者の装いに戻っている。
地上の都セイクリッド・アルビオンでも、ここ天空の都ケテルギアでも歓迎につぐ歓迎。
メディアが『“奇跡”と“時”の運命者、首都を席巻』とこぞって伝えたように、伝説のエンジェルフェザー リィエルをひと目見ようと詰めかける民の熱狂は、国の何処であっても留まるところを知らず、つい先ほど終えたケテルギア大講堂のスピーチまで一時も休む暇がなかったのである。
「いいえ、それより何もかもが懐かしくて」
二人が座っているのは、ケテルギア中央島の最上層テラス。
レザエルは辺りを見渡して、目を細めた。
「君とはいつもここだ」「ええ。いつもここね」
2人が言っているのは、レザエルとリィエルが昔、恋人としてここでよく語らっていたことだ。
ドラコニスがアモルタであった時、この場所を起点として全ての記憶をオディウムに共有したこともある。
「でも私は複製。リィエル本人ではないし、この感激も本物ではない」
「それは言わない約束だ、ドラコニス」
「ごめんなさい」
いいや。レザエルは手を伸ばし優しくリィエルの肩に置いた。
「謝ることじゃない。私にとって君はリィエル。君自身がそう言ってくれた。そしてケテルの民もリィエルが帰ってきたと思っている」
「あなたもね、レザエル」
「私のことはどうでもいい」
ドラコニスは微笑んだ。彼女は知っている。リィエル帰還のインパクトに隠れがちだが、この度の首都訪問は遙か昔に出奔し、いわば国を捨てていたレザエルにとっても和解の儀式であったのだ。その証拠に、運命大戦と宿命決戦、月の試練、そしてブラントゲート領にあるリィエル記念病院での働きに対して円卓会議から勲章を、エンジェルフェザー(を代表したソエルの父母)からは“名誉隊員”の称号を与えられている。そうした栄誉に加え、バスティオン、オールデン、ユースベルクを始めとするケテルの有力者と結ばれた友誼から見ても、得られたものは運命王レザエルのほうが遥かに勝っていた。
「そうね。“時に、事実がそうであると思うままに”」とドラコニス。
「“真実として受け入れることが癒やしになることもある”」
レザエルは引き取った。それは心も癒す医師としての心得だ。
「僕は君が幸せならそれでいいんだ」
レザエルは昔の口調になって恋人に告げた。
「オディウムとナナクリルにも言われたわ。あるがままに受け入れろと」
「妹と、真宵楽園の主に感謝しなければ」
レザエルは深く頷いた。

「私は考え過ぎなのね。もっと、世界が私たちに語りかける声に耳を傾けるべきなのかも。あの楽園のように」
ドラコニスは肩をすくめ、豊かな群青の髪を揺らした。
「ケテルギアのこのテラスは何と言っているのかな」
「愛する人と話しなさい、と。様々なことを、もっとたくさん」
そっと肩を寄せ合う2人。
「ソエルが見たという謎の霧……あれは赫月病の兆しだというのかしら。謎が多すぎるわ、そして懸念も」
「希望があるとすれば、月の試練の挑戦者たちだ」
ドラコニスとレザエルの言葉は、2人が端から見るほど甘い雰囲気に浸っていないことを物語っていた。
どちらも元エンジェルフェザー隊員の経験と記憶を持つが故に、どんなロマンチックな状況でも心のどこかは常在戦場なのである。
ソエルは師匠たちから離れた所で、遠慮がちに立っていた。式典の帰りなので正装、いまは救護の翼ソエルである。
『ドラジュエルド』
その横で背筋を伸ばし佇んでいたリフィストールが、運命王の方へ頭を巡らせた。
「? 何か言いましたか、リフィストール」
ソエルは(親友のアルダートや幼馴染みであるベンテスタを除けば)皆に、敬語で話しかける。まして幻真獣は選ばれし者としか心許さず、行動を共にすることのない月世界の勇者である。リフィストールの方も同志として信頼はおいているが、馴れ合いは拒む毅然とした雰囲気があった。
「四炎を操る虹の魔竜の長ドラジュエルドと我らはこの前、相見えた」
リフィストールは思念ではなく、ソエルに伝わりやすいようにクレイ共通語の音声に切り替えた。
「はい。正直に言うと怖かったです。ドラジュエルド老、本気でしたから」
「あの時はよくやった」
リフィストールは好意的な表情でソエルを見た。
「今の君のその姿を、ご両親もさぞ誇らしく思われているだろう」
リフィストールは高い知性の持ち主だ。ソエルの経歴と夢、そして苦労して手に入れたエンジェルフェザー隊員就任のチャンスを蹴ってまで、師匠の危機に駆けつけた誠意と勇気を正しく評価している。

「ありがとう。とっても嬉しいです!」
あ、でも。とソエルは思いだした。
「なぜドラジュエルドの名前を?リフィストール」
奇跡の幻真獣は沈黙した。
あの決闘の後、レザエルとリフィストールはドラジュエルドともう一度話し合う機会があったのだ。
ドラジュエルドが感じている“月の異変”について。
そしてレザエルに挑んだ理由の一つとして、実は先日、老竜の元を密かに月の使者が訪れていたこと。
つまりそれは次の《月の試練》に選ばれたということであり、改めて最強の証明をする機会を得て張り切る虹の魔竜の長は、進んで情報を提供してくれたのだが……。
「かの老竜の居室に侵入し、霧の中に消えるという存在。あれはソエル、君が見たという光る霧と似ている。正体がわからないのは不気味だ。さらにこれはケテルの有識者が指摘する『一見、何でもなさそうな出来事こそが予兆』というものにも繋がらないだろうか」
今度はソエルが黙ってしまう番だった。
レザエル一行は、ただ歓迎されるためだけにケテルの都を訪れたのではない。
防衛省長官バスティオン、オールデン大将、地上では破天騎士ユースベルクらとも話し合いを重ね、意見交換もしている。ケテルサンクチュアリは先の龍樹侵攻の折にも、監視をかいくぐり浸透してくる《悪意》の存在に悩まされた過去がある。それに──生まれ変わった龍樹の種ゼフィロシィドは国を問わず、こうした宇宙的な脅威への対策アドバイザーとして、今はクレイの民に協力しているけれど──そもそもこれだけ時間が経っても、龍樹の到来を予期し世界に根付かせる手引きをしていたと思われる《悪意》の一派もまだその尻尾を掴めていないのだ。
「内憂外患。世界の脅威に備えようとする者に、心安まる日などない」
リフィストールは何事か話し合うレザエルとドラコニス2人を見つめて、嘆息のように言葉を吐き出した。
「お師匠様たちは、あんなに愛し合っているのに。もっと時間をあげられないのでしょうか」
「長ければ良いというものでもないだろう。だが結局……」
ソエルは奇跡の幻真獣の言葉の響きに思わず振り返った。そこには意図せずに、これから先に待っている未来がただならぬものである事を予言しているように思えたからだ。
「共に過ごした時間の意味は、2人にしかわからないものなのだろう」
リフィストールはそう言うと、運命者たちに敬意を表するように頭を垂れた。

ケテルギアの夕暮れといえば、落日につれて移り変わる空の光と彩りで有名だ。
「こうして君とまた見ることになるとはね」
レザエルには幾つもの感慨があった。
そんな恋人の思いをかけがえのないものと感じながら、ドラコニスには言わなければならないことがあった。リィエルは強い女性だった。甘い睡りから覚ませられるのもまた、愛あるからこそできる技だ。
「夜が近づいているわ、レザエル」
「……」
「ケテルの人たちと話してわかったように、獣を狂わせる霧やドラジュエルドの塒への侵入者を、かつての龍樹の予兆のように、私たちは見過ごしてはいけない。……この世界は輝いているけれど」
ドラコニスが指す朱と蒼のグラデーション、それは思わず涙を誘われるほど美しかった。
「確かに病み始めている」
「そうだ。病と戦うこと。それが僕らの役目だね、リィエル」
ドラコニスの目が潤んだ。
ユナイテッドサンクチュアリの頃、テラスで語った言葉と同じだったから。
レザエルは立ちあがった。その目は夕焼けの空と浮遊する浮島、そして未来を見つめている。
「もう一度、みんなで話し合い、警戒を高めよう。いつ、何が、どこで起こったとしても診られるように」
「それでこそ、救世の使いよ」
「ありがとう。僕を起こしてくれて」
リィエル゠ドラコニスは恋人の手をとり、レザエルはそれを優しく引き上げた。
ドラコニスは軽くよろめいて彼の腕にしがみついた。
「すまない。急すぎたか」「いいえ、ちょっと足元が……」
レザエルは支えながら、目の前のドラコニスの角が──それは友であり師匠でもある聖竜ガブエリウスを思わせる竜の角だったのだが──一瞬、すっと透けたことに気がついた。
「どうかしたの?」
ドラコニスも優れた医師だ。レザエルの微妙な反応に気がついたが、この時だけはドラコニスよりもレザエルの感情の抑制が勝った。
「いいや。やはり疲れていたのだなと医師として私は診断しただけだよ」
手を挙げて、ソエルとリフィストールを呼んだ。
「さぁ、帰ろう。明日からはまた忙しくなる」
「そうね。歩き出しましょう、私たちの未来に」
こうして奇跡の運命者と聖なる時の運命者は、手を携えて仲間のもとへと戻っていった。
胸を満たす幸福、互いへの労りと、そして胸に抱く微かな不安とともに。
――リィエル=ドラコニスが忽然と姿を消したのは、その数か月後のことだった。
了
本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡