ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
煙る水面。冷たい風に淡く潮の匂いが漂う。
海雨が音も無く降り注いでいた。
もう昼前なのに初冬の陽は弱く、鈍色の空は薄暗い。
たちこめる海霧を割って舟が現れた。小型の丸底船に乗員は竜2人と獣1頭。
「お師匠。見えました」
熱気の刃アルダートは手を止め、船尾から剣の師に呼びかけた。轟炎獣カラレオルはその横で油断なく後方を警戒している。
「……」
声を掛けられた本人は船の敷板の真ん中に、双の剣を体側に揃え、どっしりと安座して無言。
アルダートもその沈黙を気に留めることなく、再び8の字に櫂を漕ぎ始めた。
船の舳先、霧の向こうに聳え立っているもの。
乾いた岩の山体に巡らされた回廊、階段、そして三つの楼堂。
それこそが今日、この師弟が破るべき“門”だった。
Illust:萩谷薫

嶺武山。
大陸の東岸、ドラゴニア海に突き出た半島にあるこの古刹は、軍事大国ドラゴンエンパイアにおいてさえ、特別な畏敬の念をもって語られる名の一つである。
竜や人、その他種族が入り乱れて技と力を競い、勝ち抜いた強者だけがより上の“段”へと登る。これが昼夜を問わず鐘楼や御堂を舞台として果てしなく繰り広げられる光景は、まさにここが修羅の山であることの証だ。
──第一の門、嶺武台演舞場。石畳の大広場。
ズシン!
黒い稲妻を思わせる闇の剣の打撃を受けて戦槌が地面に落ち、同時に、アスマーの首元へぴたりと光の剣が突きつけられた。対峙する両者を、この剣士に敗れた武僧たちが膝を突き、無念の表情で囲み、睨んでいる。
「ここまで」
渋く低い声が勝敗を告げた。
それは誇り高き人間の女戦士に、“参った”と言わせないためのひと言だった。
ドラグリッター アスマーもそれを感じたのか、背後で牙を剥き出す相棒のアースドラゴンを手で制して、武人らしく負けを認めた。
「なにもかも噂通りだった。ヴァルガ・ドラグレス」
「そちらも嶺武山第一の門番に恥じぬ戦いぶりであった」
にっと笑ったアスマーは痺れた手を摩りながら、戦槌を鞍に戻し、アルダートを促した。
「では約定通り、お弟子さん達をお預かりし、立会人として次の門までお連れする」
しぶしぶアースドラゴンの背に乗せられた弟子竜が口を開く前に、ヴァルガは命じた。
「上で待て、アルダート。カラレオル」
「お師匠様ッ!オレも戦います!」
「全てが修行だ。焦るな」
では頼む、と会釈するとアスマーと熱気の刃アルダートを乗せて、アースドラゴンが走り出した。
見上げるだけで眩暈がしそうな石段と乾いた急斜面、そしてこちらを睨む武僧の列を掻き分け、地の竜は疾風のように駆け上がっていく。雪山で暮らしていたカラレオルでさえ、付いていくのがやっとの速さだ。
「お師匠……」
血振りをして剣を収め、次の戦いに備える無双の運命者の姿を、アルダートは悲しげに見つめた。
女竜騎士アスマーが何かを察して、後ろ手にその背中を励ますように叩いてくれた。きっと、戦士は戦士の心を知るものなのだ。
アルダートは礼の言葉を呟くと、あとは鞍にしがみついてこの荒々しい登山急行から振り落とされないことに集中し、そしてあらためて師匠の言葉を噛みしめていた。
(焦るな。全てが修行だ)
Illust:やまだ六角
──前の晩。対岸の漁村近くの砂浜。
「おまえ達が食え」「は?」
嶺武山の道場破りを明日に控え、力をつけてもらおうと奔走したアルダートは、骨付き鶏を差し出した姿勢のまま、焚き火の前で目を丸くした。ヴァルガは剣士らしく、いつも出されたものは黙って摂る。弟子に“先膳”をすすめるなど前代未聞のことだ。
「あの……毒味は済ませてありますが」
「そうではない。腹が減っただろう、先に食え」
出会って以来、師匠の命令は絶対である。
アルダートは深く一礼すると、脂滴る熱い肉を指の力だけで真っ二つに裂いて、轟炎獣カラレオルと分け合ってかぶりついた。
午後に狩った、捌きたての野鳥だ。美味いに決まっている。そしてヴァルガが見抜いた通り、昼の間、船を借りる手配や嶺武山の情報収集に忙しく立ち回っていた2人は、すごく腹が減っていた。
しかし師匠にじっと見られながらでは、どうにも緊張して喉が詰まる。すぐに汲んでおいた水筒の世話になった。
「お先にいただきました。師匠もどうか」
こちらを召し上がってください、とアルダートは新しい焼きたての串を捧げる。
ヴァルガは受け取って口に運ぶと、じっくり噛みしめて食べ始め、弟子はそんな師匠の茶碗に、淹れ立ての緑茶を注ぐ(むろん大柄なウインドドラゴンであるヴァルガに合わせたサイズと量である)。
そして、焚き火を囲む師弟3人に沈黙が降りた。
やがて山と積まれた肉と野菜を皆が食べ終えようとする頃、ヴァルガはぽつりと呟いた。
「鍛練は」「はい!この後すぐに、いつもの倍やります!」「それではいつまで経っても身につかぬな」
張り切って答えたアルダートは、師匠の言葉に一刀両断された。
「オレ、何か間違いましたか?!」
最後の串を取り落としそうになりながら、アルダートは慌てて砂地に伏せた。
「黙っておられてはわかりませんッ!教えてください、師匠!」
必死に懇願するアルダートを、親友のカラレオルはハラハラしながら見るばかり。
「鍛練とは何のために行うか」「自分を鍛えるためです」「何のために鍛えるのか」「強くなりたいからです」「強くあるということはどういう事か」「誰にも負けないことです」「では負けてしまえば鍛練は失敗か。俺と手合わせしては負け続ける、おまえはどうなのだ」「胸を貸していただいているのに、鍛えても鍛えてもちっとも強くなれないのは恥ずかしい限りです」「負けは恥か」「負けて誇れることなんて無いです」「無双を名乗る俺は何度も負けたぞ。おまえは師匠を誇らしくないと思っているのか」
ここでアルダートは答えに詰まった。
また長い沈黙が続いた。
「がむしゃらに食らいついてくるのは良い。こうして先の見えぬ過酷な旅にも文句ひとつ言わぬ」
後で気がついたことだが、アルダートがこれほどはっきりと師匠に褒められたのは初めてのことだった。
「だが、そろそろ自分で考えながら動いても良い頃だ」「考え無しですみません」「そうではない。聞け」
師匠の口調が変わったのを感じてアルダートは、はっと顔を上げた。
「おまえの内には焦りが見える」「!」
アルダートは図星を指され、息を詰まらせた。
「一気に、誰よりも強く大きくなることを武芸者ならば必ず夢見るものだ。かくいう俺も例外ではない」
焚き火の薪が爆ぜた。
「だが、それは危険な誘惑だ。強さとは自分が頼れる芯だ。他人と比較することなど無意味」「……」「急ぎすぎだ」「すみません」「ソエルのことだな」
はい。アルダートはがっくりと頭を垂れた。
「あいつはもう立派な医者だ。みんなに頼られて、この前は戦士としてお師匠さんのピンチも救っている。俺も辛い時、あいつに救ってもらって……」
アルダートは、胸の内の苦しさを搾り出すようにひと言ずつ話した。その竜の目には涙が溜まっている。
「もう一つ。師として言うことがあるとすれば」
ヴァルガはアルダートの気持ちが静まるまで充分に待ってから、言葉を発した。
「情に篤く、負けず嫌いなのもおまえの良い所だ。友の成長をただ見守るだけの竜を、俺は弟子には取らん」
「お師匠!」
ここでようやくアルダートは、自分がかつてないほどヴァルガに褒められていることに気がついた。
無双の剣士は弟子の視線を正面から受け止め、そして頷いた。
「おまえはもう一人前の戦士だ。自分で考え、乗り越えろ。いつか気がつくはずだ。この旅と忍耐がおまえ自身に必要なものであったのだと」
アルダートは闘志に身体が震えるのを感じた。
砂地に立てた腕に、カラレオルが寄り添い、その指を舐めてきた。立ちあがれと励ましているのだ。
「よし。明日も早い。いつも通りにこなしたら、早く寝ろ」
それだけ言うと、ヴァルガは焚き火に背を向け、ごろりと横になった。
アルダートはもう一度、深々と礼をして、そして師匠の言いつけに従って食事の後始末にとりかかった。
この後はカラレオルと乱取り稽古だ。
徒に無理をすることなく、自分に課した鍛練を、いつも通りに。
Illust:辰馬大助
──第二の門、嶺武鐘楼の前。
矢は突然、飛来した。
それはちょうど、石段に並び、次々と襲い来る武僧竜たちと斬り合っていた際、ヴァルガがふと顔をあげた瞬間である。
バシッ!
振り下ろす剣で矢は真っ二つになった。
すかさず隙を狙って突き込んでくる2つの槍を、返す刀で同時に切断し、肩で体当たりして武僧2人をまとめて石段の下へと突き落とした。
また矢が飛来。
今度は斬る余裕がない。ヴァルガは避け、そしてもう一度横転して岩の影に逃れた。
カ・カッ!
ヴァルガの顔の横すれすれに、土気のオーラをはらんだ2本の弓矢が岩を貫いていた。
「標的は岩の向こう?そんなの、俺には関係ないね!」
ヴァルガの鋭い視力は門の向こうで不敵な言葉を放ち、素早く次の弓をつがえる人影をとらえていた。
高度があがったためか、空は晴れ、うろこ雲が広がっている。
「ドラゴロイドか」
特徴的な角と生き物のように獲物を追う特異な矢の軌道から、ヴァルガは第二の門の守り手を驚異的な戦闘力の持ち主、竜人だと見破った。
「やぁ、道場破り殿。待っていたよ」
「名を聞こう」
ヴァルガは二刀を下げたまま、ゆらりと石段の中央に戻った。
「ドラグリッター サフル。そっちの紹介はいらないぜ、無双の運命者 ヴァルガ・ドラグレス」
サフルは弓を引くと、ぴたりとヴァルガに狙いを定めた。
「弟子を観戦武官にするとは、粋な手配だね。俺の魔弾を見て学ばせたいのか。大事に育てているんだな」
弓手が顔で後ろを指すと、アースドラゴンに乗ったアルダートとドラグリッター アスマー、轟炎獣カラレオルも門の向こうから顔を覗かせた。
「実際、一人の方が戦いやすい」とヴァルガ。
そうだろうな。サフルも認めた。
無双の剣士の背後では、ここまで彼が打ち伏せた武僧たちが横たわり、まだ立ち上がれずに呻いている。人間、竜、竜人、獣人。いずれも武芸に秀でた達人のはずなのだが……。
ひと言に“峯打ち”といってもそのまま殴っただけでは危険すぎる打撃だ。それを命に別状なく、かつ相手を行動不能にする程度に強く打って、制圧する。
言うは易しだが、こんな絶妙な攻撃を何十、何百と押し寄せる精強な武僧相手に振るい続けるなど、無双の剣士でもなければ絶対に不可能なことである。
「だがここは音に聞こえし嶺武山だ。勝てば上がり負ければ落ちる。そっちは峯打ちでもこちらは本気で倒す気で行くぜ」
「望むところだ」
弓手と剣士、両者は構え、岩の如く不動となった。
矢がはらむ大地の気、双剣が帯びる光と闇。
秋の海風。
雲間から覗く陽は中天。
どこからか飛んできた赤とんぼが、ヴァルガの深編み笠に止まり、羽根を休めた。
ゴーン!
正午の時鐘と共に、ヴァルガが飛んだ。
と同時に、ドラグリッター サフルは続けざまに3回、弓弦を鳴らした。
土気のオーラを曳いてミサイルのように追尾する矢をそのままに、ヴァルガは翼をはためかせ、一気に距離を縮めてサフルに切り下げた。
避ける。そして至近距離の剣士に向けてもう一弾……。
だがヴァルガの光の剣は、すでに弓と弦の間に差し込まれ、弓手の動きは完全に封じられた。
そしてその無双の運命者の背中に3本の矢が突き刺さる。
「お師匠!」
アルダートは思わず叫んだが、次の瞬間、ヴァルガが振り向かずに背中に回した闇の剣が矢を受け止め、一薙ぎで払いのけた。
「勝負あり」
ドラグリッター アスマーが静かに審判がわりの宣告をした。
苦笑する弓手サフルが力を抜いて得物を下ろすと、ヴァルガも身を離した。
「やれやれ。俺の三連弾も蚊に刺された程度で受け止めるとは。バカ強いぜ。……ホント、いい勉強になるよなぁ。小僧」
嶺武山第二の門番の言葉は、剣士にではなくアルダートに向けられたものだった。
ドラゴンエンパイア全土に名を轟かせる修羅の寺院であっても、やはり有望な若手の養成は重要事項なのだろう。
Illust:石川健太
──第三の門、嶺武本堂前。
石段が果てる先では、土気のオーラを纏ったアースドラゴンが、双刃の剣を構えて待ち構えていた。
「ロックバウンドエッジ・ドラゴン。あんたが道場破りに来たって言うから、俺と替わってあそこに立っている」
弓手ドラグリッター サフルは弓矢を背中に収め、腕組みをしながら解説していた。
「座右の銘は『退かぬ。折れぬ。刃、届くまで』。うちの新進気鋭だよ」
そう紹介するのは、ここまでアルダートたちを送ってくれた戦槌のドラグリッター アスマーである。
「なるほど。では我も羅刹の姿をとろう」
無双の剣士がその身の内に力の全てを集中すると、瞬時に彼の姿は無双の魔刃竜ヴァルガ・ドラグレス“羅刹”
となった。
そして魔刃竜は振り返った。愛弟子を。
「やってみるか、気鋭同士」
「ありがとうございます!先陣、承ります!!」
アルダートは片手剣を持ち上げて、ニヤリと笑った。その横で轟炎獣カラレオルも嬉しそうに牙を剥き出す。
今や、師匠の気遣いと期待は完璧に伝わっている。
嶺武山の武僧の実力、戦術、癖、士気。
師匠の戦いから、長所も短所もつぶさに見て取ることができた。
そうだ。がむしゃらに突っ込むだけでなく、剣士は忍び、見て、学び、戦い、勝つのだ。
そしてこれから対するは、この修羅の本陣を守る武僧の衆、気鋭の大地の竜。
我ら無双の師弟にとって不足はない。
「熱気の刃アルダート、参る!」
若者は吼え、相棒と共に石段の最後を駆け上がった。
肉体と魂を燃やす戦い。
真剣勝負。
剣士の本領を発揮する、心からの喜びに震えながら。
※註.緑茶は地球の似た植物を原料とし、同じような製法で造られたものの名を借りている。※
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《今回の一口用語メモ》
ドラゴンエンパイアと武僧寺院
ドラゴンエンパイア国はその始まりから竜の国であり、また尚武の国でもあった。
そんな中、今回本編でも登場したような「祈武合一」の寺院は、武芸者が修行、鍛練し、軍隊にも逸材を輩出してきたことで知られている。
ドラゴンエンパイアの寺院と神殿もまた他の国家と同じく、惑星クレイ世界の神格(過去には創世神メサイアほか、現在はニルヴァーナ)を始めとして、人々が神の名を冠して称えるほど偉大な存在に祈り、神事を行う。
そして、これまでに登場した武僧がいる寺院、つまり暁光院、皇都の竜神祭殿、そして嶺武山は「祈武合一」の教義の下、そうした信仰と心身の鍛練に勤めている。
今回のような“道場破り”、つまり立ちはだかる武僧と門番と対峙し続けて本堂まで至るということはほとんど例がないが(そもそも石段を埋め尽くす屈強な武僧の集団相手に、単独であれ複数であれ長く戦い続けられる者などいないため)、無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスと弟子たちがそれだけ不屈の闘志とまさに無双の戦闘力、確かな師弟の絆の下に戦い続けたという証拠であるだろう。
今回と同じく果たし合いを前に、ヴァルガが一服(または腹ごしらえ)していた描写は
→ユニットストーリー135「無双の運命者 ヴァルガ・ドラグレス II 《ノヴァグラップル血風行》」
にもある。
また、同話ではバトロイドが発射した散弾を刀で弾いた描写もある。
ソエルがアルダートに寄り添って癒した経緯については
→ユニットストーリー162「無限の宿命王 レヴィドラス・エンピレオ」
を参照のこと。
竜神祭殿と武僧については
→ユニットストーリー196「水鱗の武僧 リュウトウ」
を参照のこと。
惑星クレイ世界の東洋と極東については
→ユニットストーリー192「舞楽の忍鬼 マイカ」
を参照のこと。
竜人については
→ユニットストーリー022「Earnescorrectリーダー クラリッサ」
ユニットストーリー068「#Make_A_Trend!! キョウカ」
ユニットストーリー094「緋炎帥竜 ガーンデーヴァ」および同話の《今回の一口用語メモ》
ユニットストーリー192「舞楽の忍鬼 マイカ」
ユニットストーリー196「水鱗の武僧 リュウトウ」
を参照のこと。なお196では謎多きドラゴロイドの里についても触れられている。
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海雨が音も無く降り注いでいた。
もう昼前なのに初冬の陽は弱く、鈍色の空は薄暗い。
たちこめる海霧を割って舟が現れた。小型の丸底船に乗員は竜2人と獣1頭。
「お師匠。見えました」
熱気の刃アルダートは手を止め、船尾から剣の師に呼びかけた。轟炎獣カラレオルはその横で油断なく後方を警戒している。
「……」
声を掛けられた本人は船の敷板の真ん中に、双の剣を体側に揃え、どっしりと安座して無言。
アルダートもその沈黙を気に留めることなく、再び8の字に櫂を漕ぎ始めた。
船の舳先、霧の向こうに聳え立っているもの。
乾いた岩の山体に巡らされた回廊、階段、そして三つの楼堂。
それこそが今日、この師弟が破るべき“門”だった。
Illust:萩谷薫
嶺武山。
大陸の東岸、ドラゴニア海に突き出た半島にあるこの古刹は、軍事大国ドラゴンエンパイアにおいてさえ、特別な畏敬の念をもって語られる名の一つである。
竜や人、その他種族が入り乱れて技と力を競い、勝ち抜いた強者だけがより上の“段”へと登る。これが昼夜を問わず鐘楼や御堂を舞台として果てしなく繰り広げられる光景は、まさにここが修羅の山であることの証だ。
──第一の門、嶺武台演舞場。石畳の大広場。
ズシン!
黒い稲妻を思わせる闇の剣の打撃を受けて戦槌が地面に落ち、同時に、アスマーの首元へぴたりと光の剣が突きつけられた。対峙する両者を、この剣士に敗れた武僧たちが膝を突き、無念の表情で囲み、睨んでいる。
「ここまで」
渋く低い声が勝敗を告げた。
それは誇り高き人間の女戦士に、“参った”と言わせないためのひと言だった。
ドラグリッター アスマーもそれを感じたのか、背後で牙を剥き出す相棒のアースドラゴンを手で制して、武人らしく負けを認めた。
「なにもかも噂通りだった。ヴァルガ・ドラグレス」
「そちらも嶺武山第一の門番に恥じぬ戦いぶりであった」
にっと笑ったアスマーは痺れた手を摩りながら、戦槌を鞍に戻し、アルダートを促した。
「では約定通り、お弟子さん達をお預かりし、立会人として次の門までお連れする」
しぶしぶアースドラゴンの背に乗せられた弟子竜が口を開く前に、ヴァルガは命じた。
「上で待て、アルダート。カラレオル」
「お師匠様ッ!オレも戦います!」
「全てが修行だ。焦るな」
では頼む、と会釈するとアスマーと熱気の刃アルダートを乗せて、アースドラゴンが走り出した。
見上げるだけで眩暈がしそうな石段と乾いた急斜面、そしてこちらを睨む武僧の列を掻き分け、地の竜は疾風のように駆け上がっていく。雪山で暮らしていたカラレオルでさえ、付いていくのがやっとの速さだ。
「お師匠……」
血振りをして剣を収め、次の戦いに備える無双の運命者の姿を、アルダートは悲しげに見つめた。
女竜騎士アスマーが何かを察して、後ろ手にその背中を励ますように叩いてくれた。きっと、戦士は戦士の心を知るものなのだ。
アルダートは礼の言葉を呟くと、あとは鞍にしがみついてこの荒々しい登山急行から振り落とされないことに集中し、そしてあらためて師匠の言葉を噛みしめていた。
(焦るな。全てが修行だ)
Illust:やまだ六角──前の晩。対岸の漁村近くの砂浜。
「おまえ達が食え」「は?」
嶺武山の道場破りを明日に控え、力をつけてもらおうと奔走したアルダートは、骨付き鶏を差し出した姿勢のまま、焚き火の前で目を丸くした。ヴァルガは剣士らしく、いつも出されたものは黙って摂る。弟子に“先膳”をすすめるなど前代未聞のことだ。
「あの……毒味は済ませてありますが」
「そうではない。腹が減っただろう、先に食え」
出会って以来、師匠の命令は絶対である。
アルダートは深く一礼すると、脂滴る熱い肉を指の力だけで真っ二つに裂いて、轟炎獣カラレオルと分け合ってかぶりついた。
午後に狩った、捌きたての野鳥だ。美味いに決まっている。そしてヴァルガが見抜いた通り、昼の間、船を借りる手配や嶺武山の情報収集に忙しく立ち回っていた2人は、すごく腹が減っていた。
しかし師匠にじっと見られながらでは、どうにも緊張して喉が詰まる。すぐに汲んでおいた水筒の世話になった。
「お先にいただきました。師匠もどうか」
こちらを召し上がってください、とアルダートは新しい焼きたての串を捧げる。
ヴァルガは受け取って口に運ぶと、じっくり噛みしめて食べ始め、弟子はそんな師匠の茶碗に、淹れ立ての緑茶を注ぐ(むろん大柄なウインドドラゴンであるヴァルガに合わせたサイズと量である)。
そして、焚き火を囲む師弟3人に沈黙が降りた。
やがて山と積まれた肉と野菜を皆が食べ終えようとする頃、ヴァルガはぽつりと呟いた。
「鍛練は」「はい!この後すぐに、いつもの倍やります!」「それではいつまで経っても身につかぬな」
張り切って答えたアルダートは、師匠の言葉に一刀両断された。
「オレ、何か間違いましたか?!」
最後の串を取り落としそうになりながら、アルダートは慌てて砂地に伏せた。
「黙っておられてはわかりませんッ!教えてください、師匠!」
必死に懇願するアルダートを、親友のカラレオルはハラハラしながら見るばかり。
「鍛練とは何のために行うか」「自分を鍛えるためです」「何のために鍛えるのか」「強くなりたいからです」「強くあるということはどういう事か」「誰にも負けないことです」「では負けてしまえば鍛練は失敗か。俺と手合わせしては負け続ける、おまえはどうなのだ」「胸を貸していただいているのに、鍛えても鍛えてもちっとも強くなれないのは恥ずかしい限りです」「負けは恥か」「負けて誇れることなんて無いです」「無双を名乗る俺は何度も負けたぞ。おまえは師匠を誇らしくないと思っているのか」
ここでアルダートは答えに詰まった。
また長い沈黙が続いた。
「がむしゃらに食らいついてくるのは良い。こうして先の見えぬ過酷な旅にも文句ひとつ言わぬ」
後で気がついたことだが、アルダートがこれほどはっきりと師匠に褒められたのは初めてのことだった。
「だが、そろそろ自分で考えながら動いても良い頃だ」「考え無しですみません」「そうではない。聞け」
師匠の口調が変わったのを感じてアルダートは、はっと顔を上げた。
「おまえの内には焦りが見える」「!」
アルダートは図星を指され、息を詰まらせた。
「一気に、誰よりも強く大きくなることを武芸者ならば必ず夢見るものだ。かくいう俺も例外ではない」
焚き火の薪が爆ぜた。
「だが、それは危険な誘惑だ。強さとは自分が頼れる芯だ。他人と比較することなど無意味」「……」「急ぎすぎだ」「すみません」「ソエルのことだな」
はい。アルダートはがっくりと頭を垂れた。
「あいつはもう立派な医者だ。みんなに頼られて、この前は戦士としてお師匠さんのピンチも救っている。俺も辛い時、あいつに救ってもらって……」
アルダートは、胸の内の苦しさを搾り出すようにひと言ずつ話した。その竜の目には涙が溜まっている。
「もう一つ。師として言うことがあるとすれば」
ヴァルガはアルダートの気持ちが静まるまで充分に待ってから、言葉を発した。
「情に篤く、負けず嫌いなのもおまえの良い所だ。友の成長をただ見守るだけの竜を、俺は弟子には取らん」
「お師匠!」
ここでようやくアルダートは、自分がかつてないほどヴァルガに褒められていることに気がついた。
無双の剣士は弟子の視線を正面から受け止め、そして頷いた。
「おまえはもう一人前の戦士だ。自分で考え、乗り越えろ。いつか気がつくはずだ。この旅と忍耐がおまえ自身に必要なものであったのだと」
アルダートは闘志に身体が震えるのを感じた。
砂地に立てた腕に、カラレオルが寄り添い、その指を舐めてきた。立ちあがれと励ましているのだ。
「よし。明日も早い。いつも通りにこなしたら、早く寝ろ」
それだけ言うと、ヴァルガは焚き火に背を向け、ごろりと横になった。
アルダートはもう一度、深々と礼をして、そして師匠の言いつけに従って食事の後始末にとりかかった。
この後はカラレオルと乱取り稽古だ。
徒に無理をすることなく、自分に課した鍛練を、いつも通りに。
Illust:辰馬大助──第二の門、嶺武鐘楼の前。
矢は突然、飛来した。
それはちょうど、石段に並び、次々と襲い来る武僧竜たちと斬り合っていた際、ヴァルガがふと顔をあげた瞬間である。
バシッ!
振り下ろす剣で矢は真っ二つになった。
すかさず隙を狙って突き込んでくる2つの槍を、返す刀で同時に切断し、肩で体当たりして武僧2人をまとめて石段の下へと突き落とした。
また矢が飛来。
今度は斬る余裕がない。ヴァルガは避け、そしてもう一度横転して岩の影に逃れた。
カ・カッ!
ヴァルガの顔の横すれすれに、土気のオーラをはらんだ2本の弓矢が岩を貫いていた。
「標的は岩の向こう?そんなの、俺には関係ないね!」
ヴァルガの鋭い視力は門の向こうで不敵な言葉を放ち、素早く次の弓をつがえる人影をとらえていた。
高度があがったためか、空は晴れ、うろこ雲が広がっている。
「ドラゴロイドか」
特徴的な角と生き物のように獲物を追う特異な矢の軌道から、ヴァルガは第二の門の守り手を驚異的な戦闘力の持ち主、竜人だと見破った。
「やぁ、道場破り殿。待っていたよ」
「名を聞こう」
ヴァルガは二刀を下げたまま、ゆらりと石段の中央に戻った。
「ドラグリッター サフル。そっちの紹介はいらないぜ、無双の運命者 ヴァルガ・ドラグレス」
サフルは弓を引くと、ぴたりとヴァルガに狙いを定めた。
「弟子を観戦武官にするとは、粋な手配だね。俺の魔弾を見て学ばせたいのか。大事に育てているんだな」
弓手が顔で後ろを指すと、アースドラゴンに乗ったアルダートとドラグリッター アスマー、轟炎獣カラレオルも門の向こうから顔を覗かせた。
「実際、一人の方が戦いやすい」とヴァルガ。
そうだろうな。サフルも認めた。
無双の剣士の背後では、ここまで彼が打ち伏せた武僧たちが横たわり、まだ立ち上がれずに呻いている。人間、竜、竜人、獣人。いずれも武芸に秀でた達人のはずなのだが……。
ひと言に“峯打ち”といってもそのまま殴っただけでは危険すぎる打撃だ。それを命に別状なく、かつ相手を行動不能にする程度に強く打って、制圧する。
言うは易しだが、こんな絶妙な攻撃を何十、何百と押し寄せる精強な武僧相手に振るい続けるなど、無双の剣士でもなければ絶対に不可能なことである。
「だがここは音に聞こえし嶺武山だ。勝てば上がり負ければ落ちる。そっちは峯打ちでもこちらは本気で倒す気で行くぜ」
「望むところだ」
弓手と剣士、両者は構え、岩の如く不動となった。
矢がはらむ大地の気、双剣が帯びる光と闇。
秋の海風。
雲間から覗く陽は中天。
どこからか飛んできた赤とんぼが、ヴァルガの深編み笠に止まり、羽根を休めた。
ゴーン!
正午の時鐘と共に、ヴァルガが飛んだ。
と同時に、ドラグリッター サフルは続けざまに3回、弓弦を鳴らした。
土気のオーラを曳いてミサイルのように追尾する矢をそのままに、ヴァルガは翼をはためかせ、一気に距離を縮めてサフルに切り下げた。
避ける。そして至近距離の剣士に向けてもう一弾……。
だがヴァルガの光の剣は、すでに弓と弦の間に差し込まれ、弓手の動きは完全に封じられた。
そしてその無双の運命者の背中に3本の矢が突き刺さる。
「お師匠!」
アルダートは思わず叫んだが、次の瞬間、ヴァルガが振り向かずに背中に回した闇の剣が矢を受け止め、一薙ぎで払いのけた。
「勝負あり」
ドラグリッター アスマーが静かに審判がわりの宣告をした。
苦笑する弓手サフルが力を抜いて得物を下ろすと、ヴァルガも身を離した。
「やれやれ。俺の三連弾も蚊に刺された程度で受け止めるとは。バカ強いぜ。……ホント、いい勉強になるよなぁ。小僧」
嶺武山第二の門番の言葉は、剣士にではなくアルダートに向けられたものだった。
ドラゴンエンパイア全土に名を轟かせる修羅の寺院であっても、やはり有望な若手の養成は重要事項なのだろう。
Illust:石川健太──第三の門、嶺武本堂前。
石段が果てる先では、土気のオーラを纏ったアースドラゴンが、双刃の剣を構えて待ち構えていた。
「ロックバウンドエッジ・ドラゴン。あんたが道場破りに来たって言うから、俺と替わってあそこに立っている」
弓手ドラグリッター サフルは弓矢を背中に収め、腕組みをしながら解説していた。
「座右の銘は『退かぬ。折れぬ。刃、届くまで』。うちの新進気鋭だよ」
そう紹介するのは、ここまでアルダートたちを送ってくれた戦槌のドラグリッター アスマーである。
「なるほど。では我も羅刹の姿をとろう」
無双の剣士がその身の内に力の全てを集中すると、瞬時に彼の姿は無双の魔刃竜ヴァルガ・ドラグレス“羅刹”
となった。
そして魔刃竜は振り返った。愛弟子を。
「やってみるか、気鋭同士」
「ありがとうございます!先陣、承ります!!」
アルダートは片手剣を持ち上げて、ニヤリと笑った。その横で轟炎獣カラレオルも嬉しそうに牙を剥き出す。
今や、師匠の気遣いと期待は完璧に伝わっている。
嶺武山の武僧の実力、戦術、癖、士気。
師匠の戦いから、長所も短所もつぶさに見て取ることができた。
そうだ。がむしゃらに突っ込むだけでなく、剣士は忍び、見て、学び、戦い、勝つのだ。
そしてこれから対するは、この修羅の本陣を守る武僧の衆、気鋭の大地の竜。
我ら無双の師弟にとって不足はない。
「熱気の刃アルダート、参る!」
若者は吼え、相棒と共に石段の最後を駆け上がった。
肉体と魂を燃やす戦い。
真剣勝負。
剣士の本領を発揮する、心からの喜びに震えながら。
了
※註.緑茶は地球の似た植物を原料とし、同じような製法で造られたものの名を借りている。※
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《今回の一口用語メモ》
ドラゴンエンパイアと武僧寺院
ドラゴンエンパイア国はその始まりから竜の国であり、また尚武の国でもあった。
そんな中、今回本編でも登場したような「祈武合一」の寺院は、武芸者が修行、鍛練し、軍隊にも逸材を輩出してきたことで知られている。
ドラゴンエンパイアの寺院と神殿もまた他の国家と同じく、惑星クレイ世界の神格(過去には創世神メサイアほか、現在はニルヴァーナ)を始めとして、人々が神の名を冠して称えるほど偉大な存在に祈り、神事を行う。
そして、これまでに登場した武僧がいる寺院、つまり暁光院、皇都の竜神祭殿、そして嶺武山は「祈武合一」の教義の下、そうした信仰と心身の鍛練に勤めている。
今回のような“道場破り”、つまり立ちはだかる武僧と門番と対峙し続けて本堂まで至るということはほとんど例がないが(そもそも石段を埋め尽くす屈強な武僧の集団相手に、単独であれ複数であれ長く戦い続けられる者などいないため)、無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスと弟子たちがそれだけ不屈の闘志とまさに無双の戦闘力、確かな師弟の絆の下に戦い続けたという証拠であるだろう。
今回と同じく果たし合いを前に、ヴァルガが一服(または腹ごしらえ)していた描写は
→ユニットストーリー135「無双の運命者 ヴァルガ・ドラグレス II 《ノヴァグラップル血風行》」
にもある。
また、同話ではバトロイドが発射した散弾を刀で弾いた描写もある。
ソエルがアルダートに寄り添って癒した経緯については
→ユニットストーリー162「無限の宿命王 レヴィドラス・エンピレオ」
を参照のこと。
竜神祭殿と武僧については
→ユニットストーリー196「水鱗の武僧 リュウトウ」
を参照のこと。
惑星クレイ世界の東洋と極東については
→ユニットストーリー192「舞楽の忍鬼 マイカ」
を参照のこと。
竜人については
→ユニットストーリー022「Earnescorrectリーダー クラリッサ」
ユニットストーリー068「#Make_A_Trend!! キョウカ」
ユニットストーリー094「緋炎帥竜 ガーンデーヴァ」および同話の《今回の一口用語メモ》
ユニットストーリー192「舞楽の忍鬼 マイカ」
ユニットストーリー196「水鱗の武僧 リュウトウ」
を参照のこと。なお196では謎多きドラゴロイドの里についても触れられている。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡