ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」

Illust:茄子乃
「十分なんて無いよ、幾らだって食べられちゃうから」
グローイング・ドラコキッドは夢中で頬張っている。腰掛けた切り株に並べられた果物は、この霧深き森で採れた自然の恵みだ。
「そうか。存分に楽しむがよい」
重々しい言葉にグローイングは一瞬だけ食べるのを止め、こくりと頷くとまた猛然とリンゴに齧りついた。
そんな竜の幼体を静かに見下ろす、無限の宿命王レヴィドラス・エンピレオは全てを知る者。
歳100億ともいわれる古老。そしてこの地の民の安全を守る統治者である。
だから次の不穏な呟きは、目の前の幼竜にも、側近く控えるカウンセル・ウルティスにも聞こえなかった。
「こうした安らぐ日々は、もう残り少ないかもしれぬのだから……」
朱霧森ヴェルミスムの主レヴィドラスの目に未来を憂う色は今、深かった。

Illust:山宗

ストイケイア国には、限られた者しか踏み込むことのできない神秘の土地が幾つも存在する。
樹角獣皇マグノリア・パトリアークが治めるレティア大渓谷。
楽園へ導く者ナナクリルが主である真宵楽園。
そして朱霧森ヴェルミスムもその一つ。
主の年齢からすればこの森もおそらく、惑星クレイにドラゴンが目覚めたばかりの超古代から永の年月、現れては消える様々な事柄と共にあったのだろう。

Illust:おかわ
──数日前、夕刻。
「過去と現在、この惑星の森羅万象をお見通しになられる無限の宿命王の知見に、我がオーブとて何を附言できましょうや。このメロディアスオーブ、此度の御召し誠に光栄の極みなれど」
フォレストドラゴンは謳うように口上を述べると、レヴィドラスが横たわる玉座の前に跪いた。
その小柄な身体の前に掲げられし宝玉は光を放つ。麗美の音を奏でるように。
先ほどまでこの宮殿──古い樹と根が密集した森の中枢たる広場──に集っていたドラゴン、ハイビースト、バイオロイドたちは姿を消し、ここにいるのは主レヴィドラスとメロディアスオーブだけとなっている。
「よく来てくれた。さて、来てもらったのは他でもない」
メロディアスオーブが思わず伏せていた顔をあげたのは、全知に限りなく近い存在であり、この神秘の森の主であるレヴィドラスが──宿命決戦の際、零の運命者ブラグドマイヤーとの激しい応酬は森の民にとって語り草なのだ──予想していたよりもずっと砕けた姿勢と物言いで彼女を迎え入れたためだ。
メロディアスオーブには知る由もなかったが、無限鱗粉としてブラグドマイヤーにまとわりついたり、若き宿命者たちと北の無人島で楽しく合宿するなど、100億歳の竜生にも近年特筆すべき変化があったのである。
「大森林に名高い、おまえの宝玉で未来を視てほしいのだ」
メロディアスオーブは頭を垂れて畏まった。
「御意。恐れながら、我がオーブが示す未来とは……」
「無限に枝葉を広げる世界、その可能性のひとつでしかない。時と宇宙の法則は知っておる」
「恐縮至極でございます。加えまして、オーブがもたらす未来視とは、その多くが意味を察することも難しいほど、断片的かつ象徴的なイメージなのでございます。グレートネイチャーの象牙の塔やケテルのオラクルのようには参りませぬ」
「あれらは科学と魔術による“未来予測”だ。私に言わせればな」
レヴィドラスはメロディアスオーブに正面から向き合った。
「私が欲しいのは異なる視点、近い未来を読み解くヒントなのだ。さぁ、見せてくれ。メロディアスオーブ」
はっ、とフォレストドラゴンはもう説明を重ねることもなく姿勢を正して、オーブを頭上高く持ち上げた。

Illust:霜月友
『この森からいなくなれぇ!』
頭の中に響くその叫びは、見守る2人だけに聞こえる幻。オーブを通じて届いた未来の声、そして姿だった。
獣人、新緑の爪牙ドノラーはもちろんレヴィドラスがよく知るこの地の住人の一人。
そのドノラーは両手の短刀で今、何かに立ち向かっているようだった。
朱霧森ヴェルミスムへの侵入者か、それとも別な何かか。
ただ、ドノラーが向き合っているのは、その必死の顔から見ても、勝ち目の無い戦いであることは明らかだった。そしてこれはあくまで幻なのだ。レヴィドラスは忘れてはいなかった。つまり“このまま何の対策もしなければ、勝ち目の無い戦いにこの森はさらされる”という暗示のようにも捉えられる。
「ドノラー!おまえが向き合っているものは何なのだ?!それは何者か!!」
思わず叫んだレヴィドラスの前で、その姿と声は急速に薄れ、消えた。
光が消えたオーブを携えたフォレストドラゴンは、穏やかに依頼主に呼びかけた。
「レヴィドラス様。お声をあげられると集中が乱れます」
「すまぬ。幻と分かっていたつもりなのだが……」
宿命王は詫びた。
メロディアスオーブに制せられるまでもない。
全知と謳われる賢き老竜レヴィドラスは、焦っているのだ。
「“赫月病”の脅威に警鐘が鳴らされて久しいのに手がかりも乏しく、我々には近い未来を見透す術があまりにも少ない」
先に話題に上がったグレートネイチャー総合大学の教授陣も、ケテルサンクチュアリのオラクルも、またブラントゲートの科学者や超電脳も、惑星クレイ中の未来予測可能な機関はみな懸命に、“赫月病”の予兆や過去に似た災いがなかったかを追求している。
また、そもそも大学や他国の力に頼らずとも、ストイケイア国には偉大なる大賢者ストイケイアが造ったワイズキューブがあった。
ワイズキューブは所在不明であり、ストイケイアの遺志を継ぐ中でもごく限られた者しか、その姿を現すことがない。
すでにそのワイズキューブにはアクセス権を持つメンバーの2人、万化の運命者 クリスレイン・カデンツァと樹角獣皇マグノリア・パトリアークが接触を試みている。
だが……今のところ、挙がっている報告は芳しくない。
ワイズキューブは本来の機能として、惑星クレイに遍在する加護を観測することで未来をも垣間見ることができるのだが、現在、運命力の乱れがそれを妨げているのだという。
「続けましょう、宿命王よ。このような幻視でしたらもっとお見せできますので」
メロディアスオーブの励ましに、レヴィドラスは頷いた。

Illust:かわすみ
──いくつもの景色、いくつもの言葉が幻として2人の間を通り過ぎた後。
聞こえてきた一つの声に、レヴィドラスは玉座の草叢から顔を上げた。
『動くな。そう、それが賢明な判断だ』
オーブが描き出す未来の幻の中、朱霧森ヴェルミスムの空を飛ぶハイビースト、カウンセル・ウルティスがこちらに語りかけていた。
その口調から察される通り、もちろん宿命王に対する言葉ではない。
これは“起こり得る未来への警告”ではなく、“備えることの覚悟を要求”するものだ。
だが、
「……そうか。それであった」
意外にも宿命王は、自分に掛けられた訳ではない、このハイビーストの言葉に何かを掴んだようだった。
「レヴィドラス様?」
今度は、オーブと幻が自然と鎮まるのを待ってから、フォレストドラゴンは王に声をかけた。
「ここまでで良い」
「お役に立てましたか」
「大いに。大儀であった」
労いの言葉に、メロディアスオーブは深々と頭を垂れた。
カウンセル・ウルティスは、レヴィドラス王の近習の一人。
だからという訳ではないのだろうけれど、このハイビーストの一言こそが、もっとも宿命王が必要としていたものだったようだ。
「そうだ。我は古よりこの朱霧森ヴェルミスムに居ながらにして、世界の全てを視る者であった」
メロディアスオーブの考えを読んだように、しみじみとレヴィドラスは呟いた。
「惑星クレイの賢者、研究者が総がかりでもその予兆の尻尾さえ掴めぬ、“赫月病”」
「到来すれば恐るべき災いとなりましょう。王のご懸念通り」
「うむ。だが私は大事なこと、自分が王であり年長者だと言うことを忘れていたようだ。無論こうして努力は重ねる、頼られれば力も貸し、この森と惑星のために一時も眠ることなく憂い、案じもしよう。今まで以上に、世界の無限鱗粉に耳目をそば立てさせて」
「……」
「慌ててはならぬ。焦ってもいけない。大事なことほど地道に積み上げるべきものなのだ。不安に耐え、いつか願いが叶う時を祈りつつ。それを私は、あの異世界の少年に教えられた気がする」
メロディアスオーブはレヴィドラスの言葉の意味を全て理解できたわけではない。
しかし、自らのオーブによる幻視とカウンセル・ウルティス(が未来において発した言葉)が、この老竜王の目を開かせたことを誇るべきだと、フォレストドラゴンは思った。
「皆を呼んでくれ。この森の備えについて、話し合っておきたい」
レヴィドラスは近習に呼びかけた。
グローイング・ドラコキッド、新緑の爪牙ドノラー、そしてカウンセル・ウルティス。たくさんの獣や人々が王を慕って玉座の周りに侍る。
彼らは、まだ自分たちが出会う“未来”を知らない。
だがそれで良い。
知るべきは我ひとり。人知れず警戒の爪を研ぐことこそ、統治者の務め。
レヴィドラスはメロディアスオーブ・ドラゴンに頷き、そして100億歳の宿命王らしい自信に満ちた挙措で玉座に丸くなり、くつろいだ様子となった。
心騒がせる未来の幻を胸の奥に抱えながら。
ストイケイアの夕空に美しい白き月が浮かぶ、今だけは。
了
※註.リンゴは地球で採れる酷似した種の果物の名前を借りた。※
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《今回の一口用語メモ》
神秘の森──ストイケイアの秘境について
レティア大渓谷。
真宵楽園。
朱霧森ヴェルミスム。
これらはストイケイア国ズーガイア大陸の中でも、特に外界と隔絶し、入来者に厳しい制限を課す“秘境”だ。
※同じく所在地を明かしていない場所としては「グランフィア農園」もあるのだが、こちらは同農園で収穫した農産物を公の流通にのせているので秘境には数えない。※
このうち、マグノリア王が統治するレティア大渓谷は近頃、かつて厳しかった境界を緩め、外部との交流にもその門を開きつつある。
一方で、楽園へ導く者ナナクリルの真宵楽園も、月の試練と合わせて、弊害──行方不明となって帰還した者が、楽園の体験に心奪われるということ──はあるものの、その存在自体は悪ではないことが最近になって確定した。また、この動く秘境は他国や宇宙=第1の月までも移動することができ、楽園との再会に焦がれる者を増やし続けているのも特徴である。この点からすると真宵楽園は、ストイケイアの秘境というより惑星クレイの秘境と呼ぶべきかもしれない。
そして、今回の舞台となった朱霧森ヴェルミスム。
無限の宿命者レヴィドラスが太古の昔から棲みついている、霧深き森。
他の秘境と同様、主(この場合はレヴィドラス)が望まない限り、何人たりとも立ち入ることはできない。
こうした秘境がズーガイア大陸に散見されるのは、互いにテリトリーを主張し合っても充分に広い国土と豊かな自然に恵まれていること。そしてそれぞれの主が飛び抜けて強い保護力・統治力の持ち主であるためだ。
近く到来を警戒されている“赫月病”についてもマグノリア、レヴィドラスら秘境の統治者はそれぞれのやり方で、秘境の守り手としての義務を果たしている。ただナナクリルだけは、天衣無縫な彼女の「あるがまま」を揺るがす者がいないため、具体的にどのような防備や対策を固めているのかは定かではない。
朱霧森ヴェルミスムについては
→ユニットストーリー152「無限の宿命者 レヴィドラス」
ユニットストーリー162「無限の宿命王 レヴィドラス・エンピレオ」
ユニットストーリー180「奇跡の運命者 レザエル VII」
を参照のこと。
大賢者ストイケイアが遺した、意思を持つ宝具ワイズキューブについては
→ユニットストーリー065「リペルドマリス・ドラゴン」
ユニットストーリー130「万化の運命者 クリスレイン」
を参照のこと。
レヴィドラスが異世界の少年と接触し、宿命王と成った瞬間については
→ユニットストーリー162「無限の宿命王 レヴィドラス・エンピレオ」
を参照のこと。
宿命者たちの合宿については
→ユニットストーリー205「秤の宿命者 アルグリーヴラ II」
を参照のこと。
真宵楽園についての捜査が完了した経緯は
→ユニットストーリー208「極光戦姫 セラス・クリアライト」
を参照のこと。
マグノリアがレティア大渓谷に及ぼしている力、いわゆる「聖域」については
→世界観コラム ─ セルセーラ秘録図書館004「樹角獣とレティア大渓谷」
ユニットストーリー017「樹角獣 ダマイナル」
ユニットストーリー035「樹角獣帝 マグノリア・エルダー」
ユニットストーリー053 世界樹編「大渓谷の探究家 C・K・ザカット」
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡