ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
226幻真星戦篇「救済の零 ブラグドマイヤー “幻影”」
ケテルサンクチュアリ
種族 エンジェル
サンクチュアリ地方の1月は、枯れ草色の大地に弱い雨が降り注ぐ寒い季節だ。
天輪聖紀となって神格の加護が回復した今も、この地域の冬の景色には寂寥感が強く漂っている。
低く垂れこめる陰鬱な曇天の下、人々の列は北方へと長く続いていた。
目指すはファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』。
白き翼の天使の元に向かうのは傷ついた人、病める人、そして心憂う人である。
やがて、あたり一面に広がる白い霧が凝縮したような白い天蓋、ファントムドームが迫ってきた時、並んで飛ぶ2人の耳に呼びかける声が届いた。
「そのまま真っ直ぐにお進みください。恐れる必要はありません。奇跡の運命者レザエル、奇跡の幻真獣リフィストール」
2人は目も合わせずに飛行を続け、声の指示通り、一見硬質なものの様にも見えるファントムドームの表面にスピードを緩めることなく突き当たり、そして何の抵抗もなく擦り抜けた。
外から見た輝ける姿と違い、その内側には、かつてソエルが遭遇し、今や惑星クレイ世界全体を覆い尽くそうとしている《白い霧》が濃密にたちこめている。
「驚いてはいないようですね、お二人とも」
内側に入るなり、滑り込むように編隊に加わった天使が笑顔を向けた。
「僕は、快哉の兆し キャビティ・マリジア。幻影の一員です」
「霧の合間に長い列が見えた。あれは何を待っているのか」
とレザエル。その表情はいま敵地の只中にいる緊張感に満ちている。
「主の診察を待っているのです。皆が癒やし手の力を求め、このファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』では一人の例外もなくそれが叶えられる。これこそ理想の病院です」
前方を指差した天使の少年が、並んで飛ぶ奇跡の運命者レザエル、奇跡の幻真獣リフィストールに一点の曇りもない笑顔で説明した。
快哉の兆し キャビティ・マリジア。
レザエルは、穏やかに微笑みかけるこの天使の少年が、現実世界でどんな存在だったのかを知っていた。
小柄で害意に満ちた悪魔。
彼が飛び回っていたのは癒やしの光の中ではなく、すべてを吸い寄せ零へと還す破壊の渦だったはずだ。

Illust:Moopic
「彼らは皆、幻化した者なのか」とレザエル。
「幻世界について、もうかなりご存じのようですね。ええ。ファントムドーム内の住人は皆そうなるのです」
「皆と言うが、我らには何の変化もない。これは何故か?」
レザエルは鋭い口調で問いただし、リフィストールは表情を硬くした。
それを見たキャビティ・マリジアは笑顔のまま、答える。
「そう。奇跡の幻真獣リフィストールは理解しているはず。現実世界からファントムドームに入った者は“幻存在”に変質するのです。その現れは様々ですが、何かしらの変化は拒めない。あなた達を除いて。さすがは幻真獣と、月の門に選ばれし者」
「……」
レザエルとリフィストールは目線を合わせた。“幻存在”の元悪魔、現天使のキャビティ・マリジアの言うことはヴェイズルーグの解説を裏付けている。
「お会いできて光栄ですよ、“救世の使い”レザエル。私もあなたのような姿になれた。零の虚の巡回者だった僕が。この幻世界とファントムガーディアン様のおかげでね」
「君には現実世界の記憶が?」
「ありません」天使は肩をすくめ、続けた。
「幻化してなお現実世界の記憶を持てるのはファントムガーディアンのみ。我が主は、私たち近くに仕える者たちに“真実”を教えられ、そして備えるように命じられたのです。“現実”世界から訪れるお二人にね」
ファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』の中を飛ぶ一行は、まっすぐに光の中心に向かってゆく。
「……では会わせてくれるのだな、ブラグドマイヤーに」
レザエルが重い口を開いた。対するキャビティ・マリジアの返答は明快だった。
「勿論です。今日のご到着を予期し、待ちかねていたのですよ。我らがファントムガーディアン、救済の零ブラグドマイヤー “幻影”様は」
白い霧ごしに見えるレザエルの背が一瞬固くなったのを、並んで飛ぶリフィストールは見逃さなかった。
月の門番ヴェイズルーグにあらかじめ教えられ、そして快哉の兆し キャビティ・マリジアと話してもなお、2人には共通の疑問が残っていた。
幻存在とは何か?
ファントムドームとは?
ファントムガーディアンとは?
そして、救済の零ブラグドマイヤー “幻影”とは果たして彼らが知る、あの零の運命者ブラグドマイヤー本人なのか?

ファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』。
地上の都セイクリッド・アルビオンの北西、本来であれば果樹園とまばらな人家だけが広がる風景、たちこめる白い霧の中に、突如出現した輝く半球状のドームである。
濃い霧に慣れてくるとその内部には、曇天で凍える寒さの外とは反対に、白い光と清浄な空気に満ち、あちこちに湧く豊かな泉では人も獣も種族関係なく、傷ついた者、病める者、憂いに沈む者が互いに譲り合いながら、温かい湯に身を沈め心身を癒やしているのが眺められた。
“白き癒やし手”の評判を聞き、傷ついた者が続々と集まっているのだ。
「ここには癒やしと真の安らぎがある」
そう解説する大悦の翼 ホロウ・ラプターは、足元にひれ伏す人々に頷きながら、一同の先頭を飛んでいた。
銀の甲冑に身を包んだ鳥型ハイビーストである彼はこのファントムドームの番兵。巡回者キャビティ・マリジアから交代した先導役である。
「だがそれは全て幻だ。現実ではない」とレザエル。
「幻こそ現実だ。見よ」
ホロウ・ラプターは顎で地上を示した。

Illust:北熊

Illust:ゆずしお
四足獣型ハイビースト、欣然の牙 ヴェイカント・ファングが泉まで降りていき子供たちと戯れ、老人や病人を支えている。ファントムドームの番兵である彼も、癒やし手の一員なのだ。
「厳格で知られる我ら警護のリーダー、ヴェイカント・ファングも幻影としては、弱きをいたわる癒やし手だ。我らはこの暮らしを愛している」
「……」
かつて獰猛で知られた元悪魔やハイビーストたちの振る舞いや言葉にも、この療養地に詰めかける病める人々にも、強制や欺瞞、偽りの気配は一切ない。
レザエルはこのケテルサンクチュアリ行に先立って、月の門番ヴェイズルーグから贈られた言葉を思い出していた。
──リィエル記念病院屋上スカイポート。
「今回、ファントムガーディアンと見える君たちに、忠告させてほしい」
ヴェイズルーグは今旅立たんとするレザエル、リフィストールを見渡した。
「我は、伝えられる限り全てを教えた。運命者であるレザエル、幻真獣であるリフィストールに何の不安もない。存分に戦ってほしい」
頷く2人にヴェイズルーグは続ける。
「だがもう身に染みてわかったと思うが、幻影側が持つ幻化の影響力はきわめて強い。それは現実を忘れ、記憶を惑わせ、存在を変質させ、幻世界に取り込む力なのだ」
レザエルは少し俯いた。
そう。彼自身もブラグドマイヤー失踪の記憶を“忘れて”しまっていたのだ。
「あの白い霧は、濃度の高低はあるものの、いまや惑星クレイすべてを覆いつつある。それは星ひとつを幻化しようとする勢力、または何者かの意志の現れだろう」
「それがあの魔王竜ガブエリウスの仕業だと?」
おそらく。ヴェイズルーグは頷いた。
「だが知っての通り、赫月病を長く見てきた我にとっても、この度の赫月病には謎が多い。そこで今、贈りたい言葉となる」
「我らにお授けいただくそのご忠告とは?ヴェイズルーグ様」
リフィストールは恭しく頭を垂れた。月の門の守護者であるヴェイズルーグは、リフィストールら幻真獣にとっては唯一無二の指導者というべき存在なのだ。
「うむ。むしろ願いというべきかもしれぬ。知っての通り、幻化の力に対抗できるのは幻真獣と月の門に選ばれし者のみ。他は──例えば宿命者であるリィエル゠オディウムでさえも──その影響から逃れられない。だが我は、それだけでケテルサンクチュアリのファントムガーディアンに、君とリフィストールを差し向けると決めたわけではない」
「それは、私と彼との縁だな」とレザエル。
然り。月の門番は続けた。
「ファントムドームとはあの白い霧が集まり、幻の世界を構築するためのものだと推測される。特に君たちが向かう『ケテルサンクチュアリ』はその名の通り、各国家における幻影側の本拠だろう」
「そこで待っているのがブラグドマイヤー」レザエルが呟いた。
「幻化したブラグドマイヤーだ。故に、忠告としては『どんな現実を突きつけられたとしても、幻に惑わされるな』。これに尽きる」
「感謝する。ヴェイズルーグ」
レザエルは月の門番の手を取った。
レザエルにとっても、今回の対決には期するものがあり、ヴェイズルーグの言葉は強くその背を押すものだった。
「では行くがいい。奇跡の運命者、奇跡の幻真獣。我は、良き報せをここで待とう」

Illust:北熊
飛行するレザエルとリフィストールの視界を、突如として光が覆った。
目を開けると、付き添ってきた大悦の翼 ホロウ・ラプターの姿は消えていた。
周囲は全き白。おそろしく広い円筒状の部屋のようで床も壁もない。
ただ、天井にあたる部分、頭上だけが外の景色を写していて、遠景に浮遊都市ケテルギアを望むその空には……
赤く染まった月が浮かんでいた。
「赫月光。僕ら幻影の力の源にして、幻世界の象徴。すべての幻存在が崇めるもの。そしてここは僕の診察室。癒やしの力の核心だ。零の陽とでも呼んでもらおうかな」
声は一同の背後から聞こえた。
振り向くと、赫い月の光の下、眩しく輝く白き天使の姿が浮かんでいた。
「やぁ、レザエル。リフィストール。君たちを待っていたよ」
身構える2人に、天使は悠然と名乗りをあげた。
「ファントムドームへようこそ。僕は、救済の零 ブラグドマイヤー “幻影”」

Illust:DaisukeIzuka
「ブラグドマイヤー」
レザエルは呟いた。あらためて思い返すまでもなく、運命大戦は、零の運命者ブラグドマイヤーと戦い、彼をこの世界に連れ出すことで終結した。もっとも縁が深い関係だ。
「ブラグドマイヤー」
リフィストールは呟いた。ブラグドマイヤーとは知り合って間もないが、それでも彼に起きたこの“幻化”、その変化が見かけ以上に本質的かつ劇的なものであることに、驚きを禁じ得ない。
「驚いた?でも僕は僕、正真正銘ブラグドマイヤーだよ」
声を失った一同に、救済の零を名乗る天使は続けた。
「僕はこの幻世界のケテルサンクチュアリでは、諸人の喜びが集まる湖の表面から誕生したんだ」
「それは幻で、現実ではない。ブラグドマイヤー」
「そうだ。現実世界の僕は、世界の悲しみが降り注ぐ沼。その底にあった大きすぎる悲しみから生まれた」
「……」
「この世界最大の悲しみ。君のものだ、レザエル。君が僕を生み出し、そして……」
「ブラグドマイヤー」
「いいや、言わせてくれ。僕は心の飢えを満たすため、零の虚で全てを呑み尽くし、世界を滅ぼした。その世界で、君は死んだ」
リフィストールはレザエルを見た。すでに天輪聖紀の歴史の一部となっている運命大戦だが、当事者から聞くのは初めてだ。
「失われた世界線のことだ。そして我々の世界にはリィエル゠アモルタが生まれたのだ」
「聞いているよ。ドラコニスがこの幻真星戦の始まりに姿を消したと。もう一人のリィエル、オディウムも幻化が進んで眠りの時が多くなっている。ドラコニスの帰還には現実世界の僕も力を貸した。辛いだろうね」
レザエルは俯き、白く輝く床に片膝を突いた。ブラグドマイヤーの声には癒やし手として、相手に対する労りの気持ちがこめられており、それがいっそうレザエルの心を乱すのだ。
だが、ここで声を発したのはリフィストールだった。
「ブラグドマイヤー!そこまで知った上でなぜ幻世界と魔王竜に力を貸すのか」
「幻?違うよ、リフィストール。僕にとってはこっちこそが現実なんだ」
「現実世界に出現したこのドームが、おまえの世界だと?」
「その通りだ」
ブラグドマイヤー “幻影”が指差すと、白い壁が透けて、ドームの中の様々な光景が浮かび上がった。
「僕は病める者、傷ついた者、心憂う者すべてを拒まず、受け入れ、そして癒やしているんだ。ほらご覧、彼らの顔を。笑っているだろう。皆、健やかで、満ち足りて、幸せなんだ」
「……」
「いま一度問う。幻に属するのを止め、現実に戻るつもりは無いということか。ブラグドマイヤー」
リフィストールの問いは鋭かったが、肩をすくめたブラグドマイヤーの答えは穏やかだ。
そしてその答えは、彼の配下が言ったものと同じだった。
「戻る必要がないんだよ、幻真獣リフィストール。ここには癒やしと真の安らぎがあるから。これこそ僕が望むことだ。飢えではなく施しを。破壊ではなく癒やしを」
「医療は現実世界でもやっていただろう、ブラグドマイヤー」
「現実の僕は非力だ。病院でどんなに頑張っても、全ての病人、怪我人、心憂う人を癒すなんて不可能じゃないか。レザエル、君はこれを夢見て《在るべき未来》を願ったのだろう。僕がそれを叶えてあげるよ」
「!」
「言っただろう。覚えているんだ、現実世界、黒き悪魔だった僕や君たちのことも、全て」
「……。どうしても戦いは避けられないのか」
レザエルは意を決して立ち上がり、辛そうに聖剣を引き抜いた。
「それはこっちのセリフ。だけど、もっと簡単な解決法があるよ。君たち全員が幻を受け入れればいい」
「なんてことを」
リフィストールは首を振り、身構えた。
「そんなにいけない事か。現実を捨て、幻を現実とすることが。レザエル、よく考えてみろ」
ブラグドマイヤー “幻影”の口調が変わった。身体の周囲に幾つもの輝く円環が現れ、部屋の空気にも闘気が漂い始める。
「僕が欺していると思うのか。違う。これこそ偽りなく、君の望みが即座に全て叶う選択として勧めているのだ。病める者も傷つく者もいなくなり、大切と思うもの全てが手に入るぞ。君のリィエルも」
「やめろ!私のリィエルは死んだ!手は尽くしたが死んだのだ!もう戻らない、永遠に!」
レザエルは絶叫し、リフィストールはそっと彼に寄り添った。
そんな友の仕草と視線に、レザエルの心は一瞬で平静を取り戻した。
ヴェイズルーグは何と言っていたか。今こそそれを思い出す時だ。
「それが君の現実。君の限界だ、レザエル。救世の使い、悲しみの剣士、そして運命王」
レザエル側が戦闘態勢を整える中、ブラグドマイヤーはまだ大きく構えている。その振る舞いも物言いにも、ケテルサンクチュアリの名を冠するファントムガーディアンにふさわしい鷹揚さと威厳があった。
「まだ我ら幻影についてよく理解できていないようだね。この幻世界で変わるのは性格や姿だけではない。生と死さえ置き換わるのだよ。そして他の変化もある。例えば……」
ブラグドマイヤーが手を広げると、その背後の空間が歪み、大剣を携えた白銀の戦士が出現する。
「!?」
「彼を知らないだろうね。ここにいる中では僕だけが彼を知っている。現実世界では、スチームレイダー ザムーグという、ギアクロニクルの時空監視者だった」
ザムーグは体前に大剣を構え、主と赫月の光に剣礼をした。
「幻世界では、刻命の騎士 ザムーグ。僕の忠実なる護衛だ。ザムーグ、お客様をもてなしてくれ。君の剣の冴えを知れば、彼らの気持ちも動くかもしれない」
「はっ!ブラグドマイヤー様!」

Illust:タダ
現実vs幻影の戦いが始まった。
だが戦いといっても、当初は一方的なものだった。
ザムーグは幻影側の騎士として、新たに与えられた力に満ちていたが、現実世界から来た2人、特に真の覚醒を遂げた幻真獣リフィストールの敵ではなかった。
レザエルと剣を打ちあわせること二合。
間合いを取って飛び退った隙に、横合いから飛び込んできたリフィストールの体当たりを受け、騎士ザムーグは床に倒れた。
「無念。ブラグドマイヤー様、ご期待に沿えず」
「援護する間もなかった。こちらこそすまない、ザムーグ」
白き天使ブラグドマイヤーが、負傷した騎士に手をかざすとその姿を消した。レザエルたちの表情を見たブラグドマイヤーが事もなげに解説する。
「応急処置を施して回復室に送った。この零の陽では僕は全ての主なんだ。癒すことに関してできないことはない」
「それが幻に与する理由か、ブラグドマイヤー」
レザエルは聖剣を構えて問うた。
「答えは既に言った。僕は君の知るブラグドマイヤーではないんだ。この幻世界には現実とは別な人生があり、別な経験や関係がすでに確立しているのだよ」
「……」
リフィストールは密かに、レザエルに話しかけるブラグドマイヤーの後ろへと周り込みながら、こみあげた違和感にわずかに首を傾げた。
「そうだ、リフィストール。僕には見えている。背後もこの世界も、何もかもが」
レザエルとリフィストールは身を固くした。
「いまや僕ら幻世界は多数。君たちはごく少数だ。いずれ幻世界に惑星クレイは呑み込まれるだろう」
ブラグドマイヤーは振り向かず、背後のリフィストールに向け、身体にまとわりつく環の一つを投げつけた。幻真獣は辛うじて避ける。
「!」
「まだわからない?抵抗は無意味なんだよ、レザエル。リフィストール。このドームにいる限りは」
レザエルは構わず攻撃しようとして、一瞬、思いとどまった。
救済の零 ブラグドマイヤー “幻影”に力を与えているものは、かの魔王竜か、このたちこめる白い霧か。
(レザエル)
リフィストールも同じ考えに至ったようだ。
ブラグドマイヤーを挟み撃ちの態勢に追い込みながら、運命者と幻真獣は目を見交わした。
気合いと共に、突進するレザエル。
だがブラグドマイヤーは環を、今度は盾のように持ち替えて聖剣をいなすと、軽い一振りだけでレザエルに打ちつけ、それが凄まじい衝撃だった証拠に、レザエルは壁まで飛ばされて激突した。
「レザエル!」「立てる!構うな」
聖剣を杖にして立ち上がろうとしたレザエルを、再び複数の環が襲う。
すべての打撃をまともに受けたレザエルは、床に仰向けに倒れた。
「ぐぁっ!」
「レザエル!」
レザエルがかすむ目で見上げると、立ちはだかるブラグドマイヤーの背後、リフィストールが飛ぶその上空に病める赤い月、赫月光が見えた。
『赫月光。僕ら幻影の力の源にして、幻世界の象徴。そしてすべての幻存在が崇めるもの』
(やはり力源はこれか!)
奇跡再臨!
レザエルは渾身の力を振り絞って運命王の姿となった。全身の傷がみるみる治癒していく。
「リフィストール!赤き月の光を封じろ!」
先程の目配せとこの一言で戦友の意図を察したのは、さすが奇跡の幻真獣と呼ぶべきだろう。
天井高く飛んだリフィストールがその運命力の炎を開放し、降り注ぐ赤い月の光に陰りをかけた刹那、ブラグドマイヤーが動揺し、圧倒的だった力にこの一瞬だけ翳りが、そしてその構えにほんの僅かな隙が生まれたのをレザエルが見逃すはずがなかった。
立ち上がりざま一気に下から斬り上げ、ブラグドマイヤーの胴を薙ぎ払う。
「ぐっ!……赫月の光を遮った?さすがは奇跡の運命王と幻真獣……」
白きブラグドマイヤーはよろめきながら両手に環を構えて踏み留まり、聖剣を振りかぶったレザエルの追撃に備えた。
だが──
「ブラグドマイヤー!」
声は頭上から聞こえた。
「リフィストール?!」
『幻を見定め、真実を取り戻せ!』
奇跡の幻真獣の声が広間に轟いた。
そして、炎をまとったリフィストールが突進した勢いそのままに、救済の零ブラグドマイヤー “幻影”に突っ込み、膨大なエネルギー同士の衝突は爆発的な光と音を放った。
仕留めた確信をもったまま、リフィストールは残心の構えで床に静止していた。
「ブラグドマイヤー!」
糸が切れたように倒れこむ白い天使のブラグドマイヤーを支えたのは、飛び込んできたレザエルだ。
「レザエル……僕は……」
「何も話すな。いま治療する」
レザエルは手に神聖魔法の光を灯し、腹部の剣の傷と全身を灼いた運命力の炎のダメージを和らげようとする。
「……無駄だよ。幻としての僕はこれで消える」
「しっかりしろ!」
救済の零ブラグドマイヤー “幻影”は、レザエルを見つめて呟いた。
「レザエル。僕は癒やし、この世界を守りたかったんだ……」
「わかっている」
ブラグドマイヤーの姿が明滅する。それはかつてリィエル゠ドラコニスで見た光景だった。
身を震わせるレザエルは、抱えている相手の姿が零の運命者ブラグドマイヤーに戻っていることに気づいた。
「ブラグドマイヤー!」
「現実に戻った……何もかも束の間の夢、いや幻だったようだ」
「ブラグドマイヤー。私は……」
「聞いてくれ。もう時間がない。……レザエル。あれは本当のことだ」
「何がだ」
「赫月光が幻影のエネルギー源だ。赫き光を遮って動揺させるあのアイデアは良かった。屋内の戦いならば有効だろう……」
ブラグドマイヤー “幻影”は咳込んだ。
「心配ない。決着がつくまで敗者は眠らされる。死ぬわけでは……ない」
「ブラグドマイヤー!!」
「頼む。皆を、幻から現実に……」
レザエルの腕の中で意識を失った。それがオディウムと同じ性質の深い眠り(ただしこちらは決着が付くまで覚めることがない)であることは熟練の医師であるレザエルには判った。
……。
「レザエル。このドームは主がいなくなっただけで機能は存続している。他の護衛が駆けつけるまでに脱出せねば」
リフィストールは、俯くレザエルに声をかけた。
「幻存在となっている患者たちは、どうなると思う」
リフィストールは友の懸念に低く嘆息をついた。確かに現実を見つめそれを受け入れることは、時に辛いものだ。
「ファントムドームは白い霧が凝集したもの。その原因が何であれ、ギーゼ=エンド湾に聳えるあのミラージュタワーを攻略しない限り、消えることはないだろう。ここは依然、幻世界なのだ」
「ではこの戦いの意味とは何なのだ、リフィストール」
「“現実”側がひとつ駒を進めた。重要な第一歩だ」
リフィストールは力強く答えた。
「この幻世界は偉大な癒やし手を失い、現実へと戻った友は傷つき、眠っている。言い遺した通り、彼が望んでいたのは医者として病める者すべてを癒すことだった。それは私の理想でもあり、悪ではなく善なる行いだったはずだ。……これが勝利なのか。ブラグドマイヤー……」
レザエルの問いかけに、もうブラグドマイヤーが応えることはない。
「レザエル。病院から報せが入っている」
リフィストールは、背に取り付けていた水晶玉に耳を傾けながら告げた。
幻真獣は優れた兵士、つまりは極めて実務的だ。戦友レザエルをすみやかに現実に引き戻すことに躊躇はなかった。
「何か」
レザエルも友のそれを気遣いと知り、顔を引き締めた。確かに、感傷に浸るなど後にすべきことだ。
「雑音が多く、聴き取りづらいが……待て。ベルクレアからだ」
「ベルクレア?」
「帰還した後、ゼーリスのことで話がしたいと」
「ゼーリスだと?!」
驚愕するレザエルの声と表情に、リフィストールは無表情を保ちながらも、これはまた次の乗り越えるべき難題の始まりなのだと確信していた。

Illust:凪羊
──ミラージュタワー最上階。
ゴッ!
壁面に嵌められた巨大な石板から一つ、半球状の岩が剥がれ落ちた。
それはよく見ると、惑星クレイの全図のようでもあり、落ちたのは最も大きいものの一つだった。
室内は白い闇。ここではまるで時が止まったように全ての動きが死んでいる。
外はギーゼ=エンド湾に冬の嵐が吹き荒れている。
「……落ちたか。ケテルサンクチュアリのファントムガーディアンが」
玉座に座る魔王竜ガブエリウスは顔をあげると一言だけ発し、そしてまたその目を閉じた。
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《今回の一口用語メモ》
ファントムドームとファントムガーディアン
惑星クレイに増殖しているファントムドームは、白い霧が凝集して生じたもので、外見に多少の違いはあるものの、その内部には共通して、偽りの記憶を持った「幻存在」となった住人が住んでいる。
本編で明らかになったように、数多あるファントムドームの中でも、ファントムガーディアンがいるものは国の名前を冠するもので、飛び抜けて巨大かつ強力な幻化の力を持つものだ。
現在までに明らかになっている情報からすれば、これら「ファントムガーディアンが治めるファントムドーム」は、謎の塔ミラージュタワーに座し、惑星クレイすべてを幻化しようと目論む魔王竜ガブエリウス率いる幻影勢力の拠点であるようだ。
今回、奇跡の運命者レザエルらによって証明された通り、ファントムガーディアンは幻真獣によって倒されることで「現実」を取り戻し、深い眠りについて鎮静化する。
敗北した者が退場する様はまるで、異世界地球で行われている戦いの展開とリンクしているようであり、これこそ魔王竜ガブエリウスなる者が2つの世界で同時に起こした「幻真星戦」の構造、かつて聖竜だった彼が術式と呼んでいたものであるらしい。
『月は赫病み、災いの至るを告ぐ』。
かつて月の門番ヴェイズルーグが発した言葉の通り、ついに第1の月は(明らかに)赤く染まり、赫月病は惑星クレイを襲った。
この時に備え、月の門番はクレイの中でも選りすぐりの実力者に《月の試練》を課しており、その達成者は月の門に選ばれし者として、幻真獣が与えられた。
これが赫月病と幻影に対し、惑星クレイの“現実”側が頼りとする、唯一の対抗策となっている。
ただし、本編でもヴェイズルーグが述べている通り、いまクレイを侵している赫月病は、通常の赫月病とは現れ方が違っており、白い霧、幻化と幻存在、ミラージュタワー、そして幻世界の侵食という現象をすべて説明できるものではない。
幻真星戦の謎はまだ深く、真相は白い霧の中に隠れているようだ。
現実世界のキャビティ・マリジア、ホロウ・ラプター、ヴェイカント・ファングについては
→ユニットストーリー136 運命大戦第10話「 禁忌の運命者 ゾルガ・ネイダール II 《零の虚》」
を参照のこと。
零の虚と、レザエルがブラグドマイヤーをそこから惑星クレイ世界に連れ出した経緯については
→ユニットストーリー140 運命大戦第14話「零の運命者 ブラグドマイヤー」
ユニットストーリー141 運命大戦第15話「奇跡の運命者 レザエル III《零の虚》」を参照のこと。
リィエル記念病院におけるブラグドマイヤーについては
→ユニットストーリー176 朔月篇第1話「奇跡の運命者 レザエル VI」
ユニットストーリー187 朔月篇第12話「零から歩む者 ブラグドマイヤー・ネクサス」
ユニットストーリー200 赫月篇第1話「奇跡の運命者 レザエル VIII」
ユニットストーリー211 赫月篇第10話「聖なる時の運命者 リィエル゠ドラコニス II」
を参照のこと。
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天輪聖紀となって神格の加護が回復した今も、この地域の冬の景色には寂寥感が強く漂っている。
低く垂れこめる陰鬱な曇天の下、人々の列は北方へと長く続いていた。
目指すはファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』。
白き翼の天使の元に向かうのは傷ついた人、病める人、そして心憂う人である。
やがて、あたり一面に広がる白い霧が凝縮したような白い天蓋、ファントムドームが迫ってきた時、並んで飛ぶ2人の耳に呼びかける声が届いた。
「そのまま真っ直ぐにお進みください。恐れる必要はありません。奇跡の運命者レザエル、奇跡の幻真獣リフィストール」
2人は目も合わせずに飛行を続け、声の指示通り、一見硬質なものの様にも見えるファントムドームの表面にスピードを緩めることなく突き当たり、そして何の抵抗もなく擦り抜けた。
外から見た輝ける姿と違い、その内側には、かつてソエルが遭遇し、今や惑星クレイ世界全体を覆い尽くそうとしている《白い霧》が濃密にたちこめている。
「驚いてはいないようですね、お二人とも」
内側に入るなり、滑り込むように編隊に加わった天使が笑顔を向けた。
「僕は、快哉の兆し キャビティ・マリジア。幻影の一員です」
「霧の合間に長い列が見えた。あれは何を待っているのか」
とレザエル。その表情はいま敵地の只中にいる緊張感に満ちている。
「主の診察を待っているのです。皆が癒やし手の力を求め、このファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』では一人の例外もなくそれが叶えられる。これこそ理想の病院です」
前方を指差した天使の少年が、並んで飛ぶ奇跡の運命者レザエル、奇跡の幻真獣リフィストールに一点の曇りもない笑顔で説明した。
快哉の兆し キャビティ・マリジア。
レザエルは、穏やかに微笑みかけるこの天使の少年が、現実世界でどんな存在だったのかを知っていた。
小柄で害意に満ちた悪魔。
彼が飛び回っていたのは癒やしの光の中ではなく、すべてを吸い寄せ零へと還す破壊の渦だったはずだ。

Illust:Moopic
「彼らは皆、幻化した者なのか」とレザエル。
「幻世界について、もうかなりご存じのようですね。ええ。ファントムドーム内の住人は皆そうなるのです」
「皆と言うが、我らには何の変化もない。これは何故か?」
レザエルは鋭い口調で問いただし、リフィストールは表情を硬くした。
それを見たキャビティ・マリジアは笑顔のまま、答える。
「そう。奇跡の幻真獣リフィストールは理解しているはず。現実世界からファントムドームに入った者は“幻存在”に変質するのです。その現れは様々ですが、何かしらの変化は拒めない。あなた達を除いて。さすがは幻真獣と、月の門に選ばれし者」
「……」
レザエルとリフィストールは目線を合わせた。“幻存在”の元悪魔、現天使のキャビティ・マリジアの言うことはヴェイズルーグの解説を裏付けている。
「お会いできて光栄ですよ、“救世の使い”レザエル。私もあなたのような姿になれた。零の虚の巡回者だった僕が。この幻世界とファントムガーディアン様のおかげでね」
「君には現実世界の記憶が?」
「ありません」天使は肩をすくめ、続けた。
「幻化してなお現実世界の記憶を持てるのはファントムガーディアンのみ。我が主は、私たち近くに仕える者たちに“真実”を教えられ、そして備えるように命じられたのです。“現実”世界から訪れるお二人にね」
ファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』の中を飛ぶ一行は、まっすぐに光の中心に向かってゆく。
「……では会わせてくれるのだな、ブラグドマイヤーに」
レザエルが重い口を開いた。対するキャビティ・マリジアの返答は明快だった。
「勿論です。今日のご到着を予期し、待ちかねていたのですよ。我らがファントムガーディアン、救済の零ブラグドマイヤー “幻影”様は」
白い霧ごしに見えるレザエルの背が一瞬固くなったのを、並んで飛ぶリフィストールは見逃さなかった。
月の門番ヴェイズルーグにあらかじめ教えられ、そして快哉の兆し キャビティ・マリジアと話してもなお、2人には共通の疑問が残っていた。
幻存在とは何か?
ファントムドームとは?
ファントムガーディアンとは?
そして、救済の零ブラグドマイヤー “幻影”とは果たして彼らが知る、あの零の運命者ブラグドマイヤー本人なのか?

ファントムドーム『ケテルサンクチュアリ』。
地上の都セイクリッド・アルビオンの北西、本来であれば果樹園とまばらな人家だけが広がる風景、たちこめる白い霧の中に、突如出現した輝く半球状のドームである。
濃い霧に慣れてくるとその内部には、曇天で凍える寒さの外とは反対に、白い光と清浄な空気に満ち、あちこちに湧く豊かな泉では人も獣も種族関係なく、傷ついた者、病める者、憂いに沈む者が互いに譲り合いながら、温かい湯に身を沈め心身を癒やしているのが眺められた。
“白き癒やし手”の評判を聞き、傷ついた者が続々と集まっているのだ。
「ここには癒やしと真の安らぎがある」
そう解説する大悦の翼 ホロウ・ラプターは、足元にひれ伏す人々に頷きながら、一同の先頭を飛んでいた。
銀の甲冑に身を包んだ鳥型ハイビーストである彼はこのファントムドームの番兵。巡回者キャビティ・マリジアから交代した先導役である。
「だがそれは全て幻だ。現実ではない」とレザエル。
「幻こそ現実だ。見よ」
ホロウ・ラプターは顎で地上を示した。

Illust:北熊

Illust:ゆずしお
四足獣型ハイビースト、欣然の牙 ヴェイカント・ファングが泉まで降りていき子供たちと戯れ、老人や病人を支えている。ファントムドームの番兵である彼も、癒やし手の一員なのだ。
「厳格で知られる我ら警護のリーダー、ヴェイカント・ファングも幻影としては、弱きをいたわる癒やし手だ。我らはこの暮らしを愛している」
「……」
かつて獰猛で知られた元悪魔やハイビーストたちの振る舞いや言葉にも、この療養地に詰めかける病める人々にも、強制や欺瞞、偽りの気配は一切ない。
レザエルはこのケテルサンクチュアリ行に先立って、月の門番ヴェイズルーグから贈られた言葉を思い出していた。
──リィエル記念病院屋上スカイポート。
「今回、ファントムガーディアンと見える君たちに、忠告させてほしい」
ヴェイズルーグは今旅立たんとするレザエル、リフィストールを見渡した。
「我は、伝えられる限り全てを教えた。運命者であるレザエル、幻真獣であるリフィストールに何の不安もない。存分に戦ってほしい」
頷く2人にヴェイズルーグは続ける。
「だがもう身に染みてわかったと思うが、幻影側が持つ幻化の影響力はきわめて強い。それは現実を忘れ、記憶を惑わせ、存在を変質させ、幻世界に取り込む力なのだ」
レザエルは少し俯いた。
そう。彼自身もブラグドマイヤー失踪の記憶を“忘れて”しまっていたのだ。
「あの白い霧は、濃度の高低はあるものの、いまや惑星クレイすべてを覆いつつある。それは星ひとつを幻化しようとする勢力、または何者かの意志の現れだろう」
「それがあの魔王竜ガブエリウスの仕業だと?」
おそらく。ヴェイズルーグは頷いた。
「だが知っての通り、赫月病を長く見てきた我にとっても、この度の赫月病には謎が多い。そこで今、贈りたい言葉となる」
「我らにお授けいただくそのご忠告とは?ヴェイズルーグ様」
リフィストールは恭しく頭を垂れた。月の門の守護者であるヴェイズルーグは、リフィストールら幻真獣にとっては唯一無二の指導者というべき存在なのだ。
「うむ。むしろ願いというべきかもしれぬ。知っての通り、幻化の力に対抗できるのは幻真獣と月の門に選ばれし者のみ。他は──例えば宿命者であるリィエル゠オディウムでさえも──その影響から逃れられない。だが我は、それだけでケテルサンクチュアリのファントムガーディアンに、君とリフィストールを差し向けると決めたわけではない」
「それは、私と彼との縁だな」とレザエル。
然り。月の門番は続けた。
「ファントムドームとはあの白い霧が集まり、幻の世界を構築するためのものだと推測される。特に君たちが向かう『ケテルサンクチュアリ』はその名の通り、各国家における幻影側の本拠だろう」
「そこで待っているのがブラグドマイヤー」レザエルが呟いた。
「幻化したブラグドマイヤーだ。故に、忠告としては『どんな現実を突きつけられたとしても、幻に惑わされるな』。これに尽きる」
「感謝する。ヴェイズルーグ」
レザエルは月の門番の手を取った。
レザエルにとっても、今回の対決には期するものがあり、ヴェイズルーグの言葉は強くその背を押すものだった。
「では行くがいい。奇跡の運命者、奇跡の幻真獣。我は、良き報せをここで待とう」

Illust:北熊
飛行するレザエルとリフィストールの視界を、突如として光が覆った。
目を開けると、付き添ってきた大悦の翼 ホロウ・ラプターの姿は消えていた。
周囲は全き白。おそろしく広い円筒状の部屋のようで床も壁もない。
ただ、天井にあたる部分、頭上だけが外の景色を写していて、遠景に浮遊都市ケテルギアを望むその空には……
赤く染まった月が浮かんでいた。
「赫月光。僕ら幻影の力の源にして、幻世界の象徴。すべての幻存在が崇めるもの。そしてここは僕の診察室。癒やしの力の核心だ。零の陽とでも呼んでもらおうかな」
声は一同の背後から聞こえた。
振り向くと、赫い月の光の下、眩しく輝く白き天使の姿が浮かんでいた。
「やぁ、レザエル。リフィストール。君たちを待っていたよ」
身構える2人に、天使は悠然と名乗りをあげた。
「ファントムドームへようこそ。僕は、救済の零 ブラグドマイヤー “幻影”」

Illust:DaisukeIzuka
「ブラグドマイヤー」
レザエルは呟いた。あらためて思い返すまでもなく、運命大戦は、零の運命者ブラグドマイヤーと戦い、彼をこの世界に連れ出すことで終結した。もっとも縁が深い関係だ。
「ブラグドマイヤー」
リフィストールは呟いた。ブラグドマイヤーとは知り合って間もないが、それでも彼に起きたこの“幻化”、その変化が見かけ以上に本質的かつ劇的なものであることに、驚きを禁じ得ない。
「驚いた?でも僕は僕、正真正銘ブラグドマイヤーだよ」
声を失った一同に、救済の零を名乗る天使は続けた。
「僕はこの幻世界のケテルサンクチュアリでは、諸人の喜びが集まる湖の表面から誕生したんだ」
「それは幻で、現実ではない。ブラグドマイヤー」
「そうだ。現実世界の僕は、世界の悲しみが降り注ぐ沼。その底にあった大きすぎる悲しみから生まれた」
「……」
「この世界最大の悲しみ。君のものだ、レザエル。君が僕を生み出し、そして……」
「ブラグドマイヤー」
「いいや、言わせてくれ。僕は心の飢えを満たすため、零の虚で全てを呑み尽くし、世界を滅ぼした。その世界で、君は死んだ」
リフィストールはレザエルを見た。すでに天輪聖紀の歴史の一部となっている運命大戦だが、当事者から聞くのは初めてだ。
「失われた世界線のことだ。そして我々の世界にはリィエル゠アモルタが生まれたのだ」
「聞いているよ。ドラコニスがこの幻真星戦の始まりに姿を消したと。もう一人のリィエル、オディウムも幻化が進んで眠りの時が多くなっている。ドラコニスの帰還には現実世界の僕も力を貸した。辛いだろうね」
レザエルは俯き、白く輝く床に片膝を突いた。ブラグドマイヤーの声には癒やし手として、相手に対する労りの気持ちがこめられており、それがいっそうレザエルの心を乱すのだ。
だが、ここで声を発したのはリフィストールだった。
「ブラグドマイヤー!そこまで知った上でなぜ幻世界と魔王竜に力を貸すのか」
「幻?違うよ、リフィストール。僕にとってはこっちこそが現実なんだ」
「現実世界に出現したこのドームが、おまえの世界だと?」
「その通りだ」
ブラグドマイヤー “幻影”が指差すと、白い壁が透けて、ドームの中の様々な光景が浮かび上がった。
「僕は病める者、傷ついた者、心憂う者すべてを拒まず、受け入れ、そして癒やしているんだ。ほらご覧、彼らの顔を。笑っているだろう。皆、健やかで、満ち足りて、幸せなんだ」
「……」
「いま一度問う。幻に属するのを止め、現実に戻るつもりは無いということか。ブラグドマイヤー」
リフィストールの問いは鋭かったが、肩をすくめたブラグドマイヤーの答えは穏やかだ。
そしてその答えは、彼の配下が言ったものと同じだった。
「戻る必要がないんだよ、幻真獣リフィストール。ここには癒やしと真の安らぎがあるから。これこそ僕が望むことだ。飢えではなく施しを。破壊ではなく癒やしを」
「医療は現実世界でもやっていただろう、ブラグドマイヤー」
「現実の僕は非力だ。病院でどんなに頑張っても、全ての病人、怪我人、心憂う人を癒すなんて不可能じゃないか。レザエル、君はこれを夢見て《在るべき未来》を願ったのだろう。僕がそれを叶えてあげるよ」
「!」
「言っただろう。覚えているんだ、現実世界、黒き悪魔だった僕や君たちのことも、全て」
「……。どうしても戦いは避けられないのか」
レザエルは意を決して立ち上がり、辛そうに聖剣を引き抜いた。
「それはこっちのセリフ。だけど、もっと簡単な解決法があるよ。君たち全員が幻を受け入れればいい」
「なんてことを」
リフィストールは首を振り、身構えた。
「そんなにいけない事か。現実を捨て、幻を現実とすることが。レザエル、よく考えてみろ」
ブラグドマイヤー “幻影”の口調が変わった。身体の周囲に幾つもの輝く円環が現れ、部屋の空気にも闘気が漂い始める。
「僕が欺していると思うのか。違う。これこそ偽りなく、君の望みが即座に全て叶う選択として勧めているのだ。病める者も傷つく者もいなくなり、大切と思うもの全てが手に入るぞ。君のリィエルも」
「やめろ!私のリィエルは死んだ!手は尽くしたが死んだのだ!もう戻らない、永遠に!」
レザエルは絶叫し、リフィストールはそっと彼に寄り添った。
そんな友の仕草と視線に、レザエルの心は一瞬で平静を取り戻した。
ヴェイズルーグは何と言っていたか。今こそそれを思い出す時だ。
「それが君の現実。君の限界だ、レザエル。救世の使い、悲しみの剣士、そして運命王」
レザエル側が戦闘態勢を整える中、ブラグドマイヤーはまだ大きく構えている。その振る舞いも物言いにも、ケテルサンクチュアリの名を冠するファントムガーディアンにふさわしい鷹揚さと威厳があった。
「まだ我ら幻影についてよく理解できていないようだね。この幻世界で変わるのは性格や姿だけではない。生と死さえ置き換わるのだよ。そして他の変化もある。例えば……」
ブラグドマイヤーが手を広げると、その背後の空間が歪み、大剣を携えた白銀の戦士が出現する。
「!?」
「彼を知らないだろうね。ここにいる中では僕だけが彼を知っている。現実世界では、スチームレイダー ザムーグという、ギアクロニクルの時空監視者だった」
ザムーグは体前に大剣を構え、主と赫月の光に剣礼をした。
「幻世界では、刻命の騎士 ザムーグ。僕の忠実なる護衛だ。ザムーグ、お客様をもてなしてくれ。君の剣の冴えを知れば、彼らの気持ちも動くかもしれない」
「はっ!ブラグドマイヤー様!」

Illust:タダ
現実vs幻影の戦いが始まった。
だが戦いといっても、当初は一方的なものだった。
ザムーグは幻影側の騎士として、新たに与えられた力に満ちていたが、現実世界から来た2人、特に真の覚醒を遂げた幻真獣リフィストールの敵ではなかった。
レザエルと剣を打ちあわせること二合。
間合いを取って飛び退った隙に、横合いから飛び込んできたリフィストールの体当たりを受け、騎士ザムーグは床に倒れた。
「無念。ブラグドマイヤー様、ご期待に沿えず」
「援護する間もなかった。こちらこそすまない、ザムーグ」
白き天使ブラグドマイヤーが、負傷した騎士に手をかざすとその姿を消した。レザエルたちの表情を見たブラグドマイヤーが事もなげに解説する。
「応急処置を施して回復室に送った。この零の陽では僕は全ての主なんだ。癒すことに関してできないことはない」
「それが幻に与する理由か、ブラグドマイヤー」
レザエルは聖剣を構えて問うた。
「答えは既に言った。僕は君の知るブラグドマイヤーではないんだ。この幻世界には現実とは別な人生があり、別な経験や関係がすでに確立しているのだよ」
「……」
リフィストールは密かに、レザエルに話しかけるブラグドマイヤーの後ろへと周り込みながら、こみあげた違和感にわずかに首を傾げた。
「そうだ、リフィストール。僕には見えている。背後もこの世界も、何もかもが」
レザエルとリフィストールは身を固くした。
「いまや僕ら幻世界は多数。君たちはごく少数だ。いずれ幻世界に惑星クレイは呑み込まれるだろう」
ブラグドマイヤーは振り向かず、背後のリフィストールに向け、身体にまとわりつく環の一つを投げつけた。幻真獣は辛うじて避ける。
「!」
「まだわからない?抵抗は無意味なんだよ、レザエル。リフィストール。このドームにいる限りは」
レザエルは構わず攻撃しようとして、一瞬、思いとどまった。
救済の零 ブラグドマイヤー “幻影”に力を与えているものは、かの魔王竜か、このたちこめる白い霧か。
(レザエル)
リフィストールも同じ考えに至ったようだ。
ブラグドマイヤーを挟み撃ちの態勢に追い込みながら、運命者と幻真獣は目を見交わした。
気合いと共に、突進するレザエル。
だがブラグドマイヤーは環を、今度は盾のように持ち替えて聖剣をいなすと、軽い一振りだけでレザエルに打ちつけ、それが凄まじい衝撃だった証拠に、レザエルは壁まで飛ばされて激突した。
「レザエル!」「立てる!構うな」
聖剣を杖にして立ち上がろうとしたレザエルを、再び複数の環が襲う。
すべての打撃をまともに受けたレザエルは、床に仰向けに倒れた。
「ぐぁっ!」
「レザエル!」
レザエルがかすむ目で見上げると、立ちはだかるブラグドマイヤーの背後、リフィストールが飛ぶその上空に病める赤い月、赫月光が見えた。
『赫月光。僕ら幻影の力の源にして、幻世界の象徴。そしてすべての幻存在が崇めるもの』
(やはり力源はこれか!)
奇跡再臨!
レザエルは渾身の力を振り絞って運命王の姿となった。全身の傷がみるみる治癒していく。
「リフィストール!赤き月の光を封じろ!」
先程の目配せとこの一言で戦友の意図を察したのは、さすが奇跡の幻真獣と呼ぶべきだろう。
天井高く飛んだリフィストールがその運命力の炎を開放し、降り注ぐ赤い月の光に陰りをかけた刹那、ブラグドマイヤーが動揺し、圧倒的だった力にこの一瞬だけ翳りが、そしてその構えにほんの僅かな隙が生まれたのをレザエルが見逃すはずがなかった。
立ち上がりざま一気に下から斬り上げ、ブラグドマイヤーの胴を薙ぎ払う。
「ぐっ!……赫月の光を遮った?さすがは奇跡の運命王と幻真獣……」
白きブラグドマイヤーはよろめきながら両手に環を構えて踏み留まり、聖剣を振りかぶったレザエルの追撃に備えた。
だが──
「ブラグドマイヤー!」
声は頭上から聞こえた。
「リフィストール?!」
『幻を見定め、真実を取り戻せ!』
奇跡の幻真獣の声が広間に轟いた。
そして、炎をまとったリフィストールが突進した勢いそのままに、救済の零ブラグドマイヤー “幻影”に突っ込み、膨大なエネルギー同士の衝突は爆発的な光と音を放った。
仕留めた確信をもったまま、リフィストールは残心の構えで床に静止していた。
「ブラグドマイヤー!」
糸が切れたように倒れこむ白い天使のブラグドマイヤーを支えたのは、飛び込んできたレザエルだ。
「レザエル……僕は……」
「何も話すな。いま治療する」
レザエルは手に神聖魔法の光を灯し、腹部の剣の傷と全身を灼いた運命力の炎のダメージを和らげようとする。
「……無駄だよ。幻としての僕はこれで消える」
「しっかりしろ!」
救済の零ブラグドマイヤー “幻影”は、レザエルを見つめて呟いた。
「レザエル。僕は癒やし、この世界を守りたかったんだ……」
「わかっている」
ブラグドマイヤーの姿が明滅する。それはかつてリィエル゠ドラコニスで見た光景だった。
身を震わせるレザエルは、抱えている相手の姿が零の運命者ブラグドマイヤーに戻っていることに気づいた。
「ブラグドマイヤー!」
「現実に戻った……何もかも束の間の夢、いや幻だったようだ」
「ブラグドマイヤー。私は……」
「聞いてくれ。もう時間がない。……レザエル。あれは本当のことだ」
「何がだ」
「赫月光が幻影のエネルギー源だ。赫き光を遮って動揺させるあのアイデアは良かった。屋内の戦いならば有効だろう……」
ブラグドマイヤー “幻影”は咳込んだ。
「心配ない。決着がつくまで敗者は眠らされる。死ぬわけでは……ない」
「ブラグドマイヤー!!」
「頼む。皆を、幻から現実に……」
レザエルの腕の中で意識を失った。それがオディウムと同じ性質の深い眠り(ただしこちらは決着が付くまで覚めることがない)であることは熟練の医師であるレザエルには判った。
……。
「レザエル。このドームは主がいなくなっただけで機能は存続している。他の護衛が駆けつけるまでに脱出せねば」
リフィストールは、俯くレザエルに声をかけた。
「幻存在となっている患者たちは、どうなると思う」
リフィストールは友の懸念に低く嘆息をついた。確かに現実を見つめそれを受け入れることは、時に辛いものだ。
「ファントムドームは白い霧が凝集したもの。その原因が何であれ、ギーゼ=エンド湾に聳えるあのミラージュタワーを攻略しない限り、消えることはないだろう。ここは依然、幻世界なのだ」
「ではこの戦いの意味とは何なのだ、リフィストール」
「“現実”側がひとつ駒を進めた。重要な第一歩だ」
リフィストールは力強く答えた。
「この幻世界は偉大な癒やし手を失い、現実へと戻った友は傷つき、眠っている。言い遺した通り、彼が望んでいたのは医者として病める者すべてを癒すことだった。それは私の理想でもあり、悪ではなく善なる行いだったはずだ。……これが勝利なのか。ブラグドマイヤー……」
レザエルの問いかけに、もうブラグドマイヤーが応えることはない。
「レザエル。病院から報せが入っている」
リフィストールは、背に取り付けていた水晶玉に耳を傾けながら告げた。
幻真獣は優れた兵士、つまりは極めて実務的だ。戦友レザエルをすみやかに現実に引き戻すことに躊躇はなかった。
「何か」
レザエルも友のそれを気遣いと知り、顔を引き締めた。確かに、感傷に浸るなど後にすべきことだ。
「雑音が多く、聴き取りづらいが……待て。ベルクレアからだ」
「ベルクレア?」
「帰還した後、ゼーリスのことで話がしたいと」
「ゼーリスだと?!」
驚愕するレザエルの声と表情に、リフィストールは無表情を保ちながらも、これはまた次の乗り越えるべき難題の始まりなのだと確信していた。

Illust:凪羊
──ミラージュタワー最上階。
ゴッ!
壁面に嵌められた巨大な石板から一つ、半球状の岩が剥がれ落ちた。
それはよく見ると、惑星クレイの全図のようでもあり、落ちたのは最も大きいものの一つだった。
室内は白い闇。ここではまるで時が止まったように全ての動きが死んでいる。
外はギーゼ=エンド湾に冬の嵐が吹き荒れている。
「……落ちたか。ケテルサンクチュアリのファントムガーディアンが」
玉座に座る魔王竜ガブエリウスは顔をあげると一言だけ発し、そしてまたその目を閉じた。
了
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《今回の一口用語メモ》
ファントムドームとファントムガーディアン
惑星クレイに増殖しているファントムドームは、白い霧が凝集して生じたもので、外見に多少の違いはあるものの、その内部には共通して、偽りの記憶を持った「幻存在」となった住人が住んでいる。
本編で明らかになったように、数多あるファントムドームの中でも、ファントムガーディアンがいるものは国の名前を冠するもので、飛び抜けて巨大かつ強力な幻化の力を持つものだ。
現在までに明らかになっている情報からすれば、これら「ファントムガーディアンが治めるファントムドーム」は、謎の塔ミラージュタワーに座し、惑星クレイすべてを幻化しようと目論む魔王竜ガブエリウス率いる幻影勢力の拠点であるようだ。
今回、奇跡の運命者レザエルらによって証明された通り、ファントムガーディアンは幻真獣によって倒されることで「現実」を取り戻し、深い眠りについて鎮静化する。
敗北した者が退場する様はまるで、異世界地球で行われている戦いの展開とリンクしているようであり、これこそ魔王竜ガブエリウスなる者が2つの世界で同時に起こした「幻真星戦」の構造、かつて聖竜だった彼が術式と呼んでいたものであるらしい。
『月は赫病み、災いの至るを告ぐ』。
かつて月の門番ヴェイズルーグが発した言葉の通り、ついに第1の月は(明らかに)赤く染まり、赫月病は惑星クレイを襲った。
この時に備え、月の門番はクレイの中でも選りすぐりの実力者に《月の試練》を課しており、その達成者は月の門に選ばれし者として、幻真獣が与えられた。
これが赫月病と幻影に対し、惑星クレイの“現実”側が頼りとする、唯一の対抗策となっている。
ただし、本編でもヴェイズルーグが述べている通り、いまクレイを侵している赫月病は、通常の赫月病とは現れ方が違っており、白い霧、幻化と幻存在、ミラージュタワー、そして幻世界の侵食という現象をすべて説明できるものではない。
幻真星戦の謎はまだ深く、真相は白い霧の中に隠れているようだ。
現実世界のキャビティ・マリジア、ホロウ・ラプター、ヴェイカント・ファングについては
→ユニットストーリー136 運命大戦第10話「 禁忌の運命者 ゾルガ・ネイダール II 《零の虚》」
を参照のこと。
零の虚と、レザエルがブラグドマイヤーをそこから惑星クレイ世界に連れ出した経緯については
→ユニットストーリー140 運命大戦第14話「零の運命者 ブラグドマイヤー」
ユニットストーリー141 運命大戦第15話「奇跡の運命者 レザエル III《零の虚》」を参照のこと。
リィエル記念病院におけるブラグドマイヤーについては
→ユニットストーリー176 朔月篇第1話「奇跡の運命者 レザエル VI」
ユニットストーリー187 朔月篇第12話「零から歩む者 ブラグドマイヤー・ネクサス」
ユニットストーリー200 赫月篇第1話「奇跡の運命者 レザエル VIII」
ユニットストーリー211 赫月篇第10話「聖なる時の運命者 リィエル゠ドラコニス II」
を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡