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小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第1章 誰が為の英雄

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第1章 9話 清廉なる騎士

「——さて」

 エバは煌結晶(ファイア・レガリス)を月明りに透かす。深い緑の石は、その奥に炎めいた灯を宿し、仄かに、明確な生命の力強さで揺らめいた。

「実験を始めたいところですが……っと、ほほーう、ちょうどいい実験体(マウス)が来ちゃいましたね」

 そこには「何者だ!」「抵抗せず地面に手をつけ!」と叫びながら寄ってくる近衛兵たちの姿がある。ニヒッと笑った。

「——えーいっ!」

 エバは煌結晶(ファイア・レガリス)を掲げた。やっておしまい煌結晶(ファイア・レガリス)、というわけだ。
 突然の挙動に、衛兵たちがビクリと竦んだ。
——が、何も起こらない。

「えいえいっ!」

 エバは掲げた煌結晶(ファイア・レガリス)ぶんぶん、と振った。
 それでも何も起こらない。

「あれー? 不良品ですか? 返品可能ですが?」
 
 コンコン、叩いても回しても、もちろん動かない。
 その間にも近衛兵たちはエバたちに近づき、捕縛の銃剣を向けた。

「……——」

 オブスクデイトは羽虫でも払うように剣を振るい、その強大な風圧によって近衛兵たちは吹き飛んだ。世界樹の幹に叩きつけられた兵たちはずるずると崩れ落ち、気絶したのか動かなくなる。
 エバはその一幕に顔もあげず、煌結晶(ファイア・レガリス)を覗き込んで唸っている。
 
「壊れているわけではない、とすると……使うための条件があるということですよね。うぅん……」

 エバは目を瞑り、記憶の糸を手繰るように虚空に手を伸ばると、やわらかに揺らめかした。

「ケテルサンクチュアリの事例では山岳部だったから、環境の問題を排除はできない。もしくは使用者……私に問題がある? 性別、身長、種族、魔力量に発動条件が……あぁ!」

 やがて目を爛と見開き、悪戯を思いついた子どものように手を打った。

    *

 夜が深まる頃になっても市街には地震の被害が残っていた。聖域を守る近衛や、ケテルサンクチュアリから派遣された一隊はその復旧のため努めている。
 その中、土埃のあがる現場にそぐわないピンクとイエローがあった。

「もう帰りたい~」

 瓦礫に座り込んで弱音を吐いたのは、口をへの字にひん曲げたメープルだった。
 やがてきょろきょろと周りを見渡して、騎士たちがそれぞれの務めに全力を注ぎ、彼女のことなど気に留めていないことを確認した。

「メープル様は大悪党になるんだから、人助けなんてしなくていいんだ」

 立派に胸を張り、ごくごく小声で言い放つと、騎士達に背を向け駆けだした。
 と、その頭上に降ってきたのは、拳骨である。

「メープル!」
「——いったぁ!」

 拳骨の主は、部隊の副団長・ライネットだった。
 種族は人間(ヒューマン)、きっちりと中心で分けた黒髪に細い銀縁の眼鏡という出で立ちは文官風だが、切れ長の瞳からその実力が垣間見える。
 男は眼鏡を生真面目に押し上げ、悶絶するメープルを見下ろした。

「どこへ行く。テグリア様からの命はタックローズ・ストリートの人命救助、その後の家屋倒壊阻止だ。持ち場に戻れ」
「アタシは悪党だぞ! それは脳筋の騎士共だけてやっていればいいんだ!」
「ふん、助けを求める人々を救えなくて何が悪党だ」
「うぐ……」

 メープルは呻いて言い訳を探していたが、ぷいっとそっぽを向いた。本人に自覚はないが口喧嘩が弱く、丸めこまれやすい性質だった。

「もういい、アタシはテグリアのところに行く!」
「テグリア様はお忙しい。あの人の手を無駄煩わせることは俺が許さん。お前は膂力に劣るが、それは我々の本領だ。高所への機動力と瞬時の判断力に優れている点、テグリア様も俺も高く評価している。為すべきことを為せ」
「うぐ……」

 真正面から褒められたメープルは三つ四つ地団太を踏み(「地団太を踏む人間を久方ぶりに見たな」とライネットが感嘆の声を漏らした)人さし指で男の頭を差す。

「バーカバーカ、この石頭ハゲ!」
「ハゲてはいない! 万が一薄毛であったとしても、俺の騎士としての価値は変わらないだろう!」
「ハーゲ!」
「ハゲてはいない! このふわふわ!」
「ふわふわって言うな! すっごく恐ろしいって言え!」

 と、二人が低レベルな言い争いを続けていると、そこにおっとりとした声がかかった。

「二人とも、楽しそうですね。」

 現れたテグリアは土埃まみれの騎士たちとは違い、白く輝くようである。

「テグリア! こいつがアタシに口答えするんだ!」
「あらあら」

 受け流しつつ、テグリアは復旧中の現場を見渡した。

「予定より進行が悪いようですね。このストリートは終わった頃かと、指示を出しにきたのですが……増援が必要ですか、メープル。あなたの細腕には過ぎた指示でしたね」
「そ、そんなことはない! 見てろ、ちょちょいのちょい、すぐだ!」
「頼もしい! それでは朝までにロシュア・ストリートもお願いできますね。彼らの暮らしを守りたいのです」
「も、もちろん! まっかせておけ!」

 流石テグリア様、小悪党風情を御することなど赤子の手を捻るよう! とライネットが大仰な仕草で讃えている。
 するとそのときだ。

「テグリア様!」

 息も絶え絶えに駆けつけたのは、聖域に努める近衛の一人である。

「どうしましたか」
「世界樹の間に不審者四名が侵入、うち一人と戦闘が発生し、聖域兵の被害は九。兵力に差があり、逃走を食い止めることが出来ません」
「わかりました、私が向かいます。その者の特徴を」
「はい、それが——」

 なんだなんだ、喧嘩か? 喧嘩ならアタシも混ぜろ!
 そう口を挟まんとテグリアの周りをぶんぶん飛んでいたメープルは、間もなく事態の重大さを知ることになる。
 近衛の報告と共に、テグリアの顔から『ロイヤルパラディン第二騎士団長』としての威厳や慈悲がごっそりと抜け落ち——やがてその瞳に満ちたのは、透き通るほど純粋な憎悪の火だ。
 あぁ、時が来たのだ——メープルはすべてを理解した。

     *

 一年前。

 ——どいつもこいつも、あんぽんたんばっかりだ!

 少女はとても怒っていた。
 彼女の名前はメープル、インセクトの少女だ。
 その容貌は実に愛らしく、イエローとピンクのふわふわとした身体は見るものをほっこりさせる。
 くるくると変わる表情は蛾(モス)というよりもまるで猫のようで、口から覗く八重歯がその印象をさらに強めていた。
 そんな彼女が怒っている。ぷんぷんである。そして怒りのままにストイケイアの森をずんずんと歩く。あたりに人気はなく、昼下がりの真っ白な光が木漏れ日となって降り注いでいる。
 彼女の怒りというのはこうだ。
 彼女の種族であるインセクトは、かつてメガコロニーと呼ばれる悪の秘密結社として、世界を震え上がらせていた。女王を戴き、部下として数多の怪人たちを戦闘員として抱えていた。最強で無敵で恐怖に満ちた軍団がかつては隆盛を誇っていたのだ。
 しかし三千年の時を経た今は、その規模を縮小させ、市井におりてチマチマと日銭を稼ぐ者まで現れる始末。最強の種族・インセクトとしての誇りはどこにいったのだ!
 そこで彼女はこう考えた。悪名を今に響かせる『グレドーラ』のように、彼女が次なる王様となればいい。それも、歴史上かつてなかったほど最強でめちゃめちゃ物凄く強い王様に!
 怒りと大志を抱いて、彼女が降り立ったのは『ケテルサンクチュアリ』だった。
 ストイケイアからずいぶんと距離のある神聖国家を目的地としたのは、こんなやり取りがあったからだ。

『惑星クレイで最強なのって、誰なんだ?』

 メープルの子どもらしく無垢な質問に、村に教師としてやってきていたデーモンの男は考え込む仕草を見せた。その男は、ストイケイア師の教えを広める活動をしているといい、佇まいは胡散臭いが村の大人たちよりは物を知っているに違いなかった。
 確か名前が……ケイメス? ケイオス? そんな感じだ。

『それは難しい質問だね』
『ちゃんと考えろって!』
『最強と言っても色々だろう? 知性? 腕力? 魔力? ギャロウズボールの強さがあれば、アイドルとしての強さだってあるからね』
『言葉遊びが聞きたいわけじゃない。わかってるだろ』
『強さってのは戦いだけじゃないって言いたかったんだよ、メープル少女。そうだな、それでもただ、英雄を一人あげろと言われたら——こう答えるね。ブラスター・ブレード』
『……ブラスター・ブレード』

 インセクトの怪人、怪神、女王たちの名しか知らないメープルは、そこで初めて三千年前に名を轟かせた騎士を知った。彼はユナイテッドサンクチュアリの王の懐刀であり、第一正規軍ロイヤルパラディンの騎士であったという。

『ロイヤルパラディン—―三千年を経て、ユナイテッドサンクチュアリがその名を変えても、その威光は陰らないね。そこで名のある騎士ならメープル少女のお眼鏡にかなうんじゃないかな』
『ふん。なら、アタシがそこで一番強いやつに勝てばアタシが最強ってことだな!』

 決めた。目指すは海を越えた東、ケテルサンクチュアリ!
 かつて英雄アルフレッドによって興され、正規軍ロイヤルパラディンと巨大企業オラクルシンクタンクの拠点として繁栄を極めた国。
 しかし三千年の時の中でユナイテッドサンクチュアリはケテルサンクチュアリと名を変え、その在り様を大きく変えた。
 度重なる内乱と天災によって国土は縮小し、国土は天と地の二つに分かたれたのだ。
地上にあるのは旧ユナイテッドサンクチュアリ地方。聖都セイクリッド・アルビオンは荒廃し、かつての栄華は見る影もない。
 仮に入ろうと思ってもケテルサンクチュアリは厳しい入国規制を行っており、普通であれば門前払いされて入国することはできない——
 とは弱っちい雑魚の話。大悪党のメープル様は違うのだ!
 国境を守るゴールドパラディンたちの目を易々と潜り抜け、ケテルサンクチュアリに侵入を果たしたのだった。

 南の領都ポルディームに降り立ったメープルは、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。領都と呼ばれるそこは地方領主によって治められている。もちろん首都ケテルギアとは比べ物にならないと言うが、その街並みはさほど悪くない。
 石畳は剥がれているが補整した形跡があるし、軒先には花の揺れる鉢植えがチラホラ見える。揺れる洗濯物も、豪奢ではないが染めが綺麗だ。子どもたちが犬を追って駆けていくのも平和の証だろう。
 けれど、少女はそんなものに和んでいる暇などないのだった。
 鋭く視線を向けた先には、軍馬で駆けてくる騎士の一群がある。その鎧は白く清らかで、あれこそが音に聞くロイヤルパラディンたちに違いない!

 「やいやいやい!」

 メープルは道に立ちふさがった。急なことに驚いた軍馬が立ち上がり、跳ね上がった蹄が頬を掠めたが、メープルは怯えることなく真っすぐに騎士たちを睨みつけた。

「お前、どういうつもりだ!」

 馬上で剣を抜きながら憤然とする眼鏡の男を、女が手で制止する。

「お嬢さん、私たちになにか?」

 女は鮮やかな真白の鎧に身を包んでいた。目を引くのは、背丈に合わない大剣だ。鍔(ガード)から剣身(ブレイド)にかけて金色の翼が伸び、その中心では虹色の魔法石が煌めいている。
 もちろんメープルは怯まない。

「アタシはメープル様、世界一の大悪党の卵だ! おんな、お前がエラいやつだな!」
「テグリアと申します。ロイヤルパラディンの第二騎士団団長として勤めさせていただいております」
「よし、アタシと決闘しろ! 勝ったらアタシが団長だ!」
「まぁ!」

 テグリアは目をぱちくりとさせ、すぐに破顔した。

「わかりました。挑まれた勝負、断るわけにはいけませんね。このテグリア、全力でお相手いたします」
 
 というわけで、メープルはこっぴどく負けたのだった。

「く、くそぉ~!」

 こてんぱんにされ倒れたメープルだったが、すぐに起き上がった。テグリアに向かい、ビシリ、と指を突き付ける。
 
「お前、アタシを団にいれろ! すぐにゲコクジョーしてやる!」
「いいでしょう」
「団長ッ?!」

 悲鳴じみた声をあげたのは、さきほど怒声を上げていた眼鏡の騎士である。血相を変えているのは彼だけで、他の隊員からは「またテグリアさんが言い出したよ」といった呆れた空気が漂っている。

「何故ですか。こんな身元の不確かな女を! 間違いなく、このケテルギアへの不法侵入ですよ」
「不確かな女じゃない! メープル様だ!」
「ほら、彼女もこう言っていますよライネット」
「駄目です!」

 ライネットと呼ばれた騎士が𠮟りつけるのも無理はなかった。
 彼らロイヤルパラディンに選ばれるためには、厳しい訓練と選抜試験が存在する。また、地上の生まれであればその難易度はさらに跳ね上がるのだ。
 ゆえに平の隊員であってもその地位と職責に誇りを持っている。
 その矜持をわかっているのかいないのか、テグリアは嬉しそうに含み笑う。

「でもあなたも見ていたでしょう? 彼女、大きなことを言うだけの力はありますよ。インセクトであの背丈なら、年の頃は十ぐらいかしら。なんて可愛いっ!」

 テグリアの外見年齢は人間(ヒューマン)であれば二十代半ばから後半にかけてといったところだが、彼女はエルフである。詳細な実年齢は不明だが数百歳はかたく、インセクトの少女などついこの間生まれた赤子のようなものだろう。

「では、こうしましょう。彼女を騎士ではなく私の世話係にします。これでどうですか?」
「はぁ、それなら……」
 と言いつつも、ライネットと呼ばれた男は不服そうな顔をする。

「いえ、駄目です。元の場所に戻してきてください」
「ちゃんとお世話できますから! そうだ、私の部屋にベッドがひとつ空いていましたよね。本当にちゃんとお世話できます!」

 と、まるで捨て猫を拾ってきた子どもと母親のような会話が繰り広げられたのち、メープルは特例としてテグリアの世話係として抜擢されたのだった。
 メープルとしてはもちろん不服だが、すぐに侮ったことを後悔させてやる! と内心で叫ぶのだった。

 ロイヤルパラディンは五つの部隊で構成される。
 第一部隊である天上騎士団(クラウドナイツ)は、選ばれし天空の光の騎士である。法と秩序の守護者であり、ケテルギアの犯罪者や地上からの侵入者に目を光らせている。彼らの圧倒的な力により天空都市の安寧は守られていた。
 第二騎士団から第五騎士団は、地上を東西南北の四区画に分け、それぞれの治安維持を担当している。南を守るのが第二騎士団というわけだ。
 もちろん四区画に分けているとはいえ、ケテルサンクチュアリの国土は広大だ。ロイヤルパラディンの各団は各地の領都、日々国家の治安を全力で守っている。
 
「……つまり、我々ロイヤルパラディンこそ国の要なのだ。わかったな、インセクトの女子!」
「ふぁ~あ」

 宿舎内の空き部屋は、メープルのための即席の座学部屋になっている。
 その前に立ち、眼鏡を光らせながら説明するライネットに、メープルは欠伸で返事をする。学校だとか、真面目な大人だとか、正義の味方だとか、そういう奴等の話はいつも退屈だ。

「インセクトの女子、聞いているのか!」
「聞いてる、聞いてるって!」

 テグリアの世話係であるメープルの世話係として抜擢されたのがライネットだった。つまりは厄介ごとを押し付けられた形だが、テグリアに心酔しているらしいライネットは、団長直々の命令にまんざらでもないらしい。

「我々の他にも、ゴールドパラディンやディヴァイン・シスターが各地で国家を守っている。しかし国家の一大事で活躍するのはやはり我々ロイヤルパラディンで……」
「ふぁ~あ」
「……良いだろう、そんなにやる気がないなら、お前も訓練に参加させてやる。世話係でもロイヤルパラディンの端くれである以上、半端にはさせられないからな」
「本当かっ! 眼鏡、お前良い奴だな!」

 退屈な座学よりは訓練の方がずっといい。強くなるための努力ならメープル様は大歓迎だ!
 勢いよく立ち上がれば窓の外には夕暮れが迫っており、任務を終えた騎士たちが宿舎に帰ってくるところだった。本日の任務は終わりにして各自部屋に戻るのかと思いきや、これから訓練に入るのだとライネットは言う。

「我が第二騎士団は、テグリア様の指揮の元、非常に厳しい日常の訓練を課している。その腕前は天上騎士にも遅れは取らないと自負している!」
「ふぅ~ん」

 と、侮ったことをすぐにメープルは後悔することになった。
 訓練場で与えられた剣は見習い用の木剣だったが、それすらまともに振り上げられないし振り下ろせない。対して国が誇る騎士たちはいかにも重そうな真剣で長時間素振りを繰り返している。
 木剣を杖のように突きながらメープルは地団太を踏んだ。

「く、くやしい~!」
「わかったな、これが実力差だ。さらに俺とテグリア様でもまた天地のような実力差がある。あの方がお前のような子どもをまともに相手にしてくださっただけ感謝すべきだろう」
「うるさい眼鏡、フレーム折れろ」
「悔しかったら折ってみるんだな」
「よーしやってやる!」

 二人がぎゃんぎゃん言い合っていると、そこにやってきたのは訓練の指導を終えたテグリアだ。

「ライネット、ありがとう。ここからは私がメープルの訓練を行いましょう」
「いえ、団長の手を煩わせるわけには!」
「いいんです、気概のある若者は大好きですから。私もそうして稽古をつけてもらったものです。あぁ懐かしい」

 テグリアは何かを思い出すようにして天を見上げると、すぐにメープルに向き直り、その堂々たる大剣を構えた。

「さぁメープル、私の剣を受けてくださいね。行きますよ!」
「よし、返り討ちにしてやる! う、うわー!」

 テグリアの剣圧で遥か彼方まで吹き飛ばされつつ——絶対にこいつらに勝ってやる! とメープルは決意を新たにするのだった。
 ライネットはすぐに倒せるだろう。眼鏡だし、口うるさいし、とメープルは結論づける。
 問題は親玉のテグリアだ。物腰も口調も柔らかいし、身体も取り立てて大きいわけではない。目を瞠るほどの筋肉を持っているわけでもない。なのに並みの騎士たちとは明確な差があるのは何故だろう。
 じぃっと観察した末、目に留まったのは——

「あの剣、なんか違う……?」

 柄に嵌められた虹色の石から絶え間なく力が溢れ出しているように見える。
 もちろん騎士たちの剣にはそれぞれ力が宿っているが、テグリアの剛力と共に放たれる光は『なにか違うぞ』と理屈ではなく感じさせる力を持っている。
 百聞は一見にしかず、そして経験は一見に勝る。
 メープルは、テグリアの目を盗んで剣に触れてみることにした。そういうことは悪党の十八番なのだ!

 メープルは世話係としてテグリアの団長室で暮らすことになった。だだっ広い団長室にはひとつベッドが余っていて、そこで眠るようにとテグリアが言ったからだ。
 インセクトとして野宿も朝飯前のメープルなので、宿舎内の庭木の上や根本で寝起きすることも構わないところだが、『子どもに必要なのは栄養と十分な睡眠です!』とテグリアが首を縦に振らなかった。そのふかふかのベッドと清潔なシーツに居心地の悪さすら感じていたメープルだが、ここにきて大きなチャンスになった。
 就寝中——それは生物が最も無防備になるとき。百戦錬磨の団長も、眠っているときは鎧を脱いでネグリジェ一枚になる。
 ならテグリアが眠っている隙に剣に触れればいい!
——と、意気込んだメープルだったが、上手くいかなかった。
 ロイヤルパラディンの朝は鶏がコケコッコーと鳴くよりも早く、訓練を終えて寝床に着くころにはメープルの瞼は完全に降りている。どんなに「起きているぞ!」と気合いを入れても、瞬きをした次の瞬間には朝なのだ。
 もちろんテグリアはすでに起きている。

「——悔しい」

 思考がそのまま口に出ていたらしく、向かいで剣の型の確認をしていたライネットがメープルに視線を向けてきた。

「何がだ」

 いちいち拾ってくるあたり、この眼鏡も律儀な男である。世話係の任を全うしようとしているというよりも、恐らく性格なのだろう。

「あれ」
 
 そう言うメープルの視線の先には、訓練場で複数の騎士に囲まれているテグリアの姿がある。自分を倒してみろ——そういう実戦形式の訓練らしい。体格で彼女に勝る騎士たちを、一刀のもとに薙いでいく姿はいっそ壮観ですらあった。

「テグリアの剣、綺麗だなって」

 するとライネットは「よくぞ聞いてくれた!」と言わんばかりに破顔して、メープルへと身を乗り出した。

「テグリア様の剣は量産型ブラスター兵装と言って、ロイヤルパラディンとシャドウパラディンの各団長、副団長にのみ国から与えられているものだからな。並みの剣ではないのは当然だ」
「わかった、じゃあテグリアはそれでズルをしているんだな!」
「ズルなものか! その地位に登りつめるためにはどれだけの努力と実力が必要だと思っている。力のない騎士では扱うことすらできないと聞く。俺やお前が使ったところで、使いこなせるわけがない」
「……ふーん」

 メープルは地道な努力だとか、そういう真面目なことは大っ嫌いである。楽して強くなれるに越したことはない。みんなそう思っているのに口に出さないだけだ。
 テグリアの剣をゲットすればあれぐらい強くなれると思ったのに……とメープルのテンションは下がっているが、興奮したライネットの方はそれに気づかないようだ。早口でまくし立てている。

「ブラスター兵装とは、かつて我が国がユナイテッドサンクチュアリと呼ばれていた頃——勇気を力に変える剣型の兵器として創られたものだそうだ。その力は一人の騎士のみ最大に発揮することが出来たため、彼は剣の名を冠し……」
「聞いたことがある! 騎士ブラスター・ブレード!」
「そうだ。インセクトの女子でもそれは知っていたか。やがて最強の兵器であるブラスター・ブレードはじめとするブラスター兵装は長い歴史の中で姿を消した。だが研究を重ね、ついに伝説を再現して生み出された30本が、テグリア様の所持する新型ブラスター兵装というわけだ」
「なーんだ、三千年前の本物じゃないのか」
「な、お前っ!」

 ライネットは顔色を変え、メープルはその勢いにややたじろいだ。なんだなんだ。

「あの剣はかつてテグリア様の師匠で、天上騎士団の副団長だった方が使われていたものだ。テグリア様はその遺志を継いであの剣を使われているのに、それをこのっ……!」
「遺志? なんだ、その副団長っていうのは死んだのか?」
「…………」

 ライネットは無言で、それが答えだった。
 なるほど、悲しい過去には違いないけれど、それがどうしたのだろう。楽しい思い出は胸をぽかぽかさせてくれるけど、悲しい思い出は胸が冷たくなるだけだから、なるべく心の底の方に沈めることにしている。みんなそうするといい。
 大悪党メープル様は前しか見ないのだ! 
 そのためには——まず。

「お前をコテンパンにしてやる、眼鏡!」
「生意気だ」

 頭を剣の平でゴツンと叩かれた。悔しい。
 騎士たちが任務に出ている日中のメープルは、宿舎の掃除や軍馬の世話に忙しい。それを終わらせるまで食事は食べられませんよ、とテグリアからの厳しいお達しがあったからだ。
 すべてを終える頃には、騎士たちも訓練を開始してしまっている。それでは意味がない。抜け駆けして眼鏡に目にもの見せてやりたい。
 すると練習のために時間を費やせるのは騎士たちが起きてくる前ということになる。朝に強い方ではないが、悔しさが行動を起こさせた。
 眠い目をこすりながらメープルが訓練場に向かうと、そこには見慣れた人影がひとつ。

「——あら。早いですね、メープル。朝餐はまだ先でしょう?」

 テグリアは左手で汗の滴る前髪を掻き上げた。まだ鶏も鳴いていない早朝なのに、もう訓練をしているなんて。

「メープルも自主訓練ですか?」
「ギクッ!」
「やる気がある子は大歓迎ですよ。大丈夫、もう吹き飛ばしたりなんてしませんから。どうぞ打ち込んできてください。さぁ、遠慮なく」
「むぅ~」

 そんなことを言われたらぎゃふんと言わせてやりたくなるのが悪党心。
 メープルは練習用の木剣で斬り込んだが——もちろんテグリアの身体は巨大な木が根を張っているかのように揺らがない。
 間もなくメープルの方がバテて、いつものように剣を杖のように突き肩で息をした。そこにゆっくりとテグリアが歩み寄ってくる。

「あなたの身体は小さいでしょう、メープル」
「……うん」
「もちろん腕力もない。ですから、真正面で剣を受けず、相手の力を利用するのです。もちろん魔力を高め剣に込めるのも有効ですし、スピードで勝るのも良いですね。弱点を人並みまで高めるよりも、得意なところを伸ばしましょう」

 むぅ、とメープルは考え込む。
 アタシの得意なことって、なんだ……?
 考えたこともなかった。

「テグリアも特別な努力をしたのか? だって騎士の連中にパワーで負けてるとこ、見たことないぞ!」
「いえ、私は生まれつき腕力があって」

 聞いて損した。

「それでも、メープルは素晴らしいですよ。そんなに幼いのに、もう自分の道を決めて行動に起こしている。これは滅多に出来ることはありません。私は騎士を志すのに二百年かかりましたから」
「二百年も?! なら、何で突然騎士なんかになったんだ」
「騎士様のお嫁さんになりたくて」
「……はぁ?」

 そんなバカみたいな理由で騎士になるやつ、初めて見た。

「だって本当に素敵な騎士様を見つけたんですもの。そうしたら騎士様が、君には騎士になる才能がある、なんて言うんですよ? 舞い上がっちゃって。虎穴に入らずんば虎児を得ずってやつですね」
「違うと思う」
「あら、残念」
「で、テグリアはその騎士のお嫁さんになったのか?」
「いいえ」
「フラれた?」
「いいえ」
「なんで?」

 やや間があり、テグリアは困ったように答える。

「……殺されてしまったんです」
「ふぅん。でも、もしそいつが生きてたらテグリアはお嫁さんになってたぞ。強いし、美人だから」

 テグリアは目をぱちぱちとしばたかせて、やがて吹き出した。

「そうだといいんですが」
「アタシが保証してやる! で、テグリアは別の騎士のお嫁さんになるために強くなるのか?」

 インセクトの中ではメスがオスより強く大きいことは珍しくない。確かに、強くなって良いオスを捕まえるのは合理的だ。
 けれどテグリアは微笑んだまま濁して答えなかった。

     *

 テグリアに稽古をつけてもらうこと十日余り——リベンジマッチである。
 メープルは木造剣を手にライネットの前に立つ。

「アタシの得意なこと、アタシの得意なこと……」
「なんだ、ブツブツと気持ち悪い」

 ライネットが気味悪そうな目をメープルに向けてくる。威厳には欠けるが、これでも団の中では上位の実力者だ。このまま順当に実力をつければ副団長、と噂されているのも小耳に挟んだ。テグリアの言う通り、真正面からやり合ってどうにかなる相手ではない。
 間合いを取りながら剣を交わす。ライネットの剣に隙はないが——心の方は隙だらけだ。つまり、メープルの今日は昨日と変わらないだろうという侮りがそこにはある。
 今だ、とメープルは左手を前に突き出した。
 
「たぁっ!」

 指先からライネットの目を狙ったのは、魔力を編んだ糸だった。予期せぬ目つぶしに怯んだライネットは、重心を崩しながら避けた。
 その隙を見逃すメープルではなく、地面すれすれを駆けぬけ、ライネットの脛をしたたかに斬りつけた。
ライネットは声もなく飛び上がり、メープルは返す剣でその頭をぽこりと殴った。

「一本取った!」
 
 ガッツポーズをするメープルに向け、ライネットは目を三角にする。

「卑怯だ!」
「卑怯もクソもない! お前は生首ひとつになっても同じことを言うつもりか?」
「ぐっ、」

 唇を噛むライネットをふふんと鼻で笑い、メープルは一目散に駆けだした。負け犬の声が背後から追ってくる。

「おい、どこに行く!」
「テグリアのとこ! 一本取ったって言うんだ!」
「やめろ!」
 
 午後のテグリアは珍しく非番だと聞いている。行き先は、このポルディームを統治する領主の館だとか。
 ロイヤルパラディンの宿舎を出て、三十分も走れば館に辿り着いた。鎧で武装した門番がじろりとメープルを見下ろす。もちろんメープルは怯まない。

「テグリア、来てるんだろ! アタシはテグリアのお世話係だ!」

 門番は顔を見合わせたが、すぐに破顔して中に招きいれてくれた。なかなか話しがわかるやつらだ。

「あの天井のでっかいキラキラなんだ……? 落ちてきたりしないのか……? 高そうな壺! 天使の絵! あっ、こっちにも壺! ……ひとつくらい持って帰っても……」

 見たことがない豪奢な調度に目を奪われながら、執事だという男に導かれ、メープルは奥の一室に通された。巨大な窓には豊かなドレープのカーテンがかかり、ふかふかの椅子には二人の女が座っている。

「まぁメープル、どうしたのですか?」

 テグリアは裾を引きずるほど長いドレス姿で、一瞬誰かわからないほどだった。彼女だとわかったのは、傍らに剣が置かれていたお陰だ。優美な場に持ってくるものではないが、彼女らしいといえば彼女らしい。
 その向かいに座っている女は耳が尖って長いところを見るとエルフだろう。腰まで伸びた金の髪は手入れが行き届き、野放図なメープルのそれとは大違いだ。張りのある生地で仕立てられた薄青のドレスはいかにも高そうに見える。
 メープルはテグリアの元に駆け寄った。

「この女は?」
「彼女はポルディーム領主のご令嬢リリークラ様です」
「こんにちは、メープルさん。良いお天気ですね」

 リリークラは首を傾げ、ゆったりと微笑んだ。
 美しい女だ。でもこれは野に咲くヒナギクの美しさじゃなくて、庭園に咲く白百合の花の美しさだ、と思う。豊かな肥料と剪定の末に得られる華やかさ。
 髪が長いところなど、テグリアに似ているようにも見える。けれどテグリアの持つ、穏やかさの底にある厳しさ、豪胆さのようなものは一切見られない。
 ただただ美しく優しい、メープルが接したことのない生き物。
 どうしていいかわからなくて、もじもじしているとテグリアから声がかかった。

「ご挨拶ですよ、メープル」
「こ、こんにち、は……」
「メープルさん、ケーキはいかが? テグリア様のお手製ですよ。とっても美味しいの」
「うふふリリークラ様、褒めても何も出ませんわ。剣以外の趣味といえばこれぐらいのものから」
「謙遜しないで。結婚式のケーキはテグリア様にお願いしたいくらいなのに」
「あらリリークラ様、お相手が?」
「そうね、百年以内には見つけようと思っているところ」

——うふふふ!
 かまされるエルフジョークに、メープルはしばらく飲まれていたが、ようやく自分が本来ここに来た理由を思い出した。

「そうだテグリア、ライネットから一本取ったんだ。嘘じゃない!」
「まぁ、すごい! よくやりましたね。……ライネット」

 部下の名を呼んでテグリアの声がぐっと低くなる。騎士としての彼の不甲斐なさを思ってのことだろうが、メープルとしてはざまぁみやがれである。

「何かご褒美を上げましょう。焼いて欲しいケーキはありますか?」
「ケーキはいらない!」
「まぁ」

 テグリアは悲しそうに眉を下げ、美味しいのですが……と呟く。

「アタシをお前たちの任務につれていけ! もう掃除と馬の世話はこりごりなんだ!」
「なるほど、わかりました。共に明日の任務に着きましょう」
「テグリア様、明日はどちらに?」

 ティーカップを置いてリリークラが問い、テグリアもまた砂糖菓子を一つ齧る。綺麗に紅を引いた唇が言葉を紡いだ。

「山賊を狩りに」

     *

 山賊——それはケテルサンクチュアリが地上で抱えている問題のひとつだった。
 もちろん地上でも領主に治められている領都は、メープルも目にしたようにある程度の平和の中にある……ように見える。
 けれど、そこから離れるほど国土は荒廃し、廃墟となっていく。木々の生い茂った山にはそれを隠れ蓑として、行き来する人々を襲う者どもがいるのだという。

「その拠点のひとつの情報が入りまして」
「お、そこを襲って一網打尽にするんだな!」
「襲うだなんて人聞きが悪いですよ、メープル」

 メープルはテグリアの後ろに騎乗する形で宿舎を出た。もちろん自分だけの軍馬が欲しいのは山々だが、メープルは馬に格下に見られいつも髪を齧られている。颯爽と駆ける日は遠そうだ。
 揺られること数時間、メープルが船を漕ぎ始めたころ、細い山道の奥に目的のアジトを見つけた。
メープルはパッと覚醒し、活躍してやる! と目を輝かせた——が。

「だーれもいない……」

 ぽつりと呟いた声が、がらんどうの家屋に響き、吹き抜けていく。
 山間にある五軒ほどの茅葺きの家は、数日前までは人が暮らしていた気配があるものの、すでに家財道具の一切が引き払われたあとだった。すでに逃げられてしまったのだ。
 馬上でテグリアは振り返り、メープルの頭をくしゃりと撫でた。

「情報はいくつも頂いてますよ。気を落とさないで」
「よし、次、次―!」

 残念なことにそこもスカだった。煮炊きの炭がわずかに赤く焼け残っているのを見ると、放棄されたのは半日ほど前のことだろうか。山賊たちは間一髪逃げおおせたというわけだ。
 成果をあげられなかった一隊は岐路に着きながら、落ち込んだ様子を見せずに軽口を叩きあっている。テグリアが積極的に笑い声をあげているのが、部下達に対する配慮であることは明確だ。
 しかしメープルは馬上で揺られつつ、しきりに首を傾げていた。

「うーん……」
「がっかりさせてしまいましたか? けれど、私達ロイヤルパラディンが優れた騎士だとは言え、困っている人の元に駆けつけ、たちまち解決! などということは中々ありません。今日のようなたゆまぬ努力が、国土の安全を形づくるのです」
「うーん……いや、あのさ、いつもこんな感じで任務してるんだよな? アタシを笑わせるジョークなんかじゃなくて」
「ジョーク? 何がですか?」
「……だって! だって……あはっあははははっ!」

 堪えきれず、ついにメープルは笑いだしてしまった。

「白馬にギラギラした鎧! お前たちこんなに目立つのに! それで逃げられた逃げられたって! ネズミを捕まえるのに獅子を用意するやついないだろ!」

 ひぃひぃと笑いながらテグリアの肩に手をついていると、背後から剣を抜く音がする。隊に加わっていたライネットが、怒りに満ちた顔でメープルに剣を向けていた。

「……お前、騎士を侮辱するのもいい加減にしろ」
「ライネット、良いのです」

 それを手で制止して、テグリアはいつもと変わらない様子でメープルに微笑みかけた。あ、これちょっと怒ってるやつ。それでも自制を利かせているのは、テグリアが大人だからか、メープルが子どもだからか。

「それでメープルには何か、他に案が?」
「ある。とりあえず——あの村に行くぞ」

 メープルが顎であおって指し示したのは、街路沿いにある村である。舗装されていない土の道や、人の気配がなく廃墟になった家屋から領都との差が見て取れる。そこにメープルに指示されるままロイヤルパラディンの騎士たちが蹄を鳴らして入ってきたのだから、村人たちの驚きは相当なものだっただろう。
 メープルは馬から降り、物々しい一隊を振り返った。

「やっぱ目立ちすぎるなー。お前らここで大人しく待ってろ」
「命令をするな!」

 ライネットの怒声を無視しつつ、メープルが一人で入ったのは、村の外れにある古道具屋だった。乾いた埃の香りが鼻腔をくすぐる。木製のカウンターには、二十歳前後に見える女が何やら帳簿を着けていた。メープルの姿に驚いた様子を見せたのは、きっとこの辺りにインセクトは少ないからだろう。

「こんにちはー! おねーさん、チョーシどうっ?」
「まぁまぁかな」

 気安い子どもにつられて、女も微苦笑を浮かべた。
 古道具屋に置いてあるのは、取り立てて珍しいものではない。ちょっと凹んだ鍋だとか、肘が繕われた革の外套だとか……その雑多さは、質屋を兼ねているのだろうというラインナップだ。
 女はメープルの頭の先から靴までを舐めるように見た。

「この辺の子じゃないね」
「お母様と旅してんの。でさ、お母様の誕生日に、内緒でプレゼント買いたいんだけど……何かない?」
「この貝細工のブローチとか、ビーズの指輪なんかどうだい」

 ガラス張りのショーケースをチラッと見て、メープルは思いっきり舌を出した。

「ケチくっさ! あのさ、アタシがそんなの買う貧乏人に見える? こんなの、お庭の砂利にもならないよ。せめてダイヤの指輪だとか、オパールの首飾りとか……はぁ、来て損した。じゃあね」
「……待ちな。そこまで言うんなら、ちょうど入ったばっかのやつがある」

 そう言って、女は屈んでカウンターの扉に手をかけた。やがて鍵を回すガチャッという音がして、出てきたのは天鵞絨張りの小さな宝石箱だ。
 女が恭しい手つきでそれを開ける——
 メープルが身を乗り出したのと同じタイミングで、テグリアが店に入ってきた。女が目を剥く。

「騎士様?!」
「メープル、やはり私も共に——」
「グッドタイミング! テグリア、これ見ろ!」

 メープルの視線の先には、開かれた宝石箱がある。照明の下で光っているのは、雲雀の卵ほどの赤い石をつけたペンダントだった。

「あら、可愛らしいペンダントですね。ガラスがキラキラ光ってとっても綺麗! それが何か……?」
「見る目ないぞ! 脳みそまで剣になってんの?」
「——では」
「そ」
 
 ひとつ頷いて、メープルはペンダントのトップに触れた。脈打つ心臓をひと突きにして、溢れた血潮が宝石になった——そんな夢想さえしてしまうほど獰猛な赤だ。

「重い金の鎖、丁寧な彫りもの、こんなにでっかい紅玉(ルビー)! もちろんガラス玉じゃない、悪党がだーい好きな本物の宝石だ。こんなの海賊のお宝か、金持ちの結納品じゃないと見ない一級品! ……だから」

 メープルはペンダントをくるりとひっくり返した。金の枠には、細かな細工によってどこかの家紋が彫られていた。きっと名家なのだろう。

「まっとうに領都で売るには、足がつきすぎるんだ」
「……っ」

 顔色を変えた女店員に、メープルはイヒヒと笑った。

「——おねーさん、これ売りにきたやつ、どっから来た?」

       *

 日がとっぷりと暮れた山道に、一台の馬車が走っている。汚れた幌がかけられているが、御者台にまで施された金細工や象嵌は隠しきれない。それを引いているのも毛並みの整った白馬で、穀物を運ぶラバとは大違い。まるで襲ってくださいと言わんばかりの佇まいだ。
 果たして、山を越えるのを待たずして、馬車は山賊たちに取り囲まれたのだった。白刃で幌を裂いて、男たちが中を覗き込む。外套を纏った女二人が、震えながら身を寄せ合っていた。
 山賊が女たちの頭巾に手をかけ、その姿を月光の下あらわにした。

「エルフの女と……インセクトのガキか。残念だな、御者はおしっこ漏らして逃げちまったぜ。おい女、名前は」
「り、リリークラ、と申します」
「っ! その名前、聞き覚えがあるぞ……領主の娘じゃねぇか。あぁ、そういえばこういう感じのエルフだったな」

 ひゅう、と山賊たちは口笛を吹く。

「そりゃあいい。お嬢さん、あんたの身代金いくらつくかな? 親父さんの財布が緩いのを祈るんだな」
「……身代金?」

 エルフの女——テグリアが唇を震わせながら声をあげた。寄り添うメープルは、形ばかり怯えた様子を繕いながら、底の冷えた視線で彼女を見ている。
 メープルが提案したのは、金持ちの馬車を装い山賊をおびき寄せるという、ごく単純な囮作戦だった。普通なら相当の危険を伴うところだが、なにせ囮として適任なのが団長のテグリアである。戦力としては過剰と言えるだろう。
 この山賊たちが引っかかっただけでも今日の成果としては十分だが、所詮彼らは山賊の下っ端に過ぎない。根を焼かなければ、雑草はいつまでも生えてくる。一度雑草を焼かれた山賊たちは、今後警戒を強めるだろうし、この手はそう何度も使えない。
——で、どうする?
 お手並み拝見——とメープルが思ったその時、テグリアが突然山賊の手をぎゅっと握った。

「身代金と引き換えにポルディームに送り返すなんてどうしてそんな酷いことをおっしゃるんですか?」
「は?」
「びっくりさせて申し訳ありません。でも私、こちらに将来の伴侶を探しに来たんです!」
「は?」「は?」「は?」

 呆気にとられた山賊たちによる見事な「は?」の多重奏をバックミュージックにしながら、テグリアは纏っていた外套をばさっと脱ぎ捨て、プリマドンナもかくやという格調高さで歌い上げた。

「私の名はリリークラ、もう領主の娘なんてまっぴらです! 会う男会う男、うらなり瓢箪うらなり瓢箪、煮過ぎたジャガイモ、崩れたミカン! だからもう、イケてるメンズは自分で探しに行かなくちゃと思いまして!」

 その熱演に山賊たちも思わず気圧された様子で「おー……」と力のない声をあげている。

「時代はインテリジェントよりワイルド! 貴公子より無頼漢! そう思い立ち、侍女ひとりを連れてここまでやってきたのです」
「な、なるほどな……? そりゃご苦労さんで」
「つきましては皆さんのお知り合いの中で一番男ぶりがいい方を教えてくださいませんか? これだけイケメンの皆さんが推す方なんですから、それはもう素敵な方なんでしょうね」
「男ぶりつったら……そりゃあうちの首領(かしら)だろうよ」
「首領! ステキな響きですね。どんな方なんですか?」
「そりゃあ、首領はスゲェよ。背はもう見上げるぐらい高くて、武器もこうすげぇデカい剣でさ、力も超強いんだよ。ま、ちょっと乱暴だけどそれがまた良いんだよな」

 その返答に、テグリアの瞳に穏やかではない光が宿る。夜の闇は濃く、その熾火に気づいたのはメープルだけに違いない。

「……まぁ、素敵! ぜひ紹介して欲しいので、連れていって頂けませんか?」

 山賊たちは顔を見合わせて、やがて首を縦にした。

「そこまで言うならよ……」

 どんなにか弱いご令嬢を演じても、底にある胆力は隠しきれない。テグリアの勢いに押し切られ、二人の乗る馬車は行先を変えた。このまま山賊の根城に向かうのだろう。
 暗い馬車に揺られながら、テグリアはこそっと囁いた。

「メープルの計画の通りになりましたね」
「まーな! 悪党のことは悪党に任せろ! じゃのみちはアナグマってやつだ! ……イタチだっけ?」
「ふふ、見事な悪党っぷりです。私の演技もなかなかのものだったでしょう? 子どもの頃はお姫様ごっこで鳴らしましたから」
「お姫様ごっこ? 悪党ごっこも楽しいぞ!」

 テグリアは吐息のように微かな笑いを漏らし、やがて再びそっと言葉を作る。

「……悪党のメープルに訊いてもいいですか?」
「いいぞ、なんでも答えてやる」
「悪党にも友達はいるのでしょう?」
「もちろんだ! たっくさんいるぞ」
「では、悪党が友達を殺すときは……どんな時だと思いますか?」
「ころす?」

 突然出てきた物騒な単語に、メープルは思わず眉根をぎゅっと寄せてしまう。しかし冗談の匂いがないのを感じ取り、しばらく感じたのちに答えた。

「悪党だって、友達に酷いことはしない。ぜったいに」
「……そうですか」

 テグリアの声は、闇にすっと溶けていった。
 やがて馬車の揺れは止まり、外から「降りろ」という声がする。二人が促されるまま馬車から出ると、そこは松明の揺れる山村だった。立ち並ぶ家々の煤けた壁には年季が感じられ、一見すると海賊の根城には見えない。
 降りたテグリアが携えているのは、彼女の身長を遥かに超える巨大な包みである。シルエットから察するに、大型の弦楽器のケースのようだ。
 山賊の一人がそれを見咎めた。

「おい、そんなもん持ってどうするつもりだ。こんな夜更けに一曲やろうってか?」
「淑女の嗜みですから」
「にしてもお嬢だってのに片手で軽々と持つな。相当重いんじゃねぇのか?」
「淑女の嗜みですから」
「……そうか」

 泰然としているテグリアに、山賊もそれ以上は何も言えなくなった様子で口を閉じる。
 やがて村中に情報が伝わり、家々から出てきた山賊たちはなんだなんだと言いながら、テグリアとメープルを物珍しそうに取り囲んだ。数にして五十は超えるだろうか。

「こんばんは、皆さん。夜遅くにお騒がせしてすみません」

 テグリアが微笑みながら手を振っていると、やがて人垣の向こうから野太い男の声がする。

「なんの騒ぎだ」
「いやね、領主の令嬢だって女が、首領に惚れたとかなんとかって、会いたがってるんですよ」
「……は? ふざけたこと言うんじゃねぇ」
「ふざけてなんかいませんよ! ほらあそこに!」

 瞬間、テグリアの瞳から微笑みが消え、爛々と満ちたのは殺意の焔だ。
 人垣がさぁっと開き、そこに立っていたのは大柄な男である。身の丈は二メートル近く、筋肉粒々、黒光りする鋼の鎧を身に纏っている。頭頂部には狼の耳があり、その腕には針金のような剛毛が生えている。種族はワービーストだった。
 メープルは咄嗟にテグリアを見上げた。

「……あぁ、違う」

 小さな声でテグリアが呟く。それに続くのは、かすかに自嘲めいた笑い声だ。
 しかしすぐにテグリアは平静を取り戻した。それはもう、見事なほどだった。

「あなたが、こちらの首領でいらっしゃいますか?」
「あぁ、そうだ。お前が自分から来たって言う領主の娘か?」
「えぇ! 私、ワイルドな男性がタイプなんです。とっても素敵な毛並み! お近づきの印に……一曲いかがです?」
「いらねぇ。生憎、聴いてわかるような学もないんでな。楽器じゃなくてアンタになら鳴ってほしいが」
「ま、そうおっしゃらず」

 テグリアが手をかけると、楽器ケースの布がするりと流れ落ち——現れたのは虹色の石を柄に持つ大剣だ。息を呑む山賊たちの顔を、溢れ出した眩い光が染め上げる。
 それを見てなお眉を動かすだけに留めたのは、さすが山賊の首領と言ったところか。苦々しげな顔で吐き捨てる。

「金の翼に虹の柄——ロイヤルパラディン第二騎士団団長、テグリアか」
「あら、ご存知でしたか。恥ずかしいわ」
「絵姿じゃ見たことはあったが……実物の方がいい女だな」
「ふふ、お上手。褒めても何もでませんよ? コホン、それでは。天空の法の下に——皆さまを成敗いたします」

 圧倒的一対多、それもメープルというハンデを背負った上での戦いだ。
 しかし決着は瞬きの間だった。
 テグリアは首領が放った小太刀を剣で叩き落とすと、返す刃で男たちを一気に吹き飛ばした。刃で直に触れなくとも、破落戸風情なら魔力を孕んだ剣圧で意識が落ちる。
 たちまち男たちが地面に積みあがった。

「……ふぅ。メープル、無事ですか? ならば捕縛を」
「わかってる!」

 もちろんメープルだって戦うつもりだった。沢山訓練をしたのだから、山賊の一人や二人お茶の子さいさい——そう思ったのに、太刀筋に巻き込まれないようにするだけで精一杯だった。
 悔しい。
 メープルは唇を尖らせつつ、魔法の捕縛綱で山賊たちを束ねていく。と、気絶していた首領が目を開けた。

「おっ、やるかっ! やるかっ!」

 メープルはファイティングポーズを取ったが、首領はもう抵抗しようとしなかった。

「……ガキを殺すつもりはねぇ」
「メープル様はガキじゃない! ……でも、子どもを苛めない心がけは悪くないぞ、褒めてやる」

 偉そうなメープルの口調に、首領もわずかに緊張を解いたようだった。

「老人、病人、身重の女……弱いやつを狙うのは人以下のやつがやることだ」
「うんうん、そうだそうだ」
「だからオレたちは、肥え太った金持ちからしか奪わねぇ」
「……メープル、無視を。山賊の言葉です」

 テグリアは冷ややかに言い捨てたが、首領はなおも言葉を紡ぐ。

「山を下れば困ってるやつはいくらでもいる。明日のパンもない病人、子どもを残して死にそうな母親……金を渡せば泣いて喜んだ。知ってるか、オレたちは巷じゃ義賊って呼ばれてんだよ。まぁ、どうせ騎士様にこんなこと言っても……」
「凄いな、お前!」
「……は?」

 弾んだメープルの言葉に、首領が目を眇めた。思いがけない言葉に対処できないといった様子だった。

「ダメな悪党は自分のことばっかり考えるんだ。でも本当の悪党はちゃんと弱いやつのことを考えられる! お前は本当の悪党だ!」

 メープルは首領の両肩をがっしり掴み、そのままバシバシと叩いた。

「オマエは見どころがあるぞ。いつかアタシの部下にしてやる!」
「——メープル!」

 刃のように鋭い声が飛び、メープルの台詞を遮った。その勢いに、思わずメープルの肩がびくりと跳ね上がる。

「……心を許しては駄目ですよ、メープル。彼はただの悪人ではなく罪人なんですから」
「で、でも……悪人に見えるけど本当はいい奴なんじゃないか……? 悪人だって色んな理由があるんだ」
「……悪人でも本当はいい奴? 色んな理由? ……ふふ、ふふふ」
「テグリア?」

 どこか様子が変だった。
 微笑みは必死に取り繕ったように歪で、わずかでも均衡を崩したら跡形もなく壊れてしまうだろう——そう思ってしまうほど。

「どんな理由があろうとも罪は罪。それに斟酌していてはケテルサンクチュアリの法を守ることは叶いません。簒奪、傷害、治安への悪影響……山賊は全員”相応の罰”を受けることでしょう」

 言い渡すその顔は、何かどろどろと煮えたぎる溶岩のようなものに突き動かされているようにも見えた。
 相応の罰——憎悪に満ちた言葉には死が濃く匂い、男が決死の覚悟を抱くのも無理からぬことだった。
首領はとっさに身を起こすと、傍にいたメープルの喉に小太刀を突き付ける。

「このガキが死んでもいいのか。剣をおろせ!」
「……ほら、弱者救済なんて口先だけ。これが悪の本性です。……さようなら」

 テグリアは剣を大上段に振り上げた。
 刀身が放つ清らかな光が、彼女の正しさを美しく証明している。男の首を狙い、大剣が振り下ろされた。

「やめろ、テグリア!」

 メープルはゆるんだ首領の腕をふりほどき、手を広げて立ちはだかった。指先から伸びた魔力の糸は、テグリアの剣と近くの木を結んでいる。どうにか剣を振り下ろせないように繋ぎ止めているが、砂糖細工のように脆い抵抗だろう。
 テグリアは底冷えのする視線でメープルを見下ろした。

「……なんのつもりですか、メープル。あなたも罪人になりたいのですか……ならば」
「悪党だって友達は殺さない。なのにテグリアはアタシを殺すのか?」

 テグリアは平手で殴られたような顔をした。そうすると、まるで傷ついた子どものようにも見えた。ちっとも怖くなんてなかった。

「テグリアなんて全然正義じゃない。悪党だ」
「……私が?」
「一番ダメな悪党は、自分が悪党だってわかってない弱虫なんだ。だからテグリアは悪党だ!」
「……っ」

 やがて震えるテグリアの手から剣が滑り落ちる。テグリアは両手でその顔を覆い、隙間から覗く瞳はさざ波のように揺れ動いている。

「……すべての悪は罰されなくてはいけません。悪はすべからく悪でしかないのだから、あの男は死ななければならない、殺さなくてはいけない……そのために私は……!」

 喉から迸る声は、自らを裂く白刃の形をしていた。
 自分さえ傷つけないと保てないような正しさなら、そんなもの捨ててしまえばいいのに。
 それが出来ないのは、きっとテグリアが弱いからだろう。
 悪党はいつだって弱い。そういう奴等が笑っていられるように、メープルは悪党の王様になるのだから。

「テグリアをアタシの一番の部下にしてやる。テグリアは悪党だから、メープル様が守ってやるんだ。だから、泣き止め」

 少女は怒っていた。
 自分がもっともっと強ければ、彼女を苦しめるすべてのものを無くしてやることができるのに。
 少女は、自分が弱いことに怒っていた。
 人のために怒ったのは、生まれてはじめてのことだった。