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小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第3章 光さす墓碑

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第3章 断章 光さす墓碑

 すべてを引きずりこむような闇だった。
 呪いだけが満ちみちて、ジラールの意識を奈落の底へと押しやっていた。
 
——どうしてお前は死なない。
——力を持たない命に意味はない、お前の命に意味はない。
——あぁ、ない、ない、力が、ないッ
——あの男だ、あの男から剣を奪え、あの男の血を塗れッ

 呪詛はジラールの醜悪さを抉り、後悔のはらわたを引きずりだしていく。
 13歳だった。
 幼年学校の卒業をジラールは控えていた。
 士官学校の入学を約束された名門だが、その教育は厳しかった。未来のロイヤルパラディンを、そして神聖国家を背負う人材を育てる場なのだ。生まれの豊かさを鼻にかけ努力を怠れば罰があり、場合によっては退学もありえた。
 客観的に見て、自分は優秀だったと思う。
 自らを律し、剣と勉学に励むことは楽しかった。
 当然のこととして成績は良かった。剣術においても勉学においても、主席でなかったことは一度としてなかった。
 自分は努力をまったく苦とは思わないが、ふつうの生徒たちにとってはそうではない、という事実には早くから気づいていた。
 だからこそ規則があり、罰があり、厳格な教師たちがいるのだ。
 自分は生まれながらにして恵まれている。
 ジラールは家族に感謝した。そして、恵まれている自分はさまざまな困難に直面する級友たちの力にならなければいけないと思った。
 親身に勉強を教え、剣術の指導をした。
 感謝をされていると、ひとかけらも疑わなかった。
 事件が起きた。
 卒業試験の一教科でレポートを求めるものがあった。そこでジラールは内容の剽窃を疑われたのだ。先んじて提出した生徒と内容が酷似しているのだと。
 ジラールが親身に勉強を教えていた級友の一人だった。
 身に覚えがない、とジラールは訴えた。
 書きあげたあと推敲のために手元に置いていたものを剽窃されたのだろう、そう思ったが証拠はなかった。
 教師もジラールの素行の良さから強くは咎めず、真偽はうやむやになった。けれどジラールが主席のスピーチに立つことはなかった。
 『完璧』なジラールの醜聞に同級生たちは沸いた。
 聞くに堪えない陰口が飛び交い、そのなかにはジラールの助力によって退学から逃れた者もいた。
 人の心のなかにはこれほどに醜い心が潜んでいたのか。
 自分が力を尽くしたことは彼らの自尊心を傷つけ、ルサンチマンを煽り立てていたのか。
 気づいたところで、彼らを許すことは到底できなかった。
 ジラールは推薦による士官学校入学ではなく、正規の入学試験を望んだ。
 くだらない示威行為だ、という誹りが耳に届いた。
 あぁ、何をしてもなじられ、憎まれるのか。
 手も足も、視界さえも、黒く濁った闇に囚われていくような気がした。
 だから、受験会場で見ず知らずの少年に金時計を手渡したのは、愚かな善人を装った自傷でしかなかった。
 自分の名すら書けないという少年は、あきらかに来年度への受験に乗り気ではないようだった。きっと金時計を渡したところで、刹那の遊興費に消えるだけだろう。
 そう思いながら彼の名前を刻んだ。
 ジラールは人という存在に失望したかったのだ。
 両親の悲しみは相当のものだった。しかし彼らは士官学校受験に失敗したジラールを強く責めはしなかった。
 来年入学すればいい、それまでの一年はすばらしい教師を呼ぼう、きっと学校では得られない学びになる——
 ありがとうございます、感謝します。
 ジラールはかつての自分の顔つきを真似して微笑んだ。
 一年が経ち、入学式に向かう足どりは鉛のように重く、視界は闇に閉ざされたままだった。そのおかげというべきか、小声で言い立てられる陰口もさほど胸には響かない。
 黒い人だかりが、まるで虫のようにうごめいていた。
 そのときだった。
 ぼそぼそと、けれど剣の一閃のように鮮やかな声が聞こえてきた。
「……なぜお前がいる」
 振り返った。
 そこにあったのは、たかる虫を払いのけるような、うっかり口内を強く噛んでしまったときのような、不器用で偏屈な顔つきだ。
 あまりに式典の場に不似合いな表情に、思わずジラールは笑ってしまった。
 黒い人混みのなか、彼の姿だけが眩暈を覚えるほど輝いていた。
 ただ、それだけだった。
 それだけで、ジラールの胸のなかにひとつの決意が固まった。
 今後どれほど正しい道を進もうとも、善意は無下にされ、努力は水泡に帰し、罵倒を浴びせかけられるに違いない。
 それでも、ジラールは人を信じることに決めたのだ。
 だから。
 士官学校でも同級生たちの罠にかけられ、彼が姿を消してしまったときも。
 彼がいなくなり、空白となった椅子に誰も座らせないまま、士官学校を卒業したときも。
 ロイヤルパラディンの騎士となり、うつくしい地上で貧苦に喘ぐ人々の姿を見たときも。
 遙かなる天の正しさに疑問を抱き、声をあげたときも。
 決して人に絶望し諦めようとは思わなかった。
 しかし呪詛の声はジラールの闇のなかで叫びたて、絶望に抗おうとする魂を黒く塗り潰していく。

——どうしてお前は死なない。
——力を持たない命に意味はない、お前の命に意味はない!

 思考が自分のものなのか、それとも呪詛のものなのか、境目が曖昧になっていく。
 生きているのか、死んでいるのか、それすらも定かではなくなった。
 誰かを傷つけてしまう前に、自ら幕を引くべきでないのか。破滅に向かう理性すら、呪詛に塗り潰されて消えていく。
 澄んだ金属の音が聞こえたのは、そのときだった。
 身に着けた鎧の奥からだ。
 音によって祓い清められたように呪詛の声が和らいで、わずかにジラールの心が動いた。
 何の音だろう? 
 ジラールは粘つく闇を振り払い、そっと胸に触れた。
 彼がくれた懐中時計が二つに割れて、そこにあった。
 海に身を投げるようにすべてを人に渡してしまっても、ただひとつ捨てられず残ったものだった。
 ジラールの唇がかすかに動く。
 喚きたてる呪詛の声が遠ざかっていく。
 身体を縛っていた闇が晴れ、ジラールの視界は白くひらけていった。

 目を開けると、彼が立っていた。
 そこにあったのはいつもと変わらない、毒にあたって腹痛を堪えるような、気に入りの食事をこぼしてしまったときのような、不器用で偏屈な顔つきだ。
 最期の息をはきながら、ジラールは思わず笑ってしまった。
 光がさしていた。

design:kaworu Illust:天城望