「セザさん、こんなに強かったんですね」
倒れ伏した堕獄囚たちを見渡して、パシィアが呆気にとられた声をあげた。
「別に……あいつらが弱かっただけだろ」
褒められることには慣れていない。思わずぶっきらぼうに答えると、パシィアが大きく首を振る。
「ありえないです! 全員懲役千年超えは確実の超大物堕獄囚。それをあんなに簡単に——」
わぁわぁ言っているパシィアの声を聞きながら、セザは思案した。
ダモス、パシィアから奪った罪能に加え、大物堕獄囚三人からの罪能も手に入った。今のセザは前ほど無力ではない。
このまま進めば二階層に降りられるだろう。しかし脳裏にひとつの顔がちらついて離れない。
セザは泡を吹いて倒れている囚人たちを一瞥し、来た方へと身を翻した。
そこに小走りでパシィアがついてくる。
「イマさんを助けるんですね!」
「……助ける、か」
華々しい言葉は、正直しっくりこなかった。
イマは自分の意思でセザの元から離れると決めた。ラグノーネに何か目的があるのなら、暴力を振るわれることはないだろう。
セザの元にいるよりも、ラグノーネのところにいた方が安全かもしれない。
それでも戻ると決めたのは、ごく単純な理由だった。
セザは聖人ではなく罪人で、奪われたものは、奪い返さなくてはならないのだから。
「でも気をつけましょう。“傀儡蜘蛛”——かつてのラグノーネの二つ名です。ラグノーネは元々特殊な力を持つ家系で、その力で歴史的な争いを引き起こしたとか……」
「どんな力なんだ?」
「私も詳しくは知らないんです、すみません」
わからないなら気をつけるもクソもないだろ。
思わず無言になったセザに、パシィアが慌てて言い訳した。
「ラグノーネは元シャドウパラディンなんですよ。情報のプロなんです! そんな簡単に情報を漏らしたりしませんよ」
そうだとしても、中途半端な情報ではむしろ足枷にしかならなさそうだ。忘れよう。
セザが軽く頭を振ったそのとき、背後から鋭い風切り音が聞こえてきた。
——攻撃。
考えるよりも先にナイフを掲げると、目と鼻の先に白い斬撃が奔った。束ねた髪の先端が、わずかに切られて舞い上がる。
「……後ろから攻撃か。ご立派だな色男」
セザが嫌味を投げた先、回廊に一人の男が立っていた。
左手には背骨を繋いだような形の長い鞭があり、まるで生き物のようにのたうっている。
どうやらセザの背中を狙った斬撃の正体らしい。
「逃げる獲物は追いたくなるものだろ?」
笑みを浮かべる男に、パシィアがハッと息を呑んだ。
「——殴撻罪のマメン」
Illust:篠丸峰山「強いのか?」
「強いです。さっきの堕獄囚たちと同じくらい」
「じゃあ勝てるな」
死角からの奇襲は躱した。さっきの連中と同レベルなら負けないだろう。
「さっさと済ませるぞ」
ナイフを構えるセザに、マメンが左目を細めて笑った。
「一人で狩りはしないものさ」
バシィッ!
マメンが鞭を打ち鳴らすと、それに応えるように闇から男たちがぞろぞろと姿を現した。
目を凝らせば、回廊の先にも影が連なっている。十人は下らないだろう。
「……げ」
まずい、こいつらと戦ってる間に追加で罪人が集まってくるパターンじゃないか?
罪能が増えるのはありがたいが、今は罪能集めをしている場合ではない。
セザが顔を強ばらせていると、前を遮って腕が差し出された。
パシィアだった。
「行ってください、セザさん。ここは私が引き受けます」
「お、おぉ……」
言ってみたい台詞にランキングをつけたとして、上位に食い込んでくる台詞だろう。
思わず言葉を失ったが、羨んでいる場合ではない。
「本当に大丈夫か?」
「はい、もちろん。任せてください!」
「本当に本当に本当だな?」
「はい!」
元気な返事にむしろ不安が掻き立てられるのは、パシィアがパシィアだからだろう。
ガリ勉の彼女がこの人数と戦えるとは思えないが、そうも言ってはいられない。
堕獄官の制服の加護で死ぬことはないだろう……たぶん。
「恩に着る。ここは頼んだ」
「はい。イマさんをお願いします」
「任せろ」
パシィアの肩をひとつ叩き、セザはマメンたちに背を向けて走り出した。
「——逃がすわけがないだろ?」
離れていくセザにマメンが鞭を向ける。
鋭い風鳴り。しかしパシィアの肩を抜けようとしたところで、バチィッ! と光が奔り、鞭が弾かれた。
宙には鮮やかな紫色の魔法陣が描かれている。
へぇ、とマメンが感心したように呟いた。
「防御魔法……逃げるのは得意ってわけか」
「いいえ、逃げません」
パシィアは毅然と答える。するとその身にかけられていた変身魔法が解けて、彼女の本来の姿が現れた。
突然の制服姿に、堕獄囚たちに動揺が走る。ただ一人、マメンは笑みを深めた。
「——はは、堕獄官を殺すのは初めてだ」
殺気を受けて、パシィアはまっすぐにマメンを見据えた。
「申し遅れました、わたくし新人堕獄官のパシィアと申します。魔法学校を首席で卒業、もちろん無遅刻無欠席、好きな科目は変身術と体育、嫌いなことは……」
ぐうぅうぅ~~
口上を遮って腹の虫が鳴き、パシィアは慌てて腹を押さえた。
「……お腹が空くこと。私、燃費が悪いみたいで、食費が物っっっっ凄く多いんです。食べ放題はどこも出禁、パンなんて空気みたいなものだし、お芋は水」
悲しそうにパシィアがまぶたを伏せる。
「それでもみんなと一緒にご飯を食べたいから、我慢することにしたんです。だからお腹が空いて、空いて空いて空いて空いて空いて空いて空いて空いて——我慢できなくなって、私、この眼鏡をかけることにしました。そうすれば我慢できるから、無理やり食べずにすむから。……でも」
パシィアは眼鏡のつるにそっと触れた。
「——今日くらいお腹いっぱいになってもいいですよね?」
眼鏡を外したその瞬間、流れを堰き止めていた戸板が外れたように、瞳から妖しい光が溢れ出した。
ひとつ頭を打ち振るえば、髪がほどけて舞いあがり、もはや、そこに立っているのは地味で冴えない女ではなかった。
禁欲的な制服は、なよやかな芳体を引き立てるばかりで、その総毛立つほどの色気に、マメンも男たちも目を逸らせない。
思わずマメンが身を乗り出し、息を呑めば、唾液が乾いた喉に引っかかった。
呼吸すれば、やけにガサガサとした音がする。
何か、おかしい。
ちょうど足元には地下水が黒い水たまりになっていた。
マメンが視線を落とすと、そこに映る男の頬は肉がそげたように痩けている。
見れば、後ろに連なる男たちも生気が抜けて、一人残らず骸骨じみた姿になっていた。
「まさか……生気が吸われている?」
わかってなお、うっとりと微笑む女を、マメンは魂が抜けたように見つめることしかできなかった。
新人堕獄官パシィア。
その種族はサキュバスである。