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Novel
長編小説「クレイ堕獄譚(プリズンレコード)」

第1章 16話 サキュバス

「セザさん、こんなに強かったんですね」

 倒れ伏した堕獄囚たちを見渡して、パシィアが呆気にとられた声をあげた。

「別に……あいつらが弱かっただけだろ」

 褒められることには慣れていない。思わずぶっきらぼうに答えると、パシィアが大きく首を振る。 

「ありえないです! 全員懲役千年超えは確実の超大物堕獄囚。それをあんなに簡単に——」

 わぁわぁ言っているパシィアの声を聞きながら、セザは思案した。

 ダモス、パシィアから奪った罪能に加え、大物堕獄囚三人からの罪能も手に入った。今のセザは前ほど無力ではない。

 このまま進めば二階層に降りられるだろう。しかし脳裏にひとつの顔がちらついて離れない。

 セザは泡を吹いて倒れている囚人たちを一瞥し、来た方へと身を翻した。

 そこに小走りでパシィアがついてくる。

「イマさんを助けるんですね!」

「……助ける、か」

 華々しい言葉は、正直しっくりこなかった。

 イマは自分の意思でセザの元から離れると決めた。ラグノーネに何か目的があるのなら、暴力を振るわれることはないだろう。

 セザの元にいるよりも、ラグノーネのところにいた方が安全かもしれない。

 それでも戻ると決めたのは、ごく単純な理由だった。

 セザは聖人ではなく罪人で、奪われたものは、奪い返さなくてはならないのだから。

「でも気をつけましょう。“傀儡蜘蛛”——かつてのラグノーネの二つ名です。ラグノーネは元々特殊な力を持つ家系で、その力で歴史的な争いを引き起こしたとか……」

「どんな力なんだ?」

「私も詳しくは知らないんです、すみません」

 わからないなら気をつけるもクソもないだろ。

 思わず無言になったセザに、パシィアが慌てて言い訳した。

「ラグノーネは元シャドウパラディンなんですよ。情報のプロなんです! そんな簡単に情報を漏らしたりしませんよ」

 そうだとしても、中途半端な情報ではむしろ足枷にしかならなさそうだ。忘れよう。

 セザが軽く頭を振ったそのとき、背後から鋭い風切り音が聞こえてきた。

——攻撃。

 考えるよりも先にナイフを掲げると、目と鼻の先に白い斬撃が奔った。束ねた髪の先端が、わずかに切られて舞い上がる。

「……後ろから攻撃か。ご立派だな色男」

 セザが嫌味を投げた先、回廊に一人の男が立っていた。

 左手には背骨を繋いだような形の長い鞭があり、まるで生き物のようにのたうっている。

 どうやらセザの背中を狙った斬撃の正体らしい。

「逃げる獲物は追いたくなるものだろ?」

 笑みを浮かべる男に、パシィアがハッと息を呑んだ。

「——殴撻おうたつ罪のマメン」

Illust:篠丸峰山


「強いのか?」

「強いです。さっきの堕獄囚たちと同じくらい」

「じゃあ勝てるな」

 死角からの奇襲は躱した。さっきの連中と同レベルなら負けないだろう。

「さっさと済ませるぞ」

 ナイフを構えるセザに、マメンが左目を細めて笑った。

「一人で狩りはしないものさ」

 バシィッ!

 マメンが鞭を打ち鳴らすと、それに応えるように闇から男たちがぞろぞろと姿を現した。

 目を凝らせば、回廊の先にも影が連なっている。十人は下らないだろう。

「……げ」

 まずい、こいつらと戦ってる間に追加で罪人が集まってくるパターンじゃないか?

 罪能が増えるのはありがたいが、今は罪能集めをしている場合ではない。

 セザが顔を強ばらせていると、前を遮って腕が差し出された。

 パシィアだった。

「行ってください、セザさん。ここは私が引き受けます」

「お、おぉ……」

 言ってみたい台詞にランキングをつけたとして、上位に食い込んでくる台詞だろう。

 思わず言葉を失ったが、羨んでいる場合ではない。

「本当に大丈夫か?」

「はい、もちろん。任せてください!」

「本当に本当に本当だな?」

「はい!」

 元気な返事にむしろ不安が掻き立てられるのは、パシィアがパシィアだからだろう。

 ガリ勉の彼女がこの人数と戦えるとは思えないが、そうも言ってはいられない。

 堕獄官の制服の加護で死ぬことはないだろう……たぶん。

「恩に着る。ここは頼んだ」

「はい。イマさんをお願いします」

「任せろ」

 パシィアの肩をひとつ叩き、セザはマメンたちに背を向けて走り出した。

「——逃がすわけがないだろ?」

 離れていくセザにマメンが鞭を向ける。

 鋭い風鳴り。しかしパシィアの肩を抜けようとしたところで、バチィッ! と光が奔り、鞭が弾かれた。

 宙には鮮やかな紫色の魔法陣が描かれている。

 へぇ、とマメンが感心したように呟いた。

「防御魔法……逃げるのは得意ってわけか」

「いいえ、逃げません」

 パシィアは毅然と答える。するとその身にかけられていた変身魔法が解けて、彼女の本来の姿が現れた。

 突然の制服姿に、堕獄囚たちに動揺が走る。ただ一人、マメンは笑みを深めた。

「——はは、堕獄官を殺すのは初めてだ」

 殺気を受けて、パシィアはまっすぐにマメンを見据えた。

「申し遅れました、わたくし新人堕獄官のパシィアと申します。魔法学校を首席で卒業、もちろん無遅刻無欠席、好きな科目は変身術と体育、嫌いなことは……」

 ぐうぅうぅ~~

 口上を遮って腹の虫が鳴き、パシィアは慌てて腹を押さえた。

「……お腹が空くこと。私、燃費が悪いみたいで、食費が物っっっっ凄く多いんです。食べ放題はどこも出禁、パンなんて空気みたいなものだし、お芋は水」

 悲しそうにパシィアがまぶたを伏せる。

「それでもみんなと一緒にご飯を食べたいから、我慢することにしたんです。だからお腹が空いて、空いて空いて空いて空いて空いて空いて空いて空いて——我慢できなくなって、私、この眼鏡をかけることにしました。そうすれば我慢できるから、無理やり食べずにすむから。……でも」

 パシィアは眼鏡のつるにそっと触れた。

「——今日くらいお腹いっぱいになってもいいですよね?」

 眼鏡を外したその瞬間、流れを堰き止めていた戸板が外れたように、瞳から妖しい光が溢れ出した。

 ひとつ頭を打ち振るえば、髪がほどけて舞いあがり、もはや、そこに立っているのは地味で冴えない女ではなかった。

 禁欲的な制服は、なよやかな芳体を引き立てるばかりで、その総毛立つほどの色気に、マメンも男たちも目を逸らせない。

 思わずマメンが身を乗り出し、息を呑めば、唾液が乾いた喉に引っかかった。

 呼吸すれば、やけにガサガサとした音がする。

 何か、おかしい。

 ちょうど足元には地下水が黒い水たまりになっていた。

 マメンが視線を落とすと、そこに映る男の頬は肉がそげたように痩こけている。

 見れば、後ろに連なる男たちも生気が抜けて、一人残らず骸骨じみた姿になっていた。

「まさか……生気が吸われている?」

 わかってなお、うっとりと微笑む女を、マメンは魂が抜けたように見つめることしかできなかった。

 新人堕獄官パシィア。

 その種族はサキュバスである。