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短編小説「ユニットストーリー」
053 世界樹編「大渓谷の探究家 C・K・ザカット」
ストイケイア
種族 ワービースト
カード情報
「あのぉ、すみません。獣人ワービーストを探していまして、こういう方をご存じありませんか?」
 ぷぅ。
 返事はこれだった。僕は諦めず、差し出した写真をひっこめずに続けた。それにしても背中の荷物が重い。
「僕の恩師なんです。この辺りに棲んでいるって聞いてるんですけどぉ……」
 ぷぅぷぅ。
 また返事をしたそのふっくらとした顔は笑っているようだった。きっとこの森には彼(オスなんじゃないかな、たぶん……)を脅かす存在がいないのだろう。テントウ虫と戯れて遊ぶその姿は、ここに来るまでに会った田舎の子供達そっくりの平和で穏やかな反応だった。
 「知ってる?それとも知らない?あぁ困ったなぁ、僕はブタ語は未履修なもので」
 額に一本、角を生やした彼は野ブタに似ていた。

Illust:とちみき


 ざざっ。
 その時、頭上のこずえが激しく揺れたかと思うと、懐かしい声が僕にかかった。
「カマプーが喋っているのはブタ語ではないぞ」
 目の前に、木のツルを握ったイヌ系獣人ワービーストが飛び降りてきた。
 ぷうぷうぷう。
 カマプーが嬉しそうに鳴いた。
「そもそも彼はブタではない。この森の住人、立派な樹角獣なのだ」
「ザカット教授せんせい!?」
「やぁアルケミック。レティア大渓谷へようこそ」
 グレートネイチャー総合大学動物学教授、C・K・ザカット氏はそういうと鼻眼鏡を直して、にっこりと笑った。

Illust:ゆずしお


 案内されたザカット教授の住居は森の奥の大樹の上に木の枝を寄せ集めて作られた、まぁ例えれば巨大な鳥の巣のような構造物だった。
「この森では木を傷つけるノコギリや斧を使うことが許されない。マグノリア様のお怒りをかうからね。とはいえ私は獣としては非力だから、夜に地べたで寝るのはどうぞ餌にしてください、と言っているようなものだ。ここは平和だが、食物連鎖は厳然とした自然界の掟だから。君にもゼミで教えたはずだ」
 ザカット教授がしかけてあった紐を引くと、器用に組み上げられた縄ばしごが降りてきた。
「備えあれば憂いなし、さ」
 教授はそう言って肩をすくめた。

「大学にはもう戻られないんですか、教授」
 僕はお土産の動物誌を手渡しながら、尋ねた。ザカット教授は最新の論文とニュースが収められた冊子を嬉々として捲りながら答えた。
「私はとうの昔に除籍になっていると思っていたがね。それから“教授せんせい”はもうやめてくれたまえ。君だってもう専科を修めた立派な化学者なんだから」
 僕は否定と拒否、両方の意味で強く首を振り毛を逆立てた。
「いいえ。教授が定期的に送られている『レティア大渓谷見聞録』は動物学、植物学、地理学の学会で最も注目されている第一級資料です。C・K・ザカットの名はいまやレティア大渓谷研究の権威なんですよ。研究室と出版物もお弟子さん達が管理しながらお帰りを待っています。グレートネイチャー総合大学も教授を決して手放すことはないでしょう」
 教授は手を止めると、悲しげに首を振った。
「あぁ。皆の気持ちはとても嬉しいが、伝えてくれないだろうか。『私はもう帰れない』と。私という存在はすでにこの森の一部なんだ。マグノリア様の恩恵の下、日々探究を続ける事がなによりの幸せなのさ」
 教授の視線は広い部屋の片隅、いまは森の警戒に出かけているという盟友、樹角獣ダマイナルの居場所に向けられていた。床に漂う白く美しい毛だけがその気配を感じさせた。
 沈黙が落ちる。
 僕は硬い頭の毛を掻きながら(これは僕の癖だ)話題を逸らした。
「教授は、先の《世界の選択》の一件では封焔の巫女の治療もされたそうですね」
 教授はまたにっこりと笑った。一部にはいまだ畏怖を持って語られる封焔の巫女バヴサーガラとの思い出も、彼にとっては悪い記憶ではないらしい。
「あの時、この森では人間ヒューマンを知っている者が私しかいなかったから。私はもともと医者じゃない」
 僕は部屋を見渡した。膨大な手記の束とともに室内に積み上げられた薬草や新鮮な果実(これは樹角獣たちから寄せられたお礼らしい)は、教授の言葉が謙遜でしかなく、探究家のかたわらこの森を守る獣医としても腕をあげていることが看て取れた。
「そろそろ陽が落ちるな。おとなしい獣はねぐらに帰る頃だ。君も今日は泊まっていきなさい。ここは平和な森だが、君だって腹ペコの肉食獣に『美味しそうなハリネズミ』だなんて見られたくないだろう」
 教授の冗談に僕らは笑った。……でも、これは冗談なのかな。
 その時──。

Illust:かわすみ


 階下で、悲鳴が聞こえた。
 ザカット教授の動きは素早かった。壁の木の枝をかきわけて外を見張る。僕も角帽を押さえながら、床の入り口から逆さに頭を覗かせた。このくらいハリネズミ系獣人ワービーストとしては何の苦もない。
 樹角獣が逃げている。追っ手はオオカミの群れだ。その足は稲妻のように速かった。
「ジャッカロープだ。ねぐらに入り損ねたか」
 教授の声は驚きと困惑に満ちていた。相手は一頭や二頭ではない。僕らではジャッカロープを救えないと悟ったのだ。樹角獣の守り手としての今の自分と、動物学者として自然の掟の厳しさを知る教授としては身が二つに引き裂かれるような思いなのだろう、と僕は察することができた。
「火は!?火はありますか?」
 僕は尋ねた。火で威嚇することで追い払えるかもしれない。ずっと以前、教授に教わったように。
「ダメだ。火はこの家には置いていないんだ。火もまた森では忌み嫌われるものだから」
 と教授。なるほど。だからさっきご馳走になった薬草茶は発熱性の薬品で暖められていたのか。
 薬品?
 僕は閃いた。
 背負ってきた大荷物に走り寄る。チューブを繋ぎ薬液を混合させる。ボトルを背に回し、手には放射筒。
「? 何をするつもりだ」と教授。
「僕に任せて!教授はジャッカロープを拾って・・・ください」
 教授は何か察したのか、僕の前の壁=木の枝をかき分けて下を見やすくしてくれた。助かります、教授。
「そぉれ!」
 みょみょみょみょーん!
 僕が手元のスイッチを押すと、筒の先に虹色の泡が膨らんでゆく。
 ポン!
 虹色の泡は飛んでいき、ジャッカロープに襲いかかる寸前の狼、その先頭の一体に当たった。
 泡はそのまま割れずに狼を包むと、その身体を宙に浮かせる。
「?!」
 目を丸くしたのは教授も狼たちも同じ。それはそうだろう。こんな化学の技は森にはないものだから。
「やった!つついても平気なシャボン玉!できたかも!」
 そう。これはシャボン玉。教授に見て喜んでもらうために(自慢したかったんじゃないよ、念のため)持ってきた発生器の産物だ。……本当に動くか、実験中のものだったけれど。
 ポ・ポ・ポ・ポ・ポン!
 狼たちは次々と“泡に包まれて宙に浮く不思議な獣”になっていった。
 この隙にジャッカロープは教授が垂らした縄ばしごを伝って、樹上に無事救助されていた。
あれ・・はどうなるんだ」
 と教授。狼だって森の住人には違いない。教授にとっては狼たちもまた保護すべき対象なのだ。
「大丈夫。しばらくすると泡は消えます」
「よしいいぞ!よくやった!アルケミック・ヘッジホッグ」
 とザカット教授。その腕の中では、命拾いした樹角獣ジャッカロープがキラキラと光る目で僕を見つめていた。
「えへへ、どういたしまして」
 僕は硬い頭の毛を掻きながら、胸を張った。
 教授の言葉は、大学の動物行動学ゼミでもらった“A+”と同じくらい嬉しかった。

Illust:かわすみ




※註.獣(野ブタ)、昆虫(テントウ虫)などは地球の生物で近いものの名に変換した。成績評価のA+、シャボン玉も同様に地球の呼び名に合わせている※
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《今回の一口用語メモ》

レティア大渓谷
 峡谷と森、河、豊かな自然に恵まれたストイケイア国の一地方。
 位置としてはズーガイア大陸、旧ズー国の東部にあたり、グレートネイチャー総合大学があるズーガイア大森林、西部の湾港都市トゥーリなど経済・文化が栄えている側とは遠く離れた僻地である。
 その一方、天輪聖紀に入ってからというもの動物学、植物学、地理学など学問の世界において惑星クレイでもっとも注目されているのがレティア大渓谷だ。
 レティア大渓谷は、ここに棲息する樹角獣(身体のどこかに樹=植物性の“角”を持っていることからこの名がある)と特異な植物、そしてこの地に満ちる力そのものとも称される主、樹角獣王マグノリアが治める豊かな自然によって他の土地とは違う独特の特徴を持っている。

 この地に魅せられ踏み込んでゆく冒険者は多いが、森の王マグノリアは悪意・害意をもった侵入者を拒絶してしまうため、長らくこの地の研究は進まなかった。状況が変わったのは獣の友、グレートネイチャー総合大学動物学教授C・K・ザカットがこの地に入った時からである。自ら文明に背を向けた生活を選び教授職をなげうったザカットだったが──実際、住民からは大渓谷の探究家、獣医として受け入れられている──、その後も発表され続ける優れた研究結果から大学も学会も彼の学問からの離脱を認めておらず、教員籍もザカットの研究室もいまだグレートネイチャー総合大学に残されているという。



→C・K・ザカットと樹角獣 ダマイナルについては、ユニットストーリー017「樹角獣 ダマイナル」を参照のこと。

→レティア大渓谷への侵入者を拒む樹角獣王マグノリアの力については、世界観コラム ─ セルセーラ秘録図書館004「樹角獣とレティア大渓谷」を参照のこと。

→樹角獣王マグノリアと封焔の巫女 バヴサーガラ(リノリリ)、C・K・ザカットについては、ユニットストーリー035「樹角獣帝 マグノリア・エルダー」を参照のこと。

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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡