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短編小説「ユニットストーリー」
104 龍樹篇「侵蝕の烽烟」
カード情報

Illust:凪羊


世界は悪意に侵され、終局への道を歩む。


 焼き尽くされる山林。真っ赤に燃え上がる山と平原が視えた。

 シベール──ヴァーテブラ森最後の予言者──は半眼にしていた瞳をぱっちり開けると、しがんでいた若芽をふっと吹きだして、寄りかかっていた左舷の狭間から甲板に降り立った。Pコートをまとい、長い睫毛を伏せ憂い顔で半跏趺坐していた時には男装の麗人といった趣さえあった彼女だが、いざ動き出すと溢れ出す精気と幼さが表に出て腕白な美少年にしか見えない。
 快晴。眼下は広大な海原。湾の上空に吹く風も穏やかだ。
 シベールは確かな足取りでデッキを歩き出す。
 AFG商会の貨客船《鳳凰》は、もともとドラゴンエンパイアの竜貴族が他種族と親しむために作られた遊覧用飛行船。故にその設計にも施工にも惜しみなくお金をかけた「空飛ぶ貴賓室」というべきものである。もっとも中古で譲られたものだから老朽化は否めなかったのだが、この船には創意と工夫そして何より乗員の若さという武器があった。
 シベールが操舵室の扉から顔を覗かせると、中はちょうど議論の真っ最中だった。
「消えてる?!島ってそんなヒョコヒョコ浮いたり沈んだりするモンなのかよ」
 と黒髪ブルネットガデイがしかめ面で逞しい腕を組めば、
「この辺りでよく見られる露岩ってわかるよね。あれは珊瑚礁が海上に突き出たものだから、海食や風化の影響は免れないんだ」
 白銀髪プラチナアバンが落ち着いた舵輪さばきを見せて船体を周回コースに乗せ、
「でも“石舞台”って相当大きいものでしょう。こんな急に姿を消すなんてあり得るのかしら。……あら、“鳳凰”。瞑想はもうおしまい?」
 魔女フィリネがいつものように適切すぎる指摘で一同の注意を促した後、シベールに気がついて賢者名で呼びかけた。
 4人あわせて現在、AFG商会貨客飛行船の全乗組員クルーである。
「ううん。気になるものが視えた・・・から……ところで消えたって騒いでるの、あの・・石舞台のこと?」
 とシベールは窓から下を覗きこむ。
「ホーントだ。影も形も無いや」
 フィリネとガデイがその両脇で同じように身を乗り出す。
「ギーゼ=エンド湾の驚異……《世界の選択》の石舞台」「冒険の記念すべき第一回だから、楽しみにしてたのにな」
 わいわいと話が弾む。石舞台消失などという怪異ではなくても、例えば今日は海が凪いでいるというだけでもそれを発端に楽しい会話が何時間でも続く。少年時代の友達とはそういうものだ。
「ありがとう、ドゥーフ船長」
 アバン船長・・はそんな3人の後ろ姿に微笑みながら呟いた。

 ──ひと月ほど前。AFG商会本社。
 これからどうしよう。
 時の宝具の冒険を終え、ケテルの厚い歓待から帰還した後、新たな仲間予言者シベールを迎えて最初の経営会議。皆の心には何となく、宴の後のエアポケットのような虚脱感があったのかもしれない。
 誰からともなくその呟きが漏れた時、ケテルの黒騎士であり貨客船《鳳凰》の船長ドゥーフの答えは明快だった。
「君たちは旅を続けたら良い。後のことは私に任せて」
 ドゥーフはいつもこんな風に少年達の背中を押してくれる。そして今回も。
「惑星クレイに眠る遺跡や遺物は何も宝具だけではない。歴史の謎と真実を追い求める旅。陸にも海にも空にも解き明かすべき謎は数え切れない程あるんだ。考えただけで心が躍るだろう」
 “古の宝具”。
 最近、グレートネイチャー博物学誌にも「失われし惑星クレイの至宝」として名を連ねられる事になった“光の宝具”により、ケテルサンクチュアリの地上の都セイクリッド・アルビオンから始まった少年2人の冒険は、魔女と予言者2人の少女を巻き込んで“時の宝具”に導かれたこの惑星ほしと35億年の時空を駆け巡る旅──恐ろしいことにこれは事実そのもののスケールである──、古の英雄The Elderlyを巡る探求行クエストへと広がったのだ。
「さて。我々が一翼を担うドラゴンエンパイア皇都の個人宅配便事業は現在急成長している業種だ」
 ドゥーフは事務仕事に打ち込むようになって着けるようになった眼鏡のブリッジを押し上げながら、会議室のモニターに売上グラフと配達エリアマップを表示させて解説した。画面では《鳳凰》と改めて命名された初代貨客船の後ろに次々と同型のマークが増えてゆく。
「炎竜伯爵との下取り交渉の結果、使える船も増やすことができた。今後は配達と整備、運営の人材も充実させていきたい」
 貨客船の船長でもある男ドゥーフは、燃えるような長い髪をかきあげた。ケテルの黒騎士が経営にこれほどの意欲と手腕を示すのは意外にも思えるが、諜報活動の専門家であるシャドウパラディンに求められる能力のひとつに、現地で財を成す(活動資金を維持・捻出する)というものも含まれる。
「我が社の若きトップの方々には自由に世界の空に羽ばたいて欲しい。君たちが飛ぶほど我が社の宣伝にもなるようにしておいたからね」
 アバン、フィリネ、シベールは思わず顔を見合わせた。
 なるほど。それで《鳳凰》の命名式で、気嚢エンベロープにあれほどデカデカと社名と船名、ついでに4人のシルエットまでが描かれていたのか。はしゃぎ回るガデイ以外の3人は、各界のお歴々が詰めかけた式で顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたものだったが。
「要は便利に使われてるのな、オレたち」
 とガデイ。いつもの、答えが分かった上で大人にからむ憎まれ口である。
「そう。君たちは動く広告塔というワケさ。この惑星ほしの隅々までね」
 商売を始めて少し性格が丸くなったのだろうか、晴れやかな笑顔のドゥーフとガデイは互いを指さし合って笑った。

 アバンの物思いは一瞬だった。
 貨客船《鳳凰》は今回の冒険旅行の目的地へとゆっくりと降下を始めていた。
 操船の技術はドゥーフ直伝。習得の速さ、状況判断に優れ、沈着冷静と大胆さも兼ね備える点は空の船乗りとして彼に元々備わっていた素養である。
《ギーゼ=エンド湾の石舞台》
 グレートネイチャー総合大学が定める『惑星クレイ 歴史遺産』によれば、ここは新聖紀の末期、クレイ歴2400年代に起こった第二次弐神戦争の最後に破壊神ギーゼの消滅が起きた場所であり、近くは天輪聖紀の幕開けを告げる出来事、すなわち天輪の巫女と絶望の巫女が《世界の選択》を背負って戦った場所としても、知られる名所である。


 それが今は消えている。何の変哲もない海面となっており、何の姿も見ることはできない。
「いや、そうじゃない」
 シベールだけがそう呟いた。コートを脱ぎ捨てると、操舵室右舷の扉を開く。
 強い風が吹き込んだ。飛行船の外は無論、空と海があるだけである。
「フィリネ、ロープ!」「はい!」
 シベールはてきぱきと動く魔女から綱を受け取ると、手早く手すりと自分の足に巻き付ける。彼女が予言者として勤めたヴァーテブラ森は同名の湖のほとりにある。縄結びの技は水辺の民仕込みの確かなものだった。
「船長!針路と速度このまま。高度を少し下げて」
 扉から身を乗り出すシベールは目を細めている。海面に何かを見出しているようだ。
「あ、ちょっと……」「了解」
 慌てるガデイ。アバンは動じること無く操船に専念している。
 肘までの長さを使って素早く長さを詰めると、シベールは1点を指してガデイに命じる。
「はい、ここ持って!合図したら引き上げてね」「ええっと……あのぉ……」
 止める間もなく、シベールは鳥のように手を広げて空へと飛び出した。
 積み上がったロープがみるみる繰り出されてゆく。
「ガデイ」「何!?いま取り込み中」「離したら許さないぞ」「うるさーいっ!どいつもこいつも無茶ばっかりしやがって」
 船長とロープ係、2人の幼馴染みが掛け合いをする中、フィリネが叫んだ。
「引いて!」「ぬぉぉぉぉ!」
 ロープがびん・・と張り、ガデイは外に引きずられながらも渾身の力で踏ん張った。
 シベールは海に落ちたわけではない。
 バンジージャンプの要領で吊り下がり、逆さの体勢のまま海面すれすれを飛んでいるのだ。
「そのまま!」
 とフィリネ。シベールの僅かな見振りだけで彼女の意図する所を読み取っている。2人は出会った瞬間から心友である。
「シベールは何を見つけたんだろう」「知るかよッ!」
 冷静すぎて他人事のようにも聞こえるアバンの独り言に、ガデイが怒鳴り返す。
 滑るように進むシベールの手が海面に白い波を立てた。
「着水!いいえ……」
 フィリネは目を凝らす。予言者の手の中に何かが現れていないか。抱きかかえているようだが。
「引き上げて!!」「上昇する!」
 ここはガデイの見せ場だ。アバンの操船と息を合わせて力任せにロープを引きまくる。
 その甲斐あって程なくシベールは操舵室まで引き上げられ、フィリネに抱え上げられた。
「ケガは無い?」「大丈夫。それより……」
 ロープをほどく手間も省いて、シベールは床に抱えていたものを下ろした。
 ずぶ濡れで丸まった布のように見えたが、魔女がそっと表に返すとそれは小さな人型をしていた。
「息がある」とフィリネ。
「溺れていた?」とガデイ。それにしては周囲に難破船などの形跡はなかったが。
「違うと思う……待って!何か言ってる」
 シベールは一同に手を上げて制すると、小さな人型の口に耳を当てた。
「逃げ、ろ……この先……危険」
「アバン!回避!」
 とシベールが船長に叫ぶ。皆まで言わせず、アバンの舵輪さばきで飛行船《鳳凰》が急旋回を始める。
「見ろ!下だ!」
 ガデイの声で皆の目が、床が傾いて今は側面に見える海面に注がれた。
 海が無くなっていた・・・・・・・・・
 ついさっきシベールが人型を拾い上げた辺り、今まで普通に見えていたその海が黒い穴に変わっていた。
 いや、穴というには大きすぎる。
 低空から見ると、一帯の海そのものがいきなり宇宙の虚空に変じたかのように、何もない底もない奈落になっているようだ。
「……」
 人型の声はまだ続いていた。
 水を打ったように静まりかえる操舵室の中で、シベールは皆に聞こえるように一語一句復唱した。
「リノ……危ない……伝えて……封焔の巫女」
「リノ?バヴサーガラ?」
 とフィリネ。直接会ったことこそ無いが天輪の巫女リノと封焔の巫女バヴサーガラの名は、惑星クレイ世界の命運に関わる事件に関心があれば必ずと言っていいほど耳にするものだ。途切れ途切れの情報からでも連想することは難しくなかった。
「わかった。ねぇ、苦しいだろうけど名前を聞かせて!キミは誰?」
「トリクムーン」
 絶望の精霊は最後にそれだけ囁くと、弱々しく目を閉じた。





注.艦上用外套の名称、Pコートについては地球で使用される似た型のものを使用した。

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《今回の一口用語メモ》

ギーゼ=エンド湾
 グレートネイチャー総合大学が定める『惑星クレイ 歴史遺産』によれば、ここは新聖紀の末期、クレイ歴2400年代に起こった第二次弐神戦争の最後に破壊神ギーゼの消滅が起きた場所であり、近くは天輪聖紀の幕開けを告げる出来事、すなわち天輪の巫女リノと絶望の巫女バヴサーガラが《世界の選択》を背負って戦った場所としても知られる。
 また他にもこの海域は世界有数の豊かな漁場、天輪聖紀となって活動を再開させた海賊団の巣窟としても知られ、東にはかつてこの一帯がダークゾーンと呼ばれていた頃の領主の館ランペイジ城の跡があり現在は公園として整備されている。さらに南部の陸地の突端部には死骸城と呼ばれる謎の城塞、その崖上には謎の石像(あるいは石化した何者かの姿)があると言われている。
 今回、AFG商会貨客船《鳳凰》の探索によって石舞台の消失と、巨大で底が計測できないほど深い“奈落”の出現が観測された。これが何に起因する現象なのか。目下、我が騎士団の総力を挙げて調査中である。

シャドウパラディン第5騎士団副団長/水晶玉マジックターミナル特設チャンネル管理配信担当チーフ
厳罰の騎士ゲイド 拝

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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡