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短編小説「ユニットストーリー」
136 運命大戦第10話「 禁忌の運命者 ゾルガ・ネイダール II 《零の虚》」
ストイケイア
種族 ゴースト
「ヘンドリーナ」
 呼ぶ声で私の意識が呼び覚まされた。
「ヘンドリーナ」
 起きてるよ!しつこい!それにこの声、目覚ましとしては一番聞きたくないヤツのものだ。
「終わったぞ、成功だ」
 何よ、嬉しそうに。こっちはまだ寝起きでぼんやり……あれ?私、なんで寝ていたんだっけ。 
「見ろ」
 目の前に手鏡が突き出された。あんたね。水晶玉マジックターミナルもそうだけど、そういう小道具はどこに隠してるのよ。
「!」
 よっぽど毒づいてやろうと思っていたんだけど、ぼんやりとした夜の甲板の照明に浮かび上がった鏡に映る自分の姿を見て、私は凍りついた。
 頭にはリボン、ボンネット帽にはショール付き、フリフリの可憐なデコラティブなドレス、青白い肌。彼女は、いや私は幽霊ゴーストだ。
 そしてこの娘の名を、私は知っていた。
「ちょっと!どういう事、これ!?」
「落ち着け、冥福の妖精トルデリーゼ」
 と禁忌の運命者ゾルガ・ネイダール──空飛ぶ幽霊船フライングゴーストシップリグレイン号船長、ドラゴニア海の大悪党、私の雇い主、ゴースト、しかもいまは異形のタコ足状態──は、なだめる様に私の目の前で手を広げた。これは変だ。何か事情があるのか、珍しくこいつは私/わたしがヘソを曲げると困る状況らしい。
 で、私はここぞとばかりに噛みついてやった。可憐な少女幽霊ゴーストの扮装、もとい身体で。
「こんのバカ野郎!落ち着いていられるかっての、これ・・が!!」
 あー、またガラが悪くなっちゃってるよ、私。しかも何故かわざわざ倒置法で。
 ちなみに私たちがいるここはリグレイン号のメインマストの途中。見張り台トップの上。
 そして今ここにいるのは私ことヘンドリーナ(くどいようだけど今の外見は少女幽霊だ)とゾルガ、そしてこのマストの常連の男の子幽霊、潮風攫しおかぜさらいだ。
『風が吹く。怨嗟えんさはらみ、苦痛を伴いながら』
 ごく低い声だったけど私の耳にはよく聞こえた。
 そして潮風攫しおかぜさらいがいつもの口癖を呟いた途端、その言葉のとおりリグレイン号に強い風が吹き始めた。副長としての私なら本来、追い風として歓迎するものだけど、この時はそれ所ではなかった。
 強烈な眩暈めまい
 ゾルガのニヤニヤ笑う顔がぐるぐる回り始め、私の意識が暗転した。
 後から気がついたんだけど、これが冥福の妖精トルデリーゼ──リグレイン号の新たな凄腕ゴースト──、彼女本来の意思が私ヘンドリーナに勝った瞬間だった。「契約の口づけデス・キス」「あなたは退場」「死出しでの旅」「一蓮托生」。昨夜投げかけられた言葉が、いま初めて全て繋がった。
 しまった!みんなグルだったのね!
 こんな時、こんな風に意識・・を盗まれるとは……。
 私は最後の力を振り絞って、この不吉な船を覆う雨雲を仰いで叫んだ。
「この悪人ども──っっっ!」

Illust:BISAI



 ──前夜、というかたぶん数時間前のこと。
 ダークステイツ、魔都グロウシルト。
 ナイトクラブ『クリーパー€reaper』の扉が叩かれたのは夜半過ぎ、もう店を閉めようかと思っていた頃だった。
 カウンターにいた私こと継承の乙女ヘンドリーナはカクテルドレス(艶やかなサテン仕立て、色はシャンパンゴールドね)で可能な限り小走りでドアへと近寄ると、覗き窓を開けてこう告げた。
「ごめんなさい。今日はもう閉店で」
「ここを開けて」
 返答は冷たい、というかどこか心ここにあらずといった風だった。声自体は若く可愛らしい少女のものだけに無機質な調子には少し違和感が漂う。
通る・・からね。でなければ」
「言ったでしょう。閉店なのよ、お客様・・・
 なによ、印象悪い。私は少し強めに言い返した。
 私は奥から、姐さんなんか揉め事ですかい?と顔を覗かせたデザイアデビル アラークレイに、こっちは大丈夫だからテメエは引っ込んでな!と笑顔でしっしっと手を振った。この悪魔は、その名の通り荒くれ者なので用心棒としては切り札にしか使えない。しかしくどいようだが本当に最近、自分のガラの悪さにはガッカリだ。
 カジノ三昧に飽きた私に、グリードンがプレゼントしてくれたこのお店──船長代理だの副長だの伝説のギャンブラーだの悪徳カジノ潰しの女英雄だの、とどめに老舗ナイトクラブの女店主だのと、思えば私も忙しすぎる人生だ──だけど、悪魔デビルたちを仕切るのも中々大変なのだ。

Illust:テッシー


「通ったわよ、店長さん・・・・
 突然、分厚い木の扉からにゅっと少女の顔だけが突き出て、至近距離から私を睨みつけた。お人形みたいに綺麗な、でも怒るといかにも気の強そうな印象になる整った顔。しかしお化けなんて日常茶飯事のリグレイン号副長の矜持としては、このとき悲鳴をあげなかった自分を誉めたい。
「手間をかけさせないで、あまり」あくまでつっけんどんな少女幽霊。
「あなた誰?」
 睨み返す私。こちとら店一軒任される身なのだ。ナメられてたまるもんか。
「冥福の妖精トルデリーゼ。呼ぶときは必ずフルネーム。省略しないで、決して」
 いちいち倒置なのは気になるけど、歌うように音楽的な、でも冷たい声音の自己紹介だった。
 何か言おうとする私の唇を冷たいゴーストの指が押さえた。いつの間にかこの手も扉をすり抜けていたらしい。
「詳しい話は後。リグレイン号に乗りなさい、ヘンドリーナ」
「はぁ!?」
 たまりかねて私は実体ある幽霊の指を撥ねのけながら叫んだ。
 ちなみにグリードンの申し出で、船長・・から貰っている休暇の残りはあと2旬20日以上もある。
 だけど、冥福の妖精トルデリーゼの口撃は──フルネームで呼べって言うからさ──は矢継ぎ早で容赦というものがなかった。
死出しでの旅の渡し手なの、わたしは」「はぁ?」
は退場する、この世から。あれ・・を目撃するために」「はぁぁ?」
 そして冥福の妖精トルデリーゼは私の頬をおさえると、そっと唇にキスをした。
契約の口づけデス・キス。口上と合わせてこれが一つの儀式なのよ、これは」
 口を押さえて絶句した私に、また淡々と冥福の妖精トルデリーゼは言った。
「これでわたしとあなたは一蓮托生。感謝してね。リスクを負っているのだから、わたしも」
 そうして、私は吸い取られ・・・・・、睡りに……墜ちた。

Illust:増田幹生


 ゾルガは節足類のような(早い話がタコやイカみたいな)下半身を巧みに操りながら、夜空を飛んでいる。
 それに続く形で空を飛翔しているのが私、いやわたし・・・だ。ややこしい。
「整理したい、状況を」
 私/わたしは耳元の風の音に負けじと声を張り上げた。これは私ヘンドリーナの意識が勝っている時の表記。
「それはヘンドリーナの声か、それとも君の声なのか、冥福の妖精トルデリーゼ」と禁忌の運命者。
「両方」
 わたし/私は同意で答えた。今度は冥福の妖精トルデリーゼの意思が勝っている。
「目的から説明しよう。これから行く先には空から行くしかない。おまえは飛べないだろう、ヘンドリーナ」
「わたしを巻き込んだ理由は」と冥福の妖精トルデリーゼ。
「生者を肉体から退場させ、意識を自分と重ね合わせる能力。契約の口づけデス・キスの力だ」
「面接でしつこく聞くわけね、道理で」
「そして君は俺と同じ幽霊だ。今回の視察と考察には生者の目も欲しい。しかも人間などよりもタフな精神が。合理的だろうが」
「確かに頑丈よね、この人の心は」「うっさいのよ!」
 異議あり。今度は同じ口から別な意見が出た。
 これって一人話芸のようで実にやりにくい。思わず両方の意識から嘆息が出る。
 しかし幽霊にバイオロイドの意識を移植する。よくこんな生死の境を無視した邪悪で迷惑なアイデアを思いついたものだ。あれ?そういえば……。
「私の身体は?」
「グリードンの配下が丁重に保管している。とはいえ機能一時停止レジューム状態のバイオロイドだから何も苦労はないだろうが」
「おっさんは知ってたのね?」私には確信があった。
「そうだ。あれ・・の位置特定について注目すべき情報があがったので昨日、休暇の取り消しと魂保護・・・について伝えた」
 案の定だ、悪党どもめ!
「そう言うな。魔帝都で手元に置いていたらテメエ(これは俺のことだな)にまたこんな勝手はさせなかったのに、と残念そうだったぞ。カジノ遊び放題に続いて大店おおだな一軒寄越すとは、おまえ相当気に入られているな」
 後ろ姿からゾルガの顔は見えなかったけど、想像するのは簡単だった。さぞ愉快そうにニヤニヤ笑っているだろう。そうでしょうね、と冥福の妖精トルデリーゼの意識が呟くのが聞こえた。
「で、どこに行くの」と私/わたし。
「この辺りだと思うが」
 ゾルガは緩やかに旋回を始めた。
 下半身がわさわさ動きながら飛んでいるのにはドン引きだが、運命者だか何だか知らないけれど、ゾルガが得た新しい力とは空中を自在に移動することも含まれているらしい。そういえば前回姿を消した時には、実体を消して移動していたもんね。
「そうだ。実体をもった俺たち死者の目と、死者の身体と意識に埋め込まれたおまえの目があれ・・を視るのだ。いわば地獄巡りだな」
 ゾルガはこちらの意思を読み取ったように言った。悔しいけれど、こいつが顔だけでなく頭も凄く良いことは龍樹の軍師を務めたことでも証明されている。
「あらかじめ言っておくが、の今日の任務は、今から行く先の視察と考察、状況の報告にある。頼んだぞ、継承の乙女、冥福の妖精」
「報告って誰に?」と私/わたし。
「決まっているだろう、水晶玉マジックターミナルネットワーク諸氏にだ。ダークステイツのどこか・・・にあると思われる『運命力の均衡を乱す根源』の調査をバヴサーガラから依頼されている。それと龍樹の一件で首が繋がった借りとして、せいぜい反省した様子を見せ続けてやらんとな。我が友バスティオンとあの片真面目な正義の味方連中には」
 本当に根っからの悪党よね、こいつは。私とわたし(冥福の妖精トルデリーゼ)の意見が一致して頷いた。
「じゃれてないでそろそろ真面目に考えろ。おまえ達のいうその悪党のおかげであの龍樹の暴走を押さえられ、世界は破滅を免れたんだとも言えるんだぞ」
「たまたま猛毒が毒に優っただけよね、それ」またも2人で1人の同意。
「何とでも言え。だが今回もわざわざこんな探偵や斥候みたいな真似までしているんだ。ここにいる意味、起きる出来事を頭に刻み込め」
 ここにいる意味ねぇ……あれ、そう言えば、ここってどこだろう。
 かなり飛んだような気がするけれど、(私の意識を魔都グロウシルトから奪った後に連れてこられた)そもそもリグレイン号がどの海域に停めてあったかわからないので、正確な位置はわからない。ただ大洋や山脈、雪原越えをしていない所を見ると暗黒地方のどこか、ダークステイツ領内ではあるらしい。
「座標は水晶玉マジックターミナルが記録しているだろう。まぁもっとも俺の予想ではこれ・・は移動し続けていると思うがな。……そら、言っている間にエスコートしに来たようだぞ、悪魔が」
 ゾルガを指す方には小柄な影が羽ばたき、私たちを出迎えるような軌跡を描きながら接近してくる所だった。

Illust:Moopic


 私たちと合流し対面しているのは翼のある小柄で悪魔デーモンだった。不気味な笑みを浮かべている。
「何と言っている?」
 ゾルガは私/わたしの横へと配置を変えていた。本当に興味があるらしく、真面目な様子だった。
悪魔デーモン語なんて知るわけないでしょ!」「わかると思う。これ共通語よ、訛りは強いけど」
 言葉はほとんど同時に出たが、冥福の妖精トルデリーゼの意識は私ことヘンドリーナの驚きや疑問を押さえ込んで続けた。
「『我はキャビティ・マリジア。望むなら中心まで案内する』ですって。もっとも無駄らしいけれど、逃げようとしても」
 冥福の妖精トルデリーゼが指す方には、私たちと少し距離を置きながら旋回する鳥型悪魔デーモンと、地上で静かにこちらを見上げる猟犬型悪魔デーモンがどちらも殺気を漂わせた目で、こちらを睨んでいた。
 これって飛んで火に入る夏の虫ってやつ?

Illust:北熊


Illust:ゆずしお


「望むところだ。連れて行けと伝えろ」
「ちょっと待って!確認させて」
 私は、わたし(冥福の妖精トルデリーゼ……あぁそろそろ面倒くさい。なんでフルネーム限定なのよ)の意識を押しのけてゾルガに言った。
「何だ」
 ゾルガは少し苛立ったようにあの節足類の足を止めて、空中に静止した。
「今回の目的はバヴサーガラさんの依頼で、『運命力の均衡を乱す根源』を探ることよね」「そうだ」
「情報はパガニーニ金貨と引き換えにドン・グリードンに集めさせて、この辺りだと特定した」「その通り」
「その『運命力の均衡を乱す根源』には今までバヴサーガラさんや水晶玉マジックターミナルネットワークでは見つけられなかった、何か特別な力や姿があると」「そう考えている。よく理解しているじゃないか」
「そのために死者の目と生者の目で確認する必要があった。だから私も無理矢理連れてきた、と」「そうだな」
「惑星クレイ世界のために?自分と部下も危険にさらして?」「そういう事になるか」
 私/わたしは名探偵よろしく腕組みをして空中で胸を張った。
「それはおかしいわねぇ」「どこがだ」
「絶対に損をしたくないアンタがそんなボランティアみたいな事、真面目にするわけない!龍樹の後始末だって、どうせみんなにお金撒いて適当に頭下げてりゃ忘れてくれると思ってるんでしょ。他にもなにか企んでるはず!」
 ゾルガは黙り込んだ。私(幽霊の格好をしたヘンドリーナ)はさらなる攻勢に出た。
「それと“禁断の実験”って何?……なによその顔。バヴサーガラさんとの話、私が盗み聞きしてたの忘れた?」
「驚いたな。そこまで頭が回るとは……グリードンも言っていたが、おまえこそだいぶ悪党だぞ、ヘンドリーナ」
「いまの私はリグレイン号の新しいエース、冥福の妖精トルデリーゼよ!」
 おや、この娘も完全同意らしくさっきから意識に抵抗がない。だから次のセリフは完全にユニゾンだった。
「「あなたの悪だくみは全部お見通しよ!あらいざらい吐きなさい!」」
「わかった、わかったよ。どの道、土壇場で打ち明けて協力はしてもらうつもりだった」
 ゾルガは両手を軽く挙げて、降参の仕草をした。
の大事な人については知っているか」
七海覇王しちかいはおうナイトミスト、最後の海賊王ね」
「ほう、さすがは継承の乙女」
「おだてても無駄よ。バスティオンさんに聞いてから『グランブルー海史』を詳しく当たってみたの。あの人の船に乗ってたそうだけどアンタ、当時はなんて名乗ってた?」
「それは秘密だ。おまえのことだ、ヒントでも与えたらもっと色々と探ってくるだろうからな」
「まぁいいわ。それでナイトミストと『運命力の均衡を乱す根源』との関係は?」
「……」
「言いなさい。私/わたしたちに協力させたいんでしょ!」
「俺は降霊術師としてずっと突き詰めてきたテーマがあるんだ。それは……」「それは?」
「生と死の狭間を超えること」「それは全然意外じゃないわ、いっつもあの船長室でドロドログログロの実験してるじゃない(ちなみに犯罪行為とこの邪悪な実験にノータッチなのは私は契約で保証されているけど)」
「僕が望んでいるのは、死者を生者として生き返らせることだ」「もうやってるじゃない、沢山」
「違う!死体をゾンビとして、死せる魂をゴーストとして実体をもって動かすことではない。それはいつわりの身体、見かけだけの半分しかない、偽物の生命なのだ」
 ゾルガは少しヒートアップしていた。よほどその実験とやらに執着があるらしい。
「僕はもう一度会いたいんだ。あの魂をもった七海覇王しちかいはおうナイトミストに。彼を蘇らせ、また共に海を駆ける!おまえ達も一度会えばわかるよ。あの人は永遠の海の男、伝説の吸血鬼、真の英雄なんだ!」
 困ったな、なんだかゾルガがキラキラしている。こんな少年みたいな相手じゃののしれないじゃない。
「うーん。あのね、船長。言い分はわかったけど、継承の乙女としてはさ。一人も知らないんだよね。歴史上、魂と完全な記憶をもって現世に肉体を蘇らせた、惑星クレイの英雄を」
「無論、今までに成功例はない」「でしょ。生と死を分かつ境界を逆に超えようなんて無茶すぎるもん」
 ここでゾルガの佇まいが変わった。杖を上げ、人ならざる肢が蠢き始める。
は今までは、と言ったんだぞ。ヘンドリーナ」あらら、なんだかヤバイ雰囲気。
「この姿、運命者としての力が降りてきた時、俺は名前とともに聞いたのだ。『ゼロうろを探し、禁忌に挑め』とな」
ゼロうろ?」
 私/わたしは聞き慣れない言葉に戸惑った。
「それが恐らくあれ・・だ」
 ゾルガは小柄な悪魔が顔を向けている方を指した。わたし/私は夜空の下にあるものに目を凝らす。
 見つめ続けていると始めはぼんやりと、次第にそれが地上から低空にかけて渦巻く、瘴気の流れだとわかってきた。
「もう一つ、気がつくことはないか」とゾルガ。
 確かに気がついていた。私たちは夜の空に静止していたはずなのに、ゆっくりと瘴気の流れに乗って移動し始めている。悪魔キャビティ・マリジアも、意地悪そうな印象なのに私たちの会話が終わるまで辛抱強く待ってくれていたのかと思いきや、実は放っておいても目的地に近づいていたからだったみたいだ。
「強い力ね。思っていたよりも」
 と冥福の妖精トルデリーゼ。なるほどリスクって言ってたわね。ある程度の情報はゾルガに聞いていたんだ。でもあなたの得は何?
幽霊ゴーストに損も得もないでしょう、リグレイン号船長でもない限りは。あえて言えば興味かな。酔狂よね、死と生を乗り越える実験なんて。でも退屈しのぎには良いかも。歌ほどではないにしても」
 あぁ忘れてた、歌が好きらしいこの娘はゴーストなんだ。つまり見かけ通りの年齢じゃない。いつわりの生である幽霊ゴーストになって何年、この世をさまよっていたのだろう。
「そうだ。我々は今あえて禁忌を犯す。永年にわたる宿願を今、果たす為に」
 ちょっと!私を巻き込まないでよ!
「では手筈通りに。ゾルガ」「助かる、冥福の妖精トルデリーゼ」
 あー、誰も聞いていないよ、もう!
 私の嘆きをよそに事態は進んでいた。
 冷笑を浮かべる悪魔キャビティ・マリジアは、流れが速くなる前に離脱して遠ざかっていった。このまま吸引力の中心に私たちが流されるのを傍観するつもりらしい。というか、それが彼らの仕事なのだろう。
「では解説しよう。このゼロうろは瘴気の巨大な渦巻き、つまり運命力の流れだ。海洋にできる台風に似ているな。その違いとして台風は吸い込んだ大気を吐き出す先があるが、ゼロうろにはそれが無い。待っているのは永遠のゼロ、つまりは無だ」
 節足の姿で瘴気の流れに浮かぶ禁忌の運命者 ゾルガ・ネイダールが腕組みしながら、淡々と解説する図はなかなかシュールだったけど、私はそれどころではなかった。
「なに落ち着いてるのよ!吸い込まれたらオダブツってことでしょうが!」
「あぁ、消えてなくなるな。何もかも。どうやらそれがこの運命者の力であり、望みらしいのだ」
「じゃあ、この中心にいるのもアンタと同じ……」
「運命者だろうな。運命者同士の邂逅に立ち会えるとはなかなか貴重な機会だぞ、ヘンドリーナ」
「へらへら笑ってんじゃないわよ。その余裕が意味不明なのよ!」
「落ち着け。ちゃんと帰してやる、最悪でもおまえだけはな」「どういうこと?」
「僕の望みは、ナイトミストを真の姿で蘇らせること。だが今までは龍樹の力でさえ、それを実現させることができなかった」「アンタ、龍樹も利用するつもりだったの!?何が軍師よ、このウソつき!」
「俺は悪党だからな。おまえもそう言っただろう」「バカ野郎!こんな時に開き直るなーっ!」
 あぁ、まずいよ。吸引力がどんどん増してきた。
 私たちは今や猛烈な速さでゼロうろの中心に引き寄せられていた。
「スイングバイは知っているか、ヘンドリーナ」「はぁ!?ここでどうして天体物理学?!ついにおかしくなった?」
「俺は明晰にして正常だ。で、知っているのか」「知ってるわよ」
「では話が早い。今のっているこの流れは運命力の潮流だ。俺を含む、今までに報告された運命者すべてに優る膨大なエネルギーの流れ。この渦巻きを俺は啓示として受け取り、そして利用することを思いついた」
「あのー、解説はいいんですけどー、急がないとみんな無になっちゃいますよーっ!」
 私は叫んだ。いい加減ヤケだ。
 こんな怒濤のエネルギー流の中で平然と解説しているヤツも、涼しい顔でそれに従っている冥福の妖精トルデリーゼも、そしてこの世の何もかもを吸い込もうとしている名も知れない運命者とやらもみんなみんな、本当にどうかしている。
「そこでスイングバイだ。このエネルギー流の最接近点で、俺の禁忌の運命者としての全エネルギーを放出する。すると力の衝突によって『この世の均衡』がわずかだが揺らぐ計算となっている」
「(あくまで理論値ってヤツよねー、それって)」私の声は懸命に叫んでも自分でも聴き取れない。
「その力の爆発が、この世の向こうにいるナイトミストの魂と肉体の魔術的素体に手を伸ばす、永劫の中の一瞬、唯一のチャンスなのだ。そして、それはもうすぐ叶う」
「(全世界の平和と、死者を蘇らせる禁忌を、秤にかけるワケ?あー、そうですか!)」
「もちろん、それだけではない。均衡が弾けた瞬間、中にいるものの正体もまた垣間見えるはずだ。それをおまえ達は視て、記録し、持ち帰るのだ」
 ゾルガは構えた。
 私ヘンドリーナの頭の中はもうめちゃくちゃだった。このゾルガという男は何なの。大悪党。海賊王を愛するかつての(おそらく人間の)若者。それとも運命者の謎を探るために我が身を危険にさらす英雄?どれも真でありどれも偽であるような気がする。わからない。わからない。
「ヘンドリーナ、後は頼むぞ!」
 その瞬間はいきなり来た。
 目前に迫った暗黒の穴、怒濤のエネルギー流、私の悲鳴、ゾルガの叫びと爆発する光。
 そして信じられないほどの加速!本当に星の彼方まで飛ばされそうだ。
 そして世界はまた、暗転した。

 ──ヘンドリーナ。
 ──ヘンドリーナ。
 本当に、今日はよく名前を呼ばれる日だ。
 私は目を開いた。いや、私/わたしだ。
「まだ一緒なのね、トルデリーゼ」
 私は初めて省略して名前を呼んだけど、当然返ってくるはずの抗議はなかった。
「そうね、ヘンドリーナ。ひとつの任務は果たせそうよ、どうやら」
 私たちの身体は海の上を漂っている。見れば空はすでに白み始めていた。
 ここは……たぶん暗黒海のどこかだろう。長い海の暮らしで、海温や潮の流れ、色などからどこの海かはすぐわかるようになっていた。
「任務?……ぶつかって、私たち結局どうなったの」
「そうね。助かったんじゃない、わたしたちは」
 わたしたち?私はここでハッと気がついた。
「ゾルガは?!どうなった?」
 私と身体を共有する幽霊は力なく首を振った。
「わからない。わたしもさっき気がついたところだから」
「探さなきゃ!」「どうして?」「どうしてって、その、船長がいないと困るでしょう!」「わたしは困らないけど。船が解散するならまた放浪するただの幽霊になるだけ……」「それも困るわ!」「だから困らないって」
 ダメだ。この子と話していても解決には近づけない。
 私は意識を無理矢理押し出して、立ち泳ぎに切り替えると叫んだ。
「おーい!聞こえるか、このバカ野郎!悪党!ボンクラ船長!意地悪陰険ゴースト!」
「……何言ってるの?」とトルデリーゼの口が動いた。
「罵ってるのよ。あいつ、このほうが返事しやすいでしょ」と私は続けた。
「ウソつき!根性無し!返事しろー、このヘタレ元海賊!」「ムダよ。気持ちはわかるけど。あのエネルギーの爆発の中心ではとても……」「待って!」
 ……。
 聞こえた、ような気がする。
 私は抜き手をきってその方角に泳ぎ始める。
「泳ぐなんて何年ぶりかしら」
 信じられないことに私が取り憑いた強気な幽霊ゴーストは今、くすくす笑っているようだった。バヴサーガラさんといいこの娘といい、笑わせているのか笑われているのか、これは自分の才能なのかもわからない。
 まぁとにかく私は懸命に泳いだ、こんなに頑張ったのは……いや船に乗ってからはいつも頑張らされているな、私。絶対にこの借りは返してもらうからね、船長。
「待ってて、ゾルガ」
 私たちが着いたのはかなりギリギリのタイミングだった。
「うるさいぞ。静かに逝かせてくれ」
 そんなふざけたセリフを水中でブクブクのたまうヤツの髪の毛をつかんで引き起こす寸前、ゾルガは危うく完全に海中に沈みかけていた。いくらしぶといゴースト船長でも意識なくして海底に沈んでしまったら回収は難しいだろう。
「捕まえた!」
 ざぶっと音をたててゾルガの身体が浮かび上がった。悲鳴をあげたのは意外にもトルデリーゼだった。
「身体が!ゾルガの!」
 そう、ゾルガはちょうど下半身だけが断ち切られていた。あの中心にいたもう一人の運命者の仕業なのか。正直、私も息を呑んだけど、……ええい、海の女がこれくらいで慌てるんじゃない!思い出せ、確か……。
「そうだ。前回、バスティオンにも両断されたのさ。このくらいでは俺は死なん。いや死ねないんだ、僕は」
「じゃあ脅かすな!これくらいで!」
 私はヤツの頭をぽかりと軽く殴って声を張った。実際、ゾルガは重傷だった。ゴーストとしても。
「このまま海に沈めてくれよ、ヘンドリーナ。それで、こき使われるだけの生活ともおさらばできるぞ」
「冗談じゃないわよ!まだ全然借りを返してもらってない!」
「ふっ。まだ取り立てるつもりなのか」
「そうよ!私は口の悪い、強突く張りのリグレイン号副長だからね」「確かにそうね」
 うるさいのよ、トルデリーゼ。あなたも。
「もう放っておいてくれ……僕にはもう何の望みもない。運命者同士の力を衝突させても、この世のことわりを崩すことはできなかった。あぁ、ナイトミスト……」
「怪雨の降霊術師がなに湿っぽいこと言ってんのよ!」
 ヤバイ。私、今ちょっと泣きそうだ。
「あんたには帰る船があるでしょう!リグレイン号船長!『今の俺はこの船を愛している』って言ったでしょ、違う?」
「……違わない……」
「それと、あんたも少しは協力してよね。あれ・・と接触した瞬間、何か見た?感じたことは?」
「ヤツは……零の運命者と名乗っているようだ」
 うん。とりあえずは収穫ありって所ね。
 よぉし、さっそく帰還だ。そして治療。ゴーストを治せる医者がいるかどうかわからないけど、片っ端から心当たりを回ってみよう!
「どうするんだ。こんな大海原の真ん中で……」
 まだしおれてんのか、この男は。対する私は得意満面で懐からある物・・・を取り出して見せた。
「これなーんだ!」
「……水晶玉マジックターミナルか、なるほど」
「そういうこと!救難信号は発信済み。今ごろリグレイン号もこっちへまっしぐらよ。……ホラ、元気だしなさい、船長!」「そうです、ゾルガ船長」「「船長!!」」
「うるさいぞ、おまえ達……まぁ善処するが」
 ほんの少し、いつものあの意地悪で皮肉屋でどうしようもない大悪党の片鱗が戻ってきたようだった。まだ半身だけれど。
「さぁ、帰ったらまず報告。あ!それより何より私の身体よ!取り戻さなくっちゃ!忙しくなるわよー!」
「早く出て行ってほしいわ。うるさいもの、あなた本当に」
 朝焼けの海に私とわたし、バイオロイドと幽霊の笑い声が弾けた。
 新しい朝。新しい船出だ。
 野望、敗れて再出発。たまにはこんな日があってもいいんじゃない。ね?



※註.スイングバイによる宇宙船や人工衛星の加速はブラントゲートでも使用されている。※

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《今回の一口用語メモ》

ゼロうろ
 惑星クレイ、ダークステイツ国の暗黒地方のどこかにある謎の穴のことである。ただし、報告者である私にも現在この穴がどこにあるか、正確な位置はわからない。
 とはいえ今回の《零の虚》の位置特定は暗黒街のボス、グリードンの貢献によるもので(一口に暗黒地方と言っても瘴気たちこめるドラゴニア大陸南部、ダークステイツ全域に現ドラゴンエンパイア領と現ブラントゲート領をも含む広大な範囲のため)、この短い期間で成功に至ったのは配下の勢力と情報網の力、グリードンの影響力の大きさを改めて示すものと言えるだろう。

 《零の虚》の見かけは台風あるいは海の渦潮を思わせる。
 海水にあたるのが、闇よりも暗く濃い瘴気(運命力)の大気だ。
 この《零の虚》はただの暗黒の渦ではなく、あらゆるものを飲み込む底なしの穴である。ドラゴンエンパイア中南部で発生している、ハイビーストや魔獣をその鋭敏な野生の方向感覚や本能を狂わせて、この穴めがけて暴走に追い込んでいるその原因もおそらくこれ・・なのだ。
 さらに、この渦は移動する。
 ドラゴニア海に棲むクラーケン──筆者はそれと遭遇・交戦したことがあるが──を思い浮かべると想像しやすいだろう。クラーケンはその巨体と剛力によって渦を発生させ、船を絡め取って沈没させる。同様に《零の虚》は生物/非生物に関係なく引きつけ、全てを飲み込んでゆく。
 しかも恐ろしいことに、その大きさは生者の目からも死者の目からも、世界の理の境界を超えながら刻一刻と増しているように視えた。

 だが《零の虚》最大の問題は、貪欲な吸引力や巨大化を続ける渦の大きさよりも、その中心にいる存在だ。
 中心にある暗黒の穴、その中に潜んでいる者は「零の運命者」と名乗っているようだ。
 私が──冥福の妖精の霊体に間借りして──ゾルガから聞いた所によれば、彼「零の運命者」の目的は、今のところ“あらゆるものを吸い込むこと”にあるらしい。単純な破壊衝動ではなく、何らかの欲求を満たすために無限に惑星クレイのものを飲み込み、その穴(虚)と瘴気/運命力の渦を発生・増大させているのだ。※遭遇とゾルガ負傷については上記レポートを参照のこと※
 これこそ封焔の巫女バヴサーガラが警戒を呼びかけている、無秩序な力を振るう運命者ではないかと思われ、水晶玉マジックターミナルを通じ、各国に最大限の警戒と対策、協調を呼びかけるものである。

追伸.
 上記レポート記載の次第で大変残念ながら、取り急ぎ報告は最小限に留め、船長が回復するまでリグレイン号はこの対・零の運命者の戦線から離脱せざるを得なくなりました。
 後のことは何卒よろしくお願いします。

水晶玉マジックターミナルネットワークメンバー 各位
 cc トランス商館ギルド長 殿

ネオネクタールエージェント/空飛ぶ幽霊船フライングゴーストシップリグレイン号副長
継承の乙女ヘンドリーナ


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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡