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短編小説「ユニットストーリー」
138 運命大戦第12話「時の運命者 リィエル゠アモルタ II 《過去への跳躍》」
ケテルサンクチュアリ
種族 エンジェル
 血に染まった大地に横たえられた天使の女性は、身体も衣装にも傷一つなく、完璧だった。
 ただそこに、生命と魂が無いこと以外は……。
「リィエル!リィエル──っ!!!!」
 輝くほどに美しい亡骸を抱きしめ、レザエルは何度その名を叫んだことだろう。ただどれほど声を枯らしても、腕に力を込めても愛しい人は帰って来なかった。
 恋人遭難の知らせを聞き、翼がちぎれるほど羽ばたいて急行した彼を待っていたのは、退避する負傷者と追う兵士との間に立ち、両手を広げた姿勢のまま、その身体に矢と槍と剣を無数に突き立てられ事切れたリィエルだった。
 リィエルとレザエルに時は味方しなかった。絶望をぶつける先も、怒りを叩きつける相手もない。
 そんな込み上げてくる激情よりもまず、レザエルは持てるすべての力を振り絞って、凶刃を取りけ、分子活動を賦活させ、彼女の肉体と装束をつくろった。
 成功した。見かけだけは完璧に。
 確かにこの戦場にいる医師の中で──いや全てのエンジェルフェザー、あるいは神聖王国ユナイテッドサンクチュアリのどこを探したとしても──、レザエル以上に癒しの才能に優れた者はいなかっただろう。ただ一人、目の前に横たわるリィエルを除いては。
 だが、どれほど肉体をつくろい治したとしてもリィエルは目を覚ますことはなく、魂はこの世を遠く離れてしまっている。死とは永遠の停止だ。レザエルは自らの無力に打ちのめされた。
「リィエル……お願いだ。僕を……僕を置いていかないでくれ」
 ここに着いた瞬間から、レザエルは誰もそばに寄せ付けようとしなかったし、誰も近づこうとはしなかった。
そして遠巻きにそんな彼の奮闘と悲嘆を見つめ、共に悲しむ仲間のエンジェルフェザーたちは知っていた。医とは命に寄り添い、癒やし、苦しみを和らげ健康を保つものであって、死の定めと戦う術ではないのだと。
「リィエル……」
 レザエルは絶望し、泣き、心を閉ざし、ただ空しく恋人の美しい亡骸を抱擁し続けた。
 荒寥とした夕景の戦場に、いつまでも。
 その目と心に浮かぶのは天空の都ケテルギア、テラスで夢を語らった人。誰もが彼女を愛したユナイテッドサンクチュアリの華。苦悶の果てに落命したはずの美しい顔に、穏やかで優しい笑みをたたえる恋人リィエルの姿だけだった。

Illust:タカヤマトシアキ


 プロディティオの乱。
 時は無神紀。突如、中央に対し反旗を翻した辺境の地方領主プロディティオは、天上政府の圧政に苦しむ民衆や呼応して蜂起した他の領主とともに、リィエルが非業の死をとげる3日前、ユナイテッドサンクチュアリ騎士団との大会戦で激突した。
 サンクチュアリ平原の只中、聖都セイクリッド・アルビオンまで馬ならばあと1日という距離だった。
 長い内乱の実質、最終決戦となったこの会戦は後世にこう呼ばれる。
 血涙の戦い、と。
 「涙」とは、いま敗走するプロディティオら反乱兵の悔し涙のことではない(彼らと僭主プロディティオは見境のない凶暴さと攻撃性のあまり、味方にすら嫌われていたから)。
 同国人同士が争い、互いに退けぬ状況で、本来戦闘を続行できなくなるほどの規模になるまで血みどろの戦いを演じた末に、ユナイテッドサンクチュアリの民が、騎士と兵士が、そして従軍する医師たちが疲弊と悲痛のあまり流した「血の涙」のことなのだ。

 そして現在。
 ギアクロニクル第99号遺構、祭壇の間。
 あれから2000年の時を経ても、寸分違わぬ顔を、レザエルは見つめていた。ただ一つ違う事として……
 笑顔なきリィエル。
 時の運命者リィエル゠アモルタの顔を。

Illust:海鵜げそ


『私の忠告に従わねば……』
「従わなければ?」
『レザエル。あなたは死に、世界は滅ぶ』
 この大聖堂を思わせる遺跡の終着点の部屋、水に囲まれた石舞台のような“島”には、レザエルとソエル、リィエル゠アモルタと彼女に仕える3人の天使ビルニスタ、アドルファス、エルジェニア、そしてヴェルストラがいる。
「在るべき未来、過去への跳躍」
 ブリッツCEOの呟きに、ソエルは思わず振り向いた。
「ずっと囁かれていてね、リィエルちゃんの奮闘振りを。最近の口癖みたいなもんさ」
 ヴェルストラは、もの問いたげなソエルの視線に答えて左耳を指して見せた。囁く“卵”はすでに孵化してしまっていたが。
「どなたなんですか」
 ソエルの問いは、見つめ合う2人の妨げにならぬように小声で放たれたものだ。
「エンジェルフェザーのリィエル。ざっと2000年くらい前の人らしいな。君も天使だから、大人になってからとしを取らないのは意外じゃないだろ?君たちの国がまだユナイテッドサンクチュアリだったその昔、リィエルと君のお師匠さんは恋仲だった。……あ、こっちは意外だったかな」
「リィエルって……まさかあの《リィエルの悲歌エレジー》の?!」
「天使の学校の課題曲は知らないけど、たぶんそれだ。レザエルと並ぶ伝説の癒やし手、《ユナイテッドサンクチュアリの華》と呼ばれた伝説のエンジェルフェザー。人望があって頭も良くて優しく親切で美人で名医。同じく名医のレザエルとは誰もが羨む理想のカップル。まさに非の打ち所がないよな。あ……自分でもちょっと調べてみたんだ。まぁ2人とも天使業界の超有名人だから、検索すればすぐヒットするんだけどさ」
 後半はちょっと得意げなヴェルストラ。軽口の割に、リィエルとレザエルの事は(たぶんブリッツ・インダストリー社リサーチ部の力を借りて)真面目に調べ上げているようである。
「でも、あの歌の通りなら……」
「亡くなってるな。長く続いた内乱の最後、負傷者を逃がすための盾になって。そのときは国中、誰もがその非業の死を悲しんだと悲歌エレジーには書かれているんじゃないか。そして最も悲嘆に暮れた恋人レザエルは、失意のあまりエンジェルフェザーと故国から姿を消した。至らなかった自分を責めながら、残りの生涯を医術の研鑽と、病や怪我に苦しむ者の癒やしに捧げるために」
「そして救世の使いと呼ばれるまでに、お師匠様は」
 ソエルはショックと得心が半ばする泣き顔で頷いた。
 若い心にもやるせなさと痛みばかりが伝わる逸話だが、悲劇に打ちひしがれながらも医術と救済を続け、それを究める道を選び、さらなる高見へと達した師レザエルに対する尊敬の念は高まるばかりだ。
 一方、気のせいでなければ今、ヴェルストラもちょっと在らぬ方を向いて鼻をこすったようだ。問われれば、“卵”リィエル゠アモルタの囁きを献身的なまでに叶えたのはあくまで「剛腕武装ブリッツ・アームズ完成のため、お姫様のわがままに付き合ったまでさ」と本人は主張するだろうが、それはほとんど嘘のようである。
「それでは今、目の前にいるあの人は」
 とソエル。残されている疑問は多い。
「生と死の境目については君らエンジェルフェザーの方が詳しいだろ。俺たちのいるこの世界では死者が完全な記憶と肉体を持って蘇ることはできない。その壁に挑んだ者は皆、失敗する。大きな痛手を負ってね」
「つまり……」
「謎だ。だが事実として、あの運命者はリィエルだがリィエルではない存在という事になる。天使リィエルは無神紀の頃、ユナイテッドサンクチュアリで起こった内乱で死に、亡骸はこの祭壇の下の輝晶石の棺クリスタルケースに安置されている。身体は恋人レザエルの手で美しく完璧に修復され、あの3人の天使たちに守られた、永遠に朽ちることのない魂なき眠れる美女としてね」
 ヴェルストラはこの男にもこんな顔ができるのか、と見る者を驚かせるほど真摯で厳粛な面持ちで話している。ほんの短い付き合いでしかないソエルでさえ圧倒されるほど、今のヴェルストラは真面目だった。
「だから、あそこにいるのは時の運命者リィエル゠アモルタというわけなのさ。俺は運命者になってもだけど」
 ヴェルストラは巨大な右手を軽く掲げてみせた。
 今まで他の運命者とも出会いその成り立ちも記憶してきたソエルなら、標の運命者ヴェルストラ “ブリッツ・アームズ”が他の運命者とは違い、「剛腕武装ブリッツ・アームズを開発し、装着したこと」で運命者の力を得た特殊な存在である、ということを理解できると信頼しているのだ。
 この男、ヴェルストラが人たらしな一つの理由は、対する相手に合わせて、簡単にも難しくも、剽軽ひょうきんにも真面目にもなれてしまう所にある。人は自分が理解できる/自分を理解してくれる相手に心を許しやすい。つまり自分と同じ目線に合わせて振る舞う相手には──もちろんそれは一緒に食べ飲み、心底楽しみ、笑い、騒ぎ、時には泣きながら悩んでくれるヤツ・・でなくてはならないが──どんなに無茶無理無謀に振る舞う某社CEOでも、ついつい本音ないしは話すつもりもなかった事まで打ち明けてしまうのだ。
「どちらにしても、ここからは君のお師匠さんと彼女の話だ。オレたちはここで見守ろうじゃないか」
 ヴェルストラは左手をソエルの肩に添えて、視線を今日の主人公たちへと戻した。

 かつて歴代のエンジェルフェザーで最も優れた治癒者であった2人の運命者は、まだ見つめ合っていた。
 彼と彼女を隔てていた歳月としつきは2000年以上。
 人間に比べれば遙かに長命と長寿を誇る天使であっても決して短い時間ではない。
「……こうして会えたことがまだ信じられない。こんな日が来るとは思わなかった、リィエル。また話すことができてどんなに嬉しいか、言葉ではとても表せない」
「レザエル、私も会えて嬉しい」
 リィエル゠アモルタはその言葉の意味とは正反対に、冷たいともとれる口調で言った。
「でも私にとって、今は貴方を止めることが先決なの。この下に眠る私の身体とそれを治してくれた貴方たちの想いにかけて」
 半ば機械仕掛けと融合した、しかし誰よりも天使らしい天使は、再び動揺するレザエルに向かって淡々と言葉を続けた。
「運命者の戦いから身を退きなさい、レザエル。今すぐに」
 その言葉に、本人を除く全員が動揺した。
 2000年以上もの間、主の復活だけを祈り願ってきた3人の天使までも。
 彼女たちは、もしも奇跡が起きて復活したならば主リィエルは、愛しいレザエルと手を携えて世界の危機に対応し、また昔のように病める者傷を負った者を癒す暮らしに戻るとばかり考えていたからだ。
「逃げろ、身を隠せというのか、この私に」「そう」
「運命者の謎も、運命力の均衡バランスも、魔獣の暴走が行き着く先、先ごろ報告があったすべてを飲み込み無に帰するあの『ゼロうろ』について探ることも止めろと」「そうね」
「運命者に関わる全ての事が終わるまで、表舞台から去って姿を消せというのか」「その通り」
 レザエルが魂を揺るがすほどの衝撃(2000年以上の歳月でさえ、彼が恋人を失った悲しみを減らすことは出来なかったのだ)からほんの少しだけ立ち直りかけている証拠に、いつもの理路整然とした良き医者、良き教師としての姿勢に戻りつつあった。
「そんな事をができるかどうか、君が一番よく知っているはずだ、リィエル」
「あなたは誠実な人よ、レザエル。それは私とこの下に眠るが一番良く知っているわ」
 2人はまた見つめ合った。
 剣持つ天使と半ば機械と融合した天使。2000年前とは互いの姿は変わっているが、どちらも元エンジェルフェザーであり、元恋人であり、そして最も古い友人なのだ。
「君はどこから来た・・・・・・。そして何を知っている・・・・・・・のだ、リィエル゠アモルタ」
 レザエルは不意に口調を変えて、問うた。
 機械仕掛けの天使の反応は劇的なものだった。
 はっと見開かれたリィエル゠アモルタの瞳には驚きと……愛情が垣間見えた。それはたぶん彼女が今、一番隠しておきたい感情なのだ。ある目的を遂行するために。
「お黙りなさい」
「君は自分を、君であって君ではないと言う。確かに、こうして向かい合うと私は君の中に……なぜだろう、あの時の自身に似たものを感じるんだ。救いたいけれど救えない、だが救いたい。言葉にできない、もどかしい、狂おしい葛藤の堂々巡りを」
「黙れ……黙って!」
 完璧に冷徹だった機械仕掛けの天使リィエル゠アモルタの仮面が外れかかっている。だが、彼女の中の何かが、かろうじて踏みとどまった。
「やはり余談は非効率的な行為ね。今の私は、時の運命者リィエル゠アモルタ。あくまで忠告が聞けないと言うのなら退場させるわ、レザエル。あなたを力ずくで」
 《ユナイテッドサンクチュアリの華》と称された天使の言葉が、鋭さと凄みを増した。
 空気がピンと張り詰めたのが、離れて見守るソエルにもわかった。
 だが反射的に師匠に加勢しようと動きかけた肩は、またヴェルストラによって制せられていた。
「いいから。もう少し黙って見ていよう」「でも……」
 ヴェルストラは年下の友達に対するように話しかけ、ウインクして続けた。
「2000年以上の時を超えた恋人たちの逢瀬を邪魔するのは、無粋ってもんだろ?」
「でも、あれがその“時を超えた恋人たちの挨拶”なのでしょうか」
 ソエルが指差す方に現れたものを見たヴェルストラは、また表情を硬くした。

Illust:かんくろう


「出でよ、サルヴァール・ドラゴン!遍歴へんれき剣聖けんせい アイディラス!」
 凜とした張りのある声が大聖堂の空気を震わせると、何もなかった空中から銀色のコスモドラゴンと、その背に乗ったロイヤルパラディンが出現する。
 レザエルに構える間も与えず迫った竜は、何ごとか吼えながら襲いかかる勢いを見せて威嚇し、天使の頭上をかすめて旋回した。
 サルヴァール・ドラゴン。
 ケテルサンクチュアリ騎士団所属のコスモドラゴンである。
 もし光属性の竜語が理解できたなら、その叫びはこう聞こえただろう。
『命を賭して救いを為さんとする者に、大いなる祝福を!』

Illust:壱子みるく亭


 そして、その背を借りるのは遍歴へんれき剣聖けんせい アイディラスだ。
「ご無沙汰していましたね。天使レザエル」
「アイディラス!?君なのか!」
 そう。歴戦のロイヤルパラディンとレザエルは知らぬ仲ではない。
 だが彼は……彼と出会った時代・・は……。
「ええ。前回お目にかかったのははるか昔のこと。無神紀と呼ばれているそうですね、僕たちが生まれた時代は」
「どうして……」
 エルフは確かに長命な種族だ。しかし天使など不死の種族に比べると2000年を生き続けるには長過ぎる。
「あぁ、まるでこの僕もエルフでありながら2000年以上も生きていたように見えますよね。でも違う。僕は正真正銘、無神紀のエルフ。主人を待って休眠とこの墓所の管理を繰り返してきた彼女たちとは違います。皆さん本当にご苦労様でした」
 アイディラスはビルニスタ、アドルファス、エルジェニア、また涙ぐむ従者3人の天使たちににっこりと笑いかけた。美男であるだけでなく騎士らしい礼節と思いやりに満ちた人物、まさにレザエルの知るアイディラスである。
 騎士とサルヴァール・ドラゴンはレザエルと祭壇の島の周りをもう一周すると、彼が護るべき主人、時の運命者リィエル゠アモルタの側の空中で待機した。
「さて。僕がここにいる理由です。実は少し前まで、無神紀にいた僕はこの時代から“呼ばれた”んです。我らが淑女レディリィエル゠アモルタに。請われましてね、僕の剣をもって止めてほしい相手がいると」
「……」
「驚きましたし、もちろん最初はお断りしましたよ。無神紀では亡くなっていたと報されていたリィエル様の声が、僕の頭の中で聞こえた時は。特にその止めたい相手があなた、レザエルと聞いてはね」
「だが君は受けた」
「そう。未来へと跳躍させられたわけです。まだ“卵”だったリィエル様の力で呼び出せたのはただ一人、それが僕です」
 ここで騎士と竜は空中から彼の淑女レディに会釈した。
「そしてこの時代になじむため騎士団に志願し、入り直しましたよ。事情が事情とはいえ、現代・・の騎士仲間に嘘をつくのは気が咎めましたね。だって今の時代の若者と違って、僕はすでに歴戦の騎士なのだから」
「事情とは」
「それは剣を交えながら。試合しあいましょう、レザエル。以前ケテルギアでまみえた時のように」
 すらりとアイディラスの長剣が抜かれる。達人とは仕草ひとつ取っても技と様式美が漂うものだ。アイディラスの所作はその名に恥じないものだった。
「最近は会うなり斬りかかられる事にも慣れてきたが……」
 レザエルもまた剣を構えた。こちらも救世の使いと呼ばれながら、無双の運命者ヴァルガ・ドラグレスと剣を交えることのできる優れた使い手である。
「始めよう」
「それでこそ、僕が剣士と見込んだレザエル。医師にしておくには本当に惜しい」
 微笑む騎士と威嚇する竜、そして超然とただずむリィエル゠アモルタの横でまた別の鳴き声が響いた。
「彼はアライト・イーグレット。このはサルヴァール・ドラゴンと同じく、こちらの時代の存在です。試合の介添を務めてもらいましょう」
「君は望むものを自在に呼び出せるというのか、リィエル。時代をも超えて」
 レザエルは決闘に突入する前にもう一度だけ、かつての恋人の顔と魂を持つ運命者に問いかけた。
「私は時の運命者リィエル゠アモルタだから。これでもまだ全力では無いけれど」
 リィエルは再び感情の波を感じさせない口調で答えた。動揺はほんの束の間で過ぎ去っていた。
 彼女の背後で歯車が回った。時間だ。
「さぁ始めて。私がここにいる意義、過去への跳躍を成し遂げた意味を証明するために」
 リィエル゠アモルタの声を合図に、両者は剣礼サリューをした。
 一人は竜の背の上で、一人は羽ばたき舞い上がった伽藍の空中で。

Illust:オサフネオウジ


 初手はアイディラスの突きだった。
 サルヴァール・ドラゴンは人竜一体の動きで、あっと言う間にレザエルの至近距離まで迫った。
 長い神聖王国の歴史の中でも、剣聖の名を帯びる者は少ない。
 無神紀の頃、アイディラスにその名を与えた技は神速で繰り出される連続の突きトゥシュだった。
 しかしレザエル、救世の使いの名を帯びる天使にも2000年以上の年月が味方をしていた。
防御パラードしただと!?」
 レザエルはいつもの斬撃の構えから、対戦相手と同じく半身の姿勢を取ると、力みなく全ての突きを受け、流し、突き返しコントル アタックまで見せたのだ。
「!」
 アイディラスの驚きは一瞬、レザエルの反撃を彼もまた易々と受け、そして逆に一気に距離を詰めた。
 剣技を知るものからすると、この剣聖アイディラスの選択は意外ではない。
 レザエルの剣は大きく刃も厚く断ち切ることに最大の威力を発揮する武器だ。振りかぶる剣の軌跡のため、ある程度の距離を保つ必要がある。突きも同様でその長さからも咄嗟の攻撃には向かない。
 一方でアイディラスは細身の片手剣である。突き、相手をいなし、払い、切り裂く高度な技術があれば接近戦のほうが有利なのだ。
 だがこの有利をアイディラスは違うことに使った。
 鍔迫り合い。鋼が噛み合い、火花を散らす。
「リィエルの忠告に従わねば、あなたは死ぬ。ここまでは覚えていますね、レザエル」
「あぁ。その理由が知りたい。だがなぜ本人が言わない」
「それにも理由があります」
 一合、二合!
 アイディラスの電光の突き押しを、レザエルは辛うじて防御した。剣士ならずとも目を奪われるほどの、目にも止まらぬ華麗な技が凝縮した攻防である。
 サルヴァール・ドラゴンが吼える。
「やりますね、腕を上げている。近距離戦に持ち込まれた時の対応。ちゃんと修行を続けていたようだ」
「聖都の剣技場で君に散々やり込められたからな。エンジェルフェザー相手でも容赦がなかった」
「言ったでしょう。戦場で身を守れるのは自分一人の力だと。ましてあなたは特に優れた生徒だ……今もね」
 また両者は鍔迫り合いに入った。どちらも退かない。アイディラスは続ける。
「さて、時間も無い。説明は簡潔にさせてもらいますよ、レザエル」
「なぜ時間を気にする」
「黙って聞いて。リィエル゠アモルタはあなたのリィエルではない。無神紀に命を落としたリィエルはあの祭壇の下に眠っている。あなたが完璧に治した魂なき朽ちぬ亡骸として。ここまでは良いですか」
「……。続けろ」
 レザエルの口調が荒くなったのは鍔迫り合いに力を込めた結果ではなく、リィエルの魂なき亡骸という言葉に反応したものだ。相手を本当に心底、魂を賭けて愛したことがある者のみがレザエルの怒りと空しさを理解できるだろう。
「ではリィエル゠アモルタはなぜあなたのリィエルと酷似した姿を持っているのか。そう、この“酷似”という所に運命の歯車を解く鍵がある」
 アイディラスの言葉は歌うように紡がれた。渾身の鍔迫り合い。涼しい顔のままわずかだが確実に優位を確保しつつある剣聖アイディラス。レザエルは束の間、詩作にも才能を発揮していた剣の師を思い出していた。
「彼女は自分のことが説明できない。なぜなら彼女はあなたから生まれた・・・・・・・・・から」
「何!?」
 膠着が長いと見て、アライト・イーグレットが二人の間に突進してきた。
 レザエルはその翼で、アイディラスはサルヴァール・ドラゴンに足で後退の意思を伝えて飛び退る。
 中断ブレイク
 両者は離れ、今度はレザエルが距離を詰めて大上段から剣を振り下ろす。アイディラスは細身の剣で受けた。
 またも鍔迫り合い。
「どういう事だ?」
「聞きたいですよね。もちろん答えます。でもよく耳を澄ませてくださいね、レザエル。二度は言えません。これは本来、時空の掟に触れることですから。だから彼女も話せない。自分自身の目で自分の顔を見る事ができないのと同じで、説明できない。話したくないのではないのですよ。愛しいあなたに全てを、真っ先に打ち明けたくない訳がないでしょう」
「……」
 レザエルはリィエル゠アモルタを振り返った。彼女の美しい氷の美貌に感情の流れを窺うことはできない。
「彼女の死は過去に起こり、亡骸は現在に、そして魂は未来にあります。だから過去への跳躍を試みたのです。いいえ、このまま競り合いながら聞いてください、レザエル。これは他人に聞かれてはいけない秘密なのだ。そのためにわざわざ彼女から事情を詳しく聞いて、代理騎士を引き受けたのですから」
 アイディラスはまた横槍が入らないよう、レザエルを突き放して近距離で剣同士を触れあわせる位置で構えた。レザエルも同じく。天空の都ケテルギアの剣技場ではこれが開始位置である。
 二人の間に懐かしい時が蘇る。だがここは真剣勝負の場だ。
 アイディラスは声を囁きから少し張ったが、それでもその声はレザエルと、剛腕武装ブリッツ・アームズのズームマイクを通して聴くヴェルストラにしか聞こえなかった。
「あなた、レザエルはこの後ダークステイツで、ゼロうろの中心にいる第6の運命者に挑むことになる。いやの方から挑んでくる。あなたを飲み込むことで、永遠の飢えを満たせると考えているから。そして世界のため、友のため、ここに眠るリィエルと彼女の似姿のため、あなたもまた戦わずにはいられない。そして……敗れて死ぬ」「!!」
「違う未来ではね。その時、運命者としてあなたの運命力は解放され、ゼロうろの運命者によってこの世界のすべては飲み込まれ、惑星クレイだった空間は無となります。すべての記憶は失われ、時間の歩みすら止まる」「?!」
「違う未来で、あなたの死はひとつの奇跡を生み出した。漏れ出した運命力がここに安置されたリィエルの肉体──あなたが完璧に治した──と、朽ちたはずのギアクロニクル遺跡の設備に注がれて起動させ、消えゆくあなたの記憶から、ある機械生命を誕生させた。時翔タイムリープの力を持つ、本来いなかったはずの第7の運命者リィエル゠アモルタを。そして過去へと飛んだ。まだ戦いに赴く前のあなたに会い、止めるために。ブリッツCEOの力を借りて」
「そうか。そういう事だったのか……だからオレに」
 ヴェルストラが低く呟いた声に、ソエルは驚いて振り返った。今までとは違いヴェルストラはそれに反応する余裕もなく、剛腕武装ブリッツ・アームズを顔近くにまで上げて耳を澄ませている。
「ではあのリィエルは……リィエル゠アモルタとは?……まだわからない」
「剣をあげなさい、レザエル。試練はまだ終わっていない!」
 天使が構えるのを待って、アイディラスは二度目の剣礼サリューをした。正式な試合中の作法ではなかった。別れの挨拶だ。
「次の一手を最後としましょう。解っている通り、今もまだ剣の腕は僕の方がずっと上です。この圧倒的優位をあなたが覆せるなら、見ているリィエル゠アモルタも、いえあなたのリィエルもまた、ここから繋がる未来で、世界を賭けた戦いに望むことをあなたに許すかもしれない。凍りついた心の仮面を溶かし、また笑顔を取り戻すことができるかも。あのユナイテッドサンクチュアリの華リィエルに会いたい。それがあなたの願いでしょう、違いますか。レザエル」
「……。最後にひとつ聞きたい。なぜそこまでしてくれる」
「二人が眩しくて。あなた達は今もお似合いだ。見ている者まで幸せにする」
 アイディラスは剣を構えながら、にっこりと笑い、レザエルとリィエル゠アモルタそれぞれと目を合わせた。二人を視線で結びつけたいかのように。
「そんなあなた達の仲を妨げるもの、例えそれが“運命”であったとしても許せないんです。我が神聖国の騎士としてというより、詩人としての思いかもしれませんが」
「……。感謝する、我が友よ」
 レザエルもまた剣礼サリューを返した。泣いているようだった。試合う剣士としては失格かもしれないが、かつて虹の魔竜の長も言っている。『友のいない生涯は空しく、寂しい』と。救世の使いとして修練の果てにレザエルが出会ったのは、命を賭して剣の主とその恋人の未来を願う友情だったのだ。
 ぴんと張り詰める伽藍堂。
 ソエルが、ヴェルストラが、三人の天使ビルニスタ、アドルファス、エルジェニア、そして時の運命者リィエル゠アモルタが見つめる中、空中で2人の剣士と1頭の竜が向かい合っていた。
「参る!」
 レザエルとアイディラスの気合いはまったく同時のものとなった。
 一直線に突きこむアイディラスと、真横から切り払うレザエル。
 だが最初に到達したのは、今まで戦闘に参加しなかったサルヴァール・ドラゴンの牙だった。
 しかしレザエルは身を翻し横回転を加えることで、突進の勢いそのままにコスモドラゴンのあぎとを交わし、さらにほんのわずか乱れた剣聖の突きが顔をかすめるのにも構わず、片手を後ろに振りかぶって、アイディラスの胴に深々と大剣を突き込み、貫いた。
「ぐっ!」
「アイディラス!」
 リィエル゠アモルタの声は驚きと案じる気持ちが半ばする悲鳴だった。何かが融けかかっている。
 勝負あった、と介添のアライト・イーグレットが頷くのを待たず、竜の上から投げ出された友をレザエルは抱き留め、地上に舞い降りながら速やかに治療に入った。彼レザエルは剣士である前に、最優秀の元エンジェルフェザー、救世の使いだったから。
「アイディラス。すぐに治る。しばらく堪えてくれ」
「ふ……ふふっ。リィエル様が永い時を超えてまで愛し続けるわけですよ、レザエル。少し……妬けますね」
「もう喋るな」
「在るべき未来……レザエル、あなたが正しい未来を掴み取るのです。彼女の代わりに。リィエルのため、世界のため、運命力の均衡バランスのため、奇跡を……」
 レザエルの手当はまた完璧だった。だが傷が癒えているにも拘わらず、微笑むアイディラスの身体は医師の腕の中で透け、消滅してゆく。
「アイディラス!」
 気がつけば、騎士とともに呼び出されたサルヴァール・ドラゴン、アライト・イーグレットの姿もまた宙に溶け込み、消えていく所だった。
「これも時の定め。彼らは正しい年代、正しい場所へと戻ってゆく。私の召喚は一時的なものに過ぎないわ」
「……。彼はらの友人だ、リィエル。私は君の試練を乗り越えた。だが、これで良かったのか」
「彼は騎士の務めを果たした。それだけの事よ」
 リィエル゠アモルタの言葉はまたしても感情を裏切っていた。その沈痛な面持ちからは彼女があの清廉な騎士に課してしまった重荷への、自責の念が確かに滲み出ていた。
「君の秘密を聞いた。他人に聞かれてはいけないことと彼は言っていた」
「そうね。時が過ぎ、また時が巡るまでは」
「……。君はそんな人ではなかったはずだ。何故なんだ、リィエル」
「それは……」
 リィエルの声と姿を持つ女性は一瞬の逡巡の後、研ぎ澄まされた表情を取り戻した。知性と覚悟と、そしてほとばしる戦意と。
「説明する必要はないわ。あなたはここで運命者たちの舞台から退場するのだから。私の手で」
 リィエルは構えた。レザエルもまた。
 もはや代理の騎士もいない。やはり運命者同士の衝突は避けられぬ定めなのか。
 長き歳月を氷雪と沈黙に閉ざされた旧いギアクロニクルの遺跡の中心で、いま2人はまみえる。
 救世の使いと謎多き機械仕掛けの天使。
 2000年以上の刻を超えたかつての恋人たちが、今。



※剣技については地球のフェンシングの名称を使用した。※

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《今回の一口用語メモ》

プロディティオの乱
 無神紀のユナイテッドサンクチュアリ(現ケテルサンクチュアリ)における最大にして最悪の内乱。
 同国人同士の争いとしては前例がないほどの戦死者、戦傷者と、傷つき荒れ果てた国土により後世の歴史にも暗い影を落とし、現在でも同国民の間では語るのも思い起こす事も嫌われるほどの争乱である。ケテルサンクチュアリでは「プロディティオ」と言えば、小さな悪意や失敗が取り返しのつかない凶事に拡大することを意味するほどだ。(もっとも《時空の断絶》によって、この頃の詳細な記憶や記録はほとんど失われているが……)
 またエンジェルフェザー隊員の間では、「ユナイテッドサンクチュアリの華」と称えられた天使リィエルの非業の死と、同じく当時すでに不世出の癒やし手と評されていたレザエルの嘆きと落胆の深さ、そして離隊が、悲劇として語り継がれている。
 プロディティオは円卓会議に参列するほど高位な地方領主であり、それまでは仁政で知られる名君であったにも関わらず、ある日まったく突然に全軍を招集して中央からの独立と地上の王を僭称した。敵はケテルギアで富を搾取し肥え太る住民とそれを由とする円卓会議にあり、として。
 事態が混迷し長期化したのは、もともと天空の浮島に対する地上側の反発が爆発寸前であったことと、破竹の勢いで聖都セイクリッド・アルビオンに攻め上ったプロディティオ軍に呼応して、地上の民の多くが不満を一気に爆発させ、同じように反旗を翻した地方領主たちの軍勢に加わったからだ。
 ただし、勢いをかってプロディティオに味方した他の領主や民衆はほどなく後悔することになった。指揮官プロディティオの熱狂に伝染したかのように、付き従う兵士も異常なほどの凶暴性と敵意をもって、敵味方/天空・地上を区別することなく破壊と殺戮を繰り返したからである。
 怒りがより多くの破壊を、憎しみがさらに多くの死者を生み出し続け、悲しみはサンクチュアリ地方を絶望で覆い尽くした。
 そして戦いは僭主プロディティオが死亡するまで30年あまり果てしなく続き、国力の疲弊と天地の対立を決定的なものとし、さらには他国を排斥する風潮にも結びついて(プロディティオの急変と乱心には他国の間者や扇動、あるいは洗脳を疑う噂まであったためだ)、ほどなく閉鎖的かつ不平等、不安定な国家である初期ケテルサンクチュアリの建国にも繋がることになった。
 なおリィエルの死が与えた影響として、恋人を失ったレザエルと仲間たちの悲しみは言うまでもなく、敵味方問わず癒やし手として奔走した彼女を悼む民の動揺もまた大きかったために(またリィエルの弔い合戦などという火種の再燃を避けるという政治意図も含めて)、天空の都ケテルギアの円卓会議は英雄たちの魂が眠る地上のサンクガード寺院に彼女の立像を建てて墓碑とし、亡骸は故人の遺言に従って彼女の従者3人ビルニスタ、アドルファス、エルジェニアだけが知る、はるか異国の遺構へと密かに運ばせた。
 遺構の存在を生前のリィエルがなぜ知り、どうして自分の亡骸を故国の墓所ではなく歴史からも忘れられた遺跡に安置させたのか、その理由は定かではない。ただ結果としてこのギアクロニクル第99号遺構が、リィエルを時の運命者リィエル゠アモルタとして現世に再び姿を見せる奇跡の舞台となった事は確かである。

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サンクガード寺院については
 →ユニットストーリー093「天道の大賢者 ソルレアロン」および《今回の一口用語メモ》を参照のこと。

無神紀末期クレイ歴4500年代に観測され、天輪聖紀以前の時代のすべての記録や記憶が不明・曖昧・一部喪失してしまったという災害「時空の断絶」については
 →ユニットストーリー101「ギガントアームズ シルエット」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。

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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡