ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
139 運命大戦第13話「時の運命者 リィエル゠アモルタ III《奇跡の運命》」
ケテルサンクチュアリ
種族 エンジェル
──2日後。未来。
平原を見下ろす高台。
4人の運命者が集っていた。
「やはり行くか、レザエル。……また会おうぞ。滅びゆくこの世か此の世ならざるどこかで」
ヴァルガは二刀の鍔を鳴らし、金打した。レザエルは目礼でそれを受けた。
「私の野望、俺の半身。失われたものに足る結果がもたらされると良いが。君の癒やしは少なくとも僕にその半分を取り戻させてくれた。その力、存分に発揮してくるといい」
ゾルガは2足で立ち、松葉杖をついている。レザエルの医術は驚異的なものだが、さすがに下半身そのものとなるとすぐに完治というわけにはいかない。本来陰鬱な表情を浮かべることの多いその顔も、世界の滅びを前にした今はどこか晴れやかだった。
「レザエル。あなたは私たち3人と邂逅し、その均衡を己が側に引き寄せた奇跡の運命者。いわば4人の力を合わせた存在。きっとあの零の虚の中心、零の運命者の尽きせぬ飢えをも断ち切ることができるでしょう」
クリスレインもレザエルへと手を差しのばした。祝福のサインだった。その内に絶望を隠しながら。
「ありがとう。ヴァルガ、ゾルガ、クリスレイン」
レザエルもまた友たちに敢えて暗い表情を見せようとはしなかった。
それは彼らが弟子達を遠ざけた理由でもある。若者たちは純粋であるが故に、師の苦悩を見抜くだろうから。
そう。覚悟は決めていた。
最後の運命者同士が衝突すれば、世界は0か1に決まるのだと。
いまから彼が挑む『零の虚』はあまりにも巨大に膨れ上がってしまっている。個人でできる事の限界を、恋人の死というあまりにも苦い経験から学んだレザエルにとって、この挑戦はあまりにも望みが薄いことを知っていた。
「さらばだ、我が友たちよ」
レザエルは剣を携え、飛び立った。
『零の虚』へ。
彼の悲しみと存在そのものを飲み込む、無限の陥穽へと。
Illust:海鵜げそ
現在──。
「な、何だ!?いま見えた光景は……」
光の針、群れを成して襲いかかってくるその勢いを構えた剣でしのぎながら、レザエルは呆然と呟いた。
「くっ!」
リィエル゠アモルタから放たれた針──いやもはやその切っ先からして槍というべきだろうが──に身体の端々を切り裂かれたレザエルは膝をついた。
時の運命者リィエル゠アモルタの攻撃には容赦というものがなかった。
光の槍を打ち下ろすその冷たい美貌に、あの優しきエンジェルフェザー、天空の都ケテルギアで恋人の手を取って微笑んでいたリィエルの面影は無い。
「あれが未来よ」
「未来だと!?しかし、あの運命者は……運命者が5人しか、これは私たちが知る数とは……」
「違う。そうよね。私とヴェルストラは運命者ではなかった。あなたが滅んだ未来では」
「どういうことだ」
「それは既にアイディラスが語ったはず」
リィエル゠アモルタは静かに語り、激しく突進して、収束させた光の槍をレザエルと噛み合わせた。
鍔迫り合い。
過去から召喚された騎士、遍歴の剣聖アイディラスもこの体勢を選んだ。明らかにリィエル゠アモルタもアイディラスも、この決闘を見守る天使や人間、あるいはもっと別な者に秘密を聞かれるのを恐れているのだ。未来を知り、過去へと時翔した存在として。
「彼は……私が死ぬと言った。そして私レザエルの運命力が君リィエル゠アモルタを生み出したと」
レザエルは察して声を押し殺した。
もっとも渾身の力で押し返さなければいけない程、時の運命者の光の槍は凄まじい力を帯びていたためでもあるが。
「目を閉じて、レザエル」
「投了などしないぞ」
「違う。未来を視るの。そこで起こった真実も」
レザエルは戸惑いながら、目を半眼に落とした。
情報が、何者かが見た光景が、情報として流れ込んでくる。
Illust:タカヤマトシアキ
──2日後。未来。
『零の虚』が巻き起こす激流の中で、レザエルは翻弄されていた。
ひと月前、先遣として接触を試みたゾルガからのデータを、レザエルは持っていた。
彼は最接近に達する前に、相手のあまりの巨大さを知り、さらに同じ悲しみを知るレザエルの言葉を思い出して、自らの野望──憧れの海賊王をこの世に蘇らせること──を諦め、半身を失いながらも帰還してレザエルに貴重な、渦の中心とそこにいる者の情報をもたらすことに成功したのだ。
「だが強い……成長している」
誤算だった。
いまや『零の虚』は老いた恒星の重力崩壊さながらに、無と帰した物の質量と、同じく無に捕らわれた生物の絶望を、さらなる吸引力に変えて高め続け、北部ブラントゲートに広がる平原ひとつが渦に覆われていたのだ。
「抜け出せない?!いや、まだ望みは……」
レザエルは最後の力を振り絞って、翔んだ。
だが空しい抵抗だった。
『零の虚』のシュヴァルツシルト半径、吸引力に抵抗できる限界点をレザエルはすでに超えていた。
「世界のために、みんなのために……」
最後まで戦うのだ。奇跡の運命者はあがいた。
だが懸命の羽ばたきも空しかった。
みるみる渦の中心に吸い込まれたレザエルは猛風の中、己の身体が千切れ砕け、秘められた運命力が流れ出した瞬間、愛する者の名前と、この世で溜め込んだ悲しみの全てを解放した。
「リィエル──っ!!!!」
そして彼は無と化した。これまで飲み込まれた者と同じく。これから飲み込まれる惑星の全てのものと同じく。
そして小さな光が、ある場所へと飛んだ。
魂と記憶、そして小さいながらも想いが凝縮した運命力の塊が。
ある旧い遺跡に横たわる、朽ちぬ美しい遺体の上へと。
ふたたび現在──。
レザエルは押し返し、叫んだ。時の運命者に。かつての彼の恋人に。
「あれが来る時だというのか!君が知る未来だと!?」
「いいえ、あなたが知る未来よ。レザエル」
レザエルには、それが何を意味する言葉なのかがわからない。
「まだ気がつかない?さっき見せた未来は、すべてあなたの視点から見たもの。……アイディラスは伝えないほうが良いと忠告してくれたけど。これであなたの意思が変わるなら言うわ」
「……」
「あなたを止めようとしている私はあなた自身。私は未来のあなたでもある」
レザエルは息を呑んだ。
「何を言っているのだ、リィエル。まったくわからない。君は私の運命力によって生まれたという。運命者として、私の最後の願いが、君の復活という形で叶えられたのではないのか」
「そう。だけど重要な情報が欠けている。最後のひと欠片が」
「ひと欠片?」
「私の身体はあなたが残した最後の運命力で造られた。だけど魂はどこから来るの?私、リィエル゠アモルタの魂は、別の時間軸で死んだレザエルの記憶と強い想い、そしてギアクロニクルの遺跡が歴史のすべてが収められているデータベースから読み取った私自身の記憶情報、それらが混ざり合って形成されたもの。だから……この姿が、この心が、どれだけあなたの記憶の中のリィエルに似ていようと、私は紛い物で、複製に過ぎないのよ」
「複製だと……」
レザエルは力なく剣を下げた。
かつて標の運命者ヴェルストラ “ブリッツ・アームズ”がほのめかした運命者の力。それが行き着く所がただの複製だったというのか。真の蘇生や失われた魂との再会ではなく。
光の槍は、防護が失せたその肩に腹に、緩やかに刺さり傷つけてゆく。ずたずたに切り裂かれる彼の心のように。
「そう。そのまま大人しく倒れていなさい。すべてが終わるまで」
終わる?
レザエルの瞳にまた意思の炎が燃え上がった。
光の槍が切り払われ、リィエル゠アモルタは飛び退った。
「終わるとはどういう事だ、リィエル!いま一度問う。君は……いや君の中にいる僕は、世界の脅威を見逃し、身を隠し、すべてが飲み込まれるのを見過ごせというのか!?」
「問いも同じなら答えも同じ。その通りよ」
嘘だ。どこかが違う。あるいは全てが嘘なのか。
レザエルは恋する者の直感で、リィエル゠アモルタの瞳に走った苦悩の光を見逃さなかった。
「聞かせてもらおう、リィエル゠アモルタ」
レザエルは後退する時の運命者を猛追して、剣を合わせた。
光の槍は彼女を包むように防御隊形をとって、これに応じる。
再びの、鍔迫り合い。
「言え!言ってくれ、リィエル!君は何を隠している?!」
「……言えない……」
「頼む!僕が力になる、君が、そして僕が覚えているあの頃のように……!」
ここまで非情に元恋人を追い詰めてきた、時の運命者の目に光るものがあった。涙であるわけはないのだろう。彼女はある決意をもってここに蘇ったのだから。
「リィエル!!」
そしてついに言葉は堰を切ったように彼女からほとばしり出た。
「あなたの……悲しみよ!」「僕の悲しみ?」「あなたの深い悲しみこそが、第6の運命者が求める最後のひと欠片」「どういう事だ」「わからない?あなたを特別な人、献身的な医師、救世の使い、不屈の剣士たらしめているのは深い悲しみ。私のためにあなたが積み重ねてきた自責と後悔、果てしのない苦しみ。その悲しみこそが、ブラグドマイヤーの渇望するもの、『零の虚』の根源なの! 悲しみを支えとして戦うあなたは、悲しみの化身である彼には決して勝てない。必ず取り込まれる」
いまや、遺跡の大聖堂は二人だけの世界だった。
その叫びは確かに、手を握り合わせて見つめるソエル、何か得心がいった様子のヴェルストラ、そして3人の天使にも聞こえてはいる。だがレザエルとリィエルだけにしか、その真意は伝わらない。なぜなら彼と彼女は記憶を一にする姿の異なった同一人物だからだ。片方は死と滅びを知り、片方はまだ生の中にあるというだけの違いで。
「あなたは2000年以上、苦境や困難を、私に対する悲しみを糧にして乗り越えてきた。よく知っているわ、誰よりもね」
リィエルの槍は下がった。レザエルの剣もまた。
「あなたは意識せず、敵の本質そのものであり、もっとも欲する対象となっている。いわば滅びの種。彼は待っている。あなたと世界を救う手段があるとすれば、戦いを避け、あなたが姿を消すことだけ。私と共に」
「リィエル、それは先延ばしにしているだけだ」
「あり得る未来で世界の滅亡のきっかけとなったもの、つまりあなたが手に入れられなければ……いつか『零の虚』は収束し安定するのかも。いつか奇跡が起こるまで待てば、あるいは……」
「賢明な君なら判るだろう!!それは僕ら医者が、もう手の施しようのない患者に勧める言葉だ。万感の空しさと無力感……悲しみをこめて。リィエル、目を覚ませ!待っていて自然と起こるものなんて奇跡じゃない!君の中にいる僕は、“君”は、世界を侵す病巣に対して逃げ隠れることを、本当に良しとするのか?」
「……」
2人の天使は舞い降り、向かい合って跪いた。遺跡の池の中心に、彼女の亡骸が眠る棺の前に。
「まだ隠していることがあるね」
レザエルはリィエル゠アモルタの肩を抱えて、その目を見つめた。長い時を経たとはいえ、二人は宿世の恋人。隠し事などできるはずもなかった。
「私は……」
リィエル゠アモルタは、いやリィエルは今、はっきりと泣いていた。
「私は、あなたが死んだ未来に生まれ、あなたの全ての記憶と運命力をもって蘇ったリィエルの似姿」
「それでも僕は君を受けいれるよ」
「そういう事じゃない」
機械仕掛けの天使は弱々しく首を振った。
「私は未来に属する存在。だから……」
ヴェルストラが一瞬動きかけて、自分を抑えた。ソエルが驚いて振り返る。標の運命者は、彼女の何を察して止めかけ、諦めたのだろうか。
「この世界が滅べば私も滅び、そして」
レザエルも身体を凍りつかせた。
「万が一、あなたが零の運命者ブラグドマイヤーを倒せたとしても、私が生まれた未来への時間軸は絶え、私は消滅する」
リィエル゠アモルタの声は囁きだった。
だがそれはどんな叫びよりも、レザエルの心を乱した。
「そう。手の施しようのない患者とは私。運命力の悪戯によって生み出され、時の円環に閉じ込められた異分子。安定など望めない。あなたなら判るでしょう」
「……」
一時、悄然としたレザエルは、それでも彼女の手を強く、強く握った。
リィエル゠アモルタ、いやリィエルには次の彼の言葉が容易に想像できた。
「『それでも奇跡を信じる』。諦めないのね」
「そうだ。そしてこの手ももう決して放さない」
「いいえ。放して。そんなあなたに、これを受け取ってほしいから……私だと思って」
リィエルは、リィエル゠アモルタとして構成された身体から一枚の羽根を抜き出し、恋人に手渡した。
受け取ったレザエルはふと不思議な感覚を覚えていた。
2人をつなぎ、宙に浮かぶ羽根。
こんな事がいつかどこかで……。
「ギアクロニクルの遺跡の力を得て、蘇った私には」
リィエル゠アモルタの声がまた別ものとなった。
静かに2人は立ち上がり、また距離をとった。
亡き彼女、天使リィエルの棺の前で。
「制御できないものもある。それが戦闘モード」
「止まらないのか」
「あなたに勝つために戦い始めた私は、もう止められない。機械と一体化した私自身が倒れない限り。……決着をつけましょう」
「治らないものを治すのが、救世の使いの仕事だ。君は僕が止める」
リィエル゠アモルタの光の槍が再び戦闘配置に浮遊すると、レザエルもまた大剣を構えた。
「変わったね、レザエル」
リィエルが笑った。
レザエルが頷く。
2人は同時に駆けだした。
彼我の短い距離は一瞬で詰まり、広がり窄まった光の槍の群れはレザエルの羽根を際どくかすめ、一瞬で彼女の背後にまわったレザエルの輝く大剣はすれ違いざまにリィエル゠アモルタの背の機械仕掛けを叩き、停止させた。
「!」
「リィエル!」
駆け寄ろうとする一同を手で制し、レザエルは彼女を腕に抱いた。
2000年以上昔、空しく遺骸を抱いた、その時と同じ格好で。
「機械だけを破壊して仮死状態に?あなたときたら……」
「すぐ直す」
リィエルは微笑んで首を振った。
「いいえ、せっかく唯の恋人に戻れたのだから……このまま休ませて。眠るなんて何年ぶりかしら」
「……リィエル!リィエル!!聞いてくれ。僕は必ず奇跡を起こしてみせる!『零の虚』の中心にいる者を止め、未来を変えてみせるから!」
「そうね。勝って。そして運命を変えてみせて。あなたは私のレザエル、奇跡の運命者だもの」
「約束するよ!」
「次に目覚めた時はきっとまたあなたがいる。そうよね」
「リィエル!」
「さようなら。……前は言えなかったから、いま言っておくね」
「リィエル!!」
リィエルの指がレザエルの口元を押さえた。
お別れの時間だ。束の間の、あるいは永遠の。
「あなたの悲しみに……せめてもっといい思い出を作ってあげられたら、よかったね。ごめん、レザエル」
《ユナイテッドサンクチュアリの華》リィエルは眠った。
穏やかな寝息を立てて。レザエルの腕に抱きしめられ、安らかに、微笑みながら。
レザエルは声をあげて哭いた。滂沱の涙を流しながら。
世界や恋人を救うためだけではなく、ただもう一度出逢い、寄り添い、リィエル自身の死に始まるレザエルの悲しみを自分で癒すこと。あるいはそれこそがたった一つ、リィエルが真に望んでいた事だったかもしれないと、レザエルはやっと思い当たったからだ。そのためには愛しい人を自らの手で叩きのめしても。
「……また動いたな。運命力の“均衡”が」
しばらく、またそっぽを向いていたヴェルストラは、ようやく向き直ると誰に言うとでもなく呟いた。
ソエルに顔が見えないように、まだ上を向いたままだ。“卵”を通じて、ずっとお姫様のわがままなるものに付き合ってきたブリッツ・インダストリーCEOにも、万感せまるものがあったらしい。
「わかるんですか」とソエル。
「あぁ、感じるよ。どこかでがくんと天秤が大きく傾いたのがさ。オレ、運命者だもん。よーし、いよいよ面白くなってきた。世界をかけた運命者の決戦、応援しちゃうよ~ん!」
ヴェルストラはやたら陽気に宣言すると、装備していないほうの左手で顔をぐいと拭って、にかっと笑いかけた。
「さぁ、しばらく……いやいや、気が済むまでずっと2人きりにしてあげようぜ」「はい!」
「それと、あの天使のお嬢さんたちも呼んできてくれるかな。リューベツァールを呼んであるんだ。奢るぜ!戦の前はまず腹ごしらえさ」「はーい!」
師匠と眠れる美女を邪魔しないように大回りして飛び去っていくソエルを見ながら、標の運命者 ヴェルストラ “ブリッツ・アームズ”は嘆息をついた。
その視線の先には2人の天使がいた。
時間の大河もあるいは死すらもその仲を裂くことはできない、強い絆で結ばれた恋人たちが。
それを見つめる目には確かな理解と、そして切ないほどの共感があった。
レザエルとリィエルを除けば、ヴェルストラこそがもっともこの状況を知り、聞いているのだから。残された希望が少ないことも。やがて来る結末が、すべての者に幸福を約束するものではないことも。
「でもさ、あんなの見せられたら信じたくなっちゃうじゃん、この後おきる奇跡ってヤツをさ」
ヴェルストラはそう言ってまた鼻をこすった。少し照れくさそうに微笑みながら。
※シュヴァルツシルト半径は、地球の天体物理学などで使われる用語を使用した。※
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《今回の一口用語メモ》
運命者と、時翔の禁忌
本編でたびたび述べられていることだが、惑星クレイにおいてギアクロニクル以外で、実体を持ったまま《過去への跳躍》に成功したものはいない。ないしはいなかった事になっている。
それは過去に実体と記憶をもって翔ぶことは、歴史へ干渉する可能性を生じさせ、その事実が見過ごせない案件と判断された時点でギアクロニクルの介入を招くからだ。
四次元世界を生きる我々にとって「時」は本来、逃れることのできない定めである。特に無秩序で突発的な時翔は、時間の大河に生じる異常として観測される。
そんな時間の外からやって来たものとして、知られている種族がギアクロニクルだ。
すべての歴史が記されているというアカシックブックにも無い異常の発生は、調査・判明し次第、彼らギアクロニクルの監視対象となり、パラドックスや宇宙的災害を引き起こす前に(大抵は)未然に処理される。時空犯罪者や大規模な歴史改変を目論む者に取って「ギアクロニクル」の名は宇宙的均衡のため、時空跳躍/時翔と、持てる異能を駆使して冷徹に処断の刃を振るう、恐るべき存在なのだ。
ただし、ギアクロニクルにとってもこの時空法違反の摘発は滅多に起こるものではない。
その理由は2つ。
ひとつは時翔を行うには、被疑者も捜査/調整側にも、膨大なエネルギーを必要とするためだ。
二つめとして、ギアクロニクルは厳格な時空の監視者たちではあるが、未来から見た正しい歴史の流れに照らして妥当=いずれ大河に吸収されると判断できる場合、またその反対に、影響が大きすぎて拙速な処置を避けるべき案件、さらにギアクロニクルの調査網から漏れるほど急激で突発的なものについては、明らかな異常と思われる場合でもすぐには姿を現さないことも多い。だが確実に調査は進められており、やがて裁きの手が伸びてくる。
ギアクロニクルの言動が時に惑星クレイの善悪の基準では測り難いと言われるのは、この点による所が大きいようである。
Illust:DaisukeIzuka
ギアクロニクルについては
→ユニットストーリー064「マーチングデビュー ピュリテ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
ギアクロニクルと遺跡発掘隊アンティークについては
→ユニットストーリー056 世界樹編「封焔竜 アウシュニヤ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
ギアクロニクル第99号遺構については今回のエピソードと
→ユニットストーリー132「奇跡の運命者 レザエルII 《在るべき未来》」および
ユニットストーリー137「時の運命者 リィエル゠アモルタ」を参照のこと。
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平原を見下ろす高台。
4人の運命者が集っていた。
「やはり行くか、レザエル。……また会おうぞ。滅びゆくこの世か此の世ならざるどこかで」
ヴァルガは二刀の鍔を鳴らし、金打した。レザエルは目礼でそれを受けた。
「私の野望、俺の半身。失われたものに足る結果がもたらされると良いが。君の癒やしは少なくとも僕にその半分を取り戻させてくれた。その力、存分に発揮してくるといい」
ゾルガは2足で立ち、松葉杖をついている。レザエルの医術は驚異的なものだが、さすがに下半身そのものとなるとすぐに完治というわけにはいかない。本来陰鬱な表情を浮かべることの多いその顔も、世界の滅びを前にした今はどこか晴れやかだった。
「レザエル。あなたは私たち3人と邂逅し、その均衡を己が側に引き寄せた奇跡の運命者。いわば4人の力を合わせた存在。きっとあの零の虚の中心、零の運命者の尽きせぬ飢えをも断ち切ることができるでしょう」
クリスレインもレザエルへと手を差しのばした。祝福のサインだった。その内に絶望を隠しながら。
「ありがとう。ヴァルガ、ゾルガ、クリスレイン」
レザエルもまた友たちに敢えて暗い表情を見せようとはしなかった。
それは彼らが弟子達を遠ざけた理由でもある。若者たちは純粋であるが故に、師の苦悩を見抜くだろうから。
そう。覚悟は決めていた。
最後の運命者同士が衝突すれば、世界は0か1に決まるのだと。
いまから彼が挑む『零の虚』はあまりにも巨大に膨れ上がってしまっている。個人でできる事の限界を、恋人の死というあまりにも苦い経験から学んだレザエルにとって、この挑戦はあまりにも望みが薄いことを知っていた。
「さらばだ、我が友たちよ」
レザエルは剣を携え、飛び立った。
『零の虚』へ。
彼の悲しみと存在そのものを飲み込む、無限の陥穽へと。
Illust:海鵜げそ
現在──。
「な、何だ!?いま見えた光景は……」
光の針、群れを成して襲いかかってくるその勢いを構えた剣でしのぎながら、レザエルは呆然と呟いた。
「くっ!」
リィエル゠アモルタから放たれた針──いやもはやその切っ先からして槍というべきだろうが──に身体の端々を切り裂かれたレザエルは膝をついた。
時の運命者リィエル゠アモルタの攻撃には容赦というものがなかった。
光の槍を打ち下ろすその冷たい美貌に、あの優しきエンジェルフェザー、天空の都ケテルギアで恋人の手を取って微笑んでいたリィエルの面影は無い。
「あれが未来よ」
「未来だと!?しかし、あの運命者は……運命者が5人しか、これは私たちが知る数とは……」
「違う。そうよね。私とヴェルストラは運命者ではなかった。あなたが滅んだ未来では」
「どういうことだ」
「それは既にアイディラスが語ったはず」
リィエル゠アモルタは静かに語り、激しく突進して、収束させた光の槍をレザエルと噛み合わせた。
鍔迫り合い。
過去から召喚された騎士、遍歴の剣聖アイディラスもこの体勢を選んだ。明らかにリィエル゠アモルタもアイディラスも、この決闘を見守る天使や人間、あるいはもっと別な者に秘密を聞かれるのを恐れているのだ。未来を知り、過去へと時翔した存在として。
「彼は……私が死ぬと言った。そして私レザエルの運命力が君リィエル゠アモルタを生み出したと」
レザエルは察して声を押し殺した。
もっとも渾身の力で押し返さなければいけない程、時の運命者の光の槍は凄まじい力を帯びていたためでもあるが。
「目を閉じて、レザエル」
「投了などしないぞ」
「違う。未来を視るの。そこで起こった真実も」
レザエルは戸惑いながら、目を半眼に落とした。
情報が、何者かが見た光景が、情報として流れ込んでくる。
Illust:タカヤマトシアキ
──2日後。未来。
『零の虚』が巻き起こす激流の中で、レザエルは翻弄されていた。
ひと月前、先遣として接触を試みたゾルガからのデータを、レザエルは持っていた。
彼は最接近に達する前に、相手のあまりの巨大さを知り、さらに同じ悲しみを知るレザエルの言葉を思い出して、自らの野望──憧れの海賊王をこの世に蘇らせること──を諦め、半身を失いながらも帰還してレザエルに貴重な、渦の中心とそこにいる者の情報をもたらすことに成功したのだ。
「だが強い……成長している」
誤算だった。
いまや『零の虚』は老いた恒星の重力崩壊さながらに、無と帰した物の質量と、同じく無に捕らわれた生物の絶望を、さらなる吸引力に変えて高め続け、北部ブラントゲートに広がる平原ひとつが渦に覆われていたのだ。
「抜け出せない?!いや、まだ望みは……」
レザエルは最後の力を振り絞って、翔んだ。
だが空しい抵抗だった。
『零の虚』のシュヴァルツシルト半径、吸引力に抵抗できる限界点をレザエルはすでに超えていた。
「世界のために、みんなのために……」
最後まで戦うのだ。奇跡の運命者はあがいた。
だが懸命の羽ばたきも空しかった。
みるみる渦の中心に吸い込まれたレザエルは猛風の中、己の身体が千切れ砕け、秘められた運命力が流れ出した瞬間、愛する者の名前と、この世で溜め込んだ悲しみの全てを解放した。
「リィエル──っ!!!!」
そして彼は無と化した。これまで飲み込まれた者と同じく。これから飲み込まれる惑星の全てのものと同じく。
そして小さな光が、ある場所へと飛んだ。
魂と記憶、そして小さいながらも想いが凝縮した運命力の塊が。
ある旧い遺跡に横たわる、朽ちぬ美しい遺体の上へと。
ふたたび現在──。
レザエルは押し返し、叫んだ。時の運命者に。かつての彼の恋人に。
「あれが来る時だというのか!君が知る未来だと!?」
「いいえ、あなたが知る未来よ。レザエル」
レザエルには、それが何を意味する言葉なのかがわからない。
「まだ気がつかない?さっき見せた未来は、すべてあなたの視点から見たもの。……アイディラスは伝えないほうが良いと忠告してくれたけど。これであなたの意思が変わるなら言うわ」
「……」
「あなたを止めようとしている私はあなた自身。私は未来のあなたでもある」
レザエルは息を呑んだ。
「何を言っているのだ、リィエル。まったくわからない。君は私の運命力によって生まれたという。運命者として、私の最後の願いが、君の復活という形で叶えられたのではないのか」
「そう。だけど重要な情報が欠けている。最後のひと欠片が」
「ひと欠片?」
「私の身体はあなたが残した最後の運命力で造られた。だけど魂はどこから来るの?私、リィエル゠アモルタの魂は、別の時間軸で死んだレザエルの記憶と強い想い、そしてギアクロニクルの遺跡が歴史のすべてが収められているデータベースから読み取った私自身の記憶情報、それらが混ざり合って形成されたもの。だから……この姿が、この心が、どれだけあなたの記憶の中のリィエルに似ていようと、私は紛い物で、複製に過ぎないのよ」
「複製だと……」
レザエルは力なく剣を下げた。
かつて標の運命者ヴェルストラ “ブリッツ・アームズ”がほのめかした運命者の力。それが行き着く所がただの複製だったというのか。真の蘇生や失われた魂との再会ではなく。
光の槍は、防護が失せたその肩に腹に、緩やかに刺さり傷つけてゆく。ずたずたに切り裂かれる彼の心のように。
「そう。そのまま大人しく倒れていなさい。すべてが終わるまで」
終わる?
レザエルの瞳にまた意思の炎が燃え上がった。
光の槍が切り払われ、リィエル゠アモルタは飛び退った。
「終わるとはどういう事だ、リィエル!いま一度問う。君は……いや君の中にいる僕は、世界の脅威を見逃し、身を隠し、すべてが飲み込まれるのを見過ごせというのか!?」
「問いも同じなら答えも同じ。その通りよ」
嘘だ。どこかが違う。あるいは全てが嘘なのか。
レザエルは恋する者の直感で、リィエル゠アモルタの瞳に走った苦悩の光を見逃さなかった。
「聞かせてもらおう、リィエル゠アモルタ」
レザエルは後退する時の運命者を猛追して、剣を合わせた。
光の槍は彼女を包むように防御隊形をとって、これに応じる。
再びの、鍔迫り合い。
「言え!言ってくれ、リィエル!君は何を隠している?!」
「……言えない……」
「頼む!僕が力になる、君が、そして僕が覚えているあの頃のように……!」
ここまで非情に元恋人を追い詰めてきた、時の運命者の目に光るものがあった。涙であるわけはないのだろう。彼女はある決意をもってここに蘇ったのだから。
「リィエル!!」
そしてついに言葉は堰を切ったように彼女からほとばしり出た。
「あなたの……悲しみよ!」「僕の悲しみ?」「あなたの深い悲しみこそが、第6の運命者が求める最後のひと欠片」「どういう事だ」「わからない?あなたを特別な人、献身的な医師、救世の使い、不屈の剣士たらしめているのは深い悲しみ。私のためにあなたが積み重ねてきた自責と後悔、果てしのない苦しみ。その悲しみこそが、ブラグドマイヤーの渇望するもの、『零の虚』の根源なの! 悲しみを支えとして戦うあなたは、悲しみの化身である彼には決して勝てない。必ず取り込まれる」
いまや、遺跡の大聖堂は二人だけの世界だった。
その叫びは確かに、手を握り合わせて見つめるソエル、何か得心がいった様子のヴェルストラ、そして3人の天使にも聞こえてはいる。だがレザエルとリィエルだけにしか、その真意は伝わらない。なぜなら彼と彼女は記憶を一にする姿の異なった同一人物だからだ。片方は死と滅びを知り、片方はまだ生の中にあるというだけの違いで。
「あなたは2000年以上、苦境や困難を、私に対する悲しみを糧にして乗り越えてきた。よく知っているわ、誰よりもね」
リィエルの槍は下がった。レザエルの剣もまた。
「あなたは意識せず、敵の本質そのものであり、もっとも欲する対象となっている。いわば滅びの種。彼は待っている。あなたと世界を救う手段があるとすれば、戦いを避け、あなたが姿を消すことだけ。私と共に」
「リィエル、それは先延ばしにしているだけだ」
「あり得る未来で世界の滅亡のきっかけとなったもの、つまりあなたが手に入れられなければ……いつか『零の虚』は収束し安定するのかも。いつか奇跡が起こるまで待てば、あるいは……」
「賢明な君なら判るだろう!!それは僕ら医者が、もう手の施しようのない患者に勧める言葉だ。万感の空しさと無力感……悲しみをこめて。リィエル、目を覚ませ!待っていて自然と起こるものなんて奇跡じゃない!君の中にいる僕は、“君”は、世界を侵す病巣に対して逃げ隠れることを、本当に良しとするのか?」
「……」
2人の天使は舞い降り、向かい合って跪いた。遺跡の池の中心に、彼女の亡骸が眠る棺の前に。
「まだ隠していることがあるね」
レザエルはリィエル゠アモルタの肩を抱えて、その目を見つめた。長い時を経たとはいえ、二人は宿世の恋人。隠し事などできるはずもなかった。
「私は……」
リィエル゠アモルタは、いやリィエルは今、はっきりと泣いていた。
「私は、あなたが死んだ未来に生まれ、あなたの全ての記憶と運命力をもって蘇ったリィエルの似姿」
「それでも僕は君を受けいれるよ」
「そういう事じゃない」
機械仕掛けの天使は弱々しく首を振った。
「私は未来に属する存在。だから……」
ヴェルストラが一瞬動きかけて、自分を抑えた。ソエルが驚いて振り返る。標の運命者は、彼女の何を察して止めかけ、諦めたのだろうか。
「この世界が滅べば私も滅び、そして」
レザエルも身体を凍りつかせた。
「万が一、あなたが零の運命者ブラグドマイヤーを倒せたとしても、私が生まれた未来への時間軸は絶え、私は消滅する」
リィエル゠アモルタの声は囁きだった。
だがそれはどんな叫びよりも、レザエルの心を乱した。
「そう。手の施しようのない患者とは私。運命力の悪戯によって生み出され、時の円環に閉じ込められた異分子。安定など望めない。あなたなら判るでしょう」
「……」
一時、悄然としたレザエルは、それでも彼女の手を強く、強く握った。
リィエル゠アモルタ、いやリィエルには次の彼の言葉が容易に想像できた。
「『それでも奇跡を信じる』。諦めないのね」
「そうだ。そしてこの手ももう決して放さない」
「いいえ。放して。そんなあなたに、これを受け取ってほしいから……私だと思って」
リィエルは、リィエル゠アモルタとして構成された身体から一枚の羽根を抜き出し、恋人に手渡した。
受け取ったレザエルはふと不思議な感覚を覚えていた。
2人をつなぎ、宙に浮かぶ羽根。
こんな事がいつかどこかで……。
「ギアクロニクルの遺跡の力を得て、蘇った私には」
リィエル゠アモルタの声がまた別ものとなった。
静かに2人は立ち上がり、また距離をとった。
亡き彼女、天使リィエルの棺の前で。
「制御できないものもある。それが戦闘モード」
「止まらないのか」
「あなたに勝つために戦い始めた私は、もう止められない。機械と一体化した私自身が倒れない限り。……決着をつけましょう」
「治らないものを治すのが、救世の使いの仕事だ。君は僕が止める」
リィエル゠アモルタの光の槍が再び戦闘配置に浮遊すると、レザエルもまた大剣を構えた。
「変わったね、レザエル」
リィエルが笑った。
レザエルが頷く。
2人は同時に駆けだした。
彼我の短い距離は一瞬で詰まり、広がり窄まった光の槍の群れはレザエルの羽根を際どくかすめ、一瞬で彼女の背後にまわったレザエルの輝く大剣はすれ違いざまにリィエル゠アモルタの背の機械仕掛けを叩き、停止させた。
「!」
「リィエル!」
駆け寄ろうとする一同を手で制し、レザエルは彼女を腕に抱いた。
2000年以上昔、空しく遺骸を抱いた、その時と同じ格好で。
「機械だけを破壊して仮死状態に?あなたときたら……」
「すぐ直す」
リィエルは微笑んで首を振った。
「いいえ、せっかく唯の恋人に戻れたのだから……このまま休ませて。眠るなんて何年ぶりかしら」
「……リィエル!リィエル!!聞いてくれ。僕は必ず奇跡を起こしてみせる!『零の虚』の中心にいる者を止め、未来を変えてみせるから!」
「そうね。勝って。そして運命を変えてみせて。あなたは私のレザエル、奇跡の運命者だもの」
「約束するよ!」
「次に目覚めた時はきっとまたあなたがいる。そうよね」
「リィエル!」
「さようなら。……前は言えなかったから、いま言っておくね」
「リィエル!!」
リィエルの指がレザエルの口元を押さえた。
お別れの時間だ。束の間の、あるいは永遠の。
「あなたの悲しみに……せめてもっといい思い出を作ってあげられたら、よかったね。ごめん、レザエル」
《ユナイテッドサンクチュアリの華》リィエルは眠った。
穏やかな寝息を立てて。レザエルの腕に抱きしめられ、安らかに、微笑みながら。
レザエルは声をあげて哭いた。滂沱の涙を流しながら。
世界や恋人を救うためだけではなく、ただもう一度出逢い、寄り添い、リィエル自身の死に始まるレザエルの悲しみを自分で癒すこと。あるいはそれこそがたった一つ、リィエルが真に望んでいた事だったかもしれないと、レザエルはやっと思い当たったからだ。そのためには愛しい人を自らの手で叩きのめしても。
「……また動いたな。運命力の“均衡”が」
しばらく、またそっぽを向いていたヴェルストラは、ようやく向き直ると誰に言うとでもなく呟いた。
ソエルに顔が見えないように、まだ上を向いたままだ。“卵”を通じて、ずっとお姫様のわがままなるものに付き合ってきたブリッツ・インダストリーCEOにも、万感せまるものがあったらしい。
「わかるんですか」とソエル。
「あぁ、感じるよ。どこかでがくんと天秤が大きく傾いたのがさ。オレ、運命者だもん。よーし、いよいよ面白くなってきた。世界をかけた運命者の決戦、応援しちゃうよ~ん!」
ヴェルストラはやたら陽気に宣言すると、装備していないほうの左手で顔をぐいと拭って、にかっと笑いかけた。
「さぁ、しばらく……いやいや、気が済むまでずっと2人きりにしてあげようぜ」「はい!」
「それと、あの天使のお嬢さんたちも呼んできてくれるかな。リューベツァールを呼んであるんだ。奢るぜ!戦の前はまず腹ごしらえさ」「はーい!」
師匠と眠れる美女を邪魔しないように大回りして飛び去っていくソエルを見ながら、標の運命者 ヴェルストラ “ブリッツ・アームズ”は嘆息をついた。
その視線の先には2人の天使がいた。
時間の大河もあるいは死すらもその仲を裂くことはできない、強い絆で結ばれた恋人たちが。
それを見つめる目には確かな理解と、そして切ないほどの共感があった。
レザエルとリィエルを除けば、ヴェルストラこそがもっともこの状況を知り、聞いているのだから。残された希望が少ないことも。やがて来る結末が、すべての者に幸福を約束するものではないことも。
「でもさ、あんなの見せられたら信じたくなっちゃうじゃん、この後おきる奇跡ってヤツをさ」
ヴェルストラはそう言ってまた鼻をこすった。少し照れくさそうに微笑みながら。
了
※シュヴァルツシルト半径は、地球の天体物理学などで使われる用語を使用した。※
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《今回の一口用語メモ》
運命者と、時翔の禁忌
本編でたびたび述べられていることだが、惑星クレイにおいてギアクロニクル以外で、実体を持ったまま《過去への跳躍》に成功したものはいない。ないしはいなかった事になっている。
それは過去に実体と記憶をもって翔ぶことは、歴史へ干渉する可能性を生じさせ、その事実が見過ごせない案件と判断された時点でギアクロニクルの介入を招くからだ。
四次元世界を生きる我々にとって「時」は本来、逃れることのできない定めである。特に無秩序で突発的な時翔は、時間の大河に生じる異常として観測される。
そんな時間の外からやって来たものとして、知られている種族がギアクロニクルだ。
すべての歴史が記されているというアカシックブックにも無い異常の発生は、調査・判明し次第、彼らギアクロニクルの監視対象となり、パラドックスや宇宙的災害を引き起こす前に(大抵は)未然に処理される。時空犯罪者や大規模な歴史改変を目論む者に取って「ギアクロニクル」の名は宇宙的均衡のため、時空跳躍/時翔と、持てる異能を駆使して冷徹に処断の刃を振るう、恐るべき存在なのだ。
ただし、ギアクロニクルにとってもこの時空法違反の摘発は滅多に起こるものではない。
その理由は2つ。
ひとつは時翔を行うには、被疑者も捜査/調整側にも、膨大なエネルギーを必要とするためだ。
二つめとして、ギアクロニクルは厳格な時空の監視者たちではあるが、未来から見た正しい歴史の流れに照らして妥当=いずれ大河に吸収されると判断できる場合、またその反対に、影響が大きすぎて拙速な処置を避けるべき案件、さらにギアクロニクルの調査網から漏れるほど急激で突発的なものについては、明らかな異常と思われる場合でもすぐには姿を現さないことも多い。だが確実に調査は進められており、やがて裁きの手が伸びてくる。
ギアクロニクルの言動が時に惑星クレイの善悪の基準では測り難いと言われるのは、この点による所が大きいようである。
Illust:DaisukeIzuka
ギアクロニクルについては
→ユニットストーリー064「マーチングデビュー ピュリテ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
ギアクロニクルと遺跡発掘隊アンティークについては
→ユニットストーリー056 世界樹編「封焔竜 アウシュニヤ」の《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
ギアクロニクル第99号遺構については今回のエピソードと
→ユニットストーリー132「奇跡の運命者 レザエルII 《在るべき未来》」および
ユニットストーリー137「時の運命者 リィエル゠アモルタ」を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡