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ユニット

Unit
短編小説「ユニットストーリー」
143 クレイ群雄譚 アナザーストーリー 「雲水飛動 忍鬼 猩々童子」
ドラゴンエンパイア
種族 デーモン
 猩々童子という男がいる。
 鬼だ。
 齢は二十三、長命なデーモンという種においては、つい先頃歯が生えたかという若さである。
 その性格たちはまさに悪童そのもので、息を吸うように喧嘩をし、余所様の柿を食い、野良猫の顔に悪戯書きをする。
 朝から酒肴をむさぼり、酔っては大音声だいおんじょうで下手な都々逸をやり、そのまま頭から池に落ちている。
 二束三文のごろつきならばまだいいが、これで任侠集団『酔生無双』の首領というのだからタチが悪い。
 さては女癖のほうも悪辣なのだろう、夜な夜なお座敷遊びを繰り返し、美女どもからは煙管の雨が降るようで、千切っては投げ千切っては投げ、襤褸ぞうきんのように捨てているに違いない、と。
 世では思われている。
 あぁ、そうなら子分共の心労もずいぶん軽かっただろう。
 奥手である。手も繋げない。
 巷でつまみ簪が流行っていると聞けば買い求め、いいや鼈甲根付けの帯留めだと聞けば買い求め、いそいそとタマユラの屋敷まで贈りに行く。
 帰ってきた猩々童子に、子分は黒山の人だかりを成して「どうでしたか」と尋ねる。
 猩々童子、満足げに「似合っていた」と小鼻をうごめかす。
 そうではない。
 仲が進んだのか、知りたいのだ。
 手を繋いだのか、知りたいのだ。
 入ったばかりの若中で、命知らずにも訊いた者がいる。
 三日して、山中で見つかったときには首まで埋まり、獣にペロペロ舐められ泣いていた。
 そこまで暖簾に腕押しが続けば「本当におかしらはタマユラ様に懸想をしているのだろうか?」と疑問に思う者も出てくる。
 血の通った母御や姉妹を愛おしいと感じるように、タマユラを想っているのではないか。せっせと贈り物をするのは無垢な気持ちの表れではないのか。
 それならそれで構わないのだが、もし欠片でも恋情があるのなら全力で応援したい。それが今日とて黒山の人だかりを成す、子分共の総意である。


 丑三つ時、おどろおどろと風が吹く。妖怪変化の声がする。
「それでどうだ、お頭とタマユラ様の、サァカスデェトの首尾は」
「ああ、タマユラ様に喜んで貰うってぇんで、惑星のてっぺんから底の底まで、目を皿にして探したサァカスだ。退屈だったはずがねぇ」
「あぁ、どの興行師共も首を縦にせず、ようやくようやくのサァカスデェト!」
「……それが」
 恐れるように声を絞ったのは、キンランという名の鬼である。猩々童子に次ぐ歌舞伎者で、どこもかしもギンギラギンに輝いている。


Illust:桂福蔵


「どうやら観客がお頭とタマユラ様だけだったてぇのが良くなかった。プンプンだ」
「プンプン! あぁ、タマユラ様はそこまで頭と二人っきりが嫌でいらっしゃる」
 手下共のつらに悲嘆が満ちる。
「いいや違う。そこまで観客が少のうては、曲舞師共が哀れだと」
「あぁなんとお優しい」
「お頭が悪い」
「お頭が悪い」
「俺たちだって行きたいって言ったのに」
 たちどころ意見はひとつになったが、終わったことを責めても仕方が無い。
「さて次はどうしたものか」
「何か汚名返上の手は無いのか」
 妖怪変化の子分共、額をひとつに寄せてウンウン唸った。
 キンラン、やにわに閃いた。周囲の視線をひとつに集め、『まがじん』を大天井へと突き上げる。
「これだぁっ!」


 リリカルモナステリオで秋に開催されるという『ブルーム・フェス』。
 その審査員としてタマユラがドラゴンエンパイアを発って、十日と一日が経った。あと二日もすれば飛行艇に乗って帰ってくるはずである。
 その間、猩々童子やキンランたちも、ただぼんやりと秋の雲を眺めていたわけではなかった。サーカス団を使って猩々童子の命を狙った黒幕の正体がわかったのである。
 予想通りと言うべきか、捻りがないと言うべきか、黒幕は任侠集団『夜行灯』だった。どうも新興の『酔生無双』の台頭が目障りだったと見える。
 御前様が戻る前に煤を払うのが俺の役目と、猩々童子は敵の本丸に乗り込んでばったばったと薙ぎ倒す。その働きはまさしく一騎当千。夜深に始まった大騒動も、地平が白む頃にはすっかり終わっていた。
 えいえいと雄叫びをあげる手下共、その賑やかな騒ぎを残し、猩々童子は黙って屋敷から出ていった。
 いつもなら誰よりも快哉を叫ぶ猩々童子である。訝しく思ったキンランはそっと後をつけた。
 猩々童子は表大路へ立つと、朝焼けに透ける白い光を睨みつけ、唸った。
「あとはメガロノヅチ……あいつを倒せたら御前様に——」
「っ!」
 後頭からぶっ叩かれたような衝撃で、キンランの目玉が飛び出した。
 大事件である。もはや勝利の美酒に酔っている場合ではない。
 キンランは『夜行灯』の屋敷に駆け戻り、子分共へたった今見聞きしたことを言い告げた。たちまちあたりは水を打ったように静まりかえり、また、あっという間に蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「つ、ついにタマユラ様に告白するんだ」
「おいおい、まだ手も繋げちゃいないのに告白は早くないか?」
「馬鹿も休み休み言え、告白してから繋ぐもんだ、手は」
「あぁ、そうだそうだ! 告白もデキねぇ軟弱者に、タマユラ様の御手はもったいねぇ」
「告白前に男を見せようってんだな」
「そうに違いねぇ。メガロノヅチを倒せば当代一の益荒男ますらおだ!」
 途端に子分衆は黙り込んだ。
 揃ってこめかみからダラダラと脂汗を垂らし、赤くなったり青くなったりと大忙しである。
 が、ついにグイッと顔を上げた。
「いいや、メガロノヅチが何だ! お頭のためなら、鎚だろうが鉢だろうがぶっ倒してやろうじゃねぇか!」
 おぉっ! と銅鑼声が束になって響いた。


 屋敷からいくぶん離れた山裾に『酔生無双』の飛行場はあった。
 とは言っても前々から『酔生無双』の持ち物だったわけではない。空を泳ぐリリカルモナステリオに向かうには飛行艇が必要だが、一般の客と御前様を乗り合わせるわけにはいけないと、猩々童子が土地から買い求めたのである。
 突貫で均された離着陸場はまだ秋草の一本も生えていないが、そこから少し離れると薄野すすきのが見渡す限り広がっている。そこからさらに行けばすすきに痩せ杉が混じりだし、気づけばぞっぷりと黒い山深くに入っている。
 妖怪共は息を潜めて時を待っていた。
 ある者は薮の中で膝を突き、またある者は木の幹に総身を隠し、どんな修羅場でも咲笑えわらう者どもが、いまは口を閉ざして時を待っている。
 樹枝が揺れ、木の葉がざわめいた。
 風のせいだろうか。
 いいや、違う。大地から微かな震動が伝わってくる。あっという間に揺れが激しくなり、木々が次々と倒れていく。
 そうして途切れた梢から、はるか頭上に垣間見えたのは巨大な妖怪だった。
 メガロノヅチ、という。


Illust:koji


 ノヅチと言うと、一般に胴の太い蛇のような妖怪のことを指す。頭部には目鼻がなく、裂けた口だけがある。これがちょうど柄のない槌のような形に見えるため、野槌のづち。ツチノコという名で知る者も多いだろう。
 一般的なノヅチは1メートル足らずから3メートル程度で、野ウサギやシカを食べる程度の害のない妖怪だ。
 メガロノヅチは違う。
 山や街を這い回り、小さな家などは丸呑みにしてしまう。その中で眠っていた人々は何が起きたのか知ることすらなく、真っ暗な胃の底で溶けていく。
 そうして人の夢を喰らいに喰らい、肥えに肥え、巨大に膨れたのがこのメガロノヅチというわけだ。
「者ども、かかれぃっ!」
「応!」
 鬨の声をあげ、薮から妖怪共が飛び出した。
 キンランも大太刀を振り回し、メガロノヅチに打ちかかる。
 しかし、強い。奴めには手も足も無いのに身ごなしは敏捷で、手も足も出ないのはこちらのほうだ。
 一人、また一人とばったばったと倒れていく。
 それでも『酔生無双』の誇りをかけて、キンランはエイヤと腹板を突いた。切っ先が埋まりこれはと思ったが、腹を裂くよりも先に尻尾に打たれた。
 一筋の血潮を土産に、キンランは地面に倒れ伏す。
「もはやこれまでか……」
 やはりメガロノヅチには敵わないのだろうか。
 弱気になった目鼻の先、緋色の稲妻のように仁王立ちした鬼がいる。
 猩々童子であった。
「手前ェら、よくやった!」
 妖怪の大首領は目に闘志のほむらを燃えたぎらせて、大鳴動の名乗りを上げた。

「此処で会ったが百年目、この顔を忘れたとは言わせねぇ。
 餓鬼の折から甘露を浴びて、右は瓢箪、左に刀。
 うつけの誹りも馬念仏と、桜に匂う大覇道。
 命の定めを今と決め、天地開闢隠れのねぇ。
 知らザァ言って聞かせやしょう、天下無双の猩々童子たァ俺のこと!」

      *

 一度目は十七の冬、二度目は十九の秋だった。
 メガロノヅチに挑みかかった猩々童子は、再び一敗地に塗れた。生きて戻って来られたのは奇跡だった。
 まともに歩こうにも目は血潮で潰れている。往来を行く人々すらよく見えなかった。
——猩々童子だ、猩々童子が来る。
——見ろよ、あの傷。メガロノヅチにやられたんだ。
——いつもあれだけ大口叩いているくせして、あぁ、みっともない。
 視界は霞むのに、声だけはありありと聞こえるのが腹立たしい。耳を頼りに睨みつけると、侮蔑の口が繊月のように閃いてアハハと嘲笑が起こった。
——あぁ、飲んだくれの猩々童子だ。
——いつもは酒まみれなのに、あはは良いザマ、血塗れだ。
——髪は赤、べべも赤、肌まで赤と来ちゃあ赤児だろう。
——おうおう、酒より乳を飲まなきゃな。
——アハハ、アハハハハ!
 哄笑を振り払うように歩き続け、辿りついたのはどこぞの裏路地だった。目抜き通りの喧噪が嘘のように寂として、かすかにつぐみが鳴いている。 
 ここはどこだ。そうだ、この辺りに『天上天狐』の屋敷があった。恐らくその裏だろう。知らぬ者なしの任侠集団で、賭場で暴れたときは手酷くやりこめられた。
 ふん、と猩々童子は鼻を鳴らす。金がちょっとばかり足りなかったぐらいでケチな奴らだ。
 板塀に背を預け、そのまま崩れるように座り込んだ。
 酷く喉が渇いている。瓢箪を呷ったが、酒は一滴も出て来ない。
 畜生!
 力任せに叩きつけると、すえのように砕けた。
 酒がなくては指の一本も動かない。男は降りてくる重い瞼に抗わなかった。眠るというよりも失神と呼ぶのが正しいだろう。
 すると瞼に影がさし、猩々童子はどうにかおもてを持ち上げた。
 夕陽を遮る輪郭で女が立っているのだとわかった。
 誰かが追ってきたのだろう。酒屋の女か、隣近所の小煩い婆か、それとも賭場の壺振り師か。白粉臭い顔がいくつも浮かんでは消えた。
 金があるときはお大尽お大尽とチヤホヤするくせに、ちょっと傾けば冬の墓石よりも冷たい者どもめ。
 ギッと牙を剥いた。
「馬鹿にするなよ。俺はもう、絶対に負けねぇ。あの野郎にだって、次は絶対に勝ってやる」
 メガロノヅチにも、街の破落戸にも、金輪際負けないのだ。そしてもう誰にも馬鹿にさせやしない。
 しかし降ってきた声は、猩々童子の知る誰のものでも無かった。
「えぇ、きっとそうなりますとも」
 月光をふくんだ翡翠が触れあうような、儚く透きとおった音だった。
「そのためにも静養しなくては」
 影が近づいてきて、唇にざらりとした物が触れた。竹香がふわりと香り、竹水筒が当てられているのだと見当がついた。
 しかし猩々童子は頑として動かなかった。施しを跳ねのける悪たれの自尊心だけは残っていた。
 口を開かないのをどう取ったのか、女はそっと肩に触れた。
 硝子の羽衣を掬うようにたどたどしく、陽に透ける淡雪のように華奢な指だった。やわな衣擦れが男の肌を撫で、さら、と音を立てる。
 それを耳にしたとき、どうしてだか胸の底がこそばゆくなって、猩々童子は思わず口を開けていた。
 竹水筒が傾き、澄んだ清水が喉をすぅっと通っていく。腑から総身に満ち満ちて、刺すような痛みも、怒りの余燼も、すべてが清められていった。
 ぐぅ、と猩々童子は喉を鳴らす。
 今まで飲んだ酒で、これほど美味いものはあっただろうか。
 今まで生きてきて、これほど優しくされたことはあっただろうか。
 舌を打つ清水に塩辛いものが混じり、猩々童子は自分が泣いていることに気がついた。

      *

 一度目は十七の冬、二度目は十九の秋、そして三度目は二十三の秋——今である。二度あることは三度あるか。
 悪たれ童子はニヤリと笑う。
「いいや、これが三度目の正直だ」
 タマユラを乗せた飛行艇が着くのは山裾の飛行場だ。このままメガロノヅチが進み暴れ回れば被害が及ぶだろう。
 茫茫頭を後ろに毛振り、大太刀を抜き放つ。
「御前様のお帰りは、この命にかけても邪魔させねぇ」
 さて生まれてこのかた酔生を歩んできた猩々童子、いざやこの大一番は素面であったか——否。
 酒は命の水。一つきりのこの命、酒を湛えてこそ桜花爛漫と咲き誇る。
 大瓢箪を地に叩きつけた。光に青く染まった水飛沫が、ふわり薫香をまとって天翔ける。
 猩々童子は舌をひらりと覗かせて、酒気を舐めとり呵々と笑った。
「——いざ尋常に勝負!」 
 因縁の敵メガロノヅチも、吼えたて天地を揺らがせる。そのおぞましい叫喚は、貪食の犠牲者たちの嘆きの声だ。
 音波はひとつの巨怪を成して、猩々童子へと襲いかかる。十七の時はこれだけで鼓膜とおつむをやられて戦いにならなかった。
 今は違う。
 猩々童子は大地を足蹴に吹っ飛ばし、一直線にその身を放った。
 五色の羽織をはためかせ、大太刀を抜き払う。乱反射する光の軌道で、仇の蛇腹に紅が奔った。
 花道におどる桜吹雪のように、ぱぁっと血潮が舞いあがる。
 メガロノヅチは苦痛に尾を振り回したが、猩々童子の影さえ掴めない。ひらり、ひらりの身ごなしは、重さを地べたに忘れたようだ。
 宙をゆく猩々童子はついに、ノヅチの鼻を蹴りあげて、その身を天に躍らせた。
 夕日が男を煌々と照らす。
 髪をなびかせ血潮をまとい、男の命は百花繚乱に咲き誇る。
——嗚呼、と。
 子分共は感極まった声を漏らした。
 猩々童子、その性格たちはまさに悪童そのもので、息を吸うように喧嘩をし、余所様の柿を食い、野良猫の顔に悪戯書きをする。
 朝から酒肴をむさぼり、酔っては大音声だいおんじょうで下手な都々逸をやり、そのまま池に落ちている。
 当然誰かに剣を習ったわけもなく、田んぼで、林で、畦道でチャンバラをやって身につけた野良の剣だ。それにも関わらず——いいや、だからこそ。
 男の剣は、目が醒めるほど美しい。


Illust:BISAI


 夕と夜のあわいが薄瑠璃に染まる空に、小さな影が浮かんだ。飛行艇だ。土煙を巻き立てて、離着陸場へと降りてくる。
 妖怪変化の人だかりが見守るなかで、タラップにタマユラがその姿を現した。


design:kaworu Illust:刀彼方


 猩々童子は手を振って、野太い声を張り上げた。 
「おぅい、御前様!」
 タマユラはゆるりと身体を向けたが、男に気づくや、冷や水で打たれたように飛び上がった。タマユラ様、とリリミララミが止めるのも振りはらい、タラップを早足で降りてくる。
 猩々童子の頬に手を伸ばした。
「これはどうしたというのですかっ。すぐに治療をしなくては……!」
「どうか聞かねぇでくれ、御前様」
 メガロノヅチに勝利した猩々童子だったが、お世辞にも無傷とは言えなかった。
 極彩色の衣は土埃にまみれ輝き失っている。戦旗のように耀いていた緋色の髪はざんばらに切られ、頬で血が赤黒く乾いていた。
 散々ななりとは裏腹に、猩々童子は威風堂々、胸を張る。
「これは名誉の負傷、男の勲章ってやつだからな」
「そうなのですか……あなたはいつも危ないことばかり……いつもドキドキしてしまいます」
 タマユラは白い手をゆるくこぶしの形にして、猩々童子の胸をポンと叩く。
 猩々童子はくすぐったさに笑ってしまった。
 心労をかけるのはもってのほかだが、タマユラに心配されてポンとされるのが、猩々童子は心底好きだった。
 あぁ、念願を果たした今日のポンはそよぐ春風よりも心地いい。
「御前様、“ぶるーむ・ふぇす”は楽しめたか?」
「えぇ、それはもう、心から!」
「そりゃあ良かった! だからか、今日の御前様はずいぶんと顔色がいいようだ」
 以前のタマユラは、白いのを通り越しそのまま光に透けて消えてしまいそうだった。それが今、頬はばら色に染まり、手指の先はつややかな桜貝、吐息までもが雲母片をまとったようにキラキラと輝いていた。
「あなたのお陰ですよ、猩々童子。ありがとう」
「なっ、なんだ水くせぇ。御前様のためなら俺ぁなんだってするぜ」
 猩々童子は指で鼻をごりごりと擦っておどけていたが、やおら顔を真面目なものにした。
「前々から、御前様に伝えたいことがあったんだ。聞いてくれるか?」
 その声にいつもの荒っぽさは無かった。メガロノヅチに斬りかかった刹那を凌ぐほど、まさに真剣そのものといった様子。
「お頭っ……!」
 ワイワイガヤガヤしていた妖怪共は、たちまち水を打ったように静まり返った。キンランもごくりと唾を飲む。
 ついにタマユラ様に告白をするのだ。
 幾百の視線を舞台電飾スポットライトのように浴び、ついに猩々童子は口を開いた。
「湯治に興味はないか?」
 一同ずっこけた。
 タマユラは薄く微笑んで首をかしげた。
「湯治?」
「あぁ、御前様が元気になれるように、いい湯の出る温泉を見つけたってわけだ。そこならどんな病気も吹っ飛ぶ」
「お頭、ちょ、ちょっと待ってください!」
 制止タイムをかけたのはキンランだ。妖怪一同も煙が立つほどの勢いで首を縦に振っている。
「あぁん? なんだキンラン、人が話してる真っ最中に」
「お頭、ちょっとこっち来て貰えます?」
 キンランは猩々童子の肩をむんずと掴み、有無を言わさずタマユラから引き離した。
 声をひそめてこう尋ねる。
「一体全体こいつぁどういうことですか。お頭、タマユラ様に告白するんじゃなかったんですか?」
「こくはくぅ?!」
 顔をひょっとこにして猩々童子は頓狂な声を上げた。
 青天の霹靂とはこの事だ。
「言った通りだ、俺は御前様に温泉で旅の疲れを癒やして貰おうと思ってる」
 キンランはパシッと額を打った。
「あぁ、二人で行かれるんですね。温泉デェトとは、お頭も乙なことを考えなさる」
 猩々童子、キンランのどたまを小突いた。
「馬っ鹿野郎、そんないかがわしいことが出来るか。俺は御前様の送り迎えをするだけだ」
 えぇえぇえぇぇぇ~~~?
 妖怪のどよめきで地面が揺れる。
 キンランは頭からだくだく血が出ているのも構わず、猩々童子の両肩を揺さぶった。
「メガロノヅチを倒したのは何だったんですかっ!?」
「その温泉宿がメガロノヅチに困ってるってぇんで頼ってきたのよ。倒さないまま御前様をお連れできないだろ」
「なるほど……?」
 キンランの目には納得と驚き、そして怒りの色が万華鏡のようにチカチカと瞬いた。最後に滾ったのは、破れかぶれのてやんでぇだった。
「……こ、この意気地無し! まぬけ、すこたん!」
「な、なにぃっ!?」
 猩々童子は『酔生無双』の首領である。荒くれ共を纏めあげるため、時には苛烈な実力行使も辞さなかった。
 ゆえに子分から暴言を吐かれる事などそうそう無く、お冠より先にびっくりがきて二の句が継げない。
 泡を食っているまに他の子分共も加わって「腰抜け」「腑抜け」「へなちょこ」「田吾作」とやんややんやの大騒ぎ、まるで火鉢をひっくり返したようだ。
 流石の悪童猩々童子もこれをエイヤと薙ぎ払い、むんと胸を張るのは無理だった。
「手前ェらは何か勘違いをしてやがるな。俺はな、御前様とどうこうなりたいわけじゃねぇ。御前様が幸せそうに笑ってくれりゃただそれでいいんだ。わかるだろう?」
「手を繋ぎたくは無ェんですか」
 とキンラン。
「繋ぎたいけど……」
 と蚊の鳴くような声で猩々童子。
「じゃあ告白しねぇと」
「だから違ェと言ってんだ」
「このすっとこどっこい!」
 にっちもさっちも行かず睨み合い、次は拳が出るか足が出るか、『酔生無双』はじまって以来の危機である。
 万事休すと思いきや、人だかりの頭越しにタマユラの狐耳がひょこひょこ覗いた。
「お話しは済んだでしょうか……?」
「応よ」
 猩々童子とキンランは力強く首肯する。
 人だかりが一文字にサァと割れ、猩々童子はタマユラのもとに駆け戻った。
「御前様を待たせるたぁ、俺としたことが!」
「いいえ、良いのです。それで……先ほどの湯治の申し出なのですが」
「応、そうだった。今なら紅葉も綺麗だ、御前様さえ良ければ明日にでも手配するぜ」
「大変ありがたく思います。本当にありがたいのです、ですが……」
「で、ですが……?」
 猩々童子はポカンと口を開け、タマユラは丁寧に頭を下げた。
「湯治ではリリミとララミが楽しめないでしょう? ですから、お断りしたいのです」
「へっ?」
 思わず、阿呆の声が出た。
 タマユラの背後では、リリミとララミが高らかにハイタッチをしていた。
 猩々童子、必死の前のめりになった。
「人形のことなんぞいいじゃねぇか。御前様のことが優先だ」
「まぁ、何てことを言うのですか。リリミとララミはわたくしの一番大切なお友達ですよ」
 タマユラが猩々童子の胸をポンと叩く。猩々童子はウッと呻く。こりゃだめだー、と子分共は諸手を挙げて絶望する。
 タマユラは顔ほころばせ「それに」と言葉を継いだ。
「もうわたくしに湯治は要らないようなのです」
「んん? そりゃあどういうことだ?」
 目を見張った猩々童子の前に、ずずいと出てきたのは双子のサーカス人形だ。


Illust:kaworu


「タマユラ様はお健やかになられた」
「酒乱の鬼の勧める湯など、無用の長物だ」
「それは一体ェどういうことだ?」
 詰め寄られても言葉の意味が理解できない。
 リリミとララミの口からはリリカルモナステリオで起こった奇跡についてが語られた。
「……つまり、御前様はすっかり息災なんだな?」
「そう言っている」
「ただでさえ顔が悪いのに頭も悪い」
 双子の罵詈雑言も右から左に馬耳東風である。
 なにせ宿願が果たされたのだ。
 立っているのもやっとこの痛みは吹き飛んで、生気がごうごう燃えだした。
「どこにだって行けるんだ、湯治なんて止めだ止め! 御前様、行きたいところはあるか? そうだ、千尋の谷を行く船旅がある、花が流れる瀑布もいいな、帝都にのぼって今風を見るのも——」
「お誘い、心から感謝します。けれど、またの機会にさせてください」
 猩々童子は目をパチパチさせた。
「そりゃあ、どうして」
「初めの旅行はリリミとララミと行こうと約束したのです。しばらくは、二人と共に時を過ごせたらと思っています」
「な、なっ、なっ……?」
 猩々童子の顔は見知らぬ場所で迷子になった童のようだった。
 みっともなく追い縋る。
「別に人形共がいようが俺は気にしねぇ。御前様さえ良ければそれで俺は……」
 タマユラはすまなさそうに眉を下げた。
「どうかまたお誘いくださいね」
「タマユラ様、あちらに車が待っているようです」
 タマユラの応えを区切りと見たのだろう、ララミから声がかかった。
 ふふん。
 こちらを一瞥する視線は勝ち誇っている。
「えぇ、行きましょう」
 タマユラは猩々童子にひとつ会釈をして背を向けた。
 残されたのは阿呆面をくっつけてカカシのように立ち尽くしている猩々童子だ。あまりの惨事に、やいやい言っていた妖怪共すらかける言葉が見つからない。 
 びゅう、と秋風が寒々しく吹き抜けていく。
 するとそこにリリミとララミが駆け戻ってきた。
「おい、車に御者がいないぞ」
「酒乱の鬼共は、親が駄目なら子も駄目なのか」
 暴言の棘も、ポカンの猩々童子には刺さらなかった。
 指の間から砂がこぼれていくように言葉が漏れた。
「御前様に……」
「は?」
 ララミが片眉を歪める。
「御前様に冷たくされたのは初めてだ……」
 タマユラに怒られたことは大小併せて両手指を越えている。しかしどの怒りも底には優しさがあり、何より心から猩々童子のことを思ってのことだった。
 いつだってタマユラは猩々童子に優しかった。
 今までタマユラに贈った物の中には、思い返せば見当違いの物も多かった。
 金銀糸をふんだんに使った錦の反物はタマユラの趣味ではなかったし、ずいぶん値の張った健康祈願のお守りはインチキだった。100年物を謳った薬草は菜っ葉だったし、ダークステイツから呼んだサーカスは暗殺集団だった。
 それでもタマユラはいつだって「ありがとうございます、猩々童子」と言ってくれたのだ。勇んで用意した想いを袖にされたのは初めてのことだった。
 悲壮感溢れる猩々童子に、ふん、とリリミが嗤う。
 はん、とララミが嗤う。
「私たちはタマユラ様の親友・・だ」
「僕たちはタマユラ様の親友・・だから一等優しくしてもらえる」
「酒乱の鬼などはタマユラ様に不要だ」
「角を折って山に篭もっていろ」
「酒を飲んで川に身を投げろ」
 ものも言わず、猩々童子は夕空に目を眇める。
 ついに悲願は果たされた。陽の下すらまともに歩けなかったタマユラは、もう猩々童子や周りの妖怪の助けがなくとも何処にだって行けるのだ。
 一面に続く菜の花畑を駆けていくことができる、燦々と光る青い海に足を遊ばせることができる、錦染めの紅葉の上で舞うことができる、ふんわりと重なった白雪に身体を投げだすことができる。
 しかし微笑む彼女のそばにはリリミとララミが寄り添い、猩々童子は影も形もない。
 ふと、心臓が氷柱で刺し貫かれように痛んだ。  
 自分が信じられなかった。タマユラが笑う姿を想い、やるせない気持ちになったのは初めてのことだった。
 そのとき天啓のように閃いた。
「俺は……御前様に、俺だけに特別笑って欲しいんだな」
 思わずこぼしたその吐露を、リリミとララミが耳ざとく聞きつけた。
 クラブとフープをぼうぼう燃やし、猩々童子の首を狙って迫ってくる。
「卑しくも酒乱の鬼めが、タマユラ様に特別を望むなど」
「身の程を知って愧死するがいい」
「これ以上罵詈を吐いてみろ」
「これ以上雑言を撒いてみろ」
「お前が身の程知らずの慕情を抱くなら」
「この命尽きようと、闇に葬ってやる」
 猩々童子、大きく二つ折りに仰け反った。
「ぼ、ぼぼぼぼっ、慕情っ?! 馬鹿も休み休み言え、オタンコナスのすっとこどっこい、お天道様に誓ってなぁっ——」
 そこで喉奥に泥団子でも突っ込まれたような音が出て、今日で一番小さな声になった。
「…………好き」
「殺す」
「………………殺してくれ……」
 その顔は酔ったように赤い。しかし、とっくのとうに素面である。
 果たして血で血を洗う戦いの火蓋は切って落とされ、夕映えに白刃が煌めいた。
 



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作:鷹羽 知  
監修:中村 聡