ユニット
Unit
短編小説「ユニットストーリー」
152 宿命決戦第2話「無限の宿命者 レヴィドラス」
ストイケイア
種族 フォレストドラゴン
Illust:DaisukeIzuka
ブラグドマイヤーは霧の中にいた。
彼の周囲を覆う靄は朱。そしてそれは今、自ずと発せられる光によって明るい橙色に輝き、明滅している。
「まるで意思あるものの様だ」
ブラグドマイヤーは独り言ちた。
運命者チャンネルのリモート会議を終えてすぐ後、一行がズーガイア大陸の上空に達し、針路をグレートネイチャー総合大学へ向けた所までは覚えている。
だがふと気がつけば、辺りの風景は空ではなく森の中。ブラグドマイヤーはただ一人、深い霧の中に取り残されていたのだった。
「2人はどこへ行ったのか」
思い返せば零の虚の中心から出て以来、ほとんど一人になったことがない。
もちろん今となってはその2人、レザエルとその弟子のソエルが、ブラグドマイヤーが惑星クレイに徐々に馴染むため注意深く見守ってくれたのだと理解している。
しかしその一方で、またこうしていきなり独りの状況に放り出されても動揺は無い。
ブラグドマイヤーには親も無く故郷も無く、揺籃と呼べるものさえ「人知れず世界中の悲しみが雨となって降り注ぐダークステイツの沼」だ。生まれた時からごく最近まで、語りかける相手といえば自分自身しかいなかった。孤独は天性といっても良い。
だからその呟きは不安から出たものではなく、ただ疑問を表明したのだった。
『侵入者よ、汝が名を述べよ』
霧が語りかけた。
「仲間から引き離し、捕らえて尋問。自らは名乗らずに誰何するのがここの流儀なのか」
ブラグドマイヤーの応答は、彼を零君などと呼ぶヴェルストラが聞けば痛快と絶賛しただろう。
『これは手強い。教師が良いのだな』
霧の尋問者の口調には知性と皮肉と、そして余裕が感じられた。
一方のブラグドマイヤーも平静さでは負けていない。
「ここはどこだ。あの2人はどこにいる。オレをなぜ捕らえた」
ブラグドマイヤーは流れるように知りたいことを並べた。
『状況を認識し、周囲に気を払い、原因を追求する。いいぞ、それで良い。正しい把握の方法と順番だ』
「不愉快だ。頼んでもいないのに評価などするな。お前は誰だ。どこにいる。姿を現せ」
『使いを遣る。そこで待て』
「案内など要らない。お前がどこにいるかを教えろ」
『使いを遣る。そこで待て』
霧は同じ言葉を繰り返し、そして沈黙した。
ブラグドマイヤーはまた独りになった。
Illust:かわすみ
霧の声の言葉通り、使いはすぐに現れた。
朱の帳を羽ばたきが押しのけて、それは音も無く現れた。
キツネのような身体、硬い殻に覆われた尻尾や足は昆虫のようであり、蜻蛉か蝶のような羽根は鮮やかに煌めいている。
ブラグドマイヤーは獣の目に輝く知性の気配に、それが普通の森の獣ではなくハイビーストだと確信した。
『我が森の秘密を熟知する者、フルナレッジ・フォクシル』
霧の主の言葉を受けて、フォクシルは誇り高い頭をもたげると、ついて来いと促した。
やはり人語を解するらしい。
「……」
ブラグドマイヤーは黙ってその後にしたがった。
野山で霧にまかれた場合の心得はすでにレザエルに教えられている。厚い霧や吹雪であればまずは「動かず待つ」のが基本。とはいえ彼、零の運命者が遭難するほどの自然の脅威は惑星クレイ広しと言えどもそう多くはないだろう。それが正体不明の声が潜む得体の知れない朱色の霧でなければ、だが。
『この森をどう思う』
「霧ばかりだ」
『これをただの霧だと思うか。お前をレザエルとソエルの2人から引き離し、はぐれさせ、捕らえたこの霧を』
声の主は低く笑ったが、次のブラグドマイヤーの言葉でぴたりと止んだ。
「なるほど。お前はこれを自在に操れるのだな。そしてオレたちの名前もすでに知っている。自己紹介も説明も無しにだ。つまり『ただの霧ではない』とするならばこれは感知器であり、獲物を捕える網であり、声を届ける伝達手段でもあるのだろう」
一拍置くとブラグドマイヤーはさらに決定的なひと言を続けた。
「お前は宿命者だな」
今度こそ霧の声は黙り込んだ。
「当たりか」
霧は毒づいた。
『ワイズキューブ。ストイケイアの青二才が小癪な』
「守秘回線までは盗聴できないのか。そしてお前はかなりの年寄りだ」
『……』
また沈黙。
しばらくはブラグドマイヤーと先導の獣フォクシルが草を踏む足音だけが森に響いていた。
「遠いのか」
『到着だ』
ブラグドマイヤーの問いに声の応答は早かった。
フルナレッジ・フォクシルは羽ばたいてブラグドマイヤーの前から飛び去り、臣下の列とも呼ぶべき動物たちの群れに加わった。
霧は朱と橙。今は虹色の色彩を帯びている。
こここそが森の中枢、霧の主の根城だった。
Illust:山月総
「ようこそ我が宮殿へ」
霧の向こうから羽根を逆立てた竜が起き上がった。
宮殿と呼んではいるが、ここは言ってみれば森の広場だ。古い樹と根が密集し、まるでタイルのように地面を固く覆っている。そして朱色の霧の濃度は物質として肌触りを感じるほどに高かった。
「私はレヴィドラス。無限の宿命者だ」
「ここはどこだ。あの2人はどこにいる。オレをなぜ捕らえた」
ブラグドマイヤーは同じ質問を全く同じ調子で繰り返した。
「仕返しか。食えん小僧よ。だが答えよう。それこそお前が言う礼儀だろうからな」
これもブラグドマイヤーの発言に対するレヴィドラスの応酬だ。
切っ先を鬩ぎ合うような緊迫感が2人の間には漂っている。
「ここは朱霧森ヴェルミスム。名は教えられるがそれが『どこか』という問いの答えにはならない」
「ヴェルミスムはストイケイア国にある幻の森と聞いた。侵入者を拒む所在不明の森の中心に今、オレはいるのだな」
「ふむ。きちんと勉強しているではないか、救世の使いと弟子は地理も教えられるのか」
「レザエルとソエルは?」
「そう急かすな。若い者はもっと辛抱を学ぶべきだぞ。知識は最大の武器なのだから」
森の竜レヴィドラスは身じろぎをした。
「あの天使2人は必死でお前を探している。何しろ突然、霧にまかれたと思えば、ブラグドマイヤーの姿が突然消えたのだからな。さぞ慌てたであろうよ」
「危害を加えるつもりなら、ただではおかんぞ」
ブラグドマイヤーは大鎌を構えた。
「暴力は好かん。ああやって混乱と焦りの中にある事、お前の所在を知らせぬことがまぁ『危害』と言えるか」
「なぜ捕らえた、このオレを。お前が何を求めているにせよ、オレから奪えるものなど何も無いぞ」
「それだよ。零の運命者」
「何がそれだ」
ブラグドマイヤーは相手の人を食ったような調子にようやく苛立ちを覚えたようで、レヴィドラスは愉快そうに首を振った。
「知識は最大の武器。無知とは最悪の弱味だ。私はこの森にいながらにして惑星クレイ世界のすべてに通じている」
「それはこの霧によって、だな」
「つくづく勘が良いな。そう『ただの霧ではない』。これは無限鱗粉、世界に通じる万能の霞なのだ」
「『万能』は保留にしておくべき表現ではないか」
「無限鱗粉はどこにも存在する」
レヴィドラスはブラグドマイヤーの指摘を無視して続けた。
「空気中、水中、地の底まで。そして私は無限鱗粉を通じて全ての出来事を見、聞き、そして触れられるのだ」
「あいにくとオレはここに来るまで、そんな奇妙な粉が周りに待っているとは気がつかなかった」
「お前は大気を構成する霧の粒ひとつひとつを感知できるか。もしその分子が敵だったとしてその浸透を防げるか。ブラグドマイヤー、私の無限鱗粉はその気になればそのレベルまで薄く広がり、私はそこから自在に情報を得ることができるのだ。この意味がわかるか」
ああ、とブラグドマイヤーは頷いた。
「お前こそとんでもない侵入者だ」
「失礼な。究極の観察者と呼べ」
言葉ほどレヴィドラスは憤ってはいないようだ。
時に過激な表現を使うのも、相手を揺さぶる手段の一つ。
これは一見、対話の形をとってはいるが、運命者ブラグドマイヤー対宿命者レヴィドラスの熾烈な戦いなのだ。
「私はクレイがまだ若かった頃を知っている。無限鱗粉が一つの惑星を隈なく覆うのに100億もの年月がかかったのだ」
「訂正する。とんでもないジジイだな、お前は」
「私も訂正しよう。お前は口が悪すぎる。あの2人は一体何を教えていたのだ」
「いいや。お前はそれすら知っているはずだ、レヴィドラス」
ほう。とレヴィドラスは竜の目を細めた。
「きちんと論理についてきているな。そう、私は知っている。悪魔のお前が虚を出て、天使2人と旅をして以来のこと、全てを」
「全てを知っているのに、オレをここに招く理由は無いはずだ」
「つまり?」
「お前には知らないこともある。そしてこの惑星で起こることで何か一つでも知らないことがあることが、お前にとってはたまらない不満、ストレスなのだろう。違うか」
「この私に向かってよく言ったものよ、小僧」
レヴィドラスは森の中心で立ちあがると、その身体は何倍にも膨れ上がったようだった。臣下の動物たちが一斉に怯えて朱霧森ヴェルミスムの主の前から走り去った。
ここまで見せていた、捕食するネズミを前につま先でちょっかいをかけるネコのような意地悪さは影を潜めている。
森の竜レヴィドラスは押し殺せない怒りに燃えているのだ。
Illust:山宗
対するブラグドマイヤーは感情の動きを窺わせない声でぽつりと呟いた。いや訊いた。
「宿命者とは何か」
「ふっ、小賢しい。この敵地の真ん中に孤立無援の状況で、私の怒りに乗じて情報を吐かせるつもりか」
レヴィドラスの怒声は森を揺るがすほどだったが、ブラグドマイヤーはひるまなかった
「お前は事の始めからオレを観察対象として捕らえ、自由を奪った。つまりは敵だ。遠慮などするわけがない」
すると100億歳を超えるという竜はずしんと地響きを立てて、地面に胴体を着けた。
「物怖じしないのだな」
「よく言われる。だがそれも既に知っているのだろう。レザエルやソエルに教わっているオレを見張っていた無限鱗粉によって」
ふん、と鼻で笑うとレヴィドラスは腕組みをした。
「宿命者とは何か」
ブラグドマイヤーはまた問うた。ここまで来るとこの繰り返しはブラグドマイヤーなりの戦術という感もある。不調法や融通が利かない振りを装って実は相手の気力を削いでいるのだ。
「お前たちと同じだ。選ばれ、強い運命力を授けられた存在」
「6人いるな」
「ほう。なぜ5人と言わない」
「オレもあえてその誘いに乗ってやろう。6人目の存在をほのめかす予知があったからだ。もっともレザエルがショックを受けていたのは、無限鱗粉で見ていたのだから今さら秘密もなかろうが」
「レザエルは彼女と戦う運命にある」
「あぁ。そしてそれはオレのせいだ」
レヴィドラスは意外だったらしく、少し身を乗り出した。
「罪の意識か。だがそれは教えられて感じられるものではない。それにレザエルは『ブラグドマイヤーのせいではない』と明確に否定していただろう。それでも尚、なぜリィエル゠アモルタの消滅は自分のせいだと断じるのだ」
「教えられた情報から論理的に考えればそうなるからだ。リィエル=アモルタの発生も消滅も、どちらもオレに起因する。オレたちは切っても切り離せない運命にある」
レヴィドラスは嘆息をついた。だがそれが彼の何の感情を表したものかは定かではない。
「この森の霧、無限鱗粉をもって永遠に捕らえておくつもりだったが」
「そんな事もできるのか」
「事実、お前はフルナレッジ・フォクシルの案内なしにはどこにも辿り着くことはできなかった。我が宮殿にもこの森の出口にも」
「それで」
「とはいえ私は宿命者だ。我が知識の力はクレイ世界に冠たるものとの自負がある。運命者と出会ってただ議論しただけでは気も済まぬし、他にも示しが付かん。そこで……」
ブラグドマイヤーは静かに大鎌を持ち上げ、そして構えた。
「刃を交えるというのか。100億を超える年月の知識と叡智を溜め込んだお前が」
「戦うことでしか引き出せぬものをお前が持っているからだ」
「そうか。お前、レヴィドラスは無限鱗粉でも感知できなかったオレの出現に不安があり、オレという存在を知るチャンスと見てオレを2人から引き離し、この森に捕らえた」
「そうだ。不安ではなく不満だがな。100億年もたてば不安など感じなくなるものだ」
レヴィドラスもゆっくりと襲撃の体勢へと移った。
「さっさと構えろ。オレは本気だ」
ブラグドマイヤーはゆらりと大鎌を肩付けにした。
力みは無いが構えは必殺。肉は斬らせても最初の一撃で骨を断つ捨て身の体勢である。
「私に構えなど無用だ。お前はすでに負けている」
!
ブラグドマイヤーの目が見開かれた。
朱の霧が、レヴィドラスが発する無限鱗粉が零の運命者の周りを囲み、まとわり付き、繭のように包んでいた。いや、これは捕縛であり拘束、そしてそれを越えて悪魔の身体を締め上げる“攻撃”だった。
「……」
「どうした。先ほどまでの威勢の良さは」
締め付けは容赦というものがなかった。
「無限鱗粉は拡散すれば不可視となり、凝縮すれば鋼より硬く強靭なものとなる。そしてここ朱霧森は私の根城だ。ブラグドマイヤー、ひとつを除いてお前に勝ち目はない」
「……なるほど……」
ブラグドマイヤーの声はまだ平然としていた。それは彼なりの意地と闘志の表れだったのかもしれない。
「それが狙いだな」
「そうだ」
「よかろう」
無限鱗粉の繭が弾け飛んだ。
ブラグドマイヤーの背後がざわめき、森の獣たちがまた怯えだした。
それは森の広場に出現した竜巻だった。
今はまだ小さい。だがそれは気象現象などではなく、かつて世界すべてを呑み込むほどの勢いにまで拡大したこともある……
「零の虚。零の運命者が生み出した運命力の渦。そうだ、これが見たかった」
「オレを分析する時、お前にとって最大の謎がこれというわけか」
ブラグドマイヤーは身振り一つで霧の余りを払うと、再び構えに戻った。
「そうだ。そして見よ、我が臣民を」
ブラグドマイヤーは目線だけで、自分を遠巻きに囲む獣や森の住民を見渡した。
彼ら彼女らの目には怒りとそして憎悪があった。
Illust:村上ゆいち
Illust:ゆずしお
「お前とレザエル、運命者たちは零の虚が大陸を超えて被害をもたらした事を軽視している。彼らの家族、縁者、友人が姿を消し、そのお前の運命力の中に取り込まれ、引き離される苦痛を味わったのだ」
「……」
「ここにはお前の味方はいない。我が牢獄に永遠に繋がれようと、いま無限鱗粉によって命を絶たれようと」
「……」
「お前は2つの責任と罪の意識を負っている。リィエル゠アモルタとレザエル、そしてこの惑星クレイ世界に及ぼした被害にだ」
ブラグドマイヤーは俯いた。その身体がかすかに震えている。
「それでもその鎌で、その背に広がる零の虚で私を倒し、あくまで我が道を行こうと望むのか。それは償いの道ではなく自分勝手、我が身可愛さではないか」
「……認めよう。オレは平穏な暮らしを営む者にとっての悪だった」
ブラグドマイヤーは顔をあげた。そしてまっすぐに敵を、無限の宿命者レヴィドラスを見つめ返す。
「レザエルは、彼は教えてくれたのだ。生物が生きるために行うこと自体に善も悪も無い。ただそこには本能があるだけだと」
「零の虚が何もかも呑み込もうとしたのが本能か」
「飢えを満たしたいというオレの欲求だ。だが今は違う。身を守り生き残るための武器として制御できている」
「その渦の力は零。物事を停滞させ永遠に停止させる性質のものだ。自分を害する者ごとまた世界を滅ぼそうとする可能性を否定できるか」
「否定する。オレは零の力を持ち、仲間と、この惑星の住民と共生することを既に選んだからだ」
「運命力はその持ち主の指向に応じた力を与える、か。なるほど」
「少なくともこんな隠れ森の中で、世界の隅々にまで密かに霧の触手を伸ばすような生き方をするお前に、言われたくはない!」
「この私に再びよく言った、小僧!ではここで決着をつけよう!」
悪魔が叫び、竜が吼えた。
怒りと闘志が交差する。
ブラグドマイヤーは短い距離を駆け抜け、大鎌を振り下ろした。
「なんの!」
レヴィドラスは無限鱗粉を収束させ、盾状のバリアとして鎌の切っ先を弾いた。
「縛れ、我が霧よ!」
ブラグドマイヤーの身体を包む無限鱗粉が再び、急凝縮して捕縛せんと迫る。
「二度も食らうと思うか」
霧は零の虚に吸い込まれた。
すれ違った2人が睨み合う。
「だが確かにオレが不利だな。ここは霧が多すぎる」
「そして零の虚を制御できるというのも本当のようだな、ブラグドマイヤー」
レヴィドラスも羽根を威嚇するように展開させながら、どうやら本当に感心しているようだった。
「あれだけのエネルギーの奔流をそのサイズで付き従えているのか。しかもこの短期間で暴走させず、使い方に習熟するとは」
「毒をもつ動物が自分の毒で死なないのは、自分の毒から守る仕組みを体内に持っているからだ」
「ふっ、何を偉そうに。察するにそれは医者の入れ知恵だろう。レザエルから伝え聞いた事ならば語尾は『~だそうだ』とせねばならない。それはそうと、これでお前自身が零の虚に呑み込まれない謎が解けた。新たな情報に感謝するぞ、小僧。100億年の長きにわたり、全てに通じ無限の知識を持つ私にとって“未知を知る”のが何よりの喜びなのだ」
「既知もまた無知というわけだな、ご老体。その退屈も今日で終わらせて差し上げよう」
2人は再び構えた。
戦闘中にもかかわらず、その掛け合いは相変わらず複雑で2人にしか解らないことが多すぎ、高度すぎて端から聞けば可笑しさすら漂うものになっている。
だがいままた相対する、零の運命者ブラグドマイヤーと無限の宿命者レヴィドラス。2人の戦いはあくまで真剣勝負だ。
「零の虚!」
「無限鱗粉!」
互いに突き出した指の先、2人のちょうど中間で運命力の渦と霧が激突した。
スパーク!
だがその火花のようなエネルギーの乱反射は、運命者や宿命者以外には虹色の光の乱舞としてしか写らなかっただろう。
激突はほんの数秒にも満たない刹那の出来事だった。
虹色の光が見る間にその勢いを増したかと見えた瞬間、音の無い、しかし身体の奥底までを震わせる爆発的な衝撃が発生し、朱霧森ヴェルミスムの木々を激しく揺り動かした。
「お師匠様!」
ソエルが叫ぶよりも早く、レザエルは動いていた。
2人の上、何もなかったはずの空に突然雲が立ちこめると(いやそれは発生過程が微妙に異なるが「空に出来た霧」とでも呼ぶべきものだったかもしれない)、そこから突然ブラグドマイヤーの身体が落下してきたのである。
「ブラグドマイヤー!」
レザエルは零の運命者を抱き留めた。力が抜けたその身体を、追いついてきたソエルも手伝って支える。
「大丈夫。少し消耗しているだけだ。そしてそれはヤツも同じはず」
「レヴィドラスだな」
ブラグドマイヤーがどうして知っている?と尋ねる目線にソエルが答えた。
「2人のやり取りはずっと伝えられていたんです。霧のスクリーンが僕らの前に現れて」
「ご丁寧にネット中継していたという訳か。あのジジイらしい」
「聴いていたがそれは悪い言葉だ。ブラグドマイヤー」
レザエルは教師らしく律儀に生徒の言葉遣いを指導した。
「それよりもレザエル。幾つもわかったことがある」
「そうだろうな。だが知っての通り、彼の耳はこの惑星のどこにも存在している。それにすでにあの森への道は閉じられ、当分介入や襲撃の可能性は低いだろう。まずは休息だ。大学に宿を借り、対策を練ることにしよう」
ああ、と答えたブラグドマイヤーは2人の手を外して、空中に独り立ちした。
それは当たり前のことだった。
ブラグドマイヤーはもう生まれたての赤子ではない。
自らの生まれを知り、自らの行いを知り、友と師と仲間を得てこの世界に乗り出す、一人の運命者なのだから。
3人は再び一行となり、グレートネイチャー総合大学へと続く空をかけ始めた。
「ブラグドマイヤー」
「わかっている。明らかに劣勢な状況での対決は避けるべきだった。だが、オレは挑まずにはいられなかったんだ」
「うん。それもだが、言いたいことはそれではない」
「なんだ」
「よく戻ってきてくれた。頑張ったな、ブラグドマイヤー」
「……」
会話はそれきり。
ブラグドマイヤーの補助のために編隊の殿についたソエルには、先を行く2人の表情は窺えなかったが、そんな事をしなくても奇跡の運命者と零の運命者の間に漂う気持ちの交流に、充分満たされた心地だった。
了
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《今回の一口用語メモ》
朱霧森ヴェルミスムと無限鱗粉
ストイケイア国の北方、ズーガイア大陸はその面積のほとんどが森林となっている。※地図参照※
これは超巨大穀物商社組織ネオネクタールの耕地として豊かな水や植物の供給源になっているわけだが、一方で「森」というものは古代より神秘の領域として畏れられてもいる。
まさにその森によって外界から隔絶され、謎とされてきた最も有名な存在がストイケイアの「ワイズキューブ」だ。大賢者ストイケイアの最高傑作にして未来の世代へと贈られた偉大なる遺産、意志を持つ予知装置である。ワイズキューブが安置されている祭壇は、その所在を知る者も接触できる権限を持つ者もごくわずかだ。それはワイズキューブがもたらす予知が(例えばケテルサンクチュアリケテルエンジンと占術によって下されるオラクルシンクタンクの「予言」とはまた別に)、科学がもたらす未来予測でありその影響力と暗示する真実が、あまりに大きい影響力を持つことから来る措置だ。
そして森そのものによって隠され守られた領域として有名なのが、樹角獣王マグノリアが治める「レティア大渓谷」である。悪意・害意をもった侵入者を拒絶するマグノリア王の力により、レティア大渓谷は近年に至るまで地理学、動物学、植物学上の謎だった。ある動物学者(かく言うこの私のことだが)がここの住民となって以来、外部とのつながりも緩やかながら認められるようになった現在はそうした研究対象としても注目されている。
最後に、ズーガイア大陸でもっとも謎めいた地として「朱霧森ヴェルミスム」を紹介しておこう。
ヴェルミスムはズーガイア大森林のどこかにあると言われる伝説の森だ。
この森はその名の通り朱色の霧が濃くたちこめているとされ、その所在はまったく誰にも知られていない。
実在すら疑う者も多いヴェルミスム森にはある伝説がある。
それはこのヴェルミスムの中心にはこの地の主として「全てを知り、無限の知識を蓄える隠者」がいるというもの。そしてフォレストドラゴンと噂されるヴェルミスムの隠者の目(正しくは五感全て)から逃れられるものはなく、世界の隅々までどんな些細なことでも見過ごされる事はないというものだ。
所在不明の森の奥にあってそのような「世界を見透す五感」を持つ、というのは生物学上からいっても疑わしいが、一説ににはこの濃く立ちこめる霧こそがレヴィドラスを名乗る隠者の感覚器官なのだという。
なお関連することとして、この霧は「無限鱗粉」と呼ばれていること。
そして、この無限鱗粉がごく薄い濃度ながら北極や南極を含む惑星クレイ中で観測され、グレートネイチャー総合大学が最近、その濃度と分布の広がりについて本格的な調査を始めたという科学ニュースとしてご存じの方も多いと思う。
ごく低濃度の無限鱗粉は透明で(色彩が変化することから虹色と表現される事もあるが)、その侵入を防ぐ手立てはない。
今のところ“世界を隈なく覆い、どこにでも入り込んでくる”という以外、害は無いとされている無限鱗粉だが現在、運命者と対立する存在として噂される宿命者と合わせて、警戒しておくに越したことはないのかもしれない。
動物学者/大渓谷の探究家C・K・ザカット 拝
超巨大穀物商社組織ネオネクタールについては
→ユニットストーリー049「ジプソフィラの妖精 アシェル」本編と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
ワイズキューブについては
→ユニットストーリー130「万化の運命者 クリスレイン」本編と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
ケテルエンジンとオラクルシンクタンクの予言については
→ユニットストーリー148「紡縁の魔法 ペララム」本編と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
レティア大渓谷と動物学者C・K・ザカット、ズーガイア大森林については
→ユニットストーリー017「樹角獣 ダマイナル」および
ユニットストーリー053「大渓谷の探究家 C・K・ザカット」本編と《今回の一口用語メモ》を参照のこと。
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本文:金子良馬
世界観監修:中村聡
世界観監修:中村聡