授業なんて放りだしてまどろみたくなるぐらい、すてきな天気だった。
天蓋(ドーム)にはうららかな陽光が降りそそぎ、教室の窓を開ければ白いカーテンが風になびいていく。
ここはリリカルモナステリオ——飛ぶクジラの背に乗り、アイドルたちが世界中に歌と希望と愛を届ける学園都市。
いつもは学園中で笑顔が弾けているけれど、今日は少しだけ違っているようだ。
少女たちが纏う澄みきった海底のようなブルーグリーンの制服は、皆一様にアイロンが効いてピシッとしている。おろしたてのローファーはピカピカで、廊下を駆けると木琴のように軽やかな音がした。少女たちの頬には緊張と期待が入り交じっている。
そう、今日は新学期!
上級生には何てことない季節の変わり目だが、新入生にとっては新たな人生へのはじまりの日だった。
半円型の教室に、長机がいくつも並べられている。
そこに腰掛ける五十人あまりの少女たちの間には、ピンと張り詰めた空気が漂っていた。
「——ハーゼリットです」
立ち上がり、ハキハキと挨拶をしたのは、白ウサギの獣人(ワービースト)少女だった。薄桃がかった銀の髪が、朝日に照らされて無垢に輝いている。
「えっと、趣味はダンスとか身体を動かすことで、お買い物も大好きです! これからよろしくお願いします!」
ハーゼリットがペコッと会釈すると、クラスメイトたちからパチパチと拍手があがった。緊張していたハーゼリットも、ようやくほっとした様子でふふっと微笑み、後ろに倒れていた耳がピンと立ち上がる。
席についている春入学の新入生たちは、種族も違えば身体の大きさも様々だった。
ジャイアントのリルファの背丈は一般生徒の三倍はあるだろう。彼女のために特別に用意された椅子と机に座っている。自己紹介のために立ち上がると、髪をゆわえたリボンが天井をちょっとかすめた。
彼女の後ろにすっぽりと隠れてしまうほど小柄なエルフのメディエールはパンダのぬいぐるみを抱きしめ、そのままぎこちなく頭を下げた。すると、乾燥した薬草のような不思議な香りがふっと漂った。
順番に回ってくる自己紹介に緊張しているのは全員同じだったが、その中で一等を決めるとすれば……間違いなくノクノだろう。
(ノクノです、趣味は洋服を作ることとレコードを聞くこと……趣味は洋服を作ることとレコードを聞くこと……大丈夫、大丈夫……!)
ノクノは祈るように組んだ手を見つめながら、何度もうんうんと頷いた。
長く伸ばしていた前髪は、入学する直前にばっさりと切った。前の私とは変わるんだ! そう言い聞かせて。
さっと開けた視界に入る同級生たちの姿は荒削りだけど個性的で、その魅力に目が離せなくなる。彼女たちと一緒に学べることが本当に嬉しかった。
だからこそ、失敗は許されない。
(大丈夫、大丈夫、沢山練習したんだから……!)
昨晩は寮の同室になったミチュを付き合わせ、遅くまで自己紹介の練習をした。最初は石のようだった笑顔も、ぎこちないながらもマシになった、はず……!
とそのとき、開いた窓から宝石を散りばめたようなチョウが入ってきて、ぶつぶつ呟いているノクノの頭の上をひらひらと過ぎていった。
ノクノが顔をあげ、チョウが舞っていった方を見れば、ちょうどひと席前のミチュが椅子を引いて立ち上がったところだった。
ボロボロだったミチュの衣服は特別製の制服に変わり(リリカルモナステリオの生徒は様々な身体つきをしているため、一人一人に合わせた特注品なのだ)腰から伸びるガトリング砲もピカピカに磨き上げられている。
ミチュは春爛漫の笑顔でくるりと一回転した。
もちろん椅子は吹き飛んだ。
「アタシ、ミチュ! えっと、出身はブラントゲートで——」
飛んできた椅子をスルッと避けて、チョウは春に引き寄せられるようにミチュへと飛んでいく。それだけなら入学初日にふさわしい、のどやかな光景だったが——
「……」
ノクノはふと胸騒ぎを覚えた。
その予感は的中する。チョウがミチュの鼻先にとまって、ミチュは顔をむずむずさせ始めたのだった。
「ハッ、ハッ、ハッ……ッ」
「待って、ミチュ!」
ノクノは手を伸ばす。
間に合わなかった。
「……ハァックション!」
ドッカーン!
ミチュはくしゃみをぶっ放し、同時にガトリング砲から飛び出した砲弾が天井に着弾、真っ白な光があたりに満ちる。
そしてパン、パパパァンッ、と強烈な音がして花火が咲いたのだった。
ひとつふたつみっつ、天井を焦がしながらいくつも極彩色の花が開く。
「綺麗……」
クラスメイトの誰かが心を打たれた様子で呟き、ほかの少女たちも見とれている。
それだけで済んだならよかったが——
火がついたままの火薬片が宙を舞い落ちて、ジャイアントの少女リルファのリボンを焦がし始めたのだ。バイオロイドの少女の花飾りからも煙があがる。
たちまち感嘆の声は悲鳴混じりの大騒動になった。
「キャアッ!」
「消して消して!」
「大丈夫、わたしお水出せるよ!」
「ワッ、冷たい!」
花火が消え、騒動が収まったころには教室は水浸しになってしまった。
ミチュはふわふわの髪をしゅんと小さくして肩を落としている。
「うぅっ、ごめん……」
「大丈夫大丈夫、誰だって失敗しちゃうよ。それに花火、綺麗だったし!」
そう言ったのはリボンの先を少し焦がしたリルファ。身体は大きいが、それ以上に心がとっても広いに違いない。
「くしゅんっ!」
響いたのはハーゼリットのくしゃみの音だった。ふわふわだった丸い尻尾が水をかぶったせいで小さくなってしまっているし、耳もぺたんと垂れている。
そんな彼女にモフモフの手を差し出したのは、パンダのぬいぐるみだった。メディエールがぬいぐるみの手を操りつつコテンと首を傾げている。
「お薬、いりますか?」
「うぅん、大丈夫! ありがとう!」
そう言いながらハーゼリットはブルルッと身体を震わせたが、もちろんそれだけで乾くはずもない。
するとそのとき——
「“キラキラ光る、星明かり♪”」
魔力の乗った呪文が聞こえ、ハーゼリットの身体が光の粒子に包まれた。虹色のプリズムを帯びた蒸気が晴れると、ハーゼリットの尻尾は元のふわふわに戻っている。
「えぇ~っ?!」と驚きの声を上げながらハーゼリットはピコピコと尻尾を動かした。
その様子を眺めつつ、ウンウン、と頷いたのは教壇に立つ女である。
「よぉし、みんな怪我はないな?」
大きな夜空色の帽子に夜空色のローブという姿の彼女は『星明かりの指揮者ステリィ』、このクラスの担任だった。
「Twinkle, twinkle……」
鼻歌交じりにタクトを振ると天の川のような光が流れ、焦げた天井も焦げたリボンもたちまち新品のようにピカピカになった。
そしてタクトをもう一振り。ミチュの鼻先で、チョウの形をした星明かりがキラリと瞬いた。
ステリィは腰に手を当てながらニッと笑う。
「ミチュ、次の花火は夜に外でやろう! 私も夜想曲をやりたいところだったんだ」
「!」
しょげていたミチュはパァッと顔を輝かせた。
「センセイ、任せて! もうすっごい花火、やっちゃうから!」
元気いっぱいにガッツポーズをすると、わぁ、と少女たちから歓声があがった。
一件落着!
ミチュはキラキラの笑顔で振り返り、後ろでホッと胸を撫で下ろしているノクノへと手を伸ばした。
「ハイ、次の自己紹介、ノクノだよ!」
「えっ、えぇっ?!」
思わずひっくり返った声が出てしまう。自己紹介のことなんてすっかり頭から飛んでいた。
いきなり言われても頭は真っ白なのに——
「は、はいっ!」
身体は勢いづいて立ち上がる。
もう、考えるよりも先に口の方が動いてしまっていた。
「あの、あの、私の趣味はレコードを作ることと洋服を聞くことです!よ、よろしくお願いしま、ひゅ!」
ノクノは言い切った勢いのまま席に座った。
パチパチという拍手があり、次のクラスメイトに自己紹介が移っていく。
「はぁ、はぁっ……」
ノクノは息を整えて、そこでようやく、自分の名前を言い忘れたことに気づいた。
自己紹介と入学ガイダンスが終わり、時間はあっという間にお昼になった。
「うぅ、ダメダメだ、私……」
ノクノが突っ伏したのはリリカルモナステリオの学生食堂であるカフェテリアだった。
カフェテリア、とは言ってもその規模はケタ違いで、端から端まで中距離走ができそうなほど広い。ランチを取る生徒たちが行き交いとても賑やかだ。
ノクノが選んだのは、スライスエッグの乗ったサラダと、チーズとハムのサンドイッチがセットになったもの 。取れたての野菜が目にも鮮やかで美味しそうだが、あいにくノクノの食欲はちっとも無い。
突っ伏すノクノの向かいで、ミチュは頬杖をついている。彼女は食事を必要としないため、特にランチプレートはなかった。(戦闘時ならバッテリーを頻繁にチャージする必要があるが、日常を過ごすだけなら数日に一度程度バッテリーを入れ替えるだけでいいのだという)
「大丈夫大丈夫、気にしすぎだって!」
「うん……」
ノクノよりもずっと派手にやらかしたミチュは、そんなこと無かったかのように朗らかだった。
飛行艇を降りて入学試験を受けたノクノとミチュは、どんな奇跡が起こった のかリリカルモナステリオへの入学を許可された。
それが現実だと信じられないまま入学準備を終えクジラに乗り込み、あっという間に今日になる。
そう、奇跡。ちょっと失敗したぐらいで凹んでちゃいられない!
「えいっ!」
ノクノはキリッと顔を上げ、勢いをつけて目の前のサンドイッチを掴む。
それぞれランチを取って教室に戻ったら、午後は学園内の案内をしてもらえるらしい。お腹ぺこぺこではいられない。
「うんうん、その調子!」
ミチュのガトリング砲から、白い硝煙がポポポと噴いた。
「よしよし、みんなちゃんとついて来るんだぞ」
タクトの先に旗をつけたステリィに導かれ、生徒たちは廊下に出た。
リリカルモナステリオの生徒たちは体格に大小あるため、赤絨毯の敷かれた廊下は幅が広い。見上げればゴージャスでカラフルな天井画あり、シャンデリアが華やかに輝いている。黄金のアーチ窓の前の花瓶には、見事な枝振りの花が開いていた。
「みんな知っている通り、このリリカルモナステリオはアイドルを養成するための巨大学園国家だ。どの国にも属さず、世界各国をこのクジラで旅している」
窓から見える空は突き抜けるような青。透明な天蓋(ドーム)の向こうで、白い雲が流れていく。
「国家も、種族も、年齢も問わない。ただひとつさえ持っていれば。そう—— “平和を願う心”!」
ステリィについて廊下を抜け、外に出る。
長い長い石階段を降りると、そこには丁寧に手入れされた芝と噴水のある広場があった。天気がいいからか、そこここで写真撮影をしている生徒たちが見受けられた。
ステリィがニッと笑う。
「あぁして自分をプロデュースするための写真を撮ることも、ここでは立派な“学び”のひとつなんだ。撮る技術も撮られる技術も、今後授業で教えていく。中にはアイドルじゃなく写真家として花開くやつもいるぞ」
へぇー、と生徒たちは口々に感嘆の声をあげた。
広場を抜けてどんどん歩くと、遠かった塔が近くまで見えてきた。
「あれが“賢者の塔” ——建国のきっかけとなった、ストイケイア師の名を冠している。最上階には、我が都市のメインステージがある。トップクラスのアイドルにのみ許される特別なステージだ!」
「ほわぁ……」
ミチュが目にハートマークを浮かべ、うっとりと声を上げた。
うん、とステリィはしかつめらしく頷いて、
「普通ならライブチケットがなければ入れない場所だが、今日は特別に……」
「ワクワク!」
「このまま横を通り過ぎる!」
「ガーン!」
露骨にガックリと肩を落としたミチュに、ステリィはアハハと笑った。
「楽しみは将来に取っておくもんだ! さて、大賢者通りを抜けようか」
天へと伸びる賢者の塔を見上げれば、てっぺんに向かって細くなっていくその頂点に、ドーム状の建物があるのが見えた。あそこがメインステージなのだろう。塔の先が太陽と重なってまぶしく光っている。
ノクノが強く拳を握っていると、トン、とミチュが肩に肩を寄せてきた。
「ね、ね、絶対にあそこでライブしよう!」
「うん」
小さな声で、それでもはっきりとノクノは答えた。
容赦なく賢者の塔の横を通り抜け、左に曲がるとそこは大賢者通りだ。クジラの尾の方へと向かう通りになる。左手に学生寮のある一区画、右手には市街地が見えた。
大通りの中心には丸いフォルムの青い路面車が走り、その脇の道を自動車がのんびりと走っていく。道に面したお洒落なカフェから長いバゲットを抱いた女性が出てきて、ノクノたち新入生に目を留めて微笑んだ。
ステリィは「お世話になってます!」と明瞭な声で挨拶した。そして生徒たちを振り返る。
「リリカルモナステリオは多数のアイドル志望を擁する巨大都市だが、私たちを支えてくださる人々もまた数多く住んでいる。感謝を忘れないように!」
はい、と生徒たちは声を重ねた。
旗付きの無人機がふよふよ飛んでいるのをくぐり、通りをぐんぐん進んでいくと、やがて街の果てに辿り着く。石煉瓦で舗装された道のすぐ向こうに透明な天蓋(ドーム)があって、冷たい天空の大気から街を守っている。
つま先立ちで背伸びをすれば、空を飛ぶピンクのクジラの下に、緑の山々が果てしなく広がっているのが見える。気を抜くと足が竦んでしまうほどの高さ——けれど、絶景への畏敬がそれを上回った。
「広ぉい……」
癒やしのエルフ、メディエールが小さな声で呟く。
「広いだろう!」
ステリィはニッと笑った。
「でも、この世界はもっともーっと広いんだ! それに対して、私たちは小さい——いや、このクジラすら、嵐の中に投げ込まれた一個の音符みたいにちっぽけだ。だけど!」
ステリィが軽やかにタクトを振りあげる。
「みんなの歌は、ダンスは、笑顔は、どこまでも届いてこの広い世界を幸せにする。そのためにこの学園と私たち教師はいる」
タクトが音を紡ぎ、繋がり、美しい星座のような旋律を描き出す。
まだまだかすかな星明かりたちが、やがて眩い一等星になりますように——そんな祈りと祝福に満ちた前奏曲だった。
「改めて——入学おめでとう、みんな。そう、ここがリリカルモナステリオだ!」