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クレイ群雄譚(クロスエピック)

第2章 ブルーム・フェスにようこそっ!

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第2章 10話 マーメイド四姉妹

 息が切れる。刺すような恐怖がノクノの身を支配している。
 嫌だ、嫌だ、死にたくない……!
 必死で会場に繋がるドアを開けると、まばゆい光と大きくうねる歓声がノクノを包みこんだ。。
 白い光に身体を投げるようにアリーナに飛び込む。肩を荒く上下させ、糸が切れたように膝をついた。
 その鬼気迫る様子が異様に見えたのだろう。
——あの子、外に出ちゃったのかな?
——どうしたんだろう?
 こちらを窺う少女たちの視線を感じながら、ノクノはスミレを胸の中に収めつつ身体を掻き抱いた。
(私、生きてる。戻ってこれたんだ、逃げきれたんだ……)
 自らの腕を掴む指は震え、感覚がない。けれど骨がきしむほど力を込めないと恐怖でおかしくなってしまいそうだ。
 ノクノがサーカス人形から逃げ切れたのは、スミレのお陰だった。
 あの暗い部屋の中で——
 怯えるノクノの感情に応えたのだろうか、スミレはノクノを守るように温かな光のバリアを生み出したのだ。
 そうしてサーカス人形が怯んだ一瞬の隙に、ノクノは逃げ切ることが出来たのだった。
 力を使い果たしてしまったのか、スミレは今、ノクノの腕の中でぐったりとしている。その痛ましさに胸が刺すように痛んだ。
(この子が助けてくれなければきっと……)
 ノクノの命はサーカス人形に奪われていただろう。いま息をしているのが奇跡のように感じられた。
 そのとき、冷え切った唇を震わせているノクノに、のんびりとした声がかかった。
「ノクノ、どこ行ってたのー? あっ、ノクノのお花も咲いてる!」
 振り返れば、背後に満開のスターチスを連れながら、ミチュがのんびりとした足取りでこちらへ近づいてくるところだった。
「……!」
 その笑顔に、温かな湯が満ちるような安堵が広がって、涙がこぼれそうになる。
 ミチュ、ミチュ!
 口を開いたノクノだったが、掠れたバードコールのようなキュキュキュという音が出ただけで、意味のある言葉にはならなかった 。
 どうして……?
 とっさに喉を押さえると、ミチュが首を傾げた。
「あれ、ね、ノクノ、いつもの髪飾りがないよ?」
「っ!」
 慌てて頭に手を伸ばせば、いつも肌身離さず身につけている髪飾りがない!
 マーメイドは陸にあがるときにトゥインクルパウダーという魔法の粉をふりかけることで、尾びれを人の足に変化させている。しかし身体の構造が変化してしまうため、地上で話すことができなくなってしまうのだ。
 そこで地上で活動するマーメイドたちはプリズムパールという不思議な真珠を身に着けることで地上でも水中と変わらず話せるようにしていた。
 ノクノの髪飾りの中にはプリズムパールが入っており、髪を洗うとき以外肌身離さず身に着けていたのに、それが無いということは……
 ミチュは眉をハの字に下げた。
「ノクノ、もしかしてなくしちゃったの?」
「(えっと……)」
 ノクノは考え込み、記憶の糸をたぐった。
 やがて思い出したのは、サーカス人形から逃げているときに強く頭をぶつけてしまったことだった。
 あのときは無我夢中で気にしてはいられなかったが、きっとそこで髪飾りを落としてしまったに違いない。
「トイレかな? それとも会場の中のどこか? ね、ノクノ、覚えてる?」
 ノクノは力なく首を横に振った。
 もちろん場所は覚えている。けれどもう、サーカス人形が待ち構えているかもしれないあそこに戻ることはできない。
 ミチュを危険に晒したくはなかった。
「そっかぁ……どうしよう……」
 ミチュはしょんぼりとうなだれている。
 どうしよう、どうすればいいんだろう。
 声が出ないままフェスへの参加を続けられるとは思えなかった。けれどこの会場から出れば、またあのサーカス人形に捕まってしまうかもしれない。
「大丈夫、ノクノの分までわたしが頑張るから!」
 ミチュは元気にガッツポーズをした。
「…………」
 フェスに出ている場合だろうか、とも思う。
 人殺しのサーカス人形たちが会場に侵入していると、ステリィやデスファンブルに伝える必要があるのではないだろうか。
 ううん、とノクノは小さく首をふった。
 こんな荒唐無稽なこと、大人たちに信じてもらえるはずがない。
 なにせサーカス人形たちによる人殺しの現場を見たのは何年も前のことで、ノクノの記憶以外に確たる証拠は残っていない。さきほどのことにしても、ノクノは怯えて逃げだしたけれど、はっきりと傷つけられたわけではなかった。
 思い返せば、サーカス人形はノクノにお菓子やオモチャをくれようとしただけだ。
 ノクノがいくら言い立てたとしても、フェスを止める根拠にはならないだろう。
 サーカス人形たちへの恐怖、そしてミチュと一緒にステージに立ちたいという思いが頭の中でごちゃまぜになって結論が出ない。
 そこに無慈悲なほど溌剌と、ステリィの声が響き渡る。
『才能の花をつけはじめた“新芽スプラウト”たちに皆さん盛大な拍手を! 
 第二ラウンドを形づくるのは——“お砂糖、スパイス、素敵なものみーんな!Sugar and spice and all that’s nice!”』
 ステリィが呪文と共にタクトを振るうと、ノクノの腕の中、スミレが淡い光を放ちはじめた。
「(なにが……?)」
「えっえっえぇっ?!」
 それはミチュに寄りそうスターチスも同じで、夜に海辺で光るウミホタルのように青く神秘的な光を帯びていく。
 やがて花も葉も星のまたたきのような粒子になって、パウダースノーのようにふわりと舞い散った。
 役目を終え、消えてしまうのだろうか。
 光となって腕の中から消えてしまったスミレを、ノクノが寂しさを感じながら見つめていると、光の粒子はなぜかノクノの左足首に集まって輪の形を作った。
 それはミチュの方も同じで、右足首に光の足輪ができると、ふたつは強い力で引き合い、磁石のように付いたのだった。
「くっついた——!」
 慌ててミチュが足を離そうとしても、足輪は鉄の足枷のように硬くなり、外れそうもない。
 それは他の新芽スプラウトたちも同じようで、やや離れて前方に立つラディリナとロロワもまた、「ちょっと!」「なに、なになにっ?!」と戸惑った声をあげている。
 光の粒子は足輪を作るだけではなかった。
 あたりに舞い散ったものは消えることなく舞い上がり、空中で層積雲のように光の層を成していく。
 それはトロフィーのある遥か高みで重なって、やがて光のライブステージを形づくった。
 広さは従来行われてきたブルーム・フェスの物よりも一回りほど小さいだろうか。けれど傾き始めた太陽から注がれる柔らかな陽光と 、惜しげ無く散らされた星くずの光がステージ上で絹織物のように織りあげられ、どんなスポットライトよりも輝いている。
 神話のような美しさに、ノクノは思わず息をすることすら忘れた。
 ここは夢へと繋がる場所なのだ。説明の言葉など一葉もなくとも魂が思い知る。圧倒的な佇まいに少女たちも観客も同じく天を見上げている。
『——遥かなるステージへようこそ』
 ステリィの声からはひょうきんさが消えていた。
『第二ラウンドは実に簡単、ここからあのステージへ辿り着け!』
 ノクノはハッとして今がフェスであることを思い出した。うっとりしている場合じゃない。
 ペチンと頬を叩いて、自分のいるところから光のステージまでを見渡した。
 ステージまでは高さ15メートルといったところか。そこに向かい、まるで天の川のように幾筋もの光の層が伸びている。
 ここを辿って上がってこい、ということだろう。
 けれど光はまっすぐにステージに伸びているわけではないようだ。蛇行し、ところどころ途切れ、それは天空に描かれた迷路を思わせる。
 ただ闇雲にのぼって辿り着ける場所でないことは明らかだった。
 もちろん、だからこそ第二ラウンドとして設定されているのだろう。
『二人っきりのデュオなんだ。進んでいく上で大切なのは自分を知ること、そして何より相手を知ること! 息をぴったり合わせて進んでくれ」
——さぁ、スタート!
 開始の声がかかっても、光の輪によって足首を繋げられた少女たちはなかなか登っていかず、やや怯んだ様子で顔を寄せ合い始めた。
 なにせこれはこれまでのフェスの歴史にはない、まったく新しい試練なのだ。一番に向かっていって失格になってしまったらどうしよう? ステージはすぐそこにあるのに酷く恐ろしく、遠くに感じられてしまうのも無理はないことだった。
 みんなが周りの様子を窺うなかで、勇敢にも一番に向かっていったのは——
『ファーストペンギンは“Scarlet Stepスカーレット ステップ”の二人だ——!』
 決意の面持ちでロロワとラディリナは二人三脚の要領で足並みを揃え、トン! と光の雲を踏んだ。
 シャララ、と銀片が触れあうような音がして、二人の足元でパッと光の粉が散る。けれど見た目とは裏腹に、雲は霧散することなく二人の身体を支えていた。
 ロロワとラディリナは視線を交わして頷いた。
——行ける!
 二人の前に広がる光の雲はまるで飛び石のように転々としており、渡っていくためにはただ足並みを合わせるだけではいけないようだ。
 バランスを取るために手を振って、助走のために地面を蹴って。
 右にホップ、左にステップ、まっすぐ前にジャンプ! 
 そのリズミカルな足取りに合わせ、光の雲はまるで楽団のように多彩な音色を奏でた。
 シャラン、トトン、シャラ……
 二人の歩みが鮮やかなダンスなら、光の音色はそれにぴったりのダンスミュージックのようだ。
 もちろん流星雨のような音色が生まれるのは、ひとえに二人の身のこなしが卓越しているからであり、ただのアイドルではないことを知らしめる。
 わぁ……! と少女たちや観衆は見惚れ、またたく間にロロワたちがステージへと駆け上がってしまうだろうと予感した。
 勢いに乗りながら、ロロワたちでさえそう思った。
 その勢いのまま、繋がっていない右足をロロワは大きく右へ、ラディリナは大きく左へとと向けた。
 進行方向の選択が食い違い、繋がった足からバランスが崩れていく。
「……っ!」
「わ、わっわっ!」
 二人はまるで宙で平泳ぎをするように腕をバタバタさせたが、ついにバランスを取り切れなくなってそのまま落下したのだった。
「うわあぁあぁあぁ」
 ロロワは悲鳴をあげ、やがて着地。ふんわりとした光のクッションに包まれながら地面で尻餅をついた。
「左のほうが近かったでしょう!」
 身を起こすなり言ったのはラディリナ。
「右のほうが安定してそうだった!」
 負けじと言い返したのはロロワ。
 やや剣呑に見つめ合っていたが、それ以上口論することはなく、すぐに二人は来た道を見据えた。
「——行こう、ラディ」
「——えぇ」
 二人はお互いを鼓舞し、
『ネバギブ! 素晴らしい精神だね!』
 とケイオスは茶々を入れた。
 失敗は成功のもと。二人のお陰で要領が掴めた新芽スプラウトたちは覚悟を決め、それぞれ手近な雲片にジャンプした。
 シャラン、シャララ……
 それぞれの流星雨は、美しいメロディになるものもあれば、不格好な叫びが混ざりすぐに途切れてしまうものまで様々だ。
 ダンスをするようにステップを踏めばいいだけ。そうはわかっても、片足が不自由ではいつもとぜんぜん違う!
 みんながそれぞれ奮闘しているアリーナで「なーんだ」と声をあげる少女がひとり。
 ミチュだった。
「これなら簡単だね! だって上までのぼるのなんてラクショーだもん!」
 と、ミチュは嬉しそうにガッツポーズをして足元のエンジンをゴウッと吹かした。
「(あ、そうか……!)」
 ノクノもなるほどと頷いた。
 ミチュの飛行能力があれば、光の迷路を辿らなくてもステージまではひとっ飛びだ。あの高さならものの数十秒で着くだろう。
 課題に救われた。これならばノクノが話せなくてもステージの上にまで辿り着けそうだ。その先のことは一番にゴールしてから考えればいい。
「ノクノ~」
 ミチュは手招きをして、ノクノをぎゅっと抱きしめた。ノクノもミチュの肩に腕を回してしがみつく。
「じゃ、ちゃんと捕まっててね!」
「(うん!)」
 ゴウッ!
 一際大きなエンジン音がして、二人の身体がふわりと浮き上がった。そのまま上方へ推力が働き、1メートル、2メートル、5メートル、またたく間に地面が遠ざかっていく。
 順調にステージが近づいてきて、もう着くかというそのとき、不意に周りを取り巻いていた光の雲が形を変え始めた。
 小さかった雲片たちが集まってひとかたまりになっていく。たちまちそれは直径3メートルほどはある大きな椀のようになった。
「(えっと……)」
 なんだか、とても見たことがある形だった。
 見覚え……いや、身に覚えはノクノよりもミチュのほうがずっとあるはずの、それ。
 ポカンとしたミチュが呟く。
「……シルフォニック先生の金タライ?」
 空中に浮かぶ光の大タライが、ミチュとノクノに向かって思いっきり振りあげられた。
 嫌な予感がする。
 間に合わない!
『——ちなみにズルをしたらお仕置きだぞ☆』
 ステリィの忠告は一息遅かった。
 スイングされたタライの面がミチュとノクノを捕らえ、勢いよく振り抜かれた。
『ホ————————ムラン!』
「先生ぃいいぃ~~~~!」
「(キャアァアァァッ!)」
 ドームの空にキレイな弧を描き、二人は高々と吹き飛ばされたのだった。
 飛んで飛んで、軽々とアリーナを超え、客席の頭上を通過し、ついに客席際の天井にぶち当たる。
 べしょ、と二人が墜落したのは客席最後方の通路だった。
 ミチュとノクノは頭を押さえて呻く。
「あたたたた……」
「(い、痛い……)」
 後方のひと気の少ない場所に落ちたのも、取り巻いた光がクッションになってくれたのも、すべてステリィの狙い通りのことに違いない。
 ならばタライに打たれていないはずの脳天が金タライひとつぶん痛いのも、きっとステリィによる『お仕置き』だ。
「(うぅ……そうだよね……)」
 思わず簡単な方に飛びついてしまった自分が恥ずかしい。脳天よりも心の方がチクチクと痛かった。
 ノクノが胸を押さえながら身を起こすと、後方座席に座る観客たちが振り返り、気遣わしげに自分たちを見ていた
「ブイッ」
 飛び起きたミチュがVサインをすると、ほっとしたように拍手が巻き起こる。
 頑張ってー!
 ロボットの子、さっきのダンス良かったよー!
「(え、えっと……恥ずかしい……)」
 明るい声援が飛び交ってノクノがしどろもどろになっていると、その中にひとつだけ様子の違う声があった。
「ノクノ……!」
 まぎれてしまいそうな声を拾って、ハッとノクノはそちらへ視線を向けた。
(この懐かしい声……もしかして……!)
 予想は当たった。
 後方座席で振り返っている観客たちのなかに、ノクノの昔なじみであるマーメイド姉妹の姿があったのだ。
 座席から立ち上がり、こちらへと歩み寄ってくる。
「久しぶり……ノクノ」
 ホワイトオパールのような美しい遊色の髪を、金色のリボンでローポニーテールに結った長女のテルクだった。
 人間であれば20歳前後といったところだろうか。とろりとやや眠そうなまなざしが印象的で、声もまたとろりと甘い。
 その隣に座っていた次女アオイはホワイトオパールの髪をツインテールに結っており、その隣の三女アルケーは三本の太いコーンロウにしたホワイトオパールの髪をなびかせ、四女メレテーは四本の三つ編みをリボンでふたつに結っている。
 彼女たちに共通しているのは、髪をとめている金色のリボンだった。そのうちでひときわ大きなリボンの中央には、虹色のプリズムパールが輝いている。
 髪型こそフェミニンだが、彼女たちはそれぞれ白い軍帽に軍服という装いだった。ストイケイア海軍のアクアフォースの制服だ。
「えっと、ノクノの……お姉さん?」
 ミチュがノクノと四姉妹を交互に見て不思議そうにしたのは、四人とノクノが似ていなかったからだろう。
 テルクは「違うかな」とわずかに微笑んだ。
「私たちとノクノは昔のご近所さんなの。私たち四人が姉妹」
 厳密に言えば、一般的な『姉妹』とマーメイドの『姉妹』はやや異なっている。
 マーメイドは卵からではなく大きな貝から生まれ、同じ貝から生まれた相手のことを『貝殻姉妹シェルシス』と呼ぶ。
 人間(ヒューマン)のような血の繋がりはないものの、貝殻姉妹シェルシスは特別な繋がりであり、まるで姉妹のように親しくなることが多かった。
 特別仲のいい貝殻姉妹シェルシスであるテルクたちは四人とも、近所に住んでいたノクノに良くしてくれた。
 例えば……そう、優しく子守歌を歌ってくれたり。
 楽しかった日々も、なんだか遠い昔のことのようだった。なにせノクノが故郷の街を出てからすでに四年近くが経っている。
 手紙のやりとりはしていたが、こうして実際に顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。
「(なんで皆がここに……?)」
 声に出さずともノクノの言わんとしていることはテルクに伝わったようだ。ふわりと微笑む。
「どうにか休みが取れたの」
「代わりにここ一ヶ月は非番なしだったけどな」
 と、後部座席に肘を突きながら三女のアルケー。
 スポーティーな容貌から受ける印象のままの鉄火肌だった。
「……アルケー」
 テルクはアルケーを小さな声でたしなめる。 
 アクアフォースはストイケイアという国を守るための軍隊だ。そこに属する彼女たちは多忙で、なかなか休みが取れないだろうことは容易に想像がついた。
 その貴重な休みをノクノのために使ってくれただなんて!
 折々に送る手紙の中で、ブルーム・フェスのクラス代表に選ばれたことは報告していたけれど、こうして見に来てくれるとは予想もしていなかった。
「ノークノー!」
 四女メレテーの幼気な声が響き渡る。
 人間(ヒューマン)で言うと12歳ほどだろうか。彼女はノクノよりも頭ひとつ小柄だが、ゴムボールが跳ねるようなスピードで駆けてきて、その全身でノクノに抱きついた。
「もう、会いたかったよー!」
 メレテーは無邪気にノクノの頬へと頬ずりした。
「(私も会いたかった……!)」
 最後に会ったときはまだまだ小さかったのに、こんなに大きくなったなんて!
 思いを伝えようとノクノは口をパクパクと動かしたが、やはり言葉にならないキュキュキュという音が漏れるだけだった。
「……声」
 ボソリと次女のアオイが指摘する。彼女は他の姉妹たちに比べてやや顔色が悪く、目の下には淡い隈があった。
 三女のアルケーはアオイと年齢もほぼ変わらず仲がいいので、しょっちゅう『陰気臭い』と言い放っていたことをノクノは覚えている。
「おいおいノクノ、プリズムパールはどこやっちまったんだ?」
 アルケーはメレテーの頭を鷲掴みにして剥がしつつ、ノクノを上から下までマジマジと見た。
「そうだった!」
 ミチュがパチンッと手を打つ。
「ね、ね、ノクノのご近所さんたち、ノクノのプリズムパールがなくなっちゃったの。だから……もし良かったら貸してくれたら嬉しいなって……」
「そんなのお安いご用だぜ」
 そう言ってアルケーはアオイを親指でグイッと指し示した。
「アオのを借りればいい」
「……え」
 突然水を向けられたアオイがボソリと戸惑いの声をあげる。
「……アル」
 抗議に対しアルケーは「だってよ」と言いつつメレテーの髪を掻き回した。
「アオ、どうせそんな喋らねーんだし、別にプリズムパールなんかあってもなくても変わらないだろ」
「……そんなことは」
 反論に対し、アルケーは頼もしく親指を立てた。
「ま、喋れなくてもアタシがアオの分までおしゃべりしてやるからさ。任せとけ!」
「……それなら」
 アオイがぎこちなく頷いた。
 話がまとまって、アオイのリボンをアルケーが毟り「ほら!」と投げて寄越す。
 ノクノは慌ててキャッチした。
 髪飾りのあったところにリボンをつけると、息が通るような心地がして、異音が声に変わっていく
「みんな!」
 話したいことは沢山あった。それこそ、三日三晩語っても語り尽くせないほどに。
 けれど今はフェス中だ。無数に溢れそうになる言葉を飲み込んで、ノクノは再び視線をアリーナへと向けた。
 新芽スプラウトたちは登雲に苦戦しており、まだステージに辿り着いた者はいないようだ。
 まだ間に合う。戻らなければ、あそこに。
 ノクノの決意のまなざしに、テルクが柔らかく手を振る。
「……うん、またあとで」
 アオイは無言で頷き、アルケーは顎でステージを指し、メレテーは手にしたぬいぐるみを大きく振った。
「行ってらっしゃーい!」
「……?」
 ノクノはふと、アリーナに向かう足を止めた。
 それはコウモリのような羽のついたウサギのぬいぐるみだった。ビビッドな蛍光ピンクの顔にはハート型の繊細な紋章が刺繍されている。
何の変哲もない、可愛らしいぬいぐるみ——それなのに胸騒ぎがするのはどうしてだろう?
「それ、なに……?」
「これ? “ハートルールーのハッピー・トイズ”のぬいぐるみだよ! 知ってるでしょ?」
 知らない、と一同は首を横に振った。
 古いものを好むノクノはもちろん、マイペースなミチュも流行に疎い。それは彼女の姉たちも同じようだ。
 メレテーは「もー仕方ないんだから。あたしが教えてあげる!」というように胸を張った。
「キャンディからメーリーゴーラウンド、空中ブランコもできちゃうワーカロイドだって作る、オモチャのおっきな会社なの! ほら、これがハートルールーのマーク」
 メレテーはぬいぐるみのハートマークを指し示す。
「へぇへぇー!」
 ミチュは目をパチパチとさせた。
 メレテーは思い出したように頬に手を当てニヒヒと笑う。 
「もうすごいんだよ! “ぶっ飛びクッキー”は封を開けたらぶっ飛んで、捕まえないと食べらんない!  そーそ、片付けないまま寝ちゃうと夜中に襲ってくるクルミ割り人形もロングセラーなの!」
 メレテーの楽しそうな声に反して、ノクノは得体の知れない不安に襲われていた。
 このマーク、どこかで見たことがあるような……
 つかのま考えこんで、脳裏によぎったのは室内灯の落ちたコントロール・ルームで夢見心地に歌う声、そして爛々と輝くアメジットの双眸だった。
「これ、どこで買ったの?」
「買ったんじゃないよ、もらったの!」
 腑の底を刺されるような恐怖が沸き起こる。
 ノクノは震える唇を開く。
「誰に……?」
 メレテーは無邪気に答えた。
「紫のドレスを着た綺麗なお人形さん! フェスに来る前にね、広場で色んな子にオモチャを配ってたの!」
「……え」
 ノクノの顔から感情が抜け落ちる。
「ちょっと借りるね!」
 奪うようにぬいぐるみを取る。
 愛嬌のある顔立ちで、モヘアの縫製も丁寧だ。まじまじと見ても何の変哲もないオモチャだとしか思えない。
 横からミチュも顔をくっつけてきた。
「わ、見せて見せて! カワイイ~! これ、どうかしたの?」
「うん……」
 本当にただオモチャを配っていただけのワーカロイドだったのだろうか? 
 ノクノはぬいぐるみを裏返し、ふと、首元の縫い目がやや荒いことに気がついた。ほかはミシンで縫われているのに、そこだけ手縫いされているようでモヘアの毛並みに癖がある。
 ほつれかけた玉止めを引っ張ると、簡単に糸が抜け、首元がぱっくりと開いた。指で中を探れば、綿の奥に硬いものがあることがわかる。
 ノクノの手に転がり出てきたのは蛍光グリーンのプラスチックパイプだった。そこに小さな液晶が括りつけられており、58:05という表示が一秒、また一秒と減っていく。
「これって……!」
——時限爆弾
 言いかけたノクノをミチュは視線で肯定し、まるで何ごとも無いかのようにニコッと笑った。
「ね、それちょーだい、ノクノ」
「う、うん、うん」
 縦に振る首をガクガクと震わせながら、ノクノはパイプをミチュに手渡そうとした。けれど動揺によって勢いがつきすぎてしまい、パイプがミチュの指にぶつかった。
 カーン!
 落ちたプラスチックが床で跳ね、ノクノは悲鳴もあげられずに硬直する。
 響き渡った音に、何なに? とメレテーたちがこちらに首を伸ばす。
「大丈夫大丈夫!」
 笑いながらミチュがプラスチックパイプを拾い上げると、57:45、57:44……と表示が続いていた。
「ほら——」
 ミチュが言ったのと同時だった。
 液晶が警戒色にパカパカと明滅し、雪崩落ちるように数字が減っていく。
 表示されたのは00:03の文字。
「——!」
 幕が降りるようにミチュの顔から笑みが掻き消えた。
 瞬時にノクノから一歩離れ、パイプを腹に抱きこみながら蹲る。
 突然の挙動にノクノや四姉妹が驚くよりも先に、灼熱の炎がミチュを赤く染めあげた。