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小説

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クレイ群雄譚(クロスエピック)

第2章 ブルーム・フェスにようこそっ!

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第2章 11話 爆弾を見つけなきゃ

 ズガァンッ!
 視界が揺れるほど強烈な爆発音が響き、衝撃でノクノは尻餅をついた。
 痛みを堪えながら目を開ければ、ミチュの身体の隙間から火薬臭い白煙がもうもうと溢れていた。
 ミチュは動かない。
 さぁっと血の気が引いた。
「ミチュ!」
 近づいて彼女の肩に手をかける。
 しかし揺り動かすよりも先に、ミチュはパッと立ち上がった。
「もー、またやっちゃったーっ!」
 自らの頭をコツンと叩き、テヘヘと舌を出す。
 そのユーモラスな仕草は、彼女の状況と酷くギャップがあった。
 バリアを張ったらしくミチュの衣装は腹部のみ円状に綺麗だが、そこから離れたスカートの裾や首回りが焼け焦げていた。
 特に首回りの焼損が酷く肩甲骨まで露出し、そこから何らかの識別番号らしい『BD-302』が覗いている。
 そんな異様な風体でありながら、ミチュは天真爛漫に笑って、ノクノを助け起こすために手を差し出した。
「ごめんっ、でーっかいくしゃみ出ちゃった!」
「くしゃみ……」
 ノクノがどう答えていいものかわからずにいると、豪快な笑い声が聞こえてきた。
「あっはっはっはっは! こりゃあ元気なくしゃみだ!」
 アルケーが宙を仰ぎながら手を叩いていた。
 メレテーはキャハハッと鈴を転がすように笑い、テルクとアオイも笑いを噛み殺している。
「メンボクない……」
 ミチュはポリポリと頭を掻いた。
 そしてノクノが胸に抱いていたウサギのぬいぐるみを取って、メレテーに返しながらコテンと首を傾げる。
「ね、メレテー、オモチャをもらったのはメレテーだけ?」
「んーん、他の子たちも貰ってたよ。双子のお人形さんたちがすっごいショーを見せてくれて、そこにいた子たち皆に!」
「そっかぁ、ありがとっ。ね、行こ、ノクノ!」
「う、うん」
 ミチュに促されるまま足並みを揃え、ノクノはマーメイド四姉妹から離れて後方通路の脇に出た。
「……ねぇ、くしゃみなんかじゃ、なかったんでしょう?」
 施設内通路に繋がるドアの前でミチュは立ち止まり「……爆弾だった」と囁いた。
バトロイドわたしが防御フィールド使ってなかったら、周囲5メートル吹っ飛んでたよ。こういうの、万事バタンキューって言うんだよね?」
「爆弾……」
 ミチュが防御フィールドを発動したことで腹部だけ無事だったのだろう。
「あれ、お腹すいちゃうからあんまり使いたくないんだよねぇ」
 とミチュはぶつぶつ言っている。
「ど、どうして爆弾なんて……」
「わからない。だってここは戦場じゃないもん。ぬいぐるみをメレテーにくれた子は中に爆弾が入ってるって知らなかったのかな」
「……ううん。多分、その子たちが爆弾を仕掛けてる」
「えっ?」
 強い確信を帯びたノクノの言葉に、ミチュはやや驚いた様子だった。
 ミチュを巻き込んでしまった。もう黙っていることはできない。
 知っていることをすべて話そう。
 ノクノが口を開いた、そのときだ。

 ブッ、ブッ————!

 何事か、けたたましいビープ音が会場に響き渡った。
 そして、
——ぁぁぁぁ、ぁぁぁあぁ……
 会場の歓声に混じり、彼方からひっくり返った声が小さく聞こえてきた。それはやがて、はっきり聞き取れるほどの絶叫になってノクノたちの方へと近づいてくる。
「うわあぁあぁあぁぁあぁあぁぁ——!」
 アリーナ上空から、赤と緑の人影がひと塊になって、後方通路に突っ込んできた。
 光のクッションでもその勢いは殺しきれず、赤と緑はゴロゴロと大玉のように転がり、扉にぶつかってようやく止まった。
「ぐぇっ」
 と潰れた少女の声。 
 ロロワとラディリナ、そしてモモッケだった。
 すぐさまラディリナは身を起こし、烈火のごとく言い立てる。
「勝手に動かないでって何度言ったらわかるの。ちゃんとこっちに合わせなさいよ!」
 ロロワの方も落下の衝撃など無かったかのように起き上がって、やや及び腰ながらも言い返す。
「ラディが好き勝手に動きすぎなんだよ! 野生動物じゃないんだから!」
「なんですってぇ?」
 両者譲らず火花を散らす。モモッケはハラハラと見ている。
 第二ステージで求められる『息ぴったり』からはほど遠い有様だった。
「二人もズルして吹っ飛ばされちゃったの?」
 それでようやくロロワとラディリナはノクノたちがそこにいることに気づいたようで、口喧嘩を一旦中止した。
「いえ、違うわ」
「じゃあなんで?」
 ロロワとラディリナはちょっと考え込み、ブーとビープ音が鳴った時のことを思い返している。
「ラディが僕に“バカ”って言ったから……?」
「ロロワが私に“アホ”って言ったから……?」
「あちゃー」
 ミチュはパシッとおでこを打った。
 第二ステージの課題は『二人で協力しあうこと』。悪口を飛ばすのは一発アウト、ということだろう。
 私たちも気をつけなきゃ、とノクノが自分に強く言いきかせていると、ラディリナの視線はミチュの方へ向いていた。
「どうしたのミチュ、焦げてるわ」
 ミチュはワハッと笑う。
「あのね、おーっきなくしゃみが出ちゃったの!」
 ラディリナの赤銅色の瞳が刃物のように鋭くなる。
「……くしゃみ? 違うでしょう。鼻孔からの射出でそんな燃え方はしない」
「え、えーっと……うん」
 ミチュは観念したように肯定し、ノクノへと視線を投げる。ノクノもまた頷いた。
 ラディリナとロロワにもすべてを伝えよう。
 泥棒猫たちの一件から、二人がただのアイドル志望でないことは明らかだった。なにより、二人によこしまな心がないことは、短い時間でもわかっていたからだ。
 ノクノは重い口を開き、かつてサーカス人形による殺人現場を目撃したことを伝えた。
 そして先ほどそのサーカス人形と出くわし、彼女がハートルールーのオモチャを渡そうとしてきたこと、実際にオモチャは爆発し、ミチュが動かなければ周りに被害が出ていたこと……
 三人は真剣な顔で聞いていた。決して茶化すことも、ノクノを疑うこともなかった。
 ラディリナは怯えなど微塵も感じていない様子で口元に手を当てて、
「その犯人、観客席にいるかしら」
「紫のドレスのワーカロイド、だよね。これだけ人数がいるとすぐに見つけるのは厳しそうだ」
 と、ロロワは観客席に視線を走らせながら小さく首を横に振った。
 ノクノはすぐさま行動に移る彼女たちの姿を眺めつつ、強く握っていた拳をそっと解いた。
 三人に話したことで事態が好転したわけではない。けれど胸を押し潰していた重石のような不安が軽くなっていくようだった。
 もう一人ではない。
「爆弾、たぶんまだまだあるよ。さっきと同じ時限設定なら、あと50分ぐらい。爆発する前に見つけないと大変なことになっちゃう!」
 勢いこむミチュに対し、ラディリナは難しい表情のままだ。
「この広い会場で爆弾を見つけるなんて、一体どうすれば……」
「……!」
 ミチュとノクノは顔を見合わせた。考えていることは同じだった。

『——ステリィ先生!』

      *

 一等足の速いミチュがエンジンを吹かして向かったのは、オータム・ドームの真正面上方にある解説者のための部屋だった。
 出入り口の前には眼鏡をかけた白い服の男が直立不動で立っていた。無表情のまま微動だにせず、まるで石でできた彫像のようだ。気配も無機物のように希薄で、ミチュは男に構わずドアノブに手をかけようとした。
「——ここは通せない」
 大きなエイリアンの腕に制止され、ミチュは男が解説者室への出入りを管理する警備員なのだと気づいた。
 時は一刻を争う。ミチュは勢い込んで言った。
「ね、ステリィせんせに伝えたいことがあるの! だから中に入れて、お願い!」
「不許可だ。中に人をいれないようにとケイオス様から命令を受けている」
 取りつく島もない男の対応にもミチュはめげなかった。
「ケイオス様……? あ、あの迷子のデーモンのおじさん! じゃああなたがミカニ?」
「そうだ」
「靴下が好きな人!」
「………………」
 ミカニは無表情のまま口を閉ざした。
 ミチュはミカニを吹っ飛ばしそうな勢いで詰め寄った。
「あのね、ドームの中にたっくさん爆弾が仕掛けられてるの。ステリィせんせに伝えなきゃ。ね、ね、開けて!」
「不許可だ」
「だって爆弾——」
「それで?」
 言い放つミカニの声は、ブラントゲートの永久凍土よりも冷ややかだ。その手がホルダーに提げた銃にかかる。
「私はただ、ケイオス様に命じられたことを遂行するのみ。それ以上の耳も、目も、手足も持たない。以上だ」
 ムキーッ!
 ミチュの耳から煙が噴き出す。
「この石頭! ばか、あほ! おたんこなす! おたんちん! うんこ踏んじゃえ!」
「…………」
 持ちうる限りの悪口で罵っても、ミカニの心は1ミリたりとも動かない様子だった。
「うぅ……」
 ついに諦めたミチュはミカニに背を向け、元来た方へ歩き出したが……さっと振り向き歯を剥いて、思いっきり憎たらしい顔をした。
「イ————ッだ!」
 もう白い服の男はミチュを見ようとさえしなかった。

     *

「うぅ、ダメだったよ~~!」
 エンジンを吹かし、大急ぎで戻ってきたミチュはしょんぼりと肩を落とした。
 ノクノは絶望で言葉を無くしてしまった。
「そんな……」
「ステリィの協力が得られないなら、私たちでどうにかする必要があるわね」
 ラディリナは考え込み、
「せめて爆弾の数と場所さえわかればいいのだけれど」
「そっか!」
 ミチュがパチンと手を打った。
「爆弾、わたし見える・・・よ!」
 自らの春桜色にピカピカと光る瞳を指し示す。
「だって前は地雷除去なんて朝飯前だったから!」
「いいわね。場所の指示さえくれれば、除去は私たちも協力するわ」
「ピュイ!」
 と、モモッケがラディリナの肩で元気に小さな炎を吐いた。
「ただ……」
 ミチュは言葉を濁し、
「会場はこーんなに広いから、時間かかっちゃうかも……それに、後ろからだと席番も見えないし……」
 観客席にはそれぞれ座席番号があり、手すりに刻まれた文字で各座席を区別することができる。
 正面からならばミチュとロロワの視力であれば相当遠くからでも席番を判別できるが、後ろや真横からでは厳しいものがあった。
「なるほどね。ミチュ、どれだけ近づけば爆弾を識別できるの?」
「カタログ値は104メートル!」
 ラディリナは「勝った」と言わんばかりに力強く頷いた。
「いけるわね」
「えっ、どうやって?」
「だってあそこに会場を一望できる場所があるじゃない」
 ラディリナが指し示したのは、アリーナ中央に聳え立つ光のステージだった。

 作戦はこうなった。
 ミチュとノクノは上空に聳える光のステージを目指し、天の川を登っていく。同時にミチュは会場内に目を凝らし、爆弾を探す。発見次第その位置を伝え、解除班はすみやかに爆弾を解除する。
 解除はラディリナとロロワ、そしてモモッケの二班で、ラディリナたちは右回り、モモッケは左回りでことにあたることになった。
 時限爆弾は見つかることを想定していないらしく簡略な作りをしていた。液体火薬をパイプ内で固め、そこに時限式の液晶が繋がっている。その線さえ断てば機能を解除することができるというわけだ。
 もちろん強い震動を与えるとアラートが出現し時間が進んでしまうため油断は禁物だが、種族の特性で手先が器用ではないモモッケでも解除できる構造だった。
 

「あった!」
 会場に目を凝らしていたミチュは、爆弾を見つけ光彩をぎゅうと絞った。 
「えぇと……東4ブロックの32列13番!」
『——了解』
 かすかにノイズがかったラディリナの声が返ってくる。
 音声を伝えているのは、ミチュとノクノの肩に乗るおにぎり大の植物プラントだった。

Illust:山崎太郎


 それはロロワによってドーム内の観葉植物から生み出されたもので、一般的に自生している植物とは異なる性質を持つ。
 そのひとつに植物プラント同士で無線機のように音声を共有する能力があり、ミチュとラディリナたちはお互いの状況を伝えることができていた。
 爆弾発見作戦を開始し、すでに25分あまり。発見し解除した爆弾はラディリナ側が8、モモッケ側が7。その全てがぬいぐるみやくるみ割り人形などのオモチャに入っていた。
 メレテーは、サーカス人形は沢山の子どもたちにオモチャを配っていたと言った。それが真実だと実証する結果になっている。彼らは子どもたちの無垢な好奇心を利用しているのだ。
 許せない、とノクノは胸に義憤の炎を燃やす。
 残り時間は15分ほど。絶対に全部見つけなくちゃ。
 そのためにも、ミチュとノクノはステージへと続く光の天の川を登っていく必要があった。
 爆弾を見つけるには高い場所から見渡すのが最善だが、飛行すれば金だらいに吹っ飛ばされてしまう。他のスプラウトたちと同じく地道に登っていく他に方法はなかった。
 天の川はもたもたと足を止めていると自然に消失し、ひとつ低いところに戻されてしまう。上を目指すためには迷わずトントンとリズミカルにステップを踏んでいかなければいけなかった。
 爆弾の発見と息を合わせたステップ、ふたつを同時にこなす——難易度の高さにめまいさえ覚えたが、ノクノはもう迷わなかった。
 このフェスをめちゃくちゃにはさせない。
 ミチュが会場内に注意を向けるなか、ノクノは意識を研ぎ澄まし、ミチュのステップに呼吸を合わせた。
 ノクノに爆弾は見えない。今の自分にできることはただミチュをサポートすることだ。
「——あった、ラディ、北1ブロックの40列2番!」
 ホップ、ステップ、ぐんと力を込めてジャンプ!
 入学したばかりの頃とは比べものにならないミチュの足取りに、彼女が積み上げた努力の量を想う。
 ミチュのダンスのことなら、きっとミチュ本人よりもノクノの方が知っている。
 リリカルモナステリオに入学してすぐにあったダンス基礎の授業で、ミチュがぎこちないロボットダンスを披露したことを知っている。
 クラスのなかでも際立って下手くそだったミチュが、テヘヘと笑いながら部屋で遅くまで練習していたことを知っている。
 重量級のミチュがどっすんどっすんとダンスの練習をするものだからひどく音が響いて、部屋が近いみんなを寝不足にしちゃったっけ。
 ダンス基礎の最初の課題が無事に終わって、みんなと一緒にお祝いをしたことを覚えている。嬉しくってミチュがピョンピョンと飛び跳ねたら靴底がべろんと剥けて、みんなでお腹を抱えて笑ったよね。
——ずっと隣で見ていたから。
「あった! モモッケ、西1ブロックの5列の14番!」
 次の天の川へとミチュが軽やかにステップを踏み、涼やかな音が響いた。
 ミチュはノクノより身長が高く、さらに勢いがあるため一歩の歩幅が大きい。今は気遣う余裕がない分、いつもよりさらに歩幅が伸びている気がする。
 それに合わせるため、ノクノは思い切って光の天の川を踏み込んだ。身体がふわりと浮いて、次の光に踵が触れる。
 一歩、また一歩と身体は地上から離れ、ずいぶんと高いところまで来た。落ちたって平気だとわかってはいても、本能的な恐怖が沸き起こるのは避けられず足は震える。それでも身体を宙に躍らせる。
 リズム感に難があるのがミチュならば、ノクノは体力の面で人より劣っている。入学したばかりの頃は一曲踊りきるので精一杯だった。ダンスのレッスンや体育の授業によって徐々に体力はついたが、それでもハーゼリットのように元から体力に恵まれた子には追いつけなかった。
 人見知りの克服も大きな課題だった。人の顔を見てハキハキと話すことが苦手なノクノのダンスは、振り付けは正しくてもどこかおっかなびっくりで、見る人を笑顔にすることなど到底できそうになかった。

Design:kaworu Illust:眠介

 何度「自分がアイドルなんて」と挫けそうになったことだろう。
 やっぱりダメだ、リリカルモナステリオは自分なんかがいていい場所じゃない。悲しみは澱のように重なり、眠れない夜はひどく長かった。
 それでも、ここまでやってこられたのは隣にミチュがいたからだ。
 ノクノと同じだけポンコツで、ノクノよりもずっとずっと努力家のミチュ。
 ミチュが隣にいてくれて良かった。ポンコツとポンコツだったから、ここまで一緒に登ってこられた。
「ラディ、北3ブロックの80列10番!」
「モモッケ、西1ブロックの5列の14番!」
 ラディリナとモモッケからそれぞれ鋭い応答の声があり、やがて除去完了の報告が帰ってくる。オモチャを取り上げて問答無用で除去しようとするラディリナに対し、ロロワがその説明役をしているようで『すみませんすみません!』と漏れ聞こえてくる声も続いた。
 除去を完了した爆弾は32——残り時間はきっともう少ない。
 間もなく反対方向に分かれたラディリナとモモッケが合流する。見逃しがないならば、除去が終わるということだ。
「……あと、1分」
 傍らのミチュが掠れた声を漏らす。
「……っ!」
 ぎゅっと心臓が捕まれたような心地がして、ミチュの顔を見やる。
「——大丈夫」
 見開かれたミチュの虹彩は機械的な収縮を繰り返した。
『“警告、システム過負荷。破損する恐れがあります。継続しますか?”』
 機械音声が響く。泥棒猫たちを追っていたときに聞こえた物と同じだった。
「許可」
 ミチュが応えると虹彩はいっそう激しく収縮し、その表面にパチパチッ! と青い静電気が走る。
 会場の一点を凝視した。
「北4、3列2! 西1、1列24! ラスト!」
『了解』
 至極冷静なラディリナの返答があり、ノイズが途切れる。
 脳がキンと痛むような長い沈黙があり、会場の歓声が刹那、遠ざかる。
 ノクノは指先が赤く染まるほど拳に力に込める。
 嫌だ、嫌だ、爆発なんてしないで。
 このフェスに悲鳴なんて混じらせないで。
 沈黙を破り、植物プラントが二人の声を伝えた。
『——解除完了よ』
『ピュイッ』
「やったぁぁぁあぁぁっ!」
 ノクノとミチュは飛び上がり、咲き誇る花のような笑顔を向け合った。
 顔を寄せて頬ずりして睫毛を重ねて、この喜びを分かち合いたい! 突き動かされるまま抱きしめたかったけれど、遥かなる天空のステージはもう目と鼻の先に迫っていた。
 ミチュがニヒと笑う。
「ノクノ、いこっ!」
「うん!」
 ホップステップ、ジャーンプ!
 二人は勢いよく光のステージへと飛び乗った。

     *

——チッ、チッ、チッ……
 VIPルームには時計の秒針が時を刻む無機質な音が響いている。
 もちろんそれはごくごく微かなもので、場内に響く歓声によって掻き消されている。第二ステージはいよいよ大詰めで、観客たちの熱狂はこの上なく高まり、不穏な事件の気配など欠片もない
 リリミとララミは部屋の最奥に控えつつ視線を交わしあった。
(……時間なのに)
(えぇ)
(爆発の音がない)
(どうして)
(もしかして、君を見たマーメイドが)
(まさか。ただの弱そうな子どもだった)
(そう)
(……なんにせよ)
(うん)
 不都合な現実はいつだってリリミとララミの前に転がっている。二人はただ、その現実のなかで過ごし、抗っていくだけ。行うべきことは明白だ。
 刹那の逡巡も必要なかった。
(僕たちが終わるしかないね)
(私たちが終わるしかないわ)
(やんぬるかな)
(やんぬるかな)
 リリミとララミは部屋の最奥から一歩進み出て、忠誠を誓う主へと声をかけた。
「タマユラ様、お薬の時間です」
「タマユラ様、お食事の時間です」
 タマユラが弾かれたように振り返った。
「あら、もうそんな時間!」
 時刻はぴったり17時、タマユラは毎日この時間に夕餉を取ることを習慣としていた。
 リリミとララミはそれぞれ胸に手を当てながら、折り目正しく頭を下げる。
「お水をもらってきます」
「お食事を作ってきます」
「いいえ二人とも、今日くらいは大丈夫ですよ」
「そのようなわけには」
 ふるふるふる
 リリミとララミは子どもっぽい仕草で首を横に振った。頑なな二人にタマユラは困ったように眉を下げる。
「でももう少しで最後のステージが始まりますよ。夕餉など、今日くらいは遅くなっても構わないのですから。一度やってみたかったのです、“不良”というものを! 二人と一緒に見たいもの、早く戻ってきてね」
 しばらく双子人形たちはタマユラに返答せず黙っていた。二人の瞳に、初めて逡巡の色がよぎる。
 やや奇妙に感じられるほど長い沈黙の末に、双子人形の片割れは答えた。
「……かしこまりました」

    *
 
 ミチュとノクノが光のステージを踏むと、空に突き抜けるようなステリィの実況が響き渡った。
『“Blue Dream”ゴォオォ——ォォォルッ!』
 ひときわ大きな歓声がミチュとノクノを包み込む。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 ノクノは荒い息をつきながら呆然と会場を見渡した。
 眼下の客席に、ぎっしりと詰めかけたお客さんたちが見える。距離があるせいか、極彩色の粒ひとつひとつが人だなんてにわかには信じられなかった。
 天の川を登っていたときは、ただ目先のことに必死で、あたりを見渡す余裕などなかったけれど、ようやく喜びが実感となって奔流のようにノクノの身体を満たしていく。
「ミチュ!」
 ノクノは手を上げながら傍らのミチュの方を振り向いた。ミチュもまた、ハイタッチをするために手を上げてくれているものだと信じて疑わなかった。
 けれどそこにあったのは、糸が切れたかのように座り込んでいくミチュの姿だ。
「……!」
 とっさに支えようとしたが、ノクノの腕力では間に合わない。
 あえなくミチュは手と膝をつき、見開いた目でステージの床を凝視した。
 ノクノと違って息を荒げることはないが、その挙措はいつも元気なミチュからかけ離れている。
「えへへ、えへ……ちょっと、休憩……」
 ミチュからは体内でディスクが回っているかのような異様な機械音が漏れていた。
「……大丈夫、大丈夫だから……」
 自分に言いきかせるかのようだった。
 やがてミチュはのろのろと顔を上げ、その瞳に観客席を映した。春桜色の虹彩に、客席の極彩色がグリッターのように煌めく。
「……テルクたち、ノクノのために来てくれたって言ってたね」
 その唇にわずか、笑みめいたものが浮かぶ。
「……いいなぁ」
「ミチュの家族だって、きっと見てくれてるよ」
 ノクノがとっさにそう言ったのは、辛そうなミチュの心をどうにかあたためたいと思ったからだ。
 と、口から台詞が出てすぐに、ミチュと家族について話すのはこれが初めてであることに気づいた。
 ノクノはミチュの家族について、何も知らない。どこで生まれ、ノクノと出会うまでどう過ごしてきたかを、知らない。
「あれ、バトロイドの家族って……?」
「うん。バトロイドもマーメイドと一緒で、お父さんお母さんっていないんだ」
「そう、そうだよね!」
 少し考えればわかることなのに、疲れのせいか思慮のない言葉が出てしまったことをノクノは恥じた。
 惑星クレイにおいて『一般的な家庭・家族』というものは存在しない。人間ヒューマンやエルフ、ワービーストなどは雌雄で子どもを成すが、例えばドリアードは大自然から生まれ、ワーカロイドは人工的に造られる。婚姻や家庭、家族という概念すら持たない種族も珍しくはない。
 失言に恥じ入るノクノだが、ミチュは特に気を悪くしてはいないようだ。
「だから、同じ部隊のみんなが家族だったんだ」
 ノクノは自分の無神経を許された気がして胸を撫で下ろす。
「そうなんだ。きっと家族さん、ミチュのこと見てくれてるよ」
 このフェスは惑星クレイの各地に配信されており、通信環境のある場所であれば見ることができるという。
 バトロイドがいるような場所であればきっと科学技術も発達しているはずだから通信環境にも恵まれているだろう。
 しかしミチュは困ったように首を傾げ、唇をむにゃむにゃと噛んだ。
「うーん……」
「どうしたの?」
 やがてミチュは小さく首を左右に振って、ニヒッと下手くそに笑った。春爛漫の彼女らしくない不格好な表情だった。
「難しいと思う。多分、みんな壊れちゃったから」

     *

 リリミとララミが去り、VIPルームにはヴェルストラとタマユラが残された。
 ついにお邪魔虫はいなくなったのだ。
 今が好機。俗に言うところの、『恋とギャロウズボウルは“一気呵成”が効く』というやつだ。
 ヴェルストラは重い革張りソファを一歩、また一歩とタマユラの方に近づけると、男前かつ真剣な声音で語りかけた。
「タマユラちゃんが気になっているペアはあるのかな?」
 作戦は練り直してある。深窓の令嬢タマユラには親しみを感じさせる距離感よりも、紳士的に振る舞ったほうが効果的だろう。
 そう、紳士的に振る舞うことならヴェルストラの右に出るものはいない。
 タマユラは距離を詰められていることには気づかない
「気になる……というよりも心配な子が一人いるんです。ほら、あのピンク髪のミチュという子。何があったんでしょう、衣装がボロボロで……」
 タマユラはステージの際に座り込んでいるミチュを見つめている。
「ん?」
 タマユラが気にかけているのは彼女の衣装のようだが、ヴェルストラは爆発によって露出した“BD-302”の文字へと視線を注いだ。
 やっぱりな、と呟く。
「……ミチュって子、“Blue Dream”の生き残りだ」
「ぶるー、どりーむ……?」
 バトロイドを製造しているのはブリッツインダストリーだけではなく、大企業から中小企業まで多岐にわたる。
 職業病で、ミチュの姿を見たヴェルストラは彼女が自社の製品なのか脳内で照合した。
 答えは“否”。
 様々な特徴から候補を数社まで絞り込んだが、断定しきれなかった。それが露出した識別番号により確定したのだ。
 ビンゴ!
「“Blue Dream”——消えたバトロイド部隊だ」
「……消えた?」
 物騒な響きに、タマユラは僅かに眉を下げる。
 あぁ、とヴェルストラは首肯した。
「あらましはこうだ。
 ロイスデリア国立研究所——通称『白の研究所ブラン・ラボ』ってのがブラントゲートにあってな。そこで電波怪獣のせいだとかいう事故が二回あった」
 ガオガオ! とヴェルストラは手で怪獣を形作り吼えて見せた。
「一回目も面倒だったが、国家捜査局BBI白服の男たちホワイトメンが対応して惨事には至らなかった。
 だが二度目のやつは輪をかけて酷かった。セキュリティが落ちた中からマルウェアが出た。その特性から、通称“世界は蒼き研究室ラボラトリー”。セキュリティを破って情報を食い尽くす、まるで知りたがりの赤ん坊みたいなやつだったよ」

Design:kaworu Illust:刀彼方

「で、復旧までの三日間、宇宙そとからわんさと厄介なエイリアン連中がやってきた。辺境に当たってたトロアス社製のバトロイド部隊“Blue Dream”は全滅し、残骸は雪山に落ちて回収さえできなかった——そう聞いていたんだがな」
 ヴェルストラの目に映るミチュは、何やら焼け焦げているものの精一杯アイドルとしてあろうとしているように見える。
 バトロイドが戦場で活躍することを否定するわけではないが、アイドルとして第二の人生を送っているのなら祝福したいところだ。
 なるほど、ワーカロイドのアイドルも悪くないな……などと脳内で企画を立てしまうのは敏腕社長としての性だろうか。
 自分がアイドルグループを作るならコンセプトはこうして、ビジュアルはこうして、と夢を膨らませていると、タマユラはふとどこかへ思いを馳せるような目になった。
「……リリミとララミも、わたくしと出会う前は何かと戦っていたようなのです」
「へぇ」
 だろうな、とヴェルストラは内心で相づちを打った。
 タマユラの目を盗んで自分に仕掛けてきた手際は、深窓の令嬢のお世話係にしては鮮やかすぎた。恐らく暗殺を生業にしているものだろうな。そう当たりをつけたのは、ヴェルストラ自身もその手の存在から命を狙われることが日常だからだ。
「わたくしの元にいれば戦う必要はありません。けれど……」
 タマユラは言葉を濁して顔を伏せ、やがてパチンと手を打った。
「そう! リリミとララミもアイドルになればいいのです。元々はサーカスの“すたぁ”だったのですから、きっと素敵なアイドルになれます」
「まぁ……」
 ヴェルストラは曖昧に頷いた。あの双子がアイドルとして愛想を振りまいている姿は想像できなかった。
 世界は広い。あの双子のような“塩対応”を好むファンがいるかもしれないが、オレはご免だね。
「そうすれば、わたくしがいなくなった後も寂しくありませんもの! ミチュさんは二人の手本になりますね。いけない、二人を呼んでこなくては」
 タマユラは立ち上がり、出入りのドアノブに手をかけた。しかしレバー式のドアノブは僅かに下がったのみで、ガチャッと何かが引っかかったかのように動かない。
 そのまま押してみてもドアは開かなかった。
「どうした?」
 ヴェルストラが試みても結果は同じだった。
「あちらから……鍵がかかっている?」
「そのようだな」
 ヴェルストラの眉間に深い皺が刻まれる。

     *

 壊れちゃったってどういうこと?
 問い返したいのに思考がまとまらず、ノクノの口からは上手く言葉が出てこなかった。
 バトロイドにとって「壊れる」ということは、きっとマーメイドにとっての「死」と同様の意味を持つ。ミチュの「家族」は全員死んでしまったのだ。
 マーメイドの寿命は長く、ノクノは「家族の死」を経験したことがなかった。
 そんな自分ではどう声をかけても嘘っぽく、作り物めいてしまう気がして口をつぐむ。
 そしてミチュと出会った日へと思考を巡らせる。
 燦々と輝く陽の光を浴びながら、春が少女の形になったような桜色が飛び込んできた日のことを。
 溌剌とした振る舞いに対して、ひどくギャップのある薄汚れた衣類を着ていたミチュのことを。
 思い出していく。
「あっ!」
 不意にミチュは大声を上げ、観客席の方へ身を乗り出した。
 フロアから光のステージを繋いでいた天の川が、ゆっくりと消え始めている。それは地上から徐々に薄くなり、空気へと溶けていくようだった。
 タイムアップだ、もう時間がない!
 いまだラディリナとロロワは光のステージに姿を見せていなかった。ミチュはステージの端から身を乗り出した。
「急いで、急いで——!!」
 ラディリナたちは爆弾を処理していた観客席からアリーナに戻っており、天の川の半ばを登っているところだった。
 爆弾を探しながらとはいえ、三十分以上をかけて登り切ったミチュたちと比べると、信じがたいほどのスピードだ。
 天の川はまたたく間に消えていく。もうどれだけもつか。
 すでに間に合わなかった少女たちはふわふわの光に包まれながら地上に降ろされている。
 ラディリナとロロワの背後のすぐ近くまで光の途切れ目が近づいていた。
 ホップステップ、ジャンプ!
 それでもラディリナたちは諦めず、物凄いスピードでステージへ登ってくる。その驚異的な追い上げに、観客たちの目は釘付けだった。
『“Scarlet Step”、物凄い追い上げです! これは辿り着けるか————っ?!』
——いける、いける!
 祈るような確信でノクノが拳を作る横で、ミチュがぽつりと呟いた。
「……嘘、なんで」
 その目はラディリナたちではなく、沸き立つ観客席の方へと向けられていた。
「ミチュ?」
「あのね、まだ、爆弾が残ってるみたいなの。東1の後方通路にふたつ。動いてる。すっごく大きい !」
『——了解』
 間髪を入れず、荒い息混じりの声がミチュの植物プラントから聞こえてきた。
 ラディリナだった。
『私たちはここを降りる。ミチュ、指示を頂戴』
 ラディリナの台詞に気負った様子はなかった。
『いいわね、ロロワ』
『うん、もちろん』
 了承するロロワも肩の力が抜けている。それは当然の選択であり、迷う必要すらないというようだった。
 ミチュとノクノの方が面食らってしまう。
「で、でも、失格になるんですよ……?」
「そうだよ、優勝できなくなっちゃうんだよっ?」
『それはもちろん残念だけど』
 ラディリナたちの姿はもう、手を伸ばせば届きそうなほどステージ近くへ迫っている。
 目を凝らさずとも視線が交わる距離で、ラディリナはノクノたちに向かってぐんと胸を張った。
「私、アイドルが好きなの。笑顔の裏にあるとてつもないプレッシャーを心から尊敬するわ。目指した高みへと努力するその姿勢はドラグリッターと変わらない」
 地上から強く一陣の風が吹き、ラディリナの髪が戦旗のように舞い上がる。それは光に透けて、野を渡る火よりなお赤い。
「このフェスは何事もなく終わる、あなたたちは素敵なアイドルになる、そうでしょう? ……ロロワ」
 ラディリナはスゥ……と深く息を吸い込み、マイク無しでも会場に響き渡るほどの大声で言い放った。
「このうらなり! 育成不良! 萎びた大根!」
「そこまで言うっ?!」
 ブッ、ブ——ッ!
 大きなビープ音が鳴り響り、悪口を言ったラディリナと巻き添えのロロワは大きく吹っ飛んだのだった。
 悲鳴のようなステリィの解説が響く。
『おぉっとここで“Scarlet Step”、大喧嘩の大暴投——!』

 二度目ともなれば「吹っ飛ばされ方」も堂に入ったもので、爆弾が発生したという東1方向へ軌道を寄せることも可能だった。
 バネ状に跳ね上がる天の川の力を利用して、ラディリナとロロワが放り投げられたのはVIPルームから7メートルほど東に逸れた場内通路だった。
 ラディリナは慣性に働く力を上手く受け流して着地して(ロロワはバランスを崩して壁に肩をぶつけた)あたりを睨む。
「ミチュ、どっち」
 ラディリナの肩にしがみついていた植物プラントからミチュの音声が返ってくる。
『今ちょうど中の通路に入っちゃった! 左……北方向に走っていったよ』
「了解」
 簡潔に返し、ラディリナとロロワもそこから一番近くにある出入りゲートを目指した。入ると、ドーム内を環状に走る通路がある。
 爆弾を持った何者かはそこから北方向に逃げたということか。
 出入りゲートに入ろう とする手前で、ラディリナは傍らで飛んでいるモモッケへと視線を投げた。 
「モモッケ、お願いがあるの。剣を取ってきて」
 ラディリナとロロワが帯びていた剣は、アイドルをするにあたって置いてきてあった。 
「ピュイ?」
 問うモモッケにラディリナは頷く。
「えぇ、そうね。もちろん戦いたくはないわ。だってここは平和を愛する国リリカルモナステリオなんだもの」 
 ここで剣は不要だ。素敵な衣装とマイクさえあればいい。そう思っていた。
「それでも、必要になるかもしれない。お願い」
「ピャアッ!」
「あと、そうだ——」
 ラディリナがそれ・・を伝えると、モモッケは強く頷いて、ラディリナたちとは反対方向に飛び立った。
「さぁ、行くわよ」
「あぁ」
 ラディリナとロロワは不審者が向かったという通路に向かった。ゲート抜けて左方向へと曲がると、そこにはただ青い絨毯敷きの環状通路があるだけで、該当の人影はなかった。ほかに観客の姿はなく、ぽつぽつと等間隔に観葉植物が置かれているだけだ。
 先を行かれてしまったのだろう。
 視線で合図し合ってラディリナとロロワは通路を駆ける。間もなく正式に失格になったのか、足を繋いでいた光の輪が消えた。ようやく解放された二人は駆ける足を加速させたが、それでもなかなか人影が見えてこない。
「チッ……」
 ラディリナは舌打ちをひとつ。
 得体の知れない爆弾が残っているだけでも厄介なのに、動かれると面倒さがいや増す。
 爆弾を仕掛けた主はただフェスをぶち壊しにすることが目的なのだろうか。
——想像を巡らせる。爆弾があることを知った観客たちはどうなるだろうか。
 恐怖し、惑うだろう。フェスのことなど構わず我先にと会場の外に出て行くだろう。
 ドームの出入り口はチケットの確認の都合があり、あまり広くはなかったと記憶している。
 そこに逃げてきた観衆が殺到する——
 恐慌をきたした人々は、日頃の落ち着きなどかなぐり捨て、怒鳴りあい、押しあう。幼い子どもは人混みに飲み込まれ頭さえ見えない。
 阿鼻叫喚がそこに顕現する。
 犯人たちはその様を見たいのだろうか。ただ人が苦しむのを見たい愉快犯なのだろうか。
 結論づけるのは簡単だが、引っかかるものがある。もちろんブルーム・フェスは大きなイベントに違いないが、学園祭の目玉のひとつであるAstesiceアステサイスや他のトップアイドルのライブなどの方がよっぽど動員数が多いだろう。可能ならばそちらを狙いたいはずだ。
 アイドルたちのライブにはなく、こちらのフェスにあるものは何か。
 そう考えれば自ずと答えは出てくる。
「……煌結晶ファイア・レガリス
 ラディリナの唇から言葉が溢れ落ち、ロロワが目を見開く。
 とそのとき、前に紫色の人影が見えてきた。あれが主犯だという双子のサーカス人形なのだろう。
 距離はわずかに10メートル。捕まえられる!
 加速しようとラディリナが紺絨毯を踏み込んだ、そのとき、一歩後ろについていたロロワが叫んだ。
「待ってラディ!」
 とっさにロロワがラディリナの手を掴み、ラディリナは前につんのめりながら制止する。
 しかし慣性のまま豊かな髪だけが前になびき、その先が、まるでカミソリで削がれたかのように千切れて落ちた。
「なっ!」
 目を凝らせば、通路に透明なテグスが張り巡らされている。何も知らずに勢いのまま進めば首が落ちていた。
 戦慄するラディリナを、双子のサーカス人形は無機質な目で観察していた。
「残念ね、ララミ」
「残念だね、リリミ」
 それ以上双子人形はロロワたちを相手にせず駆けだした。
「待ちなさ、い!」
 殺人テグスを観葉植物の鉢の底で叩き切って 、ラディリナとロロワは双子人形の後を追う。
 彼女たちのスピードよりも、ラディリナの方が数段早かった。
 たちまち追いついたラディリナは、双子人形の首元を飾っているリボンを引っ掴んだ。
 シュッと鋭い衣擦れがして、引き抜かれたリボンが舞い落ちる。
 胸元が露わになり、そこに存在する物体を知ったラディリナは顔を強ばらせた。
「あなた……」
 ようやく双子人形はラディリナとロロワを振り返る。
「厄介だわ、ララミ」
「厄介だね、リリミ」
「邪魔をされる前に」
「うん」
「行きましょう、ララミ」
「行こう、リリミ」
「むべなるかな」
「むべなるかな」

 双子のサーカス人形が立っている。
 その胸に、心臓の代わりに甘い甘いニトログリセリンを詰めて。