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クレイ群雄譚(クロスエピック)

第3章 光さす墓碑

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第3章 9話 コドモとオトナ

 ハートルールーに導かれ、ロロワたちは『お菓子の国』に足を踏み入れた。
 しかし二歩、三歩と歩かないうちに、呆気に取られて立ち尽くす。
「わぁっ……」
 夢を、見ているのではないかと思った。夢のなかでも、体調が悪いときに見るやつだ。
 パステルカラーの絵の具をぶちまけたような、この世のほかの景色が広がっている。
 鮮やかな蛍光グリーンの青空・・には、ホワイト、ブルー、ピンクの綿あめがプカプカと浮かび、そこから地面に視線を落とすと、ピーチソーダの小川がパチパチと弾けている。
 川辺には色とりどりのグミをたわわにつけた群芳があり、透きとおった実がぽとりと落ちると、ソーダの泡をまとってきらめきながら流れた。
 グミの茂みのそばには背の高い茎が伸びている。ヒマワリが種を付けているのかと思いきや、よく見ればカラフルなマーブルチョコレートがぎっしりと実っている。
 こちらもロロワの視線の先で、ぽとりと種を落とす。地面で跳ね、しゃら、とかすかな音を立てたのは、砂利ではなくキラキラ光る琥珀糖だった。
 空も、地面も、目に見えるものすべてが甘やかなお菓子なのだ。
「作り物……だよね?」
 ロロワが独りごちるように言えば、
「こんなにリアルに作れるものかしら?」
 ラディリナもまた、信じられないというように疑問を口にする。
「作り物? まさか!」 
 繰り人形のような仕草でハートルールーは両手を広げ、高い上背からギョロリとラディリナを見下ろした。
「ここにあるのは夢のような本当だとも。オトナのオンナ、怯えずに、泣き喚かずに、さぁ行こう。もうどうやっても逃げられないのだからね」
「……いちいち不安を煽るような物言い、やめなさいよ」
「ウゥン?」
「は?」
 ラディリナオトナとハートルールーの空気が不穏なものになる中、どこからかアップテンポなメロディが聞こえてきた。
「何の歌だろう……?」
 ロロワがそちらに目をやると、ピーチソーダの川をエクレア型の船がこちらへと進んでくるのが見えた。その船上で、ぬいぐるみたちが浮かれた舞踏曲ポルカを歌っている。

 うれし はずかし おかしなポルカ
 あやし あやかし おかしなポルカ
 
 おかしの国の トビラがあくよ
 コドモの国の トビラがあくよ

 ここに あるのは
 コドモが 大好きなもの ぜんぶ
 チョコ キャンディ ゼリー ビスケット
 いっぱい ながれるソーダ水!

 ここに あるのは
 オトナが びっくりするもの ぜんぶ
 嘘泣きヌガー ゲロ吐きクリーム
 爆発ポップコーン ぷかぷかガム!
 
 うれし はずかし おかしなポルカ
 あやし あやかし おかしなポルカ
 
 
 エクレア船はロロワたちの前に停泊し、板チョコの渡板が下ろされた。
 ピョンッと飛び込むようにして、真っ先に乗船したのはエバだ。
「今日こそハートルールーの秘密をアバきますよ!」
 続いて乗り込んだのは目を糸のように細めたハートルールー。
「うんうん、楽しみだねぇエバチャン」
 最後のロロワが乗り込むと、船首から高らかなエバの声が聞こえてきた。
「しゅっぱつ、しんこー!」
 しんこー! とオモチャたちのかけ声が重なった。
 えっへん、と咳払いをして、テディベアのティティがデッキに立つ。コンパクトマイクを手にアイドルよろしく、くるんっ、と華麗に一回転した。
「ここから先はボクが案内するよ。さ、改めて自己紹介っ! ボクはこのお菓子の国のエリアリーダー、ティティ! ふわふわでとってもキュート、テディベアのティティだよ☆」
『ティティー!』
 歓声をあげたのはエバとハートルールーだ。ブーイングをあげたのがナチュナチュで、ロロワたちはどう反応していいものかわからず、中途半端な表情でティティを見つめている。
「ほらほらっ、拍手拍手!」
 パチパチとまばらな拍手が船内に響いた。
「ありがとーっ☆ それでは前方をご覧くださーい」
 船はグミとマーブルチョコの茂みを過ぎ、低木がまばらに生える疎林に入っていた。
「このあたりは材物園マテリアル・ズーっていって——」
「ザイリョーがあるとこ!」
 声を張ったエバは、甲板の上に例の『交換絵日記』を広げていた。 
「エバチャン、大当たり!」
「ふふ~ん。エバは天才なのです」
 『絵日記』には、このあたりの地図らしいイラストが描かれていた。
 らしい、と推測になったのはイラストがあまりに稚気に満ちていたからだ。
 グリーンのクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶされた 中央に、ソーダ・リバーらしいピンクの線。しかしその上から描かれた文字や図形は、目をつむって殴り書きされたようにしか見えなかった。
「探検♪ 探検♪」
 エバはクレヨンを握りこみ、ピンクの線の上に黄色の丸と『ふ わ』の文字を描き加えた。恐らく、このエクレアのふなのだろう。
 ハートルールーとナチュナチュは「じょうずだねぇ」と褒め称えた。
 と、ティティは何かに気づいたようで「あ!」と声をあげる。
「ほら、みんなあそこを見てっ」
 言われるまま川岸に視線を向けると、枯れ草のうえをクラゲの一群が夏の川面を飛び交う蛍のようにふわふわと漂っていた。とろける水飴めいた尾が長く伸びている。
「あれは寒天クラゲっていうんだ。キレイでしょ?」
 あたたかな海の底を想起させる幻想的な光景だが、もちろんそこは陸上だ。クラゲがのんきにふわふわ漂っていられるような場所ではない。
 なんで?
 内心のロロワのツッコミなど知るよしもなく、クラゲたちは光のレースめいた足をひらめかせて岸辺を通りすぎていった。
 船とすれ違いざま、シャラランッと雲母の薄層がこぼれるような音がして、クラゲの足が枯れ草のうえに落ちた。
 ティティがコンパクトマイクを握る。
「あの落ちた足を干して粉にすればクラゲ寒天のできあがり。果汁を固めると、ぷるっぷるのゼリーができるんだ」
「じゅるるっ」
 エバが溢れそうな唾液を飲み込んだ。
 茂みを揺らし、お次に現れたのは白くてふわふわの被毛に、長い首、可愛らしいつぶらな瞳の動物だった。
「シュガー・アルパカが来たね!」
「アルパカが砂糖シュガーになるんですか?」
 ロロワが尋ねかける。
 アルパカというと、刈り取った毛を衣料の材料にすることで知られている。なかなかの高級品なのでロロワでは手が出ないが、寒冷地で暮らす人々からは重宝されているという。
 しかしお菓子の材料にするだなんて聞いたことがない。
 もちろん、とティティは答えた。
「シュガー・アルパカの毛は、繊維になるまで細かくすると、とっても上質なお砂糖になるんだ。シュガー・トマトから作る砂糖とか、シュガー・ヤシから作る砂糖もあるけど、雑味のないお砂糖が欲しかったらアルパカ・シュガーが一番!」
「へぇ、そうなんですね」
 しかし船からの距離では、図鑑などで見る一般的な白いアルパカにしか見えなかった。
 さらに目を凝らすと、シュガー・アルパカの被毛にピンクやイエローの粒がくっついているのが見えた。
 ティティもそれに気づいたらしく「うわぁ」と小さな呻きを漏らす。
「毛が金平糖になっちゃってる……飼育係め、毛刈りをサボってるな。あとでとっちめてやらなくちゃ」 
 横からラディリナが問いかける。
「あっちの茶色のアルパカからはブラウンシュガーが採れるの?」
 指の先では、白いシュガー・アルパカから少し離れて茶色のアルパカが二頭、連れだって草を食んでいた。
「そうそう、大正解! クッキーやブラウニーを作るのにぴったりなんだ。あ、あれを見て!」
 疎林の薄くなったところから姿を見せたのは、オフホワイトの大岩だ。そちらの方から、カーン、カーン、と工事をしているような音が聞こえてくる。
「まさか、あれもお菓子の材料に?」
「そう、削ると小麦粉になる小麦岩フラワー・ロック! お菓子作りに小麦粉は欠かせないからね」
 当然のことのように言うティティに、ロロワはもう突っ込むことをやめていた。
 一般的に岩というのは食べられるものではなくて……というのは、おかし・・・な国では通じない常識なのだ。
 そこに響き渡る、鼓膜を右から左に破っていくような絶叫。
「あ——————っ!」
 突如としてエバがダダダダッと走りだし、デッキの手すりから勢いよく身を乗り出した。
「エバ、降ります! あっち行きます!」
 爛々と光る金色の瞳は、木々が生い茂り密林のようになった対岸へと向けられている。
 ロロワは慌てて船から落ちそうになるエバを抱きとめた。
「ちょ、ちょっとエバさん、落ちる! 落ちるから!」
「降ーりーるー!」
「待って待って待って!」
 ラディリナも一緒になって制止したが、ビチビチと跳ねる魚のようなエバは制御不可能だ。
 このままでは本当にソーダ・リバーに飛び込んでしまう!
 ティティはジタバタもがくエバのまわりをピョンピョンと跳ねて宥めにかかった。 
「お、面舵いっぱーい! ほら、エバチャン、すぐ降りられるから、ちょっとだけ待って! ねっ!」
 右方にめいっぱい舵を切り、エクレア船は岸に停泊した。
 そこには熱帯雨林のように背の高い木々が生い茂っていた。もちろんただの木ではなく、枝はチョコレート、葉は薄いラングドシャで出来ている。
 密に絡み合う枝葉の間を縫うようにして、チョウがひらひらと飛びかっていた。
「!」
 エバの目がピカーンッと光る。
 ピョンッと飛び降りるや、モコモコ服の中から虫取り網を取りだした。
「まて~~っ!」
 バタバタバタッとチョウに突進し、虫取り網をぶん回す。
「えいっ、やぁっ、とうっ!」
 頭からずっこけ、ひっくり返り、ついに1頭が網の中に入った。頭を葉っぱまみれにしつつエバは顔を輝かせる。
「つかまえたーっ!」
 チョウを手に、エバはバタバタバタッと駆け戻ってきた。飼い主に獲物を自慢する猫のように、ロロワの前にチョウをかざす。
「ね、つかまえましたよ、ね、ねっ!」
「わっ、スゴい。キレイだ」
 熱帯雨林らしい鮮やかなブルーの羽を持つチョウで、身体は丸々と太っている。見たことのない種類だが、このチョウも例によってお菓子の国でしか見られないのだろう。
 ロロワの顔がほころぶ。
「エバさん、チョウが好きなんて知らなかった。ステキな趣味だね」
「えぇ~? ステキなんて」
 エバは照れたように笑う。
 正直、エバがそんな趣味を持っているというのは意外だった。けれど姿かたちのイメージでいえば、天真爛漫で愛らしいエバにはキレイなチョウがよく似合う。
 煌結晶なんてものには永遠に興味を持つことなく、お菓子や花、チョウと戯れてすごしてくれるなら、あのときのような地獄はもう起こらないだろう。
 なかば祈りのような想いを抱きながら、ロロワがウンウンと頷いていると、
「だって、チョウが好きなのはエバじゃないですよ」
 ブチッ
 あっけない、脆いオモチャが壊れるような音を立て、エバはチョウの羽を容赦なく毟り取った。
「——え」
 ブチ、ブチ
 バタバタもがくチョウの羽を四枚とも丁寧に毟り取り、断末魔に動く胴体を小袋に突っ込んだ。
 天真爛漫な笑みのまま、エバはひらひら飛び交っているチョウへ目を向ける。
「さっ、次です!」
 再びバタバタバタッと駆けだして、チョウに向かって虫取り網をぶん回した。
「えいっ、やぁっ、とうっ!」
「えっ? えっ?」
 呆けるロロワの手のなかには、毟られた四枚の羽が残っている。
 つぅ、と背中に冷たい汗が伝っていく。
 かつてのエバがトゥーリで人々を嬲ったときのように、また残虐な本性が出てきたのだろうか? いや、そんなことは無いと信じたい。
「……っ!」
 助けを求めるように背後のティティを振り返った。
「ふふふ、びっくりした?」
 ティティは「オトナをビックリさせてやった!」とでも言うようにニヤニヤしている。
「あれはナッツ・バタフライ。胴体がナッツになってて、香ばしくておいしいんだよね」
「あ、あぁ……ナッツにするためにエバさんは羽を毟った?」
「そういうこと! 羽はモサモサしておいしくないもん」
「そうだったんですね」
 ロロワはほっと胸を撫で下ろした。
 加虐欲を満たすために羽を毟るのと、食品の処理としてそれを行うことには大きな違いがある。ほとんどの生き物は生きていくためにほかの命を頂く必要があり、一見して残酷に見えることだって、命の営みのひとつでしかないのだから。
 ロロワがなかば祈るようにそう思っている横で、ティティは不思議そうに「でも……うーん……」と考えこんで頬にモコモコの手を当てている。
「エバチャンはナッツ好きじゃないし、ナッツって言ったら……うーん」
「何が気になるんですか?」
 ロロワとティティが会話を交わす間にも、エバはナッツ・バタフライを一頭、また一頭と捕まえていた。携えた小袋は捕れたてのナッツによって膨らんでいく。
「やぁっ!」
 エバは次なるチョウを追い、チョコレートの藪を抜けたその向こう、大きな蒸し饅頭のように盛り上がった小丘に突っ込んだ。
 高さにして3メートルほどの小丘を一気に駆け上り、エバが虫取り網を振ったそのとき、突然小丘がむくりと立ち上がった・・・・・・
 チョコの葉を払って正体を現わしたのは、身の丈5メートルほどはありそうな怪獣だった。
「……?」
 状況が理解できないのか、頭にエバを乗せたまま、眠そうに首をゆらりと振る。
『ブレイビロス!』
 ハートルールー、ティティ、ナチュナチュの絶叫が重なった。
 一斉に駆けだしたが——間に合わない。
「わ、わっ!」
 怪獣の頭上でエバは姿勢をぐらりと崩し、ボールのようにコロコロ転がって、5メートルのてっぺんから空中へと放り出されたのだった。
 ぶつかる!
 全員の脳裏に、絶望的なイメージがよぎった、そのときだ。
 黒い影がまばたきよりも速くエバのもとへと疾駆する。
 次の瞬間、どこからともなく現れたオブスクデイトがエバの足首を掴んで宙づりにしていた。
 落下を回避したエバは、ぶらぶら揺れながらのんきな声をあげる。
「あっ、オブオブ!」
「…………」
 オブスクデイトは目を眇め、無言でエバを見ていたが、やがて無造作に手を離した。
「ぐぇ」
 エバは地面の上で潰れた雪人イエティになる。
 そこにようやくロロワたちが追いついた。
 オトナにキツくあたるハートルールーも、今回ばかりは感心したように頷いた。
「さすがホゴシャだね」
「オブスクデイトさん、いつの間にここに?」
 ここまでの道で、男の姿は一度たりとも見なかった。けれどエバの危機となれば一瞬にして現れるその技は、手品よりも不可解だ。
 オブスクデイトはぶっきらぼうに答える。
「……ずっと・・・だ」
「ずっと?」
「お前たちが家を飛び出したときから」
「えーっと、ってことは……ハートルールーさんたちに会って、船に乗って、降りて、っていう間も、ずっと?」
「あぁ」
 その大きな体をどうやって隠していたんですか……?
 感心するよりも先に、ぞっとした。
シャドウパラディンあなたたちってみんなこうなの? モーダリオンも似たようなことを言ってたわ。雰囲気も近いし」
 ラディリナが嫌そうに言う。
「隠密行動は諜報員の基本だ」
「別にいま隠密行動する必要はないでしょう。こっちもびっくりよ」
「…………」
 会話することを放棄したようで、オブスクデイトが黙りこむ。
 ラディリナはうんざりしたように肩を竦めた。この男の性格がわかってきて、これ以上言い立てても意味がないと理解したのだろう。 
 そこに、ドスドスドスドス、と地響きのような足音が近づいてきた。
 巨大な影がエバを覆う。
「ボボボッ、エバチャン、ボエバチャン、ごめんねぇ!」
 声の主は、身の丈5メートルほどのソフト塩化ビニール製のオモチャ怪獣——オモチャと言うにはあまりに巨大だが——だった。
 身体は黒くゴツゴツしており、太い尾には硬そうな尾櫛がついている。大きく裂けた口には尖った牙がずらりと並び、どんなものでも嚙みちぎれそうだ。
 それだけなら子どもが大喜びしそうな『オモチャ怪獣』だが、重大な欠点がひとつ。
 ワイン樽でも飲みこんだのか? と疑わしくなるほど、そのお腹はでっぷりと膨らんでいた。
 でぶっちょ怪獣である。
「だいじょーぶ、ですっ!」
 エバはピョンッと跳ね起き、イェーイ! と両手を突き上げた。
「ボボ、よかったぁ……」
 安心したでぶっちょ怪獣は短い腕をでっぷりお腹に当て、ゴウッと深く息を吐きだした。
 その呼気は火傷してしまいそうなほど熱く、たちまち辺りは焚き火をひっくり返したような熱気に包まれた。
「あつつっ!」
「あっつ!」
 熱気から逃れるため、ロロワとラディリナは地団駄を踏む羽目になった。
「ボボ、ご、ごめんなさっ……ムグッ」
 なおも熱を放つ言葉を途中で遮ったのはティティだった。小さな身体ながら怪獣によじのぼり口を押さえている。
「温度、下げるっ! わかったね?」
「(コクコクコク)」
 デブっちょ怪獣が落ち着いたのを見計らい、ティティはピョンと地面に飛び降りる。モコモコの手で怪獣を指した。
「こいつはオモチャ怪獣のブレイビロスっていうんだ。もう、何してんのブレイビロスッ!」
「ボボ、ご、ごめんなさい~」
 ブレイビロスはロロワたちに向かい、ペコリと丁寧にお辞儀をした。
「ボボボ、はじめまして。ぼくは、ブレイビロス、です!」
 灰まじりの鼻息がボッと吹き出る。
 熱風に髪を吹かれながら、ロロワもペコリとお辞儀した。
「はじめましてブレイビロスさん、ロロワです」
「ロロワさん、とてもステキな名前ですね。ぼくの名前も、ブレイビロス、ってエバチャンが付けてくれたんです。ボボボ、とってもカッコイイ名前でしょう?」
「えっへん」
 エバが自慢げにモコモコの胸を逸らす。
「うちのオモチャたちの名前はね、オモチャみんなでぴったりの名前をつけるんだ。でも、それは仮の名前。コドモに呼んでもらって初めて本当の名前が付くんだけど、ブレイビロスは生まれてからずっとここでクッキーオーブンの火を担当してるから、本当の名前がなかったんだよね」
 と、ティティが補足する。
「えっへん、だからエバが付けたんです! ナッツ大好き、炎ぼうぼうブレイビロス!」
「ナッツ?!」
 言葉に反応して、ブレイビロスはイエローに塗装された目をピカーンと輝かせた。
 それをティティが容赦なく切り捨てる。
「もう、ナッツは無いのっ。だからさっさとクッキー焼き場に戻らなきゃ。お前がいないと、み~んな困るんだぞ?」
「ボボボ、ナッツ……」
 ブレイビロスは巨体を小さくしてしょんぼりとしてしまう。そこに、エバがシュバッと勢いよく挙手をした。
「ナッツ、ありますよ! ブレイビロスに集めたんです!」
「ナッツ?!」
 エバは提げていた小袋を取り出した。縛っていた革紐を解くと、中には羽を除去したナッツ・バタフライがじゃらじゃらと入っている。
「欲しいですか?」
「ボボ、欲しい、欲しい、ナッツ欲しい!」
「じゃあ……わかってますよね?」
「うん、うん!」
 ブレイビロスは音を置き去りにするほどのスピードで首を縦に振る。目にやる気の炎がみなぎっていく。
「じゃあ、いっきますよー!」
「ボボボッ! ナッツ!」
 エバはナッツを数粒掴み、大きく腕を振り上げた。
「え——いっ!」
 案外綺麗な投擲フォームから、ナッツが宙に放たれる。しかしコントロールのほうはポンコツで、ブレイビロスからずいぶん離れた右上空に飛んでいってしまった
「あちゃー……」
 これはダメだな、という諦めいっぱいの嘆息がロロワたちから漏れた。
 しかし、
「ボボボッ! ボボボッ!」
 鼻腔から煙を噴きあげ、ブレイビロスは猛烈な勢いで走っていく。デブっちょな巨体に似合わない俊敏な動きだ。
「ボッ!」
 そして大きくジャンプ、弾丸のように飛んでいくナッツをぱくりと食べたのだった。
「おぉ~」
 感嘆が湧き、パチパチパチ、とまばらな拍手があがる。
 続く第二投、第三投も、見当違いのほうにナッツは向かっていったが、ブレイビロスは一粒残さず食べきったのだった。
「終わりで~す」
 エバは空っぽになった小袋を見せた。
「ボ……」
 ブレイビロスは目に見えてしょんぼりとして、その場に座り込んでしまった。
「コラッ!」
 叱り飛ばしたのはティティだ。
「もう、エバチャン! こいつ、元はとってもスマートだったのに、エバチャンがお菓子をたっくさんあげるせいで、こんなデブっちょになっちゃったじゃん!」
「ぶぅ……」
 エバは唇を尖らせてふてくされた。
「これからは——」
 さらにお叱りを飛ばそうとするティティの前に割って入ったのはナチュナチュだった。
「おいおい、ブレイビロスを作ったオモチャ担当としてひとつ言わせてもらうがな。別にデブっちょになることは悪いことじゃねぇだろ。やせっぽちのオモチャ怪獣なんかよりデブっちょのオモチャ怪獣の方がでっかい炎を吐けるに決まってンだろ。エバチャンは悪くない!」
「そうです! エバちゃんは悪くありません!」
「そーだそーだ! エバチャンは悪くない!」
 エバとブレイビロスは拳を突き上げてエールを送っている。
「デブっちょはカワイくない」
 と、ティティ。
「カワイイです!」
 と、エバ。
「デブっちょはカラダに悪い」
 と、ティティ。
「あんなに元気にぴょーんって飛んでましたよっ。元気です!」
 と、エバ。
 うぐぐぐ、とティティは呻き、やがて諦めたようにフワフワの両手を広げた。
「もう、わかったよ」
 そこに被るように「ぐぅ~」とお腹の虫が響き渡った。
 一同の視線は、音の発生源であるブレイビロスのぽっこりお腹へと向かった。ブレイビロスは照れて「ボボボ……」と頭を掻いている。
 ティティは腰に手を当てつつ、ロロワたちに視線を投げた。
「オトナたちも良かったらブレイビロスにお菓子をあげるの手伝ってよ。たくさん食べればクッキーオーブンの火力も上がる……はずだし」
 ティティは諦めたように溜息をついている。キュートな見た目に反して、ずいぶん苦労が多いようだ。
「でも、もうナッツ・バタフライがいないわ」
 ラディリナはあたりを見渡した。
「ブレイビロスはナッツじゃなくたって、なーんでも食べますよ」
 エバが元気に答える。
「あぁ、一回自分の尻尾を飲みこみそうになったぐらいにはな」
「そのうち間違って食べられちゃわないか、もう、いつもヒヤヒヤなんだから」 
 ロロワたちはあたりに実っているお菓子のなかから、頃合いのものを選んでブレイビロスの口元に放り込むことにした。
 ジュースの実、ボンボンショコラの実、スノーボールの実。ブレイビロスは多種多様なお菓子を美味しそうに丸呑みしていく。
「これは……なんだろう」
 ロロワが手を伸ばしたのは小ぶりな木の実だった。
 淡い水色の果皮は、まるでカットをほどこされた宝石のような形をしている。そっと触れてみれば、朝の清水のようにひんやりと冷たかった。
 そこにティティから注意が飛んでくる。
「あっ、アイス・フルーツはあげないでっ。ブレイビロスは冷たいのが苦手なんだ」
「これアイスなんですね」
「そう! ソーダ味のシャーベット・フルーツだよ」
 へぇ、と感心しながらロロワは手を引いた。
 ソーダシャーベットの実の近くには、ペアーシャイプの実が成っている。イエローカラーのこちらは、きっとレモン味のシャーベットなのだろう。バナナ味かもしれない。
「ブレイビロスがアイス苦手なのって、火の怪獣だからですか?」
 ロロワの質問に、ティティがゆっくりと首を横に振った。
「ううん、虫歯だよ。知覚過敏なの」
 やや離れたところでお菓子をもいでいたナチュナチュが振り返り、堅牢な歯をパカッと開く。
「歯医者サンからずっと逃げてんだよ。バカだよな」
「歯医者サン!」
 ブレイビロスは飛び上がり、キョロキョロと辺りを見回した。あたりの地面を震わせるほどの勢いでガタガタと震えだす。
「歯医者サン来てるっ?!」
 エバがふざけて両手を広げ、ドリルを持つ歯医者の真似をした。
「来てますよ~歯医者サンが悪い子ブレイビロスを捕まえに来てますよ~ブイィイィィィィンッ!」
「ヒィーッ! 歯医者サン、歯医者サン怖いよーっ!」
 ブレイビロスは立ち上がり、そのまま木々をなぎ倒さんばかりの勢いで一目散に逃げていった。そのスピードたるや、巨体に似合わずつむじ風のようだった。
 ティティは慌てて木々を掻き分け、ブレイビロスが逃げた先へ声を張り上げる。
「バカッ、お前がいないとクッキー焼き場が困っちゃうでしょ! 戻ってこーい! 戻ってこーい!」
 返事はなく、風がひとつビュウと吹いた。
 あーあー、とナチュナチュが嘆く。
「ブレイビロスのやつ、歯医者サンから逃げるためなら、どこまででも行くぜ。よくオモチャの国まで逃げてきたのを見る」
「あーもう! ったく……お腹が空いたら戻ってくるかなぁ……」
 ティティががっくりとうなだれ、ナチュナチュがその肩をポンと叩く。
「ありがとう……」
 ティティはのろのろと顔を上げ、よろめきつつ脇に数メートル進んでいった。そこで糸のれんのように降り注いでいる蔓草を、さっと左右に掻き分ける。
「で、ここがハートルールーのハッピー・トイズの看板商品、ぶっ飛びクッキーを作ってるとこなんだけど……」
 奥には拓けた調理スペースがあった。
 そこには広い作業台が五台と、石で組まれたオーブンが二十機ほどあり、オモチャたちが暇そうに寄りかかっている。
「ブレイビロスが逃げちゃったから今日はお休みってワケ」
 ふぅ、と息をついてティティは肩を竦める。
「それでも試食は大歓迎! ほら、来て来て!」
 さらに奥にはレンガ造りの倉庫があり、扉を開くと、綺麗に箱詰めされたクッキーが積まれていた。
 つやつやとしたブルーの包み紙には、飛び交うクッキーが金の箔押しで描かれている。アクセサリーやファッション小物が入っていてもおかしくないような、おしゃれなデザインだった。
「はい、どうぞ!」
 ティティから小ぶりなクッキーボックスを手渡され、さっそくエバがビリビリと包み紙を破いた。
 ロロワもそれに倣って包みを解くと、宝石箱のようなクッキー缶が出てきた。中にはパッケージにふさわしいクッキーが入っているのだと疑いもせず、パカリと蓋を開ける。
 中身を目視するよりも先に、弾丸のように何かが飛び出してきた。チッ、と小さな音をたてロロワの頬を掠め、そのまま背後へ吹っ飛んでいく。
「——っ!」
 頬に触れると、切り傷ができていた。
 ぎょっとして振り向くと、謎の影があたりをビュンビュンと飛び回っている。
「え、な、なにあれ?!」
 ティティが「あーもう」と腕組みをしながらお説教をする。
「もう、これはぶっ飛びクッキーなんだよ? うかうかしてると飛んでっちゃう、ちゃんと捕まえなきゃ」
「そうですよ!」
 クッキーを両手に捕まえたエバがピョンと飛ぶ。彼女の手のなかにあるクッキーはただ大ぶりなだけで、市販のものと違うようには見えない。
「じゃあ次はちゃんと捕まえてよ……ハイ!」
 ティティがパカッとクッキー缶を開けた。
「っ!」
 ロロワは中からぶっ飛んできたクッキーを、持ち前の視力と反射神経で捕まえた。手のなかでジンジャーブレッドマンはしばらく暴れていたが、やがて観念したように静かになった。
「これ、本当に食べていいやつなの……? 」
「とーぜんです! はぐっ」
 エバは口いっぱいにクッキーを頬張り「んーっ!」と喜びの声をあげる。
 ロロワは恐る恐るクッキーの端に口をつけ、目を見開いた。
「美味しい!」
「でしょでしょ☆」
 ティティは嬉しそうにクルンとまわった。 
 カリカリのクッキーは焼きたてのような香ばしさで、バターの味が濃く、深い余韻が感じられる。そこにしつこさはなく、いつまでも食べていられる気がした。
 一口、二口、食べ進めるほど美味しくなっていくようだ。『ぶっ飛ぶ』という欠点を差し引いても、これが看板商品なのは納得だった。
 瞬く間に食べきってしまい、名残惜しい気持ちで最後の一口を嚥下する。
 そのとき、ゴンッ! と後頭部に激しい衝撃があり、ロロワの視界に星が散った。
「うっ?!」
 殴られた? えっ、なんで、誰に、どうして?!
 困惑するロロワに、ティティから「あ!」と軽やかな声がかけられた。
「飛んでったぶっ飛びクッキーは戻ってくるからご注意を☆」
「はやく言ってよ……」
 声を絞り出したのを最後に、ロロワの視界は真っ暗になった。

 真っ暗なところに、ざわめきが響いている。  
……オモチャの……の……トビラがあくよ……
   ……コドモ……の国の……トビラがあくよ……
 やがて音量ツマミをひねったかのように、小さなざわめきははっきりとしたメロディになった。

 しわくちゃ メチャクチャ オモチャなポルカ 
 わやくちゃ ハチャメチャ オモチャなポルカ

 オモチャの国の トビラがあくよ 
 コドモの国の トビラがあくよ

 ここに あるのは
 オトナが びっくりするもの ぜんぶ
 ぶっとびエアガン 泥んこピストル 
 寝たふり人形 落書きクレヨン

 ここに あるのは
 コドモが 大好きなもの ぜんぶ
 パックンアリゲーター ずる休み体温計
 冒険いっぱい 宝の地図!

 しわくちゃ メチャクチャ オモチャなポルカ 
 わやくちゃ ハチャメチャ オモチャなポルカ

 奇妙な歌に誘われて、ロロワが瞼をこじ開けると、すぐ前でラディリナが振り返った。
「あ、やっと起きたわね」
 どうやら気絶したところをラディリナに背負われていたようだ。
 ロロワはラディリナの肩にまわっていた腕を外し、慌てて地面に降りる。
「ごめん、重かったよね」
「軽すぎるくらいよ。もっと食べなさい」 
「う、がんばる……それで、ここは?」
 ロロワはあたりを見渡した。
 気絶する前までの、自然動植物園のような『お菓子の国』とは全く異なる光景だった。
 だだっ広い遊園地だ。
 頭上のスピーカーからは『わやくちゃ ハチャメチャ オモチャなポルカ♪』とテーマソングが流れ、無数のイルミネーションがビカビカと強烈に明滅している。
 すぐ近くには豪華な鞍の白馬がクルクルとまわるメリーゴーラウンド、その奥にあるのはきっとコーヒーカップだろう。
 さらにその向こうにはライトアップされた観覧車や、高いところから落ちていくローラーコースターが見えた。
 呆気に取られてロロワがぽかんと口を開けていると、目の前に臙脂色の影が飛び出してきた。
 クルミ割り人形のオモチャ、ナチュナチュだ。
「やっと起きたな、オトナ。ここは『オモチャの国』だ!」
 ナチュナチュは意気揚々と銃剣を掲げて足を揃えた。
「さっそく自己紹介をさせてもらうぜ。オレはナチュナチュ、クルミ割り人形ナッツ・クラッカーのナチュナチュだ、オモチャの国のエリアリーダー、強くて超強いナチュナチュ、よろしく!」
 剥き出しの歯をパカ、パカパカ、と開閉させ、怒鳴るように言い放った。
「残念だが、オマエが間抜けに寝てる間に恐怖スケアリーパズル・ジェットコースターも音速観覧車も過ぎちまった。くぅ~泣き喚く顔が見たかったぜ!」
 ナチュナチュは心底悔しそうに文字通り歯噛みする。
「だが、次はとっておき、今日の目玉だ! ワクワクドキドキオロオロしながらついてこい!」
 軍靴の音も高らかに行進するナチュナチュについて、ロロワたちは遊園地のメインストリートを行く。
 通りには、オーナメントで装飾された街路樹がずらりと植えられていた。樹高は低く、樹形は丸い。ゼンマイのようにクルリと丸まった葉が特徴的だが、ダークステイツ固有なのだろうか? 初めて見る品種だ。
 ロロワがバイオロイドだからか、知らない植物を見かけると遊園地のアトラクションよりも先に気になってしまう。
 思わず葉先に指を伸ばすと、丸まった葉がバネのようにピュッと伸び、ロロワの指先を軽く叩いた。驚いたロロワが指を引っこめると、元のバネ型に戻っていく。
 食虫植物のように、刺激で葉を反応させる種類なのだろうか。もう一度触ると、またピュッと飛び出して戻った。
 振り返ったナチュナチュが教えてくれる。
「そりゃ火吹き戻しパーティ・フレイムの木だ。見たことあるだろ?」
火吹き戻しパーティ・フレイム……?」
 ロロワは小さく首を傾げてしまった。
 はじめて聞いた単語だ。
「知ってる?」
 ラディリナとモモッケに問いかけると「いいえ」と二人とも首を横に振った。
 ナチュナチュはギョロ目をさらにめいっぱい見開き、両手を広げて「なんてこった!」と叫んだ。
「じゃあハト・クラッカーは? 引っ張るとハトがいっぱい飛び出してくる! ルーレット・ケーキは? 当たりを食べると一日ラッキーが続く!」
「知らないわね」
「ピィ」
 と、ラディリナとモモッケ。
 さらに大げさに「なんてこった!」とナチュナチュは絶望の表情になる。
「そんな可哀相なコドモがいたなんて! 今からでも遅くはない、さぁこれが火吹き戻しパーティ・フレイムだ!」
 ナチュナチュは木からゼンマイ状の葉が付いた枝を千切り、ロロワたちに手渡した。
「さ、吹いてみろ」
「ありがとうございます」
 吹き戻し——息を吹き込むと丸まった紙細工が伸びるパーティグッズ。たしかに、こうして間近で見ると火吹き戻しパーティ・フレイムの枝は形がよく似ている。
 ふと、ロロワの脳裏にかつての思い出が蘇った。
 オリヴィと旅をしているとき、お互いの誕生日が来たら、ささやかなごちそうと吹き戻しでお祝いしたっけ。
 切なさと懐かしさに胸を締めつけられたような心地になりながら、ロロワは火吹き戻しパーティ・フレイムに強く息を吹きこんだ。

 ボウッ!

 ゼンマイ状の葉が炎となって、まるで獣の舌のように伸びた。
「——っ!」
 思わず取り落としそうになったのをどうにか堪え、息を止めると、火は収まって元のゼンマイ状の葉に戻った。
 これは、つまり……
 驚きによって心臓がドキドキしているのを抑え、今度はそっと息を吹き込んでみると、ボウッと小さな炎が伸び、戻っていく。 
 火吹き戻しパーティ・フレイムから口を離しつつ、ラディリナは「なるほどね」と頷いた。
「伸びる紙細工が火になった吹き戻しってわけね」
「おう、すっげぇクールだろ?」
「えぇ、とっても」
 ラディリナは胸いっぱいに息を吸い込んで、一際大きな炎を作った。伸びていく火柱をしみじみと見つめ、さらに大きな炎をもうひとつ。
「ラディ、気に入ったの?」
 彼女がこの手のオモチャに興味を示すのは正直、意外だった。
 ラディリナは特に恥じ入った様子はなく、いたって真面目な表情で答える。
人間ヒューマンがドラゴンのように火を噴く方法ってないでしょう。クールよ」
「あ、そっか」
 魔術に秀でた者なら可能だろうが、大半の人間ヒューマンは自力で火を噴くことはできない。 
 ボウッ、ボウボウッ!
 ラディリナが夢中になって四方八方に吹いていると、突然ナチュナチュが飛び上がって火を遮った。
「あちちっ、ストップストップ! 木には向けないでくれ!」
「あ、ごめんなさい」
 ちょっと肌を焦がしたナチュナチュは、腰に手を当てラディリナに言いきかせた。
火吹き戻しパーティ・フレイムは外から強い火を浴びると、そっからぼうっと火柱があがって、どんどん他の枝にも燃え移ってくんだ。野生の火吹き戻しパーティ・フレイムに雷が落ちると、山ひとつ燃えるって話だぜ」
 思わずロロワは目を見開いてしまった。
「そんな物騒な木、街路樹にしていいんですか?!」
「大丈夫大丈夫! 枝から息を吹き込なきゃ自然発火はねぇし、ライターぐらいじゃ燃えねぇよ。だけどイタズラは勘弁してくれよ、ピュピュッイクン!」
「ピュイッ」
 心配されるなんて心外だ、というようにモモッケが鳴く。
「ノンッ、イタズラはコドモの特権だ、思うままにするといいよ!」
 と、様子を見守っていたハートルールーが口を挟んだ。
「まっかせてください!」
 『交換絵日記』の地図に赤いグルグルを描きこみながら、エバが物騒なことを言った。

 そうこうしているうちにロロワたちは目的の場所に辿り着いた。極彩色の大マントを持つ、サーカス小屋じみた建物だ。
 看板らしいものはなく、外からでは何のための場所なのか、わからなかった。
「——さぁ、今日のツアーの目玉だ」
 ナチュナチュが赤い緞帳じみた出入りのカーテンを上げると、ぬらり真っ暗闇が口を開く。
 そっと中に足を踏み入れると、来訪者に反応し、頭上でパッとネオン灯がついた。
「ようこそドール・ミラーハウスへ」
 そこは鏡に囲まれた空間だった。
 鏡の前に立つと、反射によって空間がどこまでも広がっているように感じられる。
 さらに鏡が凹面鏡、凸面鏡、波型鏡と多種多様に組まれているせいで、自らの姿が大きくも小さくも、滲んでも歪んでも見える。白目に浮かぶ毛細血管の赤が大写しで迫り、糸のように細くなった人影がこちらを睨む。
 悪夢のような幻想に、ロロワは眩暈を感じてたたらを踏んだ。
 それを悪趣味なネオンがビカビカと光って煽り立てた。
「おうおう、さぁワクワクドキドキオロオロしながら行こうじゃねぇか!」
 ナチュナチュがご機嫌にロロワの背中を銃剣で小突いた。
 ミラーハウス、というだけあって歪んだ鏡のどこか一方が空いていて迷路を成しているらしい。
 ふらつき、ぶつかり、それでもどうにかロロワが迷路を進んでいると、不意にナチュナチュが銃剣で迷路の先を指し示した。
「ほら、このミラーハウスでドールは出来てくんだ。見てみろ」
 それは小さな小さな紫色の光だった。千紫万紅の悪夢のなかで、風に舞う綿埃のように儚いひとすじが、ふよふよと漂い、ミラーハウスを進んでいるのだ。
 ナチュナチュは潜めた声で囁く。
「ドールの魂だ。あれが鏡に映ると……」
 ナチュナチュは抜き足差し足で光のあとをついていった。
 光が鏡の迷路を曲がり、一瞬姿を消す。ロロワたちも迷路を曲がって追いつくと、光が漂っていたはずの場所には、手のひらサイズの球体関節人形ドールがトコトコと歩いていた。
「——魂が形をもっていく」
 ドールのつくりは素朴なもので、顔はのっぺらぼう、雌雄の別もわからなかった。歩き方はぎこちなく、よろめき、つんのめり、鏡にぶつかり、倒れてしまう。
 それでもドールは立ち上がり、どうにか迷路を先へ先へと進んでいった。
 おかし・・・な光景だった。
 ひとつ、またひとつと迷路を進むたび、ドールは宝石が研磨されるように精細に形作られていく。
 髪はなめらかにウェーブしたブロンド、唇は血潮をひとしずく落としたように鮮やかな紅。
 ひとつ瞬きをすると、瞳が人工紫水晶アメジットに輝きはじめた。
 その中心、虹彩に浮かび上がったのは花の模様だ。ハートルールーと同じ瞳であり、そして——
「やっぱり、リリミさんとララミさんにそっくりだ」
 ぽつりとロロワが呟くと、傍らのラディリナも同意した。
「えぇ、私もそう思ったわ」
 花の模様はリリカルモナステリオで出会った双子のサーカス人形、リリミとララミの瞳に酷似していたのだ。
「もしかして——」
 ロロワが予想を述べるよりも先に、背後からハートルールーの声がかかった。
「おやおやっ、オトナたちはリリミとララミを知っているのかな?」
「はい。やっぱりリリミさんとララミさんは、この街出身だったんですね」
 よくよく見れば、片方ずつリリミララミの頬に刻まれていたハート模様も、ハートルールーの首筋に描かれているのだった。
「そう! 10年ほど前になるかな。サーカス団で主演人形プリマ・ドールになるのだと貰われていったのを覚えているよ。彼女たちは今元気かな?」
 ロロワは、リリミとララミについて知っていることを話した。
 サーカスで用済みとされた二人がタマユラに出会い、彼女のために過ごしていること、タマユラの病気は治ったこと——
 そこまで語ったところでロロワはぎょっとしてしまった。
「えっ?!」
 ティティとナチュナチュが滝のような涙を流して泣いていた。
「そのタマユラ様って人は素晴らしい人だねぇっ」
「リリミとララミは素晴らしい人に拾って貰えたんだねぇっ」
「は、はい」
 あまりに迫力のある泣き方なので、話しているロロワの方がたじろいでしまった。
 ティティがズビビッ、と鼻をすすりあげる。
「ねぇオトナ、オモチャにとって何が一番辛いことかって、わかる?」
「い、いえ——」
「まだ遊べるのに捨てられちゃうことだよっ!」
 ナチュナチュもそれに「あぁ」と同意して、
「もちろん壊れるのは自然なことだ。理由があってゴミになるなら、オレたちだって腹ァくくるさ。だが、まだ遊んでもらえる身体だってのに、そこらの地べたの上に、川ン中に、サーカスの隅っこに、うち捨てられるのだけは我慢がならねぇのよ」
『それをタマユラ様は救ってくれた!』
 ティティとナチュナチュは感極まったように声を合わせる。
 ハートルールーは微笑んだ。
「あの彼女にも、そんなあるじが出来たら素敵だろうね」
 慈愛に満ちた視線の先では、生まれたてのドールがトントトトン、トントトトンと歩いていた。
 すっかり身体は出来あがっているが、ひとつ問題があるようだ。
 生まれたばかりの彼女は何も身につけておらず、頭のてっぺんから爪先まで、美しいところ全てがあらわになってしまっていた。
 ドール自身は特に羞恥心を感じないようで、トンッ、と軽やかに飛んで、次の場所へと進んでいった。
 この先に衣装室でもあるのだろうか?
 鏡の迷路が終わり、ベロアのカーテンに囲まれた一室に入った。
 すぅ、とドールの姿を追うようにして、スポットライトめいた照明がつく。
 その光に照らされて、部屋の様子が浮かび上がった。
 そこにあったのは、ドレスが並ぶ重厚なワードローブでも、ネックレス煌めくガラスキャビネットでもなかった。
 静まり返る部屋の真ん中で、存在感たっぷりに鎮座しているのは直径5メートルはありそうな巨大な二枚貝だった。
 子どもたちが好むようなファンシーなデザインの貝ではなく、食用のためそこらの浜で採られるような、白茶けた貝である。
 それが水槽もないのにドンと置かれている。
「あいつは貝気楼シェルラージュ、ここの仕立屋テイラーだ」
 声を潜めてナチュナチュは説明した。
 貝が仕立屋テイラー
 ロロワが怪訝な視線を向けるなか、生まれたてのドールはおずおずと巨大貝の前へと進み出た。
『チャチャチャッ』
 貝は軽やかに鳴き、迎え入れるようにゆっくりと開く。
 貝殻の裏は鏡になっており、ありのままのドールの姿を映していた。一糸まとわぬ、生まれたままの恰好だ。
 それが雨だれの落ちた水面のように揺らぎ、鏡の内から溢れたまばゆい光によって白く染まっていった。
 光が収束すると、そこにはドールの裸身とは別の鏡像が映し出されていた。現実をそのまま写し取るただの『鏡』においてはありえない光景だ。
 コクリ、とドールがひとつ頷く。
 それに応えるように、大貝の出水管からゆらゆらと霞があふれてきた。
 霞はオーロラめいた彩色を帯びながらドレープを描き、ドールを柔らかに包みこんでいく。
 やがて、リボンを解くように群靄が晴れると、ドールは華やかなネイビーのドレスを身にまとっていた。
 ドールは喜びの花束を満面に咲かせ、トトトンとステップを踏む。
 それは鏡に映し出された姿と完全に一致していた。
「普通の貝気楼(ルビ シェルラージュ)は、ホントはあんなにデカイオモチャじゃねぇんだ。こんぐらい」
 ナチュナチュは腕を広げて、ロロワの手のひらほどのサイズを示す。
「遊び方は、鏡を覗きこむだけ。そうすると、なりたいカッコ、夢のカッコの自分が映るってワケだ。お姫様、騎士、なんでもござれ。ワクワクするオモチャだろ?」
「夢を映す鏡……子どもは好きでしょうね」
 ラディリナが賛意を示す。
「だが、あいつはただの貝じゃなかった……ただなりたいカッコを映すんじゃなく、本当にそのカッコになれちまう、特別な貝気楼シェルラージュだ!」
「あぁ、だからあのドールの服が変わったってわけね」
「よし、ここでクイズだ。なんであいつが特別な貝気楼シェルラージュになれたのか、わかるか?」
「突然変異?」
 とラディリナ。
「違う、夢がねぇな!」
「えぇと、じゃあ……食べ物が特別だった?」
 ロロワが答えると「違う違う!」とナチュナチュは激しく横に振った。
「あいつにはでっかい夢がある。でっかい夢があいつの身体をでっかく、特別にしたんだ!なにせ、いつかドラゴンになるってスゲェ夢があるんだからな !」
「貝なのに?」
 率直なツッコミがロロワの口から飛び出した。
「貝とドラゴン、種族が違いすぎるでしょ」
 ラディリナもロロワと同じ感想を抱いたようだ。
 カタチも、翼も、身体の質感も、生きていく場所も、何もかも異なっている。
 貝がドラゴンならば、ロロワだってドラゴンである。
 的外れなツッコミをしたつもりはなかったが、ナチュナチュとティティ、そしてハートルールーまでもが「わかってないな」というように首を横に振った。
「あのなぁ、ここはおかし・・・なオモチャの国だぜ。どんなおかしな夢だって願えば叶うんだ」
 これだからオトナはダメなんだよな。
 そう考えているのが露骨に滲む口ぶりに懇々と諭され、ロロワはたじろいでしまった。
「そ、そうですよね」
「わかりゃいいんだよ」
 フン、とナチュナチュが鼻を鳴らす。
 空気を切り替えるように、ハートルールーがパンッと手を鳴らした。
「せっかくだ、エバチャンとピュピュッイクンにも貝気楼シェルラージュを体験して欲しいな。エバチャンも、そのモコモコの一張羅は飽きたろう?」
「!」
 エバの目がキラキラと輝く。しかしオブスクデイトが手刀で割って入った。
「辞退する。こいつに自由にさせたら、服が消えるだけだ」
 エバはふくれっつらになった。
「ぶぅ、バレちゃいました」
「……と、いうと?」
 ハートルールーが尋ねると、オブスクデイトは眉間に深い皺を寄せた。
「こいつは服の類すべてを嫌っている。どうにかこれを着せているが、今も脱ぐ機会を伺っている」
「だってだって、走りにくいんです! モモッケだって着てないのにおかしいです! ハートルールー!」
 エバは哀れっぽい涙目でハートルールーに縋りついたが、男はゆっくりと首を横に振った。悲しげだが、断固とした拒否である。
「ホゴシャが言うなら仕方がないよ、エバチャン。ワタシはコドモが大好きだけど、大好きだからこそ甘やかしてばかりではいられないんだ……エバチャンのお腹がアイスみたいに冷えてしまったら辛いから……クッ」
 ハートルールーは涙を堪え、俯いた。
 すぐに顔を上げる。
「じゃ、着替えるのは止めにして、貝気楼シェルラージュの鏡だけ使おう。みんなのステキな夢を見せてくれたまえ」
「びゅーんっ!」
 ハートルールーの台詞が終わらないうちにエバが走り出す。
 貝気楼シェルラージュの前に立ってモコモコの右手をあげた。
「エバちゃんがいっちばんです!」
『チャチャチャッ』
 貝気楼シェルラージュはエバに応え、ピカッと眩い光を放った。
 鏡面に映ったのは、子どもがクレヨンで描いたような絵だった。
 金色のツインテールが恐らくエバで、黒でぐちゃぐちゃに塗り潰された生き物がオブスクデイトだろう。エバの周囲にはカラフルな色合いで星やハートマークが沢山描かれている。
「これは?」
 ハートルールーが問いかけると、
「ふぁいあ・れがりす、です!」
 エバは元気いっぱいジャンプした。
 ハートルールーは曖昧に首を傾げたが、すぐに満面の笑みになった。
「エバチャンの宝物かな? ステキな夢だね!」
「エバは、ふぁいあ・れがりす、をたっくさん知るんです」
「うんうん。エバチャンならきっと出来るとも!」
 次に鏡の前に立ったのはモモッケだ。
 すると、貝気楼シェルラージュは生まれたてのドールやエバと相対したときとは全く違った反応を見せた。
『チャチャチャチャチャチャチャッ!』
 5メートルもの巨体でもって、ピョンピョンと跳ねたのだ。見かけは軽快だが、ズドッシン! ズドッシン! と強烈な地響きがあり、建物そのものがミシミシと鳴った。
「ピュイッ?!」
「な、なんなの?」
「あぁ、照れてンだよ」
 ナチュナチュはさらりと事もなげに言う。
「コイツは生まれてこのかた、オモチャの国から出たことがねぇんだ。オモチャのドラゴンならいくらでも見られるが、本物のドラゴンは初めてでな。そりゃあ、照れもするだろうよ。ん……なんだ?」
 チャチャチャチャ、と貝気楼シェルラージュがナチュナチュに耳打ちする。ナチュナチュは力強く頷いた。
「今まで見たどんなオモチャドラゴンより強そうでカッコイイ、だってよ!」
「当然ね」
 なぜかラディリナが自慢げに胸を張った。
 そんな一幕がありつつも、モモッケは貝気楼シェルラージュの前に立った。
 ピカーッ! と真っ白な光があたりに満ちる。
 鏡に映し出されたのは、巨大な翼を持つフレイムドラゴンだった。
 天を覆うように開かれた羽は赤々と燃え盛る真火のよう、神性さえ感じられるその姿は、まさしく至高のドラゴンを名乗るに相応しい佇まいだった。
 威風堂々たるフレイムドラゴンは、荒野に押し寄せる万の敵を睥睨し、一歩も引くことなくあぎとを開けている。
 ハートルールーは猛烈な拍手をした。
「おぉー! 素晴らしい夢だ! ピュピュッイくんは必ず素晴らしいドラゴンになるに違いないよ!」
 モモッケが戻ってきたところで、ラディリナが控えめに手を挙げる。
「私もいい?」
「……まぁ、別にオトナが使っても問題はないよ。問題はね」
 ハートルールーは露骨に興味をなくしている。
 ラディリナが鏡の前に立ち、映し出されたのは、今より二歳ほど大人びた姿だった。
 背は少し伸び、華奢で未成熟な今よりしっかりとした体つきになっている。頬の丸みは落ちて、まなこにはドラゴンの火を思わせる炎華が燃えていた。
 その全身には烈火の闘志がみなぎり、構えた剣を振り下ろさんとしている。
 ラディリナの未来として、これ以上ない姿だとロロワは思った。いかなる時でも鍛錬を欠かさないラディリナは、きっと鏡に映る彼女のような勇ましいドラグリッターになることだろう。
 しかし、ハートルールーはそうは思わなかったようだ。
「はぁ~……」
 場のムードをぶち壊しにするほどの、大きな大きな溜息を響かせた。
「……なに?」 
 ラディリナの声が棘を帯びる。
 ハートルールーはまるで悲劇の舞台に立つ道化のように両腕を広げた。
「つまらないつまらないつまらない! なーんてつまらない姿! これだからオトナは!」
 ハートルールーは鏡に歩み寄り、そこに映る『ラディリナの夢』を、指の背で乱暴に叩く。
「想像力がない、つまらない現実主義者! 騎士を目指すのなら、世界を救いたくはないのかい? 伝説の剣を手にしたくはないかい? 億の軍勢を率いたくはないかい? ハッ! 実現可能な現実的未来にしか手を伸ばせないキミは、だからオトナなんだ!」
「……っ!」
 ラディリナはとっさに言い返すことができず、悔しそうに唇を噛みしめる。
 やがてチッと舌打ちをひとつして、彼女が目を向けたのは片隅で気配を完全に消しているオブスクデイトだった。
「なに他人事みたいな顔してるのよ、あなたも立つのよ!」
「…………」
 しかしラディリナに押されようが引っ張られようが、オブスクデイトは腕組みをしたまま巌のように動かなかった。
 ラディリナがオブスクデイトの脛を蹴っ飛ばす。
「晒しなさいよ、あなたの夢。笑ってやるわ」
「…………」
 男は無言で目を閉じた。
 そこにナチュナチュが叫ぶ。
「行け、貝気楼シェルラージュ!」
『チャチャチャ!』
 ドッスン!
 その巨体に見合わぬ軽快な動きで貝気楼シェルラージュが飛び上がり、オブスクデイトの前に着地する。
「……っ!」
 オブスクデイトが避けるよりも先に眩い光が放たれた。
 正直、気になる。全員の視線が鏡へと向かう。 
 ラディリナは眉根に皺を寄せ、怪訝な声を漏らした。
「……石?」
 鏡に映ったのは人ですらなく、ヤシの実ふたつほどの小岩だった。
 自然の中で円磨されたようで丸みを帯びているが、岩肌は粗い。それが、まばらに雑草の生えた地面にぞんざいに置かれている。
 その様形に既視感を覚え、ロロワは思案に目を細めた。
 記憶の糸を手繰りよせ、思い出したのはケテルサンクチュアリの山村で見た光景だ。
 魔物の近づくあの村で、人知れず草むらのなかに埋もれ忘れられた、あれはきっと——

「——ワタシはすべての夢を否定しないよ」

 突然、声を張り上げたのはハートルールーだった。
 子どもを褒めているときとも、大人をなじっているときとも違う、露骨な嫌悪と憎悪に満ちた声。
「帽子になりたいオトコノコ、雲になりたいオンナノコ、ぜーんぶとってもステキな夢だ。矮小なオトナの夢だって、くだらないがドブに捨てるには惜しい代物だろう。だが!」
 コツコツコツ、足音高くオブスクデイトへと歩み寄り、至近距離で男をねめつける。
「オトナ、オマエの夢は最悪だ。この世で最も恐ろしい、口にするのもおぞましい夢だ。アァッ! エバチャンにとって、ホゴシャは大切だと言ったけど、ワタシは全身全霊で前言を撤回しよう。このオトナはエバチャンの害となる!」
 半狂乱の絶叫を浴びながら、オブスクデイトの表情は動かなかった。
「それで、どうする」
 ハートルールーは紅をひいた唇を歪め、ステッキを握る手に力を込めた。
 見開かれた人工紫水晶アメジットの瞳が、恍惚として異様に光っている。
「ここでは、どんなおかしなことも起こる。オトナが跡形もなく消えてしまっても、おかしくないのさ」
 オブスクデイトは携えた大剣の柄に手をかけた。それが威嚇でないことは、この場にいる全員が理解している。
 息さえ憚られるような緊張のなか、ロロワは天井を仰ぎたい気分だった。
 マズい。
 が、ロロワではどう手出しをしていいものかわからない。傍らに視線を走らせると、ラディリナとモモッケもただ硬直し身動きをとれずにいる。
 下手に動けば血で血を洗う三つ巴のできあがりだ。
 そういえば諍いの原因はエバなのに、どうして二人に何も言わないのだろう……?
 救いを求めて左手に視線を向けたロロワは、思わずぽつりと呟いた。
「……エバさんがいない?」
 静まり返った場に、その声は明瞭に響いた。
 途端、緊張の糸がふつりと切れ、ハートルールーはぱちくりと瞬きをした。
「ん?」
「…………」
 オブスクデイトも視線をハートルールーから外し、面をエバがいた方へと向ける。
 いない。
 長い髪も、モコモコの服も、影も形も残さず消え失せている。
「ティティ、エバチャンがどこに行ったのか見たかい?」
「ううん」
「ナチュナチュ?」
「いいや」
 二人は全力で首を横に振った。
 ロロワたちは慌ててドール・ミラーハウス内を探し回ったが、やはりエバの姿はどこにもなかった。
 外に出たハートルールーは深呼吸をするように胸を膨らませ、平常を装った微笑を浮かべた。
「よし、落ち着こうか。迷子放送をかけよう、それで戻ってきてくれれば問題ナシだね!」
「そんなの、エバチャン絶対聞いてくれないよっ!」
 ティティが悲壮な声をあげる。
「それは、そうだね! “工場のオモチャたちへ、エバチャンが行方不明、エバチャンが行方不明、見つけ次第即刻保護すること!”」
 耳元の無線機にハートルールーが告げると、道を行き交っていたオモチャたちは騒然として、鋭い声をあげながら走り出した。
「エバチャン!」
「エバチャンが!」
 彼らの大騒ぎは、ロロワの目には奇妙なものに見えた。
 幼い振る舞いをしているとはいえ、エバのカタチは大人であり、身体の能力も一般的な大人と遜色ないだろう。
 そこまでして必死に保護する必要があるだろうか?
 ロロワの甘い考えは、ハートルールーの目にはお見通しのようだ。
 まるで剣を突きつけるかのように指を指された。
「コドモは一瞬たりとも目を離してはいけないんだ! その一瞬でソーダ・リバーに溺れたり、パンダ・カーに轢かれたりするんだよ! 特にエバチャンは!」
 かつての事件を思い出したのか、ハートルールーはワナワナと指を震わせている。
 そこまで言われてロロワは、ようやくことの重大さを理解した。
 エバのぱっぱと走る機動力があれば、一瞬にして100メートルでも200メートルでも遠くに行ってしまうだろう。
 その勢いのまま危険な場所に突っ込む姿は容易に想像できた。
「僕も探します」 
 ロロワは植物プラントを出すため力をこめる。
 二体を出したところで、右方に立つオブスクデイトが、何やら板状の物に触れていることに気づいた。
 液晶端末だ。20センチ四方ほどの大きさだが、男の手にあるととても小さく見える。
「それは?」
 ロロワが問いかけても、男からの返答はなかった。  
 端末から顔を上げ、右前方を指し示す。
「——あっちだ」
 エバが見つかったのは、そこから2区画進んだコーヒーカップの上だった。
 アトラクションを覆う天幕のキラキラとした照明によじ登り、落ちそうになり、あわやと言うところでオブスクデイトの手がエバのモフモフコートを引っ掴んだ。
「あ、オブオブ!」
 空中で身体をぶらぶらさせて、エバはピカピカの笑顔を咲かせた。
「…………」
「あれ、きっとハートルールーの秘密ですよ! キラキラです!」
 オブスクデイトは眉間に深い皺を刻み、エバを引っ掴んだままロロワたちのところへ戻ってきた。
 迷いのない足取りでエバを見つけたオブスクデイトに、ロロワは問いかける。
「どうしてわかったんですか?」
「測位装置をつけてある」
「そくいそーち? そくいそーちってなんですか?」
 エバが興味津々で身を乗り出した。
 白いフードをオブスクデイトが剥ぐと、髪の結び目で蝶の銀細工が光っていた。
「これで位置を追わなければ……こいつは日に3度死ぬ」
 レティア大峡谷よりも深い眉間の皺には日々の苦悩が窺える。
 ロロワは思わず労いの言葉をかけてしまった。
「お、お疲れ様です……」
 この人、案外面倒見がいいタイプだな、とロロワは思う。
 エバの髪飾りの中心にはつやつやとしたカボションカットの宝石が留められていた。その朝露の滴りを思わせる碧色に、何か引っかかるものがあるらしくラディリナは考えこんでいたが、やがて「あ」と声。
「似たの、私も持ってるわ」
 懐から取り出したのは、蝶をかたどった銀細工の髪飾りだった。中心にはエバの物とよく似た碧色の宝石がついており、同じデザイナーによるものと見て間違いないだろう。
 一瞬にしてオブスクデイトの瞳が冷える。
「これは誰に?」
「テグリアに貰ったのよ。デザインがもう好みじゃないから……って言って……」
 言葉を紡ぐなかあいから、ラディリナの瞳が見開かれていく。
「……私たちを追跡するために?」
「いや、あいつには出来ないはずだ。この測位装置は……」
 寸刻考え込んだオブスクデイトは、やがて何ごとか合点がいったように唸った。
「あぁ、そうか・・・
 オブスクデイトは、ラディリナの髪飾りに手を伸ばす。
「——寄越せ」
 荒い手つきで取り上げ、懐に突っ込んだ。
「ちょっと! 説明しなさい!」
 ラディリナがオブスクデイトに詰め寄った、そのときだ。

 ウゥウゥゥゥゥゥゥ——! 

 あたりに強烈なサイレンが鳴り響き、頭上のスピーカーから絶叫が聞こえてきた。
『侵入者あり、侵入者あり、お菓子の国 第4エリアから侵入者あり! オトナのエルフ が一名! オモチャの国へと侵攻中!』
 
 オトナ!
 オトナ!
 オトナ!

 オモチャたちが殺気立ち、武器らしき物を手に立ち上がる。
「…………」
 オブスクデイトは無言のまま、確信めいた目つきであたりを睥睨した。
 突然の騒音にパニックになったのはエバだ。
「なに、なんなんですかっ?!」
 オブスクデイトはアワアワとしているエバの頭を鷲掴み、ラディリナへと押しつけた。
「こいつを連れて行け」
 男は返事も待たずに踵を返すと、強く地面を踏み込んだ。遊園地の影の中へまたたく間に消えていく。
 その背中に向かい、ラディリナは叫んだ。
「何をするつもりなの!」
 応えはなかった。
「どうする?」
 ロロワの問いかけに答えるラディリナに逡巡はなかった。
「侵入者が来たんでしょう。行きましょう」
 このオモチャたちの国を守りたいと思ったわけではない。もし侵入者が自分たちのように意図せず入ってきてしまったオトナであれば保護すべきだし、何かしらの危害を及ばさんとして侵入しているのであれば迎撃するだけ。
 この工場には何の思い入れもないが、少なくとも『コドモのために』という理念に嘘はない。
 生憎、ラディリナはオモチャやお菓子と縁遠いまま大人になってしまったが、きっとこの工場で造られるオモチャやお菓子を待つ子どもは多いのだろう。
 侵入者を迎撃する理由は、それだけで十分だ。

 オトナ!
 オトナ!
 オトナ!

 殺気立つオモチャたちと共に、駆けつけたのはふたつの国の境に立つゲートだった。スカイブルーのアイアンアーチの向こうには、広大なお菓子の動植物園が見えている。
 はたはた、と三角形の小旗のなびくゲートの下で、直立する影がひとつ。
 何が『あいつには出来ないはずだ』よ、とラディリナはオブスクデイトに向かい内心で毒づいた。
 真白き鎧を身に纏い、清廉なる大剣を帯びたその姿は、軽快な園内ミュージックやファニーな背景から酷く浮いている。
「お久しぶりです、皆さん」 
 女が嗤った。
 笑み細めた瞳を、滅紫の憎悪に燃やして。

 *

 園内に、警報が鳴り響いている。

 オトナ!
 オトナ!
 オトナ!

 オモチャたちは殺気立った声をあげ、手にした武器をガチャガチャさせながら、どこかを目指して走っていく。
 恐らく、そちらから侵入者が入って来たのだろう。
 オモチャたちはオブスクデイトにも殺気のこもった視線を向けてきたが、「エバチャン!」と叫ぶと、特に攻撃を加えること無く横を通り過ぎていった。エバのホゴシャとして情報は共有されているようだ。
 やがてオブスクデイトが辿り着いたのは、遊園地内の広場だった。いつもならばショーが行われる場所だが、オモチャたちはすべてオトナ退治に向かっているため人気がない。
 歯医者から逃げてきたらしいブレイビロスだけがポツンと観客席に座っているだけだ。
「ボボボ、おなか、ペコペコだよ……ボボ……」
 足早にその脇を通りすぎながら、オブスクデイトは思案を巡らせた。
 アラートが鳴りオモチャたちがそちらに向かったということは、侵入者の存在がオモチャの兵隊なり警報装置なりに補足されている、ということだ。
 ラディリナに測位が渡った経緯がオブスクデイトの予想通りなら、ありえない・・・・・
 ならば、この侵入者騒動にも意図があるのだろう。
 人目を引きつけるためだろうか。
 囮を出して現場を霍乱しターゲットを狙う、というのは珍しくない手だ。ターゲットは騒動に狼狽えているうちに主戦力の手にかかる。
 安い思惑に乗ってやるほど、オブスクデイトは甘くはなかった。
——そこに、ふっと。
 常人では気づけぬほど幽かな気配があり、男は大剣を向ける。
 声が、こぼれた。

「——あぁ」

 11年が経った。
 夜闇は絞首縄のようにオブスクデイトを締めあげ、一夜たりとも男に安息を許さなかった。
 そのあまりに長い年月も、エルフの長い人生においてはごく短い期間にすぎないのだろう。美しいかんばせも、つややかな亜麻色の髪も、記憶と寸分違わぬものだった。
 かつての地位など失って久しいというのに、オブスクデイトは身の程知らずのノスタルジアに口を開く。

「久しいな、モーダリオン」