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小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第4章 歌が聴こえる

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第4章 2話 慈悲深き者

 声をかけられたことによってようやく気づいたのか、異形頭の男はケイオスへと顔の正面を向けた。
 目も耳もないが、一応は前後の区別はあるらしい。
「あぁ、ケイオス。君ですか」
「君ですか、だって? なんてそっけない反応をするんだい。君と私の仲だ、感涙にむせび泣いてくれてもいいじゃないか」
「なるほど、少々お待ちを。“えーん”。いかがですか?」
「はははっ、5点!」
 ケイオスは馴れ馴れしい動きで、異形頭の男のシルクハットを取った。
 指先でクルクルと回しながら、男の肩に腕を回す。
「というか、君はどうして斬られていたのかな? 見つけたときは、思わず笑いが止まらなくなってしまったよ」
「私はグランドグマに仕える者。争いを望みません」
「ふーん。それだけにしてはずいぶんと居心地が良さそうだったけどねぇ。成れの果ての大志は、タルトのように甘かっただろう?」
「えぇ、蕩ける夢のように」
 そこでケイオスは、ようやく思い出したようにロロワへと視線を投げた。
「あぁロロワ少年、蚊帳の外にしてすまないね。私の友人を紹介しよう! 彼はサクリファイス・グラス。チャームポイントは4本の腕、お風呂では右下腕から洗う派」
 シルクハットを戻しながらケイオスが適当なことを言うと、サクリファイス・グラスはひとつ首を振った。
「左上腕からですよ」
「おっと、失礼。ちゃんと記しておかないと」
 ケイオスが取り出したのは黒い背表紙の本だった。
 ペンで何やら記していく。
「左上腕から、と……——そうだ!」
 ケイオスは本から顔をあげ、何ごとか思いついた様子でクルッとペンを回した。
「これもいい機会だ。ロロワ少年、 “私と彼女”の昔話をしようじゃないか。君には私のことを知ってほしくてたまらないんだ。——“時よ、奔流のごとき時よ。欲望の記録デザイア・レコード”」
 ケイオスの手からふわりと書物が浮き上がり、開かれた紙面からはまばゆいほどの光が溢れ出した。
 その光を顔に受けながら、ケイオスは讃美歌を口にするように言葉を紡いでいく。
「さて遡ること3000年前、あぁ、この惑星に力が満ち満ちていたあの時代。ダークゾーンの辺境に私は生まれた。あぁ、無慈悲なるダークゾーン。強きは弱きを食らい、弱きは強きの寝首を掻く、素晴らしきダークゾーン!」
 光はねじれ、絡み合い、やがて虚空に光の像を結んだ。
 そこに映し出されたのは紫色の瘴気漂うダークゾーンの街並みだった。
「私は弱かった。できることといえば……あぁ、人の夢を少しばかり覗く・・ことだけ。しかしどれだけパンの夢を見ても腹は膨れない。生きるためにどんな悪いことでもしたよ、あぁ、泣いてしまうね」
 ケイオスはわざとらしい仕草で鳴き真似をしたが、すぐにパッと顔を上げる。 
「やがて“グランドグマ”と呼ばれことになる彼女も、私と同じように酷く腹を空かせていた。彼女は“自らの夢を現実にする”という素晴らしい力を持っていたけれど、可哀相に、恵まれない彼女は真っ黒な悪夢しか見ることができなかったんだ。悪夢から生み出されるのは虫のたかったパンと、飲めるはずもない泥水だけ!」
 虚空に映しだされた“夢”のパンは崩れ、ケイオスの指の間から落ちていく。
「しかし私は彼女の夢に触れることができた。夢はいくつものパンとなり、ワインとなった。弱い私たちは身を寄せ合い、誓ったんだ。この呪わしい世界を変え、同じように苦しむ人々を救うとね」
 虚空には、地べたを這いずる人々の姿が映しだされている。
「道のりは平坦ではなかった! 出る杭は打たれ、私たちの無垢な想いを利用しようとする輩は引きも切らなかった。しかし私たちは足を止めず、賛同者たちはゆっくりと増えていった。彼らの喜ぶ顔、それが私たちの生きがいになっていった」
 ケイオスはまるでオーケストラを指揮するように手を振るう。
 宙に赤い魔力を帯びた光がまたたき、映ったのは鮮やかなマゼンダピンクのヴェールを纏った女だった。
 尖った爪紅も、禍々しい棘をつけた後冠も、等しく目奥に染みるほどのマゼンダピンクだ。

Illust:匈歌ハトリ

「そうして彼女は“偉大なるグランドグマ”と呼ばれるようになり、彼女を信じる人々によって奉られるまでになったんだ。しかしそこに決定的な出来事があった——無神紀の訪れだ」
 酷薄な笑みを浮かべていたグランドグマの像は、キャンディが熱にとろけるようにどろどろと崩れていった。
「魔力は急激に力を失い、我々もその運命から逃れられなかった。グランドグマはそれでも哀れな信奉者たちを救い続けていたが——ついに彼女は敵の魔の手にかかり、長い長い眠りについたんだ。やがて訪れる美しい未来に想いを馳せながら……」
 地面に這いつくばって嘆き悲しむ人々の姿が映っていたが、やがて一人、また一人と立ち上がっていく。
 彼らが向かう先に立っていたのは——サクリファイス・グラスだった。サクリファイス・グラスは彼らへと、なにやら食べ物を差し出した。
 パイだった。マゼンダピンクのベリーがたっぷりと入ったパイだ。
 それを口にした瞬間、人々の身体はキャンディのようにとろけ、形を失っていった。
 とろけた人々はサクリファイス・グラスのガラス球に吸いこまれ、眠りに落ちていく。
「グランドグマが眠りについたあと、彼女の信奉者たちは魔力を捧げ、共に眠りにつく道を選んだんだ。なんと健気な献身だろうね!」
 ケイオスは『現実』のサクリファイス・グラスの肩に腕を回し、4つ並ぶガラス球のうちのひとつを指先でコンッと叩いた。
 目を凝らし、ロロワは気づいた。 
「——っ」
 満ち満ちるマゼンダピンクのうちにはぎっちりと人々が詰まっている。
 男がいる、女がいる。
 子どもがいる、老人がいる。
 ヒューマンがいる、エルフがいる、ドラゴンがいる。
 誰もが薄く微笑んでいる。
「見てご覧、なんて美しい寝顔だろう? 哀れな彼らは、ただ幸せに眠っているだけなんだ。いつかグランドグマが蘇るその日を夢見て、母の胸に抱かれるように静かに——そう、彼女たちもね」
 テグリアとメープルは、折り重なるようにしてマゼンダピンクのうちで瞼を閉じていた。
「可哀そうに、騎士テグリアは仇討ちを果たせず、魔法石に心を飲まれてしまった。しかしグランドグマなら彼女の夢を叶えられるとも。素晴らしいと思わないかい?」
 浮かれ調子のケイオスだが、ロロワはぐっと声を低くした。
「——2人を解放しろ」
「おや、私の話が聞こえていなかったのかな? 言っただろう、彼女たちが眠っているのはグランドグマの復活を待つためなんだ。さぁ哀れな人々に万雷の言祝ぎを、グランドグマの復活は間もなく!」
 ケイオスの声はいっそう熱を帯び、身振りにも力が入っていく。
「最後に必要なのはただひとつだけ、おびただしい力を秘めたもの——ロロワ少年、そう“君”だ!」
 ケイオスはロロワに向かい手を差し伸べた。
「君さえ望めば、3000年の不幸も、苦しみも、“夢のように”消えてなくなり、この世界には慈悲に包まれる。君はメープル少女と騎士テグリアの悲願を叶える存在なんだよ」
 ロロワはゆっくりと首を横に振った。
 ケイオスの言葉が真実ならば、もちろん素晴らしいことが起きるのだろう。
 しかし“悪魔”は優しい笑顔と達者な口で人を誑かす。この男を信じてはならないと直感が告げていた。
「ロロワ少年、さぁ願いをどうぞ。グランドグマはすべての夢を叶えてくれる。飢えることのない明日、心優しいパートナー、無念のうちに死んだ家族! ——君が望めばすべてが手に入るんだ」
「——ケイオス」
 と、不意に話を遮って、サクリファイス・グラスが声をあげた。
「何だい、今とても良いところだったじゃないか」
 話の腰を折られたケイオスは、唇をちゅんと尖らせた。
「私はまだ君の荒唐無稽なお伽噺を聞かなくてはいけないのですか?」
「人聞きが悪いな。私の話のどこが荒唐無稽なお伽噺だっていうんだい。友人の君でも言って良いことと悪いことがある!」 
「どこが、ですか……」
 サクリファイス・グラスはそう呟き、わずかに逡巡する様子を見せた。
 まるで、どこから指摘したものか、あまりに多すぎてとっさに選べずにいるかのようだった。
「グランドグマが哀れな人々と同じく、地上で生まれ育ったという事実はありません」
 ケイオスは「いけない」というように目を軽く見開いた。
「あぁ、失礼。そうだったそうだった」
 サクリファイス・グラスは蕩々と続ける。
「親愛なる生贄の皆様が、グランドグマの復活によって目を覚ますこともありません」
「確かにそうだねぇ」
 ケイオスは羽よりも軽やかに頷く。
「そして君は哀れな人々に慈悲を与えたいなど欠片も思ってはいないでしょう」
「うん」
 目を細めるそのかんばせには、柔らかな慈悲が浮かんでいた。
 すぐにそれを崩して、サクリファイス・グラスの背中をバシバシと叩く。
「でも“夢みたいに”泣けるお伽噺だっただろう?」
 ハハハハハハハ!
 目じりに涙さえ浮かべてケイオスは笑った。
 指先で涙を拭い取りながら、「あぁそうだ」とサクリファイス・グラスに目を向ける。
「そうだ、聞いたことなかったね。君の欲望も聞かせてくれないか」
 上機嫌なケイオスとは真反対に、サクリファイス・グラスは機械的に答えた。
「“グランドグマ”をこの世界に顕現させること、それだけが私の欲望のぞみです」
「ハハハハッ! つまらないねぇ。私と同じだけ・・・・・・退屈だ」
 ケイオスは瞳を細く歪めた。
「ならば、この退屈を夢で侵さなくてはね。——ミカニ?」
「はい」
 後ろに控えていたミカニは静かに答える。
「ロロワ少年を私に献げてくれるかい?」
「……貴方のご意志のままに」
 ケイオスは、遥かなる天を仰ぐように両腕を広げた。

「お伽噺は楽しんでもらえたかな? だけどお話にはひとつだけ真実があったんだ。さぁ、ロロワ少年、君の力で甘やかな夢を顕現させようじゃないか!」