カードファイト!! ヴァンガード overDress 公式読み物サイト

小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第4章 歌が聴こえる

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第4章 最終話 生命の歌

 饐えたような闇が吹きぬけて、ロロワは視界を奪われた。
 まばたきをして、目を開けると、そこには誰も居なかった。
 闇が光によって掻き消えるように、塵が塵に還るように、ケイオスとミカニの姿は消えていた。
 ロロワは彼らを追おうとは思わなかった。追えるとも思わなかった。
 ケイオスの消失が決定的な皮切りになったのだろう。グランドグマはヒトとしての形を失って、噎せかえるような異香を放ちながら崩れ落ちていった。
 常闇村の住人——グランドグマの信奉者たちは讃美の歌も高らかに、爛熟するマゼンダピンクに身を投じていった。
 
 褒め称えよ 尊き御名
 甘露はしたたり 天へと至り
 天にして地 地にして天
 大天涯グランドグマ

 褒め称えよ 尊き御名
 甘露は広がり 地に満ちて
 夢にしてうつつ うつつにして夢
 大天涯グランドグマ 
 いま御許に近づかん

 花を撒き散らし、跳ねるように、踊るように、笑顔を響かせて。
 彼らを飲みこむたびに、歪んだ時空は嗤うようにぐずぐずと震え、毒々しいピンクの光を放った。
 ケイオスが消えグランドグマがその形を失ってなお、時空は歪んだまま元に戻っていないのだ。
 ロロワが歯噛みしていると、梵鐘のような低い声が聞こえてきた。
『——案ずることはない』
 声の主はクロノスコマンド・ドラゴンだった。手にした錫杖を振るい、身体に纏わりついていた泥濘を薙ぎ払う。
 ついに完全に自由の身となった英雄は、無数の歯車ギアをしたがえて、歪んだ時空に足を踏み出した。
『時空の歪みは、どれだけ時間がかかろうとも私が修復してみせよう。それが、ギアクロニクル指揮官としての務めだ』
「っ! はい、よろしくお願いします」
 ロロワは深く頭をさげた。
 時の支配者の名を冠する彼の言葉は、幾万の声を束ねるよりも頼もしかった。
 歪んでしまった時空を修復するのがクロノスコマンド・ドラゴンの務めならば、ロロワがなすべきことはなんだろう? 
 考えるまでもないことだった。
「この世界は僕が癒やします」
 ロロワは世界樹のバイオロイドとして生まれた。この世界を生命いのちで満たすことがロロワの使命であり、生きてきた意味だった。
『だが、そうすると君は……』
 ロロワの願いを察したのだろう、クロノスコマンド・ドラゴンが言いよどむ。
「良いんです」
 ロロワは微笑んだ。
 不思議なほど気負いはなく、いつもと変わらないへたれた笑みになった。 
 そうか、とクロノスコマンド・ドラゴンは答えた。
 するとそのとき。
 ふと、細めた視界の端に違和感を覚え、ロロワは笑みを引っこめた。
 無数の液糸となって降ってくる泥濘のなかに赤い影——ラディリナの姿があった。
 地面の上にぐったりと横たわり動かない。ぐずぐずと渦溝を描きながら、ゆっくりと時空の歪みへと押し流されていく。
「——っ!」
 ロロワは腕を伸ばし、手のひらに力をこめた。
 しかし生命の力はもうほとんど残ってはいない。うまく植物を生みだすことができず、手のひらからは乾いた木の葉がバラバラと舞い落ちていく。
 迷ってはいられなかった。
 ロロワは地面を蹴りあげ、波打つ泥濘を踏み越えた。ラディリナの身体は胸まで泥濘に呑みこまれている。
「ラディ!」
 声の限りに叫んだが、ラディリナは瞼を閉ざしたままだった。
 ロロワはラディリナの腕を掴む。
「……っ!」
 粘ったマゼンダピンクの抵抗はあったが、それを越えてしまえば彼女の身体は想像よりもずっと軽く、力の入らない手でも引き上げられた。いつもはまっすぐに伸びている背中や漲る気迫が、ロロワにラディリナを大きく見せていたのだろう。
 ロロワはラディリナを抱きあげると、崩落するマゼンダピンクをくぐり抜けた。泥濘の影響を受けていない地面にラディリナを寝かせる。
 ラディリナ、ラディリナ!
 幾度か名前を呼ぶと、少女は睫毛をふるわせ、ゆっくりと瞼を開いた。
「……ロロワ?」
「あぁ! よかった……!」
 ラディリナはいくつかまばたきをしながら身を起こし、あたりを見渡した。
 どろどろに崩れていくマゼンダピンクに「あぁ……」と力のない声をこぼす。
「……あなたがグランドグマを倒したのね」
 ロロワは首を横に振った。
「僕だけの力じゃない」
 贄となった人々は希望の光を消さなかった。だからグランドグマは身体の内から崩れたのだ。ロロワだけでは決してグランドグマを倒すことはできなかった。
 けれどラディリナは小さく、しかし何度も頭を振った。
「私はあなたを燃やして、石にしようと……なんてことを……私のせいで……っ!」
 自らの胸に刃を突き立てるような絶叫だった。
 震えるその肩に、ロロワはそっと触れた。
「良いんだ」
 ケイオスに欲望を掻き立てられ、あのときのラディリナが普通ではなかったことはわかっている。
 それに——
「僕の力が煌結晶ファイア・レガリスになったから、みんなを助けられたんだから」
 オリヴィのように世界樹として葉を広げることができたなら、ロロワも人々に生命いのちの力を届けることができただろう。
 しかしロロワはただのバイオロイドで、そのすべが無い。生命を結晶の欠片にして届けることは、欲望を掻き立てられた人々を助ける唯一の手段だった。
 世界中に散らばった結晶の欠片がまるで目のようになって、そこで今何が起きているのかをロロワに教えてくれた。
 欲望に身を任せ、讃美の歌をうたい踊っていた人々はその足を止めた。
 欲望に身を任せ、簒奪の群れをなした人々は拳を下ろし、空を見上げた。
 天涯にかかったマゼンダピンクの帳は空気にとろけて、地平線を朝日が清々しく照らしていた。
 惑星クレイに、ひとつ、またひとつと朝が灯っていく。
 ケイオスとグランドグマによって生み出された『欲望』は崩壊したのだ。
(……だけど)
 ロロワは彼方に想いを巡らせ、そっと眉を寄せた。彼の“目”に映るのは、希望に満ちた光景ばかりではなかった。
 讃美の歌を止めた口は、罵詈の矛先を求めて震えていた。
 拳を下ろしたとしても、空腹は空腹のままだった。
 そう、欲望が崩壊したとしても、そこにもともと存在した歪みが消えてなくなるわけではない。つかのま顕現した夢は人々の欲望を掻き立て、現実の酸鼻は極まっていく。
 ケイオスが植えた欲望の根は広がっていき、やがてどこかで実をつける。

——この世界で、僕に何ができるんだろう?

 3000年後の世界で目を覚まし、ずっと考えていた。答えは出ないままだった。
 今、ようやくわかった。
 植物が太陽へ伸びていくのと同じ、ごく自然なことだった。
 ロロワは世界樹のバイオロイドだ。
 バイオロイドは植物の遺伝子を組み込んで造られるが、ロロワは自らを生み出した人間を知らない。初めての記憶は生命の力に満ちた揺籃と、それを蹴破るオリヴィの姿。
 ロロワを生み出したものがあるとすればきっと、惑星クレイそのものだろう。
 ケイオスは、ロロワを『この惑星の営みに組み込まれた現象に過ぎない』と表現した。
 そうなのかもしれない。
 それでも、この惑星に住む人々の明日を作れるのなら幸せだと、素直に思えた。
 ロロワは膝に力をこめ、ゆっくりと立ち上がる。 
 自らの身にどれだけの生命の力があるのか、ロロワには計れない。3000年のあいだ街を潤したオリヴィのように莫大なものかもしれないし、若芽の一葉さえ生み出せない微々たるものかもしれない。
 それでも。
「——ラディ、僕は行くよ」

Design:kaworu Illust:三登いつき

 ラディリナはすべてを理解したようだった。
「——……っ」
 叫ぶように口を開いたが、乾いた息だけをこぼして、わななく唇を引き結んだ。
 そのまなざしには、ロロワを引き止めようとする焦りと、それが叶わないのだという苛立ちが混じりあっていた。
 そのときはじめて、ロロワの胸に秋風のような寂しさが吹いた。
 行きたくないな。
 でも、行かなくちゃ。
 いつか世界を生命で満たす世界樹としての役目を終えて、ただのロロワとして在れる日が来るのかもしれない。
 そのとき、隣にはラディリナがいて欲しい。
 ロロワの胸には、ささやかに、けれどはっきりと望みが芽吹いていた。
 おずおずと、問いかける。
「もしまた会えたら……一緒に旅をしてくれる?」
「いいわよ」
 ラディリナはすぐに答えて、ふんと鼻を鳴らした。
「だって、あなた一人じゃすぐに騙されるもの」
「あはは、そうだね」
 きっと、ラディリナがいなければすぐに身ぐるみを剥がされてしまうに違いない。
 過酷な旅に揉まれても、結局ロロワは笑ってしまうほどのお人好しのままだった。

「じゃあ、またね」

 目をつむる。
 生命いのちが世界に満ちて、ゆるやかに溶けていく。
  
   *

 そこに村があることすら、ほとんどのドラゴンエンパイア国民は知らないだろう。
 帝都から大陸鉄道と四輪駆動車を乗り継いで四日、竹のはびこる険しい道をのぼってさらに半日。そうしてようやく辿り着くのが、ドラゴンエンパイアの東部リシェ村だった。
 村人の大半が、近隣に住むフレイムドラゴンたちと力を合わせ、共にドラグリッターを目指す。特に優秀な者は第一軍『かげろう』に入隊するが、大多数は帝国軍の兵士として近隣の軍務に着く。山岳地帯の戦いを知り尽くしたリシェ村のドラグリッターとフレイムドラゴンたちは、ドラゴンエンパイア東部の守護者として長年その務めを果たし続けてきた。
 青年は、そんなリシェ村の出身だった。
 齢は十八、つい半年前に入隊したばかりの新兵だ。
 憧れのドラグリッターになったからには、偉大な英雄たちのように空を駆け巡り、敵を華麗に倒したい。若い血は燃え立った。
 しかし人口の少ない東部で大事件などそうそう起こるはずもなく、訓練と警邏の日々ばかりが続いていた。
 そこに突然、特別任務に着くよう声がかかった。

『かげろう第三ドラグリッター隊の隊長ラディリナを、グエル山麓まで案内するように』

 第三ドラグリッター隊のラディリナ。齢は二十六だったか……二十七だったか。
 彼女の名を、青年が知らないはずも無かった。
 無神紀が終わった今でこそ、地方出身者が第一軍に入る難易度は下がったが、それでも際だった力が無ければ難しい。
 しかし彼女は世界各国で武者修行に励み、竜駆ヶ原兵学校に入学、卒業ののち相棒のフレイムドラゴン・モモッケと共に『かげろう』に入隊した。
 偉大なドラゴンたちが統べる国、ドラゴンエンパイア。そこにおいて人間ヒューマンが高位につくことは稀であり、よほどの実力がなければ難しい。
 現在のラディリナの職位は隊長だが、やがて将にも手が届くだろうとの評判だった。
 何より、ラディリナは『リシェ村の英雄』だ。
——彼女と共に特別任務に就けるなんて!
 青年は期待に胸を弾ませながら回廊を越え、指示された一室に向かった。
 めったに使われることのない、基地の最奥にある議場だ。
 近づくにつれ、廊の灯りは落ちていき、闇が濃くなってくる。その張り詰めた空気に、青年はこの任務が通常のものではないことを理解した。
 青年は議場の前で威儀を正し、扉を叩いた。
 どうぞ、と中から声が返ってくる。
 青年は深呼吸をして、黒檀の大扉を開けた。
 吊り灯籠に照らされた室に、一人の女が立っていた。
 身の丈は青年と同じぐらいだろうか。女性においては長身だが、際だって優れた体格ではない。長い髪を飾り紐で結いあげ、房飾りが耳元で揺れている。紅炎色の衣を纏い、太刀を佩いていた。
 青年にとっては馴染深い、東部のドラグリッターが身に着ける装束だ。美しく華やかだが、あくまでも戦いに臨むためのものであり、過度な装いは省かれている。その姿形だけを見れば、やがて将になるという評をにわかには信じられないだろう。
 しかし彼女の身のうちから、ゆらりと火が起こったように見え、青年は室内に踏み込むのを一瞬ためらった。
 もちろん人の身体から火が立つはずがない。彼女から溢れる気炎が、そう錯覚させたのだった。
「入って」
 声をかけられ、ようやく我にかえった。
「本日はよろしくお願いします! あの、お会いできて光栄です!」
 青年の声は裏返っている。ラディリナは涼しい顔をしている。
「えぇ、よろしく。ところで——」
 ラディリナは周囲を見渡した。どうやら掛け時計を探しているらしいが、議場の壁にはそれらしい物は無かった。
「出発までまだ時間はあるわよね?」
「えぇ、三時間ほど」
「じゃあモモッケと少し基地から出るわ。時間までには戻るから安心して」
「はい。どちらへ?」
 緋を引いた唇で、ラディリナは凛と答えた。
「Blue Dreamのライブを見るのよ」
 ぶるーどりーむの、らいぶ? 
 青年は頓狂な声をあげた。

 古びた家々が立ち並ぶなかで、舞鯨亭の店構えは一風変わっていた。
 壁も、柱も、すべてが薄桃ピンク色で塗られている。木造の看板はリリカルモナステリオの空飛ぶクジラを模していた。
 歴史を感じさせる街並みに対して、実にファンシーである。
 穏やかな昼下がり、ふと、舞鯨亭の店先に黒い影が差した。
 バサッ、と強烈な羽音が空に響く。
 往来に舞い降りたのは一体のフレイムドラゴン——モモッケだった。二本の立派な角を振り動かし、砂埃を払う。
 目を瞠る人々の前で、モモッケの背から赤い影が降りた。ラディリナは軽やかに地面に立ち、舞鯨亭を指し示す。
「行きましょう」
 ラディリナはモモッケと共に薄桃色の暖簾をくぐった。
 ファンシーな外装に反して、舞鯨亭の内装は一般的な定食屋とさほど変わらなかった。
 三和土の床の上に、年季の入った木製卓と椅子が並んでいる。奥には、一段上がって座敷があった。
 そこに待ち人を見つけたラディリナは、右手を掲げて声をかけた。
「待たせたわね。ごめんなさい」
 座敷にはタマユラが品良く座っていた。
 ゆっくりと顔を上げ、ラディリナに気づくと、梅が薫るように微笑んだ。
「いいえ。二人とお話ししていましたから、あっという間でしたよ」
 タマユラの両隣には、リリミとララミが座っていた。
 おっとりとしたタマユラとは真反対の、殺意のこもった目つきで睨みつけてくる。
「タマユラ様を」
「待たせるなど」
『——許されることではない』
「はいはい、ごめんなさいね」
 双子の殺意を手でひらひらと適当にいなし、ラディリナは座敷に腰を下ろした。
 十代の頃には売られた喧嘩はすべて買い上げ、終わりの見えない口喧嘩に突入していたラディリナだが、今はもう軽く受け流せるようになっている。
 リリミとララミの台詞など、主人に忠実な小型犬に吠え立てられるようなもので、可愛いらしいとすら思う。
 彼らと出会ってから十年が経った。これが大人になるってことね。ラディリナはしみじみと自分の成長に感じ入った。
 するとそこに、タマユラには聞こえない小声で、リリミとララミがぼそぼそ言いあっているのが聞こえてきた。
「移動に時間がかかったんだ」
「えぇ、きっとそう」
「図体がデカいばかりの鈍間なドラゴンめ」
 ラディリナは無言で二人をビンタした。
「ラディ?!」
 困惑したモモッケが叫ぶ。

 舞鯨亭はその名の通り、リリカルモナステリオのアイドルたちのファンが集う定食屋だった。 
 元は古式ゆかしい定食屋だったらしいが、店主が中年になって突然アイドルにハマったという。それから外装は薄桃になり、屋号も変わった。店内には巨大な液晶テレビが設置され、その近くには背丈ほどもある巨大なスピーカーが置かれている。
 これで『推し』のコンサートが高画質高音質で見られるというわけだ。
 今日は “Blue Dream” ——ミチュとノクノのコンサートだった。
 昼中だが、店内にはラディリナたちのほかに三組の客がライブのスタートを待っていた。間もなく幕があがるだろう。
「それにしても、この店が似合わないわね」
 そう言って、ラディリナはタマユラをしげしげと見た。
 お世辞にも高級とは言えない、庶民的な定食屋のすり切れたような古畳。そこに絢爛豪華な着物姿のタマユラが座っている光景は、違和感を通り越し、何かしらの罪を犯しているのではという気がしてくる。
「誘った私が言うのもあれだけど、自分の屋敷で見ればいいんじゃない?」
「わたくしたちの屋敷のてれびでは、“こんさーと”が映らないようなのです」
 タマユラの柳眉が下がり、伏せられた瞼に悲しげな陰影が落ちた。
「あの酒乱の鬼が勧めるから置いたものを」
「無駄に大きいばかりで何の役にも立たないではないか」
「まさにあの鬼と同じ木偶の坊」
「金輪際屋敷の敷居を跨げると思うな」
 リリミとララミは猩々童子に文句をつけている。
 二人が言うのだから、屋敷にあるテレビはさぞ大きいのだろう。もしかしなくても、この店のテレビよりも大きいんじゃないの? 
 天上天狐の座敷に鎮座する巨大テレビを想像しつつ、ラディリナは二人の文句を遮った。
「多分それ、テレビは悪くないわよ。このコンサートを見るには専用チューナーを設置してから有料契約をする必要があるの」
「ちゅーなー?」
 タマユラが不思議そうに首をかたむける。
「つまり……」
 ラディリナは説明を加えようとして、すぐに口を閉じた。諦めたのだ。
「……わかった、今晩見られるようにしてあげる。屋敷に行っても良い?」
「もちろんです! ありがとうございます!」
 3000年の時のなかで唯一国の名を変えなかった国、ドラゴンエンパイア。
 その国土は広大であり、いまだ数千年前と変わらない伝統的な暮らしを営む人々も多い。
 特に寿命が長い種族は、他国の科学技術や文化を受け入れるのに時間がかかる。そしてタマユラは1000年を生きるとも言われる九尾の狐のワービーストだ。
 そんな彼女に対して、
『衛星放送でアイドルのライブを見るためには——』
『ファンクラブに入会してwebチケットを購入し、それをテレビに映すためには——』
 と説明したとしても、ちんぷんかんぷんだろう。頭から煙を噴くのがオチだ。
「それにしたって」
 卓に頬杖を突き、ラディリナは双子たちを見つめた。
「あんたたちは機械人形ワーカロイドなんだから、もうちょっと機械に強くたっていいでしょうに」
 彼女たちの出身地であるダークステイツは科学技術に強い国柄ではないが、それでもタマユラと同じだけ機械に弱いと言うのはどういうことだ。
 彼女たちが武器にしていたジャグリングクラブやフープにしても、武器としての機構は機械式だったはず。
 呆れた半眼で見つめれば、双子は意地になって歯を剥き出しにした。
「私は機械に弱くない。部屋の明かりを点けて差しあげられる」
「僕は機械に弱くない。車の扉を開けて差しあげられる」
「はいはい、そのままタマユラのそばでのんびりやってなさい」
 ラディリナは双子の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 やめろやめろ! と双子が叫び、タマユラが嬉しそうに微笑む。
 こんなに生意気な奴らは、自分たちが暗殺人形であったことなど忘れるぐらい、タマユラとのんびりしていればいいのだ。
 ラディリナが撫でるのを切りあげた、そのときだった。
 スピーカーから、わぁっ……! と歓声が聞こえてきて、ラディリナは身体ごと素早く振り向いた。
 そう、下らない喧嘩なんてしてる場合じゃない。今日はBlue Dreamのコンサートなんだから!
 花が咲くように次々とピンクとブルーのスポットライトがついて、舞台が色あざやかに照らし出された。

「——はじまるわ」

 そして歌が聴こえる。
 3000年のあまりに長い月日に晒されながらも、決して失われず、紡がれ続けたメロディが。
 ドラゴンエンパイアの山麓で、ストイケイアの海岸で、ケテルサンクチュアリの空を見上げながら、ダークステイツの街角で、ブラントゲートの雪景色のなか。
 世界は生命の歌に満ちている。

 ラディリナとモモッケが基地に戻ると、出入りの門で新兵が待ちわびた顔で立っていた。精確な時間は不明だが、その表情だけで状況はおおよそ察せた。
「アンコールまで見たのはまずかったね」
 と、モモッケが小声で言う。
「でも新曲だったわよ。見なかったらあとで後悔したでしょ」
 と、ラディリナも小声で返す。
「それはそうだけど」
 二人が小声でやりあっていると、新兵が不安そうに顔を曇らせた。
「どうかしましたか……?」
「何でも無いわ。出発しましょう」
 ラディリナは取り澄まして答えた。
 今回の任務の目的地はグエル山、最短で飛び掛けても二時間はかかるだろう。土地勘のある兵の案内無しでは、倍の時間をかけても着けるかどうか。
 そうまでしてラディリナとモモッケが出向くのは、これが特殊な任務だからだ。

 十年前の冬、全世界同時に集団幻覚が発生した。
 幻覚の内容はそれぞれ異なるが『夢のよう・・・・だった』と被害者は語った。集団幻覚が起こったあと、場には果実の砂糖煮ジュレが大量にぶちまけられ、腐敗していたという。
 世間では原因不明の集団幻覚として扱われ、十年の時間がたった今では、人の口にのぼることも少なくなった。
 それが幻覚ではなくケイオスというデーモンによって起こされた『事実』——“巨躯アンノウン事件”であることは、帝国軍のなかでも一部の者しか知らされていない。  
 理由は簡単だ。
『知れば、欲してしまうから』
 それが歪なものであったとしても、欲望を現実にする方法があるのなら人は求めてしまう。ケイオスに縋り、グランドグマを復活させようと目論むだろう。
 夢を現実にする、という世迷い言にはそれだけの魔力がある。

 新兵が騎乗したフレイムドラゴンに続いて、ラディリナとモモッケは空を翔けていた。
 基地から離れて一時間も経っただろうか。新兵は堪えきれなくなったように問いかけてきた。
「ラディリナさんとモモッケさんは“巨躯アンノウン事件”の当事者だったんですよね」
「そうよ」
 腹立たしい、という感情がなるべく出ないようにしたつもりだが、なかなか難しい。
 ふん、と鼻を鳴らす。
「だから今もこうして“種子事件”に駆りだされているというわけ」
 一晩で収束したとされている“巨躯アンノウン事件”だが、実際はそれほど簡単には終わらなかった。
 荒れ野に蒔かれた種子がいつか芽を出すように、切られた雑草が人知れず根をはびこらせるように、はらわたに巣くった寄生虫がやがて宿主を入水させるように。
 ケイオスの蒔いた欲望は時間と共に実をつけ、その後いくつもの厄介な事件を引き起こした。
 これらの事件は、大元の事件と区別して“巨躯アンノウンの種子事件”——通称“種子事件”と呼ばれている。
 事情を知る当事者として、ラディリナとモモッケは入軍してから今に至るまで、“種子事件”に駆りだされていた。
 頻繁に起こるわけではないが、それでも広いドラゴンエンパイアを移動するのは骨だ。今回も本来の任務は北方だったところを、二日かけて飛んできた。
 ケテルサンクチュアリは潜影者アンダーカバーが対応しているらしい。ブラントゲートは白服の男ホワイトマン。確かに情報に強い連中が対応するのが適しているだろう。
 しかし彼らは何十人といるが、ラディリナとモモッケはたったひと組だ。正直めんどくさい。
 あのクソデーモン、いなくなっても厄介ね。
 ラディリナは、ケイオスのへらへらとした笑顔を思いだして、苦虫を噛み潰した顔になった。
 と、そこで訝しく思う。
「あなたはどうして事件について知っているの?」
 “巨躯アンノウン事件”について知っているのは、帝国軍内でも限られた人間だけだ。それにも関わらず、彼のような一兵卒が情報を持ち、こうして案内人として配属されていることは奇妙だった。
「自分は、“巨躯アンノウンの種子事件”に遭遇しています——十二歳のときに、リシェ村で」
「あぁ、そうだったのね」
 納得し、ラディリナは頷いた。
 六年前にリシェ村で事件は起きた。
 ある夜、突如としてリシェ村近隣の森の中で“巨躯アンノウンの種子”が芽吹き、周辺に住むドラゴンたちの心を呑みこんだ。マゼンダピンクに汚染されたドラゴンたちは、何も知らないリシェ村の人々に襲いかかった。
 すわ大惨事——と思われたが、ドラゴンたちはラディリナとモモッケによってシバき倒され、夜が明ける前に全員正気を取り戻したのだった。
「ちょうど帰省中でよかったわ。まぁ、どうせ私たちがいなくても、村の連中がボコボコにしたでしょうけど」
 リシェ村で若者たちを教えているのは退役したドラグリッターたちだ。現役を退いたとはいえ気概はまだまだ充分で、狂乱したドラゴンたちが相手であろうと臆すことなく戦ったに違いない。
 若者たちに良いところを見せる絶好の機会を奪ってしまい、申し訳ないとすらラディリナは思っている。
 しかし彼女の前を行く新兵は、万感の想いがこもった声を絞り出した。
「でも、俺を助けてくれたのはあなたたちでした。あなたたちは俺の……英雄です」
「そう。それは光栄ね」
 風に髪をなびかせ、ラディリナは涼しい顔で答えた。

 グエル山に着くころには太陽は傾き、稜線を白くさし染めていた。かすかに橙が混じっているところを見ると夕暮れが近いのだろう。うかうかしているうちに夜になってしまう。
 案内はここまでで良いわ、あなたたちは待っていて。
 新兵とその相方のフレイムドラゴンに言い残し、ラディリナはモモッケと森に足を踏み入れた。
 夏が近い。獣道に沿って野茨が白い花をつけ、ほのかな芳香を漂わせている。
 藪を進み、新兵たちの姿が見えなくなってから、ラディリナは含み笑いを漏らした。
「英雄、英雄ね……案外気分がいいものね、モモッケ」
「クールぶって……嬉しかったんじゃないか」
 モモッケが翼の先で肩を小突いてくる。
 ラディリナは軽く唇を尖らせた。
「そりゃあそうよ。面と向かって言われることなんて滅多に無いもの」
「そう言ってあげれば良かったのに」
「少しクールに接するぐらいの方が、イメージを壊さず良い思い出になるんじゃない?」
「どうかなぁ」
 胸襟を開いて部下に親しみを感じてもらうか、それとも適切な距離を保って尊敬してもらうか。
 厳しい規律によって統制されている軍隊において、これは悩ましい問題だ。
 何でも親しみやすければいいと言うものではない。それはモーダリオンの例からも明らかだ。
 ゆえにラディリナの現在の方針は『厳格』。部下に対して親和的に振る舞うのは、もう少し地位をあげてからでいいのではと思っている。
「厳格ぶった分の仕事はちゃんとしなくちゃね」
 携えた剣を抜いた。
 玉飾りが涼やかな音をたて、静寂に消えていく。
「さて、行きましょうか。二度と出てこないように徹底的に潰してやる」
「あぁ!」
 報告では、この森の奥深くに“巨躯アンノウン”が原因と思われる時空の歪みが確認されたという。
 麓の村からは遠いものの、偶然誰かが通りがかればまたたく間に欲望に心を呑みこまれてしまう。そして罹患者を取り巻く現実うつつはマゼンダピンクの泥濘に侵され、歪に広がっていく。
 そうなる前に“種子”を消し去ってしまう必要があった。
 “種子”はその名とは裏腹に、定まった形はない。
 お菓子好きな人間の前にはお菓子、宝飾品が好きならば宝飾品と、それぞれ望むものの形を取って現れる。
 入手不可能と言われるリリカルモナステリオのライブチケットになってラディリナの前に現れたときには、泣く泣く斬り捨てたものだ。
 ここまでの移動で小腹が空いたから、今なら干菓子になるかしら?
 ラディリナはそんなことを考えながら篠竹を掻きわけ、藪を抜けた。
 土は瑞々しく香り、梢の途切れ目から陽光があざやかに射している。しかしラディリナは眉根に皺を寄せ、顔を顰めていた。
「……どうして」
 檜の根がたに、“種子”と思しきマゼンダピンクの果実が落ちている。
 しかしそれは一本の細剣によって刺し貫かれ、すでにその力を失っていた。
 果実は地面に触れたところから崩れている。ほどなくして虫に食われるだろう。虫は鳥の腹に収まり、食物連鎖のなかで欲望は土に還っていくだろう。
 しかしなぜこんなことが起きているのか、ラディリナはとっさに理解できなかった。
 誰かが自分たちよりも先にここを訪れ、“種子”を葬ったとでも言うのだろうか?
 ラディリナは推測をすぐに否定した。
 細剣は長期間手入れをされていないのか、ひどく錆びついていた。柄に施されたモチーフも土埃をかぶっており、何らかの植物であることしかわからなかった。遺跡からの出土品だと言われれば、思わず納得してしまうほどぼろぼろだ。
 しかしただの剣でないことは明らかだった。
 剣の刺さったところから、天の川が溢れるように地面が淡く光っている。まるで、そこに強大な力を秘めた何かが眠っているように、言祝ぐかのように。
 これに似た光景を、ラディリナは見たことがあった。
 十年前のストイケイア、トゥーリの聖域、世界樹の根元で。 
「——ラディリナ、これって……」
 モモッケが言葉少なに問いかけてくる。
 ラディリナはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
 託宣のように言い放つ。
「モモッケ、これ、吹き飛ばしちゃって」
「いいの?」
 モモッケはちょっと笑っている。
 ラディリナは胸を反らし、ふんと鼻を鳴らす。
「どうせ死にやしないわよ。死んでも死ななかったんだから」
「ははは、わかった」
 モモッケは口を開いた。
 喉奥で種火が起き、たちまち莫大な炎となって、まっすぐ迸った。

 ごうっ!

 炎を受け、剣は地面ごと弾け飛ぶ。
 もうもうと土煙が巻き起こり、あたりは白くけぶったように見えなくなった。
 その奥から、誰かがごほごほと噎せる声がした。清らかな風が吹き、砂埃が晴れていく。

「……っ、いたた……」

 小岩と木の根が混じり合う地面の底で、少年が尻餅をついていた。衣服が泥にまみれているところを見ると、どうやら地中に埋もれていたようだ。
 少年は瘤になった後頭部を押さえていたが、やがて目尻に涙を滲ませながら面をあげた。目の前に立っている赤を映して、新緑色の瞳が見開かれる。
 信じられない、というように声を漏らした。

「……ラディ?」

 その声も、情けない表情も仕草も、笑ってしまうほどあの日と同じだった。
 ラディリナもまた、十年の間に培った “大人らしさ” など残さず捨て去って、禁域を掘り起こす悪童のように唇をひん曲げた。

「今回の目覚めは、案外早かったわね」

Design:kaworu Illust:るみえ

「——ロロワ!」
 

—— 完